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神と野獣の日
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神と野獣の日の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全31件 1~20 1/2ページ
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面白くてどんどん読み進んでしまい、最後にすごい余韻が残ります。 | ||||
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○臨場感があり、一気に読みました。 ✖本を配達袋から出したとき、左上部辺りが3/1ほど折れ曲がっていました。 もっと丁寧に取り扱って頂きたい。これまで多くの商品の注文をしてきま したがこんないい加減なことは初めてでした。 | ||||
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松本清張には珍しいSF | ||||
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氏の作は概ね存知と思っていた故 一驚。 存在に。 内容に。 氏の膨大なる作の中には格調高く香り立つ様な文章もあれば 新聞小説、婦人雑誌、若年層向け雑誌等に連載された作に伺える"読み手"に併せた テーマに社会面的な俗耳な事象を取り上げて見せたり 会話体の多用 平易な文章を用いる等、 文体迄をも変化させ得る異能振り。 真に多才なる作家。 本作は後者でもあろうか "点"とする事態を取り巻く人々の多様な反応を群像劇化。 そこかしこのパスティーシュ性を帯びた表現に嗜虐、諧謔を読み手に与える。 いかさま"悲惨の極地は滑稽.." を地で行く痛快なる一冊。 | ||||
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松本清張の著作と思えない作品です。核ミサイル誘導装置のトラブルでミサイル二機が東京に向かっている設定。緊迫状態での人間の性を描写している。 | ||||
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清張としては異色の作品だが、核を弄ぶ人類への渾身の警告と受け止めたい。それにつけても、核兵器禁止条約を蔑ろにしつつ、パンデミック下で“戒厳令”を目論む日本政府の態度は何とかならないか。 | ||||
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※削除申請(1件)
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Masculin:松本清張はお好き? Féminin:なあに、サガンのタイトル?特に好きってこともなかったわね。映画化されたものはいくつか観たけど、ちゃんと読んだのはさあ何があったかしら、「点と線」と「砂の器」くらいね。貴方と一緒であんまりミステリーが好きじゃないし。そうそう、前にどこかのバーで「誰でも出来る松本清張」って顔真似したでしょ?下唇突き出して(笑)。私よりバーテンダーさんにウケてたわ…。 M:妙なこと覚えてますね(苦笑)。あのバーテンダーが清張ファンだったんでちょっとした座興に。まあ僕も似たようなものですね。読み手としてはお互いに疎遠だったわけで、清張氏とは。で、これですけど最近偶然存在を知ったんですよ…。 F:ええ、清張氏ほとんど唯一のSF的作品なんでしょ? M:まあそういうことらしいですね。あとはパンデミックを扱った「赤い氷河期」くらいだと。発表は‘63年で時あたかもキューバ危機の翌年だからタイムリーでもあり、発表誌も女性週刊誌だから作者としても冒険が可能だったのかも。まあ今日ではSFというよりPF=ポリティカル・フィクションに近いかな。 F:でも例によって編集者の人が下調べに追われたんでしょうねぇ、あれやこれやと…。 M:想像に難くないですね。でもネヴィル・シュートの「渚にて」は映画化も含めて既に紹介されてたし、スタンリー・キューブリック「博士の異常な愛情」の原作のピーター・ジョージ「破滅までのニ時間(赤い警報)」は‘58年、E.バーディック&H.ウィーラー「フェイル・セーフ」は‘62年だから、もしかしたら知ってらしたかも。 F:でも「渚にて」は核戦争後の世界が舞台だし、後の2作はどっちも核兵器を搭載した爆撃機のソ連への誤爆とその顛末よね。これは同盟国による日本への核ミサイルのまさかの誤射だから…。 M:ユニークな設定ではありますね。