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同志少女よ、敵を撃て
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同志少女よ、敵を撃ての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全520件 481~500 25/26ページ
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大変面白く、500ページの長編を一気に読み通しました! 生きると云うこと、戦うということの意味を考えさせられました。 超お勧めです。 | ||||
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高校の授業等で世界史を習っています。ですが戦時中の部分では確かに女性という存在は出てこなかったなあ、と。マタ・ハリなどの名前は耳にしましたが、それでもスパイ容疑の話でした。 なので実際に戦地に赴いて戦うのは男性だけ、というイメージが強かったので女性視点の戦場を捉えているこの本は新鮮な気持ちで読めました。 他の方のレビューでは史実と大幅に違うなどの指摘を拝見し、戦時中の歴史にとても興味が湧いたので、これをきっかけに世界史の勉強を頑張りたいと思います。 | ||||
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パクリの小説が某文学賞の候補だとか。 | ||||
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狙撃戦の描写は結構読ませるものがあったが、雑に死んでいく味方にいちいち没入感が薄れる。序盤の虐殺描写などは機龍警察を彷彿とさせるものがあるが、あちらにあった、一つ一つのシーンが明確な意味をもちながら進んでいく緻密なストーリーは期待すべくもない。主人公達の行動原理はひたすら場当たり的で時に幼稚ですらあり、こちらの予想を下回る動きばかりしてくるので少しイライラする。プロットの進行のために無理やりキャラクターが動かされているという感じ。キャラクターの年齢を考えるとある意味ではリアルなのだが戦争を前にしてそこまで子供でいられるか?というツッコミは出てくる。 戦争に翻弄される女性というテーマがあるのだが、それを表現する要素が性的暴行くらいしかないのがテーマの重さを薄れさせている。当然性的暴行は許されないが、それ以外に何が言いたいのかあまり伝わらず、クライマックスまでそこに終始する構成に残念感があった。 手に汗握る銃撃戦や戦争を通して孤児同然の少女達が自己の生きる道を見出すドラマなどを期待して買うと痛い目を見る。 | ||||
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NHK「100分de名著」でノーベル賞作家アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)の解説を務めた東京外国語大学・沼野恭子教授の書評(推薦文)をたまたま目にする機会があり、興味をひかれた。 著者の筆力については、すでにプロの評価(アガサ・クリスティー賞を審査員満場一致で受賞!)や売り上げ(出版後即重版!)という形で客観的に結果が出ているので、こちらからとやかく言うこともない。参考文献表の提示や専門家からのチェックもしっかりなされているようだし、学術的な裏付けに対する誠実さの面でもエンタメ作品としては申し分ないものだろう。ただ内容面で、読み終えて少しひっかかる部分があったので、この割り切れぬ気持ちを書き記して他人の判断を仰ぎたくなった。本書をことさら強く批判しようという思いはあんまりない。読む価値はあると思う。 前置きになるが、独ソ戦をテーマにしたエンタメ作品はロシアでは毎年のように作られていて、たとえば近年に限っても『ヒトラーと戦った22日間』『T-34:レジェンド・オブ・ウォー』『1941:モスクワ攻防戦80年目の真実』『ナチスバスターズ』といった新作映画が、実は日本のそれなりに大きな映画館で上映されていたりもする。どうしてこういった作品群がロシアでじゃんじゃん撮られているかといえば、毎年5月9日の戦勝記念日に合わせるような形で、国からの支援も受けて振興される産業になっているからだ。 そうした映画はお金がかかっているだけあって、エンタメとしてだけ見ると正直かなり見ごたえがあって面白いものが多い。