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乳と卵
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乳と卵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 1~20 1/3ページ
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読んでいて、うるさいと感じる本は初めて。段落もなしに、誰が喋ってるのかわからない所が2回くらい出てくる。 最後にうまくまとまった感はある。そこに至るまでは、関西弁の羅列とうるさい会話文。苦行。関西弁に慣れてないと文のリズムを掴みづらい。 読了後に関西弁への嫌悪感が残る。 芥川賞をとるような斬新さはあったけども、関西弁のやかましさに本質が読み取りづらかった。 | ||||
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確かに妙な大阪弁の言い回しは読みにくい けど緑に2回、5000円あげて 好きなもん買ってもいいし 残しといてもいいし って主人公のことば 母子家庭でいつも我慢ばかりしてるだろうと 主人公なりの静かな優しさ 子供のころに親戚から貰ったお小遣いを思い出して 涙がでてきました あげる方も裕福じゃないからね 大人になるとありがたみがわかりますわ | ||||
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私はやっぱり自分の体に対して嫌悪感を持っているのと、同性愛者だからなのか元々の性格なのか性行為に対しても嫌悪感がある。それでも、触れたいと思う人はいる。あと、卵子とそれを使わずに流す毎月来る日に関してもきっと嫌悪感がある。 その全てを独りごちた感じで語られていくと、逃れられなくて何とも言えない良い感触とは言えない気持ちになった。 でも、この気持ちもこの本を読まないと感じられなかった自分の大切な一部だから、温度と粘度と感触と忘れないようにしよう。自分も含めて人の心は複雑だ。 面白かった表現は、銭湯では顔の印象が薄くなって体自体が意志を持ってるように見えるとあって、すごく納得した。生々しいと言うか変な感じが良く伝わって来た。読んで良かった。 | ||||
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ジャケ買いです。 | ||||
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表題作の中編(約100P)と短編(約25P)の二篇収録。 二篇ともにドロドロと溶けるような主人公視点の文体が特徴的でした。 『乳と卵』 東京の三ノ輪に住む私(夏子)のアパートに三日間の予定で大阪から姉と姪が訪れる。 姉の巻子は39歳、離婚しており娘を育てるために京橋の場末のスナックでホステスとして働いている。今回の上京は自身の豊胸手術のための調査を兼ねており、豊胸手術をするということに異様なこだわりを見せている。娘の緑子は、巻子、夏子に対してなぜか口頭での会話は行わず、筆談でコミュニケーションをとる。常に携えているノートに手記を残すことを習慣としており、そこには卵子への好奇心、初潮を迎えることへの少女の怖れや大人になることに対する嫌悪感などが綴られている。物語は私の視点で巻子、緑子の母娘を描写しつつ交互して緑子の手記を挿入するかたちで進められる。 一段落ごとが長めに取られ、地の文のなかに主人公視点による外面描写、三人の会話、それに些細な変化にもその都度反応する私の意識が溶け合うような文体に大きな特徴がみられる。会話文にはやや紋切型からはなれ、現実に即した現代の女性ならではの関西弁が用いられていることもあり、読みづらく感じる読者もいるかもしれない。 『あなたたちの恋愛は瀕死』 百貨店の化粧品売り場で、ティッシュを配られて、書店にて、さまざまな思いをめぐらす女性の意識が描かれる。ナンセンスにも読める。描写の特徴は表題作と共通している。こちらは関西弁ではない。 | ||||
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流れるような、そして予測不可能な文章は読むのが楽しく、小説の自由さ素晴らしさを感じました。一方で、ラストの構成や作り込みがやや過多で、そのまま流れるようにいってくれれば良かったのに……と個人的には少し肩が落ちました。とはいえ読んで損はない作品です。 | ||||
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ありがちな題材なので新味を欠くが、娘がキレる終盤で一応見せたと思う。 人工、自然の違いはあれ、身体の変化を迎えようとする境遇が、母娘共通している。 母は肯定(積極)的、娘は否定的、意識のベクトルが真逆に向いている。 大人になるのが不安な娘は、変化をことさら厭い、自分だけではなく、豊胸を志す母の変化にも 激しい拒絶反応を示す。 娘がキレる場面で卵を割りまくり、母が、別れぎわ、妹から豆乳をおしつけられるのは、 語呂合わせだろうか、大した効果ではない。 母の妹は狂言回し的な立場にあり、主人公と思える緑子の繊細な情感を間接的に照射し、 なかなかのあざとさを見せている。 しかし、読点がやたら続く、特有の文体になじめなかった。 ※画像・プロフィールは無視してください | ||||
