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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 621~640 32/41ページ
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長編官能小説? 下品極まりない 性欲を貪り、わがままやりたい放題の主人公には腹が立ちました! 永沢さんの方がまだましです(笑) あと突撃隊(笑) 次から次へと女性と交わり、あろうことか親友の彼女に手を出した挙句、 本気で手に入れられると思い込み、彼女が亡くなると幻想でかつての親友に暴言を吐き死者にさらにムチを打つ始末・・ まるで悲劇の主人公気取りの極悪人です どこが恋愛ですか どこが哀しみですか ひどい話です 次はどの女性が犠牲になるのか冷や冷やして読みました 無駄に話を引き延ばす景色の説明はいらないと思います、 それから何で小説で自分の好きな洋楽暴露してるんですか 異常に出てきたし、それらを知ってるキャラ設定にも不自然さを感じました | ||||
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どこで読んだかは忘れたが、 村上春樹は自身が飲食店を経営していたときに得たノウハウとして 「飲食店が繁盛するコツ」をエッセイに書いていた。 曰く「10人のお客さんが来たとして、10人全員にそこそこ気に入られるより、 9人に嫌われても良いので1人に猛烈に気に入ってもらえたほうが良い。」とのこと。 その猛烈に気に入った一人はその店のリピーターとなり、 さらに口コミで人を連れてくる。 口コミで店に来た人の何人かは、またさらにリピーターとなるらしい。 「繁盛=ベストセラー」を意識しているかどうか不明だが、 彼の作品は明らかに 「多くの人は拒絶反応を示すが、一部は猛烈に好きになる」 と言った類のものだろう。 そう言う私も、この「ノルウェイの森」をきっかけに 春樹リピーターとなった1人だが、 拒絶反応を示したレビューが予想以上に多いことも興味深い。 確かに村上春樹の何が良いかを説明するのは難しい。 逆に「良くないところ」を説明するのは簡単だ。 物語に脈略がない、簡単に人が死ぬ、意味不明なセックス、、等々。 それにしても、私を含めた多くの人が魅せられるのか? ひとつ確実に言えるのは、流れるような文章表現力だろう。 例えとしては苦しいが、音楽を楽しむように 我々は読解を楽しんでいるのではないか。 音楽にも歌詞やメッセージがあるが、 それよりも心地よい音の流れそのものを楽しんでいるはずだ。 同じように私たちは、物語やメッセージよりも 村上春樹の心地よい文章の流れを楽しんでいるのではないだろうか。 | ||||
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いつだったかな。 もう随分前、たぶん3、4年前だと思う。 姉の部屋に転がってたこの不思議なタイトルの本を2冊見つけて何気なく手にとってその夜朝まで読みふけってしまったのは。 今は社会人。朝まで熱中できる本に出会う事はあまりなくなってしまったけど、「ノルウェイの森」を想うとき、同時にあの頃若かった自分を思い出す。ノウェイがどんな場所だかなんてわからなかった。異国の地。ただ確かに流れている、女の子と主人公の間にある時間。 すごく心地のいい小説だったな。 | ||||
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自殺を含めた人の死や、性行為や、感傷的な何もかも、それが心地よくすら感じられるのは筆者の才能なんでしょう、多分。ただ一歩間違えれば、具体的には年代・時代の設定如何では、どこか別の所でで見た感じがしてしまうのではと思いました。順番的にはこちらの方が遥かに先なんですが、それだけこの小説の影響を受けた人が多かったのかなと感じます。そんな事も有るので設定が学生運動時代の話で、描かれたのが80年代後半であるけれども、何かそんな感じが私にはしません。 10代に読んだ時にはかなり感情移入できた様な記憶が有りますが、今読み直すと、どこか冷めた目で読んでいる私がいます。「大人になる」前に読まないと駄目なのかもしれないですね。 | ||||
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著者の中で、代表作の1つといってよい作品です。 主人公が悩まれ続けながら・・・ やっぱり、著者の作品は理論っぽくないから大好きです。 感情に任せて書いているのに、ちゃんと筋道が通っている。 こんな文章は書きたくても普通の人じゃ書けません。 すばらしいの一言。 ただ、主人公が「魔の山」読んでいる箇所があります。 星は四つにしておきます。 | ||||
