帽子収集狂事件
評判
帽子収集狂事件の評価:
4.03/5点 レビュー 36件。 D ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1〜9 1/1ページ
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帽子収集狂事件の評価:
4.03/5点 レビュー 36件。 D ランク
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小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
原著刊行は1933(昭和8)年、刊本、1956(昭31)年に発行された宇野利泰訳で読みました。
以後、東京創元社だけでもさらに2回も新訳がでているのですが(素晴らしい)刊行から91年後、宇野訳が出てから68年後に読んだ事になります。
新訳の方がすばらしい、と多くのレビュアー様がおっしゃっているので、旧刊本の「今から見れば遺漏もあるのであろう」訳で見た感想で見て頂きたいのですが(さすがに歴代訳を読み比べるほどの根気がないので)この本は「ロンドンの霧の中で、鬼面人を嚇す、大時代な仮面で鎧われた怪奇ゴシック小説が半分、ミステリが半分ずつ」の印象でした。
カー自体(カーター・ディクスンを含め)初めてなので、すでにしてミステリの古典を読む上に、その上執筆当初から「おどろおどろしく古色蒼然の怪奇趣味」の上にさらに90年の歳月が積み重なってしまったので、電子書籍と音楽配信が常態になっている2020年代、ある意味ではコナン・ドイルのシャーロックホームズよりも「古び」て見えるのは仕方ない。
また、そうした、半分怪奇小説として読むことはカー本人にとっても望むところなのではないかしら?(本人憤然として否定したらすみませんが)
謎解きは「ええっ、それってありですか?」と思わざるを得なかったのは桐野夏生やP・D・ジェイムズといった半世紀以上未来の同ジャンルの継承者をさきに読んだあとだから仕方がない所もある。
また「現代の妖怪小説」でもある京極夏彦と一脈通じるかも知れないが、現実をどう見るか、夢と幻をむしろ意図的にまぶして楽しむことにしようではないか(京極夏彦はもっと現代的に現実と非現実の境界を彷徨逍遥している趣はあるが)という、意図的に骨董ものの装いとして楽しんだ。
それは以後の日本のミステリ史とも関係があり、江戸川乱歩、横溝正史(1902-1981。なんとカーより4歳年上)を通じて、むしろ日本では通奏低音として松本清張以前は楽しくおどろおどろしき怪人二十面相、そして清張以後も因習と怨念うずまく金田一耕助の角川映画で人口に膾炙した(ということは日本人も湖から出た足のようにネタ、ギャグとして楽しみつつ、結局はそれを望み、受け入れたということにほかならない)因習ものの楽しさかも知れない。
と言う訳で、カー以後の日本社会でたっぷりと乱歩・正史・京極と日本的にアレンジされた非現実路線の薫陶を受けたあとで、さかのぼってその英米における祖先を読む感じで、なるほどこれがかの怪奇趣味猟奇嗜好のお師匠さまでありますか、という風に読みました
(色々と間違っている所もあるだろうけれど、あたらずと雖も遠からずの理解だとは思いますが如何か)
…小説としては色々と瑕疵もあると思うし、トリックは無理があるのでは?とも思ったし(けちょんけちょんである)第一、ギデオン・フィル博士はいまいち鼻持ちならない人物に見えて、考古学とはいえ非現実の境界的領域で筆者の厭世的基調を満足させるこれまた20世紀末、アーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァー教授(その名もギデオンを引用しておられるあたり、カーの遺伝子というべきではないか)の方がエキセントリックでも、またパーソナリティでも好みだった。
1933年(昭和8)では独立峰の風格でも、以後、あとにつづく崇拝者と弟子たちによって標高の面では乗り越えられてしまった所は否めない、とはいえその山脈を隆起させた草創者としての栄誉は揺るがない、でも申し訳ないけれど筆者は小説としてもミステリとしても怪奇ものとしても今一つ、というちょっと失敬な感想でした。
しかし2024(令和6)時点では三世代が経過したのですから、いまだにこれが「怪奇趣味ミステリのパイオニアにして最高峰」であるよりか、それはなんぼかマシでしょう。
憧れられ、その衣鉢を継ぐ継承者たちに恵まれ、そして乗り越えられたのだから、むしろそれは幸福ではあるまいか…とこれまたカー本人の意思を無視して勝手なことをほざく筆者。
あ、いや、もちろん創造者としての敬意を払いつつ、ですが…(失敬きわまる感想ですいません)