■スポンサードリンク
グロテスク
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
グロテスクの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
泉鏡花賞受賞作ですが、主人公達が深夜の地蔵前で邂逅する あたりなんか、ちょっと鏡花の「歌行灯」の夜辻の場面を思い出 しました。なるほど、ふさわしい受賞なのでしょう。 内容はそのものズバリのタイトルが示すとおりです。 野菜の組み合わせで描かれた肖像画で有名なアンチンボルドの 絵を思わせる小説です。 「幾何学的な人工性・観念性」と「フレッシュで生々しい自然性」の キメラ/コントラストが「グロテスク」の特徴のひとつだとすれば、 陰鬱な語りとうらはらのある種の明るさは、本書の大きな特徴なのだ と思います。 あくまでエンタメ系フィクションで、「心の闇」を抉った小説、 みたいな評価は個人的にはトンチンカンな気がします。 こういう重たげな語り口の小説は、よく「現代のXXな側面を鋭く 抉ってみせた」みたな評価で語られたりしますが、 純粋に装飾的なエンタメ物語として読むべきでしょう。 やや冗長なのは登場人物達が年増で繰言が多いためでやむをえない。 あと、登場人物も重厚な内容にしては、意外と魅力に乏しい。 万人に必要とされる小説ではない気がします。 私にも特別有意なものではなかったです。 (できがほどほどのスニーカ文庫の1冊って感じで、読むことを 損したとは思わないけど、ブックオフに売り払うのが躊躇われる大事な一冊でもない) が、これで救われる人が一人でもいるなら、それはそれでいいように 思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
東電OL殺人事件関連の本を読みあさっていた時期に読みましたが、これは全くの別物でした。 しかしながら、この小説の中で提示されている、序列化、可視化される価値観=強迫観念に引きずり込まれていき、本来は自由でいられる人が人でなくなっていく「グロテスク」さは、感じ入るものがありました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
友人から以前から進められていたのですが、読む機会がなく、最近やっと読むことが出来ました。そして、残念な感じがしました。良著であることは認めますが、皆さんのように賛辞は送ることが出来ないと思います。 例えば、精神を病んでしまう人が登場するのですが、「総合失調症」に至るまでの精神状態をあまりにも表現できていないと思いました。(段階があるものなのです)同じように「セックス依存症」として、描かれる人物もそこに至るまでの過程が全くと言っていいほどない。。何人かも指摘していましたが、それが上巻と下巻のテイストの違いになっているような気がしてなりません。上巻で描かれた事柄が、下巻にどのようにつながっているのかと期待したのですが、下巻に入ってしまってから、上記のような二つの症状に対して「病理」を描写なくして、問題を片づけているような気がします。例えば映画”Nuts”製作年 : 1987年(アメリカ)のような、複合的な要因を読み取るような深さにかけていると思いました。 そこで、私のレビューに付けたタイトルは「女性の敵は、女性なのか。。」という感想を持ったということです。理解できない何かを「怪物」とすることは、至極自然なことではあると考えます。そう考えることによって、「救われる」人も居ることは「認知不協和理論」によって理解できるからです。しかし、実際に起きていることは、前出の映画のようにもう少し複雑で、それらを踏まえた方がより深いのではないかと考えるのです。上巻に描かれている事柄は、きっと多くの人が経験上理解できることがあったか、少なからず経験をしたことで有ったので、緻密に描かれており、私も自身も深くく入り込めたのですが、下巻の内容は、前出の理由によって、切り分けていると考えます。そして、それを描いているのが女性であるということが残念に思いました。最終的に「わたし」が、「ジェンダー」や「経済環境」など、この小説が指摘していたようなその他の「格差」に関係のない生き方を「親族」と見つけ出し、幸せになっていく姿が幾分でもあったなら、もっと社会的にインパクトのある小説になったのではないかと思います。つまり、上巻が素晴らしかったので、「おしい」と。そのように思いました。と、ここまで書いてきて、こういった小説さえ理解できない私が、稚拙であり、理解できないものを悪いと規定することで、心の平安を求めているのかもしれませんが。。。。ご容赦ください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
