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僧正殺人事件
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僧正殺人事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全31件 1~20 1/2ページ
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高校時代、ヴァン・ダイン全12作をひととおり読んだあとでの評価としては、「グリーン家」「ガーデン」「カブト虫」に次ぐ4位としていて、当時あまり高く買っていなかったわけです。ひとえに、うっかり巻末を見てしまい、犯人の名前が目に飛び込んでしまったのが災いしたかなあ。12作を二度三度読み返した今は、「ベンスン」「カナリア」の評価も上がり、私の中ではちょっと埋没気味。とはいっても、いずれも力作ぞろいで面白いことこのうえなしです。 それと、モファット嬢捜索の際の「『ヒース部長、君は手伝ってくれるね?』(ヴァンス)『とことんまでやっつけまさあ』(ヒース)『私はこのときほど部長が好きになったことはない』(ヴァンの独白)」のくだり、日ごろの対立を越えてタッグを組んだふたりのやりとりには、何度読んでも感動します(@_@。 実はさすがに三度目ともなると、あのパラレルワールド的世界に幻惑されず、淡々と理性的に?読み進むことができました。結果わかったのは、”アリバイ調べで犯人を突き止めることができる”、ということでした。ヒース部長がヴァンスなど相手にせず、いつもどおりの想像力を欠いた捜査をしていれば、犯人はさっさと逮捕されたかもしれません。 | ||||
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推理物が好きな人は読んでください。 | ||||
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山田正紀作「僧正の積木唄」を読むにあたって、こちら本家の「僧正殺人事件」の内容をわかっていないとダメだと思い、何十年かぶりに再読しました。 その前に初読で「カブト虫殺人事件」を読んだのですが、ファイロ・ヴァンスの気取った態度が鼻につき、エジプトへの見下しに腹が立ちであまり好感をもてないまま終わってしまっていました。こんな作風だったけな・・と。 この「僧正」はそこまでいらいらせずに読めたのですが、いろいろと納得できない点があって、若い頃に読んだ時のように素直には入ってきませんでした。まだ10代だったと思いますが、当時は自分に欧米コンプレックスのようなものがあり、英米ミステリに無条件の憧れがあったので、細かいことがあまり気にならなかったのかもしれません。 マザーグースに題材を取った動機のわからない連続殺人というのが不気味で、なんとも言えない雰囲気をかもし出しています。理論の世界で遊んでいる現実感覚に欠けた学者肌の人物が何人も登場し、誰が犯人であってもおかしくなく、読者を翻弄します。 探偵役のヴァンスや検事マーカム、刑事のヒースが振り回される中で、第二、第三の殺人事件が次々と起きる、このあたりのテンポの良さは古臭さがまったくなく、再読でも引き込まれました。 山田正紀氏は犯人像に納得がいかず「僧正の積木唄」を書かれたそうですが、自分も同感で、あの人物を犯人にするには動機の点でおかしい気がしますし、ずっとあの人物には犯行は不可能だろうという設定だったのだから、最後にそこをご都合主義で軽くすませてしまったところがなんだかなあでした。しかも最後にヴァンスが取ったとっさの非常手段にも共感できませんでした。 というわけで、賛否が入り混じる複雑な読後感になりました。が、やはりミステリ史上に残る名作だと思います。 また、アマゾン検索時に、異なった翻訳がこんなにたくさん出ているのにびっくりしました。井上勇、中村能三、宇野利泰、平井呈一などそうそうたる顔ぶればかりです。個人的にはホラー幻想小説翻訳の大家平井呈一氏と、新訳の日暮雅道氏のものに興味があります。違った翻訳で読めばまた別の味があるでしょうか。 | ||||
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読んでいるようでした。わたしには、ヴァン・ダインは合いません。 | ||||
