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乳と卵
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乳と卵の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.35pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全153件 101~120 6/8ページ
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| 本書に登場する、“わたし”の姪、緑子は 初潮や生理、卵子など、思春期ならではの疑問を抱く女の子。 ただし、彼女と話すには、筆談。緑子は自ら、言葉を捨てたのだ。 一方、その母親の巻子は豊胸手術しか頭にない。 巻子には見えていない。なぜ、緑子が言葉を捨てたのか。 そのズレが、緑子の日記と、巻子の豊胸に対する執着心に見て取れて 物語を興味深いものへと変容させている。 文章は、川上未映子氏独特の大阪弁の口語体。 まるで、頭に浮かんだ言葉をそのまま書き留めてあるかのようで、 違和感を感じるかもしれないけれど、それが、単なる文字の羅列ではなくて、 要らない部分をちゃんとそぎ落とした洗練された文章であることを読み進めていくと認識できるのである。そして、長い文章だからこそ、リアリティがあって、物語の世界を身近に感じてしまうのだ。 川上氏にしか生み出せない文体。彼女の魅力を感じた作品でした。 | ||||
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| 話題性が無くなった1年後の現在、あえて読んでみました。客観的に受け止められるかなー、と。読む前から作者にはちょっと反感を持っていたし、オビに顔写真なんて売り方にもひるんじまいますけど。 読んでみると、なかなかいい作品でした。関西弁の饒舌体は、それなりに必然性が感じられたし、女性の肉体性について、エロスとは別な次元でこだわった面白さを感じました。豊胸手術とか小学生のかん黙とか、現代的な事象も盛り込まれ、母子の断絶と和解を適度な湿り気で描いていました。 作者は頭もセンスもいい人なんだなーと感じました。ついでに顔とスタイルまでいいところに、やっぱり少しむっとしますが。 | ||||
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| 登場人物は、わずか3人。短い小説である。 主人公と、その姉と、姉の娘。主人公から見た母と娘は、言葉が足りない。「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないばかりに傷つけあう。でも、そこに気持ちがないわけではない。 母娘の断裂の契機は、生殖と性行為とが微妙にニュアンスの違いを持つ事態に近しい。母親は乳房の復興を願っており、娘は生理の開始を恐れている。 しんどかったのは、この乳と卵が備わった女の体を持つ、ということ。その女の体に自覚的に、意識的に、違和感すら伴って対峙してしまうときの、体に閉じ込められているモノのつらさ。そのつらさを感じずにはいられず、無視することもできない、感性を持ってしまったしんどさ。 この小説はしんどいなぁ、と思うことは、そこで、この小説を書かざるを得ない人もしんどいなぁ、という思いに転化して、この小説家と同じく女の体を持つものはしんどいなぁ、と普遍化する。 それにしても、「私」にとっていつから身体はこんなにも他者になってしまったのだろう。 | ||||
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| 性にまつわる赤裸々な語り、最後の奇妙な盛り上がりは読んでいて飽きること無く、 それなりのカタルシスもあったが、これが後年、自分や世界へ、多くの影響を与えるとは思えなかった。 母・巻子の豊胸手術、娘・緑子の出生への悩み、そこにがんじがらめになる余り、二人は意思疎通を滞らせる。 迷走の果てに目が覚め、互いに今までの間違いを悔いるシーンで話は終わる。 しかし、私はその後の、親子を見たかった。 巻子は本当に貧乳へのコンプレックスを昇華できたのか、 ノートでしか親と向き合えない緑子はきちんと話せるようになったのか。 終始関西弁で捲し立てられる話は、読んでいて小気味良いリズムであったが、 同時に、人情話のベールを無理に被らせた居心地の悪さも感じた。 後ろの短編「あなたたちの恋愛は瀕死」の系統でしつこく筆を進める作品が、 作者には合っているのではないかと思う。この作品以外も読んでみたいと思う。 | ||||
