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乳と卵
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乳と卵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全143件 101~120 6/8ページ
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文体が独特とか(一時の流行物っぽいけど)改行がないとか、 句読点が、とか、そういう文章のスタイルの問題ではなく、読んでいて疲労感があるのは、 作者の「力み」が作品中に漂いすぎていて、それがちょっとキツイと感じた。 言いたいことや表現したいことはすごくわかる。 けれど、作者の混乱がそのまま表れていて、むしろ分かりすぎて、 もう少しトーンダウンしてから、消化してから書いた方が良かったんじゃじゃないと思ってしまった。 小説とは何か? ということを思わず考えてしまった。 ブンガクしているのかもしれないけれど、 この作品は、私にとっては、小説未満、でした。 同じテーマでも、小説として変換したら、また違った作品、違った表現になったんじゃないかな。 恐らく作者は頭のいいひとで、いろんなことを考えて考えて、考えすぎちゃうのかな、と。 | ||||
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こういった文体は金井さんから町田、舞城王太郎といろいろいるけど、川上さんの文体が一番いいと感じた。 今後も頑張ってほしい。 | ||||
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この一言で終わる作品。 久しぶりに小説はつまらないものなのかと悩んでしまいました。 文体は正直なところ特に気になりませんでしたが(良くも悪くも)、内容が本当に「だからどうした」の一言に尽きます。 それと性に関する問題を赤裸々にえげつなく書けばいい、みたいな風潮がはびこっているとは思いたくないけど、どうしてもそう思えてしまう内容でした。正直なところまたかよ、と思いました。このテーマそろそろ手垢がつかないものですかね。 日本人の慎み深さというか、なんというかそういうものを奥に閉じ込めてベールを被せて曖昧にさせておく感性というのは決して破壊されることを喜ぶべきものではない気がするんですよねー… 別に何書いても作者の自由であるとは思いますが、そのテーマこそが文学的だとか評価するのは絶対にやめてほしいです。はあ…。とため息が出る読後感でした。 | ||||
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冒頭から文章が酷く、唖然とするばかりでしたが 内容が薄かったので、さくさくと読めました(笑) 但し、テンポが良いとは到底いえません。 ただ、中身が無い故に、すぐ読めるというだけですね。 他人に読ませるレベルの文とはいえないと思います。 一言で言ってしまうと 「子供のおしゃべりをただ垂れ流した」 あるいは 「聞く人のことを考えない、おばちゃんのマシンガントーク」 のような感じです。 全て口語体で書かれていますが、一つの文章が長すぎて 途中で主語がどんどん変わっていってしまい 意味がつながらなくなる文章になっていることがしばしばあります。 最近、ギャルのメール会話をそのまま文章化したような、 いわゆるケータイ小説がいくつか流行りましたが、 まあ両者の違いは文章化したものが 「メール」か「お喋り」か、の点だけですね。 中身が殆どなく、会話も世間話程度のものですので、文章がぐちゃぐちゃでも支障はありません。 殆ど全て流し読みをし、最後のシーンだけ読めば、大体全体はわかります。 言葉の意味を読み取るのではなく、雰囲気だけつかんでおけば、この作品をつかむことは容易です。 芥川賞を取れるレベルの作品ではないと感じました。 本来は恥じらう性の問題をあえて前面に出したという点も 以前に似たテーマで書かれた方が他にいらっしゃいますし。 | ||||
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この誰かを真似たような文体を疑問に思ってる人が予想通りたくさんいてよかった。 結局、個性も強すぎるとハテナマークが出てきますよね。 芥くんが泣いてますぜ。 | ||||
