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(短編集)
遠きに目ありて
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遠きに目ありての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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作品内容については他の方がすでにいろいろと意見を尽くされておられるようですが、 個人的には、正直に言うと「まあまあ」という感じです(著者の前では言えませんが)。 障碍者の安楽椅子探偵、こういう設定でもいいとは思いますけど、設定の空気が妙に重くて、 たとえば、信一少年を大事にしすぎるとか、障碍者として気を遣いすぎるとか、そういうことが 小説の足を引っ張ってる感じがするんです。それは多分に、天藤真さんの一本気な性格、 あるいは生真面目と言ってもよいかと思いますが、人としての「真摯さ」に由来するものと 思われて、自分のような無頼な人間は恥じ入るばかりなんですが、でも、これはあくまで 小説なんであって、しかもミステリです。殺人も窃盗もあります。善き心で善く書かれた 探偵小説が、そのまま善きミステリになるとは限らないのではないでしょうか? 善き城には必ずどこかに手薄な場所、隙があると申します。何から何まで最高級食材で 作られた料理は、かえってその美味しさが感じられないうらみがある、という人もいます。 ここに登場するのは、善き心の人たちばかりです。それは第一話の冒頭数ページだけでも、 いやというほどよく分かりますが、真名部警部などは人が良すぎる感じです。もう少し、 たとえば寅さんみたいにケーハクな部分が、もうちょっとあってもいいんじゃないかと 思います。で、確かに信一君は車椅子の安楽椅子探偵なんだけど、決して部屋にこもった 切りではなくて、真名部警部が散歩と称して半ば強引に連れ出してしまうとか、それは 事情を知らない他人の眼には「乱暴なことをする人」に見えても、他ならぬ信一君が そんなモメントを誰よりも楽しんでいること、母親は十二分にそれ絵を良く知っているとか、 そんな感じの方が、小説としての良さ、風通しのよさがあるのではないか、そんな気がします。 あ、いや、天藤さんだってもちろん、そんな選択肢は重々承知のうえで、現在のような 形に仕上げたんだと――まあ、鴻鵠の志を知らざる燕雀の理屈ではありますが。 *********************************** ところで、物理的に気になる部分があるのでちょっと。 ●キチン (32ページ、33ページ、35ページ/大和書房単行本・雑誌幻影城も同じ) ●ダイニングキチン (36ページ、207ページ/大和書房単行本・雑誌幻影城も同じ) 「キッチン」を「キチン」と書くクセが、天藤さんにはあったんですかね? ちょっと引っかかりました。読んでいて非常に気になりますね。まるで菊池光訳の 『羊たちの沈黙』と同じ感じです。菊池訳は、服のサイズを訊く部分も間違えてないし、 総体としては認めているんですが、例えば「ドッグ・フード」を「ドッグ・フッド」とか、 「メッセージ」を「メッセジ」とか、およそ余人のやらないような「詰め表記」に妙に こだわるところがあって、ちょっと辟易してしまうんです。書き方のクセ、というよりは、 「キチン」には「メッセジ」と同種の違和感しか感じられない、それが正直な感想です。 ●主人公の茶わんしか出ていなかったからね。 ●主人公がちょうどお茶をのんでるとこに犯人が来て、 (36ページ/大和書房単行本・雑誌幻影城も同じ) 真名部警部が事件現場の様子を説明している会話内の文章です。 この「主人公」というのは、「主人」の方がすっきりと読める気がするんですが、 どうなんですかね。雑誌初出も単行本も「主人公」なんで、しかも、このままでも、 クセのある言い方だけど意味は通じるので、間違いとは言い切れないんですが……。 ●真名部警部は「蒸発」ということが大きらいだ。 (69ページ) ●真名部警部は「蒸発」ということばが大きらいだ。 (大和書房単行本・雑誌幻影城) 第二話「宙を飛ぶ死」の冒頭、第一行です。単純な脱字、凡ミスの好例です。 本好きとしては、こういうのは、あまり鬼の首を取ったようにはしゃぐもんじゃありません。 武士の情けです。しかしこの場合、このままでも何となく同じように意味が通じてしまい、 ミスがミスとして認知されないで済まされてしまう、そんなうらみを伴う部分なので、 敢えて指摘する次第です。数年前、あるアイドルが主演して、熱量の高い作品をやたらと 量産する監督によって、時代劇が作られました。劇中、その大名行列が通行止めの高札に 出喰わして立ち往生してしまいます。アイドル扮する若殿(バカ殿)はそれを見て、 「何を手をたばねておる。そのようなもの、ただちに打ち倒して進めい」と叱咤します。 先に書きますと、このセリフは「手をつかねて」が正解です。脚本・シナリオ・台本には おそらく「手を束ねて」と印刷してあったと思われますが、読み仮名が振ってなかった哀しさ、 「たばねて」とも「つかねて」とも、どちらにも読めます。どちらに読んでも間違いとは 言えませんが、厳密には意味が異なります。背景状況がある以上、これは「つかねて」です。 それ以外にありません。ところが、困ったことに「たばねて」のままでも、何となく意味が 伝わってしまうために、誰も気付かぬまま、リハーサルされ撮影され編集され完成されて、 劇場公開されてしまい、さらにビデオになりDVDになり、放送時のキャプション字幕になり、 ついに「束ねて」=「たばねて」のまま、最後まで走り抜けてしまいました。