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リボルバー
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リボルバーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全65件 41~60 3/4ページ
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まずはいつも通りの原田マハさんらしい読みやすく且つ素晴らしい小説でした。一般的には知られていないゴッホやゴーギャンの人柄などにも触れていてとても興味深いです。また、結末もこの本が真実だと信じたくなります。今までもゴッホが好きでしたが、この本を読んだらゴッホが最後に過ごしたお部屋やお墓などにも一度訪ねてみたくなりました。 | ||||
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ゴッホとゴーギャンにまつわる新事実がよくあらわされいたと思います。物語そのものは 納得のいかない部分もありますが、ゴッホとゴーガンについて絵画そのものをフィクションの材料にすることには問題もあるでしょうから。作家の創意の現れでしょう。 | ||||
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安田くん主演の舞台。 最高です! | ||||
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原田マハの作品には当たり外れがある。 もちろん、ぼくにとってということなのだが、当たりは『太陽の棘』『楽園のキャンバス』『風のマジム』等々であり、はずれは『翼をください』『暗幕のゲルニカ』等々である。 はずれだと思うのは、過剰なまでのロマンスに流し込んでしまう傾向が感じられるときと、あまりに無理筋な荒唐無稽な展開にいたるときだ。 彼女にはファンタジーに属する秀逸な作品も多くあるが、ファンタジーでないのにファンタジーになってしまう作品や、実在の「バスク祖国と自由(ETA)」がとんでもない描き方をされたりするのは、どうしても馴染めない。 前置きが長かったが、本書はあたりである。 ゴッホとゴーギャンの研究者であり、パリの小さなオークション会社に勤める主人公の女性のもとに、ある女性の画家によって錆びた回転式拳銃が持ち込まれる。 女性画家は、これはゴッホの死をもたらしたリボルバーだという。 そこから、このリボルバーについての調査が始まり、ゴッホとゴーギャンの真実を追っていくストーリーが展開していく。 ゴッホとゴーギャンという、友情と同時に相反する感情で結ばれた二人の画家のことが活きいきと描かれている。 ゴッホやゴーギャンについての啓蒙量も圧倒的である。 そしてリボルバーに隠された「秘密」にも、思わず引き込まれる。 それに何といっても、本作にはハーレクインロマンスのような、過剰なロマンスがない。 一つだけ難を上げるなら、オークショニアならこのリボルバーを持ち込まれたら、まず最初にその来歴、どうしてあなたが所持しているのかを質問することから始めるだろう。 ところが、それが一切なくて、そこから自分たちで調べるのである。 その方がミステリーとしては書きやすいとは思うものの、他に手はなかったのかと、そこだけが残念だった。 | ||||
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詠みやすい内容でした!ゴッホやゴーギャンの生い立ちを知らなくても、作品の中で丁寧に解説してくれます!彼らの濃厚な画家人生をギュッとしたような作品。かつて生きていた2人の画家たちの命のやり取りや細かな心理描写、フィクションなのにまるでノンフィクションのような思いに駆られます。そこにさらにロマンを感じました。 おもしろかったです! | ||||
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ミステリーとしては、やや傷が大きすぎると感じました。拳銃を手にした人ならまず絶対にするであろう行為をしていない点に関するエクスキューズがあまりに弱い。 もうひとつのミステリーであるゴーギャンの絵については、喪失時以降の経過をもっと明かしてもらいたかった。 ミステリーとしてではなく、二人の画家の心理ドラマとして読むならば、大変に面白かった。 | ||||
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毎度のことながら上手いなあというのが感想です。 『たゆたえども沈まず 』を既に読んでいたので興味深く読み進めました。 ゴッホは手紙をたくさん書いているので想像力を膨らませる余地が少ないがゴッホが弟と同居していたパリ時代は手紙が書かれていないないので作家の入り込む余地がるという意味のことを原田さんは書かれていますが、確かにそうだなと思います。 本作ではゴッホとゴーギャンの物語なのですが、実際に一昨年オークションにかけられた、ゴッホが自殺に使った(とされる)拳銃が登場しますが、もう一丁の同じ拳銃を登場させるところが原田さんの真骨頂ですね。 毎度のことですが「本当はそうだったかもしれない」と思わせるのは作者の力量です。次はゴーギャンかなと期待させるものがあります。 巻末の協力者のリストを見ると作者の人脈や行動力に羨ましさを思えます。 参考文献も数多く膨大で、読むだけでも大変な時間がかかるはずです。 ゴーギャンの子孫をたどる件は作者の実際の作業を表しているのだろうと想像します。 盗まれたとされる作品は作者の想像力が生み出したものでしょうが、あったらどうだろうと思わせます。 ゴッホが切り落とした左耳の範囲については五年前に資料が発見されて、一部ではなくてほぼ全部だったということが判明していますが、本書でも当然ながらそう記述されています。 ちょっと気になった箇所を一つだけ。 登場人物のフランス人がラジオから流れるクラシックの曲名(チャイコフスキー交響曲第一番ト短調・オーパス13)を口にする場面があります(P136)が、日本語で曲名を言ったり書いたりする場合は普通は「作品13」とします。書く場合は Op. を使う場合もあります。”・”は使いません。 同様に P147の「ベートーヴェン交響曲第五番ハ短調・オーパス67」は「ベートーヴェン. 交響曲第五番 ハ短調 作品67」です。 | ||||