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高校生の時に、初めて樋口一葉の『竹くらべ』を読まされたことを思い出した。 早い話が分かりにくい。慣れるのに時間がかかる。もうあかん、耐えられへん。 耐え難い人は、とにかく最初の数ページで大声をあげたくなるかもしれない。 どんなに頑張っても生理的に合わないものってあるんだなと実感した作品でした。 | ||||
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文体の独特さは、賛否両論ですが、最初は読みにくかったものの、次第に古典を読んでいるかのごとく一定のリズムを持って心に落ちてきました。関西弁だからこそ、よかったのだと思います。 内容としては、これといったドラマチックなことは何も起こらない(最近の芥川賞の特徴ですね〜)ですが、女性ならではのある意味「えげつない」表現にびっくりしました。夜中に生理がきて、下着を汚したときの描写などは「なんとなく臭いを嗅いでみた」、など、普通の作家では書かないと思います。 この「女」をずばっと前面に押し出した作品は、怖いもの見たさもあり、今後も読んでみたいですね。 | ||||
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性の不快さ、不思議さ、不可解さ。自分が願ってもいないのに、体だけが先へ先へと進んでしまう。この気持ちは、なかなか好転しない、なんともやるせなく、苛立たしいあの状況にそっくりだ。 なぜ人は大人になるのか。なぜ胸に脂肪をつけ、そして血がでるのだろうか。なぜで頭がいっぱいになる。なぜをたくさん放出して、きっと皆大人になっていくのかな。単純でいたいけど、単純じゃないんだよ、この世の中は。大人になるってどういうことなの? 主人公の姪、緑子は頑固で、そしてほんとうに子供らしい。なぜなら彼女はなぜで頭がいっぱいで、それを怒りに変えていくことが出来るから。そんなこと大人がしたら、周りからはやれやれって目でみられるけれど、子供なら、まぁ子供だしと、許されるから。子供たちよ、怒るのだ。怒る理由なんぞ何でもいいのだ。大人は考えすぎるから、頭が良すぎるから、そしてあの頃を忘れがちだから。。。彼らに教えてあげてください。22歳の私が小学生の緑子になぜか親近感を覚えた。 | ||||
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初潮におびえる少女と、自らの外見(乳頭の形)におびえる母親を、両者の間に入ることにおびえる母親の妹が語る。「女」におびえる女しかでてこない「おびえ」小説。この「おびえ」は作者がどこまでも突き詰めて書く小説に「おびえ」ているからでしょうか。意識と身体、言葉と意味という古めかしい構図から一歩も出ようとしないことも、樋口一葉という伝統的な「文学」に依拠することも、「おびえ小説」の小説への抵抗に見えてきます。「武装」している感じ。 典型的なのは、いわゆる饒舌文体なのに、しゃべっているうちに自分がわけわからなくなる、ということがないこと。いや、漢字をずっと書いているうちにその意味があやふやになったり、記憶があいまいになったりすることはあるけど「あー、あやふやだ」と思っている自分は保たれている。典型的な自意識保存小説です。「私」の一体感だけは保つ。そーいう意味では、これから「私」をつくろうとする若者には向いている作品かもしれません。 唯一、初潮前の少女の美しさにほれぼれする語り手(これもどうなの?性以前の女ってロリコンおやじの視線だよ)が、初潮のことばかり考えている少女の意識に感染するかのように、その夜、早めの生理になるところは興味深かった。意識のままにならないものが描かれた唯一の場面。ところがそれさえ生理の処理の失敗として、少女への教訓にしていくんだけど。どこまでも意識化。なんて啓蒙的な。 ラストの母と娘の対決を「言葉が足りない」と思って傍観している語り手の、「言葉でできている意識」を守ろうとする抵抗感が気になって仕方ない小説でした。だから芥川賞なのだろうけれど。余計なお世話だけど、哲学勉強してまーすっていう作品外の身振りだけは、あるところで思考を制限して分かりやすく書いている実態にそむいているし(それが悪いわけじゃない、これから人格形成する若者には逆にいいぐらい)、天然ぶりをさらしているのでやめて欲しい。。。だれか注意してあげればいいのに。 *2011年1月の追記 文庫化を機に再読してみると、男性原理に支配されたなかで女性はいかに思考することができるのか、という問題をめぐって、言葉で思考すること自体、いかに批判的にもせよ男性原理への依存になってしまうのではないか、ということを乗り越えるのが大阪弁との融合に求められていることに気付きました。標準語=批評言語=男性的、大阪弁=身体的言語=女性的。 5000円札の「たまごみたいな顔」をした樋口一葉が、ラストの卵の散乱や主人公の生理と響き合っていることを遅まきながら発見。受精しない卵(卵子)つながり。しかも生理以前の女の子へのお守り。やっぱりよくできている。 | ||||