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学生時代に読んだ時は非常に高い評価だったので六十代となった今期待して再読した。犯人はほぼ記憶にあったので伏線や人物描写などに注目しながら読んだが、期待が高すぎたせいか読後の満足感は希薄だった。 マザーグースの歌詞と同じ内容の殺人が次々と起こるが事件自体としては荒唐無稽であり現実味が感じられない。「もっとも陰険で、もっとも奇怪で、見たところもっとも納得のいかない、確かにもっとも戦慄すべき事件」(p9)とあるが読後感はどちらかというと浅薄な印象だった。犯行の動機も一般論で片づけられており個人の内面までは明らかにされていない。「悪夢のような事件」(p215)といった記述が出て来るが全体的に深刻さに欠けており前半はあまり興味が湧かなかった。後半からは緊迫感が出て来るが解決は今一つ納得がいかなかった。 伏線はほとんどなく読者を惑わすだけのミスディレクションが多すぎる。数学や現代物理学の用語がたくさん出て来るが事件との関わりはなく「テンソルの公式」もそれほどの意味はない。ヴァンスが述べる心理学的な分析も数学者への偏見ではなかろうか。犯罪はやはり個人的な動機から生まれるものであり一般論での説明では納得がいかない。 数学や現代物理学に関する作者の博識ぶりには圧倒されたが、表面的な内容にとどまっているようにも思われる。実際の学者がこういう会話をするか疑問を感じる場面もあった。例えば「いつもポテンシャルだとか、スケラーだとか、ヴェクターだとかいってドラッカーに質問してますよ」(p183)という数学者のアーネッソンの言葉があるが、このような基本的な数学用語を素人相手に日常的な会話で使うだろうか。 実務家のヒース部長刑事と理論家の名探偵ヴァンスとの対立はこのシリーズの読み応えのあるところの一つなのであるが、本作ではヒースがヴァンスに迎合しているような場面もありやや興ざめであった。 なお、中島河太郎氏による解説が面白かった。ヴァン・ダインの人気がこれほどまでだったとは! | ||||
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私は「見立て」系のミステリーが推移なのですが、これを最初に読んだときは興奮で一気に読み、しばらく落ち着きませんでした。 マザーグースをあつかった事件。魅力的な登場人物。ミステリーの古典名作で知らない人はいないともいえる作品でしょう。私のつたないレビューでは面白さを伝えることはできません。 とりあえず読むべし❗としかいいようのない一冊。 | ||||
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これはミステリーとか推理小説とかいうより、純粋無垢な心理小説なのか、複雑多岐に渡る思考小説なのか。数学的思考が勝つのか、心理的分析が勝るのか。誰が犯人であるかという薄っぺらな推理戦ではなく、犯人が誰であろうが犯罪そのものの本質と犯罪者の心理を素人視線で見抜く、重量感溢れる頭脳戦である。 冷酷無比な殺人犯は数学的博識を十二分に駆使し、周りを嘲笑うかのように洒落っ気たっぷりに完全犯罪を企てる。ただ、あまりにも数学的抽象論が至る所で長々と展開するので、私みたいに数理が苦手な人種は多少ウンザリする。数学者お得意の抽象的で複雑な関数の原理と無限宇宙の真理で、周囲を混乱の彼方に追い込む。しかし、ヴァンス探偵も負けてはいない。宇宙空間に漂うかのような無機質で一見不規則に見える曖昧な要素を、現実の感傷的な有機質の、規則性のある日常の世界に結びつけようと血眼になる。 これら一連のおぞましい殺人劇の中に垣間見る挑発的でちゃちな洒落っ気の背後に、ヴァンスはある心理的な要素を見出す。この得体の知れない難事件は心理的に分析させる道を開いてくれたのだ。巧みに計算づくに操られた殺人の一つ一つを、心理という法則で細かく解析するうち、絶妙に仕立てられた犯罪のシナリオがマザーグースの着想上にある事をヴァンスは見抜く。しかし、この孤独な殺人犯は自分よりも有能で、唯一愛情を注いできた姪を娶ろうとする明朗潔白な一人のシニカルな数学者に全ての罪を着せ、抹殺しようとチェスの駒を1つ1つ進めていく。 ”知的敵愾心は原始的嫉妬心となり、時間と共に更に増大し”、犯罪の口火を切る。