でも爆撃機の誤発進命令以上に百万が一にも起こり得ない事態だからそもそもの発端にいささか無理があるかなぁ…。でもとにかく発射されてしまったわけで。 F:それからのすったもんだがキモなわけだけど、防衛省が出来てたり一応は迎撃システムが存在していることも含めて当時としてはSF的かも知れないけど半世紀以上経った現在では却ってリアリティがあるわね。ミサイルの発射国を別にすれば。 M:その間の展開や描写はいかにも清張的ですけど、当時からその後のSF御三家だったら、どう描いたかなぁ。星新一ならあっさり皮肉な結果で空虚な結末となるし、小松左京だったらミサイル着弾まで延々と微に入り細を穿つ展開に持ち込むだろうし、筒井康隆なら当然ドタバタの限りを尽くしたろうなと…。 F:清張って人は信条的には代々木に近かったんでしょうけど、これでも東京のまん真ん中にある施設とそこにお住いの方々についての言及は無いわね。その代わり政権幹部のあたふた振りは恐らく現在でも同じじゃないかなって考えさせられるわ。それは震災からコロナまでのこの十年を生きて来た私達がイヤってほど痛感したことよね。あと、最期の刻を静かに迎えようとする若いカップルやその他の一部の人々の「神性」と、大多数の顕にした「獣性」の対比が作者の狙いだったんでしょうけど…。 M:まあ、作者唯一に近いSF「的」作品としては貴重でしょうね。それと、この前年に三島由紀夫が「美しい星」を発表してるのも関係してるのかな? F:犬猿の仲に近かったんでしょ? M:三島は清張を毛嫌いしてたみたいですね。当然清張も同じでしょうから、観念的な「美しい星」に対抗して現実を踏まえたこれを執筆したのかも。それと筒井の「大いなる助走」で清張がモデルと覚しい「社会派推理小説の大家」が文学賞のSF畑作品のノミネートに 「僕の眼の黒いうちは…」 と圧を加える場面がありましたけど、むべなるかなで。あ、そう言えば筒井の「家族八景」が直木賞有力だったのが落選しましたけど、面白いことに気づいたんですよ…。 F:なあに?清張さん絡みで? M:えぇ。ほら何度もドラマ化された「家政婦は見た!」の原作は清張の「熱い空気」ですけど、同じく家政婦が主役の「家族八景」とどっちが先だったかって。「大いなる助走」の選考会の場面で、その大家が主人公の候補作の描写をうっかりパクってしまったことに気づいて、前言をひっくり返し授賞に猛反対するくだりがあったんで…。 F:へえ、ホント?で、どっちが先なの…。 M:残念ながら「熱い空気」はこれと同じ‘63年4月から7月の連載で、十年近く先でした。ちなみにこれは2月から6月。でも家政婦が仕事先の家族の実像を暴くのは一緒で、ヒロインがテレパスであるってSF的設定を除けば筒井の方が影響を受けた可能性無きにしもあらずかなぁと。でもそうなると当時選考委員だった清張にオレの作をSFにしちまったって反発があったのかなあ。選評では無論触れてませんでしたけど。 F:でも、ほぼ同時期に核ミサイルが東京に飛来するのと、家政婦が仕事先の家庭の内実を覗き見るのと、およそ真逆の内容の小説を同時進行で執筆してたのねぇ、マクロとミクロの世界の。それってある意味やっぱりスゴいことなんじゃない? M:…確かに「巨人」と称されるだけのことがありますね。今やってる「日本沈没」の妙な改悪バージョンなんかより、いっそこれを映像化したら面白いんじゃないかなあ。発射国は原作通りってわけにいかないから、最近花火ごっこにご執心の近隣某国で。あ、でもそれじゃ到達時間が早過ぎるし、またぞろ文句付けてくるのは確実だから、やっぱりムリですかね…。 | ||||
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日常生活を当たり前に送っていたら、いきなり、絶対死を宣告される核爆弾とは、一瞬にして高熱で皮膚がドロドロに溶けて血液も腐って消滅してしまう。悍ましいことが偶然にも誰の身に降りかかる!人類が人類を殲滅させる!これって本能的に野獣になるように人類は仕組まれて生まれたてきたのかって思う。宗教という偶像の神の慈悲にすがる。とても滑稽にも感じる。この小説ではヒトの本質をうたっており、心理描写も鋭く洞察力も優れている。一考出来る小説です。 | ||||
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新品が手に入らない中、H.30年発行の中古品でしたが 保管状況もよく、落書きも一切なかった点で満足してます。 自分の読書に利用。 | ||||
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母親にプレゼントしました。とても喜んでいました。松本清張作なのできっと面白かったんだろうと思います。 | ||||