東電OL殺害事件についていつも思う事は、昼はエリートOL、夜は売春という二重生活があまりにもベタで、ベタ過ぎて逆にリアリティに欠けてしまってフィクションでもノンフィクションでも浮き上がってしまう題材なんじゃないか、ということだ。 こうした生活を実際にしていたヒトがいる、という驚きを超すような驚きは未だもってないのだ。 この本も面白いし、ぐいぐい最後まで読ませるけど、「実在した事件をモチーフにしてます」という前提がもし無ければ、全然違った読後感が訪れる事だろう。登場する女性4人ともグロテスクに歪んだ自意識を抱えているが、40代にさしかかろうという時まで、その自意識を抱えて生きているのだとしたら、かなり文学少女的、全員が。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトル通り、「グロテスク」な作品ですね。 登場人物のほとんどが「狂っている」とも言えるほど歪んだ性質を持っていて、 ただでさえヘビーなそんな人物の手記をいくつも読む形で人生を疑似体験していくことになるので、かなり読んでいて疲労感があります。 特に主な語り手である「わたし」はしょっぱなから被害妄想的・過批判的で「この人頭おかしいなぁ」と思わせる言動を連発するし、 ユリコや和恵の手記の章に入ると「闇」の深さのせいか胃に来る不愉快さがあり、まるで濡れて重たい土砂をお腹につめこまれるような感じさえ受けました。 読破したその日は1日中この本と本から受ける負の影響のせいで、平凡な自分の人生について振り返ってしまったり登場人物に共感しようとしてみたりと、沈んだ心を引きずったまま過ごしました・・・。 自分とは違う世界にいる人間の人生を通して未知の世界を知る、というと聞こえはいいですが この作品はちょっとヘビーすぎます。 作品としては読み応えも引き込まれ方もすごくて素晴らしいんでしょうが、あまりにも読後感が悪いので星3つにしました。 他のレビュアーの方同様、もう2回目は読みたくないですが、ここまで迫力と重圧のある作品を読んだのは初めてだったのでいい経験にはなったと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み終わった後に何とも言えない後味の悪さを感じました。 色々デフォルメされていると思うけど、、やはり『東電OL殺人事件』として 考えてしまって読むと辛いけど‘怪物’すぎてとても複雑です。 ただ、ここまで‘怪物化’させなくてもと思いました。 桐野 夏生さんの書籍は大好きですが、ちょっとやはり題名どおり 『グロテスク』でもう一度読みたい本か?というと読みたくないですね。 ただし、東電OL殺人事件のほうは何だか今更ながら興味が沸いてしまい 当時の裁判記録やニュース報道をまじまじ読んでしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
題名どおりだった。 気持ち悪い、いびつ、異常、悪趣味、エロチック・・・。『グロテスク』という題からそんな言葉が連想できるけど、まさにそんな内容の長編小説。何がグロテスクかというと、人間のどろどろした内面。人の世。 でも、面白かった。 かなりの長編なので、ページを繰っても繰っても終わりが見えないので読み進めるのがワクワクした。『どうして和恵が娼婦になったのか?』私も書き手と同じように疑問に思い、ハードルをびゅんびゅん飛ぶように一気に読んだ。こんな読書は大好き。個々人の手記という形式で、一人称で綴ってあるので、そのたびに主観が混じる。誰が正しいのだろう?ミステリーを読むような楽しみ方。 作中の『悪意が迸る顔』という表現が気に入った。私も気をつけよう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
