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Tetchy さんのレビュー一覧

Tetchyさんのページへ

レビュー数1418

全1418件 921~940 47/71ページ

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No.498:
(9pt)

これ以上の結末はない。天晴!

上下巻合わせて1,040ページあまり。しかも各ページには文字がぎっしりでほとんど隙間が無い。
この世評高い大作を読みたいがために各本屋(福岡・愛媛・東京!!)を回り、なおかつネットで検索したがどれも「品切れ」の文字がついている。諦めて本を売りに行った地元の古本屋で持ち込んだ本の査定を受けている暇潰しに本棚を見ていた時に偶然にも見つけ、迷わず購入した。

そして待望の開巻から約半月費やした後の感想は、最後の最後で救われたという感じがした。
正直、読書中はあまりにも冗長すぎやしないかと何度も洩らした。それは読後の今でも変わらない。この真相に至るまでに果たしてここまでのプロセスが必要だったのか、これは今でも疑問である。世に蔓延る世評を見ると、重厚壮大だが読み苦しくないというのがほとんど感想として載っている。しかしやはり私には長いと感じた。

主人公のベトナム戦争で成した愚行―正確に云えば成された愚行―に対する裁判を、内部葛藤を、時に俗者のように、時に聖者のように描写する。それはある時は彼の行動を監視する者に対し、暴力を加えたり、妻への荒々しいセックスにて表出される。デミルの素晴らしい所は、単にベトナム戦争の悲劇の犠牲者としての主人公を決して読者におもねるような聖人君子に描かず、愚痴もいい、素行もそれほど正しくなく、しかも軍隊に復員した時はだらしの無い格好で軍人の反感を買う。つまりみんなの周りにいる誰かとして描く。この手法が重苦しいテーマを読み易くしているのだろう。
読んでいる最中は映画『戦火の勇気』が頭によぎった。タイスン中尉がベトナムの病院でどのような指示をしたがために大量虐殺に至ったのか、この事実についてあらゆる人が本で語り、軍事裁判にて証言し、そして主人公自身も語る。小隊の中の人間関係の歪みが生んだ大虐殺の事実はそのまま同じように歪められ、タイスンを追い詰める。

最後の切り札、ケリーの登場で漸く真相が明らかにされ、何が正しくて、何が悪いのかを悟られる。それはやはり人ではなく、戦争という特異な状況であったが故の哀しい事実だった。誰もがあの戦争では狂っていた、その事は誰も否定できないし、また非難もできない。知らない方がいいこともある、これは正にその典型だった。



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誓約〈上〉 (文春文庫)
ネルソン・デミル誓約 についてのレビュー
No.497:
(2pt)

ウールリッチなのにダメでした

読み手が悪いのか書き手が悪いのか、その答えはここでは解らないが、何とも物語に吸引力が無かった。この前に読んだ島田氏の『龍臥亭事件』が早く読みたくてうずうずしていたのに対し、今回は食指が伸びなかった。あのウールリッチの作品とは思えないほどの印象の薄い内容だった。

物語はある金持ちから逃れたカップルがキューバはハバナに着く所から始まる。そこであるバーで写真を撮られるのだが、その瞬間、駆け落ちしてきた女性が何者かに刺され死んでしまう。その凶器が主人公が先ほど骨董屋で購入したナイフだということから逮捕される。しかし、それは主人公が買ったものとは微妙に異なる事を強調し、刑事らとその骨董屋に向かうのだが、主人はそのナイフこそ主人公が買ったものだと主張し、その証拠として領収書を見せる。かくして殺人犯人として連行されることになる主人公は刑事たちの一瞬の隙を突き、逃亡し、復讐を誓うのだった。

冒頭の真実が事実とマッチングせずに読者を混迷の最中に陥れる手法はウールリッチタッチだが、それは別にいいとしても途中の描写に叙情感があまり無く、また物語も起伏に富んでいるようで実は三文サスペンスに過ぎないような展開なのだ。
この作品は絶版にしてもいいと思う。代わりに『黒衣の花嫁』や『死者との結婚』とかを復刊してくれ!!


