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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1426

全1426件 901~920 46/72ページ

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No.526:
(9pt)

あと一歩で傑作

ページを繰る手が止まらないとは正にこのこと。デミルの面目躍如たる本作は一級のエンタテインメント小説だ。上下巻ともに700ページを超える海外小説で1日に100ページ読める小説なんてほとんどなく、このことからもデミルの筆致の冴えが他の作家の追随を許さないものであることが証明される。

しかし、「一級」のエンタテインメントであるが「超一級」のミステリではないことに留意したい。
最初の理由はネタバレ参照。

次にやはりこのデミルという作家は生粋のエンタテインメント作家であり、ミステリ作家ではない、いやミステリ作家にはなれないのだろうなということ。はっきり云ってこの物語は転がし方次第では第1級のミステリに成りえたのだ。
物語の構成として、なぜ若き日のハリールが見舞われたリビア空爆という災禍を第2部という前段で早々と語ってしまったのだろうか?

これはミステリ心ある作家ならば、このハリールというテロリストがアメリカで次々と起こす殺戮を淡々と述べていき、物語の起承転結の「転」の部分でリビア空爆の話を持っていくのではないか。そうすることでハリールの動機の不明さが引き立つし、下巻264ページで第1被害者となった軍人の妻が電話で語る被害者のミッシングリンクの真相、そしてハリールの訪米の目的が一段と戦慄を伴って読者の心中に突き刺さることは確実である。
ハリールの成す個々の殺人ごとにリビア空爆に対するハリールの内なる憤りを語るデミルの筆致を見るとどうしても冒頭に出す必要があったと判断したのかもしれないがこれは語り方の技法に過ぎなく、これを徐々に語ることで読者に徐々に動機を仄めかす事は出来たはずだ―クーンツならばこの手法も間違いなく取るだろう。そういった意味ではデミルはやはりエンタテインメント作家なんだなぁと強く思ってしまった。

しかし本作はデミル作品の中でも抜群の語り口の上手さが存分に発揮されている。読書中、これほど笑い声を上げて笑ったのも珍しい。
今回は特に『プラムアイランド』から引き続いての主役となる皮肉屋コーリーのキャラクタ性が前作よりもさらに磨きがかかったことが特に大きい。作者自身も彼を書くことに大いに愉しんでおり、大量殺戮テロ、暗い情念を抱えた暗殺者の連続殺人劇という重い題材にもかかわらず、コーリーの、ふざけながらも有能ぶりを発揮する仕事ぶり、休み無しでの業務の中でも何と新たな恋人を発掘し、業務中に婚約してしまうという逸脱ぶりに小説全体のムードはかなり陽気だ。
本作についてはデミルの作品をある程度読み通して―もちろん『プラムアイランド』も必ず―読了した上で読む方が魅力・愉悦は増す。それははっきり断言しよう。なぜなら私自身がそうだからだ。
一番最初に手にし、そのときはなかなか乗れず、やはり過去の作品から読もうと決めた当時の判断に間違いはなかった。特に作中に出てくる元KGBのボリスは『チャーム・スクール』の出身だし、コーリーがかつて通っていたイタリアンレストランで起きた発砲事件は『ゴールド・コースト』で語られているし、コーリーが気に入っているトラボルタ主演の映画はまさに『将軍の娘』のことだし、さらに穿った見方をすれば、冒頭の航空機の機内客大量虐殺を語る一連のストーリーは『超音速漂流』へのオマージュだろう。つまり本作はデミルにとっても作家活動の集大成的な意味合いがあるように思える。

だからこそ、先に述べた不満、特に最後の結末については消化不良だという思いが強くするのである。最近のデミル作品に感じるのはこの一歩カタルシスに届かない点。『スペンサーヴィル』の主人公が凄腕の情報員のわりに悪徳警察署長に騙される点、『プラムアイランド』の予想外の展開を見せる事が必ずしも読者の期待を良い意味で裏切っているとは云えない事、そして今回の結末。これらがどうも物語の設定とちぐはぐな印象を与えている。

勿体無い。非常に勿体無い。
でも面白かった。


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王者のゲーム(上) (講談社文庫)
ネルソン・デミル王者のゲーム についてのレビュー
No.525: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

御手洗潔の超人ぶり

収録された全4作品中、純粋にミステリと云える物は「IgE」と「ボストン幽霊絵画事件」の2作で残りの「SIVAD SELIM」と「さらば遠い輝き」は心温まる御手洗サーガのエピソードと云った所か。

「IgE」は実に島田氏らしい作品で御手洗の下に持ち込まれた二つの事件が見事に痴呆症の暴力団会長の殺害計画に結実するといったもの。
声楽の先生が好意を持った女生徒の失踪事件と川崎のファミリーレストランで3回も小児用の便器が壊される事件。これにTVで報じられる目黒の公園の木を切り倒そうとする悪戯事件が加わり、いつもどおりどうやって一つの事件に収束していくのだろうと不安になるが、これもまたいつもどおり無事収束する。島田荘司氏の奇抜な発想がこの作品全てに横溢していてページを繰る手を止まらせなかった。125ページ一気読みだった。

それに比べて「ボストン幽霊絵画事件」はタイトルにある幽霊絵画が全128ページ中100ページあたりで出てくるものだからタイトルと内容に違和感がずっとあって内容にのめり込めなかった。また外国を舞台にしたことで島田氏やたらカタカナ名を使い、しかも通常日本語に訳せる単語までがカタカナときてるものだから外国のミステリ以上にカタカナが多くて読みにくかったのも大きな一因だった。
これは松崎レオナのエピソードを扱った「さらば遠い輝き」でも同じで、島田氏はどうも外国を扱うと必要以上に外国を意識するのか、カタカナ表記が多くなり、物語のスピード感を削ぐ傾向にある。かつての電報がカタカナ表記で読みにくかったことに対し、現在では漢字まじりのひらがなに改善されたことを知らないわけではあるまいに、なぜ島田氏は変な気を回すのだろうか?
またこの作品については最後のオチに冒頭の看板狙撃事件の真相を持ってきたところにも不満がある。この真相は私のみならず、大方のミステリ読者には容易に予想できるものではないだろうか?これを物語のファイナル・ストライクに持ってくるのは、ちょっと自信過剰すぎないか?

