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リボルバー
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リボルバーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 1~20 1/3ページ
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原田マハは、『たゆたえど沈まず』『ゴッホの足跡』でゴッホをかき、さらに『リボルバー』をかいた。 ゴッホは生前ほとんど絵が売れず、その才能が認められることなく苦難の人生を送った。原田マハは、このように正当に評価されない「天才」や「異端者」に光を当てることで、社会の価値観や評価のあり方を問い直そうとしている。ゴッホの絵には、ゴッホの魂の叫びや生に対する強烈な情熱が込められている。それは、孤独、絶望、希望、愛といった普遍的な人間の感情と深く結びついている。ゴッホの生き方だけでなく、絵が何かを訴えている。まさに、絵が生命力があり、生きているのだ。それが時代を超えて人々の心を打つ。 ゴッホの生き方は、世間的な「成功」とはかけ離れていたが、ゴッホの絵は今日に至るまで、世界中の人々を魅了し続けている。原田マハは、ゴッホの生涯を通じて、真の価値や豊かさとは何か、人生とは何か、芸術はどんな意味を持っているのかという問いを投げかけている。 ゴッホの絵は、その鮮烈な色彩と、うねるような渦の中に、動的平衡がある。人間が持つ純粋で生々しい感情が剥き出しで、その飾らない感情表現と色彩が、心を揺り動かす。どんなに困難な状況にあっても、ゴッホは絵を描くことをやめなかった。その執拗なまでの創作への情熱に、胸を撃たれる。ゴッホはテオを心から信頼し、精神的にも経済的にも深く依存していた。テオからの仕送りや手紙がなければ、ゴッホは創作を続けることができなかった。ゴッホにとってテオは、唯一の理解者であり、心の支えだった。 主人公はゴッホとゴーギャンの研究者高遠冴は、パリのオークション会社に勤めている。論文を書くためにゴッホの聖地を歩き、ゴッホゆかりの美術館を見て回っている。ある日、画家のサラという女性がオークションに出したいと言って持ってきたのが、ゴッホが自分の脇腹を撃ったリボルバーだった。 どうして?そのリボルバーが、赤く錆びついた銃が。原田マハは、リボルバーで物語を紡ぎ出す。 高遠冴は、そのリボルバーの謎を解こうとする。 ゴッホとゴーギャンの関係が浮き彫りになってくる。 1888年、南仏アルルに移っていたゴッホ35歳の黄色い家で、ゴーギャン40歳は9週間にわたる共同生活を送った。二人は、噛み合わず、関係は悪化、それでゴッホは耳を切ったことで、ゴーギャンはゴッホの元を去った。それ以来、ゴーギャンはゴッホにあっていなかった。しかし、そのわずかな共同生活は、ゴッホとゴーギャンを大きく変えた。 この物語の真髄は、ゴッホは他殺であり、その犯人はゴーギャンだという仮説を大胆に取り上げている。なぜ、ゴーギャンは、ゴッホを撃ったのか。 ゴッホは精神的に不安定であり、時にゴーギャンに攻撃的な言動を示していた。共同生活を送っていたゴーギャンは、ゴッホの狂気に怯え、身の危険を感じていた可能性がある。ゴーギャンもまた高い芸術的才能を持っていたが、ゴッホの作品に触れることで、自らが超えられない壁を感じていた。つまり、ゴッホの才能に対して敗北感を抱いていたとも推測できる。小説の中では、ゴッホを撃ったとされるリボルバーがゴーギャンの所有物であり、彼の子孫に受け継がれていたという設定が登場している。これにより、「犯人はゴーギャンだったのではないか」という仮説が導き出されている。 また、テオは、ゴッホだけでなくゴーギャンにも、経済的な支援をしていた。そのテオの支援を疎ましく思い、またテオの苦しみがゴーギャンにも理解できていた。 そこで、リボルバーを持ってきた画家であるサラは、誰か?を冴は解き明かそうとする。 ゴーギャンには、デンマーク人の妻、メッテ・ガッドとの間に5人の子供がいた。そして銃を持ち込んだサラ・セゲレンは、ゴーギャンがタヒチ滞在中に、現地で関係を持った女性(愛人)との間に生まれた娘だった。サラは、錆びたリボルバーを持って、この物語に登場するのが、原田マハの手腕だ。 サラの錆びたリボルバーは単なる銃ではなく、ゴッホとゴーギャンの関係性、彼らの苦悩、そして芸術と人間の狂気といったテーマを象徴する重要なリボルバーとして描かれている。サラがそれを持っていることは、彼女が物語の謎を解き明かす上で中心的な役割を果たしている。 そして、それを冷静に、考察する高遠冴が、謎を解き明かしていく。 この物語の面白さは、リボルバーの謎を解き明かす中で、ゴッホとゴーギャンの関係を明らかにし、そして、ゴーギャンの独白が続くのである。歴史の闇を炙り出すことで、新たな視点が付け加えられる。当人しかわからないことを、想像力で物語を作り上げるのだ。 確かに、ゴッホを撃ちぬいたリボルバーが、ゴッホの脇腹だった。なぜ頭や心臓を撃ち抜かなかったのか?そのことが不思議でもある。 | ||||