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男性側から見た商売女は文学の中で数多く描かれていますが、その多くは私の中では割とあっけらかんとした印象です。例えば最近のものでいうと(商売女ではないが)ウェルベックの素粒子で描かれる豊胸手術をした女は非常に前向きで、手術によって大きくなった胸が旦那に喜びを与えることを純粋に喜んでいる。それを川上さんが描くと、卵を頭にぶつけて号泣する娘の背中をさする母親、という描き方になるのだなと思いました。付属の短編も読みましたが、作者は性的な快感を重視しない、というより否定する傾向にあると感じました。作中に、確か「自分が肉体の中に閉じ込められているようだ」というような言葉があったと記憶していますが(しかもハイライトしている人が多かった)、むしろ「肉体が精神の中に閉じ込められている」のが現代の日本なのではないかと思いました。 | ||||
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序盤しか読んでないが、思ったほど面白くもない。つかみが良くない。こんな薄い中編で、一気に読ませるだけの力量もないのか。ちょっと過大評価してた。 | ||||
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この本には、芥川賞受賞作の「乳と卵」と近い時期に発表された「あなたたちの恋愛は瀕死」の短編2編が収められている。文庫版で133ページなので、あっという間に読めてしまう。よく、文体が読みにくいという評があるが、私にはそんなことはなかった。関西弁と、読点で区切られて長く続く文章の形態は、慣れれば小気味よく読めるし、独特の味わいもある。「乳と卵」にはまともに男性が出てこない。もはや女性だけで世界が描かれている、そこが新しい文学だと言われている理由の一つかもしれない。いちおう姉の娘には父親がいるのだが、自分勝手な利己的な人間のように描かれている。この小説の主題は、母と娘の間の心の葛藤、いいようのない親子愛だと思うので、それをこの短い小説の中で浮き上がらせようとすると男性が出てくる余地はなかったのかもしれない。 「あなたたちの恋愛は瀕死」では、主人公の女性は、男性を恋愛の対象というより、1回限りの性交の相手としてのみ夢想する。そして、見つけた男性に声をかけたあと、衝撃の結末が訪れる。どうやら生物学的には、目の前に現れた異性に対しては、求愛するか攻撃するかという両極端な反応をするようであり、ショウジョウバエの研究では、ある1種類の脳細胞のスイッチがオンになるかオフになるかだけで、相手を求愛するか攻撃するかが決まるそうである。 2編とも男性は生物学的オスとして描かれており、それはそれでおもしろいのだが寒々とした世界観である。 | ||||
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つまらない退屈な書き手でないことはすぐにわかる。 ただわざとらしすぎる。文体も、強いて露悪趣味的な暴きかたも大阪弁も、どれも。 何であれ独自の必然性とか価値とかが感じ取れるならいい。話の展開ぶりも殴り込みぶりも言葉回しも、そこらにゴロゴロの凡手ではなさそうだし。 だが、最後まで読んでみれば何かあるのかも知らんが、まずそこまで我慢して読む気になれない。 ダラダラ調文体自体は可でも不可でもない。 町田康の場合で言えば意識の流れをそのまま紙に移し置いたものだから違和感ないどころか、まさにあれでこその名品です。 だが本作はちがう。ただ無自覚無節操にダラダラだらしなくつなげてみました、えげつなく醜悪に書いてもみました、というだけだ。 蛇足ながら、今どきこの種の文体を“快諾する”くらいの下地なら読者にもじゅうぶんできている。つまり、またか、でしょう。 問題はその選択を必然とする作品かどうかだが、この点を問わず評価されていいのは最初にそれをやった人、1人に限るでしょう。三番煎じ四番煎じはそのぶんだけ自ら質を落とすことにしか作用しません。 ということで20頁までしか読んでおらず、その限りでの感想でしかないが、もっと品位のある筆運びでこの程度のものは表現できなければおかしい。それでもっと深みのある優れた物に仕上げるのも難しいことではないように思える。 一種ラップ崩れみたいな、頭を冷やしてよく見ればただ低俗なだけとわかるこの書き方を何のためにわざわざするのかと言えば、手っ取り早く芥川賞でも欲しかったか、それしか考えつきません。 大阪弁ときては、敢えてやっている割りには基準の定まらない中途半端な取り入れ方に爽やかさがなく、ますます魂胆を疑わせる。 結果として、ド素人読者がもう一人真似してみた当欄投稿例と区別のないことになってませんか。 安直なところで勝負を急がずもう少しじっくり構えれば、こんな芥川賞よりもっとましな賞が取れるかもしれない人のようなのに、今のところ、あるいはこの作品は、私には用がなi。 | ||||
