■スポンサードリンク
乳と卵
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
乳と卵の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.35pt | ||||||||
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全153件 81~100 5/8ページ
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 多分、この作品・作風に合う人・合わない人極端だと思います。 関西弁で語っているけど、なんとなく北の国からの ナレーションを思い出してしまいました。 女性作者によるほぼ女性登場人物(わたし、姉、めい)のみによる母子の葛藤を メインに描いており、男性の自分には知りえぬ世界という点で 新鮮ではあったものの、おそらく偏った感性・感覚なんだろう と自分では解釈しています。吐き気を催す人もいるんじゃないだろうか。 最後、登場人物の母子が、たくさんの卵を自らの体で 割ってぐじゃぐじゃになりますが、 選択的緘黙を行っていためいが心からの叫びをしゃべりだします。 この卵、が意味しているところは何なのか?気になって仕方ありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 読み始めてすぐに長広舌というのでしょうか読みにくさが最初の壁として立ちはだかります。 野坂昭如さんを少し連想させられます。 どうにかこうにか慣れてくると、話の筋が見えてきました。 女3人のある日を描いているのですが、面白いのは組み合わせです。 姉妹と姉の娘。 姉は、豊胸手術のため東京の妹の家にやってきます。娘は、全く喋ることを止めてしまって持参のノートに筆談で会話するという小学生です。 どうでもいいような会話から時々ヒヤリとする部分に踏み込んでいきます。 著者の講演を聞く機会があったのですが、非常に好感の持てる女性でした。 聴衆に対する気遣いやサービス精神があって、明るい感じでハキハキ喋る方で、作家というよりはタレントに近い感じはありました。 本書を読んで、著者への好感をもってしても、これが芥川賞か、という思いはしています。 こういう選考でいいんだろうか、とむしろ選者に疑問を抱かされました。 この本には、芥川賞受賞作の『乳と卵』。それに受賞第一作『あなたたちの恋愛は瀕死』が収められています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| なんだか「横漏れしません」という生理用品のCMでも聞かされているみたいだ。「それではいままではヨコモレしていたのか」と怒ったのは山本夏彦であったが。―男たちよ、かってに女というものを幻想すんなよ。セイジョウだかコウキだかビレイだか、そういうものを女性の価値と結びつけんなよ。それを穢してそこから性的快楽を得るためだけに、一生懸命幻影を築いてるだけだろ。女なんて清浄でも高貴でも美麗でもないんだ、もっと生身の生き物なんだ―というような小説が繰り返し書かれ、「眠りかけた男たちと目覚めかけた女たち」によって支持されている。 「妊娠小説」が男流文学だとすれば、「生理小説」、これこそ「アンネの日記」にも通ずる女流文学。最後、緑子の悲しみが奔逸し、玉子まみれになるところは哀切である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 独特な文体と大阪弁。関西人である私ですら、読み始めは「うげっ」って感じでしたが、人間とは慣れるもので、慣れてしまえばリズミカルに読み進めました。 (ただ、集中が切れたり、何かで中断すると訳が分からなくなります) 女性作家特有の女を見る目の鋭さは秀逸でリアル。 「巨乳願望女」と「私のメイクは自分のためだけど、アンタの巨乳願望は男根思想に毒されてるんだろ女」の面倒臭いガールズ・トーク、崩れたメイクや月経の描写… 終盤の母娘のシーンにはジンとしました。自らに卵をグシャリとぶつけることで、何とか声を言葉を吐き出していく娘と、同じようにして向き合っていく母。 ドロドロでグチャグチャの二人と傍観する主人公。 このシーンのために苦労しながら読んできたんだ!!という感じ。 このシーンだけは、苦しくて切なくてホッとして良かった。 読後の感想は、「女ってドロドロでグチャグチャで面倒臭い」以上。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| これは、饒舌体ともいえる文体でなく、大阪弁でもなかったら成り立たない小説。 