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正欲
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正欲の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.90pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全359件 81~100 5/18ページ
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みんなどこかしら、ヘンな癖はある。 ヘンな癖かどうかの判断は、現在の法律に違反しているか、違反していないか、それともグレーか。 世の中は、いつもマジョリティー側が判断する。 マジョリティー側に都合の良い社会構造になっている。 マイノリティー側は、居心地が悪い。 しかし、マイノリティー側を判断、批判することは、マジョリティー側の人の行動範囲も狭くしている。 つまり、昨日までマジョリティー側にいたけど、今日からはマイノリティー側になる可能性もあるということだ。 ということは、本物のマジョリティーは本当に大多数なのか?疑問が残る。 また、マジョリティー側はマイノリティー側を理解することが出来ない。 理解しなくても生き残れるからだ。 一方で、マイノリティー側は生き残るために、マジョリティー側を理解している。 なので、お互い平行線のままだ。 | ||||
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おそらく狭い常識の中で幸せに生きてきた人にはそうなのでしょう。 そもそも主人公たちがそうです。 異常なまでに「普通」に憧れ、異常なまでに「普通」である事に執着したが為に起きた悲劇。喜劇と言ってもいいかもしれません。 お前たちより不幸でどうにもならない人はいくらでもいるわ!と言ってやりたくなりました。 | ||||
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映画を見て,気になってこちらを読んでみました。奥が深いです。 | ||||
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結局「正欲」ってなんだろう?と思った方は、kindle版のアプリで「正」と検索すると、面白いですよ。 あと、あるシーンが、「雫」の事が大好きな「天沢誠司」VS「天沢誠司」に対する「天沢誠司」(ちょっと月島雫っぽいキャラ)という、カオスな構造になっていて面白かったです。 | ||||
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ネタバレになるのであまり詳しくは書けないが、主人公の性癖は工夫すれば対応可能なものだと思う。海やプールは普通に行けるし、屋内なら大きなお風呂でもいい。蛇口の出しっぱなしはできないが、ダムの放流を見に行くものいい。滝もどうでしょうか、と思いながら読んでいた。おそらく奥田英朗のドクターイラブが診察したら、そういう風にアドバイスして笑い話になるんだろう。 が、この作者はそういうことを言いたいんじゃないんだろうな。個人の嗜好は千差万別でその全てに市民権を与えることはできない(中には違法なものもある)。結局声の大きなマイノリティの中のマジョリティにのみ脚光が当たって、マイノリティの中のマイノリティはいつまでも認められない。それで多様性万歳とはおかしいんじゃないんですか。その通りだと思います。近頃はマイノリティを武器にしているような活動家もいますからね。そうした違和感を極端な性癖に託したのでしょう。普通に面白かったです。 | ||||
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この本の登場人物ほどではなくとも、人はそれぞれ開示できない'多様性'を抱えており、それぞれそれに付随する悩みがある。 それを全て理解するのは不可能だし、必ずしも理解する必要はない。 その上で、どうするのが良いのかということを投げかけている小説なのでしょう。 自分の中にマイナーな部分を持った人達が、どうやって繋がれるのか、どういう繋がり方が良いのかを考えさせられました。 お互い理解できないだろうけど、自己開示しても批判されない関係性(繋がり)、が必要なのかもしれない。 身近に八重子のような人がいれば良いのだろうが、そうはいない。親しい友達でも、自分のありのままを開示するのは難しいと思う。 実際、そんな繋がりの場はないだろう。 ゆえに悩みが深まり、社会からの疎外感が増すのだろうか。 ネットというのはひとつの解決策になり得るかもしれないが、ネットにも危うさも沢山ある。 自分には答えは分かりませんでした。 根本的にはこれはメジャーではない(理解できないもの)から排除するという社会の風潮自体を変える必要があるのだろうが、それこそ難しい。 そういい意味でも解決策の見えない難しい問題だなと思った。 色々と考えさせてくれる、とてもいい作品でした。 | ||||
