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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 601~620 31/41ページ
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村上春樹の小説には、一見優柔不断な主人公が登場する。好きな人のことを思いながらも、何をしたらいいのか、どうしたらいいのかを考える時間をいつも必要としている。ちっとも明るさがない、幸せそうに思えない。「ねじまき鳥クロニクル」のオカダトオルもそうだし、本書のワタナベもそう。そうこうしているうちに別の人と性的な行為に及んだり、人が死んでいったりする。そしてその流れが読み出すと止まらなくなるほど読者を捕らえてしまう。いったい何故なんだろう? 本書を再読して、確かに悲しい物語であり、純愛が綴られていると思う。ワタナベが成長していく過程も描かれている。でも、読み出したら風呂の中でも頁を繰ってしまうこの渇望に似た気持ちはストーリーの先を知りたいからではなく、この文章の中に居続けたいという不思議な気持ちであると感じる。 読み終えてそして、「海辺のカフカ」を買いに走ってしまう。 | ||||
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この本にレビューをつけるのはある意味恐ろしい。 何を書いたらいいんだろう。 この小説の大きさは単に恋愛小説だとか青春小説だとか 区切ることが出来ない点がある。 よく恋愛小説だとかいわれたりするが、そんな単純なものでは ないだろう。 物語の形式を取りながら物語ではなく、恋愛の形式を取りながら 恋愛ではなく。 生きていくという上で支払っている代償やら、人生に潜む井戸やらを 村上春樹特有の語り口調で独特のバランスとセンスを持って 一見分かりやすく、ある意味分かりにくく、 それは物語らしきものを使って伝えてます。 重要なことは、何かうまく伝えられないが、 僕たちの心の奥底に潜む哀しみのようなものを呼び起こす感じでしょうか。 もう15年くらいの間、何度も読んでいるが その都度に感想が変る。とにかくそういう本です。 | ||||
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私は高校の時に一度読んで、再び大学で読んでみたのだが、さっぱりわからない。他の人は読みやすいと言っているが、私は理解できない。なぜ登場人物はいきなり死んだのだ?なぜ主人公はあの行動をしたのだ?最後も理解しにくく、つまらないわけではないが、いまいちスッキリしなかった。 | ||||
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何度読んでも切なくなる本です。 高校時代に唯一の親友が世を去り、残された「僕」と「直子」が大きな心の穴をかかえたまま生きていく。 お互いを求めあってはいるけれど、傷は乗り越えることができないほどに深かった。 それでも生きていくことを静かに決意した「僕」は一種の諦観を持ち、「直子」は心の病を乗り越えるために死を選んだ。 それでも「わたしを忘れないで」と言った彼女の想いは、まるでこの世に残した一片の希望のようにも思える。 それから20年近い時を経ても「僕」の心を締めつける。 回想という設定で書かれている小説だけど、振り返った青春と呼ぶには歪んでいる。 まわりの人があの世へ旅立っていくたびに「僕」の心に開いていく穴が見えたような気がした。 それは心を蝕むのではなくて、ただぽっかりと穴を開ける。 それでもまだ死者を思うたびに哀惜の情を抱ける「僕」は強い人なんだろう。 再生したとか乗り越えたというよりは、すべてを抱えたままでも生きていけるだけの強さを身につけたようだった。 | ||||
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初めて読んだ村上春樹氏の作品です。 最近本格的に読書を始めたものとしては、読みやすい作品でした。 しかし、ラストでの彼の意図としているものは分かりませんでした。 でも、私はこの本を楽しんで読んだと思います。 これから何年後かに、読んだらしっくりするものがあるのかもしれないなと感じました。でも、とりあえず近々、読み返す予定です。 | ||||
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10数年ぶりに読み返してみた。 はずかしながらストーリーはほとんど忘れかけていたのだが、おかげで最後まで楽しめた。 日常生活の中で考え、意識すべき『死』について、あらためて考えさせられる良いきっかけを与えてくれた。もちろん"恋愛"も重要な主題であるのだが、あくまでもメインは『自分』のありかたであり、自分の意識の中にある死であり、これら日常の中の死とどのように対峙すればよいのか、というあたりが読み手が受け止めるべきテーマである、と思う。 村上作品は、どれもそうなのだが、読むたびにヒトとしてあるべき姿、いわば『行動規範』のようなものを、自分はいつも指南されているように感じる。(あるいは自分が共感する部分が多いためそのように思い込んでいるだけかもしれないが。) 性描写については個々の嗜好などを含めいろいろ賛否があるとは思うが、非日常的なイベントや状況にリアリティを与えるための"要素"として、作者が取捨選択した結果なのだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。 | ||||