しかし、何と言う物語でしょう。筆致は凄いが書かれている内容も凄惨。桐野氏はこの世の差別のすべてを書いてやろうと思ったのだそうです。「差別」とは他者に対する優越感、他者への容赦ない哄笑、仲間意識、色々な複雑な感情が込められています。日本には階級差別はタテマエ上ないことになっていますが、周知のごとく学校や職場でのイジメを含め、階級や派閥、そして差別のない集団など皆無でしょう。絶対に越えられない壁の存在、そういう差別社会の中での厳しいサバイバルと「解放」が嫌と言うほどに描かれています。特に女性がサバイバルするということはどれくらいに過酷なことなのか。浅はかな私のような男性には想像だにできない世界です。 勝つとか人より優れるとかいうこと。その底には、自分が自分であることを確認するという作業が潜みます。しかし他者の目を通してしか「自分であること」を確認できない現代の生。そこに潜む圧倒的な孤独みたいなものが透けて見えて、その暗さと深さには背筋が寒くなるほどです。狂おしい程に求めそして堕ち続けた彼女達、あるいは闘争から引くというサバイバル戦術を取った彼女=「わたし」。誰もが最後には、自分の存在を確認するために自らを滅ぼしてゆきます。 迸る悪意。他者と自分の、理想と現実の乖離。都合の良いように嘘に塗り固められた過去。救いようのない物語・・・。読んでいて吐き気を催すほどで、その生き様はまさに「グロテスク」。しかし、それ程までにして描ききった彼女達の生は、(ラストはちょっと甘いと感じたものの)小説という虚構を通して再構築され、彼岸の彼方へ昇華されてゆくかのようです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世をさめた目で見やりつつ内にこもる「わたし」、絶世の美少女かつ娼婦「百合子」、努力だけではどうにもならないことになかなか気づかず空回りする「和恵」の3人を描いた話。 この3人、各々「グロテスク」に曲がってゆく姿が、本当にグロテスクで読んでいてクラクラした。でも、彼女たちが曲がっていく根源となる女子高の階級社会というのは(誇張されているとはいえ)わたしたちの身近にあったし、一歩踏み外せばわたしも彼女たちのようになったであろうと容易に想像できるのが怖い。今思うと学校って社会の縮図みたいなものだった。 最初は「わたし」に感情移入して物語を読んでいたけれど、「百合子」「和恵」視点の話が入るごとに「わたし」の語りが虚勢を張るような、嘘が混じった言葉に聞こえて、最終的には誰にも感情移入できなくなった。誰も信じられない感じの後味の悪さは圧巻。おもしろかったけれど、「読んでよかった!」という気持ちになれない本。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
イタイ女性ってどういう人と思いますか? 場の空気が読めないとか、女を捨てているとか、過剰に上昇志向があるとか、醜くなった元美人とか。 「あの人ってイタイよねー。」 って言っていると、自分が安全圏の中にいられている実感が持てて安心したりしませんか? 円山町でのOL殺人事件をもとに著された本小説は、イタイ女性が満載です。 4人の女性と一人の容疑者の密入国男性の青年期の壊れが描かれています。 桐野夏生は女性たちのイタさの元を、過酷なヒエラルキー社会であるQ女子高と家族たちに示します。 そして、救いようがなく自己同一性をヒエラルキーの中に据えてしまうことの行く末を、容赦なく暴きます。 ほどほどで満足できる人は幸いで、そうでない人は強固な鎧を自己破壊のためにまといます(矛盾した表現ですが、本書の中では鎧は自己を保たないための役割を果たします)。 その怪物ぶりを楽しめたら、本書を楽しく読めます。 その怪物ぶりを全く他人のものと読めると、爽快な異形のホラーとしてさっぱりと読み終えることが出来るでしょう。 でも、自分も多かれ少なかれイタイなと感じつつある三十路女には、もうちょっと救いのある形の話にしてくれていたらなぁと心が少しくらーくなってしまいました。 なにはともあれ、Q女子高のリトミック体操の表現は、上手い、上手すぎるよ、桐野夏生。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
題名にもある通り 本当にグロテスクだ。 人間ってここまで どろどろとした気持ちになってしまうのだろうかと いうほど。 でも妙に生生しくて 私もそういう気持ちが全くなかったというわけでもないかもしれない と思わせられる。 中学から大学までエスカレーターの学校に通っていたため 話の一部では大きくうなずける部分があったのも確か。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