残りの2作品について。
「SIVAD SELIM」は読書中、題名の意味が判ってしまったため、導入部の出来事から結末までが一気に解ってしまった。かといって物語の面白さが損なわれたわけではなく、私の好きな音楽を扱ったストーリーだったのでものすごく面白く読めた。御手洗が彼と友達だというのはあまりにも出来過ぎだなとは思うが、一種の夢物語と考えれば、それもまた一興。作者の夢が詰まった作品だ。
「さらば遠い輝き」は海外、今回はスウェーデンで活躍する御手洗の近況を交えたレオナの一夜の出来事を語ったもの。中で触れられる『異邦の騎士』のエピソードはかつて当作品を読んだ時の熱い思いを思い出させてくれたが、レオナの御手洗への未練を切なく描き、後味はなんともメランコリック。

総じて今回の作品は前半は無類に面白かったものの、後半は特にカタカナ表記の読みにくさが目に付き、ページを繰る手にブレーキがかかったのは事実。
しかし、御手洗の超人ぶりはちょっと理想を詰め込みすぎの感がする。
御手洗フリークの期待に応えるべく島田氏はちょっと道を踏み外してはいないだろうか。杞憂であればいいのだが。



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御手洗潔のメロディ (講談社文庫)
島田荘司御手洗潔のメロディ についてのレビュー
No.524:
(5pt)

怪奇小説というよりも残酷小説?

前2集に比べると質は落ちるか。
今振り返ると各短編集にはそれぞれテーマがあったように思う。
第1集は人肉趣味・エログロ趣味、第2集は皮肉な結末。
で、第3集はと云えば、双子物かとも思ったが、全体を通してみると双子物はさほど多くはなく、一貫してのテーマでは無かったように思う。

印象に残ったのは「生きている腸」と「墓地」と「壁の中の女」ぐらいか。
「生きている腸」はなんといっても死者から取り出したばかりの腸が生きているというアイデアがすごく、これがやがて一個の生物として動き出すという奇想を大いに評価したい。最後のオチに至る仕掛けは盆百だが、このアイデアだけで価値がある。
「墓地」はショートショートぐらいの小品だが、最後まで自分の死を信じない男の独白が結構シュールで好みである。
「壁の中の女」はネタバレ参照。

逆に不満が残ったものをあげていくと・・・。
まず「皺の手」。物語の軸が定まらず、失敗作だと思う。たぶん作者は青髭譚を書こうと思ったのだろうと思えるのだが、あの発端からなぜあのような手首を愛好するような奇妙な話に終わったのかが疑問。
「抱茗荷の説」も坂東真砂子氏を思わせる土俗的ホラーだが詰め込みすぎ。30ページで語るべき話ではないと思う。記憶の断絶が多すぎてちょっとわからなかった。
「嫋指」は乱歩の弟による作品。文章が読みにくく、独りよがりに過ぎる。

やっぱり第2集が一番面白かった。
怪奇小説というよりも残酷小説集の感が最後まで残った。鮎川氏の怪奇小説に対する考え方は前時代的だったと証明したに過ぎない選集だったのではないか。


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怪奇探偵小説集〈3〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集3 についてのレビュー
No.523:
(7pt)

光原氏、石持氏の応募作が入った貴重な一冊

このシリーズが始まった当初は本格ミステリに耽溺していたのでトリックやロジックの方ばかりに興味は向いていたが、もうこの歳にもなると、トリック・ロジックはもとより推理「小説」としての物語の部分を重視するようになった。そしてそれら物語に熟成したワインのような味わいをもたらせるのはなんといっても文章の力である。

今回はその文章力が非常に際立ったものがあった。全13編中、もっとも優れていたのはやはり現在作家として活躍している光原百合氏と石持浅海氏の2名の作品だった。これら「消えた指輪(ミッシング・リング)」と「地雷原突破」は文章のみならず物語としてもしっかりとしており、本格ミステリが奇想天外なトリックのみに支えられているのではないことを見事に証明してみせた。
光原氏の作品は所謂「日常の謎系」の作品でこの同趣向の作品である「僕の友人」、「店内消失」の中でも最も印象に残った。トリックの奇抜さは「店内消失」がこの3作品の中で最も大掛かりだが、読書中の愉悦、読後の余韻も含めてやはりダントツである(「僕の友人」は素人の拙い筆運びがそのまま出ている感じで、読んでいる最中に真相が見え隠れし、謎を謎として保てていないし、「店内消失」は架空の電話ボックスを設えるのはナイスアイデアだが、いささか懲りすぎ。)。
今回のベストはやはり石持氏の作品である。何百個とある音響地雷の中のたった1つの本物の地雷をどうやって犯人は踏ませることが出来たのか?このように事件の状況も他作者と違い、大人の小説とでも云おうか、レベルが1つ抜きん出ている。淡々としたやり取りで繰り広げられる推理劇は渋かった。

その他特に印象に残ったのを列記するとまず「南の島の殺人」。
次に「閉じ込められた男」。これは本書の冒頭を飾る1編で真相解明のヒント―寒い日でしかも停電だったのになぜ閉じ込められた男は布団に包まなかったのか―はツイストが効いてていい。ただ34歳のキャリアウーマンが無類の大きなぬいぐるみ好きという設定はトリックのために設えた人物設定というのが見え見えでちょっとあざとい。
それと「ホームにて」。よくある駅のプラットホームでの轢殺事故を殺人だと見破るのに回送列車を使用したのがミソ。この3編くらいか。


今回はなんと云っても光原氏、石持氏の作品に尽きる。これを読んで改めて彼らの作品を読もうと思った。明日の本格はここにあるといっても過言ではないだろう。


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本格推理〈12〉盤上の散歩者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理12 盤上の散歩者たち についてのレビュー
No.522:
(7pt)

どうやら耐性が出来たみたい

耕平&来夢シリーズの第3弾。
今回は最初から怪物が続々と出てきたり、魔術が繰り広げられたり、また耕平も目覚めた力、「物体引き寄せ」を連発したりとファンタジー色をかなり前面に押し出しているのでバランスが前2作よりもよかったように思う。なんせ前2作は耕平のまだ小学生の美少女、来夢にのめり込みすぎてロリコン色が強く感じたのにどうしても同調できなかったし、歪んだ権力を翳す連中が魔力を行使するというのも漫画じみていたし、また一見青春物のような色合いを見せるストーリー展開に不意に入ってくる魑魅魍魎の出現や異世界へのリープが非常に心地悪かった。まあ3作目にして当方が慣れたというのも大いにあるだろう。