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恐怖の冥路 (ハヤカワ・ミステリ文庫 10-2)
コーネル・ウールリッチ恐怖の冥路 についてのレビュー
No.496: 6人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

ノンフィクションとフィクションの狭間で

これは新たなる島田氏の代表作だと云っても過言ではないだろう。『秋好事件』のノンフィクションタッチがこの作品でいかんなく発揮されており、島田氏がただ単純にノンフィクションを書いたのではないことも判った。
巨匠にして新たなる手法を生み出す、この貪欲さは新本格第1期組の、最近新作を出さない輩共に見習って欲しい姿勢である。

『津山30人殺し』をモチーフに、というかそのものを題材にかの御手洗潔のパートナー、石岡和己を主人公にして陰惨な連続殺人事件を繰り広げるというこの設定からして斬新だ。最初は単なる横溝正史へのオマージュだと思っていたが、いやいや、やはり島田氏、オリジナリティー溢れる作品となっており、島田作品以外何物でもない。
上巻に高木彬光へ、下巻で彼の生んだ名探偵神津恭介に賛辞を表しているが、これはこの作品そのものが彼の作品に対するオマージュではなく、恐らく当時彼が亡くなられたことによるものだろう。

今回特徴的なのは下巻の中間で都井睦雄の30人殺しへ至る経緯がその生涯と共に語られており、しかもそれが物語の謎の中心であるが故、フィクションとノンフィクションの境がぼやけ、真にあったかのように錯覚させられることだ。『秋好事件』でもそうだったがこういうノンフィクションを語らせると島田氏は抜群に上手い。臨場感と睦雄の人となり、そして事件の引き金となった経緯が非常に説得力を持って語られるのだ。
そういった中でも大トリックを仕込んでいるのが非常に嬉しいし、また、菱川幸子の殺害方法が運命の皮肉さを伴っているのが単なる推理ゲームに堕してなく、小説として余韻を残してくれるのがプライドを感じて嬉しい。

連続殺人が続くのも、最後の最後まで御手洗を登場させず、石岡という凡人に解決させることにより、不自然さが無い―よく名探偵がさんざん人が死んでおきながら犯人は貴方だ!と誇らしげに指摘する厚顔無恥さがこの作品には無い。昭和初期の殺人事件に基づいて連続殺人が成されたというのも島田氏がこだわる日本人論、昭和論をほのめかしており、しかも忘れ去られるであろう事件を再認識させてくれたのも作者の真面目さだと思う。
あと最後の最後であっと云わされるミチの正体。こういう演出が心憎い。

島田氏の創作意欲は衰えを知らず、毎年新作を発表している。恐らくこの作品はその口火となったように記憶している。読んでみてやはりこの作品は新生島田荘司の誕生を高らかに宣言しているように感じた。
本当に素晴らしい作家だ、島田氏は。

龍臥亭事件〈上〉 (光文社文庫)
島田荘司龍臥亭事件 についてのレビュー
No.495:
(5pt)

ありきたりです

今回は目玉が無かった。12編の中で印象、というよりも若干の記憶に残ったのは『十円銅貨』、『無欲な泥棒―関ミス連始末記』、『小指は語りき』ぐらいか。

『無欲な泥棒』は足らない会費の真相が非常にスマートでよかった(これって結構日常生活で陥る勘違い)。
『小指は語りき』は死者から切断した小指という設定がよかった。あんな語りの小説が本当に本格物の体を成しているのがすごい。
柄刀氏の『白銀荘のグリフィン』は普通に語られるべき内容の小説を無理に幻想味を持たせた文体にしているのが鼻につくし、『森の記憶』、『密室、ひとり言』の両編も語り手が実は・・・というネタだったがもはや使い古された感は否めない。
『それは海からやって来る』は犯人が解って結構、悦に浸ったが。

う~ん、ここに来てちょっとレベルダウンか。しかしこれだけ続けて読むと単なるゲーム小説にしか過ぎなくて食傷気味。さて明日からは島田氏を読もう。


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本格推理〈9〉死角を旅する者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理9 死角を旅する者たち についてのレビュー
No.494:
(7pt)

ちょっと上向き

全12作。その出来映えにかなり明暗が分かれたアンソロジーか。
以前までは全体の内、1,2作ぐらいの割合でこちらを唸らせる作品が見られた程度だったが、今回は4作が秀作だった。
それは黒田研二氏の『そして誰もいなくなった・・・・・・のか』、小波涼氏の『少年、あるいはD坂の密室』、剣持鷹士氏の『おしゃべりな死体』、そして林泰広氏の『二隻の船』である。