しかし当然のことながらそれらは「数多の犠牲を払ってファシストを倒し戦後の平和を作り上げたロシア」を誇示するプロパガンダとしての性格も色濃く持つものなので、『同志少女よ、敵を撃て』で取り上げられているような、戦時の性暴力・男女間の軍隊内での格差といったテーマは扱われない。男たちはもっぱら強く勇敢で、女子供を命を賭して守る存在である(別にそれが真っ赤な嘘だと言いきれもしないが、偏ってはいる)。こうした現状からすれば、現代日本の三十代の作者(性別は分からない)が『戦争は女の顔をしていない』を読んで感銘を受け、隠されてきた軍隊の中での女性差別というテーマを選び、独ソ戦を舞台に一本書こうと思い立ったことの有意義性というか批判的意味は小さくないとは思う。 ならば、評者が気になった点とはなにか。本書では三人称視点が取られ、語り手が主人公セラフィマを始めとする登場人物たちの心情を描写し、そこに独ソ戦の趨勢、大規模軍事作戦の概要、主人公たちが身に着ける狙撃技術等に関する解説を挟むという形でプロットが形作られている。そしてそこでは、たびたび用いられる自由間接話法(三人称の地の文のなかで、セラフィマを「彼女」ではなく「自分」と称したりするなどがその例)が、無垢な若者たちが否応なく戦争という「地獄」に直面し変わっていく様子を臨場感を持って描き出す。 ……そう、臨場感をもって描き出しはするのだが、まずその話法のせいで、『戦争は女のしていない』とか松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書)とか大木毅『独ソ戦』(岩波新書)とかを読んでその知識を持っているらしい語り手(独ソ戦当時は到底知りえない情報を山ほど知っている神のような存在)と登場人物の境目がときに曖昧になって、セラフィマが1930~40年代のロシアの賢い村娘の限界を飛び越え、現代の日本の大学でジェンダー論かなにかを学んだ学生のように見えてきてしまう。(かつて妹尾河童『少年H』が似たような批判をされていたように思うのだが)どうも未来人がいきなり独ソ戦に従軍して、愚かな男どもを裁断しているみたいな違和感を覚えてしまうのである。これは先日リドリー・スコット監督作品『最後の決闘裁判』で、14世紀フランスに生きる女性主人公を見たときにも感じたことなのだが、「過去の空気と因習とパラダイムに同じように取り巻かれ縛られているはずなのに、どうしてこの主人公だけこんなにも賢いのか」という疑問は湧く。 どうしてこういうことになるかを想像してみると、おそらく独ソ戦という悲惨な人類史的経験を日本の作家が扱うにあたって、それを単なるおもしろおかしいエンタメ作品として提出するわけにはいかないからだ。何らかの社会性を帯びたテーマ(本作であればフェミニズム)を盛り込み現代的に「アップデート」することが必然的に要求される。これはハリウッドの娯楽大作などでも同じことだろうし、取り立てて不当な振る舞いとは思わない。ただそうした思想的・社会的な打算みたいなものを想定したうえで主人公の少女兵たちが繰り広げるいささかアニメ/漫画じみたやり取りを眺めると、結局この作品におけるフェミニズムというものが、ミリタリーファンに満足してもらえるような血沸き肉躍る戦闘シーンを、あるいは可憐でけなげでしかし酷薄で狂気にとらわれた魅力的な少女兵たちの描写を可能にするための、ある種のエクスキューズとして利用されているに過ぎないのではないか? フェミニズムと書かれたお札を買ってきて店頭に掲げたので、あとは好きに商売させてもらお、という話なのか? という警戒心が評者の心中に惹起されることにはなった(べつに独ソ戦を題材に『ガールズ&パンツァー』をやりたいわけではないんですよね? 信じていいんですよね? という)。 もちろんこれは、著者の側からすると不当な非難、邪推でしかない可能性も大いにある。というかたぶんそう反論されるだろう。だが著者は、たとえば沖縄戦を舞台に似たようなストーリーを書こうとは思わなかったわけで、勝者の側からぞんぶんに戦争を描きたいという(最初に紹介したロシアの映画ならば隠しもしない)欲求を糊塗する「お守り」としてのフェミニズムなら、それは危うい。 リベラルか保守かというのは表面的な差異に過ぎず、結局『同志少女―』(マッチョな男どもを正義のソ連少女兵が討つ!)と『ナチスバスターズ』(マッチョな美男子ドイツ将校を正義のパルチザンが討つ!)がやりたいことは、根っこの部分では同じなのではないか?という疑念。もちろんこうした厳しい目は読者の側にも(つまり評者にも)投げかけられるべきだろう。本作におけるフェミニズム的テーマは、ソ連ではなくナチス・ドイツの側に確実にいた大日本帝国の後裔たる我々が、戦勝国の目線に立ったエンターテインメントを楽しむことにつきまとううしろめたさを優しく包んでくれている、のか? 長々と書き連ねてきた。ノーベル賞作家と、本作が第1作目の新人作家を比べるのはあまりに酷というものだけど、やはり『戦争は女の顔をしていない』の多声的な証言が生み出す重みを、本作の「百合」的展開・ミリオタ的描写がスポイルしているという部分はあるんじゃないかなあ……。書いてて思ったけど、ちょっと著者に対して意地悪すぎるだろうか?そこまで求めんなよって?うーん、皆さんどう思われます? | ||||