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自分は容姿的マイノリティ(10万人に1人)ですが、この本の登場人物の気持ちは自分の気持ちを代弁しているようで涙が出ました。 また同じ悩みを共有できる人間を得ることで救われる事、そこを希望として生きようというエールの様に感じました。 地球に居候してる感覚、とか、理解できないんだから理解しようとするなとか、自分が生きてきた間感じたことが書かれています。 恨むことに飽きたということも分かります。 自殺する方法を調べるも自分的にはあるあるでした。 ただ世間には優しくしてくれる人もいるし、自分も優しくあろうと思います。 自分が優しくあれば周りも優しくしてくれるものです。 だだそこには根底からの安心感は無く、家族すら自分とは違う生き物というひとりぼっちの世界なのは変わりません。 でも1人でも理解しようとしてくれる人がいれば前を向ける。 1人でも同じ境遇の人がいれば救われる。 そんな希望を与えてくれました。 たぶんまだまだ嫌なことや辛いことも多いけど、生きていきたいと思えます。 マジョリティには気付きを、マイノリティには希望を与える良書だと思います。 朝井リョウ凄い。教科書に乗せて欲しい。 | ||||
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朝井リョウさん、「桐島、部活やめるってよ」以来だったのですが…なんというか、ちょっともう次元が違うところまで到達なさっていらっしゃいました。 細い細い蜘蛛の糸のような救いはありますが、読後の爽快感は皆無です。 最後のページを捲ってしばらく動けなくなってしまいました。 人の数だけ「価値観」って存在するのだと思っています。 誰にだってきっと他人に言えない秘めた想いのひとつやふたつあるのでしょう。 小説で語られるそうした価値観は本来誰かを故意に傷つけたり、後ろ指を刺されたりするような種類のものじゃない。 ただ、一般的じゃないってことだけ…のはずなのに…。 多様性という言葉を安易に使うことの危うさを問う作品です。 | ||||
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作者の昔の著書桐島が結構面白かったのと映画のCMを見る限り面白そうと思ったが、無駄に冗長で物語に深みがなく面白くない。この著書の大きな問題は3つ。 ①フェチのリアリティ: 世の中は色々なフェチがありそれが万人受けもしない事を理解しているし、社会ルールの中で楽しむということをフェチを持つ多くの人は知っている。ネットで調べれば幾らでも道徳的にグレーなフェチは見つかるが、この著書の中で出てくるフェチは正直聞いた事がない。いるのかもしれないが、あまりにも想像が付かないフェチは設定として作った可能性が否めなく、映像作品として展開した時にその映像が問題ない、むしろ映像美にさえ見える事を狙って設定したとも考えられ興醒めという感覚を覚える。また、フェチというものに対して読者が興味を抱くのは、それがいつから何をきっかけに目覚め、一方人間が本来持っていると思われる性欲はいつから無くしたのか、その辺の深掘りだろう。それを生まれた時からありませんでしたという設定はあまりにも短絡的であり、それが許されればある人間は生まれた時から悪人でしたという論理も成立してしまう。つまりフェチをただ多様性というテーマの道具にしか使用していない点で問題である。 ②オムニバス形式を活かしてない: この著作では主に3つのグループの物語が並行して進められる。その展開手法自体は面白いと思うが、ほぼ全く重なり合っていない。部分的に重なることはあっても、それは物語の核とは言えず、なんのためにわざわざこの形式を採用したのかが分からない。特に2つのグループにおいては、フェチというか多様性というテーマに対し、余りにも内容が薄っぺらであり、飛ばし読みをしたくなるぐらい冗長である。 ③結局着地失敗 元々広げた風呂敷を閉める気もない冗長なストーリー、つまり起承転結がないというか、特に転が薄くて長いのがこの著作の特徴だが、フェチという多様性についてのメッセージが浅いというか、ベタというか、無いに等しい。同じフェチ同士で頑張ろ!理解なんてされなくてもいいよね!これが結論であり、それは社会的に認知されているフェチというものであろう。ニュースを見ていれば特殊な性癖による事件なんて結構見るし、そういう人たち同士で群れている事も大人ならある程度分かっているのに、それを300頁以上でだらだら説明するのがこの著書である。 | ||||
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のめり込んで読むことができたけれど、楽しい感じではない。 多様性を考える時、マジョリティvsマイノリティを想定する。 しかし、実はそこにはその論点に乗りすらしない人たちが存在する。 パン派ご飯派で議論して、ベストな朝食の答え出そうと思っている限り、「朝は寝ていたい」という人たちは議論に入る余地がない。 「どうぞご自由に」と参加すらしないし、「寝ていたいんだ」という主張をすること自体を諦める。 そして議論に夢中な人々は、自分たちが議題にしていること以外目に入らないし、それが全てと思ってしまう。 そんな感じ。 ネタバラシをせずに例えを使って説明しようとする試みは難しい。 この世界との摩擦を感じることができるか 明日も生きていたいと思えるか そんな問いかけが、印象に残った。 | ||||
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「正しい」って何だろう? 「正欲」ってどういう欲だろう? 何が正しいことなのだろう? 考えるほどわからなくなる。 悩ましい小説に出会ってしまった。 | ||||