文体だけでなく特定の方言の語感やそこから想起されるキャラクターに依存する文学もありといえばありかもしれないが、それをとったら何が残るのか、と考えると厳しい評価にならざるをえない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| この小説の項をめくる度、その幼稚な言葉の使い方、独りよがりのお喋りのような冗漫な物語の流れに「これが小説家なのか!?」「これが芥川賞に値する文学的作品なのか!?」と疑問を抱かずにはいられなかった。怒りさへ覚えもした。何故、大阪弁というこんな不細工な技巧的文体に拘ったのだろうか?それに、この稚拙な小説の構成分子の一つ《豊胸》は女(の体)の比喩だろうが、わざわざそんなものをモチーフにする必要があったのだろうか?と目眩がするぐらいに疑問という疑問を感じた。また、さらに、これは、小説家としては疎か、日本人として恥ずかしいことだが、助詞の使い方が曖昧で、読みずらい。まるで、一気呵成の殴り書きなような文章なのだ。一体全体どうしたら、こんな愚劣な小説が文学的に認められるのだろうかと思い、怒りを通り越して呆れるばかりである。こんな幼稚な小説が芥川賞を受賞するのだから、もはや現代文学衰退は免れないであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 文学賞受賞作ではあるが、それほど良いとは思えない。文体は変わっていて独特だが人によっては単に読みにくいだけかもしれない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 芥川賞受賞作で、以前から気になっていたが、読み始めてびっくり。 読みにくくて、何だこれは!という感じ。 文学賞のタイトルなんて当てにならないなあ、とつくづく感じた小説。 文体が、物凄く独特で、一文がダラダラと長く、言葉遣いも理解しにくい。 女性の生理や肉体について、あからさまな描写がされているのは、著者が女性だから書けるとは思うが、どう評価したらいいのかわからない。 言いたいことはなんとなくわかるが、だから何なのという感じ。 語り手である主人公と、その姉・巻子と姪・緑子の3人を軸にして話が進み、間に巻子と緑子母娘の連絡ノートの記述がはさまれる形式。 女手一つで娘を育てる巻子が、女を取り戻すための豊胸手術に臨む業の深さと悲しさと、娘・緑子が女の体になっていく怖れ、嫌悪感、とまどい、間にはさまれる未婚の主人公が軸。 女だけが持つ体の特性と産む性が主題だとは思う。 ラストの親子の卵戦の心理描写だけは、まあ納得できた。 正直言って、文学賞の価値がわからない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 大阪から母子家庭の姉とその娘が上京してきた。 姉の目的は、加齢により失われた乳房を手術によって取り戻すこと。 しかしその娘は、場末の飲み屋で必死に働く母に感謝をしつつも、 その必死さに気後れし、恥ずかしさ惨めさを抱いている。 心を通わすことの出来ない母娘が、あるキッカケでその絆を取り戻す物語。 登場人物はほとんど女性であり、、 母の乳房を追い求める姿、娘が初めての生理を迎え嫌悪していく姿、 これらを織り交ぜつつ進んでいく為、 女性とは何かを思わせる、濃密さと深行きが生まれている。 娘は母とは口を利かない設定になっており、 その心情はノートに綴られる日記からしか読み取れない。 この日記の挿入タイミングが面白い。 女性が読めばやはりすこし気が滅入るかも。 大阪弁のリズムは本音感が現れていてよかった。 芥川賞らしいっちゃらしい本。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 文庫になって間もないのにこのレビューの数はすごいですね。 「あなたたちの恋愛は瀕死」のほうが面白かった。 独特の関西弁がとっきにくいです。 ただ読んでおいて損はないかな。 作者の感性がとことん生かされている作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 第138回芥川賞受賞作品。 ひとつひとつの文が異常に長い。文法的に見ればなんだかおかしな文の羅列。 しかし、それがまったりねっとりとした空気を作り出しているように感じる。 この手の文章は生理的に受け付けないはずなのだが、意外に読みやすかった。 頭の中に、ぬるっと入り込んでくる感じ。 ところどころ、少しだけスプラッタな表現がある。 私はそういうのは非常に苦手なので、読んでいて少し気持ち悪くなった。 