風神雷神 Juppiter,Aeolus



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初公開日(参考)2019年10月
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長編小説

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風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)

2019年10月29日 風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)

美術(アート)という名のタイムカプセルが、いま、開かれる――。 日本が誇る名画『風神雷神図屏風』を軸に、海を越え、時代を超えて紡がれる奇跡の物語! 20××年秋、京都国立博物館研究員の望月彩のもとに、マカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンと名乗る男が現れた。彼に導かれ、マカオを訪れた彩が目にしたものは、「風神雷神」が描かれた西洋絵画と、天正遣欧少年使節の一員・原マルティノの署名が残る古文書、そしてその中に記された「俵…屋…宗…達」の四文字だった――。 織田信長への謁見、狩野永徳との出会い、宣教師ヴァリニャーノとの旅路…… 天才少年絵師・俵屋宗達が、イタリア・ルネサンスを体験する!? アートに満ちた壮大な冒険物語!(「BOOK」データベースより)




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風神雷神 Juppiter,Aeolusの総合評価:8.09/10点レビュー 65件。Aランク


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(10pt)

風神雷神 Jupiter,Aeolus の感想

アートミステリーの名手による感動の歴史青春小説。大半はフィクションだろうが、若き日の宗達や遣欧使節の少年たちが実際にそうだったかもと思わせるほどのリアリティで芸術を求めて命懸けの旅をする。旅の途中もさることながら、ローマにおける現地での絵画との衝撃の出逢い。シーンひとつひとつがまさに絵画的で、読んでいるこちらもそれを共有しているかのよう。
プロローグとエピローグに登場する望月彩。マハさんの分身かも、とも思わせてくれた。

本好き!
ZQI5NTBU
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

No.64:
(4pt)

俵屋宗達が、ローマにいき、ダヴィンチとミケランジェロの絵に出会う。

風神雷神を描いた俵屋宗達の物語である。風神雷神は、京都博物館で見た。また、建仁寺でも見た。
 その雰囲気とバランス、二神の画面からはみ出た躍動感が素敵だ。色彩も鮮やかで、特に白の雷神と緑の風神の対比がいい。その作品を描いたのが、俵屋宗達である。

 俵屋宗達、1570年〜1640年とされている。生まれた年も、死んだ年のもよくわかっていない。そして、素性も不明である。残された真筆の画は少ない。その時代は、織田信長1543年〜1582年本能寺で自害の時代だった。織田信長に寵愛されたのが狩野永徳、1543年〜1590年で47歳で死す。
 それにしても、この物語の虚構性の着目が素晴らしい。天正遣欧少年使節が、出発したのが1582年。その年に織田信長は亡くなっている。その天正遣欧少年使節団に、俵屋宗達が法皇に狩野永徳が描いた『洛中洛外図屏風』を献上させるというフィクション。1584年にポルトガル、リスボンに到着。1585年3月にローマ教皇、グレゴリウス13世に謁見する。実に3年の月日を要する。

 物語は、京都国立博物館研究員望月綾が、江戸初期の謎の絵師 俵屋宗達『風神雷神図屏風』について、講座で説明するところから始まる。
 そこに、マカオ博物館の学芸員、レイモンドウォンが望月彩を尋ねて、マカオに来てほしいと要請する。望月彩は、早速マカオに飛び、そこで絵と文書を初めてみる。マカオは、天正遣欧使節の原マルティーノが死去した場所で、その文書には原マルティーノの文字があった。

 俵屋宗達が、不明のことが多いので、そこに妄想を働かせて、俵屋宗達の物語を作り上げる手腕は、さすが原田マハである。

 京都の扇屋の俵屋の息子、伊三郎は、扇の絵を描くのに優れており、その扇の絵が目につけられ、織田信長に召されて、絵を描くように言われる。そのとき12歳であった。織田信長は、見たこともないものを描けという注文をしたら、伊三郎は 杉戸に象の絵を描いた。これは、伊三郎が近くにある南蛮寺で見かけたものだった。伊三郎は、見たこともないことを描くということで、実物の象は見たこともなかったが、描ききった。信長は、それを褒めて、宗達という名前をつけた。俵屋宗達の始まりである。

