■スポンサードリンク
正欲
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
正欲の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.90pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全249件 1~20 1/13ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
でも社会問題でもなく、どんどん読み込める小説。 登場人物が読み進めるうちに点が線になり、線は面になり、エンディングに進んでいく。 登場人物が多く、途中で迷ったが、それも読み終わって、納得。力作!! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
. 横浜地検の検事・寺井啓喜(ひろき)は小3の息子・泰希(たいき)が不登校になっていることを悩んでいる。 イオンモール寝具店勤務の桐生夏月は独身。中学時代のさほど親しくもない友人たちから同窓会に誘われ、戸惑っているが、学年途中で転校した佐々木佳道も来るかもしれないと知って出かける。 金沢八景大学学祭実行委員の神戸八重子はダンスサークルの諸橋大也が気になっているが、彼はサークル仲間と交わることが少ない特異な存在だと聞かされる。 住む場所も年代も異なる三者の人生が交錯していく……。 ----------------------- 第34回柴田錬三郎賞受賞。第3回読者による文学賞受賞。2022年本屋大賞ノミネート。累計発行部数は2023年10月現在、50万部超え。2023年11月に稲垣吾郎や新垣結衣ら主演で映画公開。そんな話題沸騰の長編小説です。 予備知識のないまま読み始め、名もなき人々の三者三様の日常が淡々と描かれれていくばかりで、どこでどのように繋がっていくのかと、当初は首をかしげながら頁を繰りました。 寺井啓喜は不登校の息子が社会の既定路線からはずれながら、学校に行くのが当たり前の時代は終わったとYouTuberに転身する様子が理解できず、大いに苛立ちます。 夏月はできるだけ社会や会社から距離を置いた人生を歩みたいと努め、人間関係も希薄な日々を送っています。 八重子は気になる対象の大也が性的少数者であることを薄々感じとり、そんな彼のことを理解して力になりたいと考えます。 交友関係が全くない三者の間に、社会的多数に身を置く側と社会的少数と呼ばれる側との区別という共通項があることが徐々に見えてきます。 物語の中盤になって、三者の人生が繋がり始めるきっかけとなるのが、YouTubeである点がとても現代的な気がします。物理的な境界を軽やかに飛び越えて地球の裏側にまで交友の手を伸ばすことも可能なこの動画投稿サイトが、少数者同士の繋がる手段を提供していく話になっていくのです。 しかし、少数者が生きやすくなる世界の広がりを約束するのだろうなと希望がほのかに見え始めたと思ったのも束の間、〈多数者〉――すなわち〈主流派〉――の論理によってその世界は無惨にも断罪の場へと変貌を遂げるのです。多様性が声高に叫ばれる社会の中で〈より良き理解者〉であろうと考えるこの自分が、所詮は「大きな答えにまとまろうとする」(351頁)ことを良しとしていること、「自分はまとも側の岸にいる、これからもずっとそこにいられると信じている人」(379頁)であることに気づかされる瞬間が訪れて、息を呑みました。 「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉」(248頁)だという一行の意味を噛み締めることになります。 結局のところ物語は〈少数者〉が口を閉ざすことを選ぶという結末を迎えます。その痛ましさに、読むわたしもまた言葉を失ったのです。 なかなか手ごわい小説でした。 . | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白い!!!多様性の今の時代にふさわしい作品です!考えさせられます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あまりにもで可笑しくって笑ってしまった。 これを読者に読ませようとする朝井リョウさんはかなり性格悪いかも(笑) そして私も! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本を読むことで「繋がり」を感じられる人が、救われる人が、少しでも居たら良いなあと思った。 明日死にたくないという大きな流れに、もう少しだけ流されるという選択を後押しするための本に感じた。最後40ページくらいの描写がこれまでの描写より薄いことで、マジョリティによるマイノリティの尊重や啓発は主題じゃなく、ただ生きてほしいというメッセージをより感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
重たいけど、現代の多くの人が読んだ方が良いと思える小説。価値観が変わる人は多いはず。 多様性を謳い、少数派の内の一部を見ただけで、少数派全部を理解した気になってる多数派。そんな人達を糾弾してたのが印象的。 (自分の身を守るために)他人を理解し支配したいというヒトの心理はわからなくはないけど、他人を、世界を理解できると思うなんておこがましい。まずはそこから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「多様性を尊重しましょう」と昨今マスメディアでよく耳にしますが、今作を読んで本当に多様性を尊重したならば無秩序な世界になってしまうため、「多様性を尊重しましょう」(社会のルールに反するものは除く)だったんだなと気付かされました。 そして、マイノリティ(と言うのも憚れれますが)を尊重するためにはその人の話を聞くことや思いを馳せることが必要なのではないかと内省する機会にもなりました。 正しさ・欲望の価値観について深く考えさせていただいたこの作品に感謝申し上げます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長編なのにあっという間に読み終えてしまった | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハッピーエンドが好きなので……この本は辛い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