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今回読むのが3回目。結末を知りつつ恋愛小説を読んで楽しめるのだろうか? 楽しめた。上巻は最初のほうに「蛍」という短篇小説がまるまる収録されているのだが、宮本輝の「蛍川」(新潮文庫)のようにラストのセンシティブな美しさがくっきりと心にまた残った。文中に出てくる蛍はいったい何を託されているのだろうと考えると切なくなる。直子、緑、レイコさんのパーソナリティがあらすじを越えて読ませるものがある。最初に読んだときは、レイコさんに惹かれ、次が緑。今回も下巻に進む前の段階では緑の虜となった。本作は「めくらやなぎと眠る女」や「国境の東、太陽の西」に通ずるエピソードも散見され、村上春樹が描く青春小説の集大成的な意味合いがあると思った。 | ||||
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なぜこんな本がベストセラーなのだろうか。読んでいて非常につまらなく、得られたものはほとんどなく、この村上春樹という小説家にたいして非常に悪い印象だけが残った。 この小説に限らず、最近の恋愛小説は性描写が多すぎる。確かにこれだと若者の心はつかみやすいかもしれないが、小説を読みなれている者からみれば何てことはなく、ただ作者の力量のなさがよくわかる。もちろん性表現があってはいけないということはない、ただこの小説の場合あまりに多く写実的で読んでいて不快になるばかりだった。 つくづく、真に小説を書くのが上手い人は、性表現を用いずに恋愛小説を書ける人だと思う。そのように書かれた小説はおそらく非常に読みやすく、なおかつ読み手に対して何かしら強い印象を与えるものになるのではないかと思う。 | ||||
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登場する人はまるで「今現在」の方がいそうだ。 実は今の方が現実っぽい。 ただ小説とは時代とともにあるものだ。 だから本書がいつ書かれたものかはすごく重要だ。 そういうことも考えないで読むからただ「暗い」とか違和感を感じる人もいるんだ。 経済も活況の頃の本書は、やや暗くてよかったのだ。 そんなバカ明る過ぎた時代に「冷め」は必要だったはずだ。 めったに二度も同じ本は読まないけど、本書は二度読んだ。 弱い女の子を大切にしてあげたいな、とも思った。 主人公に読書の良さとか孤独な中の過ごし方のようなものを学べた。 思わず新宿のカフェでフォークナーを読みそうになった。 つまりそういうのが春樹作品の登場人物のチカラなのだろう。 | ||||
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純愛という表現は、本書に当てはまるようには今でも思えません。 喪失と再生という言葉が、本書に対してよく用いられますが、主人公の直子との関わり、そして彼女の死、緑との出会いを考えた場合、喪失と再生いう言葉が適切だとは思えません。別れと出会いで十分でしょう。 本書で私が楽しめた点は、私がまったく経験しなっかたような大学生活の記述が、まるで自分の大学時代の思い出のように語られている点でしょう。深く考えれば、本書の文学的価値に対しては、私自身否定的ですが、エンターテイメント的読み物としては、よくできていると思います。 | ||||
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久しぶりに読み返してみてまず思ったのは、 直子が姿を消す時期が意外なほど早いということだった。 そこからは、当然ながらほとんど緑の独壇場で、 「一見イケイケ風、実はけなげで尽くすタイプ」という、 やや類型的ながら魅力的なキャラの持ち主である彼女を、 「いかにワタナベとくっつけずに興味を持続させるか」が、 技術的にはこの作品最大のキーポイントとなる。 そのために、 ・緑の髪型の変化に気づかなかったため、数ヶ月間無視される。 ・引越しの際、連絡先を知らせなかったため、やはり無視される。 等のエピソードが導入され、 ワタナベは緑と結ばれずに苦しむことになるのだが、 これらの展開にはいささか無理があると思える。 とくに後者は、いかにワタナベが内向的な性格の持ち主だとしても、 「単にうっかりした」で済まされることではなく、 「しょせん、緑のことなどどうでもよかったのでは?」 と疑われても仕方がないような種類のミスであり、 作品全体の説得力を微妙に弱めていると言わざるを得ない。 さて、森鴎外の短編「普請中」を読んだ時、 「これは『ノルウェイ』の元ネタではないか?」 という気がしたものだ。 数分で読み切れるこの短編、あらすじは、 「渡辺参事官がレストランの個室でドイツ女と会う」 というものに過ぎないが、 ・主人公の名前が「渡辺」であり、ドイツ語ができる。 ・レストランの個室で食事をする場面がある。 ・外交官としての側面は「永沢」に受け継がれている。 等、いくつかの共通点を挙げることが出来る。 一般にそう思われている以上に衒学を好む作者が、 この作品を下敷きにしていたとしてもおかしくはないだろう。 | ||||