 そして、宗達の父親は、絵師にするために狩野永徳におとづれ、宗達を弟子入りさせてほしいと懇願するが、認められなかった。しかし、突然永徳から家に来るように言われ、手伝いとして、3ヶ月間絵の手伝いで、使うと決まった。それは、織田信長が、永徳を使って、『洛中洛外図』を作るように命じたからだ。永徳の『洛中洛外図』は、織田信長に命じられて一度書いたのだが、その逸話が興味深い。
 それを上回る『洛中洛外図』を描くように織田信長に言われる。

 宗達は、初めての屏風の大作で、永徳の仕事ぶりを膝下と見て、覚え、飛躍的に成長するのだった。また永徳は宗達の才能を認め、織田信長に、狩野永徳の容姿にしたいと申し出るが、信長は認めなかった。信長は、宗達を別の使い方をしたかったのだ。

 それが、天正遣欧使節(原マルティーノ、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン)と一緒に俵屋宗達を行かせることだった。そして、宗達は、法皇に『洛中洛外図屏風』を献上させ、ローマの状況の図を描かせて、ローマの実情を知りたいということだった。
 そして、天正遣欧使節団は、ポルトガル、そしてローマに向かうところで、上巻は終わる。

 織田信長の大胆な構想力と好奇心の凄さ、そして、その下での狩野永徳に対する保護や支援は並大抵のものではなかった。安土城には狩野永徳の絵でうめつくされていいた。
 俵屋宗達の風神雷神の図の構想が、日本の絵の構想とは、明らかに違う。宗達がローマまで行った経験があると考えた方が妄想が広がる。ミケランジェロ、レオナルドダヴィンチの絵の影響を受けたということだ。 
風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)Amazon書評・レビュー:風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)より
4569843875
No.63:
(4pt)

描きなさい。まっすぐに。己の信ずるままに

読み終わった。でも、原田マハの作品では、久しぶりに不完全燃焼だった。史実と虚構の入り混じった展開に、いろいろ刺激は受けた。
 俵屋宗達が、『風神雷神』を描くところまで到達していない。続篇を期待したい。天正遣欧使節団が、日本に帰国したのが、1590年。天下は秀吉の時代。秀吉は、1587年7月にバテレン追放令(バテレンとは宣教師のこと)を発布していた。秀吉は、宣教師を追放したが、キリスト教を否定していなかった。それで、1591年3月に秀吉に、天正遣欧使節団は、聚楽第であっている。家康は、1612年に「禁教令」を出し、キリスト教を完全に禁止した。日本は鎖国となり、オランダとの貿易だけに限った。

 本書を読みながら、天正遣欧使節団の帰国後の行く末が、気になった。
 伊東マンショは、大友宗麟の名代。日向国主伊東義祐の孫。司祭に叙階。1612年長崎で死去。千々石ミゲルは、大村純忠の名代。後に棄教。1633年死去。(ただし、長崎、諫早市で墓が見つかり、ロザリオと一緒に埋葬されていたため、棄教ではないという説もある)。中浦ジュリアンは、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るしの刑により殉教。原マルティーノは、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオにて死去。本書『風神雷神』の物語は、原マルティーノの日誌が元になっている。原マルティーノは、語学に優れ、スペイン語、イタリア語、ラテン語に通じて、通訳の役割も果たす。物語では、俵屋宗達との関係も良好だった。原マルティーノは、マカオの大聖堂の地下に、生涯の師ヴァリニャーノ司祭と共に葬られている。

 1583年11月、インドのゴアに到着。ヴァリニャーノ司祭は、ゴアにとどまることになる。イエズス会からインドの管区長に任命された。宗達は、ヴァリニャーノを父と思い、ついてきた。宗達がローマに行けと命令された時、ヴァリニャーノ司祭が立ち会った。また、天正遣欧使節団の許可もとった。また行く途中においてのイタリア語の教師でもあった。ヴァリニャーノは、清廉潔白、正義感強く、こうと決めたら筋を通してやり抜く人だった。宗達は、身を切るような痛みを感じた。「あなたは、ローマまで行くと言われた。嘘をついたのか」を問う。