読後感としては、「なんか生臭い感じ」。それが率直な感想。 面白く、さくっと読めたけれど。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本書は川上未映子氏による芥川賞受賞作。 女と姉とその娘の、たった三日間のできごとを描いた作品。 主人公の女が住む東京に、40手前の姉・巻子と、その娘・緑子がやってくる。 豊胸手術を切望する巻子。 頑に言葉を発しようとしない緑子。 かつて一緒に住んでいたこともあったからか、それを自然と受け入れる女。 そんな三人の取り合わせという奇妙な設定の中、物語は進行する。 合間合間に挟まれた緑子の日記というか独白が、なんというか、切実だった。 ポジティブな友達とのやりとりを、自らのネガティブな思いに重ねて書かれてあり、 そのなんともいえない青臭さと切実さは痛々しかった。 まるで鬱屈した思いがどんどん溜め込まれ、破裂する時を待っているかのようだった。 そこまでコテコテではないので、関西弁の文章には違和感はなかった。 テーマがテーマだけに、男性である私は、本作を読むにあたって少し損をしているのかな、と思えばいいのだろうか。 そして本書に収録されたもう一編は、私には、意味不明。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 帯に「一夜にして現代日本文学の風景をかえってしまった」と、いかにも読者に訴える言葉。 読んでみてつまんない小説でした。生理と豊胸手術、、途中で東京に行ったのは、実は豊胸ではなく、甚大な病気を隠す為に前の旦那に子供を託す為に東京に行ったのかな?と思ったんですけど、それも違うし、、オイラには分からない小説でした。ガッカリでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| いつだったか、吉本隆明が現代日本の詩人たちについて、「彼らはもう書くべきことがない」という意味のコメントをし、その理由として「日本から自然が失われたから」と語っていた。残念ながら同感である。 そのような時代にあって、川上さんは貴重である。彼女にあっては自然が失われていないから。自然とは美しい山や川を指すのではない。いや、そのような認識ではもう我々は生きていけない。究極の自然は自身の肉体である。川上さんはそのことをよくわかっている。自然が感じられる限りは、つくりものではない感情もそこに宿る。 この芥川賞作品は、コンクリートの中で、生きものとして、ひからびてしまわないセンスを湛えている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 女であることを、こんなふうに、きちんとえぐりきって表現できる作家はとても少ないと思う。だって女は隠す生き物なのだから。救われるような感じといってもいいほど、書かれていることに共感できる。ただ、私には大阪弁であることが、はぐらかしのように思えたので、星ひとつマイナス。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| この文体には賛否両論があると思いますが、読みにくいと思うのは最初の10ページくらいで、あとは逆にリズムで読む感をつかめばいとも易しく読めます。情景描写や形容表現、オノマトペは非常に独特かつ想像に易く、一方の描写によって、他方の情景を連想させる力があると思います。おもしろいと感じるかどうかは小説に何を求めるかによって個々違うと思いますが、この文体や作者の哲学には刺激を受けました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| テンポよく進むお話で、楽しい。 大人の女友達と話をしているような感覚で、メリハリある内容であり尚且つ心地良く読める一冊でした。 私は「先端で・・・」を先に読んで、それは関西弁がきつくて読みきれなかったけれど、こちらは適度に標準語が入っているのでまだ大丈夫でした〜。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| この作品は、ペダンチックではないものの哲学的な内容でなかなか面白く読める、と友人から云われて、期待して読んでみたんですが、はっきり云って、意に満たない作品でした。よって、声を大にして云いたい。「読む必要性に欠ける!!」と。 この作品中には豊胸手術という言葉が、際立って目立つのですが、恐らくは《豊胸手術》とは《女(の体)》のレトリックであると思われますが、非常にお粗末であるように感じてなりません。