田中氏の文体も『銀英伝』や『創竜伝』のそれとは程遠いものの、水準はクリアしている。が、しかし比喩に以前も使われたモチーフを持ち出すのはちょっと空想の引き出しの枯渇を思わせる(「纐纈城」の例えはもういいって!!)。

次作『春の魔術』でシリーズは最後らしいがこれほど待ち遠しくないシリーズも珍しい。

白い迷宮 (講談社文庫)
田中芳樹白い迷宮 についてのレビュー
No.521:
(7pt)

スピード感溢れ、クイクイ進みますが…

落ちてきた漆喰壁を頭に受けたタウンゼントはその日、いつものように家に帰宅するが、管理人の驚きの表情が待っていた。管理人曰くは、もう3年も前に引越したのだという。不思議な気持ちで引越し先を訪れた彼を待ちうけていたのは妻の驚くべき言葉だった。実は彼は3年前に妻の下から失踪していたというのだ。半信半疑のうち、元の生活に戻り、勤務先に復帰したが、彼の帰りを付き纏う謎の影の存在を知る。あまつさえ銃口すら向ける謎の男はやがて彼の塒をつきとめ、襲撃する。執拗な追撃から辛くも逃げ切った彼は妻を実家に帰し、見知らぬ過去と対峙する決意を固めるのであった。

どうだろう、この導入部!アイリッシュならではのサスペンス溢れる設定ではなかろうか。
今回は叙情性よりもスピード感を重視した構成で、アイリッシュ特有の短編を連ねたような追撃劇、殺人劇は成りを潜め、謎の究明に着実に一歩一歩前進していく。だから200ページ足らずの長編にしては話の起伏は濃いのだ。冒頭に掲げた梗概は60ページ足らずの部分でしかない。現在の作家ならば、これだけで800ページ上下巻作品の上巻のラストまでに達するだろう。今回はこの展開の早さのおかげでページを繰る手がもどかしいほどだった。

裏に隠れた事件についてはアイリッシュらしからぬトリックの施されたもので、ちょっと驚いた。しかし縺れた糸を1本1本振り解いていくような筆致はサスペンスの王様の面目躍如といったところで緊張感が持続してよかった。


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黒いカーテン (創元推理文庫 120-1)
ウィリアム・アイリッシュ黒いカーテン についてのレビュー
No.520:
(8pt)

エンタテインメントと本格ミステリの小説作法の違い

ニューヨーク州の北東に浮かぶプラムアイランド。そこは動物疫病研究所の島、つまり細菌研究の島だった。折りしもそのプラムアイランドで働く研究所員夫婦がノーフォークの自宅で殺害される事件が発生する。細菌兵器の持ち出しが真っ先に疑われ、明日にも人類滅亡の危機が訪れるかもしれなかった。捜査で負った傷の療養でノーフォークに滞在していたニューヨーク市警殺人課の刑事ジョン・コーリーはこの夫婦と親しかったこともあり、地元警察署のマックスから捜査の協力を依頼されるのだった…。

デミルの筆致は今回も絶好調で、その勢いはいささかも衰えも見せない。皮肉屋ジョン・コーリーの斜に構えた態度も『将軍の娘』のブレナーを髣髴とさせる好漢である。
パートナーのベス・ペンローズは真面目を絵に描いたような刑事で女性的魅力に欠けていた。どうせジョンのペースに乗せられてラヴ・シーンの1つや2つ演じることになるのだろうと思っていたがこの予想は外れ、ラヴ・アフェアは無く、代わりに途中で登場する地元の歴史協会の会長を務めるエマがジョンの相手となる。

このエマの造詣が素晴らしい。歴史協会の会長がスレンダー美人でしかも恋多き女だったという設定は正に意表を突かれた。このエマの登場で物語に活力が与えられ、彩りが加えられたように思う。

さて、筆致は申し分なく、物語の展開もスピーディーかつ起伏に富んでおり、しかもハリケーンの最中のボート・チェイスシーンもあり、アクションシーンも迫力があり、正に云うところなし、と云いたい所だが実は自分の中ではどうも納得しきれないものがある。
細菌兵器を作り出しているのではないかと噂される研究所プラムアイランドというモチーフを設け、そこに勤める研究所員の殺害で大量殺害できる細菌の国外流出を示唆し、FBI、CIAの介入による妨害もありながら、それらが物語の前半で解決し、後半の早々で実はキャプテン・キッドの宝にあるのだという事件の真相を明かすあたり、デミルの小説作法に疑問がある。私ならば最後まで細菌の流出疑惑を持たせつつ、最後の犯人との対決で実は狙っていたのはキャプテン・キッドの宝なのだと明かすだろう。そっちの方が物語の緊張感も持続させ、最後のあっと驚く真相というインパクトも強いのだと思うのだ。しかしデミルはそうせず、隠れた真相を明かし、そこから犯人を追い詰める手法を取る。あくまでミステリ小説ではなくエンタテインメント小説の設定で物語を進めるのだ。これは好みの問題だといえばそれまでだが、やはり後者ではあの展開に不満が残る(ネタバレに詳述)。

とはいえ、読書中は至福の時間を過ごさせてくれた。上の不満はデミルだからこその高い要求をしてしまう結果なのだ。



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プラムアイランド 下  文春文庫 テ 6-13
ネルソン・デミルプラムアイランド についてのレビュー
No.519:
(8pt)

皮肉な結末と理解できないことの怖さ

前作はエログロ趣味の作品が多かったような印象があり、正直、途中で辟易したが、今回はその傾向は減じられており、「皮肉な結末」ものとでも云おうか、ちょっとしたスパイスを加えたものが多かった。収められた作品について傾向別に以下に述べていこう。

第1集によく見られたエログロ趣味・フリーク趣味の作品は今作品集では乱歩の「踊る一寸法師」、「赤い首の絵」ぐらいしかなかった。
前者を読むのは2回目だが、乱歩はやはり乱歩であるという認識を強くした次第。後者は剥ぎ取った顔を使って整形した女の執念を描いた作品で、ちょっと趣味じゃなかった。

皮肉な結末とでも云うべき一捻り加えた結末を備えた作品は「悪戯」、「決闘」、「魔像」の3作。
ポーの「黒猫」のオマージュとも云うべき「悪戯」、最後に泥沼の略奪愛劇が一大詐欺事件に変わる「決闘」、最後はありきたりだが、個展に必要な最後の写真のおぞましさが怖くていい「魔像」。これらはどれも出来はよく、好感が持てた。「決闘」は怪奇小説ではないかも?