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戦争の意味を問いかける点は女性狙撃手という視点で独特であり、中盤までのストーリー構成も惹きこまれる。 史実をもとにしており歴史をなぞるような感覚でありながらも、主人公の架空物語を違和感なく溶け込ませており、狙撃手という仕事も丁寧に描かれる。 戦場においての女性同士の連携という着眼点が光る。 ただ心理的な点や人間関係は、戦争という舞台において薄い。 全体的には面白いが、後半はやや冷めた視点で読んでしまう点もある。 それでも新人という点を考えれば、今後も楽しみ。 惜しむべきは帯が絶賛すぎて期待が高まり過ぎて、結局そこまで面白いかなという感想になってしまう点。 | ||||
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作者が日本人だから云々家族もいて云々は正直どうでもいい。 それを言ってしまえば、コナンドイルはホームズみたいな殺人事件に遭遇していないだろう。 問題は作者のことではなく作品のこと。 まず、これはWEB小説のような感じがした。描写が足りない。 これで満点なら審査員はやめた方がいいか、アガサ・クリスティーに謝ったほうがいい。 加えて、ミステリーではない。 本の後半に、応募者作品の選評がある。ファンタジー色が強かったと書かれていた作品もあったが、それならばこの大賞作品はミステリーですらない。 | ||||
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お話の冒頭にガソリンを撒いて火を付けるところがありますけど…… いくら舞台が凍てつくシベリアでも、零下43度で気化するものを室内に撒いて室内で火をつけて、点火した人が無事に済む訳ありません。 もうこれで落第です。出直してください | ||||
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少女の美しい顔とライフルを構える姿に違和感をおぼえ、思わず本書を手に取ってしまいました。最初の連想は、2015年ノーベル文学賞のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)です。この作品は小梅けいと著のコミック版(KADOKAWA)も出版されており、とうとう小説版も出たかというのが本書の第一印象です しかし、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』とは全く違います。ドイツ軍に家族を殺された少女の復讐劇です。復讐のために近代戦争に参加した兵士は、男女にかかわらず、いるのでしょうか。本書は『戦争は女の顔をしていない』のようにノンフィクションでなく、小説ですから何でもありでしょうが、やはり不自然です。 当時のロシア兵は、「母なる祖国は呼んでいる」とか「君は前線のために何をしたか」とおどされて、なかば強制的に参加させられていたのです。少女をスナイパーとして美化するのは間違いです。これも小説だから許されるのでしょうか。 本作から、1993年にアメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンを連想してしまいました。モリスンの小説は人種差別を批判したものと言っていいでしょう。その批判は、奴隷制への恐怖を克服し、不安を鎮めるための「ロマン化」という文学的手法に向けられています。人間的な側面を描き出し、あたかもそれを大切にする振りすらして、奴隷制を受け入れやすいもの、好ましいものに見せかけるのです。 本書は、この文学的手法を使って、戦争の悲惨さをロマン化して、スナイパーのカッコよさで覆い隠そうとしています。これも小説だから許されるのでしょうか。 アレクシエーヴィチもモリスンも、真実をロマン化することなく、ありのままに描いています。本書を読むより、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読むべきではないでしょうか。 | ||||