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表題作『乳と卵』 読みやすい関西弁が、素晴らしく効いています。 諸々の描写力に長けた著者の文章は、今時の文学にしても珠玉です。 舞台は東京三ノ輪。語り手のわたしを中において、胸の整形に拘る姉(巻子)と、 筆談しかしない彼女の娘(緑子)との数日が描かれています。 次々散りばめられる小説の設定が面白く、終盤まで期待しながら読み進めました。 巻子には胸、緑子のノートには卵子についての、そして母についてのコンプレックスが 語られてゆきながら、豊かな描写力にして主人公のわたしには、更なる背景がつらつらと 認められてゆきます。上記設定のあざとさはあるものの、巻子を見る私の視線は至極よく、 なにより鮮やかに彼女を描き出します。 冒頭、しばらく振りに見た巻子は、意外な位にやせて見えた。読みながら、当然その真相が 小説の芯になってゆくだろうと思いました。然しながら、結局それは仄めかしにまでも 到らなかった。その点にがっかりさせられました。これではこの話は報われない。 せめて語り手のわたしにだけは、巻子のその先の死が仄めかされて(半信半疑に)いてほしい。 すればそこに決定的な意味が生じ、クライマックスのタマゴ割りは至高のシーンになった筈です。 訳も分からぬ緑子にさんざをぶつけさせてもいい。そうしてドロドロになった巻子がボロボロの顔を して笑ってみせるならば、きっと心底に笑っているのでしょう。 それはもううんざりするほど書き連ねられた日常の漠たる不安やイロニーなどではなく、 なんとあれど生んだもんの勝ち、つないだもんの勝ち、オカンの大勝利な訳です。 なぜこの小説がバッチリとそう書かれなかったのか、今更に不思議でなりません。 なぜ、傑作の評価を回避したのか、否、させられたのか。 著者にはもっともっと素晴らしい小説が書ける筈です。 | ||||
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3人の女性たちには、いずれも著者自身が投影されているのだと思いました。行き先に迷った哀しみは、人をこんなにも滑稽で饒舌にさせるのでしょうか。口語体調の関西弁による闊達な文体は、慣れるとリズムよく心地よく、そしていつしか慈悲深く体に染み入ってきます。 | ||||
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関西に住む姉が娘を連れて豊胸手術をするために東京に住む妹の家に滞在する 妹の子供は口がきけるのに会話をせずに何故か筆談・・・・ 物語を構成するのに面白うそうな感じはするが・・・ そこに読者の心を揺さぶる何かがあるようにはとうてい思えなかった 文章も女性の作家にしては興味をそそらせるようなものでもなかった・・ | ||||
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2008年に第138回芥川賞を受賞した表題作「乳と卵」に加え、「あなた たちの恋愛は瀕死」を収録したものである。両作品とも、初出は「文學 界」(2007年〜2008年)であり、本書は2008年に刊行された単行本を文 庫化したものである。 主人公の姉である巻子は、大阪に一人娘の緑子と一緒に2人で暮らして いる。巻子は離婚をし、ホステスとして生計を立てていた。その巻子が、 緑子を連れて、東京で暮らす主人公のもとにやってくるところからスト ーリーが始まっている。 すっかり痩せてしまった印象のある巻子だったが、東京へやって来た 目的は、豊胸手術を受けることであった。さまざまな病院を調べ、銀座 の病院に目星をつけた巻子だったが、手術を受ける行為は、主人公にも 娘の緑子にも理解されるものではなかった。 緑子は、全く口を開かない。開けないのではなく、開こうとしない。母 の巻子とも主人公とも話をする際にはノートに書いて考えを伝えるので あった。初潮を迎え、自分の体の変化や性の働きを、関心と嫌悪感を併 せ持ち、母との距離感や、自己開示ができないことなど、多くの不安定 要素を抱えていた。また、そのような娘の姿に、巻子も少なからず複雑 な気持ちを抱えていた。 本書では、その緑子の思いが、ノートに記した内容が本文中に記される ことで明らかにされながら、銀座に向かったまま約束の時間に戻らない 巻子の場面で、母と娘の思いが互いに交錯する様子がえがかれている。 本書の特徴は、何といっても文体にある。いわゆる断続文が続き、一文 や一段落が非常に長い。関西弁で私的な思いがつづられる場面の多い本 書の内容だから可能になった文体で、ここに美点があるのだろうが、や はり、一般的には読みにくさを感じてしまうかもしれない。 | ||||