幻想味が強く、観念的な趣向の作品は「幻のメリーゴーランド」、「壁の中の男」、「喉」、「蛞蝓妄想譜」。
この中では「壁の中の男」が今になってみると怖く感じる。かつての自分の恋人と同棲した親友を祝福するために最後の命の灯火を全て投じ、自分でデザインした家をプレゼントするがそれが恋人の気持ちを引き戻すことになり、嫉妬に狂う親友は恋人を殺してしまうという話だが、この建築家の体育会系の爽やかな口調、竹を割ったような性格が後に及ぼす悲劇から考えると、それと感じさせない悪意が秘められているようであとでゾクッとした。このカテゴリーでは他に比べると一番レベルが低いように思い、他の3作品は語るに及ばざるといった感じ。

純然たる怪異譚は「底無沼」、「葦」、「逗子物語」。
この中では短編集の末尾を飾る「逗子物語」が秀逸。趣向で云えば使い古された幽霊譚であるが、文章が格段に素晴らしいため、描写に寒気を感じさせる力があり、読んでいる最中に背筋が寒くなった。しかし、もっとも優れているのは最後の最後で幽霊に救いの手が差し伸べられるところ。逃げるように逗子を発つ主人公に付き纏う子供の幽霊。それに対し、あんな優しい言葉をかけるとは。本当にいい意味で裏切られ、胸を熱くした。また淡々とした文体が雨中の出来事を語る「底無沼」もいい。「葦」は素人が書いたような敬体と常体が入り混じった文章に最初は嫌悪を示したが、ありきたりながらも最後では少し感動した。結構このカテゴリーはレベルが高かった。

最後は奇妙な味とでも云うべき作品。「恋人を喰べる話」、「父を失う話」、「霧の夜」、「眠り男羅次郎」の4編。
「恋人を喰べる話」はまた人喰ものかと思ったがさにあらず、殺した恋人を埋めた庭から生えた無花果の実を恋人の血肉として食する、観念的だがストレートではないところに好感が持てた。「霧の夜」は昔小さい頃に読んだ怖い話に似ている。「眠り男羅次郎」は羅次郎という男が常人とは違うスピードの世界で生きているという設定が特殊。このアイデアから誰にも見えない衆人環視の中での殺人事件を描いた。

そして本作品集でもっとも怖かったのが「父を失う話」。文字通り突然父がいなくなる話なのだが、わずか7ページで繰り広げられるある日の出来事。その内容はネタバレにて。

こう並べてみると第1集に比べ、格段にヴァラエティに富んでいるのが判る。しかもレベルも高いものがそろっており、粒ぞろいといってもいいだろう。
あと残るは第3集のみ。さてどんな物語を読ませてくれるのだろうか。


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怪奇探偵小説集〈2〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集2 についてのレビュー
No.518:
(7pt)

昔の怪奇の定義とは?

戦前・戦後の探偵作家の怪奇短編を集めたもの。とはいえ、怪奇に対する考え方が現在と当時では明らかに違う。
現在では怪奇とは「何か説明のつかないもの・こと」であり、必ずしも怪異の正体や原因が明かされるわけではなく、むしろ怪奇現象の只中に放り出された形で終わるのに対し、この作品が収められている昭和初期では怪奇とは「恐ろしいもの・こと」や「途轍もなく気味悪いもの」であり、怪奇の正体をセンセーショナルに描く。粘着質の文体で以って執拗なまでにイメージを喚起させる手法が取られている。当時流行ったフリーク・ショーといった見世物小屋の舞台裏に光を当てて怪奇の正体を眼前に見せ付ける、これが現在の怪奇と決定的に異なるところだ。これはこの短編集の名前が怪奇「探偵」小説と銘打たれているからで、「探偵」と名のつく限りはその怪奇現象の謎は解かれなければならない。ほとんどが最後に論理的に怪奇が解決されていたのが特徴的だ。

18編の中には人食、死体愛好もしくは死体玩具主義、殺人願望、異常性欲など江戸川乱歩ばりの変態嗜好を扱った作品が並ぶ。秀逸だったのは「悪魔の舌」、「地図にない街」、「謎の女」の3編か。
「地図にない街」は都会に棲む乞食の世界をベースにある老人の企みを描くアイデアが良く、「謎の女」は平林初之輔の未完原稿を若き日の井上靖である冬木荒之輔が完成させたものだが、この冬木が創作した部分がこの作品の質を高めているのは誰もが認めることだろう。平林のパートでは単に逗留先で知り合った女と突然、東京で仮の夫婦生活をするという設定のみだったのを、冬木のパートではその設定を女の異常な性嗜好から起こる惨劇への序章へ結びつける力技に感服した。
しかしもっともよかったのは「悪魔の舌」。悪食及び人喰嗜好の描写の生々しさはもとより、それに加えてを最後の驚愕の真相を用意していたのが素晴らしい。伏線も活きており、この1編がこの短編集の牽引力を担っていたのは確か。

各編においては最後のオチが三流落語咄の域を脱していないものがあるのも事実で、「怪奇製造人」、「乳母車」、「幽霊妻」などがそれらに当たる。
また最後のオチが誰々の創作だったというのも目立った。
全作品を通じて思ったのは、これらは怪奇小説集というよりも残酷小説集の方が正鵠を射ている事。玉石混交の短編集だが、なぜか妙に惹きつけられた。②巻、③巻も愉しみだ。

怪奇探偵小説集〈1〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集1 についてのレビュー
No.517:
(4pt)

未読短編をみすみす見逃すわけにはいかなくて

東京創元社のドイル・コレクション第一集。
第一集に「王冠とダイヤモンド」、「まだらの紐」の2つの戯曲を冒頭に持ってくるあたり、かなりの冒険だが、試みとしては成功していない。これを純粋に愉しめるのは恐らく生粋のシャーロッキアンだけではなかろうか。戯曲はやはり芝居で観るから愉しいのであって、これをシナリオで読んで愉しめるのは彼らか好事家しかいないだろう。実はこの本を購入するのをずっと躊躇っていたのがこの戯曲が原因だった。
購入の動機となったのはコレクション第二集に収められた未読短編に触発されたからで本書も短編集未収録作品である「競技場バザー」、「ワトスンの推理法修業」、「ジェレミー伯父の家」、「田園の恐怖」を読むために他ならない。