まず黒田氏は現在新進気鋭の本格ミステリ作家として活躍しており、このクリスティの名作をオマージュにした短編もその片鱗を見事に見せている。約30~50枚程度の枚数で連続殺人事件を描き、しかもそれに効果的なオチをつけているあたり、小説巧者の萌芽が早くも見られる。最後のオチはこちらでも判ったが、判った上でも楽しめる一編だ。
次の小波氏の作品はまずその文章の上手さに驚く。現在彼は作家としてデビューしてないのだろうか?また他の作品とは一線を画した、犯人が捕まらなく、その後の展開をほのめかす余韻あるラストも秀逸。

剣持氏は既に短編集を出しているプロの作家であるが、約10年近く経った今も次作は出ていない。彼は非常にゲームに徹した書き方をする類い稀な筆巧者。まさに本格ミステリのゲームマスターといった感じである。最後の解決の文章に減点のカウントダウンをつけるといった趣向とそれを実現させる文章力に脱帽。

最後の林氏は私の好きな本格ミステリである、トリックやロジック以外の心に響く何かを備えた作品でタイトルに殺害方法と登場人物同士の関係のメタファーを盛り込み、末尾を飾るに相応しい内容となっている。

こうして見ると秀作ばかりで7ツ星というのはいささか厳しすぎるように思われるが、それ以外はやはりどれも似た設定の繰り返しで、食傷気味である。これだけの数の本格を読まされるのだから読者を飽きさせない舞台設定というのがインパクトとして非常に重要な要素となる。
まあ、素人にそこまで求めるのは酷かもしれないが、やはり金を出して買う商品であるからには損をさせてはいけないという見地からもこの考え方は妥当だと考える。
でもレベルアップしてきたのは間違いない。次回に期待。
本格推理〈8〉悪夢の創造者たち (光文社文庫)
鮎川哲也本格推理8 悪夢の創造者たち についてのレビュー
No.493:
(7pt)

最後になって解らなくなりました




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ワイオミングの惨劇 (新潮文庫)
トレヴェニアンワイオミングの惨劇 についてのレビュー
No.492:
(9pt)

切ない5つの復讐譚

いやはやアイリッシュ、もといウールリッチは設定がすごい。発表後60年近く経った今でもその設定は斬新だ。
ある街で愛し合う若い男女がいる。非常に初々しい二人の間にやがて悲劇が訪れる。ある飛行機から落とされたビンがたまたま彼女に当ったのだ。最愛の女を失った彼は廃人となり、やがて復讐の鬼と化し、同日同時間に同場所を通過した飛行機に乗り合わせた乗客全てに同じ苦痛を事件の起こった5/31に味わわせるのだった。

この設定を読んだだけでもう早く読みたいと思うのは当然ではないだろうか?しかも唄う詩のような美文は健在で今回も陰惨な内容ながら幻想的な衣装を纏いながら物語は流れていく。
しかも成される復讐は5つあり、それら全てが極上の短編小説のようにスパイスが効いているのだ。

顔の見えない主人公ジョニー・マー。彼のした事は非道で許されないことだが、彼のされた事もまた同じである。

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喪服のランデヴー (ハヤカワ・ミステリ文庫 ウ 1-1)
No.491:
(4pt)

旅先、出張先で缶ビール片手にどうぞ

先に読んだデミルの『ゴールド・コースト』が芳醇なワインなら、こちらはスーパーで売られている1缶100円前後の缶チューハイといった所。誰でも気軽に飲める分、味に深みがない。

ストーリーは不倫相手が嫁さんを殺し、そのアリバイ作りのために愛人である主人公が東京から飛騨高山の別荘まで嫁さんになりすまして周囲の人々に印象付けながらアリバイ工作を助けるといったもので、その道中に島田氏ならではの幻想味が適度に調合されている。
しかし、構成が単純なため、真相は簡単に解った。

ただ、謎のオートバイ乗りは、ただ道中で知り合ったからって―しかも、主人公に案外痛い目に遭わされている―、命を助けるまでの事をするかなぁ?それも他人様の別荘の窓を壊すほど。ここら辺がやはり出張中のサラリーマンが車中で読み終わる程度のライトさを意識しているのだろうな。
すなわち缶ビール(もしくは缶チューハイ)・ミステリである。まあ、たまにはこういうのもいいか。

高山殺人行1/2の女 (徳間文庫)
島田荘司高山殺人行1/2の女 についてのレビュー
No.490: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