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ずっと読みたかった本なので楽しみにしていました。 | ||||
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P.237~P.275に感動しました。 | ||||
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頑張って読みたいです。 | ||||
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マハさんの美術系は間違えない。 本当にそうだったように思えてくる | ||||
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結末を想像しながら、でも全て読まないと気が済まなくなる作品です。 ほっこりしながら、美術館に通ってみたいと考えています。 | ||||
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ゴッホとゴーギャンを巡る物語を背景にした作品。興味を惹く構成で飽きさせない。美術品の背景や見方を変えてくれる。 | ||||
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誰が引き金をひいたのか、 なぜ引き金をひいたのか、 はそれほど重要じゃない。 ゴッホやゴーガンの人間味に触れた心地になれるのが醍醐味です。 | ||||
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美術に関する造詣は皆無ですが、読みやすく情景が浮かんでくるようです。 読んで良かったです! | ||||
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絵画に造詣がなくても、実際の史実にも基づいたフィクションなのでゴッホやゴーギャンへの知識が深まりました!美術館にいって実物をみて感動しても、すごい迫力だなぁ、くらいしか言葉が出てこないですが、原田マハさんのご本を読むと絵画がお好きな方がどういうふうに感じてるのかがわかります。そうそう、そういう感じだな〜!って。 絵画だけでなくオークションのこと、フランスで日本人が絵画の仕事につくことが困難なことなど、世界が広がるのも楽しいです。ちょっと劇画っぽい語り口?と思ったりもしますが、ミステリー要素もあり面白くてサクサク読めます。原田マハさんの造詣と愛の深さに脱帽です。美術館に行きたくなりました! | ||||
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ゴッホの自殺に使われた拳銃をめぐる話だが、話はそう単純に進まずゴーギャンが裏の主人公として出てくるのは面白い。原田マハにゴッホ、ゴーギャンを書かせたら面白いの一言である。私的には、原田マハの良さは短編集より、こういった枚数の多いものの方がよく出るような気がする。一読の価値あり。 | ||||
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フィクションであるのはわかっていても、思わず物語の中に引きずり込まれてしまった。最高に面白かった。殆どイッキ読みだった。彼女の作品はかなり読んでいるが、これは素晴らしい。ゴッホとゴーギャン、2人の偉大な画家の知られざる過去に筆を運びながら、その周囲の人物まで光を当てて描き出す。本当に原田マハ氐ならではの手腕だと言えよう。たゆたえども沈まずも大変面白く拝読したが、原田マハ氐のゴッホ の描き出すエネルギーには、読者も圧倒されてしまうだろう。是非とも1度手に取って欲しい秀作であると思う。 | ||||
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2019年6月19日 19世紀のオランダの画家ビンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)が自殺に使用したとされる拳銃がパリで競売にかけられ、約2,000万円で落札された。 出品された銃は7ミリ口径のリボルバー。赤錆がうきボロボロの状態だった。落札したのは電話で参加した個人の収集家。名前は明かされていない。 ストーリー・テラー原田マハが語るゴーギャンとゴッホの物語。 史実に基づいたフィクションと巻末にことわり書きがありますが、楽しめた一冊でした。 | ||||
