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乳と卵
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乳と卵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全143件 61~80 4/8ページ
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2008年に第138回芥川賞を受賞した表題作「乳と卵」に加え、「あなた たちの恋愛は瀕死」を収録したものである。両作品とも、初出は「文學 界」(2007年〜2008年)であり、本書は2008年に刊行された単行本を文 庫化したものである。 主人公の姉である巻子は、大阪に一人娘の緑子と一緒に2人で暮らして いる。巻子は離婚をし、ホステスとして生計を立てていた。その巻子が、 緑子を連れて、東京で暮らす主人公のもとにやってくるところからスト ーリーが始まっている。 すっかり痩せてしまった印象のある巻子だったが、東京へやって来た 目的は、豊胸手術を受けることであった。さまざまな病院を調べ、銀座 の病院に目星をつけた巻子だったが、手術を受ける行為は、主人公にも 娘の緑子にも理解されるものではなかった。 緑子は、全く口を開かない。開けないのではなく、開こうとしない。母 の巻子とも主人公とも話をする際にはノートに書いて考えを伝えるので あった。初潮を迎え、自分の体の変化や性の働きを、関心と嫌悪感を併 せ持ち、母との距離感や、自己開示ができないことなど、多くの不安定 要素を抱えていた。また、そのような娘の姿に、巻子も少なからず複雑 な気持ちを抱えていた。 本書では、その緑子の思いが、ノートに記した内容が本文中に記される ことで明らかにされながら、銀座に向かったまま約束の時間に戻らない 巻子の場面で、母と娘の思いが互いに交錯する様子がえがかれている。 本書の特徴は、何といっても文体にある。いわゆる断続文が続き、一文 や一段落が非常に長い。関西弁で私的な思いがつづられる場面の多い本 書の内容だから可能になった文体で、ここに美点があるのだろうが、や はり、一般的には読みにくさを感じてしまうかもしれない。 | ||||
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私は国語の偏差値が47だったのでこの文章の良さを理解することが出来ず、きっと日本語を使いこなせる達人ならばこの文章が放つ魅力に気がついて新たな文学の楽しみを見つけることが出来るにちがいないので自分もその仲間入りをしなければと目に蒸気機関をつけたように休めること無く読み進めたけれども、ついに最後まで理解することは出来ずあーあ本当に無駄な時間を過ごしたなと後悔した。 これはセットで売られている『あなたたちの恋愛は瀕死』を読んだ感想である。一番はじめに短いほうから読んでみるかとと思って先に読んでみたら糞つまらなかった。このレビューにおいて最も評価されている人が「関西弁で無ければ成立しない」と書いたがまさにそれ。『あなたたちの恋愛は瀕死』は関西弁では無く標準語の作品でこれは本当に読み進めるのが困難なのだ。 では、『乳と卵』に関してはどうかと言えば、実際関西の女性にはこれと同じくらい思ってることをフィルター無しにこちらに伝えるような傾向があるようにおもえるし、この文章を読んでもまったく不思議には思わない。 それどころかまるで関西の女性の友人が一人で来て自分の近辺の話しを聞かせて貰っているような感覚を覚えて魅力的だと感じました | ||||
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2007年芥川賞受賞作。 主人公の女性とその姉と子の数日間を描く。筆者が冗談で曰く「夏の三日間、豊胸手術と初潮対決」らしい。 芥川賞受賞作だけあって、さすがに心象風景はよく描けているが、ストーリーでドライブしていく作品ではないため、さらりとした感じで読後はあまり印象に残らず。終盤がやや映画の「マグノリア」みたいな不条理な感じでそこは面白かった。表題作以外のもう一編は記憶になし。 | ||||
