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屍鬼
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屍鬼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.98pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全245件 61~80 4/13ページ
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ホラーの金字塔といわれる作品、評判もよいので読んでみました。 1巻はまだ舞台となる村とその住民の説明が多く、群像劇が得意でない 自分には少々つらかったです。 とはいえ小野不由美氏の文章が好きなのと、一段落がそう長くなく 事件勃発のタイミングなど構成がよくて読みやすかったので、 どうにか読み終わることができました。 きっと村民それぞれの環境説明も、あまり長すぎないように、 これでも刈り込んだのではないかと思います。 おそらくこの後から面白くなるのだろうとは察しがつきますが、 この村人達の描写を延々あと4冊読めるのか?と自問しています。 1巻だけ買うと挫折する方もいらっしゃるかも。 私も2巻目まで買っておけばきっと読んだと思いますが…。 | ||||
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とても奥深い小説で面白く読んでいますが、なんか滑稽な感じがするのはなぜなのでしょう。村に異常な状態が続いているのに、「何かがおかしい」といっている時期がどうも長すぎるような気がします。電話もあり自動車もあり道路も整備されている様子ですので、住民が情報を外部に伝えようとする手段には事欠かない。筆者は、村を閉鎖空間にしようと努力しているようですが、その根拠が、村の自治に対する強い思い(三役など)と、屍鬼による外部への情報遮断(村外通勤者の殺害等)で、それぐらいの根拠で千人を超える村の情報遮断ができるとはどうしても考えられない・・・。ましてや孫が死に、子供が死にしている状況で、外部に対して(村内部に対してはいるようですが)行動をおこそうとせず「何かがおかしい」とすましている状況にはクスッと笑ってしまいます。笑ってしまうということは、著者が考える状況の中で自分もという共感が生まれていないということでしょう。できれば、情報が遮断されるような中世に時代を設定するとか、島での設定にしてくれていたらな〜と思ったりします。 | ||||
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アニメと漫画から入って小説を読みました。 「納得できない」という声に同感です。坊主は中盤から終わりまで自己矛盾だらけで、例えば中盤尾崎が行政に訴えなかったことで、結果として外場の人間が迫害されても仕方がないと言い、みんなが怪しむ桐敷に目を向ければ迫害はいけないと諭す。そして自己欺瞞、偽善のなか、無自覚のユダとなり大惨事を牽引する。こいつは戦後日本の知識人と言われる左翼の姿みたいだ。神に見放されたとか高尚な存在かよ。単なる偽善者じゃん。 こいつが生き延びるなら、夏のの死や、田中少年の悲惨な結末はあんまりな気がする。小説にとってほんの僅かな正義は漫画や、アニメっぽくなってしまうからかな?最後はもう読むのが辛かった。坊主に父親の末路を見せてやりたい。異端になってしまっても、まっとうな規範に殉じようとした、アニメや漫画のなつのが一番神に殉じたモノのように見える。 結末は砂子が偽善者室井と一緒になってハッピーエンド、村は死に私も尾崎と同じで精神的に疲れ切ってがっくり。 | ||||
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まず重要なのは、作中でも説明のある通り、屍鬼は人を殺さなくても生きていく事が可能であるという点です。 ・屍鬼が生存する為には人間の血が必要だが、一度につき相手を死に至らしめるほどの量は必要ではない。 ・屍鬼に吸血された人間はしばらく人事不省の状態に陥るが、再び吸血されなければ徐々に元の正常な状態に戻る。 つまり元々沙子がそうしていたように、様々な人間から少しずつ血を貰っていれば、屍鬼・人間ともに問題なく生きて行けるのです。 にもかかわらず作中で沙子が村人を大量虐殺するのは全て「自分が一人だと寂しいから」「屍鬼だけの村を作りたいから」という身勝手な欲望の為。 