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Tetchy さんのレビュー一覧

Tetchyさんのページへ

レビュー数1418

全1418件 841~860 43/71ページ

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No.578:
(3pt)

やりたかったことが理解されなかった作品

結婚式を明日に控えたケン・ブレイクは突然H・Mの要請により、隠密活動を頼まれる。予てより情報部が追いかけていた国際的ブローカー“L”の居場所を現在イギリスに滞在中の元ドイツ・スパイ、ホウゲナウアが知っており、二千ポンドでその情報を売ろうとしているので、その前にホウゲナウアの家に忍び込み、それらの情報を手に入れて欲しいというのだ。
ホウゲナウアの住む町モートン・アボットへ向かい、手違いから現地の警察に追われる身になったケンは苦労の末、ホウゲナウアの住む<カラマツ荘>に辿り着く。しかしその中で観たのは顔に微笑を湛えたまま、息を引き取ったホウゲナウアの姿だった。

道化役を演じたケンの東奔西走する姿が描かれる前半は今までのカー作品と違うドタバタスパイ劇のようで、読者はH・M卿の意図が解らぬまま、ケンと一緒に迷走させられる。やがて物語は大規模な偽札事件へと発展していくのだが、この辺の話は複雑すぎて頭に入りにくかった。
題名の「パンチとジュディ」はドタバタ喜劇の人形劇の名前に由来する。

もう一度読めば、それぞれの事柄について犯人の作為を思い浮かべながら読めるかもしれないが、それは遠慮したい。

ところで18章にて登場人物にさせられる犯人当てはもしかしたらカーなりの“読者への挑戦状”だったのかもしれない。その挑戦に私は敗れてしまったが、果たしてこの犯人を当てられる読者はいるのだろうか?恐らくカーは見破られない自信があったからこそ、今回あえてこのような挑戦状を盛り込んだのはないだろうか。だとしたら、かなりの負けず嫌いだなぁ、カーは。

しかしホウゲナウアとケッペルの殺人事件の真相はちょっとがっかりした。遠距離で起きた2つの同種殺人(どちらもストリキニーネによる毒殺)の謎が非常に魅力的だっただけに残念だった。
この二つの殺人は本作のもっとも際立つ場面であるのに、真相が明かされたら実は単なる物語の末節に過ぎなかったというのが驚いた。これがカーのケレン味なのか?いやはや・・・。

しかし本作で災難なのはケンとイヴリンの二人である。親戚とはいえ、結婚式の前日にこんな困難な仕事を頼むかね~、普通?

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パンチとジュディ (ハヤカワ・ミステリ文庫 クラシック・セレクション)
カーター・ディクスンパンチとジュディ についてのレビュー
No.577: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(4pt)

ミタライ@スウェーデン

ネス湖畔の村ティモシーで頭を犬の胴体に縫い付けられている死体が発見された。やがて両手両足、胴体などの他の部位が発見され、それらは巨人が引きちぎったような痕跡があった。
その後第2、第3、第4の殺人事件が起きたが、すべて同じ痕跡のバラバラ死体であった。事件発生では魔神の咆哮が鳴り響く事からモーゼの十戒に登場する魔神ヤーハエの仕業かと思われた。偶々現地に居合わせたスウェーデンはウプサラ大学に留学中のミタライ教授がこの連続殺人事件の謎に挑む。

しかし今回の御手洗物は読書の牽引力が小さく、なかなか読み進めなかった。これは語り役が石岡からバーニーという街の飲んだくれアマチュア作家の手によるものだという手法を取っており、文体も変えていたのが大きかったように思う。

今回も島田氏が提唱する21世紀本格としての大脳生理学と本格の融合がなされている。昏睡状態から目覚めた時の記憶の初期化でそれを基に手記を書いた者の錯覚を上手く利用しているのだ。この辺のアイデアは正に島田氏の独壇場とは思すwうのだが、やはり御手洗が大人しく事件に追従するのが退屈で、カタルシスに届かなかった。
こうして考えてみると、御手洗シリーズは事件の奇抜さや驚天動地のトリックよりも御手洗の強烈な個性が作品の魅力の大半を担っているのだなぁと再認識させられた。

しかし今の本格作家でこのようにシリーズ探偵が海外で活躍し、しかも登場人物が主人公以外全て外国人なんてミステリを書くのは島田氏しかいないだろう。
そう考えるとやはり島田氏は双肩する者のいない孤高の存在なのだ。山口雅也氏の云う「日本本格ミステリのボブ・ディラン」は正に的を射ている。


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魔神の遊戯 (文春文庫)
島田荘司魔神の遊戯 についてのレビュー
No.576: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

これは確かに傑作

H.M卿の元に訪れた甥のジェームズ・ベネットはハリウッド女優マーシャ・テートらが集う「白い僧院」と呼ばれる屋敷でクリスマスを過ごす事になったと告げる。その館の主、モーリス・ブーンの脚本がこのたび映画化されることになり、それを祝ってのパーティだった。
その三週間前にマーシャ・テートに毒入りチョコレートが贈られ、あわや毒殺されそうになるという事件が起きていたため、ベネットはこのパーティに不穏な空気を感じていた。
果たして彼が屋敷に着くと、昨晩から降り続いた雪が積もっている中に、別館に向かう足跡が一筋あるのに気付いた。別館の玄関の陰に立っていたモーリスの弟ジョン氏は、別館でマーシャが殺されていると告げた。死亡推定時刻は雪の止んだ午前3時15分なのに、そこには発見者であるジョン以外の足跡はなかった。この奇妙な謎にH.M卿が挑む。

どうして解らなかったんだろう!こんなに簡単な事だったとは。
カーの代表作としてあまりにも有名な本作。確かこの雪の足跡のトリックは数々の推理ゲームの本にも取り上げられていたと思うが、まんまと引っかかってしまった。

18章の最後の一行は靄の中を訳も解らず歩いていたら、すっと一筋の光が差し込んできた感じがして、思わず声を出して唸ってしまった。
そして今までキャサリンかルイーズかどちらか解らない女性が別館を訪れる件も整然と説明され、久々に本格の美しさを感じた。
犯人役は正直納得行かないが、それを補って余りあるロジックの美しさだ。これほどシンプルな内容を11人の登場人物で捏ね繰り回して複雑にするとは、カーは根っからドタバタ喜劇が好きなようだ。

しかし、やはり文章は読みにくい。しかしそれは訳文が悪いというよりもカーの文体それ自体が、回りくどく、しかも改行が少ない1ページ当たりの文字密度の濃さによるところが大きいように思った。上の要約文を書くのに、かなりの付箋を要したのがその証左だろう。

世にはびこる傑作・名作は数あるが、これは確かに傑作の部類に入る。カー最盛期の作品はやはり凄かったと今回認識を改めた。



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白い僧院の殺人【新訳版】 (創元推理文庫)
カーター・ディクスン白い僧院の殺人 についてのレビュー
No.575: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

21世紀本格とはもはや読者が謎解きに参加できない本格なのでは?