分裂した精神と激しい憎悪心が重なり、殺人を繰り返す事で、長く抑圧された激情を開放し、その罪を第三者に着せる事で憎悪のはけ口を見事なまでに発散させるのだ。ヴァンスは上辺だけの禁欲な体裁を繕う犯人の特徴と欠点を見抜いてた。実際、同じ事を予感した読者も多いだろう。 計算しつくされ、用意周到に計画された犯行も最後にはアッサリと化けの皮を曝け出す。マザーグースの着想は、犯人の心だけでなく、ヴァンスの頭の中にもしっかりと根を下ろしてた。ヴァンスの何度も練り直された計略が殺人犯の冷酷無比な策略に勝ったのだ。追い詰められた犯人の狂気が彼の目の前で脆くも露呈してしまう。ヴァンスは”最も簡単な道”を選択し、この一連の難事件を犯人と共に葬り去る。 ”ああ俺は法律を自分自身で勝手に適用した。狂犬のような怪物を一撃をもって叩き潰すに良心の呵責なんて感じないさ”と締め括るあたり、ハードボイルドの魂が最後の最後で見事に発揮される。途中間延びするシーンも目立たなくもないが、最後にヒースの質問に答えるヴァンスの陳述(チャプター26)は、まさに空極のエンディングであり、『僧正殺人事件』の全てでもある。著者本人がヴァンスの雑用係?として登場してるのも実に心憎い。傑作とはこういうもんだと改めて思い知らされた一冊です。 | ||||
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犯人と探偵ともに衒学的なまでに豊富な知識を駆使しての闘い。推理小説好きには必読の書。 | ||||
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背表紙に大きな穴がありました。 郵送途中の事故とは思いますが、悲しかったです。 また機会がありましたら、よろしくお願いします。 | ||||
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ヴァン・ダインの作品群ではグリーン家と並ぶ代表作とされているが、本作の方が見立て殺人の趣向や終盤の凝った仕掛けなど、グリーン家よりも娯楽性がさらに増している分、やはりこちらの方が最高傑作とするべきであろう。 彼の著作の中では真っ先に読むべき作品である。 | ||||
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2冊目の購入なのですが、人間の心理の機微に分け入ったという、ミステリの古典中の古典ですね。ヴァン・ダインのなかでは秀逸でしょう。最初読んだとき、まわりの人間を見る目が変わりました。 | ||||
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僧正・・・日本語で見ると、ピンとこないかもしれませんが、読めば「な~る」と思うことでしょう。いいミステリーです。 | ||||
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話は古典的すぎるかもしれません。 マザーグースは日本になじみはないので石坂浩二の金田一:角川映画悪魔の手毬唄【期間限定プライス版】 [DVD]を知らない世代にはつらいかもしれません。 主人公は鼻持ちならない輩かもしれません。 しかし、本書にはミステリの垣根を越える感動にシーンがあるのですよ。 ワトソン役とは別に誤った答えを披露する刑事がこの作品にも配置されているのですが、この方がラスト近くで上司に背き現職刑事でも本職探偵でもない主人公と一緒になって大活躍するんですよ。緊迫した展開におけるその姿に不覚にも感涙してしまいました。 この感動を再度味わいたくて、また一作目ベンスン殺人事件 (創元推理文庫 103-1)から読んでしまう自分がいます。 新訳版があるのは知っていますが、僅かな言葉の違いで感動が損なわれるのが怖くて、まだ未読です。 ベンスンがX、グリーン家がYなら本作はドルリイ・レーン最後の事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫)の対を成すものとすべきでしょうか。バーナビーロス名義作品を除いてはクイーンを超えていると思います。 | ||||