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乳と卵とは胸と子宮の関連であってつまりは女性だ。この短編には3人の登場人物がおり、3人がみな女性である。うち1人は語り手というか見手ともいうべきポジションで、あとふたりは親子。母は豊胸手術について考えていて、娘は生理について悩んでいる。 娘はうら若き小学生で、自身の卵細胞つまり生理と母の豊胸手術のことで頭がいっぱいで、現実との折り合いをうまくつけることができず、筆談という手段でコミュニケーションを図ろうとし、一切の言葉を口から発せずにいる。彼女が言葉を発するのは、母の豊胸手術を糾弾するときなのだが、そのためにはエキセントリックな儀式的媒介が必要で、彼女の場合それが、玉子を頭にぶつけてかち割るというものなのだった。行為それ自体は理解不能としても、その行為によりわだかまっていた本音がストレートに放出され、頑なに拒まれていた言葉が外に出たという因果は理解可能である。 ところで、彼女の処女小説である『わたくし率イン歯ー、または世界』は、今作における玉子割りに該当するカタストロフの場面がとても鮮やかで、小説全体の意味を変革してしまう大技ともなっていたのだが、それと比べるとこの芥川賞受賞作は少し弱いと思う。また身体的女性性というのがたぶん主題なのだろうが、その深くもエッセンシアルでもある主題が書かれたモチベーションも推し測りがたく、煮え切らないものが残る読後感である。 | ||||
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今更ながら,ああ,嬉しい。 自分好みの文体の作家を発見したときは本当に嬉しい。 町田康の「くっすん大黒」を初めて読んだときの喜びを思い出す。 大阪に住む姉「巻子」が,その娘「緑子」とともに,東京に住む「わたし」を訪ねてきて,そして帰って行く。 巻子は,豊胸手術を真剣に考え,そんな巻子に納得いかない緑子は,言葉を一切しゃべらずノートで筆談する。 ただそれだけの物語なのですが,関西弁の中に時々混じり込む「です。ます。」文がなんともおかしくて,にやにやしながら一気読み。 特に,緑子のノートに書かれる内容が抜群です。 たとえばこうだ。 「胸について書きます。あたしは,なかったものがふえてゆく,ふくらんでゆく,ここにふたつあたしには関係なくふくらんで,なんのためにふくらむん。どこからくるの,なんでこのままじゃおれんのか。」 レビュータイトルの文章「厭を練習。厭。厭。」は,冒頭の緑子の日記からの抜粋ですが,この一文立ち読み後,即レジへ。インパクト大。 傑作です。 | ||||
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川上未映子の作品はこれが初めてです。なんとなく図書館で目に留まりました。 他の人の書評にもありますが、最初の文体はとっつきにくさはありますが、 徐々に心地よくなります。 内容というか、話題も多分女性からすればどこか共感できる内容だと思います。 話題のせいか分かりませんが、人間を一言で言いきらない文体や安直に割り切ら ない表現に、彼女の人間に対するやさしさのようなものが感じられて私は好きです。 これから他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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読み終えて、正直、何となく他の作品も読んでみたいと思った。終盤は少し駆け足で運ばれてしまった思いがあり、それが良かったのか、物足りないものなのか、判断できずにいる。消化不良のままなのである。もう一丁頼みます。しかしながら、魅力的な作家であるので、楽しんでみたい。最後の数行が、自分にとっても吉なのか、凶なのかは、時が答えてくれよう。 | ||||
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個人的には前作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の、ぶっ飛んでる女の怒濤の大阪弁語りで繰り出される狂気と哲学の入り交じった世界の方が好きだが、こちらも十分に読ませる。思春期の誰もが感じる自分の身体への違和感に苦しむ娘と、老いていく身体へ抗うように豊胸手術に拘る母、その親子が卵の黄身や白身にどろどろになりながら必死に答えを探す姿に圧巻の美しさを覚えざるを得ない。それを中立的な立場で見守る主人公の姿は、永遠に答えのでない謎にうち震える作者の姿だろう。この作者のものの見方は、凡人のそれとは遥かにずれたところにある天才肌の作家のそれだろう。後の長編『ヘウ゛ン』で、それはますます深化してゆく。余談だが、作者は最近同じく芥川賞作家の阿部和重と結婚なされた。こちらも一歩も二歩もものの見方のずれた天才肌の作家なので、この結婚がお互いの作風にどんな影響を与えることになるのか楽しみに見守っていたい。 | ||||