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この作品ほど,村上春樹に対する評価を決定付けるものは他にありません。初めて彼の作品を読んだ人,彼の作品をたくさん読んでいる人,どちらとも彼を語る際には必ず挙げられると言っていい。そのため,話題性もまた最も大きい。私は,これまでにすべての長編と少しの短編を読んでいて,初めて触れたのがこの作品がでした。 自伝との評に対する否定などとともに,「書かなければならなかった」という作者の文が,英語版の訳者あとがきにあります。この言葉が,僭越ながら私にはよく分かります。『ねじまき鳥』がお気に入りであり,また『ダンス』から『世界の終わり』への流れに圧倒された私には,その間にあって「(読ま)なければならなかった」作品。また,「蛍」で有名なように,この作品を長編として完成させるために,相当の時間を要しています。いわゆる「浅い」との批判は,おそらくは違うでしょう。「『セカチュー』などの先輩」という評も。それらの本とこの作品の読みやすさとは,似ているようで全く異なるものです。 「僕」,直子,緑,レイコさん。突撃隊,キズキ,永沢さん,ハツミさん。学校,寮,電車,書店,施設。どれもが他の長編に比べ現実的であり,でも合わさってどこか幻想的でもある。はじめから長編を幻想で書き続けた作者は,ある意味自らの居住まいを正すためにこの作品を書いたのでは。”Norwegian Wood”のとおり”This Bird Has Flown”となる前に,何か大切なものを捉えておくために。 | ||||
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もう随分昔に読んだ本です。 今思い返してみると、 読後、なんとも言えない。なんかこうどこにも持っていき様の 無い無常感を抱いた事を思い出します。 この本は高校生・大学生の青春時代、主人公と同年代の頃に 読むことオススメします。 村上春樹の独特な世界観はその頃に読むと一番感じるものが あると思います。 今、働き出して、毎日現実に追われて、目の前のタスクをこなす日々 の中でこれを初めて読んでもきっと昔ほどの感情を抱くことは できないと思うから。 | ||||
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純愛という表現は、本書に当てはまるようには思えません。 喪失と再生という言葉が、本書に対してよく用いられますが、主人公の直子との関わり、そして彼女の死を考えた場合、喪失という言葉が適切だとは思えません。わかれで十分でしょう。 では、再生について。これも大げさな表現に思えます。再生とは一旦全てを失ってそれからの再出発をさし、直子の死と緑との出会いを考えた場合、喪失と再生という表現は不適切だと思います。 本書で私が楽しめた点は、私がまったく経験しなっかたような大学生活の記述が、まるで自分の大学時代の思い出のように語られている点でしょう。深く考えれば、本書の文学的価値、評価に対しては、私自身否定的ですが、エンターテイメント的読み物としては、よくできていると思います。 | ||||
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愛する人、身近な人を突然失うことの悲しみを私に教えてくれた作品です。 ぜひ、多くの人に読んでほしい、そして最後まで読んでその感想を共有してほしいと思った作品です。 | ||||
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クソみたいに共感できる。まず、ファンタジーとか感動できるような話を求めている人には向かない。「楽しい」本では無い。 淡々と、この人の現実を語っている感じがする。 | ||||