これが怖いのです。 脚本技術としては、あまり漢字を多用せず、特に複数の読み方が可能な場合は、できるだけ 開いた方がいい――非常に勉強になりますが、あ、いやしかし、そもそものシナリオライターが、 この場面のセリフとして「手をたばねて」なんだと、それでいいと思い込んでいたら―― これは本当に怖いことなんです。誰か一人でも、気付いてくれればいいんですが……。 ●それも彼女は罵った。(……)美人局だろうとまで罵った。 (273ページ5行目/大和書房単行本・雑誌幻影城も同じ) 単行本も雑誌初出も同じなので、間違いの脱字とは言えません。しかし文脈、特に ここは会話の勢いと地の文とが呼応している部分なので、どうしても「それでも」と読んで しまいます。「それでも彼女は罵った」と、発止と受け止めるような調子で読みたい箇所です。 そうでないと「美人局だろうとまで罵った」という強い留めの文末部分が浮いてしまいます。 もはや確認するすべはありませんが、どうなのでしょうか。吟味のしどころだと思いますが。 ●も一つは事件の発生後間もなく、 (341ページ終わりから3行目/大和書房単行本・雑誌幻影城も同じ) 話者は真名部警部ですが、これは地の文です。会話文ではありません。 およそ地の文でこのようなクセのある口語体になるとは思えず、また真名部警部には このような会話クセは無いため(179ページ参照)、これは普通に「もう一つ」で あるべきでないかと思われますが、これも単行本、雑誌初出と、いずれもこのままなので、 一概には間違いとは言えません。言えませんが、非常に不自然です(highly unlikely)。 常識的に考えても、ママイキよりは訂正すべき部分のように感じました。 以上、細部にまつわることとは知りつつも、巻末には戸川安宣氏による立派な「編集後記」、 本書の校閲、校訂に対する所信表明文が載っているほどの一冊なので、蛇足と知りつつも、 あえて付け加えさせていただいた次第です。よろしくご諒解願います。 | ||||
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Very nice | ||||
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脳性麻痺の少年が名探偵という設定の本格推理小説の連作短篇集。 一作ごとに腕によりをかけた本格推理位小説でこういう推理小説を読む楽しみに溢れた傑作ぞろいでとても面白かったというのが、まず第一印象でした。 次に安楽椅子探偵に障害を持つ少年に設定したのも、なかなか奇抜な着想に思えました。あとがきや解説によると、まず仁木悦子氏の作品に登場するキャラクターを発展させた物だそうですが、それでもここまで存在感のあるキャラクターにした功績は天藤氏の力量による物でしょう。 そして、全作を通して一番印象に残ったのが、主人公が自由に行動できる様になっていない日本社会に対する批判が展開されている所でした。今でこそバリアフリー等と盛んに言われますが、この短篇集が書かれた頃はまだこういう事を指摘する人の方が珍しかったと思うので、その障がい者に対する暖かい視線や尖鋭性に感銘を受けました。ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズの先駆とも言えると思うので、そういう意味でも貴重な連作だと思います。 著者の推理小説家としての力量と弱者に対する暖かい眼差しを感じさせる傑作短篇集。是非ご一読を。 | ||||
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障害者が探偵さん。それは別にいいのだけれどなんとなくその舞台設定が不自然で物語りに入り込めない。 事件のほうも大半は結局警部が探偵に伝聞形式で目撃者の証言を伝えるからなんとなくくどくて、だらだらしていて眠くなる。 主人公を普通の少年にして、警部のそばで動かしたほうが遥かに魅力的な物語になったのではないだろうか。 障害者の少年が驚きの冴えを見せて周りの大人が驚愕するというのも、一度はいいが、毎回それでは予想できてワンパターン。 障害者の少年が日常の謎をちょっとした冴えで解く、みたいな話の方が遥かに自然だし読みたかったなぁ。 | ||||
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「多すぎる証人」は目撃証言がいかに当てにならないかを 逆手にとった小品。 「宙を飛ぶ死」は不可能犯罪を扱っているが一人三役に 少し無理があると思うし、いくらなんでもバレるだろう。 「出口のない街」は第五の出口の発見云々よりも (密室どうこうよりも)惑乱と叙述のトリックが冴えている。 「見えない白い手」は「××が×××とか×××××とか 呼んでいた?」(p.242-3)の伏線がヤバい。 これでは先が読めてしまう。 「完全な不在」は個人的にもっとも気に入っている。 アリバイが要となる筋立てだが、その立証方法がきわめて ユニークな佳編である。 以上の事件を脳性マヒの少年が解き明かす。 彼はひじょうに頭が良い。 しかし重度の障害者であることと頭脳明晰であることは きっちりとわけて考えなければならないと思う。 障害者なのに頭が良い、ではなく、障害者かつ頭が良いのだ。 | ||||
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皆さんに読んでもらいたい一作です。 読むほどに味わいが深まります。 | ||||