アメリカ在住のレオナから石岡の許に送られてきた一通の手紙。それは倉持ゆりという女性からのファンレターだった。それは普通のファンレターと違い、亡き祖父倉持平八がレオナにヴァージニア州に住むアナ・アンダーソン・モナハンという女性に謝罪をしていたと伝えて欲しいという内容だった。
暇を持て余していた御手洗と石岡はファンレターに書かれていた箱根の富士屋ホテルのマジック・ルームに飾られていた写真について調査を始める。そこで二人が支配人に見せられた写真は大正8年に山中の湖、芦ノ湖にロシアの軍艦が現れたという不思議なものだった。御手洗は軍艦が現れた謎とその裏に隠された歴史的悲劇を解き明かすことになる。

『暗闇坂の人喰いの木』から『アトポス』まで続いた長厚壮大な御手洗シリーズとは打って変わって、初期の御手洗作品を思わせるような文庫本にして340ページ弱のコンパクトな作品。しかも今回は今まで冒頭で延々と語られていた事件に纏わるエピソードを作品の後半に持ってきたスタイルで、御手洗シリーズの源流であるドイルのホームズシリーズの構成を想起させた。

今回の謎は見え見えであると云ってもいい。幽霊軍艦の謎も物語の2/3の部分に当たる224ページで早くも明かされてしまう。
つまり今回の主題はこのロシア幽霊軍艦の謎を解き明かすことよりも島田氏が21世紀本格として提唱している脳の秘密と本格の融合についての実践にあると感じた。
『眩暈』では悪夢のような実際にありえそうもない手記の内容について論理的にそれら一つ一つを合理的に解決していったが、今回アナという女性が繰り広げる奇行―髪の毛をむしり取る、衝動的な暴力的行為、糞公害やゴミ屋敷―について大脳生理学上の見地から説明を行っている。過去の実例を挙げて非常に理路整然としていて読みやすく、興味深く読んだのだが、今後の本格の行く末について危惧したのも確か。知識ではなく知恵で解き明かす知的ゲームとしての本格が専門的な知識も動員しないと解けなくなるのは寂しい感じがした。

また御手洗の特徴として常人には理解できない奇行があるが、今回もレオナの知人でロマノフ王朝について調べていた在野の研究家ジェレミー・クラヴェルが御手洗の許を訪れて一緒に食事に行く際に馬の毛で作ったブラシを突然買い、頭の薄いクラヴェルに勧めるシーンがある。非常に面白いエピソードだが、これが実に後半有機的に働くのだ。
今までならば御手洗の人物描写として味付けがなされていた奇行さえも本作の真相解明に一役買っていることからも今回の作品が実に贅肉をそぎ落とした作品かが解る。

しかし、このまま行けば本格がますます解けないパズルゲームになってしまいそうだ。これが島田氏の本懐なのだろうか。
知的ゲームとしての本格か、それとも本格の意匠を纏った物語か、うーん、悩ましい。


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ロシア幽霊軍艦事件: 名探偵 御手洗潔 (新潮文庫nex)
島田荘司ロシア幽霊軍艦事件 についてのレビュー
No.574:
(3pt)

主人公の設定やら色んな思惑やら盛り込みすぎ。

前作『屍泥棒』で活躍したユーロポールの心理分析官(プロファイラー)クローディーン・カーターを主役に据えた初の長編。

ヨーロッパ各地で起こる連続バラバラ殺人事件。この事件を解決すべくユーロポールは心理分析官クローディーン・カーターを特捜班の一員として抜擢する。特捜班にはフランスのプラール、ドイツのジーメン、卓越たるコンピューターの技術を持つフォルカーとで結成された。
主任担当官であるアングリエは自らの名声を高めるべく、これら特捜班の功績を利用とするのだが、クローディーンの才能が自らの制御力を凌駕している事を認めざるを得ず、忸怩たる思いをしていた。内外ともに敵を作りながらも、それと気付かないクローディーンは着々と事件を解決へと導いていく。

率直に云えば、可もなく不可もない作品。職業作家としてのフリーマントルの職人技で作られた作品という印象が強い。それはこの小説で語られる事象が、ヨーロッパ各地で起こる凄惨な事件と平行して、自殺した夫に関するインサイダー取引疑惑、サングリエのユーロポールにおける自らの優位性を高めるための権謀術数など、色んな要素が絡み合っていることによる。現代の小説では1つの事件について集中的に語り、解決まで至るのはお得感もなく、また単調とみなされがちで、評価も低いだろうが、今回はかえって事件への視点がぶれ、散漫な感じを強く受けた。
あと加えて傲岸不遜なクローディーンのキャラクターがどうしても共感を得ず、辟易してしまった。つまり、主人公に魅力を感じなかったのだ。

それでは小説としての愉悦はないかといえばそうではなくて、特に時折挿入されるクローディーンの母親モニクのエピソード、クローディーンの亡父でインターポールの捜査員だったウィリアムの話などは面白く読めた。
が、ここでクローディーンが気付かされる大人の慎み深さ、謙虚さなどが稚拙すぎた。仲が悪いと思っていた父母の隠された絆の深さ、父親が家族を守るためにどんなに気高かったのか、それらを気付かされるにはクローディーンは歳をとり過ぎているのだ。
というのも心理分析官たるクローディーンがこと父母のことになると彼らの視点で物事を考えられないというアンバランスさが納得いかないのだ(もしかしたらこれが作者の狙いかもしれないが)。

バラバラ殺人事件の真相、アングリエが仕掛けるクローディーンへの罠、クローディーンの母モニクの癌闘病記、亡き父の生き様。
これらこの小説を彩る内容は小説として非常に贅沢な感じを思わせるが、一読者としてはこのうちのどれか一つに黄金が隠されていればその小説の評価は高くなる。しかし冒頭にも述べたように、フリーマントルはこれらについてあまりに職人的すぎた。感銘を受けるには内容が薄いと感じた。
次回以降は、逆に小説巧者としてのフリーマントルの旨みを感じさせて欲しいものだ。