既読の「消えた臨時列車」、「時計だらけの男」はほとんど内容を忘れており、新鮮な気持ちで読めた。前者は二人の男を乗せた臨時列車が目的地に着く前に消失するというもので、その事件が当時世間を騒がせていたフランス政府の醜聞に大きく関わっていたという構成は現在でも十分読むに値する設定だし、島田荘司氏の原点を見たような気がした。
後者は列車に駆け込み乗車をしたカップルと隣にいた男が途中で消失し、残っていたのは見知らぬ男の死体だったという事件の背景に隠れた人間模様を描いた作品。ホームズ物の長編に見られる事件解決後の事件に至る経緯を語る中篇のような話でドイルお得意のパターン。

こうして読むと第二集でもそうだが、ドイルは事件の故人や真犯人の手記で語らせるパターンが非常に多い。短編はほとんどがこの趣向である。量産作家であったが故のワンパターンに陥っていたのかもしれない。
ともあれ、コレクション中最も魅力のなかった第一集がこれで読了したので今後はまだ見ぬ傑作に巡り合う事を大いに期待したい。


▼以下、ネタバレ感想
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まだらの紐 ドイル傑作集 1 創元推理文庫
アーサー・コナン・ドイルまだらの紐 についてのレビュー
No.516:
(3pt)

どういう世界観で読むべきなのか?

なんとも評し難い作品だ。
ジャンルとしてはやはり夢枕獏氏のような伝奇に物になるのだろうか。

大学生と小学生の美少女という取合せがストーリーに潤いを与えるのならまだしも、どう考えてもロリコン大学生とありえないほど純粋な小学生との信頼関係には無理を感じる。魔力を備えたアイドル歌手やその父親が政財界のドンでしかも魔人というベタな設定に加え、ひょんなことから異世界に行き、その世界で出遭うのは二本足で歩く獣人や巨大カタツムリだったりと物語のベクトルが無秩序で理解に苦しむ。

主人公が守る美少女は熾天使の化身だという設定はまだ許せるものの、パラレルワールドにも行ってしまうという闇鍋のような設定にはノレなかった。菊池秀行氏のようにいっそ異世界に設定して物語を進める方がこちらもスイッチを切り換えて物語世界に埋没できるのだが。
作者が何を読者に仕掛けたいのか、読み取れなかった。

窓辺には夜の歌 (講談社文庫)
田中芳樹窓辺には夜の歌 についてのレビュー
No.515:
(3pt)

罵倒しているのは作品自身?

作りが荒っぽい。全てが中の上のサブキャラみたいな存在である。
結局主人公は何もしない―せいぜい、罵倒するぐらい―で悪役は勝手に倒れるしで、まるでクーンツの2級作品のようなお話だった。

最後の、耕平が和彦を罵倒する内容、「何もかも借り物」、「どれもこれも、できそこない」、「つぎはぎだらけ」は、実は作者がこの作品の最後に感じた感想そのままではなかっただろうか?
夏の魔術 (講談社文庫)
田中芳樹夏の魔術 についてのレビュー
No.514:
(10pt)

必読の傑作として強く勧めたい

素直に傑作と認めたい。

次から次に主人公を襲う危難や事故の原因を作った空軍の対応はもとより、自社のミスで事故が起こったであろうと憶測するがゆえに人道的手段よりも会社の損益を天秤にかけ、旅客機が帰着したときに起こるであろう脳挫傷被害者への保険負担、アマチュアパイロットがジャンボ機を操縦している事実から推測されるサンフランシスコ市街への被害に対する賠償金などを算盤に掛けて自社のジャンボ機の墜落を願う会社重役、それと対極を成すアメリカの正義を象徴するような絵に描いたヒーローとなるような筆頭パイロット、不撓不屈の精神で困難に立ち向かう主人公などハリウッド映画好みの人物設定が眼前としてあるのは否めないし、また彼らがこういったパニックストーリーにそれぞれ有機的に機能するように計算された配置を成されているのも盤上の将棋の駒のような動きをしているような感じもするが、これほど読者を楽しませるのにあれやこれやと試練を畳み掛け、葛藤する人間ドラマを盛り込んでいるのは正直素晴らしい。亜宇宙空間での事故に関する良質なシミュレーション小説としても評価は高いだろう。

なんせ今回ほどストーリー紹介の不要な小説も珍しい。最高水準のジャンボジェット機が空軍の訓練ミサイルのミスショットにより風穴を空けたまま、素人パイロットの操縦でサンフランシスコへの帰還を目指す。
このたった2行で十分だ。おそらく今後この小説のストーリーは忘れないだろう。久々ページを繰る手がもどかしい小説を読んだ。

しかしこれがデミルの小説であるとは恐らく思わないだろう。デミル特有のワイズクラックがここではそれほど強調されておらず、文学的風味も抹消され、小説のムードとしてはやはりパニック小説に徹しており、余計な挿話は挟まれていない。デミル一人ではここまで贅肉を削ぎ落としたストーリー展開はなかったろう。
当時トマス・ブロックがビッグ・ネームだったのかは寡聞にして知らないがなぜデミルの名が表出しなかったのか、すごく気になるところである。

超音速漂流 (文春文庫)
No.513:
(4pt)

ちょっと古めかしいのは否めない

ドイルのホームズ物でない短編集。東京創元社はドイル・コレクションと銘打ってシリーズで5集刊行した。これはその第2集。
収録作品のうち、「大空の恐怖」、「北極星号の船長」、「樽工場の怪」、「青の洞窟の恐怖」、「革の漏斗」は新潮文庫の『ドイル傑作選』シリーズで既読だが、その他6編は未読作品で今回購入の動機となったのもこれらが気になったため。

今回収められた作品は大きく分けて3つに大別できると思う。①「怪物譚」と②「超常現象物」と③「奇妙な味物」。①は初めの方に収められている「大空の恐怖」、「北極星号の船長」、「樽工場の怪」、「青の洞窟の恐怖」の4編が該当し、②は「革の漏斗」、「銀の斧」、「ヴェールの向こう」、「火あそび」、「寄生体」の4編、③は「深き淵より」、「いかにしてそれは起こったか」、「ジョン・バリントン・カウルズ」の3編が当たる。
①はそれぞれ高空領域、北極、未開の島、洞窟と未知の領域が多く潜んでいた時代において誰も見たことのない怪物が潜んでいる、誰も遭遇したことのない奇怪な現象に囚われるといった古式ゆかしい形式のお話。②は過去の因縁がを宿した物や降霊会によって起こる奇怪な現象といった内容でこれも特に目新しいものでもない。③は偶然によって起こる出来事や皮肉な結末、悪女譚といった理屈を超越した話。これも19世紀ごろでは斬新だったのだろうが、今となっては・・・という域を脱していない。