芳醇なワインに似た読後感

いやはや、デミル、貴方は上手い、上手過ぎる!!
これぞ小説なのだと醍醐味をとことん味わわさせてくれました。最後の一文なんか、もうシビレまくりです!!これは正に俺が好きな締め括り方。俺が作家ならこう締め括る。哀しいラストに一縷の希望を託す、非常に美しい最後だ。だから最後の最後まで俺の心の隙間にピースがカチッと嵌ったのだ。

ビヴァリーヒルズも足元に置く高級住宅地、ゴールド・コースト―オーストラリアのそれでなく、ニューヨークの郊外にある建国当時から住むヨーロッパの財閥が成した街―。ここに暮らすワスプ、弁護士ジョン・サッターと生粋の貴族の出である美しい妻スーザン。この一風変わったセックスを好む夫妻の隣り、豪邸アルハンブラに最後のマフィア、ベラローサが越してくる。好むと好まざるとに関わらず―いや正にこの場合は好まざるとに関わらず限定か?―隣人付合いをすることになるサッターだが、これがやがてこのマフィアのコロンビア麻薬王殺し容疑の弁護の役回りを演じることになり、また妻のスーザンとの破局、そして栄光のウォール街弁護士の肩書きの剥奪を招くことになるのだった。

書きたい事は色々ある。ありすぎて取り留めがなくなるのでご容赦願いたい。
まずベラローサの造詣。最初は映画『隣りのヒットマン』の影響のせいでブルース・ウィリスを当て嵌めていたのだが、上巻の最後の方から、やはりこれはデ・ニーロだと得心した。もう全く以って彼。ここで俄然、私の中で物語は映像と共に進み、読書に拍車がかかった。
その他の登場人物の内、スーザンは最初、二コール・キッドマンとも思ったが、それは時たま頭をよぎるだけで特に俳優になぞらえなかった。
あとはマンクーゾ。彼のイメージは俳優は特定できないが、帽子をかぶり、肩まで掛かる天然パーマ気味の長髪と白髪交じりの口髭を生やした初老の痩身の、黒のスーツが似合う男がはっきりと浮かんだ。これはかなり正しいイメージだと思う。
こういった人物がイメージとして湧き上がるほどの性格付け、また夢の中の世界として描かれる金持ちの敷地やリトル・イタリーのレストランの描写が非常に素晴らしく、小説を読みながら映像を思い浮かべることが出来た。特にこの小説は映画好きが読めば読むほど映像を喚起できると思う。

またサッターの独白で明かされるベラローサの、サッターを自身の弁護士として取り込む手練手管の精緻さ。これが何とも懐が深く、本当にマフィアならそうするだろうと思わせるほどのリアリティがある。こういった構成が結末の悲劇への十分な裏付となっている。
しかもプロットは堅固なのに人物が前述の通り、個性豊かで単なる駒として機能しているわけではない。これらの人物ならばそれぞれこのように行動するだろうと納得させるだけの筆力があるのだ。
いやあ、神業ですよ、これは。デミルを読むと私も含め、作家を目指す人はしばらく創作意欲が無くなるのではないのだろうか。
芳醇なるワインを飲んだ心地ですな、特に読後の今は。

ゴールド・コースト〈上〉 (文春文庫)
ネルソン・デミルゴールド・コースト についてのレビュー
No.489:
(7pt)

案外好きだなぁ、こういうの

読後の今になってこの題名の示唆する意味が仄かに立ち上って来て、カーもなかなかやるな、とちょっと心地良い余韻に浸っている。
前回読んだ『疑惑の影』のようにこちらも毒殺物だが、それに加え、密室の中で重い石の棺が独りでに開くというクイズみたいな謎があり、カーの味付があちらよりも濃い。

事件は小粒だが、今回はヒステリー症という病例を上手くトリックに盛り込み、物語に二面性を持たせているところを高く買う。こういう一見、何の変哲もなさそうな事件なのに何かがおかしいというテイストがセイヤーズを髣髴とさせており、カーの中でもちょっと珍しい部類に入る。しかもこれが冒頭述べたようにこの謎めいた題名の意味を徐々に腑に落ちさせる所もカーらしくなく、手際が良い。
二番目の石の棺が自然に持ち上がるトリックは大方予想がついた。最近の推理マンガ『探偵学園Qシリーズ』によく取り上げられる類いのもので、ある意味、このマンガの原作者のルーツかもしれない。

個人的な事情により途切れがちな読書であったが、それなりに愉しめた。云いなおせば、通常であれば星8ツ物であったかもしれない。
読んでいる最中は結構キツイ所もあったが、それはやはり途切れ途切れに読んだからだろう。じわじわ来るこの読書の悦楽が僕にそう思わせる。

眠れるスフィンクス (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-16)
No.488:
(1pt)

経費として落とすために書かれたのでは?