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| おもろい。才女やわぁ。文体が独特、読みにくい、という感想を持つ人は、昔の小説読んでないのかも。これってまさに樋口一葉。意味が掴みにくい人は黙読ではなく、音読してみるといい。よーくわかる。無駄な描写もなく、よく考えられた文章。しかも今どき人情噺。いいじゃない! 筆者は若い女の子じゃない。30歳の、哲学の好きな大人の女性。 こういう読み方ははやらないけれど、私が抱いた感じでは、この母はきっとあまりの生き難さに、子供を父親の手にゆだねたいのだろう。そういう自分の正直な感情に向き合うのが怖くて、許しがたくて、別のことに異様に関心を向ける。そういうの、長く生きてるとよーくわかる。娘は敏感にそれを感じ取り、早く大人になって母を助けたい、でも成熟した女になるのはいや、という感情に引き裂かれている。おかあさん、本当のこと言って、という叫びは、だから切実。大阪人情噺。新鮮! | ||||
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| 他の作家に使われているような文体なので、特に読みづらいとは感じませんでしたが、いかんせん読後に何も得るものがありません。途中まで感じられたリアリティも最後になるにつれ破綻していき、小説というよりマンガのような結末です。個人的には、視点となっている“巻子の妹”の人物像が全く見えてこないのが一番気になりました。 賞をとるため意図的にえげつない表現をした部分もあるのだろうとは思いますが、こういうのを「文学」としてしまう日本の文学賞は大概どうしようもないな・・・と思いました。若い人の活字離れには、こういう日本の出版の在り方にも原因があるのでは? | ||||
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| 関西弁がネイティブなら、問題なく読めるはず。筒井康隆さんの唯野教授思い出すなぁ。町田康より、だんぜん読みやすいし、理性的すぎないでいいんじゃないかな。ところどころで入るエピソードや回想なんかも変にまとめすぎたりせずに投げだされてる感じが◎。前作から頻出する「〜部」って表現、使いたくなりません? 男性の僕にはテーマをちゃんと理解するのは難しいけど、言葉を追いかけること自体の快楽はたっぷり味わわせてくれます。 ユーモアやバランス感覚のある素敵な作家さんだと思いますよ。 挿入される緑子の日記部が秀逸。「ちゃんと話の時をつくらな、あかん。なんでそんなことするのかってあたしちゃんときけるかな、胸の話とかはしやんと、全部、ちゃんと、したいねん」 | ||||
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| 表現の仕方が古文的現代文と言ったイメージで、文章と言うより、そらんじているような軽快さはあるけれど、内容を把握しづらく多少憤懣してしまう事。 だけども、あえて簡潔過ぎない表現が、すごくリアルで現実との違和感がなくスラッと読めました。作者のキメの細かい思春期の女の子の心情の表現や女同士で論駁しあう様は滑稽であり、愁嘆でありました。 | ||||
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| 饒舌の関西弁はときにリズムを生み出し、心地よい。(私は関西在住なのですらすら読めました。) ただこのリズムに頼りすぎたと思う。本質を見ればこの小説の持つ意味というのは本当に範囲の狭いものだ。特に私を含む男性が読むには向いていない。 後半は皆さんが仰るように特に減速した。それこそ卵とぐちゃぐちゃになるというのはそれは視覚的には強烈なのだけれど、そこからすんなり収まってしまう。そういう狙いなのか。身体と言葉はすごく魅力的なのに、勿体無い。 現在執筆中という川上さんは「リーダブルな」小説を目指したいと言う。彼女の可能性には本当に羨ましいものがあるし、"これから"を期待していいと思う。 | ||||
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| 芥川賞をとった作品なので、読んでみようかと思い、借りてみた。タイトルが何を意味するのか、わからなかったのだが、読んでみて理解できた。ちょっと、奇抜な発想なので、目をふせたくなるようなシーンもあるのだが、物語の結末は、心に迫るものがあったし、それなりに、面白かったと思う。ただ、ちょっと、文体が読みにくいところが難点か。 | ||||
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| 文体が独特とか(一時の流行物っぽいけど)改行がないとか、 句読点が、とか、そういう文章のスタイルの問題ではなく、読んでいて疲労感があるのは、 作者の「力み」が作品中に漂いすぎていて、それがちょっとキツイと感じた。 言いたいことや表現したいことはすごくわかる。 けれど、作者の混乱がそのまま表れていて、むしろ分かりすぎて、 もう少しトーンダウンしてから、消化してから書いた方が良かったんじゃじゃないと思ってしまった。 小説とは何か? ということを思わず考えてしまった。 ブンガクしているのかもしれないけれど、 この作品は、私にとっては、小説未満、でした。 同じテーマでも、小説として変換したら、また違った作品、違った表現になったんじゃないかな。 恐らく作者は頭のいいひとで、いろんなことを考えて考えて、考えすぎちゃうのかな、と。 | ||||