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乳と卵とは胸と子宮の関連であってつまりは女性だ。この短編には3人の登場人物がおり、3人がみな女性である。うち1人は語り手というか見手ともいうべきポジションで、あとふたりは親子。母は豊胸手術について考えていて、娘は生理について悩んでいる。 娘はうら若き小学生で、自身の卵細胞つまり生理と母の豊胸手術のことで頭がいっぱいで、現実との折り合いをうまくつけることができず、筆談という手段でコミュニケーションを図ろうとし、一切の言葉を口から発せずにいる。彼女が言葉を発するのは、母の豊胸手術を糾弾するときなのだが、そのためにはエキセントリックな儀式的媒介が必要で、彼女の場合それが、玉子を頭にぶつけてかち割るというものなのだった。行為それ自体は理解不能としても、その行為によりわだかまっていた本音がストレートに放出され、頑なに拒まれていた言葉が外に出たという因果は理解可能である。 ところで、彼女の処女小説である『わたくし率イン歯ー、または世界』は、今作における玉子割りに該当するカタストロフの場面がとても鮮やかで、小説全体の意味を変革してしまう大技ともなっていたのだが、それと比べるとこの芥川賞受賞作は少し弱いと思う。また身体的女性性というのがたぶん主題なのだろうが、その深くもエッセンシアルでもある主題が書かれたモチベーションも推し測りがたく、煮え切らないものが残る読後感である。 | ||||
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読み始めてすぐに長広舌というのでしょうか読みにくさが最初の壁として立ちはだかります。 野坂昭如さんを少し連想させられます。 どうにかこうにか慣れてくると、話の筋が見えてきました。 女3人のある日を描いているのですが、面白いのは組み合わせです。 姉妹と姉の娘。 姉は、豊胸手術のため東京の妹の家にやってきます。娘は、全く喋ることを止めてしまって持参のノートに筆談で会話するという小学生です。 どうでもいいような会話から時々ヒヤリとする部分に踏み込んでいきます。 著者の講演を聞く機会があったのですが、非常に好感の持てる女性でした。 聴衆に対する気遣いやサービス精神があって、明るい感じでハキハキ喋る方で、作家というよりはタレントに近い感じはありました。 本書を読んで、著者への好感をもってしても、これが芥川賞か、という思いはしています。 こういう選考でいいんだろうか、とむしろ選者に疑問を抱かされました。 この本には、芥川賞受賞作の『乳と卵』。それに受賞第一作『あなたたちの恋愛は瀕死』が収められています。 | ||||
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独特な文体と大阪弁。関西人である私ですら、読み始めは「うげっ」って感じでしたが、人間とは慣れるもので、慣れてしまえばリズミカルに読み進めました。 (ただ、集中が切れたり、何かで中断すると訳が分からなくなります) 女性作家特有の女を見る目の鋭さは秀逸でリアル。 「巨乳願望女」と「私のメイクは自分のためだけど、アンタの巨乳願望は男根思想に毒されてるんだろ女」の面倒臭いガールズ・トーク、崩れたメイクや月経の描写… 終盤の母娘のシーンにはジンとしました。自らに卵をグシャリとぶつけることで、何とか声を言葉を吐き出していく娘と、同じようにして向き合っていく母。 ドロドロでグチャグチャの二人と傍観する主人公。 このシーンのために苦労しながら読んできたんだ!!という感じ。 このシーンだけは、苦しくて切なくてホッとして良かった。 読後の感想は、「女ってドロドロでグチャグチャで面倒臭い」以上。 | ||||
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これは、饒舌体ともいえる文体でなく、大阪弁でもなかったら成り立たない小説。 文体だけでなく特定の方言の語感やそこから想起されるキャラクターに依存する文学もありといえばありかもしれないが、それをとったら何が残るのか、と考えると厳しい評価にならざるをえない。 | ||||
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大阪から母子家庭の姉とその娘が上京してきた。 姉の目的は、加齢により失われた乳房を手術によって取り戻すこと。 しかしその娘は、場末の飲み屋で必死に働く母に感謝をしつつも、 その必死さに気後れし、恥ずかしさ惨めさを抱いている。 心を通わすことの出来ない母娘が、あるキッカケでその絆を取り戻す物語。 登場人物はほとんど女性であり、、 母の乳房を追い求める姿、娘が初めての生理を迎え嫌悪していく姿、 これらを織り交ぜつつ進んでいく為、 女性とは何かを思わせる、濃密さと深行きが生まれている。 娘は母とは口を利かない設定になっており、 その心情はノートに綴られる日記からしか読み取れない。 この日記の挿入タイミングが面白い。 女性が読めばやはりすこし気が滅入るかも。 大阪弁のリズムは本音感が現れていてよかった。 芥川賞らしいっちゃらしい本。 | ||||
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