アイリッシュ『幻の女』を髣髴とさせるファム・ファタル物かと思っていたら、さにあらず。結末はなんともギクシャクした設定のミステリでした。

主人公の行く先々で現れては危害を加え、そして消えてしまうブルーのチャイナドレスを着た上海レディ。その正体の強引さは無理があるとしか云いようがない。
老婆が機敏にナイフを繰り出す、しかも最後の最後まで主人公には判らないというのはあまりにもこじつけすぎ。

上海旅行を経費で落とすために創作したとしか云えない駄作。ちょっと云いすぎか?

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消える上海レディ (角川文庫)
島田荘司消える上海レディ についてのレビュー
No.487:
(7pt)

本格ミステリ作家志望者の哀歌

相変わらずセミプロ気取りで自前の探偵を出すのが鼻につく。しかもほとんどがまるで事前に合わせたかのように同じ設定。
曰く、「昔、ある事件でたまたま居合わせた(探偵)が、鮮やかに事件を解決して以来、何かと(刑事)が相談に来るのである」。これだけ同じ設定を読まされると飽きてくるのは事実。まあ、実際素人なので上手く本格推理小説に名探偵を無理なく登場させるのにバリエーションを持っていないのだろう。

今回のシリーズでは『三度目は・・・』と『漱石とフーディーニ』が秀逸。特に後者はほとんどプロ並みの筆力の持ち主で、他者と違い、素人名探偵を登場させず、しかも当時の風俗などをたくみに絡ませて、単純なパズル小説に終わっていない。ロマンめいたものを感じた。また前者もパズル小説に終始せず、プラスアルファとなる人情味を絡ませて情理の2面での解決がよい。
最後の作品『真冬の夜の怪』も結婚式のスピーチを絡ませるという技巧を凝らしているが効果はあまり出ていない。俺ならもっと心に残るように物語を終わらせるな。

しかし、この7冊目まで来て、その後作家として活躍しているのが柄刀一氏と村瀬継弥氏と北森鴻氏の3名だけとはあまり効果が上がっていないようにも思われる。まあ、このシリーズ、更に続いていくからまた続々と後の作家達の名前が出てくるのかもしれない。



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本格推理〈7〉異端の建築家たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理7 異端の建築家たち についてのレビュー
No.486:
(7pt)

世界観を受け入れられました

薬師寺涼子シリーズも三作目。第二作からその楽しみ方が判ったこともあり、今回も純粋に楽しめた。
第三作目で舞台を海外はフランスに移しての傍若無人ぶりを発揮するというのは田中作品の王道だが、このシリーズの特徴は他のシリーズに比べると描写や手法とに残虐性の色が濃いと云う事。

『創竜伝』とかは特に相手を必要以上に傷つけないという配慮で動いているのに対し、お涼や泉田は結構過激に立ち回り、相手を時には必要以上に痛めつける。他のシリーズはそこに至るまで相手の極悪非道ぶりをこれでもかこれでもかと見せ付けられた上の活劇シーンに移るのだが、このシリーズはその区別無く主人公が痛めつけるのも特徴的である。
また主人公のお涼が途轍もなく金持ちでしかも警視正という地位で権力も持っているのも他のシリーズにはない特徴で、どうにも行き着く所がお互いの権力の張り合いでしかなくなるのが評価としてはマイナスか。

ストーリー、プロットは比較的単純。特に北岡はストーリーの中での扱い方からしてもあの正体は当然でしょう。ハリウッドのアクション映画を意識したような展開、幕切れはちょっと無理しているような気もする。
『銀英伝』が余りにもスケールが大きく、叙情性に溢れているので非常に浅薄な印象を受けるのは仕方ないか。これはこれでよしとしよう。

巴里・妖都変 薬師寺涼子の怪奇事件簿 (講談社文庫)
No.485:
(1pt)