確かに彼女の置かれた状況は同情するに値しますが、だからといって何の罪もない人々を大量に殺したり、強制的に己と同じ悲しい生き物に変えて地獄の苦しみを味わわせるなど許されようはずがない。 にも関わらず、最終巻では愛する家族を奪われて屍鬼に復讐する人々(あるいは自分も同じ目に遭わされるではないかと恐怖に駆られた人々)が屍鬼を始末していく場面を極めて残忍に、かつ執拗に書き、「本当に恐ろしいのは人間である」という結論に無理矢理持っていこうとしている。 そもそもの原因を作ったのは沙子であり、しかもそれをしなければ生きられないという切羽詰まった状況でもなかったにもかかわらず、です。 確かに、箍の外れた人間が、時に異常とも言える残虐性を発揮する事はあるかもしれません。 ですが大前提として、沙子が彼らの隣人や家族を理不尽に奪ったりしなければ、あれらの人々はただの平凡な片田舎の村人のままでいられたのではないですか? 作者はとにかく屍鬼が可哀想という事にしたいようでしたが、以上の理由から私には因果応報としか思えず、自分可哀想可哀想ばかりの沙子と静信が最後まで反省も何もなく生き残って去っていくというラストには全く共感できませんでした。 せめてこの最終巻に「人間は恐ろしいが、そもそも原因を作ったのはどちらか」と客観的な視点から屍鬼側を非難する描写も平等に入れて貰っていたら、読後感も少しはましだったように思います。 結末以外の描写には目を瞠る箇所もありましたので、星は二つ。 | ||||
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非常に読み進めるたくなるような衝動に駆られる作品であり、小野不由美氏の文章には非常に感銘を受けた。 また、室井静信の文章が挿入されているがその文章の文体の切り替えについても非常に上手くできており感銘を受けた。 いくつか腑に落ちない点があるので列記しておく。 1屍鬼は招かれないと入れないという原則が適用されているが、家屋への侵入に関しては、必ずしも守られているわけではない。 2血液検査野結果が即日でない病院にCTが存在する点がやや不可解。 3死者数が非常に増えている点、村人が屍鬼の存在に気付き始めている時点で普通であればもっと対応がなされるはず。 4人狼になるのに、失血死が必要なのかどうか。人狼を誕生させようとするのであれば、必ずしも失血死させる必要がない。 本書は非常に人間の人間的な部分に関して、鋭い洞察を加えている。宗教的あるいは人種的あるいは国籍的なものと現実世界においては置き換えられるであろうが、異種の人間に対する人間の対応がどのようであるものなのかを考えさせられる。 人間は本能的にそのような異物を排除しようとする傾向が強いが、どうにも御しきれない衝動に対する人間の葛藤が描かれているような印象をうける。排除しようとするのか、許容しようとするのか、あるいは無いものとしていずれなくなるのを待つのかどうか。 しかしながら、本書で展開されている思想に関しては個人的な見解ではあるが、賛同できない部分が多い。 現実世界における宗教を異にする人、外国人と比較して、人間にとって屍鬼は明らかな害悪であるという考えから離れることができなかった。 よって、最終的に屍鬼をしっかり罰してほしいという気持ちが強かった。 | ||||
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何巻かは忘れましたが、誰かのあとがきにありました。 この本はハードカバー上下巻セットで買うべきだ。との事。 なぜか? 文庫で1冊づつ買うと、あれよあれよと読んでしまい、深夜丑三つ時になって明日の仕事が気になるにもかかわらず、どうしても次が読みたくなって本屋へ駈け込んでしまう、といった事になるからです。 本当にそうなるからです。 登場人物が多い為、ストーリーの進行が遅いですが、ある瞬間から医者の大逆襲が始まります。そこまでいったら、切りの良いとこで止めといて、後はまた明日なんてできません。 絶対に5巻いっきに購入する事がおすすめです。 | ||||
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第 1巻は7〜8割が導入部で、メイン舞台となる村と その人たちの関係紹介で殆どが費やされており、物語 は殆ど進展しません。 ハードカバー版は厚さが凄いし、『十二国記』やこの 作品こそ電子書籍化を望みます。 作品は変わりますが、 グインサーガなんて全巻そろっただけでどれだけの場 所を占有していることか。 | ||||