考えても答えが出ない、結論を出さないことが正解で、触れないことが正しいのか 欲について考えさせられる。 読む前と後で何かが変わると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
批評や感想を書くことをためらってしまう小説だと思った。本作の描く「多様性」を前にすると、どんな表現も、読み手によって意味が反転しうることを突きつけられるからだ。 神が人間を裁くことができない以上、人間が人間を裁くために、法律による線引きを行うことは可能なのだろうか?その線引きを行う正しい人間とは誰なのだろうか? 多様性とは結局のところ「マジでヤバい奴」を社会から抹消するための線引きではないのだろうか? 本作で答えは示されない。ただ、夏月と佳道、八重子と大也の美しい対話に示唆されているように思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
当方うつ病で障害者手帳持ちの人間ですが、全体通して「あぁ…あれね…わかる……」と共感しながら読んでました。特に、積み重なった巨大な諦観によって顔の肉が重力に負けて落ちていく感覚、ホントそれだわぁ〜…と著者さんの言語化能力に驚嘆してました。 とはいえ私はマイノリティの中ではマジョリティな方なので、本作の登場人物の苦痛を理解しきれると放言してしまうと彼らの苦痛に対する冒涜よなぁと思いながらも、終始共感しつつモヤモヤしつつ自分の経験と登場人物を重ね合わせながら読んでました。 「自分は残念ながらマイノリティだ」と思う方にこそ刺さると思いますし、ご自身を客観視する一助にもなると思います。もちろん小説としても凄まじい出来ですし。なので、興味を持たれたなら是非ご一読〜。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
LGBTQや多様性を理解していなかった。 この本を読んで本当の多様性とはなんなのか少し考える きっかけになった。多様性の社会と言いながら自分と違う他人を 否定して生きている人が多いのが現在の世の中。 人の嗜好は本当に複雑であり、種類も豊富だと気づかされた。 朝井リョウさんの作品は初めて読んだが、視点が面白いなーと思います。 世の中には、まだまだ、知らないことが多いんだなーと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
多様性の尊重というのはそんなに薄っぺらいものではないです。 水に性欲を刺激されようと、誰にも害を与えないので、共存できる。受け入れていい。 この本にも出てくる万引きして興奮するようなのは、共存できないから、受け入れられない。 別にLGBTはメディアなどで見慣れたから受け入れるとかじゃないです。 LGBTもお互いに合意の上で愛しあっているだけなら、誰にも危害は及ばない。共存できる。だから受けれられている。 理解できるかどうかとか、まともかどうかなんて大切ではない。 大切なのは、共存できるか。 共存できるのなら、理解できなくても、まともじゃなくてもいい。 それだけのことです。 何も矛盾なんてありません。 朝井さんもそこまできっちり描いてほしかった。 検事にも理解できそうな人がいたのに、理解を求めもしないで諦めてしまっている。 これでは多様性を尊重していないようにも解釈できてしまうし、そういうレビューもある。 残念です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
又は嫌悪感を持つか、でこの作品の感想は全く違うものになります。 読んだ人と話し合ってみたいと思わされました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
素晴らしい小説でした。読み終わった瞬間に思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどに。この小説のテーマは、五十年以上生きてきた自分の視野になかったものでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容をあまり把握せず、旅行に持って行って、海辺で読み切りました。 ロケーションも相まってかもしれませんが、面白かったです。 映画も観たくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容はLGBTQのもっと奥深いところの問題。 この本読んだらLGBTQがいかに傲慢というか薄っぺらいというか「世間」が決めた基準だなぁ…と思える。 「私は、普通じゃない人も理解しようとしているから、どんどん相談して」 みたいな発言は徹底的に偽善なんだと気づかされる。 そもそも「普通」というのは、そちら側にいる人の感性なわけで、別の範疇にいる人は、そこが普通。 結局どこまで行っても分かり合えないのだろう。 . この小説に出てくる主人公的な人達は、すべて共通の「あるもの」に、性欲を感じる人たちである。(驚くことに男性も女性も) その人たちは、その「あるもの」があまりに特殊なため、LGBTQどころの話ではない疎外感と絶望を日々感じつつ、 たまには自殺願望も湧いてきつつ苦しんだ生活をしている。 . なんか変わったやつらだと可哀そうに思って、救おうとか理解しようとするような人も現れるのだが、あまりにもニッチな対象なので、まさかそこまではと想像だに出来ない。だから主人公たちはもどかしいし、あきらめてる。 , ある時SNSを通じて、今まで個で生きて.きたその人たちが集まる事になる。私はこの先どうなるのだろう…と思って読んでたら、 あっけない終わり方。ただし今の世の中ではこんな終わりかしかありえないだろう…と納得できるが、何かもやもや。 . とにかく、自分の価値観とか普通は…という考え方を見直すきっかけになる本ではありました。 そういう意味では、「読む前の自分には戻れない」というコピーはまんざら嘘でもないわけだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
映画の八重子がスレンダー美人女優で納得いかない。ルッキズムやジェンダー差別に切り込む「正欲」で、肥満コンプレックス八重子に瘦せ型の人を抜擢するのは大いなる欺瞞では? 本編は多様性の美辞麗句で差別していいマイノリティと差別しちゃいけないマイノリティを選別するマジョリティの欺瞞を突いており、考えさせられた。前半の視点人物・八重子の印象が、後半の大也の目を通すと反転するのも面白い。 世間一般とかけ離れた特殊性癖を持ち、明日生きていいと思えず生きてきた夏月の苦悩には胸が痛むものの、個人的には啓喜の主張に共感する所が大きいというか。 特殊性癖者を「世界のバグ」ときっぱり言い切る彼の価値観が独善的なのは確か。かといって泰希に好感が持てるわけでもない。啓喜視点で描写されてるせいかクソ生意気なガキに感じた。彼が心酔してる不登校小学生ユーチューバーはゆたぽんがモデルなんだが、本人の現在や作中で言及された動画の用途を鑑みると、自分も啓喜寄りの考えになってしまうのは否定しがたい。 何も知らない小学生の動画のコメ欄にオカズリクを書き込む人々がおぞましいのは、私自身が腐ってもマジョリティ側だから? 否、そこには一方的な搾取だけがあって対等性が担保されないから。 YouTubeのキッズチャンネルや子育てチャンネルに群がるペドフィリアは、「普通」の人々が微笑ましく観る動画を、別の目的で消費しているのだ。 後半の大也と八重子の対峙は印象深く、大也にやりこめられた八重子の反論が胸に響く。 「正欲」の構成の巧妙な所は、特殊性癖の中でも極端にマイナーな物にフォーカスし、世間的に絶対認められない、読者の大半が生理的嫌悪を催す、小児性愛者の視点だけ排除したこと。 ミスリードによるどんでん返しと無関係ではないにせよ、真性ペドフィリアは水を出すだけで性欲を満たせる、夏生や佳道たちを羨むのでは? 蛇口をひねるだけでは犯罪にならない、何の罪にも問えない。ドン引きする人はいる。だから何?子供に手を出したら捕まる、ことによると眺めてるだけで通報される小児性愛者の生き辛さの方が上では? 夏生や大也は傲慢で鈍感なマジョリティに対し、許しも理解も求めず、ただただ放置してほしいと訴える。 その切実な心情は伝わるものの、「正欲」は「それ自体は罪じゃない(にも関わらず「キモイ」と差別される)、道義的に許されるマイノリティ」のみを扱って、安易な共感や同情を募ろうとしてないだろうか? なるほど、夏生たちは被害者だ。ある現象に欲情する以外は普通の人間で、法律に反する行いは全くしてない。しかし彼女たち「被害者足り得るマイノリティ」の苦悩が事細かに掘り下げられるほど、対等性の観点から加害者に区分せざる得ないマイノリティを全力でスルーする、創作上の欺瞞が気になってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
けっこう凄い本を読んだ、という感想が残りました。 期待以上です。 多様性をキャッチフレーズとして実は繋がり合って異物を排除する風潮への、異議申し立てとして読みました。 ラスト近く、主人公の一人諸橋大也が、多様性運動を口実として繋がりを求める八重子に向かって吐く、本音の言葉が迫力ありました。 「諸橋君も、もう多様性の時代なんだし、ひとりで抱え込むだけじゃなくてもっと」 「俺、ゲイじゃないから」 ‥‥ 「自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」 「お前らが大好きな”多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」 「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされることばのはずだろ」 「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違って色んな立場の人をバランスよく理解してますみたいな顔してるけど、お前はあくまで”色々理解してます”に偏ったたった一人の人間なんだよ。目に見えるゴミ捨てて奇麗な花飾ってわーい時代のアップデートだって喜んでる極端な一人なんだよ」 ‥‥ 「お前らみたいな奴らほど、優しいと見せかけて強く線を引く言葉を使う。私は差別しませんとか、マイノリティに理解があるとか、理解がないと判断した人には謝罪しろとかしっかり学べとか時代遅れだとか老害だとか」 ‥‥ 「お前らが想像すらできないような人間はこの世界にいっぱいいる。理解されることを望んでない人間だっていっぱいいる。俺は自分のこと、気持ち悪いって思う人がいて当然だって思っている」(p.336-338) 21歳の若者がこんな名言を吐くのが少し不自然だけど、よくぞ書いてくれたものです。 最近の作家も捨てたものではないかも、という気がしてきました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!