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| こういった文体は金井さんから町田、舞城王太郎といろいろいるけど、川上さんの文体が一番いいと感じた。 今後も頑張ってほしい。 | ||||
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| この一言で終わる作品。 久しぶりに小説はつまらないものなのかと悩んでしまいました。 文体は正直なところ特に気になりませんでしたが(良くも悪くも)、内容が本当に「だからどうした」の一言に尽きます。 それと性に関する問題を赤裸々にえげつなく書けばいい、みたいな風潮がはびこっているとは思いたくないけど、どうしてもそう思えてしまう内容でした。正直なところまたかよ、と思いました。このテーマそろそろ手垢がつかないものですかね。 日本人の慎み深さというか、なんというかそういうものを奥に閉じ込めてベールを被せて曖昧にさせておく感性というのは決して破壊されることを喜ぶべきものではない気がするんですよねー… 別に何書いても作者の自由であるとは思いますが、そのテーマこそが文学的だとか評価するのは絶対にやめてほしいです。はあ…。とため息が出る読後感でした。 | ||||
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| 冒頭から文章が酷く、唖然とするばかりでしたが 内容が薄かったので、さくさくと読めました(笑) 但し、テンポが良いとは到底いえません。 ただ、中身が無い故に、すぐ読めるというだけですね。 他人に読ませるレベルの文とはいえないと思います。 一言で言ってしまうと 「子供のおしゃべりをただ垂れ流した」 あるいは 「聞く人のことを考えない、おばちゃんのマシンガントーク」 のような感じです。 全て口語体で書かれていますが、一つの文章が長すぎて 途中で主語がどんどん変わっていってしまい 意味がつながらなくなる文章になっていることがしばしばあります。 最近、ギャルのメール会話をそのまま文章化したような、 いわゆるケータイ小説がいくつか流行りましたが、 まあ両者の違いは文章化したものが 「メール」か「お喋り」か、の点だけですね。 中身が殆どなく、会話も世間話程度のものですので、文章がぐちゃぐちゃでも支障はありません。 殆ど全て流し読みをし、最後のシーンだけ読めば、大体全体はわかります。 言葉の意味を読み取るのではなく、雰囲気だけつかんでおけば、この作品をつかむことは容易です。 芥川賞を取れるレベルの作品ではないと感じました。 本来は恥じらう性の問題をあえて前面に出したという点も 以前に似たテーマで書かれた方が他にいらっしゃいますし。 | ||||
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| この誰かを真似たような文体を疑問に思ってる人が予想通りたくさんいてよかった。 結局、個性も強すぎるとハテナマークが出てきますよね。 芥くんが泣いてますぜ。 | ||||
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| 高校生の時に、初めて樋口一葉の『竹くらべ』を読まされたことを思い出した。 早い話が分かりにくい。慣れるのに時間がかかる。もうあかん、耐えられへん。 耐え難い人は、とにかく最初の数ページで大声をあげたくなるかもしれない。 どんなに頑張っても生理的に合わないものってあるんだなと実感した作品でした。 | ||||
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| 文体の独特さは、賛否両論ですが、最初は読みにくかったものの、次第に古典を読んでいるかのごとく一定のリズムを持って心に落ちてきました。関西弁だからこそ、よかったのだと思います。 内容としては、これといったドラマチックなことは何も起こらない(最近の芥川賞の特徴ですね〜)ですが、女性ならではのある意味「えげつない」表現にびっくりしました。夜中に生理がきて、下着を汚したときの描写などは「なんとなく臭いを嗅いでみた」、など、普通の作家では書かないと思います。 この「女」をずばっと前面に押し出した作品は、怖いもの見たさもあり、今後も読んでみたいですね。 | ||||