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《犯人の露見つながる記述がありますので、未読の方はご注意を!》 ヴァン・ダインを巨匠たらしめた代表作。それは本作が、見立て殺人・童謡殺人の先駆ゆえの評価ではない。名探偵フィロ・ヴァンスの明察によって暴かれるその犯人像の創造において、本作を名作と評価し、ヴァン・ダインをミステリ界の巨星と、私は賞賛したい。モリアーティ教授を父にもち、レクター博士を子息とし、SFマッドサイエンティストの黒い血脈をその体内に脈動させた、この犯人を産み落としたことこそが、ヴァンダイン最大の偉業。本作の犯人と、フィルポッツ『赤毛のレドメイン家』の犯人は、脳内に深々と打ち込まれた二本の楔のように、凄絶にして怪異な存在感をもって、私のなかで消えることのない不敵の冷笑をうかべ続けている。 | ||||
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有名な古典作品はほとんど読破していたのだが、この超有名なヴァンダインの僧正殺人事件は縁がなく、ようやく今になって読むことができた。確かにレベルが違う。これを読まずして、ミステリを語ることは許されないと云っても過言ではない作品だった。とくにラストは圧巻。でも個人的にはグリーン家の方が好きかな。でもヴァンダインの作品を読んでいていつも思うけれども、本当にプロットが緻密で巧い。このレベルは日本の作家さんには無理かなあ。まず持っている知識と情報量が違いすぎるw 歴史的な一冊に陶酔です。 | ||||
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童謡マザー・グースの歌詞に見立てた連続殺人という、画期的な アイディアでミステリの世界に新たな地平を拓いた記念碑的作品。 ひとつの法則に則って連続殺人を犯し、そうした異常性を誇示することで、 真の動機を隠すミスディレクションとするという手法は、本作以降、多くの 作品で用いられ、現代に至るまで連綿と、その発展的継承が続けられて います。 原点たる本作で印象深いのは、犯人の動機が、意外と卑小で世俗的であること、 レッドへリングの泳がせ方がなかなか巧いこと、そして、何といっても結末で炸裂 する、名探偵ファイロ・ヴァンスの“逆ギレ”(笑)といったあたりでしょうか。 あのようにせざるを得なかったヴァンスに同情しつつ、そういえば、クイーンの某作でも 似たようなことがあったことを思い出し、なるほど、あれのルーツでもあったのかと認識 を新たにしました。 | ||||
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「本書を読まずして推理小説を語ることはできない といっても過言ではない」と、 本書中の作品紹介ページに書かれるほどの、 古典的作品。 マザー・グースの歌詞どおりに人が殺され、 犯行声明文の署名には、 「僧正」の文字が記されていた。 探偵ファイロ・ヴァンスが 名推理で犯人を追いつめていく・・・。 見立て殺人を題材にした先駆的な作品です。 推理小説は多々読みましたが、 本書は未読でしたので、 このたび読んでみることにしたのですが、その感想は・・・。 古典的名作なのは認めるが・・・、 といったところでしょうか。 確かに読ませる力を本書は持っています。 衒学的趣味に彩られた文章が、 童謡に見立てた連続殺人をスリリングに綴っていきます。 早く続きが読みたくなるような展開でした。 しかし、見立て殺人というのも、 現在ではいろいろな作品に取り入れられていて、 衝撃度は薄いですし、 いわゆるトリックと呼べるものが本作品にはありません。 犯人も特に意外ではありませんでした。 本書を評価するかどうかの決め手は 次の2つなのではないでしょうか。 1つ目は、犯人の動機、 つまり見立て殺人を行った真の目的とは何かということです。 2つ目は、ファイロ・ヴァンスが 犯人に仕掛けた罠とは何かということです。 私は上記2つとも、 それほど面白いとは思えませんでした。 ただ、物語の展開が巧く、 最後まで読ませる力のある小説だと感じましたので、 ★4つとしました。 | ||||