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「月と6ペンス」以来のゴーギャンとゴッホの緊迫したやりとりに息が詰まりそうになりました。「月と6ペンス」には16才で「リボルバー」は55才で出逢えてよかったです。 | ||||
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原田マハ本人がいかにゴッホを愛して止まないかが伺える。ゴッホとゴーギャンと同じ空気を吸っていたのではないかと思うような錯覚さえ覚える。ストーリーの展開にも磨きがかかってますます面白くなってきたと思う。 | ||||
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ゴッホはかわいそうな人なんかじゃない、という著者のゴッホへの尊敬がひしひしと伝わってきました。ラストのゴッホの叫びがいまだにリフレインします。 | ||||
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作品中で最も肝になるシーンでの、一方の主要登場人物の心理にはかなり無理があり(もう一つ言えば、別のある人物は、いくら頼まれたからってそんなことするか?ということを含めて)ますが、そこに目をつぶれば(目をつぶれる人には)読みやすく、面白く感じるのではないかと思います。ゴッホとゴーギャンの二人を近代絵画史上の巨星とすることに異論はなく、この作品の設定の大きな前提でもありますが、私を含め大方の日本人同様、著者もゴーギャンよりゴッホの絵の方が断然好きなことは隠しようがなく、そこには共感しました。 | ||||
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ゴッホとゴーギャンはかつてアルルで生活を共にし、互いに作品への影響を与え合ったが、ゴーギャンは二か月で立ち去り、ゴッホは抗議して自分の左耳を切り取る。その一年後、ゴッホはオーヴェールでピストル自殺をはかる。 本書の軸になっているのは上のような極めて異常な状況として語り伝えられているゴッホとゴーギャンの歴史である。 二人の共通点がいくつかある。二人ともゴッホの弟テオによる資金援助を受けていたこと。しかしそれにも関わらず、二人とも生前に作品を認められることはなかった。経済的にも自立はしていなかった。 本書では二人の極度に個性の強い有名画家を主軸に据えた奇妙な自殺事件の現代版謎解きミステリーである。主人公になるのは、小さなパリのオークション会社の社員である高遠冴。彼女にミステリーの核となるものを持ち込んだのは、やはりパリ在住の謎の女性サラ。 オークションに出品されようとする品物はゴッホが自殺に使用したという錆びたリボルバーである。オークション会社に勤めつつゴッホとゴーギャンの関係に関する研究論文を仕上げにかかっている主人公・冴は、このリボルバーの存在に色めき立つ。本作の面白さは、芸術家たちの歴史と現在の証拠となるリボルバーを繋ぐ探偵活動にあるのである。そして歴史を繋ぐ証言者たちとの出会いやインタビュー。重ねられる推理。 本書のようなアート・ミステリーも、原田マハを特徴づける美術小説というものも、まったく読んだ経験が無いぼくがこの本を手にしたのは、ゴッホは個人的に何かしらのインスピレーションを感じさせる存在であったからだ。 50代になって経験した初のフランス旅行の際、アルルに二泊の機会を得たこと。夜のアルルをソロで散策して現地の店で酒を呑んだりしたという小さな冒険譚に加えて、昼も夜も見ずにはいられなかったアルルの公園にある、片耳のないゴッホの胸像から伝わった強烈な印象。さらに札幌の美術館で開かれたゴッホ展などなど、ゴッホと耳にするだけで強い好奇心が心に浮き上がってくるのである。無論ゴッホの作品は、数ある美術作品のなかで、それと識別できるだけの個性があるせいか見分けることができる。ゴッホが浮世絵他、日本への憧憬を強く示していたということも印象に強いのかもしれない。 そんなゴッホに対し、放浪の画家ゴーギャン。この人の絵も、個性が強いのでまず他の画家の絵とは明確に区別できる。ふたつの個性と二人の作品群に対する強烈な好奇心がなければ、この本を手にすることはなかったと思う。 さてさらに一つの大きな特徴がこの本にはある。この7月から本作品が舞台作品として公演されるのである。本書はその脚本ありきで小説化されることとなったようなのである。いわゆるこれまでの作品とはプロセスが違うのだ。戯曲も原田マハさんの手になり、この本はそれを逆に小説化したものと理解したほうが良さそうなのである。 どおりでと思われるページがとりわけ後半に続く。関連する重要キャラクターによる独白シーン。舞台装置が似合いそうな個性が登場する。そして本書は本書なりの真相結論に辿り着く。さらに最後に現実のオークションのことが小さく数行。現実と創造とを重ね合わせ、現在も残る本の表紙でもあるゴッホの『ひまわり』のタブローへと辿り着く。洒落たことをやる一冊である。それとともにゴッホとゴーギャンのイメージが強烈に心に住み着くようになると思える作品でもある。 小説と絵画と現実とが立体的に絡み合う不思議時間を、あなたも是非体験してみませんか? | ||||