二番煎じ感にムリが祟って…

読者の復刊希望アンケートで上位にランクインし、それを期にこのたび復刊の運びとなった本書は、弁護士バトラーとフェル博士が共演する(バトラーの出演する作品を読むのは初めてなので実は常にフェル博士は出ているのかもしれないが)事を謳い文句にしていたが、意外だったのはバトラーが気障ながらも有能な弁護士でしかも推理力に富み、行動力もあるという美点が強調され、フェル博士が狂言回しの役割に終始していた事。バトラーのプレイボーイ振りが際立っていることもあり、通常のカー作品とは異なり、かなりロマンティシズムが濃い。

テーマはカー特有の毒殺物で、裕福な老婦人を毒殺した廉でその秘書が逮捕され、その法廷場面から始まる。その裁判ではバトラーの活躍で秘書は無罪になるものの、第2の毒殺事件が起こる。しかしこれら2件以外にもここ頻繁に毒殺事件は起こっており、フェル博士は殺人集団の仕業と見て捜査を始めるといった内容。
恐らくカーはこの作品を書いていた頃は過剰なまでのオカルト趣味に嵌っていたように推測する。

登場人物が少なく、事件も地味なせいもあり、真相が判明してもびっくりするような仕掛けもなく、前述にある悪魔崇拝集団という設定も妙に浮いてて、バランスが悪い。次の『眠れるスフィンクス』に期待しよう。


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疑惑の影 (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-10)
ジョン・ディクスン・カー疑惑の影 についてのレビュー
No.484:
(3pt)

とにかく長い!長すぎる!

長い!長過ぎる!!全てにおいて冗漫でしょう!!
クーンツは冒頭のシーンが上手い事で知られているが、それは大体50ページ前後で一段落するスペクタクルがページを捲る手をもどかしくさせるのであって、それぐらいの長さで切れ味を発揮するのに、今回はしつこくスキートの自殺未遂の顛末とマーティの妄執的な破壊シーンが続き、逆に本編が始まる前に疲労を感じてしまった。しかもクーンツ特有のどうしてそんな風になったのかを後々になって明らかにする引っ張り手法を用いているものだから、何がなんやらで、もうどうにでもなれって感じになってしまった。

設定は前に読んだ『真夜中への鍵』同様、主人公がマインドコントロールをされているという設定で新味はない。しかし催眠術というかマインドコントロールとは自ら進んで自殺するようには出来ないのが通説だったのではなかったろうか?死を暗示させない他の行為に置き換えて死を促すというのは宮部みゆき氏の某作であったが、もし近年の研究で催眠によって自殺を強要することも出来るということが判明していたとしてもこの手法はあまりに作者にとって都合よすぎていただけない。
つまり悪役のアーリマンが万能すぎて面白くないのだ。この点では応用のある宮部氏に軍配が上がる。

しかし、上下巻合わせて1,100ページ余りで語るべき話ではないのではないか?あまりにも肉付けが多すぎて推敲がされていないように思われる。この内容だと恐らく半分は削れるだろう。
小説の長大化を決して厭うわけではないが長大な話にはそれ相応のスケールの大きさがあるのに対し、今回はただ単純に登場人物が多く、それら一人一人を不必要なまでに描いた、これだけのような気がする。
汚辱のゲーム 上   講談社文庫 く 52-1
ディーン・R・クーンツ汚辱のゲーム についてのレビュー
No.483:
(10pt)

恋は惚れた方が負け

まさかアイリッシュがこんな悲恋の物語を書こうとは思わなかった。冒頭、別人になりすました若き淑女の登場から、度重なる齟齬から発覚する、花嫁入替りの事実。その事実が発覚すると同時に主人公の巨万の富を持ち出して逃亡する花嫁。復讐の鬼と化した主人公は1年と1ヶ月と1日を費やし、とうとう彼女を捕まえる。しかし、そこで彼女の巧みな話術によって誑かされ、結局彼女とまた2人の生活を始める。それが彼の正に人生の大きな過ちの始まりだった。花嫁の捜索を頼んだ探偵を自ら殺めることで闘争の日々が始まり、拠点を転々とし、ついに私財も底を尽く。彼女に唆されて博打ぺてんを仕掛けたものの、呆気なくばれて、ついに一文無しになり、彼女は昔付き合っていた悪党に手紙を送り、とうとう主人公の保険金殺人を図るのだが・・・とまあ、波乱万丈な物語で特に主人公が復讐を成し得なかった辺りから正に先の読めない展開となり、主人公は人生の落伍者へと、花嫁は希代なる悪女へと転進していく。