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小説を読み終わった直後の感想は、正直つまらなかった。 多様性のへの理解を広げるのもいいが、この小説のマイノリティ側の人々自体がマジョリティの人々に理解すら求めていない。マイノリティ側の人々の心理が偏見ない理解で世間一般に当たり前に浸透していれば話は違うと思うが、そもそも彼らが求めていないのならば、マジョリティ側も理解しようと寛容にならなくてもいいんじゃない?と思いました。 話が逸れるかもしれないが、戦後の日本は現在に至るまで平和な期間が継続している。平和な時代が続けば続くほど、どんどん平和ボケしていく。そうなると考えることへのキャパシティにゆとりができて、あらゆることに寛容になろうとする。その一つがマイノリティへの理解ではないのかと思う。例えば戦時中は日本は限界まで追い詰められ、国民の財産を徴収、軍人以外の人までも徴兵したり、最後には特攻までも正当化する。 マジョリティを占める国民は洗脳される。そのような時代でもLGBTの人間は居るとは思うが、一般の人々にそのようなことを考える余裕はないだろう。 現代において、マイノリティに対して理解しようとするのはいいが、行き過ぎるとマイノリティの人々を助長しさらにマイノリティの人々の人口が増えていくのでないか?とも考える。そのような人々が増えてくことで新たな社会問題も増えていく。その時、政府が新たな問題にしっかりと対処できればよいが、そのような問題よりも重要な問題があると僕は思う。現在、世界情勢が悪化の一途をたどるなか、もっと真剣に取り組むべき問題があると思う。SNSの発達で思想が多様化して、それを理解し合うことも大事だとは思うが、多様化しすぎると、戦争とか大きな問題が起こった時、国民の意識を一つにまとめなくてはいけなくなった時、思想が多様化しすぎていると、方向性がまとまらず国家は弱体化するでは?と個人的に思う。 すみません。話が少し逸れた気もしますが、マイノリティに理解を示しすぎることによるデメリットが大きいと思いますよ、ということをあくまでも主観ですが、私は危惧します。 LGBT法案の可決などもあり、そのようなことを考える今日この頃です。 この小説、映画化されたんですね。映画化に向いている話だと思いました。 見に行きたいですね。 | ||||
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うーん。 哲学的な内容。 小説として読みには私的に長いと感じた。 新書でペラペラと読みたい内容と感じてしまった。 | ||||
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着眼点に惹かれたが、この作品書いてない文章であり、話した言葉を第三者が代筆したと思ってしまうほど拙い文章に辟易しかない。 完読したがもっとなんとかならないのかと思う逆の意味で完璧に裏切られた作品。 作品の熱量、本気、魂、全くなし。 読む価値はない。 | ||||
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そっちかーという感じで深く考えてしまうが、 共感や理解、繋がりとかは難しい… | ||||
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本を読んで、映画を見てやっと内容がつかめました。稲垣吾郎さんの映画良かったです。 | ||||
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思いっきりネタバレなのでご注意ください。 そもそもオチがないのが減点1。 読んでいてしっくり来なかったのは彼等彼女等の性癖がそんなにひた隠しにしなくてはいけないようなものだったのだろうかということ。確かに珍しい性癖ではあるのだろうけど、その割には同じクラスにもうひとりいる程度のもの。彼等彼女等はひた隠しに隠し、世間は絶対に受け入れてくれないと信じ込んでいたけれども果たしてそうだろうか?私が聞いたとしても、ふーんで終わる程度のような気がする。児童ポルノ愛好者と誤解されてまでも申し合わせたようにひた隠しにする頑なな態度に理解に苦しむのは私がそっち側の人間ではないからなのだろうか。 次にほとばしる水に性欲を覚えるということだけれど、彼等彼女等はそれでいけたのだろうか?それをみると下腹部が熱くなるとの描写はあったがそれでエクスタシーに達するような描写はなかった。意図的にぼかしてあるのかもしれないが。夢精はしないのか?そうでないならば単なる趣味と変わらないでしょう。 という訳でいまいちしっくりこないお話でした。読解力と想像力が不足しているのかもしれない。 | ||||
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一気に読み上げました。いろいろな観点があることを知りました。ずっと 心に残りそうです。 | ||||
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昨今の安易な多様性賛美に対して、著名な作家の立場から疑問を投げかける本作の意義はとても高いと思う。一方で、作中で異端とされる性的嗜好はおそらく一般の目からはさして有害とは感じられないもので、その点で(その性的嗜好を持つ)登場人物に共感しづらい。 その性的嗜好は単なる例示で、読者が自分には受け入れ難い種類の嗜好(より犯罪的なもの)へ置き換えてもよいのかも知れない。ただ、その設定が作者自身の発想によるものか、あるいはメジャーな出版物であるためのビジネス上の自主規制なのかは分からないが、いずれにしても正欲を俯瞰した視点で語っていても正欲からは逃れられないものなのだという読後感であった。 とはいえ、どれほど他者に配慮したつもりでも人と関わる上では傷つける可能性はあるということを再認識させられた点で、一読の価値はあった。 | ||||
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これほどまでに考えさせられる作品はなかった。自分の軸となる価値観が果たしてそれで良いのか、考えさせられる契機となった。 | ||||
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