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以前は村上春樹の事があまり好きではありませんでした。しかし、外国人の友人がたびたび彼の作品について聞いてくるので、約15年ぶりに本書を読み返しました。 読むにあたって、1.登場人物中誰が一番好きか?(はつみさん)2.誰が一番悲しい人物か?(ワタナベくん)3.誰が一番自分に近いか?(ナガサワ)とあらかじめ自分自身に課題と設けました。 マーラーや、グレートギャツビー、マルボーロといった、少し不自然な小道具にも気付きましたが、見方を変え、ある意味、分析するように読み返してみると、(年齢を重ねたせいもあるでしょうが)本書は実に悲しい物語である事に気付きました。 この物語を悲しくさせた一番の理由は、ワタナベ君と直子との恋が成り立たないことは始めから解りきっているからです。恋とは努力して成就させるものではないことは誰もが知っているはず。そのワタナベ君の努力は義務感から来るもの。そういった意味では、二人の間には始めから恋愛感情など存在しなかったのかもしれない。 そういう物語を久しぶりに読み返して、15年前とは違った印象を持った。 | ||||
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最近新聞やらに色々と村上春樹の名前を見たので、久々に読み返してみましたが、好きな小説とは言えませんでした。 先ず、「彼女は僕を愛してさえいなかった」と書いてあるが、愛してさえいないなら何を求めていたのだ、 と言いたくなります。それに初版からしばらく経つと言う事で、時代の経過によって若干古くなったと感じました。 その他にも感情移入できない所も多々ありました。なんか登場人物の感情があっさりしているようで、実はネバネバ、 ベトベトしているように感じてしまったからです。 人の感情がネバネバしたりするのは当然ですが、この小説のネバネバは格好良く書こうとか、 こう書くとエロいんじゃないかという様な、作者の考えを文章の裏に感じてしまうタイプのものです。 キザな気持ち悪さとでもいいましょうか・・・ 昔は読んだ時はとても良く感じたのに今読み返すと官能的だし面白みはあるが、深みがないと思い、 少し酷いかもしれないですが、官能的な部分に支えられた小説という気もしないではないです。 という訳で個人的には星2つです。あしからず・・・ | ||||
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村上春樹の小説の主人公はたいてい孤独を愛し、タフである。 ワタナベもそういう傾向の人物であり、 まわりの人間がつぎつぎに死んでゆくという過酷な状況を耐え、乗り越えていく。 まだ若い彼は時にアルコールにおぼれたり、感情を爆発させることもある。 そうやって不安定な時代を生き抜いた彼の良さは、 「タフさ」とともに自身でも述べているように、 「楽天的」であるということだろう。 アルコール、音楽、セックス(村上文学ではおなじみですね。ところで「純愛小説」というコピーは何だったの?)。 それらの事で日々の生活を愉しみ、渇きをうるおしていく。 これはストレスに取り囲まれて、日々汲々としている日本人へのシンプルだが重要なひとつの示唆だと思う。 私もワタナベ式サバイバル術?を少し取り入れてみようかなと思わせられた一冊でした。 この本が気に入った方は、『国境の南、太陽の西』をお薦めします(本書と同じリアリズム小説です)。 | ||||
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デビュー以来、長編四作を書き終えた村上氏が、「このへんでリアリズムの文体を身に付けなければ」として、自らの大学生活もモチーフにして書かれた作品。 この作品は、表面的に読めば単なる恋愛小説にも見えますが、その裏側を読み取ることで、初めて意味を成すようにも思えます。そもそも、氏の経緯を見て、氏が自ら考案したという、「100%の純愛小説」という帯の言葉に表わされているような、単純なものを書くはずがありません。そもそも、「純愛」とはなんでしょう…?…総て、「嘘」…?あるいは、性欲…?氏の真意を考察しましょう。 まあ、取り敢えずこの作品は、大学生活中に読んでおいて非常に良かった本です。何故なら、高校時代に読むのでも、社会人になってから読むのでも味わえないリアリティを味わえたからです。もちろん、僕は主人公ワタナベ君のように豊かな女性経験はしませんでしたが、大学生活の、どうしようもない無機質な感じは、時代は違えど普遍的なものだと感じました。