世間を騒がせた東電OL殺人事件をテーマにした野心作だが、主人公の内面に切り込む視点は良いが、全体として冗長で緩慢。もう少し絞った方が良かったのでは。女性の心の闇を描いた点は評価に値する。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
僕は桐野作品のファンです。でも、この作品は「?」という感じが残りました。最初、ユリコが出てきて、姉の視点から語られるとろまでは良かった。なんか谷崎の小説を読んでいるような、おどろおどろしさを感じた。でもこの小説、中だるみがすごくないですか。雑誌連載になってからの桐野作品は、「ダーク」もそうだけど、テクニックだけで書いている気がするなあ。確かに面白いけど、途中、少女小説を読んでいるような感覚にとらわれてしまった。あと、いつも思うんだけど、女は最高なのに、男が描けていないんだよな。文章も粗雑なところがめにつきますぜ。それぞれの登場人物の手記にしたという意図が、この小説を読んでいて読者に伝わってくるでしょうか?僕はノーだと思います。桐野作品、ファンなだけに、少々辛口で書いてしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
正直言うと途中引き込まれるように読んだ。だが、よく描けた小説が、かならずしも素晴らしい読後感をもたらせてくれるとは限らない。本書が東電OL殺人事件に材をとっているのは知られた話。狂言回し的な女性を主人公に、彼女のモノローグと二人の売春婦、二人を殺したとされる中国人男性の手記を挟む構成。手記の中でそれぞれ自分の半生を振り返るが、書かれている事柄がそれぞれの立場で微妙にずれる・・・。誰が嘘を書いていて、真実はどこにあるのか・・・。興味深いのは主人公の女性が単なる狂言回しではなく、自分に都合の悪いことは隠蔽するか糊塗する・・・。彼女たちが通った私立の学校の中に厳然と存在した階級意識、世に出てみれば女性が一人で生きていくには屈折せざるを得ない男社会の中で、ひとりは美貌だけを頼りに生きていこうとし、一人は有名企業に勤めているというプライドに虚勢を張り、一人は超然とした孤独の道を歩む・・・。3人の女性の半生追いながら、女性たちが抱える暗い一面を描く。それは題名通りのグロテスクな様相を現し始める・・・。二人が殺された後、主人公の女性がとった行動は・・・。殺人事件はあるが、謎解きも犯人探しも本書の本題ではない。ひたすらにどろどろとした女たちの執念・怨念に満ちた生き方を記していく・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
悪魔的な美女ユリコを妹に持つ「わたし」は、幼い頃から妹の美貌を激しく憎んでいた。両親の死によって「わたし」は祖父に引き取られ、ユリコは両親の友人一家に引き取られる。祖父は貧しいが、「わたし」の言いなりになる他愛もない人物であるため、穏やかな毎日を送っていた。美しくとも愚かな妹には、絶対に入学できないであろう名門女子高に入学した「わたし」だったけれど…。その昔、当時の東電に勤めるエリートOLが、自宅とは別のアパート内で殺害され、後に娼婦をしていたことがわかって、東電OL殺人事件として世を賑わせたことがあったが、この作品ではその事件を彷彿とさせるストーリー運びとなっている。「わたし」は、その二人の生い立ちや、身を持ち崩した経緯を語り続けるが、次第にその言葉に塗られた虚構が剥げ落ちて行く。その辺りは、桐野節炸裂、といったところで、まさに本領発揮と言えるだろう。人間の悪意を表現するのに、これだけ長けた作家も珍しいと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んでいるうちにアタマが痛くなってくる。あまりにも悪意に満ちた内容なので、体が拒否反応をおこすのか。登場人物たちの胸の中にあるのは、いかに相手をへこますかという敵対心ばかり。暗いこころ。女というものの果てのない愚かしさ。やりきれないきもちになってくる。美なんて一生保証されているものではないし。つくづく女の身の処し方は難しいと思う。他人に注目され、認められることでしか自分の存在理由を見いだせない和恵という女。誰にも注目されなくともいいじゃないの。自分自身を素直にありのままに、淡々と誠実に生きていけばそれで十分じゃないの。他人の評価なんてコロコロ変わる。そんなあてにならないモノに価値を置いたところで、どうなるの。自分自身を見失ってしまうだけ。女というもの、美醜、自分自身の在り方に対していろいろ考えさせる本。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