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冒頭の主人公と村人や母親とのやり取りの辺りで既に取ってつけたようなぎこちなさが満載で、この作者、文章や構成が下手なのでは…と悪い予感。 ガソリンを撒いて人が手で点火するなんてのもありえない。 悲惨な事件がいくつもあったせいで、ガソリンがどれほど気化しやすいか、点火しようものなら瞬時に爆発的に燃えて、周りの人間は無事ではいられないとみんな知ってるのに。 女性士官に連れられて同じ境遇の少女達のいる所へ合流するくだりも、高飛車な少女と幼稚な喧嘩をするのだが、頭の中で萌え声でキャピキャピ喋る少女達が出てくるオタク御用達アニメで再現された。アイタタタ…。 そこまで読んでこのレビューを書いている。 続きを読む気がしない。 分厚い本書を読んでも貴重な時間を無駄にする予感しかしない。どうしたものか。 結局、図書館へ返却。 読みながら、なんて下手な文章だろうと苦痛を感じながら読み進むのが無理だったので。 買わなくてよかった。 (追記) 本屋大賞にノミネートとか。 書店員のレベルはそこまで落ちたのか。 日本の出版界は終わってますね。 | ||||
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第二次大戦下、ドイツ軍のソ連侵攻により、故郷の村や家族、隣人、全てを失った少女セラフィマ。母を殺したドイツ軍狙撃兵への復讐を生きるヨスガとして、過酷な戦場に身を投じる少女の生き様を、まるで当事者であるがのごとく共に歩めた、稀有な読書体験だった。 カヴァーに描かれる少女像が、自らの想像に枷を嵌める気がして邪魔に感じるほど、説得力のある文章だった。見事。 | ||||
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私がレビューを書いている時点では極端に評価が二分している本作。 つまるところこういう評価傾向を示している作品は、「人を選ぶ」ってことなので、いくつかレビューを読んで自分に合いそうか判断してから買うかどうか決めるのが良いだろうと思います。 私は別に歴史の勉強しようとして本書を手に取ったわけでもないしね。歴史考証がどうかはまぁどうでもいいや。 こういう人向き。 戦時下を物語の舞台にしているので、戦争の醜さとか凄惨さとか目を背けたくなるような要素が前面に出ているのでメンタルすり減らしながら読むような性質がある。 私の場合は、(小さい子供の親なので、)子供が足を撃たれるシーンはちと辛かった。 こういう描写に弱い人は避けるべきで、バーナード・ワイズマンみたいな死に方をする兵士がいっぱい出てきます。 「ラノベ以下」という評価を見かけましたが、諸手を挙げて賛成はしかねるものの一理あるかなと。だから、本作こそコミカライズするのがいいんじゃないかと思う。緻密な描写を並べ立てるより、絵でさらりと見せて物語の進行に読み手を集中させる方が良い効果があるんじゃないかと感じました。また歴史にフィクションを織り込んでいる関係上ガチガチの歴史戦記物でもないので、活字よりちょっと崩した見せ方の方があっているように思います。 結末は、たぶん序盤に予想していたものと違う形で帰着し、意外に感じるんではないかなと思います。 伏線だと思ったものは撒き餌だった。予想を裏切る展開が好きな人には向き。 込められたメッセージ性にも熱量がある。 総評、面白いと思いますが、前述のとおり、向かない人も一定数いそうなのでオススメできるかは人によります。 | ||||
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独ソ戦における女性狙撃兵を主役とした小説である。 話題の「戦争は女の顔をしていない」に影響されたことは明らかだ。が、陳腐な便乗作ではない。 1942年独ソ戦のさなか、山村に住む少女セラフィマはドイツ軍に家族を殺される。彼女は「死にたいか、戦いたいか」と非情な問いを投げつける女教官イリーナにスカウトされて、女狙撃兵としての訓練を開始する。 スピーディーな展開に惹きつけられて、あっという間に読み終えた。 文章がシンプルで読みやすいのもいい。四人の同期生たちは個性的で魅力がある。 過酷な環境ではあるが、女性チーム物らしい華やかさを感じるのが嬉しい。 