まぐだら屋のマリア
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母に送ったところ、大変面白くてすぐ読み終わってしまったそうです。 | ||||
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マグダラのマリアの話ではなく、創作ということはわかっていて読みました。マグロとタラって… マリアのことが最後まで好きになれませんでした。彼女の自己満足でしかない罪滅ぼしに付き合わされた女将さんも、死ぬつもりで来たのに捨てられた感じになった先生もかわいそう。このあたりがマグダラのマリアの贖罪と重ねられてるのでしょうか。 原田マハさんを好きになっていくつか読んでいる中この作品に当たってしまいましたが、良い作品がたくさんある作家さんなので、気を取り直して読み進めようと思います。 | ||||
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『霧の向こうの不思議な街』のアダルト版のような本に感じました。 読みやすいけど、結構悲惨な話でもあって、でも家族の愛とかも感じるような暖かさもあって、あっという間に読みました。 | ||||
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原田マハの作品の中で好きなジャンル 最初に謎があり、それを解明したくて夢中で読み進んでしまった。 「まぐだら屋のマリア」という題名、そして、登場人物が新約聖書の使徒の名前と被ることから根底にキリスト教の信仰があるのかと思ったが、全くそれは感じられない。ただ、罪をただの罪悪とせずに「赦し」のイメージが漂うところは優しく、キリスト教の贖罪があるのかな、と思った。 登場人物の個性がそれぞれ際立っていて魅力的だった。映画を観てるように情景も鮮やかで、マハさんの中には現実のモデルとなる場所があるのかな、と感じた。 罪の意識を抱えるもの、何かから逃げて来たものの集まる場所「尽果」。暖かさより寂しさ、寒々しさの漂う町にある暖炉のような食事処「まぐだら屋」。 そこにいたマリアは人々の癒しの存在。だが、彼女にも謎が付きまとう。登場人物の不安や後悔、そしてときめきを共有しながら謎を少しずつ明らかにしていく。 最後になるにつれ、涙が止まらなかった。 読後は、様々な葛藤が穏やかになだめられ、気だるさの中で静かに脱力できた。 本の中にたくさんの会いたい人がいる。 オススメの本だ。 | ||||
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キリスト教神話より“マグダラのマリア“は悪女から改心し主から赦された…というエピソードが元ネタになっている。 だがそもそもこの神話自体、マリアの悪女たる根拠は曖昧で、娼婦というレッテルをキリスト教の男尊女卑的価値観によって捏造された可能性が判明してきている。 それになぞらえた当作品もまた「男を誘惑する女の罪」というミソジニーを踏襲している。 “まぐだら屋のマリア”は、過去に妻子ある男性の家庭を破滅させた贖罪として長年親族地域に奉公し続けていた。 当時未成年で、性虐待を受け社会からも隔離されていた少女が唯一つながった教師に依存したことが、それほどまでに責められ一人で憎悪を引き受けなければならないことだろうか。 一方、教え子が性虐待を受けていたのに適切な保護にも繋げず欲情し、個人的に囲って依存させ、職責も妻子も捨てて連れ去った男の姿はほとんど描かれていない。 男が弱者支援の場に居場所を見出し贖罪した気でいるのも怖い。福祉の現場を犯罪者の更生施設だと思ってるやつは巷にも多いが、支援対象に性欲絡めて入れ込むやつなんか絶対に関わってはいけません。 他のキャラも全体的に人助けの適切な距離感や関わり方を履き違えて共々破滅したり、確認不足や勘違いで暴走するキャラばかり。 まともなのはカツオさんぐらいかな。 | ||||
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