屍体配達人―プロファイリング・シリーズ〈上〉 (新潮文庫)
ブライアン・フリーマントル屍体配達人 についてのレビュー
No.573: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

悪訳ゆえに頭に入ってこない

ケンウッド・ブレークの友人ディーン・ハリディが彼に持ちかけた話とは、自身の邸プレーグ・コートで行われる、亡き兄ジェームズを呼ぶために伯母が呼んだ心霊学者ダーワースが開催する降霊会に参加して、彼のトリックを暴いて欲しいという依頼だった。プレーグ・コートとは1710年にロンドンに蔓延した黒死病の時代に、その病に感染した家族の間で凄惨なやり取りが繰り広げられた呪われた邸で、現在は幽霊屋敷と評されていた。
数々の降霊会でトリックを暴いたと云われるスコットランド・ヤードの警部マスターズとともにプレーグ・コートに赴いたケン・ブレークは降霊会の最中、主催者であるダーワースの殺人事件に出くわす。離れの石室で密室状態の中、殺されたダーワースの傍らには、プレーグ・コートの名の由来となった絞刑吏ルイス・プレージの短剣が落ちていた。捜査は混迷を極める中、ケンは風変わりな役人、ヘンリー・メリヴェール卿に助けを求めるのだった。

HM卿デビュー作の本書。正直、例によって読みにくい文章のため、中盤まではほとんど読後の結果については諦めていた。しかし、世評に名高い本書は、最後に至って複雑な絵図を読者の眼前に晒してくれた。
石室という離れで起こった密室殺人については、実のところ、あまり驚きをもたらさない。これを知らされただけでは本書は凡百のミステリに過ぎない。
しかし、この事件で最も読ませるのは真相で明らかになる複雑な人間関係だ。単純な事件の表層の裏に、かくも込み入った役割分担があったというのが驚き。

最後の真相は面白いが、そこに至るまでの内容・文体にどうしてもノレなかったのでそれを差し引いて評価は7ツ星。もはや私自身がカー作品の(翻訳の)文体に忌避感を抱いているのかもしれない。


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黒死荘の殺人 (創元推理文庫)
No.572:
(7pt)

説明は精緻、しかしプロットは二番煎じ?

読中、この人は一体何者?という思いが頭を覆っていた。
冒頭のプロローグでの原子力発電所の建築現場のシーンにおける建設専門用語の正確さから始まり、原子炉制御システムの専門的な説明はまだしも、科学専門雑誌・専門書の取次会社の業務や、潜入した大学で新しい原子炉のデータを抜き取る際のコンピュータ関係の専門用語、ウラン濃縮技術の話や操船技術、時限爆弾の作り方などそれらこの小説では余技である部分でさえ、微細に渡って描写し、説明するのにはひたすら脱帽。普通の作家なら、それらは省略するテクニックで上手く処理するのだが、この人にはそれがない。しかもそれらが全て専門家と同一レベルの知識なのだからものすごい。更に加えてこれらの知識を一切取材せず、専門書や自らの空想で描くというのだから、ほとんど天才である。
しかし、それらは裏返せば小説としての力の抜きどころがないわけで、読者もずっと力の入った読書を強いられる事になる。この辺が万人になかなか受け入れられにくいところではないかと思う。

さて、物語は三人称の文体を取りつつも、基本的に主人公島田浩二の視点で語られる。
島田はソ連側のスパイ、江口彰彦によって日本に連れてこられたロシア人と日本人とのハーフだった。日本では江口の知人、島田海運の社長、島田誠二郎の息子として育てられ、成長するにつれて江口の弟子としてスパイとして育てられつつも、原発の技術者としても知られるようになっていた。一時期疎遠になっていた二人を再び引き合わせたのは父誠二郎の葬儀の場だった。そこで島田は明らかにロシア人の顔つきをした高塚良と名乗る青年と幼馴染みの日野との再会を果たす。スパイを引退した島田はその日を境にCIA、KGB、北朝鮮、日本公安4つ巴の原発襲撃プラン「トロイ計画」の情報戦の渦中に引きずり込まれるのだった。

髙村氏は書きながらストーリーやプロットを考えるという。この小説はそういう作者の癖が如実に表れているように思った。詳細な日常な描写が続くし、各国スパイの島田への接触が断続的だし、次々と出てくる登場人物の使い方が使い捨てすぎるのが気になった。

特筆すべきはこの作家の脳みその構造の凄さである。まず専門家が素人の発言に驚かされるという描写。この小説では「世界の原子力発電所は戦争・破壊活動を想定して作られていない」、「原子炉の蓋を開けて見てみたい」という発想の斬新さを述べているが、こういう描写は専門家の頭を持っていないとまず思い浮かばない。この作家の経歴には商社勤務の経験しか書かれていず、技術者としての経験はないはずだが、何ゆえこのような発想が思いつくのか、想像を絶する。
それともう一つは隠遁中の江口が島田と行う暇つぶしの方法について。ホテルに篭ってマッサージをしてもらい、お酒をちびりちびりやりながら読書をする、このだらしなさこそが男の至福の寛ぎなのだとのたまうが正にその通り。
これを女性作家に述べられるともう敵わない。作者は男ではないかと疑うのも解る気がする。
あと原子炉の温度制御の数値入力において不適当な数値を入れたとしても1つ1つ綿密に潰していけばシステムは機能するという話はかつて問題になった建屋の構造計算書偽造問題を想起させ、興味深かった。

しかしこれほど緻密な説明や描写、血肉の通ったキャラクターを用意してもその内容はというと、首を傾げざるを得ない。結局原発襲撃は男二人の我侭による壮大な悪戯に過ぎないし、そのために犠牲になった各機関や人生を破滅させられるであろう登場人物が出る事を考えると簡単にこの小説に同意できないのだ。
世にその名が知られる前の作品だからこの辺の浅はかさは目をつぶるべきなのかもしれないが。


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神の火〈上〉 (新潮文庫)
高村薫神の火 についてのレビュー
No.571:
(8pt)

タイトルの先に続く言葉は

勤めていた水産会社を辞め、田舎で隠遁し、農業で生活する越智省二の許に警察が現れる。越智が前の会社でフィリピンに勤めていたときに一緒に働いていた青年ヒラリオが現地のゲリラの密命を帯び日本に潜入し、水産会社各社を脅迫して大金をせしめているという。
越智にはヒラリオに貸しがあった。命を助けてもらいながら、姉ベラを匿う事が出来ずにフィリピン兵士に捕らえられ、獄中死させたことを悔やんでいたのだ。さらに亡き妻恭子の敵、印南の存在。越智は過去を清算するため、東京へ向かう。