狙撃とはどういうものか、初めてわかった気がする。よく調べてあるな。 独ソ戦の概要は大木毅の著書(岩波新書)で把握していたが、具体的な戦略については本書が詳しい。 スターリングラード攻防戦は、包囲軍を更に包囲する作戦だったのか。 アメリカの娯楽戦争映画の影響で、「英米がナチに勝利した」と信じている人は多いだろう。私も若いころそう思っていた。違う。ドイツ軍はソ連侵攻に失敗した時点で、すでに負けていたのだ。 ある種の成長物語なのだが、「従軍は人間を鍛えたりしない、歪な環境に慣れさせるだけだ」という突き放した記述が、甘さを拒絶する。過酷な状況で生き延びるために敵に寄り添った人は罰すべきか。さらに人としての信念と軍務が矛盾したときは、どう自分を納得させるのか。冷たく厳しい問いかけに答えはない。終盤にセラフィマは究極の選択を迫られる。ラスト100ページの盛り上がりは凄まじい。 本書が気に入った人には「靴ずれ戦線」(速水螺旋人)という漫画をお勧めしておきます。同様に女性が主人公で、独ソ戦をソ連側から描いた作品だ。 | ||||
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何故女性の狙撃兵が誕生し、活躍できたのか? 主人公個人は創作上の人物であるが、第二次大戦の最激戦地で起きた歴史的事実や、その後の証言等を元に小説として上手にまとめられています。 他の方の書評を見ると、作者の虚構(主人公の個人的な性格や、個別の事件)に拘泥し、歴史的な事実もなかったと、断言するようなコメントもあったように思いますが、私はなるほどと思って読み通すことが出来ました。 当時の主人公の国家はスターリン統治下の社会主義ソ連邦であり、ヒットラー率いるドイツ軍との、独ソ戦が物語の主要な舞台なので、平和ボケしている現代日本人には想像もできないことが、色々起きていたと思われます。 デビュー作で日本人でありながら、良くここまで調べられたと感心しました。 ストーリーについて、ネタバラシは興醒めしますので、あえて触れません。 皆様手に取って楽しんでください。 | ||||
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第二次世界大戦中のソ連を舞台に、 女性狙撃兵セラフィマの苦悩と成長を描いた物語。 ドイツ兵の襲撃により、家族や友人ともども故郷の村を失ったセラフィマ。 「戦いたいか、死にたいか」 ただ一人生き残った彼女を拾った赤軍の狙撃教官イリーナは、セラフィマに問う。 復讐を誓ったセラフィマは戦うことを選び、狙撃兵として頭角を表していく。 女性が兵士として最前線にも投入されていたソ連の史実と、戦争がもたらした爪痕・矛盾。 そこにフィクションーー現代的な少女たちの成長譚・群像劇とシスターフッドの要素が神がかったバランスで絡められ、緊迫感溢れる戦場が圧倒的な文章で描かれる……登場人物たちの道行が気になってページをめくる手が止まらず、一気に読んでしまいました。 そして、セラフィマが所属する第三九独立小隊を構成する女性陣が、とにかく良いキャラ揃い! 復讐に全てを捧げるセラフィマ。 セラフィマに殺しを教えた冷厳な隊長イリーナ。 天真爛漫なシャルロッタ。 年長で皆から「ママ」と慕われるヤーナ。 孤高の天才スナイパー、アヤ。 誰とでも仲良くなれる中庸なオリガ。 タバコをふかす看護兵、ターニャ。 …並べてみると、マンガかな?アニメかな?という設定ですが、表面的にキャッチーなだけでなく、バックボーンの掘り下げや、それぞれが迎える結末の描き込みがエグいです。 一人一人のクライマックスが泣けますし、エンタメでありながら、「戦争とは」というところまで考えさせられます。 また、読み進めている最中は、(広義の)ミステリーの賞である「アガサ・クリスティー賞」を受賞したことに対して「なんでこの作品が」と思っていたのですが、読み終わってみると納得でした。ビターかつ余韻を残した、ミステリーとしての終わらせ方に脱帽です。 読み終わったときの充足感含め、ただただスゴい作品でした。 素敵な読書体験をありがとうございました。 | ||||