だから僕にとっては、本書を初読の大学二回生時、ワタナベ君が回想する「ノスタルジー」を、どこまでも「リアリティ」として感じられた訳です。 それと同時に、ワタナベ君の読むフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、フォークナーの『八月の光』、トーマス・マンの『魔の山』、ヘッセの『車輪の下』など、文学初心者に本書は良き文学の道案内となってくれるでしょう。僕ももちろんその恩恵を受けたひとりでした。 いずれにせよ、戦後から今なお続く、乾いた頽廃、云われもなき虚無、空虚な生と死、などの空気感を、肌で味わえる作品です。確かに全体として非現実な描写が為されているのかもしれませんが、読了後永く時間が経過しても、本棚に置いてある本書を見ることで、その一つ一つの描写の情景が、自分の心にリアルに湧き上がってくる、つまりは自分の心で生きている、そんな作品のひとつです。むしろ時が経てば経つほど、「ノスタルジー」として、本書の存在が際立ってくるのが、不思議です。 | ||||
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著者は、「精神を病む人」にかなり造詣が深いみたいですね。おそらく、著者自身が多少なりともその世界に無縁ではないからかなぁ、なんて思いました。精神を病む人が、そうでない人々よりも却って「健全」であるケースが、作品の中にいくつも描かれています。私は、各登場人物が、「精神を病んでいるが実は純粋」⇔「世の中に適合しているが心は腐っている」の尺度の上の諸段階に位置づけられていることに興味を持ちました。左端は自殺をした3名の人たちであり、その隣は左と右とのインターフェースが務められる「僕」およびその解説者としての「レイコ」、その右隣が腐った世の中に疑問と嫌悪を感じて自分の左隣に居る「僕」に魅かれる「緑」、その右隣が世の中に適合しているし健全でもある、即ち最も「歪み」の少ない「ハツミ」、(彼女も結局自殺をするのですが、私はこの位置に彼女をおきたいと思います。)右から二番目が、自分の価値観が全てであり他人への配慮がない代わりに特に大きな迷惑もかけない「突撃隊」および「寮長」、右端が、世の中に埋没して腐っている「店長」および「学生運動の人たち」でしょう。外務省に入る「永沢」は、それら全ての段階を承知していながら、いや承知しているがゆえに、そのどこにも自分を位置づけないし、おそらく位置づけることが出来ない「根無し草」です。私および最も多くの読者が共感を覚えるのは、「緑」ではないでしょうか。素直でひたむきでありながら、かつ、やせ我慢や片意地を張って見せたりする。そして、その、入って三ヶ月でやめたフォークのサークルについてのそれに代表される胸のすくような科白。「僕」が「緑」といっしょに幸せになったかどうか、という読者が一番知りたい(それを知りたくて最後まで一気に読んだのに。)結果は、とうとう知らされないまま物語は終わってしまいました。 | ||||
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村上春樹は初めて読みました。共感するかしないか、かなり分かれる 作品を書く方とお見受けしました。個人的には大共感。即、他作品も 読んでみようと思います。思うに、この作品に共感を持つ人は皆、 「自分が一番可愛い人」なのでしょうね。作品の中でも、主人公に 対し同じ指摘をされる箇所があります。表題にもある通り、この作品 は紛れもなく人生賛歌です。が、非常に独善的な人生賛歌であり、 結局、自分の幸せしか考えていない賛歌です。ですが、その潔さと、 それをそのままストレートに書いてしまうと身も蓋もないので、死と の対比、世間と溶け込めず決して幸せではない主人公、という形で 上手にぼかす奥ゆかしさが素晴らしいです。その独善ぶりに、合わない 人は強い拒絶反応を示すし、合う人は「よくぞここまで問題の ど真ん中を突いた」と賛辞するのでしょう。この物語が裏で恥ずかし がりながら訴えるのは「自分が幸せじゃなきゃ人を幸せに出来ないん だから自分の幸せを第一に考えるのは仕方ないでしょ」という正論で あり、これを立地点にした人生賛歌です。他の立地点は受け入れません。 そして「まあこの考え方が完璧じゃなく異論があるもの分かってる」 と謙虚に認めつつ、その力強い主張を続けます。 読後に残ったぽっかりとした感じは、物語の哀しさではなく、「これ に共感する自分も欠陥あるのかな」という自己憐憫であり、これが 結局は私も自分が何より可愛い人間である証拠なのでしょうね。 | ||||
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村上春樹の文章ってのは理解するのではなく感じるものなんだと思いましたつまり私は理解できなかった、それでもとても楽しめました読んでみる価値はあると思います | ||||
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内容を考えたりストーリーを追ったりするより、 雰囲気に浸るという読み方がいいんだと思う。 こんな生き方がしたいわけじゃないけど、 でもいいなと思えた。 | ||||