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吸血鬼は実に危うい基盤の上に存在していて第一の基盤は誰も其の存在を信じていないことなのだが沙子は吸血鬼のコミューンが欲しかったわけで彼女の望みそのものが破滅を意味していた。 | ||||
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清信がなぜに沙子を助けるのか?彼は辰巳と同じ人狼になってしまったのか? | ||||
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閉鎖的な村が吸血鬼による死者の起き上がりに襲われる日本ホラー小説の金字塔とも言われる大作。 この話のテーマは対立構造であると思う。目には見えずとも確かにある村社会のウチとソト。それが原因不明の死者の連鎖によって乱される。それはやがて死者と生者という新しい対立構造へと移っていく。 特に1、2巻当たりの閉鎖的な村が伝染する死によって汚染されていく過程は面白い。一方で屍鬼というネタばらしがあった後は少し退屈な印象を受けた。 しかし終盤にかけて生者と死者がはっきりと対決する段になって物語は新たな対立構造を持ち、俄然面白くなる。生者と死者の対立は贄がなければ生きていけないことを意識するものと意識しないものとの対立でもある。不思議と屍鬼の側にも感情移入できるのがいい。 多くの登場人物が織り成すそれぞれの結末。この本を読み終えて私はジョージ・A・ロメロのゾンビを連想した。物語の色合いこと違えど死者を通して社会、人間を見るというテーマはゾンビそのものだと感じた。 これぞ和製ゾンビと思わせる名作。 | ||||
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タイトルに興味があり買ってみました。よんでみて楽しかったです | ||||
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タイトルに興味があり買ってみました。よんでみて楽しかったです | ||||
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タイトルに興味があり買ってみました。よんでみて楽しかったです | ||||
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タイトルに興味があり買ってみました。よんでみて楽しかったです | ||||
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タイトルに興味があり買ってみました。よんでみて楽しかったです | ||||
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まず、人物が非常に多く誰と誰がどういう関係で、あの時出てきたどの人物かというのを把握するのが 非常に難しく、その把握するだけでうんざりしてきます。 人物表を付けるなりして、読むのに分かりやすくするべきだったと思います。 閉鎖された村というのが主題であるならば、村のイメージをしやすくするために、 村の地図も付けるべきでしょう。 次に、人物を非常に多くした関係上、ストーリーが途中で誰が死んでもどうでもよくなってきて 全くショックを受けず、いつまでだらだらこんな展開続けるのかとだらけてきます。 人物像を書き連ねることで満足し、物語の展開が遅くだれてしまう最近のスティーブン・キング の悪い影響をモロに受けていると思います。 最後に、物語の内容についてですが、物語の転機となるべき、 屍鬼の存在が村人にわかる部分も非常に唐突で いままで不審に思っていた村人がそれで納得してくれるのか?と思ってしまう。 劇的にいままでやられ続けてきた人間が攻勢に転じる部分であるので、 もう少し丁寧に描写すべきだと思う。 物語の核心となるべき、静信と沙子のやり取りも互いに「可哀想だよね自分たち」、 と傷を舐め合う関係をただ続けていくだけで、 なんの解決にもなっていないまま物語を放り出してしまっている。 静信が屍鬼たる沙子を助けたことで、無駄に命を曝してしまった静信の母親や光男、 そして沙子を助けるために静信が人を殺してしまったことで、静信は完全に罪を犯してしまっている。 その罪の罰を静信は受けるべきであり、静信は村を捨て屍鬼の側に付いたのであり、 人々に笑われながらも最後まで村を救おうとした敏夫との対比で、 静信に対する杭を敏夫に打たせるべきであった。 | ||||