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ゴッホとゴーギャンに関心がある人もない人も、興味深く読めると思います。リズム、テンポが良く、あつと言う間に読み切りました。 読後感は寂寥でしょうか。 ゴッホとゴーギャンという二人の画家に 感情移入してしまう作品です。 | ||||
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ゴッホが回転式短銃リボルバーの銃弾が元で37歳で孤独のうちに死んだことは知っているだろう だがその原因も関与していた者もアート界の謎の雲の中だ 小説や映画やドキュメンタリー番組で諸説の推論が雲霞のごとく生まれては残り また消えていった だが 自分はもうこのミステリーの解答は このマハの物語でいいや とそう思った 興味や関心だけではなく ゴッホとゴーギャンへの愛情 同情 共感 それらがここには結晶されている きっと作者は長い長い年月と感情をこの物語に積み立てて熟成させてきて ようやく この本という形にして彫り出してきたのだと思う だからこの物語には不運もあるが不幸はない 人物たちも世界も これでいいですね いいんだよ という無条の肯定がイェスに満ちている だからぼくには この解答でいいんだ そう思っている | ||||
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きれいな状態です。さっそく読みたいと思います。 | ||||
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どこか、推理小説を読むような面白さがあり、最後までドキドキしながら読みました。著者の本は、何冊か読んでいますが、凄い力量だと、いつも感心します。 | ||||
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凸凹しないストーリー。ちょっとホロッとして期待を裏切らない。 | ||||
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ゴッホやゴーギャンの交友にも深く入り込んでいますので、美術史に関心のある読者なら楽しめる作品になっているはずです。当方も楽しんだ一人ですが、ミステリ仕立てですので、その観点から見ると、展開が遅く間延びしています。 過去と現在を行き来する重層構造の小説でもあるので、ゴッホの生涯に関心の少ない方には退屈だったのではないでしょうか。 良くも悪くもキュレーターの原田マハさんの個性と思いが、全面に登場した小説だと言えるでしょう。当然、虚実ないまぜになっていますので、一定確認されている史実と虚構の隙間を埋めながらストーリーは展開していきました。特にゴッホとゴーギャン、そしてテオの関係性は原田さんの描くようなものかは不明です。勿論、その関係性があの傑作群を生む呼び水になったのかもしれませんが。 折しも、ゴッホ展が東京を皮切りに福岡、愛知と巡回します。根強いゴッホファンにとっては、本書の中で、聖地巡礼のような描かれ方も登場しますので、その点も本書を読む醍醐味につながっているのではと思いました。 現実のオークションを題材にして、表題の「リボルバー」の流転を絡めていくという趣向は斬新でした。構想の面白さとは別にミステリとして書く難しさも垣間見えました。 | ||||
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すでに歴史的な事実として認められた、ゴッホの死とゴーギャンとの仲違い。そこにフィクションの入り込む隙間はあるのか。その難題に果敢に挑戦した意欲作だ。 ゴッホとゴーギャンの関係は、実際の所とどうだったのか。という素朴な疑問を出発点として、二人をつなぐものとして「ひまわり」を取り上げた。カバーの絵はゴッホの有名な「ひまわり」。カバーをはずすとゴーギャンの「肘掛け椅子とひまわり」。ゴーギャンの絵はゴッホの絵の陰に隠れてしまったいる。おそらく、それが作者の意図だろう。 尊敬と嫉妬。ゴーギャンの歪んだゴッホへの感情が、リボルバーの引き金を引かせた?そんな風に読者を誘導していく。ミステリーとしてもよくできている。 ただ、問題のリボルバーを科学分析にかければ、いつ、どのような状況で使用されたか、というところまではっきり分かると思う。定説とは違う説を展開するフィクションだから、あいまいにしなければならない部分があるのはわかる。それでも、もう一工夫欲しかった。 | ||||
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