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本作は、主人公の探偵役が身体障害者である、ということで注目された。 しかし、注目すべきは、そのミステリとしての完成度の高さである。 もともと連載が、ミステリ専門誌、いや探偵小説専門誌の「幻影城」ということもあり、著者もかなりミステリ度の高さには気を使ったと思う。 本連作における謎の提出、伏線の張り方とその収束、そして解決に至るロジックは、実にみごとである。 本格ミステリのお手本ともいえる。 だからこそ、なぜ著者が主人公をこのような設定にしたのか、ということに疑問がある。 この主人公でなくても、純然たるミステリとして勝負できたのではないか。 探偵役が身体障害者ということで、社会的なテーゼのある作品、というレッテルが張られることになってしまった。 良くも悪くも、以後、本作品集はそのフィルターの掛かった状態でしか、評価されないことになってしまった。 これは、ミステリファンとしては、大変残念なことである。 もっと、純然たるミステリとして、本作は一般に評価されるべき作品である。 しかし、それをじゃましているのが、本作のこの設定なのだ。 | ||||
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確かにあっと驚くような傑作はないかもしれませんが、毎回よくこれほどの水準をたもてるものだなーと驚かされる内容の連作短編集です。 現在ではあたりまえになってしまった科学的、専門知識をちりばめたミステリーではなく、古典的な安楽椅子フー・ダニットのスタイルで書かれているので、どなたもリラックスして楽しめるでしょう。 難しすぎも生々しすぎもせず、こういう家族的な雰囲気をたたえた質の高いミステリーというのは、あまりにもせちからく暗い当節、望むべくもないのかも知れません。 子供を使った大人向けミステリーというのは、実際には書くとなると相当大変だと思うのですが、これは難しいタイプの内容を見事に生かしきった佳品といえるのではないでしょうか。個人的には第2話と5話がよく出来ていると思います。 これを読んで気に入ったという方には、ぜひとも筆者一世一代の傑作“大誘拐”にお進みください。 | ||||
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◆「多すぎる証人」 ▼あらすじ とある団地で殺人事件が起きた。 たまたま、ママさんバレーのメンバーが犯人らしき人物を目撃したのだが、 全員の証言がそれぞれ微妙に食い違っていて……。 ▼感想 探偵役は脳性マヒの十四歳くらいの少年・岩井信一。 知り合いの刑事から事件の話を聞いた彼が、カナタイプで 答えを書くという〈安楽椅子探偵もの〉です。 証言が食い違ったのはなぜなのか? そして、被害者の男が死の直前、ママさんバレーに参加していた 妻に子どもを頼むといった意味の言葉を遺したのはなぜなのか? 信一は、食い違う発言を照らし合わせ、そこに法則性が あることを見抜き、犯人特定の論理を導き出します。 物語の結末は、時代劇の人情裁きを彷彿させ、普通なら陳腐に感じる ところですが、障害を持つ信一が探偵役を務めていることで重みと 説得力を与えています。 良識ある大人が子どもに向ける温かな眼差し。 そして、上質なユーモアに包んで提示される社会的な問題意識。 ニヒリズムやシニシズムに淫しがちな日本人には珍しい、成熟した作風です。 | ||||
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1981年に大和書房から出た単行本の文庫化。いくつかミスが訂正されている。 脳性麻痺の少年を探偵役に据えた短編集。5篇が収められている。 天童作品ではやや異色かも知れない。ユーモア、ドタバタ、活劇といった要素がほとんど見られないのである。むしろ障害者への温かな眼差しと優しさがモチーフとなっている。 安楽椅子探偵もののひとつだが、ミステリとしては平均レベル。悪くはないのだが、あっといわせるような仕掛けがない。どれも早々にネタばれしてしまうような安易なつくりで、もう少し頑張って欲しかった。 | ||||
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脳性麻痺の少年を主人公にした安楽車椅子探偵物の短編連作集。私は本来、ミステリにこうした主人公を登用するのには抵抗があるのだが、本作に限っては作者の優しい眼差しを感じる。私の記憶違いかもしれないが、この時期、天藤夫妻は実際に障害を抱えた少年の世話をしていたのではないか(夫妻ではなく知人かもしれない)。 本作の各編は天藤氏らしいアイデアに溢れたものなのだが、そのアイデアは読者を楽しませると同時に、その少年への応援歌ともなっているのである。作風も、いつもの明るさは控えめに抑えられ、時にペーソスと哀感を滲ませる。 個人的には、作者の数ある佳品の中でも特に心惹かれる一作。 | ||||
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安楽椅子探偵もの。トリックはやや小粒であるが、天藤作品らしい上品なユーモアや、温かさに満ちており、大きな不満はない。ただ、作品の設定がいささか深刻であったためだと思うが、この作者の作品としては、やや読後の爽快さに欠けた。 | ||||
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