不器用な昭和の男の話である。今の平成の世になかなかいない自分の戒律に忠実に生きる男、越智。彼は常に安直な道よりも茨の道を進む。

久々のシミタツの筆致に酔わせていただいた。ビシビシと胸に残るフレーズ、そして愚直なまでの男と女を書かせたら、抜群に巧い。
苦難の末、印南を捕らえ、亡き妻の墓前で打ちのめす彼の、妻とその両親との話。単なる興味本位で付き合う男女、弘美とヒラリオとの関係に関する述懐―「夢だけ残して気持ちよく別れるには、深く結びつき過ぎているような気がする」は名言だなぁ―。好きな女と結ばれるのにも、過去のしこりを残したままではふんぎれない越智のやるせなさ。これらの越智の台詞にはもうたまらないものがある。平成の現代に忘れられようとしている信義とか仁義がここにある。

とにかく老人と一途な愛、忍ぶ愛に生きる女、そして不器用で決して富裕でないストイックな男がシミタツ作品には極上のスパイスとなっているのだ。
そして携帯電話が無い時代であるがゆえに生まれるサスペンス。こういう不便さが熱い物語を生み出すのだなあとも思った。

そして主人公の視点から見せる訪れるであろう危機に対する客観的な描写も健在。周辺に停まった車、自分が顔を向けると同時に顔を背ける女、よそよそしい管理人の態度などでこれから起こるであろう危機の予兆を見せ、主人公同様の鬱屈とした不安感を誘う筆致を久々に堪能した。

タイトルの『散る花もあり』。散った花は思いの外、大きかった。通常ならばこの言葉は反語表現として使われ、その前には「咲く花もあれば」となるだろう。しかし、ここではあえて逆にしてこう云いたい。
「散る花もあり。やがて咲く花もあり。」
越智は旅立つ。その先にきっと咲く花、美世が待っているはずだ。


散る花もあり (講談社文庫)
志水辰夫散る花もあり についてのレビュー
No.570:
(1pt)

ディクスンの怪奇趣味は最初から

イングランドに点在する数少ない古城。弓弦城もその1つだった。
その主、レイル卿が甲冑が数多く並ぶ甲冑室で殺される。しかも出入り口には城を訪れた複数の客が見守っており、裏口は卿自らが当日釘を打ちつけ、開かないようになっていた。
さらに女中のドリスが部屋から転落死するという事件が起き、終いにはレイル卿夫人も自身の部屋で銃殺されてしまう。偶々旅行で近くに訪れていた希代の犯罪学者ゴーント氏がこの連続殺人事件の謎に挑む。

う~ん、冗長すぎるなぁ。まず物語がイメージとして頭に入り込まない。これは作中でも出てくる城の見取り図がこの小説で示されないことによるところ大きく、大いに問題だ。謎解きもこの見取り図がなければ、作者が語るがままに頷くしかなく、全くカタルシスが得られない。
捜査も回り道が多く、一向に進まない。特に狂言回しとして設定されていた城主の息子フランシスが物語を迷走させ、進行を大いに妨げ、忸怩たる思いがした。

カー作品でもかなり初期の本作。唯一の救いは初期の作品からして、カー独特の語り口と物語設定とオカルト趣味が垣間見えたことか。しかし、それも単に物語を冗長にしているのに過ぎなく、切れを無くしていると思えて仕方がないのだが。
今回のカーの狙いはうだつの上がらない人物が実は極悪非道な人物だったという人間の裏面を見せたことか。しかし、物語の引力が弱いのは否めないなぁ。

弓弦城殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 6-1))
カーター・ディクスン弓弦城殺人事件 についてのレビュー
No.569:
(4pt)

長編ネタを30ページ前後で語るのは無理がある

EU版FBI、ユーロポールに所属するプロファイラー、クローディーン・カーターの活躍を収めた短編集。プロファイリングがテーマとなっているので事件はおのずと猟奇性を帯びたものばかりになってしまう。

スペインを舞台に闘牛を模した連続殺人事件が起こる「最後の被害者」。
パリのセーヌ川に次々と浮かぶダウン症患者の溺死体の犯人を追う「屍泥棒」。
オランダで起きた十字架に磔にされたキリストのような十代の若者の死体が連続する「猟奇殺人」。
コペンハーゲンで行われるプロファイリング捜査の国際会議に出席中に起きるハイジャック事件と直面する「天国への切符」。
ベルリンで続発するセックス産業の元締めとその恋人の惨殺事件を扱った「ロシアン・ルーレット」。
フランスのリヨンの山奥でコミュニティを形成する聖人を自称する男と対決する「神と呼ばれた男」。
ロンドンで起きた切り裂きジャック事件を髣髴する婦女強姦事件を捜査する「甦る切り裂きジャック」。
イタリアで続発する麻薬過剰摂取による若者の死の謎を追う「モルモット」。
世界的に有名な興行主の息子が誘拐された事件を元FBIの私立探偵チームと競い合いながら解決に向かう「誘拐」。
ドイツで相次いだ老人宅への強盗犯罪がナチの亡霊を浮かび上がらせる「秘宝」。
獄中の大実業家が自分の身の潔白を証明するために検察に殴り込みをかけ、事件の洗い出しを要請する「裁かれる者」。
そしてベルギーの富豪の息子である人喰い魔を追う「人肉食い」

これらヴァラエティに富み、しかもヨーロッパ諸国にそれぞれ舞台を変えて展開する物語。こうやって書くとかなり面白く思えるのだが、さにあらず、正味30ページ前後の短編では、シナリオを読まされているような淡白さでストーリー展開に性急さを感じた。なぜこのように淡白に感じるかというと、被害者の描写が単なる結果としか報告されないからで、あまりに省略された文章は読者の感情移入を許さないかのようだ。
あと、ちょうど島田荘司氏の『ハリウッド・サーティフィケイト』を読んだ後では、これら猟奇的事件の衝撃がさらに薄まって、驚きに値しなかった。

全12作の中でよかったのはリアルタイムで事件が進行し、タイムリミットが設定された「天国への切符」と真相が意外だった「モルモット」ぐらいか。
現在ではほとんど手垢のついた題材で新味がないというのは事実。

とにかく読中は小説を読んでいるというより、1話完結のプロファイリングをテーマにした連載マンガを見ているかのようだった。仕事仲間のロセッティとフォルカーと主人公クローディーンとの関係が進展しそうでしないのもちょっと肩透かし。このシリーズはまだあるみたいなので今後に期待するか。