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あー面白かった!!原田マハ、全部読んでるけど、これはベスト5冊に入る。泣きました。 | ||||
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著者のゴッホ関連の作品に出会うたび、アルルってどんな町?オーヴェール⁼シュル⁼オワーズってどこ? どんな景色?と想像を膨らませてしまう。本書にはそんな思いや憧れが凝縮されており、ゴッホの描くタブ ローの世界を旅している錯覚さえ感じる。 本書ではゴッホとゴーギャンの関係性を追求し、主人公・冴(さえ)の口を借りながら二人の関係は幸福 であって欲しいと、祈りにも似た筆致で活写している。 終盤まで極力抑えていたタブローへの讃辞、それが「ひまわり」の項になると俄然息を吹き返し、怒涛の 様に言葉の嵐が押し寄せてくる。黄色い色彩が視界一面に飛び散っている様。いいなーこの風圧、この香。 著者の作品にはこれがあるからたまらない。何度も何度もゴッホの作品集を紐解いてしまう。 史実に基づきながらも、もう一つのリボルバーの存在を想定し、ゴーギャンを取り巻く人たちをも鮮やか に浮き出させた。加えて史実と矛盾しないぎりぎりの範囲内での収束方法。爽やかな読後感を味わえた。 | ||||
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ゴッホの自殺、ゴーギャンとゴッホの関係に迫るアート小説。パリのオークション会社の日本人が謎解きする流れ。 ゴーギャンの過去が徐々に明らかになる中盤は、どっぷりはまったんですが、現代部分はキャラクター設定などがあまり好みじゃなく3/5点です。 | ||||
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またヤラレタ!まだ謎は残るけど彼女のストーリーには引き込まれる | ||||
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楽園のカンヴァスに並ぶ傑作。 ゴッホとゴーギャンの話に違和感なく日本人を主人公にするなんて、この人しかできない業ですね。 ただ、ヨーロッパ人には違和感あるだろうね。僕らだって嘉納治五郎の小説を外国人に書かれると違和感感じるだろうし。 | ||||
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…途中でギブしそうになった 氏が殆ど「信者」だという事は分かってるんだが… 自分的にテオは支えたんじゃなくて重い荷物を負ったとしか思えない質だし、2ヶ月で七十七作を讃えるより、無職の引きこもりの生活費+カンバス代と絵の具代の負担ばかりが痛々しい。テオは富豪って訳じゃないのに。ゴッホとの関係性ではゴーギャンを卑怯だとも悪者だとも思ってない。ストーカーから逃げた様なモンだとしか。しかしタヒチでのゴーギャンは人として最悪だ。ほぼ「生活の為の生業」的に愛人として仕えた少女を女神と称えてペットの様に愛玩して使い捨ててるのに「仲睦まじく暮らした」とか「愛し合っていた」とおためごかされると、創作物さえ素晴らしければ、何やってもOKなのね。と思ってしまう。幼く、美しく、安く買えて、しかも肌の色が違えば良心の痛みも感じないからそれができる場所行ったんでしょ。位にしか思えない。…芸術家っちゃそんなモンだけどさ 「研究者」が「こうであって欲しい」全開だと、信者が研究者たりえるのか?と感じてしまうのと、自殺か他殺かなんか、どっちでも良いんじゃない?死因なんざ「作品」に関係する訳でもなし。理解と鑑賞、解釈の為に必要な情報でもないし、単なる商業的な「付加価値」探しで奔走しても、余りピンと来ない。「求められてる報告」を前提としての調査ってバイアスかかんない?ふと「冤罪が掛けられる過程のようだ」と思ってしまった 「善意の第三者」を誤魔化して返還させて、オークションに出させる事が「良し」とされるラストが今イチ納得いかない。自分らの「欲」丸出しやん。そういう商売だから当り前っちゃ当り前だが、サラも戻ったら手放すレベルの執着かよ…で、他の絵と交換?オークションの会社は個人取引の仲介もするんだろうか?ゴッホ出てもオークションで買うとしたらさらに史上最高落札価格更新しちゃって買えなくなる気がするんだが どれもこれもピンと来ない 追ってる訳ではないが、目に入ると何となく読んでたが、ここ迄。もう止めとこう 自分の為の覚書 | ||||
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原田マハさんの作品は、とにかく面白く、引き込まれる! | ||||
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読後、弔っていた。 誰の? ゴーギャン...ゴッホ.... 遺言は? 「君の胸にただただ住んでいるタブローと生きてゆけ」 「僕には僕の、彼には彼の彼方の楽園がある。それでいいと思っている」 いま、は二人とも亡くなった。 かつて、アルルを訪れたゴーギャンはひまわりの絵を目にした。 「もっとも目を引いたのは すべてが黄色すぎるほどの黄色タブローだった」と彼は思う。 「濃い黄色、強い黄色、柔らかな黄色、淡い黄色、 背景もテーブルも壺もてんで勝手にぼうぼうと咲く花々も、 複雑な色調の黄色で描き分けられている。 にもかかわらず、ちっとも騒がしくなく、 むしろ静謐で完璧な調和をたたえていた」と感じた。 いまも、ひまわりの絵は残っている。 | ||||
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