総合的に判断すると、一昔前の怪奇短編集と評せざるを得ない。個人的には最後に読んだ「寄生体」が興味本位でかけられた催眠術が次第に主人公の主体性を乗っ取られていく様子をつぶさに語っており、現代にも通じる怖さを持っていると感じた。特にラストの主人公が催眠術師を殺害しに行ったときに当人が既に亡くなっていたこと、道中、教授仲間の一人とすれ違ったことが色々な想像を巡らさせられ、手法としても優れていたように思う。
またホームズ物がワトスンの手記であるように基本的にこれらの短編もドイルは誰かの手記、日記といった一人称記述物の体裁を取っており、おそらく作者自身、これが作品にリアリティをもたらすものだと考えているようだ。確かにクライマックスまで徐々に徐々に盛り上げていく効果はある。

今回の短編集シリーズは多分にコレクターズ・アイテムになるであろうが、まあ、「五十年後」といった優れた作品もあることだし、ドイル作品コンプリートの一環としてこれから付き合っていこう。

北極星号の船長 <ドイル傑作集2> (創元推理文庫)
No.512: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

幻を掘り起こしては見たものの…

今回収められた作品は4編。目玉は表題作の「鯉沼家の悲劇」、横溝正史の未完短編を岡田鯱彦、岡村雄輔がそれぞれ補完させた「病院横丁の首縊りの家」、そして狩久氏の短編「見えない足跡」「共犯者」の2編。

「鯉沼家の悲劇」は序盤、田舎の旧家の因縁めいた話が訥々と語られる辺り、横溝正史作品を髣髴させ、むごたらしい悲劇の幕開けを今か今かと忸怩たる思いで焦らされたが、最初の殺人があってからあれよあれよとこちらが推理する暇を与えずに鯉沼家の人々が次々と死んでいき、解決も呆気なく、ぽかんとしてる間に終わってしまい、いささか消化不良。恐らく作者は当初並々ならぬ決意で作品を著そうと思っていたのだが、最後の方で枚数制限のため、駆け足で物語を閉じてしまった、もしくはなかなか進まぬストーリー展開に作者自身が飽きてしまったために力業で結末まで持っていったのかのどちらかで作品を終わらせてしまったのだろう。

狩氏の短編は今となってはもはやヴァリエーションの1つに過ぎないもの。両編のメイントリックはどちらも平凡なものだったが「見えない足跡」は最後に探偵役の推理が二重構造になっていたのが救い。「共犯者」は真相を知った後のまゆりの行動に力点が置かれていたが、古さは否めなかった。

結論を云えば、前作の「硝子の家」がそれぞれ強烈な光を放つ作品だったの対し、今回は小粒だった。やっぱり「幻の名作」というものはそうあるものではないのだろう。



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鯉沼家の悲劇―本格推理マガジン 特集・幻の名作 (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也鯉沼家の悲劇 本格推理マガジン についてのレビュー
No.511:
(7pt)

主人公は一体強いんだか弱いんだか

世間一般では「デミルのハーレクインノベル」と評されている一種の恋愛物。退役軍人として故郷スペンサーヴィルに帰ったキースとかつての恋人アニーとの変わらぬ愛情とそれを陰湿な嫌がらせで阻む彼女の夫、狂気の悪徳警察署長バクスターとの戦い。
今回は物語としては非常にシンプルである。この単純な図式ゆえに上下巻各400ページも費やす事に冗長さを感じたのだ。

まずキースとアニーとの邂逅までが長い。優秀な国家安全保障会議の一員まで務めた退役軍人キースが、昔の恋人と逢うまでに他人の眼を気にしすぎてウジウジ独白を繰り返す日々が訥々と綴られるのが、情けなく感じた。そしてあくまで悪人であるバクスターに対してストイックに負け犬根性的な対応をするのにも軍隊にいたときの凄腕ぶりとは対照的であるし、一度ワシントンに呼ばれるのも物語のエピソードとしては必要だったがあまりにも長く悪戯にページ数を稼いでいるようにしか思えなかった。
さらにアニーとの駆け落ちに関しても逃亡経路やホテルの泊まり方、自車の隠し方など軍人時代の経験を基に微に入り細を穿つような慎重ぶりを発揮するのにもかかわらず、呆気なくバクスターの取り付けた発信機で不意打ちを食らうなど、元栄え抜きの軍人ならそのくらい調べとけよッ!と思わず突っ込みを入れたくなった。キースという人物の設定に対してあまりにアンバランスなストーリー展開なのだ。
またバクスターの、妻に対する歪んだ愛情も、虚勢張りの小心者という設定までは納得できるものの、片や数々の修羅場を潜り抜けてきた軍人を相手に先手先手を取ったり、キース以上に勘が鋭いといったところなどもやはり人物設定とストーリー展開とが融合していないという印象を受けた。

以上述べたように今回はバランスの悪さが目立ち、結構批判的な眼で読んでいたのだが、最後の、キースのアニー奪還劇はかの『チャーム・スクール』を髣髴させる緊迫感をもたらしてくれ、カタルシスも得られた。7ツ星謹呈というよりも8ツ星までは届かないというのが正直な感想だ。

さて、前回気付いたトゥロー作品の特徴がデミルにもあるのかという話だが、これは五分五分だといったところか。トゥローの決めゼリフは正に小説向けのセリフで華やかさをまとっているがデミルは短いセリフで物語の継続を促すセリフであり、章の引き締めというよりも次章への触媒となっている。だからトゥローの場合は各章の最後のセリフが心に刻まれるがデミルはあまり気付かされなかった。
どちらも文巧者だが、比べてみるとこのように結構違いがあるのが解り、これもまた発見だった。



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スペンサーヴィル〈上〉 (文春文庫)
ネルソン・デミルスペンサーヴィル についてのレビュー
No.510:
(8pt)