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「ダンス・ダンス・ダンス」に続き読みました。とてもうまい文章だと思いました。ステレオタイプな登場人物と生死の混在がミソだと思いました。 | ||||
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読み終わった時、頭の中でゴォォオオオと何かが鳴っていた。そして何も考えられなかった。 小説を読み終わると、心に残るものはひとそれぞれで、言葉になど到底できないものもある。だがそのほとんどは、喜怒哀楽のなにかには、おおまかにだったら分類できるものではないだろうか。しかし、この作品は無理である。信じられないが、無理である。終わり方に大きく起因すると僕は考えるが、よくわからない。 この作品でしか絶対に味わえない、感じることのできないものがある。それだけは言える。 | ||||
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最近、彼は外国人にも受けているらしい。確かに彼の作品は、読み易い。しかし、浅い。私はトルコ人の友人に、日本文学は村上春樹ほど浅くないというつもりで、夏目漱石の三四郎とそれからをノルウェイの森の代わりににプレゼントとして送った。両者を読み比べれば、そしてある程度の教養と人生経験があれば、違いがわかるはずである。別に、漱石でなくてもいい。 ノルウェイの森は、すべてが読者受けするよう、特に未成熟な読者向けに作られたようなき気がしてならない。所々に、西洋文化の香りを散りばめ、十二分にセックス描写を取り入れ、若者の心を掴もうとしている。極めつけは、登場人物がやたらと死ぬ。しかも、自殺。物語の設定が不自然極まりない。彼の”作品”における登場人物は、大体二十歳前後であることも忘れてはならない。そうすることにっよて、より多くの若者の心を掴もうとしていると同時に、彼の本当の意味での人生経験の無さを表している。 村上春樹は良い語り手かもしれないが、文学者と呼ぶには程遠い。 | ||||
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曖昧な意思の持ち主が「喪失」を語ることの欺瞞を感じる。 主人公は、自分でリスクを負って物事を選択するという事を何一つしない。 まるでそういう事が「カッコ悪い」とでも言いたげなように著者に免罪符を与えられた主人公のふるまいは、フィクションにも関わらずある意味腹立たしさすら覚える。 主人公は全て他人からの有り得ないような働きかけによってフラフラと引き摺られ、不自然なほどに綺麗な渦の中心になる。まるで他人の心を操れる超能力者のように。 どうでもいいようないろんな女とどうでもいいようないろんなセックスをするのは、先輩が一緒ナンパに連れて行ってくれたかららしい。 相手のことが好きなのか良く解らないが、この本のメインの二人の女性である直子と緑との関わりも全て他人任せで主人公のリスクは一切無い。 直子と緑のそれぞれ個性とキャラクターは明確だが、それに関わる主人公の心理の中核があまりに雑っぽ過ぎる。直子と緑がそれぞれ主人公にとって、どう他の多くの女性から際立ち、どんな純度で主人公を「魅入らせ」たかの描写の片鱗すら無い。 女なんて最初から誰でもよかったんだと思えてくる。 直子が直子で、緑が緑でなければならない「意味」が全く感じられない。 彼女達が、主人公のあやふやな心理をいじくる「道具」にしか見えてこないのだ。 大事な人を失うという「哀しみ」や「絶望」は、決して出来事としての「死」や「別れ」ではなく、その対象に対する隙の無い「魅入られ」を必要とする。と思う。 曖昧な感情のまま、「魅入られ」てもいない人間の「喪失」対する涙は、例えどんなに巧みにデコレーションされ、万人の賞賛を得られていたとしても、私の目には、「嘘」 にしか映らない。 | ||||
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ねじまき鳥、と比較的似ていて、どうもこの人は井戸とidについてかけて、あそんで、考える、という図式があるなぁ、と思う。上巻を読んでの感想は、特に山もなく、薄暗い物語、が淡々と続いていく、という印象。 村上作品はこれとねじまきしか読んでいないのだが、まぁ、大体方向性は一緒だなあ、と思う。人によって評価が分かれると思うけれど。 恋愛小説らしいが、よーわからんわー、と思う。良くも悪くも、この人の作品はつまらないけれども、詳細がきちんとしているから、小説として成り立ってしまうのだと思う。 俗物的、価値観の若者を書かないところはすばらしいと思う。 | ||||
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