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古典として名高い作品です。初めて読んでみたところ、ものすごく優れた作品とは思えませんが、十分面白く読むことができました。 私はいわいる「本格もの」といわれる作品のなぞ解きの面白さには鈍感なので、そちらの観点からの評価は分かりません。 しかし、見立て殺人、動機の特異性、物語であることへの自覚といった点は、(ヴァン・ダインが創始者かは知りませんが)当時の読者にとって物珍しかったのではないでしょうか? 特に3点目の「物語であることへの自覚」は、あたかも実在の事件、人物を扱っているかのように注釈で補足し、虚構と現実との境目をあいまいにする語りを指し、作者が物語であることについて非常に自覚的であったことを示していると考えられます。 現在の評価では、盛り込まれたうんちくの多さに注目されるケースが多いようですが、純文学?の技法をミステリーに持ち込んだ(かもしれない)という観点から再評価できるかもしれません。 | ||||
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今では作品を盛り上げる要素として頻繁に用いられる見立て殺人。 マザーグースに関してはクリスティの名作『そして誰もいなくなった』でも取り入れられている。 断言は出来ないものの、見立て殺人というジャンルを一躍有名にしたのはこの『僧正殺人事件』ではないだろうか? 人間心理(今で言うプロファイリングに近い)を重視した捜査を展開する名探偵(迷探偵?)ファイロ・ヴァンス。 そして、サイコキラーでありながら独自の理論を持つ僧正など、何とも現代的な雰囲気を持つ作品だ。 また、物的な証拠が薄いというこの作品の手法を逆手に取った山田正紀の『僧正の積木唄』も見物だ。 この作品では『僧正殺人事件』の妙な点を理論的に説明しており、ヴァンスの推理が間違えていた可能性を指摘しつつも断言はしていない。 どちらにしても成り立つように組まれたストーリーは見事の一言。 こちらも是非セットで読んでもらいたい。 | ||||
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マザー・グースを用いたミステリーなら、本書の5年前の1924年、ハリントン・ヘキスト『誰が駒鳥を殺したか』とフィリップ・マクドナルド『鑢(やすり)』があり、どちらも本書に先駆けて「誰が殺した? コック・ロビン」の唄を用いている。(なお、ハリントン・ヘキストは『赤毛のレドメイン家』の作者、イーデン・フィルポッツの別名義である。) しかし、「本格的」にマザー・グースをミステリー作品に織り込み、それらの童謡がもつ無邪気な不気味さと残酷性を作品にマッチさせることに成功したのは、本書が初めてである。 ただ残念なことに本書では複数のマザー・グースが用いられ、ひとつのマザー・グースにつきひとつの殺人が起きるという設定のため(それを評価する声もあるが)、次に何が起きるかを予見することが不可能である。 そのためサスペンス性には乏しく、そういう点ではマザー・グースを完全に活かしきっているとは言いがたく、その欠点を補った完璧なミステリー作品としては、本書の10年後の1939年、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を待たなければならない。 とはいえ、本書が後世に及ぼした影響は実に大きい。 エラリー・クイーンは『そして誰もいなくなった』と同じ構想の作品を考えたが、クリスティーに先を越されたためこれを断念し、本書と同趣向の『靴に棲む老婆』を執筆している。 わが国においては、横溝正史が本書と『そして誰もいなくなった』に触発され、まず『獄門島』を執筆し、これだけでは物足りず、その後『悪魔の手毬唄』を執筆している。 さらには本書の続編『僧正2』ともいうべき『僧正の積木唄』を、山田正紀が執筆している。(この中では、ファイロ・ヴァンスと金田一耕助のコラボを実現している。) なお、『パタリロ!』の「クックロビン音頭」の由来が本書ではないかと記されているのを何かで見たことがあるが、それは誤解で、「クックロビン音頭」の由来は萩尾望都の『小鳥の巣(『ポーの一族』)』である。 萩尾望都はこの中で「コック・ロビン(Cock Robin)」を「クック・ロビン(Cook Robin)」と読み間違えて記載してしまったものらしく、それがそのまま『パタリロ!』に引用されてしまったものである。 あちらこちらで何度も殺され、名前まで間違えられるとは、ああ、可哀想なコック・ロビン...。 | ||||
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