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日本ホラー小説の大傑作。前半の大部分を費やして、村を構成する数十人もの人々の生活や人生観、人間関係などが、緻密でありかつ過剰とも言えるほどの言葉数で綴られていく。 物語は遅々として進まない。しかし退屈ではない。一人一人の日常が描写されるにつれ、「村」が立体的なものとして立ち上がってくるのを感じるからだ。「村」に命を吹きこむためにはそれだけの紙幅が必要だったのだろうし、だからこそ後のカタストロフも悲劇的であるのだろう。 淡々と語られていく日常に不自然な「死」が混じり始め、やがてそれを不審に思い、原因を探ろうとするのが医者と僧侶、というのもまた象徴的である。一方は死に抵抗する者、そして他方は死を受容する者だからだ。その立ち位置の違いが事態の収拾を遅らせ、そこから物語は急坂を転げ落ちるように破局へと突き進んで行く――とはいえ、それも物語が残り二割を切ってからなのだが。 ともあれ、破局に至っての二組の親子(母と娘、母と息子)のくだりは実に物悲しい。 | ||||
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小野氏は2作目。前半、何が起こってるかわからない時はゾクゾクしたけど、後半の展開がパニックものと化してて自分の好みとは違いました。長い。あと小難しい漢字必要か?若御院のセンチメンタルな自己陶酔っぷりと説教クサさにうんざり。全て屁理屈に聞こえます。私にはこれはただただとんでもない傍迷惑に巻き込まれる話に感じました。ほだされるとこが理解不能。とにかく全く共感できなかった。私が屍鬼に自分は許されないものなのかと聞かれたら、当たり前だ、問答無用だと答えます。で、速やかに駆除します。完全に俊夫目線ですね。あと、夏野の父親と母親が個人的に大嫌いです。正式に籍を入れてないばかりか、出来の良い息子を満足に教育も出来ない僻地に自己都合で引きずり込み、結果将来ぶち壊しました。まあ、そうしないと話が始まらなかったわけですが。面白くなくはなかったし、いやーな感じで残りますが、好きか嫌いかと言われると決して好きにはなれない。勧善懲悪を望んでいるわけじゃないんですが、共感できず合わなかったなと思う。 | ||||
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すごく長いです。 ハードカバーにすれば辞書2冊分の量。 1巻は村人の紹介がほとんどですごくしんどいですが この内容が最後に生きてきます。 ぜひ読んでみてください!! | ||||
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正直、静信と沙子の「自分可哀想アピール」にうんざりして終わりました。 確かに沙子は好きで屍鬼になった訳ではありません。 神の作った秩序から外された生き物だからと言って 生きようともがくことが悪なのかと問われればYESとは言えない。 でも村人(屍鬼を受け入れない世界)が沙子を罪人だと断罪するのは、 屍鬼が人を殺さずには生きていけない生き物だからではない。 そういう悲しい生き物になると分かっていながら 自己満足のために何の罪もない人々を蹂躙し続ける傲慢さではないのですか? そしてその傲慢ささえも「悲しい性である」と自分を慰める要素でしかない沙子と、 そんな沙子(屍鬼)に自分を投影し、「そうだね、可哀想に」と 沙子を慰めつつ自分を慰める静信。本当に気持ち悪いです。 静信は「自分を許容しない世界」に対して許容される努力を何もしていない。 そればかりか、そんな世界でも唯一彼を許容したであろう母親の死に際しても、 屍鬼を許容しない村人に対する不満をいつもの調子でグチグチと思考するだけで 何の痛みも感じていないように思います。 静信が本当に屍鬼を理解し、赦し、許容したのなら、 なぜ沙子以外の屍鬼が殺されていくことを止めるための努力をしなかったのでしょう。 それは静信が、屍鬼であることを認めてくれた正志郎に依存した沙子と同様、 己の世界が己を許容しないことに苦悶する自分を認めてくれた沙子に依存しているだけだからでは? それは二人がしたり顔で語った善や悪という概念とは何の関係もなく、 未熟さ、苦しみ、葛藤、そういうものの全てを他人のせいにしているに他ならない。 最後に、ものすごく個人的な感情として、この二人が 千鶴・正志郎・篤・正雄・恵のようにそれなりの報いを受ければまだ溜飲が下がったものの、 沙子は正志郎と辰巳を合わせたようなパートナーを得てめでたしめでたし、とは…。 私も敏夫と一緒に疲れ果ててがっくりです。 | ||||
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