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話題になった当初は、店頭でパラパラめくり、その文体の独特さに避けて通っていましたが、賞を受けた作品に対し、お手並み拝見したいと思い始めた時に、某古書店で見かけたのをキッカケに読んでみました。 内容は母:巻子と娘:緑子が、それぞれ女性としての自分の体に深い苦悩を持ち、悩んでいく過程で緑子は言葉を失い、また親子としての絆をなくしてしまったが、巻子の妹である「わたし」の家で過ごすことにより、それらを取り戻す話。 同じ女性として、特に巻子と同世代としては、考えさせられるものもあったのは事実です。 独特な文体に関しては、スムーズに読める文体だけが良い文体だとは言いませんし、この作品の場合、独特な文体により女性の思考がリアルに表現されているとは感じました。 ではなぜ評価がイマイチなのかと言えば、私にとっての「いい作品」は、「頭に言葉が入り込み、その言葉、もしくは作品の空気感がいつまでも頭に心地よく留まっている作品」であり、そう考えるとこの作品の場合、言葉を目で追い理解するのに精一杯で、言葉が頭に留まるどころか、読み終えた途端に言葉がいなくなってしまい、作品の余韻を味わうどころではなく、「後世に残る名作か」と考えると、申し訳ございませんが、私の読解レベルでは理解できない域にある作品だと感じました。 | ||||
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芥川賞(138回)。改行の無い文章が続く。状況描写は非常に繊細で上手に思う。女性の肉体的特性と心理的特性を書き綴っている。 個人的はあまり好きな文体でもないし物語性も無い様に思う。娯楽として楽しむ文学なのかなと。もちろん普通のヒトが持ち得ない才能を発揮されているのは間違いない。以前養老さんと茂木さんの講演会で奇抜な質問をしていた事を思い出した。哲学や心の問題にも大きな興味をお持ちの方のようだ。 | ||||
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前作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」の演出された狂気に比べると、ユーモア度というかペーソス度というか、そこいら辺のパラメータを上げて、より一般の理解を得られる作品にチューニングされている。全体的なトーンとしては、ユルイけど悲しいみたいな。 「乳と卵」って意味深なタイトルが、母の豊胸への想いと、娘の初潮に対する恐れと嫌悪っていうベタな意味合いであるってあたりのユーモアが作品を象徴している。母親の饒舌と娘の沈黙ってふたつの文体が、女って生き物にあらかじめ規程されたやるせなさ、哀れさをうまくあらわにしていて秀逸。それと、この母娘を左右に置いた主人公の客観的な視点、思考ってのが、やけに「文学的」なんだよな(作者に近いんだろうけど)。たとえば主題とは離れるけど、「話したか聞いたかした内容のひとひらだけが、ちらりと脳裏を思わせぶりにゆくこと」に対する考察、とかね。最近、俺も歳をとったんで、こういう、シーンは思い出せないのにコンテクストの断片に既視感を持つことって多いんだけど、これなんて文学的。銭湯で幾多の女体を眺めるうちに、“漢字などの、書きすぎ・見すぎなどで突如襲われる未視感”に近い感じを持ってしまった、なんていう純文の先達が再三再四取り上げてきた、“日常の中の突如の意味の喪失なんて”のも手触りとしては懐かしい感じだ。この人、見かけの演出とは相反して、意外にオーソドックスな文学感覚の持ち主なんじゃないだろうか。 そうそう、現代の一葉って世評に対して、作品の中で五千円札の肖像に触れたくだりにはかなり笑わせてもらいました(ベタに返しとこ、みたいな)。この人、ちょっとユーモアあるじゃん。まだまだ埋蔵量ありそうだね。 | ||||
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つまらなかった。こんなに読み手を無視した小説は久しぶり。誰に似ているとか、文体が斬新だとかそんなせせこましいことはどうでもいい。芥川賞を取っていなければ、こんな小説評価がいいわけない。選考委員は重箱の隅をつついて何か見つけ出し、ことさらにそれをおおげさに思いこむことができる人なんだろう。 | ||||