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屍泥棒―プロファイリング・シリーズ (新潮文庫)
ブライアン・フリーマントル屍泥棒 についてのレビュー
No.568:
(7pt)

面白いがお勧めできないほどグロテスク

御手洗シリーズのスピンオフ作品で、今回はハリウッド・スター、レオナ・マツザキが主人公。

LAPDに寄せられた1つのビデオテープ。そこにはハリウッド・スターのパトリシア・クローガーを凌辱し、惨殺する模様が写されていた。このスナッフ・フィルムを取った犯人を探し出すべく、彼女の親友レオナ・マツザキが捜査に乗り出す。しかし、それは光輝く華やかなりしエンタテインメントの頂点ハリウッドとアメリカ合衆国の想像を絶する暗部を垣間見る捜査行の始まりでもあった。

まず最初に云いたいのは、本作は読んでいて気持ちがいいものではない。むしろ読後は食欲と性欲を著しく減じるほどのグロテスクな内容だ。読中、しきりに頭をよぎったのは、「なぜこんな作品を島田氏は書いたのだろう?」という疑問文だ。この疑問に対して自分なりの答えを以下に書いてみる。
恐らく島田氏はエッセイ『聖林輪舞』で取材したハリウッドの内幕と、世紀末から新世紀にかけて関心を抱いて取材を続けている脳科学やDNAなどの遺伝子工学の分野で得た知識を総動員してこの作品を物したものだと思われる。この作品で数多く語られる神の冒涜とも云えるクローン技術やアメリカのアンダーグラウンドで繰り広げられる異様なポルノ・グラフィティの世界は正直云って、読者の食指を動かすものでは決して、ない。知らずにいてもいいことだろうし、恐らく日本のみならず、世界大半の人がその世界の一端にも触れる事なく人生を終えることだろう。
つまり、この作品において島田氏は読者へ娯楽を提供しているのではなく、許されざる悪行が皆の知らないところで繰り広げられている事を啓蒙しなければならないという使命感のみで書き上げたということだろう。

作品の形態は一応ミステリという形をとってあり、サプライズも含んであるから本格の部類に入るのだろうと思うが、個人的には真相は最初の方で解ってしまった。作者が仕掛けたミスリードも惑わすほどの効果はなく、作者の手法の構造が透けて見えたほどだ。しかし、上にも述べたようにこの作品の要素はこのミステリ部分にはなく、作者がミステリ作家であるがゆえにこの形態を採ったに過ぎない。そして、この時期の島田作品の特徴である御手洗潔のカメオ出演(今回も電話の声のみ)もしっかりとあるからファン・サービスも忘れてはいない。

また『暗闇坂の人食いの木』以降の御手洗シリーズの特徴に本筋の話を彩る膨大なエピソードがあるが、今回はケルト民族の神話とあのコナン・ドイルも関係したコティングリー村の妖精騒動がそれに当たる。この辺の物語は今回も無類に面白い。コナン・ドイルに至っては晩年の心霊・神秘研究の話はもとより、かの名作『バスカーヴィル家の犬』が盗作で、本当の作者はドイルが殺したなんていう話も盛り込まれており、今回も非常に愉しめた。

あと気になったのが島田氏の英単語の発音表記。カメラの「ナイコン」、車の「ディムラー」はそれぞれ「ニコン」、「ダイムラー」ではないのかと思う。
それぞれ本当にアメリカではそのような云い方をするのかはこちらが無知で知らないが、「レジュメ」を「レザメ」というのは明らかに間違いだろう。どっかの訛りではないだろうか。あと「ストゥディオ」は「スタジオ」でも十分だろう。

とにかく、この作品は読者を選ぶ作品だ。万人に勧められるものではない。島田作品が好きでなおかつ彼のスピリットに共感できるものでしか勧められない、少なくとも私は。それでもその人が女性ならば勧めないだろうなぁ、絶対。



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ハリウッド・サーティフィケイト (角川文庫)
No.567:
(4pt)

イラストのイメージって案外大事っスね

耕平&来夢シリーズ最終巻。第3巻を読んだのが1年前なので、ほとんど主人公以外の設定、登場人物を忘れてしまっていた。作者が作中で過去の作品における登場人物の役割を解説していたので記憶を辿る一助となったが、それでもなお完全には思い出せなかった。
これも作者がシリーズを一気呵成に仕上げない事、そしてこのシリーズのキャラクターや設定に魅力がないことが要因だろう。なぜなら同じ作者の銀英伝シリーズや創竜伝シリーズやアルスラーン戦記シリーズ(うっ、これは間が空きすぎてちょっと自信がないかも・・・)では期間を置いてでもキャラクター、設定が蘇るからだ。

本作は最終巻ということで来夢の忌まわしい因縁に決着をつけるストーリーとなっている。来夢が北本氏と失踪する事件が発生し、耕平の携帯電話に正体不明の人物からの黄昏荘園への誘いを受けて耕平がそこへ向かう。道中で一緒になった小田切亜弓と手を組んで来夢と北本氏の救出劇が始まる。

やはりバランスが悪い作品だと改めて思った。ごく普通の大学生としか思えない耕平に能力以上の設定を授けているという印象が拭えず、ご都合主義的なストーリー展開であると思えずにいられなかった。
なぜこのシリーズがこれほどまでにこちらの意識に浸透せず、浅薄なままで読み終わってしまったのか?この疑問について今回1つの答えを見出した。

作者が絶賛する本シリーズのキャラクターデザインを務めたふくやまけいこの絵と田中氏のキャラクター描写が全くマッチングしないからだ。かなりの美少女で描かれている来夢がふくやま氏の絵だと普通の女性キャラで下手をすれば単なる少年にしか見えない。この辺のアンバランスさが非常に居心地が悪かった。
思えば挿絵のない銀英伝シリーズは置いておくとしても、アルスラーン戦記シリーズの挿絵を手がけた天野喜孝氏、文庫版の創竜伝シリーズのキャラクターデザインを手がけたCLAMPはそれぞれ非常に田中氏の描写に対して忠実であり、いや田中氏の描写を凌駕してかなり強い印象を読者に植え付けているように思うのだ。小説に挿絵をするのなら、この辺の先行するイメージというのがいかに大事かを再認識した。

で、結末はなんとも煮え切らないものとなった。特に今まで問いかけてきた田中氏がこのシリーズで書きたかったジャンルというのはなんだったのかも解らず仕舞い。
こんなの書くより、創竜伝シリーズやアルスラーン戦記シリーズをはよ書いて完結せぃ!というのが正直な感想かな。

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春の魔術 (講談社文庫)
田中芳樹春の魔術 についてのレビュー
No.566: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(3pt)

探偵が多すぎる!