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驚くほど完成度が高く、最後まで一気に読まされた。 全体を貫く、戦争の虚しさ、苦しさに心が痛くなるが それ以上に戦いの緊張感と、誰が生き、誰が死ぬのかという戦いの行く末が気になり、ページをめくる手が止まらない。 そして少女たちの成長と変化に胸をえぐられる。 戦争を題材にしたエンタメ小説として、圧倒されました。 いくつかの書評では、史実である戦争を題材にヒロイックなエンタメとして物語を書いたことに対する怒りが見受けられたが、 個人的には、これだけ世の中に近代史を題材にしたエンタメ作品が溢れかえっている中、目くじらを立てすぎでは?と思いました。 作中には間違いなく、戦争を通してしか描けない作者なりのテーマが込められていると感じたからです。 また、読みやすい文章のなかに、当時の情景を思い浮かばせる描写もたくさんあり、いくらかの虚構が混ざっているにしても、十分な説得力があると感じられました。 また、とても良いなと思ったのは、少女たちの描写がラノベ的というか、とてもわかりやすくキャラクターの魅力を伝える描写になっていることです。優等生熱血ヒロイン、ツンデレお嬢様に、天才クール美少女……わかりやすい。 とりまく世界と、少女たちが味わう苦難と葛藤は、とてもシビアで陰圧であるため、良い意味でバランスが取られて、多くの人が少女たちに感情移入し応援したくなるようになっているなと思いました。 そして、スタートがわかりやすいからこそ、彼女たちが最後にたどり着く心のありようには、胸をえぐられました。 素晴らしい物語をありがとうございます。 広く、たくさんの人に読まれてほしい小説だと思いました。 | ||||
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独ソ戦でのロシアの女性狙撃兵を主人公にした戦争物語。 優秀な狙撃兵となった少女が、非情な戦場で生き抜きながら、様々な葛藤を抱えて成長することよりも、戦争の悲惨さ、理不尽さを、残酷さを痛感させられます。 それでも、過酷な運命を乗り越えたような主人公のラストには、エンターテインメントとしては救われました。 | ||||
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ソ連に女性スナイパーがいて、ドイツ兵殺害にかなり活躍していたことはなんとなく知ってはいたが、この小説はそのソ連の女性スナイパーが主人公。うん、ストーリーは読ませます。主人公の設定も完璧で、まさにページを置くこと能わずのノリで最後まで一直線に読めますよ。文句なく星5つ、といいたいけど、4つにするのは本作品の主人公はあくまでも実在の歴史的存在に設定を借りたフィクショナルな女性。もちろん小説だからそこに文句はないのだけど、持っている価値観が今の現代人に沿うものでありすぎていて、若干抵抗を感じるのです。例えば敵に対する感情、同志たる男性兵士諸氏の占領下での悪行,特にレイプへの思い、それをしている男性兵士への葛藤、子供を撃つことへの葛藤、その前に動物を撃つということへの葛藤,等々実にスムーズに感情移入できる反面、ホントはどうだったのだろうか?とこちらが葛藤します。勿論現実に本書通りの感性の当時の方がいたかもしれないのだが、それでも同じ地平上に載せていいのか、それは却って失礼じゃないのかとも思うのですよ。まあただだか70年前ですからほぼ同じだったかもしれないんですけどね。でもまあ気になります。 とりあえずそこの葛藤がなければストーリーは最高。実在の女性スナイパーリュドミラ・パヴリチェンコへの興味も引き立てられる格好の作品です。 | ||||
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第二次世界大戦の独ソ戦を舞台にした戦争小説。主人公は若い女性のスナイパー。臨場感あふれる展開に圧倒された。秀作。主人公の感情に変化の理由付けが少し薄っぺらだったのは残念。 | ||||
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ドイツ軍に村を焼かれたソ連の村の少女が狙撃兵となり、戦争に身を投じる物語。 アガサ・クリスティー賞受賞作ということで、深緑野分氏の『戦場のコックたち』のような戦時下を舞台にしたミステリかと思っていたけどさにあらず。けれどそんな先入観なんてどうでもよくなるぐらいの傑作だった。村を焼かれた少女セラフィマが、母の遺体を焼いた教官イリーナに怨みを抱きつつも、やがて一流の狙撃兵として成長するにつれて彼女の苦しみをも理解していく様子や、戦時下でのグロテスクな論理を抉り出す筆致など、とてもこれがデビュー作とは思えない。文体も読みやすく、本の分厚さにもかかわらずするする読めるのも、嬉しいポイントだった。 | ||||
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