東電OL事件がモチーフの小説。本物の事件については佐野眞一氏の著書に詳しいので、興味のある方はこちらを。500ページ2段のボリュームであるが、一気に読むことが出来た。作者の力量は本物である。登場してくる女性についても、各人の視点からの記述でどれが本当のことなのだろうと、興味深く読み進めることができた。このようなテーマは小説としては書きつくされていると思うし、ここまで現実の事件をモチーフにするのはどうか、との感想も持ちました。あと、あのラストは個人的には納得してません。女性に向けて書かれた本だと感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
モチーフは、東京電力OL殺人事件とオウム事件ですが、複数の当事者(犯人、被害者、その高校時代の同級生である私)の視点で描かれている点に関して、小説としての価値があると思います。非常に分厚い本ですが、意外にさくさく読み進められます。ただ、こんなにも当事者が手記だの、日記だのを事細かに書いているとは思えないのですが、その点は割り引いてもいいかなと思います。桐野作品で、ひとつの事件を複数の当事者の視点で描いた作品はこれ以外に『リアルワールド』があります。ただ、やはりモチーフがモチーフですので、暗くなってしまうことは否めませんし、滅入っているときに読むのはお勧めできません。タイトルどおり、登場人物の心の中はどろどろとグロいですし。でもやっぱり、私の中での桐野作品のベストは『OUT』です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
確かに佐野の「東電OLシンドローム」を読んだときは、なんだかなぁと思った。おいおい、男のお前に何が分かるんだよ、分かった振りしないでよって感じ。地道な取材で、娼婦になった被害者女性の内面を描こうとはしてるけど、これは女しか描けないよ、無理よって不毛に思った。で、桐野を読んでみた。うん、近づいたと思った。 これでもかこれでもかの血も涙も無いマイナス・スパイラルのてんこ盛り。 姉が処女(しかも子宮筋腫で全摘出)で、妹がエンコーっていうのはわたしのごく身近にいるから愕かない。案外こういう姉妹って日本中にいるのかもね。 ただ、エリート女子校におけるカネとステータスあったもん勝ち、キレイでこそなんぼっていう陰湿、排他的的世界は読んでて息苦しくなった。 この息苦しさは一体どこから来るんだろう? カネ、ステータス、美貌といった本人の意思や努力と関係ないところで勝負しなければならない絶対的不平等からか。 そして「美しいもの」のはずなのに、その裏にあるグロテスク。 花も実もある乙女たちなのに、女は生まれたときから女なのだ。 しかも勝ち負けに拘る格付け好きの。 ただ、この本の女たちは全員が負け犬みたいだ。 美少女としてちやほやされたのが、年を取って「当たり前のように」価値が下がるというような刷り込みは主人公と同い年の私にはしんどかった。 人間なんて所詮、悪意でできてると何度も肩を強く揺さぶられるような作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み終えて、たしかにオンナの業の恐ろしさがじわじわと心に響いてきた。ジャブがきいていたように。ただ「OUT」の頃の荒削りながらすごいエネルギーを発しながらラストに向かってなだれ込む、というスタイルを期待していたらそれは裏切られる。週刊誌連載中から感じていたことなのだが、意外なほどキレイにまとまっていて、ガンガン心にクサビを打ち込んでくる衝撃、というものは正直いってなかった。このまま桐野夏生はこの路線でいっちゃうのだろうか??それも、寂しい。力技でねじふせるようなかつての作風もまた期待したいのだが。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!