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緑子は大人になることを嫌い、人が生きていくことに疑問を持つ。 精神が体を脱け出して、人間の肉体の不可思議さに興味を持ち、悩む少女は決して暗くなく明るさを感じるところがよかった。 人間であることに疑問を持つ少女から人間らしさが溢れてくる、そうやって生きていくことを少しずつ学んでいくのかなと思いました。 | ||||
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前評判を全く知らずに読んだからでしょうか、私は読み終わった後、しばし読書の喜びにひたりました。 女性として生きることの苦しさと切なさ、その中に確固として存在する誇りを感じます。 悩みもがくすべての女性に幸あれ。 | ||||
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多分、この作品・作風に合う人・合わない人極端だと思います。 関西弁で語っているけど、なんとなく北の国からの ナレーションを思い出してしまいました。 女性作者によるほぼ女性登場人物(わたし、姉、めい)のみによる母子の葛藤を メインに描いており、男性の自分には知りえぬ世界という点で 新鮮ではあったものの、おそらく偏った感性・感覚なんだろう と自分では解釈しています。吐き気を催す人もいるんじゃないだろうか。 最後、登場人物の母子が、たくさんの卵を自らの体で 割ってぐじゃぐじゃになりますが、 選択的緘黙を行っていためいが心からの叫びをしゃべりだします。 この卵、が意味しているところは何なのか?気になって仕方ありません。 | ||||
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読み始めてすぐに長広舌というのでしょうか読みにくさが最初の壁として立ちはだかります。 野坂昭如さんを少し連想させられます。 どうにかこうにか慣れてくると、話の筋が見えてきました。 女3人のある日を描いているのですが、面白いのは組み合わせです。 姉妹と姉の娘。 姉は、豊胸手術のため東京の妹の家にやってきます。娘は、全く喋ることを止めてしまって持参のノートに筆談で会話するという小学生です。 どうでもいいような会話から時々ヒヤリとする部分に踏み込んでいきます。 著者の講演を聞く機会があったのですが、非常に好感の持てる女性でした。 聴衆に対する気遣いやサービス精神があって、明るい感じでハキハキ喋る方で、作家というよりはタレントに近い感じはありました。 本書を読んで、著者への好感をもってしても、これが芥川賞か、という思いはしています。 こういう選考でいいんだろうか、とむしろ選者に疑問を抱かされました。 この本には、芥川賞受賞作の『乳と卵』。それに受賞第一作『あなたたちの恋愛は瀕死』が収められています。 | ||||
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なんだか「横漏れしません」という生理用品のCMでも聞かされているみたいだ。「それではいままではヨコモレしていたのか」と怒ったのは山本夏彦であったが。―男たちよ、かってに女というものを幻想すんなよ。セイジョウだかコウキだかビレイだか、そういうものを女性の価値と結びつけんなよ。それを穢してそこから性的快楽を得るためだけに、一生懸命幻影を築いてるだけだろ。女なんて清浄でも高貴でも美麗でもないんだ、もっと生身の生き物なんだ―というような小説が繰り返し書かれ、「眠りかけた男たちと目覚めかけた女たち」によって支持されている。 「妊娠小説」が男流文学だとすれば、「生理小説」、これこそ「アンネの日記」にも通ずる女流文学。最後、緑子の悲しみが奔逸し、玉子まみれになるところは哀切である。 | ||||
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独特な文体と大阪弁。関西人である私ですら、読み始めは「うげっ」って感じでしたが、人間とは慣れるもので、慣れてしまえばリズミカルに読み進めました。 (ただ、集中が切れたり、何かで中断すると訳が分からなくなります) 女性作家特有の女を見る目の鋭さは秀逸でリアル。 「巨乳願望女」と「私のメイクは自分のためだけど、アンタの巨乳願望は男根思想に毒されてるんだろ女」の面倒臭いガールズ・トーク、崩れたメイクや月経の描写… 終盤の母娘のシーンにはジンとしました。自らに卵をグシャリとぶつけることで、何とか声を言葉を吐き出していく娘と、同じようにして向き合っていく母。 ドロドロでグチャグチャの二人と傍観する主人公。 このシーンのために苦労しながら読んできたんだ!!という感じ。 このシーンだけは、苦しくて切なくてホッとして良かった。 読後の感想は、「女ってドロドロでグチャグチャで面倒臭い」以上。 | ||||