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自分を客観的に見つめて欲しいと言うのは、誰に対して言っているんでしょうかね? この本の主人公ですか?それとも村上春樹に対してですか? はっきりいって、この両者とも十分に客観的に物事を考えられています。 まあそんなことはどうでもいいとして、 何かを失くした、そのような喪失感がひしひしと伝わってきます。 こんな恋愛小説ほかには無いかもしれません。 そこら辺の恋愛小説とは違いますね。 言い尽くされた言葉なんかより、僕もこの話を薦めたいです。村上作品の中で一番売れた作品です。 文庫本のほうにはあとがきが載っていないので、そのへんは本屋や図書館に行くなりしてみてください。 単行本のほうには、村上春樹にとっては珍しい、あとがきが載っていますので。 | ||||
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私は、村上春樹の本を読むのは、このノルウェーの森が2冊目でしたが、 この本ほど、吸い込まれていった本は、久しぶりでした。 ちょっと過激な描写も確かに多くありましたが、いろいろな人の 人間模様をうまく表現していたと思います。 レイコさんが、初めてワタナベくんに会った時、言った言葉。 相手を助けたいと思うこと。そして、自分も誰かに助けてもらわなければ ならないということ。つまり、相手を回復させることによって自分も回復できる。といった言葉。 本当に、じーんとしました。 人間強いばかりの人は、いませんので、やはり、弱い部分を補ってこそ 生きていけるのだと思うからです。ここに出てくる人たちは、本当にいろいろな悩みをかかえて、孤独におびえています。 そんな人だからこそ、悩みをかかえている人を救うことができるのでは、ないかなって思いました。 自殺してしまう人が多くいて、ショックも受けましたが、人生を必死に 生きようとしたからこそ、ではないかとも思いました。 暗く思い本でもありましたが、いろいろな事を考えさせてくれた 一冊になりました。 | ||||
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一生懸命、良い部分を、素晴らしい部分を見つけたくて あなたの本を何冊も読みました。 だけど、私にわかる事はできませんでした。確かにあなたはあなたの小説の中で自由です。リミットなんてなく。 そして、あなたの書く世界はすごく現実なんだけど、きっとかなりリアルなんだろうけど、私はこんな現実をまだ認めたくないと思いました。まだあなたの知ってる現実を知りたくないと。 だからあなたの本を読むことはもうやめようと思います。 若いときにこそ読むべきと言われてる本を私は若いときに読んでみましたが、もしかすると私は年をとってからあなたを理解できるのかもしれません。 | ||||
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村上春樹の描く恋愛小説。 出世作といっていいと思います。 どこまでも深く深く沈んでいってしまいそうなお話です。 どのキャラクターも生き生きとしながらも淡々としている分、僕には異色とも言えるふつうな女の子「緑」の存在が大きかったです。 読む人を選ぶ小説だと思いますが、彼の小説の中では唯一と言っていい「真正面からぶつかろうとしている恋愛小説」なので、ぜひ手に取ってみてほしいです。 | ||||
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若い青年ワタナベを主人公とした、ありえない大学生活のひとときを描いた作品。ワタナベくんはあまりにも男脳であり、男女の考え方のすれ違いと結末が最も極端な形で起こる。魅力的な人物描写も多々あり、楽しめる。 | ||||
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純文学なのかな? 私には合わない。主人公は何を言いたいの?何をしたいの? 全く理解できない。 でも、自己陶酔の文学はただの・・・表現は避けます・・・。 これは明治以降の私小説の流れにある作品ですか? だったら、いい加減にして欲しい。少しは自分を客観的に見つめて欲しいよ。 ただの自己満足でしかない。なぜこれがベストセラーなの?不可解です! 心底自分に向き合って作品を書いていますか? 人気ありますね。そういえばこの本とよく似た作品を読んだ記憶があります。 柴田翔「されど我らが日々」。学生時代、柴田氏の講義を受けました。 印象ですか?何にも残っていません。同じです。全ては運命。自分は可哀想な存在。 周りには主人公に都合の良い異性。そして擬似的恋愛。そして擬似的恋人の運命やいかに? トルストイとは言いません。シェークスピアを読んでから、この人の本を評価してほしいですね。 | ||||
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