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隠れた名作と言われるので買ってみました。なるほど深い内容ですっかり引き込まれて一気に読みました。おすすめです | ||||
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日本という国は、この本が書かれた45年前から、何も変わっていないのだということが分かりました。本当にこのままで良いのでしょうか。 | ||||
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実は20年前に一度読んで最後の一行にゾッとしたのを覚えています。今、Jアラートというものが鳴り響く物騒な世の中に、松本清張の45年前のこの小説が、現実となって浮き彫りになります。清張さんの先見の明にファンの1人である私はただひれ伏すのみです。隠れた名作です。是非ご一読を‼️ | ||||
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目の前の危機を感じてしまいました。日本にはこんな危機が近づいていると。 | ||||
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これSFじゃないや ・・あー恥ずかしかったー、てことか結局。気を付けよう、ってなるかな・・。 | ||||
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隣国の核ミサイル実験が連日話題にされる中で、この作品があることを知りました。 いかにも芥川賞作家にふさわしい作品と言えるでしょう。 文庫本で200ページ程ですが、本家芥川ならば細部を削って20ページ程に切れ味 鋭くまとめるかもしれませんが。 しかし結末は、両者ともお約束通りとなるでしょう。 | ||||
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松本清張が、こんな本を書いていたとは驚きだ。社会派小説の旗手だと思っていたから。 | ||||
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松本清張唯一のSF(的)小説。 某国の核弾頭ミサイル5基が東京に向かって誤射された後の43分間の大混乱を描く。 アメリカの核抑止力に依存しきっている日本の現実に、松本清張が強い懸念と批判を持ち、それが本作の土台になっているのは明らか。皮肉な結末にもそれが現れている。 このテーマは多くの作家や映画制作者の興味を捉えてきており、かなり多くの小説や映画が世に送り出されている。核抑止力理論を批判する立場と、核の均衡によって核戦争から大規模な通常戦争までが抑止されてきた現実。簡単な価値判断の問題ではない。多くの日本人はこの問題を知ってはいても知らないことにして、日々のほほんと暮らしている。50年以上前に書かれた「神と野獣の日」を読んで、現実と理想に思いを致すことも無益ではないと思う。 皮肉を1つ。この小説発表は1963年。中国が翌年核実験に成功している。何と東京オリンピック開会中に。左翼陣営の中には社会主義国の核は防衛的なものだと強弁する人々も多かった。清張さんは64年なら、この小説を発表していただろうか? | ||||
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二発目の核ミサイルがどうなったのか。 不発弾だったのか、きちんと起爆し東京は伝説となったのか。 その辺を、もう少し丁寧に描写して欲しかった。 | ||||
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松本清張が描いたものすごく評判の悪いSF小説と言われていますが、読んでみると意外と面白かったです。藤子不二雄がSF(すこしふしぎ)でマンガにしていてもおかしくはありません。 迎撃不可能な水爆ミサイルを巡って政治家や市井の人々のパニックぶりが克明に描かれているのですが、これがある意味、喜劇めいています。政治家連中もまっとうな事をしているようで、愛人の心配やバカ人権派団体に迎合して自分の人気取りに走ったりしていますし、市井の人々も、それはもう悲惨な限りなのですが、何かこう大げさな感じがかえって笑いを誘います。権田萬治の解説も性質の悪いギャグにしか思えません。 登場人物の内、まともなのは官房長官と防衛省統幕議長、途中から出てくるアベックくらいなもので、あとはほぼ全員発狂していると言っても過言ではありません。 | ||||
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