この花嫁、ボニーの造型が素晴らしい。時には天使のような、時には状況の犠牲になったか弱い乙女のような、そして時には人生の酸いも甘いも経験し尽くした売女のような女として描かれ、しかもそれが全て違和感なく1人の女性としてイメージが分散しない。特に最後の辺りで主人公に毒殺を図る鬼気迫るやり取りは背筋が凍りつく思いがした。
こういった人物造型含め、心情を暗示させる風景描写、移ろいゆく人々の心情描写がアイリッシュは抜群に上手い。真似をしたい美文・名文の宝庫である。

恋は惚れた方が負けである。それは自分の人生経験でもそうだった。
しかしアイリッシュは最後までその愛を貫くことで人間は変わる、そんな美しくも儚い物語を綴ったのだ。

暗闇へのワルツ (ハヤカワ・ミステリ文庫 ア 3-2)
No.482:
(7pt)

一長一短

5編の長短編が含まれた作品集。
順を追って感想を述べると、まず「ハードシェル」。これはクーンツお得意の異形物サスペンス。

次に「子猫たち」。これは奇妙な味の短編とでも云おうか。正直、最後のオチはよう解りません。

「嵐の夜」はこれまたSF。しかしこれは設定が非常に優れている。ロボットが地球の最高知能生存者として生活する未来。二世紀を寿命として作られているため、非常に頑丈でスリルを味わうのを何よりも欲している。そんなロボット達が従来得ている能力を最小限のものとし、山中へ狩に出た際に遭遇する最強の獣“人間”。自分としてはこれがベスト。

作者お気に入りの「黎明」は実は各評論でも評価が高いもの。思っていたよりも後味がすっきりしなかったせいか、私としてはさほどいいとは思えなかった。

最後は長編『夜の終わりに』の改稿版「チェイス」。最初の事件の発端は読んでいて思い出したが、後の展開はほとんど忘却の彼方にあったので実はどう改稿されたのかが解らない。数ある初期作品の中でこの作品を改稿する物として選んだ動機は最後のあとがきに詳しいが、それを読んでも何故この作品を?という疑問は拭えなかった。

この1~3巻までの『ストレンジ・ハイウェイズ』シリーズはそのヴァラエティに富んだ内容からクーンツの作家の資質が全て凝縮されている、という意図で編まれた物だろうと思うが、私としてはどれも不完全燃焼といった感じ。クーンツはやはり長編作家だと思うがどうだろうか?


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嵐の夜―ストレンジ・ハイウェイズ〈3〉 (扶桑社ミステリー)
No.481:
(4pt)

村瀬作品に救われました

今回は通常の『本格推理』シリーズとはちょっと違い、今まで採用された方々の2作目を纏めたもの。しかし、これがやはり苦しいものだった。
前の『本格推理⑥』の時も書いたが、一番鼻につくのが商業作家でもない人間が勝手に自分で創造した名探偵を恥ずかしげも無く堂々と登場させていること。しかもそういうのに限って内容は乏しい。魅力のない主人公をさも個性的に描いて一人悦に入っているのが行間からもろ滲み出ている。
こういうマスターベーションに付き合うのが非常につらい。もっと応募者は謙虚になるべきだ。

しかし、今回こういった趣向を凝らすことで実力者と単なる本格好き素人との格差が歴然と目の当たりにできたのは非常にいいことだ。現在作家として活躍している柄刀一氏、故北森鴻氏、村瀬継弥氏とその他の応募者の出来が全く違う。
他の方々の作品が単なる推理ゲームの域を脱していないのに対し、この3名の作品は小説になっており、語り口に淀みがない。新本格が現れた時によく酷評された中でのキーワードに「人間が描けてない」という表現がある。しかしこの言葉は真に本格を目指すものにとってはロジックとトリックの完璧なるハーモニーを目指しており、半ば登場人物はそれらを有機的に機能させる駒でしかないと考える者もいるからで非難よりも寧ろほめ言葉として受取ることにもなる。

今回これら素人の作品を読んで、この何ともいえない不快感というか、物足りなさをもっと適切な言葉で云い表せないかと考えていた。その結果、到達したのが「小説になっていない」である。
物語である限り、そこには何かしら人の心に残る物が必要なのだ。それが確かに世界が壊れるような快感をもたらす一大トリックでも構わないし、ロジックでも構わない。
しかしそのトリック、ロジックを一層引き立てるのはやはりそこに至るまでの名探偵役の試行錯誤であり、苦労なのだ。
これが私の云う所の物語なのだ。