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| 性の不快さ、不思議さ、不可解さ。自分が願ってもいないのに、体だけが先へ先へと進んでしまう。この気持ちは、なかなか好転しない、なんともやるせなく、苛立たしいあの状況にそっくりだ。 なぜ人は大人になるのか。なぜ胸に脂肪をつけ、そして血がでるのだろうか。なぜで頭がいっぱいになる。なぜをたくさん放出して、きっと皆大人になっていくのかな。単純でいたいけど、単純じゃないんだよ、この世の中は。大人になるってどういうことなの? 主人公の姪、緑子は頑固で、そしてほんとうに子供らしい。なぜなら彼女はなぜで頭がいっぱいで、それを怒りに変えていくことが出来るから。そんなこと大人がしたら、周りからはやれやれって目でみられるけれど、子供なら、まぁ子供だしと、許されるから。子供たちよ、怒るのだ。怒る理由なんぞ何でもいいのだ。大人は考えすぎるから、頭が良すぎるから、そしてあの頃を忘れがちだから。。。彼らに教えてあげてください。22歳の私が小学生の緑子になぜか親近感を覚えた。 | ||||
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| 初潮におびえる少女と、自らの外見(乳頭の形)におびえる母親を、両者の間に入ることにおびえる母親の妹が語る。「女」におびえる女しかでてこない「おびえ」小説。この「おびえ」は作者がどこまでも突き詰めて書く小説に「おびえ」ているからでしょうか。意識と身体、言葉と意味という古めかしい構図から一歩も出ようとしないことも、樋口一葉という伝統的な「文学」に依拠することも、「おびえ小説」の小説への抵抗に見えてきます。「武装」している感じ。 典型的なのは、いわゆる饒舌文体なのに、しゃべっているうちに自分がわけわからなくなる、ということがないこと。いや、漢字をずっと書いているうちにその意味があやふやになったり、記憶があいまいになったりすることはあるけど「あー、あやふやだ」と思っている自分は保たれている。典型的な自意識保存小説です。「私」の一体感だけは保つ。そーいう意味では、これから「私」をつくろうとする若者には向いている作品かもしれません。 唯一、初潮前の少女の美しさにほれぼれする語り手(これもどうなの?性以前の女ってロリコンおやじの視線だよ)が、初潮のことばかり考えている少女の意識に感染するかのように、その夜、早めの生理になるところは興味深かった。意識のままにならないものが描かれた唯一の場面。ところがそれさえ生理の処理の失敗として、少女への教訓にしていくんだけど。どこまでも意識化。なんて啓蒙的な。 ラストの母と娘の対決を「言葉が足りない」と思って傍観している語り手の、「言葉でできている意識」を守ろうとする抵抗感が気になって仕方ない小説でした。だから芥川賞なのだろうけれど。余計なお世話だけど、哲学勉強してまーすっていう作品外の身振りだけは、あるところで思考を制限して分かりやすく書いている実態にそむいているし(それが悪いわけじゃない、これから人格形成する若者には逆にいいぐらい)、天然ぶりをさらしているのでやめて欲しい。。。だれか注意してあげればいいのに。 *2011年1月の追記 文庫化を機に再読してみると、男性原理に支配されたなかで女性はいかに思考することができるのか、という問題をめぐって、言葉で思考すること自体、いかに批判的にもせよ男性原理への依存になってしまうのではないか、ということを乗り越えるのが大阪弁との融合に求められていることに気付きました。標準語=批評言語=男性的、大阪弁=身体的言語=女性的。 5000円札の「たまごみたいな顔」をした樋口一葉が、ラストの卵の散乱や主人公の生理と響き合っていることを遅まきながら発見。受精しない卵(卵子)つながり。しかも生理以前の女の子へのお守り。やっぱりよくできている。 | ||||
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| 話題になった当初は、店頭でパラパラめくり、その文体の独特さに避けて通っていましたが、賞を受けた作品に対し、お手並み拝見したいと思い始めた時に、某古書店で見かけたのをキッカケに読んでみました。 内容は母:巻子と娘:緑子が、それぞれ女性としての自分の体に深い苦悩を持ち、悩んでいく過程で緑子は言葉を失い、また親子としての絆をなくしてしまったが、巻子の妹である「わたし」の家で過ごすことにより、それらを取り戻す話。 同じ女性として、特に巻子と同世代としては、考えさせられるものもあったのは事実です。 独特な文体に関しては、スムーズに読める文体だけが良い文体だとは言いませんし、この作品の場合、独特な文体により女性の思考がリアルに表現されているとは感じました。 ではなぜ評価がイマイチなのかと言えば、私にとっての「いい作品」は、「頭に言葉が入り込み、その言葉、もしくは作品の空気感がいつまでも頭に心地よく留まっている作品」であり、そう考えるとこの作品の場合、言葉を目で追い理解するのに精一杯で、言葉が頭に留まるどころか、読み終えた途端に言葉がいなくなってしまい、作品の余韻を味わうどころではなく、「後世に残る名作か」と考えると、申し訳ございませんが、私の読解レベルでは理解できない域にある作品だと感じました。 | ||||
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