キンドル郡を楽しく歩く

トゥローの描く架空の郡、キンドル郡を舞台にしたリーガルサスペンスは過去に登場した弁護士、判事、検事らが重層的に混在して登場し、さながら一大サーガを展開しているようだ。主役が各作品で違うため、それら主人公達から描かれるレギュラー出演者も各々の主観が入り、面白い。その描写は第1作から終始一貫して登場人物らの性格は変えず、違和感なく物語に入り込めるのがトゥローの素晴らしい所だ。
特にサンディ・スターンは今までのシリーズ全てに顔を出しており、自叙伝『ハーヴァード・ロー・スクール』に彼のモデルになる人物(名前もそのまま)を作者は高く評価していることからこのキンドル郡サーガにおいてなくてはならない人物だと捉えているようだ。

今回はキンドル郡の法曹界に蔓延る贈収賄事件の一斉摘発がテーマ。贈収賄に関わる判事ら、特に首席裁判官であるブレンダン・トゥーイを摘発せんとセネット判事はその中心人物の一人、ロビー・フェヴァー弁護士を囮としてFBI捜査官と共に手練手管を使って証拠を掴み、容疑者の連鎖の綱からトゥーイを捕まえようと企む。FBIのハイテク機器を駆使して判事らの証言を取得する中、実はロビーが無免許弁護士だったと判明する。捜査も大詰めの中、セネットは不退転の決意で捜査の続行を決意するのだが...。

主人公は題名にもあるとおり、囮となる弁護士ロビー。プレイボーイで口達者な一筋縄でいかない曲者弁護士として描かれるが、彼の根底にあるのはルー・ゲーリック病に冒され、日々衰弱していく妻ロレインへの愛だった。プレイボーイである彼が妻への献身のため、FBIの囮となる事を了承する、一見ありえない設定だが、これをトゥローは実に説得力豊かに描いていく。特にロビーの秘書として付き添うFBI女捜査官イーヴォンの眼を通して幾度となく語られるロビーの妻の看病シーンはとてもこの物語のサイド・ストーリーとは思えぬほどの濃密さである。
実際、今回の登場人物で最も印象に残るのは捜査の中心人物セネットでもなく、囮弁護士のロビーでもなく、また時に狂言回しとして使われるイーヴォンでもなく、このロレインだった。特にロレインがイーヴォンに語る、ロビーへの愛。これが綺麗事ではなく、寝たきりの身でさえロビーの体が欲しくて堪らないという動物的本能の吐露だというのが実に激しく胸を打つ。本当の夫婦とはこれほどまでに愛や肉欲が深いのかと感嘆した。最後の幕引きもやはり夫への愛に満ち足りている。恐らくロレインの眼には笑顔で手を差し伸べるロビーの姿が映ったことだろう。

2つ星を減点にしたのには二つ理由がある。まずイーヴォンの性格にあまり感情移入出来なかった事。頑固な禁欲主義者という設定から隠れレズビアンだったという移行はあるものの最後まで魅力を感じなかった。嫌っていたロビーに徐々に心を開いていくのは寧ろ物語の常道であるから特に語る事はない。
もう一つはロビーが無免許弁護士だったという設定。これは捜査の致命的な打撃になったがその後、これによって捜査が大幅に沈滞する事も無かった。何故この設定を持ってきたのか納得いかない。物語の起伏を持たせる因子としてはあざとく、寧ろ不要だったのではなかったのだろうか?

さて、今回気付いたトゥロー作品の特徴がある。それは各章の終わりを決めゼリフで括る事。これが非常に効果的で、物語を段階的に引き締め、心に印象を強く残すのだ。さらに登場人物に決めゼリフを云わせることで徐々に彼らの性格付けを読者の心に浸透させていくのだ。もしかしたらデミルもそうかもしれない。注意して読んでみよう。

書きたい事は実はまだまだ沢山ある。セネットという人物の、正義を旗印にかかげているのならば何でもしてもよいといった倣岸な性格付けの見事さ、クラザーズ判事を化け物じみた威厳の持ち主として設定したことでこの物語への介入が更に深まった事、贈賄の証拠を掴むまでの数々の駆け引きはアイリッシュの長編を髣髴させるそれ自体が1つの短編のようである事などなど。しかしこういう濃厚な作品を十全に語る事は非常に難しい。ここに書かれない千にも渡る数々の感想は胸に秘めておこう。

後に出た『死刑判決』を先に読んだ御蔭でジリアン・サリヴァンという人物を実に深く心にとどめることが出来た。今回では単なる贈賄事件に関わった判事の一人としてしか描かれず、登場人物表にも載っていない。もし先にこの作品を読んでいたら『死刑判決』でのサリヴァンの復活は再度想起させられる事はなかっただろう。
トゥロー作品は刊行順に読む必要はない。いや寧ろ、最新作から第1作へ遡って読む方がキンドル郡を愉しく歩けるのかもしれない。

囮弁護士〈上〉 (文春文庫)
スコット・トゥロー囮弁護士 についてのレビュー
No.509:
(7pt)

打率ならば大記録

打率は5割といったところ。野球の記録ならば大記録だろうが、アンソロジーでは上のような点数になる。

今回の作品の中では「キャンプでの出来事」と「暗い箱の中で」が良かった。前者はキャンプに同行した友人が遠く離れた人にメッセージを伝えるといった稚気溢れる好編で、真相はアンフェアぎりぎりだが、小説として愉しめたのが大きい。後者は現在現役ミステリ作家である石持浅海氏のアマチュアデビュー作で停止したエレヴェーターの中で起こった殺人を扱ったもの。昨年好評を持って迎えられた『月の扉』のように閉鎖された極小空間で限定された人物で織り成される設定でこの頃から現在の萌芽が垣間見れるのが興味深い。主人公が一介のサラリーマンに過ぎないのも、今の作者の姿勢がそのまま現れている。

その他笑い話のような「イエス/NO」、クリスティの『オリエント急行の殺人』を髣髴とさせる「黄金の指」、ショートショート並に短いながらも強い印象を残す「この世の鬼」などがよかった。

最後の3編はガチガチの本格過ぎてパズル以外何物でもないという印象が強い。とくに最後の「つなひき」はあまりにも高等すぎ、また作中作も冗長で途中でどうでも良くなってしまった。

前巻が良かっただけに今回の一種退行したような作品群に失望を禁じえない。

本格推理 〈11〉奇跡を蒐める者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理11 奇跡を蒐める者たち についてのレビュー
No.508:
(7pt)