ギデオン・フェル博士となんと短編集『不可能犯罪捜査課』のマーチ警部の共演作。しかしカーの有する名探偵2人の出演は、結局狂言回しに終わってしまったようだ。

出版社を経営するスタンディッシュ大佐の屋敷、グレーンジ荘はポルターガイストが起こる幽霊屋敷と云われていた。そこで休暇を過ごしているマプラム主教、ヒュー・ドノヴァン・シニアが奇行の数々を行っている、その主教が語るにはある夜、隣家のゲストハウスに住んでいるデッピングという老人の下に有名な犯罪者が逃げ込むのを見た、ぜひとも警察と話したいということだった。警視監よりその役目を仰せつかったハドリーは自分の下に訪れたスタンディッシュ大佐と面会する直前、デッピングが頭を撃たれて殺されたとの知らせを聞く。ハドリーはたまたま自分のオフィスに来ていたフェル博士と当地に向かう。

本作はカーの初期の作品―なんとあの名作『帽子収集狂事件』の次に出版されている!―であるのに、本格推理物ではない。フェル博士は終始、推理が空回り、マーチ警部も容疑者スピネリに翻弄されて東奔西走しているだけの無能振りである。

そして象徴的なのが、いやに探偵役が多い事だ。
フェル博士とマーチ警部という二大巨頭に加え、マプラム主教であるヒュー・ドノヴァン・シニアは元犯罪研究家だし、その息子は大学で犯罪学を専攻している刑事の卵、それに加え、スタンディッシュ大佐の出版社お抱えの推理小説作家ヘンリー・モーガン(イニシャルがH. Mというのがまた面白い)まで登場とてんこ盛りである。
ここにいたって気付くのはカーなりに「船頭多ければ船、山登る」を体現したかったのだろうか。大本命であるフェル博士でさえ、真犯人に気付きはするが、仕掛けは失敗している。ごく初期の作品である本書で、既に本格推理小説を皮肉っていたのか?

しかし、とにかく回り道が多く、バランスの悪い作品だった。


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剣の八 (Hayakawa pocket mystery books (431))
ジョン・ディクスン・カー剣の八 についてのレビュー
No.565:
(9pt)

本物が書く本物の物語

惜しくも亡くなられた稲見一良氏の'93年の作品。よくこの人の作品は“男のメルヘン”と云われるが本作もまさにそう。大学の頃に読んだ『ダック・コール』の煌きが蘇る。

今回収められた作品は5編。
駆け落ちした女との逃亡途中の男と束の間の休息と食事と癒しをもたらす老人との出逢いの一時を描いた「焚き火」。
雑誌のカメラマンが作家のエッセイを飾る写真を撮りに訪れた花見川で遭遇する軍用鉄道の幻を描く「花見川の要塞」。
ミッションで空撃を受け、車輪が出なくなった爆撃機ジーン・ハロー。胴体着陸をすれば機体下部の銃座にいる仲間が死んでしまう中での奇抜な着陸の顛末を語る「麦畑のミッション」。
「終着駅」は37年間、東京駅の赤帽を勤めてきた男が、ふとしたことから大金と遭遇する事で、ある決断をする話。
そして表題作「セント・メリーのリボン」は猟犬の探索を生業とする猟犬探偵竜門卓の話で、狩猟中に消えた愛犬の奪還の話と盲導犬の奪還の話が語られる。

今回目立ったのは物語が途中から始まる作品が多かった事。というよりもウールリッチの短編に特徴的に見られた、1つの大きな物語の断片を切り取って語っている手法で物語自体に決着がついているというものではないこと。特に「終着駅」はやくざの金を盗んだその後が非常に気になるが、稲見氏は赤帽の杉田雷三という男がある決断をする1点のみを語るに過ぎない。そこから先は読者に任せるとでも云っているかのようだった。

冒頭の1編「焚火」も駆け落ちした男の物語としてはエピソードのうちの1つに過ぎない話なのだが、これもそこ1点に集約してそこから拡がる物語を語っているかのようだ。

表題作は主人公竜門卓が明らかにフィリップ・マーロウをモデルにした不屈の騎士(卑しき街を行くではなく一人孤独に山野を駆ける)として描いている。粗にして野だが卑ではないという言葉を具現化した人物像になっており、非常に魅力がある。特に狩猟と犬に関しては作者の確たる知識・経験が色濃く反映されており、自然体であるがゆえに本物が書く本物の物語といった感じがした。
その反面、盲導犬の件は作者自身も詳しくはなかったのだろう、明らかに作者が取材し、対面した人物をそのまま頂いたという感じで素人じみた書き方になっている。しかしここでもリチャードという老人の造形が際立っており、稲見氏の技量が遺憾なく発揮されている。特に盲導犬窃盗の犯人側の事情も心に傷みを伴うものであるのが上手いと感じた。最後の竜門の不器用さも含め、心に残る作品だ。

「麦畑のミッション」はもろ映画『メンフィス・ベル』だ。結末は容易に予想つくものの、ここでは戦争物も飛行機の装備や操縦技術などの専門知識の精緻さも含め、この人の底知れない懐の深さに唸らされる。物語も麦畑同様、豊穣この上ない。

一番好きなのは実は「花見川の要塞」。花見川にそれと気付かないほど朽ち果てた軍用鉄道の線路とトーチカがあるという設定で子供の頃に作った秘密基地を思い出させてくれたし、なんせ戦争中の軍用鉄道が目の前で蘇り、しかも年代物のライカと古いフィルムで撮影が出来たというおまけも含め、これぞ男のメルヘンだ。時間を忘れた読書だった。

稲見作品の特徴として野外の食事の描写が挙げられる。素朴で粗野な食事をなんとも上手そうに描写する筆致はこちらの涎を誘う。そして野鳥がモチーフとして出てくる事。この野鳥に対する愛情が行間から滲み出てきている。いや、野鳥だけでなく食事の件も含め、自然への愛情と敬意がそこはかとなく心に染みゆく。

とにかく全てが色彩鮮やかだ。風景も物語も。
私は今回、稲見氏の作品を読んで日本のマーク・トウェインだと思った。作品数は非常に限られているので一度に読まず、また数年後、出逢う事にしよう。

セント・メリーのリボン 新装版 (光文社文庫)
稲見一良セント・メリーのリボン についてのレビュー

No.564:

廃流 (広済堂文庫―異形招待席)

廃流

斎藤肇

No.564:
(7pt)

最後の花道

佐久諒矢は小学生の頃、雲土の峠を友達同士で雲土の峠を登ろうとしていた際、休憩した付近で遭遇した奇妙な家でこの世のものとは思えない美しい少女と出くわす。しかし少女はうっすらと光に包まれながらも下半身は壁に溶け込んでいるという不思議な風貌をしていた。
10年後、各地で若い女性が体の一部を切り取られ死亡するという奇妙な事件が田山市で続発する。しかしそれは後に繰り広げられる奇妙な生命体が起こす惨劇の幕開けに過ぎなかった。

今回の話を読んで頭に浮かんだのはクーンツの『ファントム』とB級ホラー映画『ブロブ』だ(あとは『千と千尋の神隠し』のカオナシか)。最初は下半身が無くなる女性の事件から耳、腕、頭髪、頭と続く。この一連のエピソードが淡々とあくまで控えめな視点で語られる。今までの斎藤作品とは一線を画す素晴らしさで、非常に面白く読めた。
最初は小さなアメーバだったそれは人体の一部を搾取するだけだったが、次第に人体そのものを取り込んでいき、どんどんでかくなっていく。最終的には街を埋め尽くす光を放つ生命体にまで発達する。さてこういう大風呂敷を広げる話は大好きだが、読中気になるのはその収束方法。特に今回は銃弾はおろか麻酔弾も効かない、爆弾を仕掛けると細かく分裂して被害が拡大する恐れがある、あまりに大きすぎるために焼き払うことも出来ないという無手策ぶり。これを倒せるのは何の変哲も無い学生、佐久諒矢のみ。
どうやって倒すのだろうと思っていたら、危惧したとおり呆気なかった。

しかしこの生命体を軸に色んな立場、職業の人物を描いて群像劇を紡ぎだした手腕は買う。一番心に残ったのは掃除おばさん谷岡福子夫妻の逃亡劇の話。いち早く他人よりも逃げる事が出来たにもかかわらず、夫が預金通帳を取りに帰るなどという詰まらぬ事にこだわったがために申し訳なく思っている表情とそれに対する福子の最後の台詞。このエピソードは怪物が出てこようが人間っていうのは意外にそんなものなんだと感じさせる。

そんな斎藤作品も今回で打ち止め。しかし最後の最後で彼のいい仕事に出逢えた。


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廃流 (広済堂文庫―異形招待席)
斎藤肇廃流 についてのレビュー
No.563:
(7pt)

チャーリー・マフィン再登場!

チャーリー・マフィン再登場!原題は文中にも出てくる『拍手で迎えよう、チャーリーの再登場を』(私なら『拍手喝采、チャーリー様のお出ましだい』と訳すが)で、こちらの方がチャーリーの人を食った性格を表しており、邦題よりも相応しいと思う。

さて今回は前作『消されかけた男』の続きから物語は始まる。英国情報部とCIAをまんまと出し抜いて大金をせしめて逃亡したチャーリーはスイスはチューリッヒにいた。悠々自適な逃亡生活を送るかに思えたチャーリーだが、実際は追っ手からの目に怯える毎日を送っており、妻イーディスも暗鬱な逃亡生活に疲弊していた。
酒に溺れる日々の中、チャーリーは慕っていた前上司アーチボルト・ウィロビーの墓参りをしに英国を訪れることを思い立つ。制止する妻の忠告を聞かずにウィロビーの墓を訪れたチャーリーは大きな声で自分を呼ぶ男と遭遇する。それはウィロビーの息子ルウパートだった。ルウパートはチャーリー同様、父を閑職に追いやった今の英国情報部を嫌悪しており、チャーリーを英雄視していた。ウィロビーが遺言で彼の遺産の一部をチャーリーに残した旨を話し、協力を申し出る。しかし、それら一連の出来事は新任英国情報部長ウィルバーフォースと新任CIA長官スミス、ならびに彼らの前任者カスバートスン、ラトガースの知るところとなり、チャーリー抹殺の罠を仕掛けるきっかけになってしまう。

前作に比べると本作は小粒な印象を受けてしまう。今回は逃亡者としてのチャーリーの緊張感を軸にしてチャーリー抹殺のための英国情報部とCIAの丁々発止のやりとりを描いているのだが、プロットがストーリーに上手く溶け込まず、あざといまでに露見しているきらいがあり、チャーリーが逆転に転じる敵側のミスがあからさま過ぎるのだ。チャーリーを罠にはめるべく敵側が取った方法が銀行強盗であり、その被害届のために英国に戻らざるを得なくなるという設定は素晴らしいと思ったが、そのあとのロシアの美術館からのレプリカの美術品を盗む展開は、保険引受人であるルウパートを巻き込んで破滅させようという動機があるものの、やはり蛇足だと思う。

2作目を読んで、チャーリー・マフィンシリーズは海外の連続ドラマ方式の手法を取っていると感じた。1話1話にヤマ場を用意するために誰かが死んだり、登場人物の血縁が登場したりという手法がぴったり当てはまるかのようだ。
それに対して否定はしない。十分及第点の楽しみは得られるからだ。
チャーリーの今後を一読者として見守っていこう。


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再び消されかけた男 (新潮文庫)
No.562: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

奇を衒いすぎ

前回の事件の活躍で名探偵として知られるようになった学生大垣洋司の下に依頼人が訪れる。それは政界の黒幕と云われる高槻貞一郎の秘書である新津省吾という男で、高槻氏の下に脅迫状が届いた、それは4人の人間の殺人を示唆する内容だったので未然に防いで欲しいという依頼だった。大垣は先輩で名探偵である陣内とともに大槻邸を訪れる。そこは直径約200メートルの芝生の真ん中にゆっくりと回転する御堂が設えられ、その四方に館が4つ点在する奇妙な場所だった。そこで高槻の依頼を受けた1時間後、高槻が絞殺死体となって発見される。それは奇妙な事に脅迫状の文言と一致していた。早すぎる死。しかしこれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった。

う~、ダメだったわ、これ。あまりに素人じみた文体と本格推理小説の定型を破ろうと努力する痛々しさが行間から立ち上ってきて見苦しさを感じた。
依頼人が会って1時間後に殺される、360ページ強の内容において80ページあたりで早々と挿入される読者への挑戦状(文中では宿題)、探偵の事件放棄など目新しさを狙った努力は解るが、それらがあまりにもぎこちなく感じて物語の腰を折っている感じがした。