 1584年8月、ポルトガル、リスボンに到着した。歓迎され、宮殿の絵を見るが、初めは珍しさがあったが、同じものに見えてきてがっかりする宗達。2ヶ月後、スペインのマドリードに到着。スペイン国王フェリペ二世と謁見。宗達は、父親が渡してくれた風神雷神の扇を見せる。マルティーノは、ユピテルとアイオロスと紹介する。

 1585年3月 イタリアのリヴォルノに到着。トスカーナ大公国で、ピサの宮殿に入る。宗達は。コジモ・ディ・メディチに会う。その威厳に驚く。沢山の肖像画はブロンズィーノが描いた。
 フィレンチェに到着。ヴェッキオ宮殿。メディチ家が支配する礼拝堂。キリスト受難のレリーフ。祭壇の聖母子像。聖母マリアと幼子。内側から放たれる清らかな光。絵には命が宿っていた。それを描いたのが、レオナルドダヴィンチ。(ダヴィンチ村の出身のレオナルドという意味だった)その絵に宗達は感服する。

 ローマ、カンピドリオの丘のふもと、イエズス会の本拠、ジェズ協会へ。ジュリアンは熱を出し、三人と絵師の宗達しかローマ法皇に謁見できない状況となった。1585年3月23日法皇、グレゴリウス十三世と謁見。グレゴリウス十三世は、ボローニャ生まれ、ボローニャ大学に学び、教鞭を取った経験を持つ。ユリウス暦から新しい暦、グレゴリウス暦を導入した。宗達は、『洛北洛中図』の屏風を渡す。システィーナ礼拝堂の天井画が、ミケランジェロの『天地創造』と『最後の審判』の画を見て、宗達の心に沁みた。宗達は、ダヴィンチ、ミケランジェロに会いたかったが、ダヴィンチは1519年、ミケランジェロは1564年に死んでいた。また、グレゴリウス十三世は、謁見の18日後に亡くなった。コンクラーヴェヶ行われ、シクストゥス五世が選ばれた。

神は世界を光と闇にわかちたもうた。
さらに神は太陽と緑を創りたもうた。
また神は水と大地をわかちたもうた。
天と、地と、光と、緑と、水と。

 宗達は、天地創造に惹きつけられ、一切の言葉を奪い去られて、ただただ涙を流していた。
宗達は、この絵をみつために、ローマにやってきたのだった。

 宗達は、ミラノにいた。ドミニコ会のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の厨房を抜けて、食堂の壁画が、ダヴィンチの『最後の晩餐』だった。そこには、裏切り者がともに食卓を囲むことを許しているキリストがいた。宗達は、クリスチャンではなかったので、違和感を感じていたが、ここでキリストの心の広さを感じる。

 そして、その食堂に少年が現れた。絵道具を持っていた。その少年が、1571年生まれのミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジオで、14歳だった。いやはや。宗達とカラヴァッジオと会わせるとは、すごい。二人は交流し、互いの絵を送り合う。そして、カラヴァッジオが働いていたシモーネ・ペテルツァーノ公の絵画工房で、工房の作業を見るのだった。実際にカラバッジョは、その頃工房にいた。

 宗達は、ダヴィンチの絵に出会い、ミケランジェロの絵に向き合い、「描きなさい。まっすぐに。己の信ずるままに」
という声が聞こえたのだった。
風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)Amazon書評・レビュー:風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)より
4569843883
No.62:
(4pt)

新品ということでしたが、ついているはずの赤い帯がありませんでした。
ちなみに下巻にはちゃんと緑色の帯がついていました。
本の内容には関わらないので、こだわるつもりはありませんが、少しだけ「?」と感じました。
風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)Amazon書評・レビュー:風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)より
4569843875
No.61:
(1pt)

本のカバーが…

梱包する時に出来たものか、最初からか分かりませんが、新品とは言えない本のカバーの擦れた後があり、中古なのでは?と思ってしまいました。中身は綺麗でしたのでどこかの時点で擦れたのだと思いますが、1箇所とかではなくぐるっと一周の端がポソポソになっていました。残念ですが面倒なので我慢します。
風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)Amazon書評・レビュー:風神雷神 Juppiter,Aeolus(下)より
4569843883
No.60:
(5pt)

レプリカでもいい!

建仁寺に行きます!
読んて、俵屋宗達愛
風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)Amazon書評・レビュー:風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)より
4569843875



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