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これは、饒舌体ともいえる文体でなく、大阪弁でもなかったら成り立たない小説。 文体だけでなく特定の方言の語感やそこから想起されるキャラクターに依存する文学もありといえばありかもしれないが、それをとったら何が残るのか、と考えると厳しい評価にならざるをえない。 | ||||
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この小説の項をめくる度、その幼稚な言葉の使い方、独りよがりのお喋りのような冗漫な物語の流れに「これが小説家なのか!?」「これが芥川賞に値する文学的作品なのか!?」と疑問を抱かずにはいられなかった。怒りさへ覚えもした。何故、大阪弁というこんな不細工な技巧的文体に拘ったのだろうか?それに、この稚拙な小説の構成分子の一つ《豊胸》は女(の体)の比喩だろうが、わざわざそんなものをモチーフにする必要があったのだろうか?と目眩がするぐらいに疑問という疑問を感じた。また、さらに、これは、小説家としては疎か、日本人として恥ずかしいことだが、助詞の使い方が曖昧で、読みずらい。まるで、一気呵成の殴り書きなような文章なのだ。一体全体どうしたら、こんな愚劣な小説が文学的に認められるのだろうかと思い、怒りを通り越して呆れるばかりである。こんな幼稚な小説が芥川賞を受賞するのだから、もはや現代文学衰退は免れないであろう。 | ||||
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文学賞受賞作ではあるが、それほど良いとは思えない。文体は変わっていて独特だが人によっては単に読みにくいだけかもしれない | ||||
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芥川賞受賞作で、以前から気になっていたが、読み始めてびっくり。 読みにくくて、何だこれは!という感じ。 文学賞のタイトルなんて当てにならないなあ、とつくづく感じた小説。 文体が、物凄く独特で、一文がダラダラと長く、言葉遣いも理解しにくい。 女性の生理や肉体について、あからさまな描写がされているのは、著者が女性だから書けるとは思うが、どう評価したらいいのかわからない。 言いたいことはなんとなくわかるが、だから何なのという感じ。 語り手である主人公と、その姉・巻子と姪・緑子の3人を軸にして話が進み、間に巻子と緑子母娘の連絡ノートの記述がはさまれる形式。 女手一つで娘を育てる巻子が、女を取り戻すための豊胸手術に臨む業の深さと悲しさと、娘・緑子が女の体になっていく怖れ、嫌悪感、とまどい、間にはさまれる未婚の主人公が軸。 女だけが持つ体の特性と産む性が主題だとは思う。 ラストの親子の卵戦の心理描写だけは、まあ納得できた。 正直言って、文学賞の価値がわからない。 | ||||
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大阪から母子家庭の姉とその娘が上京してきた。 姉の目的は、加齢により失われた乳房を手術によって取り戻すこと。 しかしその娘は、場末の飲み屋で必死に働く母に感謝をしつつも、 その必死さに気後れし、恥ずかしさ惨めさを抱いている。 心を通わすことの出来ない母娘が、あるキッカケでその絆を取り戻す物語。 登場人物はほとんど女性であり、、 母の乳房を追い求める姿、娘が初めての生理を迎え嫌悪していく姿、 これらを織り交ぜつつ進んでいく為、 女性とは何かを思わせる、濃密さと深行きが生まれている。 娘は母とは口を利かない設定になっており、 その心情はノートに綴られる日記からしか読み取れない。 この日記の挿入タイミングが面白い。 女性が読めばやはりすこし気が滅入るかも。 大阪弁のリズムは本音感が現れていてよかった。 芥川賞らしいっちゃらしい本。 | ||||
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文庫になって間もないのにこのレビューの数はすごいですね。 「あなたたちの恋愛は瀕死」のほうが面白かった。 独特の関西弁がとっきにくいです。 ただ読んでおいて損はないかな。 作者の感性がとことん生かされている作品。 | ||||
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