登場人物それぞれに魅力がないのも痛いし、なによりも小説を読む物語の醍醐味というものが皆無だ。先日読んだ有栖川作品と比べると雲泥の差が歴然と解る。あまりに登場人物を駒として動かしすぎである。だから感情移入さえもできないのだ。
また犯人は思ったとおりの人物だったし、下世話なライトノベル調文体が妙に鼻につくし、苦痛を強いられた読書だった。


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思いがけないアンコール (講談社文庫)
斎藤肇思いがけないアンコール についてのレビュー
No.561: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

付き合いきれないわ

大脳生理学者須堂の研究室に助手、牧場典子より「恐怖の問題」という巷で話題になっている都市伝説が持ち込まれる。それは男女もしくは隣人があまりの面白さに狂気に駈られる問題を取り合いになって墓地で取っ組み合いの殺人事件になるという話だった。そんな中、静岡で大地震が起き、崩れた墓場の近くから男女のものと見られる白骨死体が発見される。果たして都市伝説「恐怖の問題」は実話なのか?またその頃、詰将棋を勉強していた須堂の元に親しい藍原教授から詰将棋の盗作の話が持ち込まれるのだった。

竹本健治氏の独特の云い回しにははっきりいって疲れた。雰囲気重視の作家なだけに使用する単語にこだわりが強いのも解るが、独り善がりが過ぎる。この手の幻想小説風味が当方に合わないのも一因だが、読み取りにくい上に、モジュラー型の本格推理小説の形式であるから、なおさら理解しにくい。多分二度目に読むと各章が何を指しているのか解るだろうが、あいにくこちらはそんなに暇じゃない。

真相は大脳生理学者の須堂が解き明かすに相応しいテーマであり、発表された当時'81年の作品としては極めて斬新であった事だろう。しかしただその1点のみ評価が出来るだけで、それ以外は付き合いきれないなぁ。


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将棋殺人事件 (講談社文庫)
竹本健治将棋殺人事件 についてのレビュー
No.560: 5人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

大学時代を思い出すぢゃないか

英都大学推理小説研究会は夏合宿と称して矢吹山のキャンプ場を訪れた。そこで偶然知り合った雄林大学のサークル「ウォーク」の連中、同大学の同じゼミ仲間の1グループ、そして神南学院短期大学の3名と共にキャンプを行う事になった。出遭った者達が親しくなるに連れて別れを惜しむようになり、有栖川たち英都大学の連中も含め、もう1日、延泊する事にした。しかしその夜、矢吹山が200年ぶりに噴火を起こし、下山できなくなってしまう。密室と化したキャンプ場でまず失踪者が現れ、第1の殺人が起こる。しかもその死体の指先には土に書いたYの字が。この事件を皮切りに連続悲劇の幕が上がる。

今まで素人の投稿作品のアンソロジーを読んできたために、このデビュー作における有栖川氏の非凡さが大いに引き立った。このリアリティは何だろう?
また内容も題名に「ゲーム」の名を冠しながらも、単なるパズルゲームに終始していない。総勢17名の登場人物はそれぞれ個性を発揮して単なる駒に終わっていないし、殺人事件が起こることに対する登場人物らが抱く心情も丹念に叙述し、読者の共感を促している。特に理代の次の台詞、「死ぬにしても……誰か以外のみんなは……楽しい人たちやったって……それを、私、知りたい……」はかなり心に響いた。こんな風に小説全体にこの作者特有のペシミズムが流れているのだ。それに加え、大学生という設定による社会人になる前の青臭さが新鮮で、旅先のラヴ・アフェアなどの恋愛も絡ませて一種の青春小説の様相を呈しているのも好印象だった。大学時代を思い出してしまった。

更に評価すべきはいわゆる「雪の山荘物」のヴァリエーションとして山の噴火を単純に設定しただけでなく、事件の真相に大いに寄与させているのが技巧の冴えを感じた。奇抜さだけで終わっていないのだ。
幕間に挟まれたマーダー・ゲームのエピソードなどもこの作者の推理小説(ミステリ)への愛情を窺わせる。

さて本書は読者への挑戦状が織り込まれている。チャレンジした結果、犯人は外れたが真相は十分納得いくものだった。今なお本格ミステリシーンの第一線で活躍するこの作家の才能の片鱗が窺えるデビュー作だった。


月光ゲーム―Yの悲劇’88 (創元推理文庫)
有栖川有栖月光ゲーム Yの悲劇'88 についてのレビュー
No.559: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

田中氏が書けば中国風味が加わる

通常、映画のノヴェライズは手に取らない私。しかしその作者が田中芳樹氏だと聞くと気になり、思わず買ってしまった。このあまりに知られた物語をどういう風に料理するかに興味を覚えたからだ。

いやあ、実に田中芳樹氏らしい作品だというのが正直な感想。登場人物の台詞が田中特有のアイロニックな云い回しとハリウッド・テイストとぴったりマッチングしており、全然違和感ない。逆に映画という時間制限で極限に絞られた条件の中でこの部分の台詞はどのように表現されているのかと気になるくらいだ。つまり田中氏の台詞こそが映画に相応しく思えるのだ。
また映画の舞台となる1933年当時の歴史背景・風俗背景も丹念に書かれており、これが非常に臨場感を増している。この辺は正に彼の得意とするところで、面目躍如といった感じ。田中氏の悪い癖の1つに歴史的なエピソードに懲りすぎてストーリーの進行がおろそかになることが挙げられるが、今回はほどよい匙加減で、抜群に雰囲気を引き立てている(特に当時の大統領のエピソードやアル・カポネが逮捕された時はまだ32だったなんていうエピソードなどの薀蓄は楽しかった)。

そして今回最もこの作品を手に取るにあたり、ぐいっと興味を惹きつけられたのは「King Kong」という名前の由来が中国語から来ているというエピソードだ。これはどうやら田中氏の創作ではないかと思うのだが、このエピソードこそを得た事で中国好きの田中氏との強固たる絆が出来たことを確信した。(本書を読んだ時点では)映画を観ていないので憶測になるが、キング・コングの棲む島がダイヤモンドの原石の山だという設定は恐らくこのエピソードから膨らませた田中氏のアイデアだと思う。

ともあれこれを読んだがために非常に映画を観たくなった。忘れていた細部が補完されたため、そのスケールの大きさを痛感させられたので、是非とも映画館の大スクリーンで体験したい。
状況が許せばの話だが(その後DVD借りて観ました)。

キング・コング
田中芳樹キング・コング についてのレビュー