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読点で文章をつなぐだけで、一文がやたら長くて読みにくい文体。 それも関西弁がベースになっているから、 言葉を理解しきれない読者もいるかもしれません。 でも、我慢して読んでいるうちに、この文体が心地よく感じられるようになり、 目が離せなくなったりして。 ストーリーは、豊胸手術をしようとする母と コミュニケーション・ブレイクダウンに陥った小学生の娘が、 東京の妹(娘にとっては叔母)を訪ねた先で言葉を取り戻すというもの。 このあたりの話は、30代男性の僕には最も縁遠いことなので、 ほとんど共感できませんでした。 ただ、ストーリーはこの際重要ではなく、 ディテールに現代を生きる人の見えない叫びが翻訳されています。 その意味では、文学として成功していると言えるのでしょう。 芥川賞選考会でも賛否両論で、絶賛する人もいれば、 石原慎太郎氏なんかはメッタ斬りにしたとか。 ひとつ言えるのは、文学には正解などないということでしょう。 | ||||
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「ああ、いかにも芥川賞選考委員が好きそうな作品だ」 、というのが読みはじめてすぐに感じたこと。 もう今や若手作家に使い古された(パクられた)感のある 句読点の少ない文章とテンポには今更新鮮味はないけど、 この人の言葉選びのセンスは結構好きかも。 2作とも女として生きることの生き苦しさを感じさせる。 母であること、娘であること、姉であること、妹であること。 そして女であること・・・。 豊胸・初潮・メイク・・・などのキーワードから 女らしくあることに対する恐怖、嫌悪、 逆に女らしくなりたい願望までも描き出し、 文体のややこしさと言葉の選び方で仮面をかぶってるけど、 実は言いたいことはシンプルな作品なのではないでしょうか。 「あななたちの恋愛は瀕死」は 文学なのか、哲学なのか、モード系っぽさなのか、 とにかく何かを狙ってるっぽい空気がプンプンして作為的。 でも「乳と卵」のクライマックスの卵のシーンは迫力がある! 卵を割るたびにこの場面を思い出しそうで、ちょっとしたトラウマ(苦笑) 鼻につく点もある作家だけど、 こんなインパクトのあるシーンを描ける新人ってやっぱり凄いのかもしれない。 | ||||
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東京で一人暮らしをする主人公のもとへ、姉が娘を連れてやってくる。 娘を育てるために場末のスナックで働く姉は、「豊胸手術をするんだ」と かつてないくらい意気込んでおり、娘は一言もしゃべらなくなっていた…。 全編、関西弁で綴られており、時折、喋らない娘の心境がノートに書かれたものとして描かれている。 娘なりの母への想いにはジーンとくるが、ラストは「で?」と思ってしまった。 芥川賞らしいというべきなのか・・・。 | ||||
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町田康の影響を受けてないとは言わせない。文体から擬音から曖昧さから、そこに女的要素な展開『わたくし率』でもそうだったが、最後の破綻的展開、狂う人びと等などが本谷有希子を彷彿とさせた。 | ||||
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文体が力強い。句読点の打ち方が独特で・・・というのはやはり計算された上での書き方だからだろう。 豊胸手術を受けに上京する姉とその子。やりとりされる関西弁。何を表現したいのかは全く分からない。関西文化を安売りしている感すらある。 次の作品はもっと鋭いものなのかな。 | ||||
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一般受けする作品はプリンかババロアのようなもの。口当たりよく、つるりと飲み込んで、お腹にたまらない。そこにうんと歯応えのある堅焼き煎餅が出てきたら、強烈な印象を持ってしまうと思う。そんな作家は好き不好きが分かれる。心理描写のおもしろさ、ただし「息継ぎ」しづらく、読みこなすのに根性が要ると感じた。☆は5つでもよいのだが、強い印象、すばらしい作家さんだけに敢えて辛く4つ | ||||
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とにかく読みづらい。もっと読点で区切ればいいのに、無駄に文章をダラダラと繋げているだけ。所々、おかしな言葉使いも出てくるし、よくこんな文章で芥川賞を受賞したなって感じ。内容もこれといって面白くもなく、全くお勧め出来ません。 | ||||
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