しかも、関西弁が、この作品の良さである、と友人からは云われましたが、その良さが全くもって伝わってきませんでした。最早、関西弁を使うことの必然性がわかりません。 主題は『女体』についでしょうが、それ以上に著者は結局は何を云いたかったのか、さっぱり理解し得ないですし、しかもカタルシスがないので、読んでいて何の面白みもありませんでした。 やはり、駄作でしょう。 読む時間が無駄になります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 自分は美容外科に興味があるのでこの小説を読んでみたけど、結局最後まで豊胸手術をしたのかどうか出てこない。母親は咳止めシロップを飲み続けてガリガリに痩せながらも胸だけを大きくしたいと望み、娘はそれに反対する。思考も、途切れない文体も、病的である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 川上未映子の芥川賞受賞作「乳と卵」は、豊胸手術をしたいと切望する母と初潮を迎える時期にきて言葉を失い筆談しかしなくなった娘が、東京の語り手(母の妹)のもとを訪ねたときの模様を大阪弁を基調にしたしゃべくりで書いた物語。前作「わたくし率 イン 歯ー」でもそうだったが、文体に独特の躍動感というか運動性があり、読んでいて快い。ただ、「わたくし率」の方が、統御しきれない言葉のきらめきがあったが、今回は評価を意識してか、意図的にまとめていったという感じは否めない。その意味では、多少不満がある。もっと書きたいように書いて、それがおのずと評価に――人々に届くということに――つながるのが理想なはずである。 豊胸手術に取りつかれたホステスである母巻子の姿は悲喜こもごもの姿といってよいが、そうした妄想から離れたところで生きられないのは多かれ少なかれどんな人間にも当てはまる。それはたんに「若く」ありたいというような簡単なことではない。どうにもついて離れぬ、自己の身体への妄想。乳首の大きさと黒ずみに悩みながら、それをどうにかしようともがく巻子は、生活が苦しいにもかかわらず豊胸手術の費用も、またその痛みをも気にするところがない。そんな言葉にならない人の思いの切なさと動かし難さを川上未映子は的確に表現している。 娘の緑子の方は、友達たちが初潮を迎え、自分の体が成長していくことを体感しながら、そうした「大人になること」をうまくいけ入れることができず、人間など生まれてこなければいいと考える。彼女は、母にもやさしい思いを持っているが、それを話し言葉で表現する手段を失い、ただ筆談というかたちで他者とコミュニケーションをとることができるだけである。自分のなかで卵子が成熟し、生理として排出されることを、その生と死のありようを、人はどのようにして自然かつ自明なこととして受け入ることができるようになるのか。少女の思いはここでもうまく言葉にできない。緑子はそのことを母の豊胸手術への違和感として感じてもいる。クライマックスで、酔った巻子に「お母さんは、ほんまのことゆうてよ」と叫んで、玉子を自分の体に叩きつけて割るシーン、母も一緒になって自分の体に玉子を叩きつけ、そこらじゅうが玉子だらけになるシーンは、まさに成長できない卵の死んで行く姿を象徴しているが、それが同時にこの二人の新しい人生へのステップでもあるという意味で、生を象徴していもいる。そんな言葉にならない生と死のあわいで生きるしかない人間のありようが「乳と卵」の描く世界なのである。 川上未映子は独特の感性をもった作家である。今回の大阪弁のしゃべくりでは、詳細に描写するあまり、ときに文体が弛緩している箇所があるが(たとえば生理用ナプキンを着ける場面)、つぎのような個所は全編の白眉といってもいい。 今日まだ一言も口をきかない緑子の唇のなかには、真っ赤な血がぎゅっとつまっていてうねっていて集められ、薄い粘膜一枚でそこにたっぷりと留められてある、針の本当の先端で刺したぐらいの微小な穴から、スープの中に血が一滴、二滴と落ちて、しかし緑子はそれには気づかず、白いスープのゆるい底に丸い血は溶けることなくそのまま滑り沈んでいくのに、やっぱりそれに気がつかずにその陶器の中身の全部を自分ですべて飲み干してしまう。濡れた、その薄い唇が合わさるすきまに赤い丸の輪郭がちゅるっと消えて、消えて、消えて、とやってると[……] この表現はするどい。作者はそれを意識的に使う技量をもっているが、全体の構成のなかでその場所を的確に定めるところまでは行っていないようだ。それができたとき、川上未映子の「長編」というものを私たちは読むことができることになるだろう。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!