今回のアンソロジーでは村瀬氏の「鎧武者の呪い」が最も物語として優れていた。あの、誰もが何だったのだろうと思う、野原に立てられた朽果てた兜のような物が刺さっている棒切れの正体がこんなにも納得のいく形で、しかもある種のノスタルジーを残して解明される、このカタルシスはやはり何物にも変えがたい。これはやはり村瀬氏が小説を、物語を書いているからに他ならないのだ。

今回4ツ星なのはこの村瀬氏の作品による所が大きい。これが無かったらまたも1ツ星だったろう。
頑張れ、本格。頑張れ、ミステリ。
孤島の殺人鬼―本格推理マガジン (光文社文庫)
鮎川哲也孤島の殺人鬼 本格推理マガジン についてのレビュー
No.480:
(1pt)

コミケで売ってください

とうとうシリーズのどん底を見た。今回は全く印象に残らなかった。
小説である以上、物語を読んだ時の何かが心に残っていいものだが、それが無かった。13編もあって1編もそういったものがないというのも困り物。

最も全く記憶に残らないものがあったわけではない。「不思議と出会った夏」、「うちのかみさんの言うことには2」とかトリックが印象に残ったものもある。
しかし今回各作品に共通するのが推理クイズの域を脱していないこと。自分の創造したトリックに酔って、どうだ、すごいだろと云わんばかりである。似たような設定、似たような展開の連続で辟易した。だいたい吹雪の山荘がそうそうあるものではない。
あと鼻につくのが、シリーズ探偵とも云うべき人物を立てている事。正にミステリ作家になれるもんだと高をくくっているような横暴ぶりである。上にも書いた「うちのかみさんの言うことには2」なんて「1」が掲載されていないにもかかわらず「2」と題している辺り、片腹痛い。
また自分の創出した探偵をアナグラムで紹介した作品が2編ぐらいあったが、マスターベーション以外何物でもない。

もはやこれは一般に売るべき本ではなくコミケで売る同人誌に過ぎないのではないか。
本格推理〈6〉悪意の天使たち (光文社文庫)
鮎川哲也本格推理6 悪意の天使たち についてのレビュー
No.479: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

幻は幻のままで

古くは古書店で原書と遭遇した乱歩が、他人が既に購入予定で採り置きしていたものを横取りしてまで読んで、大絶賛した本書。
早川書房のミステリベスト100アンケートで第1位を獲得した本書。
また「『幻の女』を読んでいない者は幸せである。あの素晴らしい想いを堪能できるのだから」と誰かが評するまでの大傑作、『幻の女』。
とうとうこの作品を読む機会に巡り合った。

内容は既に巷間で語られているせいか、特に斬新さを感じる事は無かった。また有名な冒頭の文、「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」に代表されるほどの美文は特に散見されなかったように思う。それはチャンドラーの文体のように酔うような読書ではなくクイクイ読ませる読書だったからだ。
しかし、当初思っていた以上にその内容は趣向を凝らし、読者を飽きさせないような作りになっているのは素晴らしい。

主人公が妻殺しの無実を証明するためにアリバイを立証する幻の女を捜すが、なぜか見つからない。ただこれだけの話かと思ったが、主人公ヘンダースンを取り巻く愛人、無二の親友が当日彼に関わったバーのバーテンダー、劇場の出演者などを執拗に探るが最後の最後で不慮の事故に遭い、徒労に終わること。これは何度となく繰り返されるプロセスなのだが、それぞれがアイデアに富んでいて非常に面白い。特に愛人のキャロルがそれら関係者の口を割らせるために執拗に付き纏う様はどちらが敵役なのか解らなくなるほど、戦慄を感じさせる凄みがあった。
そして死刑執行当日に訪れる驚愕の真相と犯人に仕掛けたトリックの妙。そして世界が崩れる音が聞こえ、理解するのに何度も読み返した。

やはり傑作は傑作であった。
しかし、私的な感想を云えば、最後に幻の女の正体が判る事は、蛇足だったのではないだろうか。幻の女は最後の最後まで幻の女であって欲しかった。
これが正直な感想である。

▼以下、ネタバレ感想
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幻の女〔新訳版〕
ウィリアム・アイリッシュ幻の女 についてのレビュー