作者の代表作の1つだが…

場末のダンスクラブで舞台ダンサーを夢見ながらも、挫折感に打ちのめされる毎日を送るブリッキー。いつもの仕事を終えたある夜、彼女の後を追う奇妙な男性に逢う。彼の名はクィン。彼はある富豪の家の現金を盗んだというのだ。
最初は心を開かなかった彼女は彼が同じ街の出身でしかも隣り同士だった事を知り、二人で故郷に帰ってやり直すよう促す。それをするにはまず盗んだ現金を返して身を綺麗にしてからだという事になり、富豪の家に戻る事になる。その富豪の家で遭遇したのは屋敷の主人の遺体だった。このままでは帰れない!このままでは殺人の容疑まで受けてしまう!なんとしても二人が旅立つ6:00までには犯人を捜し出し、身の潔白を証明するのだ。かくして二人の夜の捜索行が始まった。残された時間はわずか5時間…。

上の梗概を読んでいると筋が通っているように思うが、別に殺人の容疑を晴らすのはクィンの指紋を消せばいいのであって、犯人を捜す必要はないと思うのだがどうだろう?つまりはこの設定に無理を感じ、どうもノレなかった。
今までのアイリッシュのタイムリミット・サスペンスと違い、この探索行に至るまでの前置きが非常に長く、それに至るまでにニューヨークという大都会に呑まれた若い男女のウジウジとした心境が語られ、なんとも陰鬱なムードが延々と続くのが疎ましい。この話はタイムリミット・サスペンスの意匠を纏った若い二人の挫折からの再生物語であるわけだが、もっと説得力のある設定が欲しかった。あまりに観念的だ。やはり自分が好きなのは『幻の女』や『喪服のランデヴー』に見られるアイリッシュ・パターンとも云うべき容疑者・被害者一人一人を描くエピソードの短編小説的畳みかけであり、この作品も犯人の探索行における複数の容疑者を追い詰めるエピソードがもっとも面白かった。

最後に怒涛の如く真相を話すクィンの姿が冒頭の優柔不断さと180°変わっているのに違和感を覚えたし、この物語の締め方の性急さも気になる。世評ほどでは…というのが正直な気持ちだ。

暁の死線【新版】 (創元推理文庫)
ウィリアム・アイリッシュ暁の死線 についてのレビュー
No.507: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

4人の強烈な個性のぶつかり合い

トゥロー久々の作品は冤罪裁判をテーマに扱った重厚な作品。
重厚といってもそれは本の厚みであり、内容は今までの作品とは違って暗いトーンがあるわけではない。もしかしたらいつも出ている文藝春秋じゃなくて講談社からによるフォントや字組みの違いからくるのかもしれないが、今回はクイクイ読めた。今までの経験上、トゥローを読むときは1時間に40ページぐらいしか読めなかったように思うのだが、今回は60ページ強をコンスタントに読めた。

発端は死刑執行を間際に控えた殺人犯ロミーが無実を訴え、再審を要求する所から始まる。その裁判の公選弁護士として選ばれたのはアーサー・レイヴン。30も半ばを過ぎているのにも関わらず、いまだ独身で本人も自身の人間的魅力に疑問を持ち、異性に対し、奥手な性格。しかし仕事に懸ける情熱は人一倍。彼は当時有罪の判決を下した元判事ジリアンと接触し、事件の詳細を調べる。やがてある人物からの衝撃的な告白を聞き、ロミーの無罪を勝ち取るべく奔走する。迎え討つは当事ロミーを有罪へ追いやった次期キンドル群検事候補と名高い“怖れ知らず”のミュリエルとミュリエルの不倫相手であり、ロミーから自白を勝ち取った刑事ラリーの二人だった。二転三転する衝撃の事実、果たしてロミーは有罪か無罪か、裁判の行方は?

原題は“Reversible Errors”。これは法律用語で「破棄事由となる誤り」という意味で控訴審で一審判決を大いに覆すような重大な誤りを指す。この題名が非常に素晴らしい(翻って邦題の何というショボさ。いくらトゥローの既訳作品の題名が漢字四文字が多いとはいえ、これはひど過ぎ!凡百のリーガル・サスペンス作品と何ら変わらんではないか!!)。
文庫の帯にもあったがこれが単純に法律用語の意味を指すのではなく、アーサー、ジリアン、ミュリエル、ラリーら主人公四人の現在における過去の、元に戻すことが出来る過ちを指している。
この四人の中でもっとも印象的だったのがやはりジリアン。ロミーに有罪判決を下した判事であり、それを覆そうとするアーサーと恋仲になるという、この二律背反なセッティングが極めて興味深い。しかもヘロイン中毒という強烈な性格付けもしており、最後の最後までアーサーにはそれを隠している。最後にその事実が途轍もない一撃となって裁判を揺さぶるわけだが、この辺りの設定の妙はトゥローならではだ。
またラリーも印象が強いキャラクター。決して己の主義を曲げず、一途なまでにミュリエルを愛し、ミュリエルのためなら決定的な証拠を破棄することも辞さない不器用さが男の悲哀と共に語られ、最後には敗北者となる。

しかし、もっとも感動的だったのは主人公四人が高潔であったこと。彼ら彼女らは決して自分の立場が不利になる事実、真相、証拠が現れてももみ消そうとはせずに、開示する。そして法の下に従っていかに自分たちに有利に働かせるかと試行錯誤する。これは法曹界では当たり前であるのだろうが、新鮮であり清々しい。鑑定結果を引き裂いたラリーは実は最も私たちに近いのかもしれない。また主人公四人以外の登場人物もそれぞれの人物造型がしっかりとしており、名前で誰が誰だか判らなくなる事も皆無であった。

今回は上下巻800ページ弱あるにもかかわらず、上巻241ページで真犯人がわかってびっくりした。それ以降、どう物語が展開するのか心配したがやはりトゥロー、二転三転四転五転の展開を見せ、新たなる真相をも準備してくれた。彼ら四人の特異な人生を語るに加え、アクロバティックなロジックを組み込むこの贅沢さ!また中に散りばめられた警句や描写など心に残る物が数多くあり、ここでは書き切れない。満腹状態だ。
最後に最も印象に残った一文を書き出して終わることにしよう。この文章は今後私の人生で大きな力になることだろう。

“自らやった過ちは歴史に残らないほど取るに足らないもの、そう考えると楽になる”


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死刑判決〈上〉 (講談社文庫)
スコット・トゥロー死刑判決 についてのレビュー