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日没
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日没の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 21~40 2/3ページ
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これは、フィクションではない。今まさに日本の入管庁が人に対して行っていることだ。 | ||||
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怖くて怖くて、一気読み。 何が怖いって。。自分の普段の生活の地続きに、こんな恐ろしい事が ぽっかり穴をあけて待ち受けているかもしれないというリアル。 ある日突然、国から召喚状が届く。何やら、自分の書いた本へクレームをつけられ 『療養』を受けなければならないと。「はあ?」エッチな小説を書いているから って、風俗を乱す小説執筆は、やめなければ「療養」を促される? 「そんな馬鹿な?」と思っている内に、出られない事に気づき愕然。 しかも、それは、れっきとした国の機関が運営する療養所。 この療養所の描き方が、秀逸。海に近いせいか、コップに入った水は かすかに塩味のするぬるい水。刑務所もかくや。。と思わされる味気無い食事。 自分が今そこにいる気にさせられて、ページを繰る指が止まらなくなります。 不穏な空気、焦燥感、隔絶される療養所。主人公のマッツ夢井の行く末は? 国家の思惑にこんな風にかすめ取られるのでは。。と心底怖くなりました。 ある意味、時代を映す鏡と思える小説。読了後、タイトル「日没」がズシリと来ます。 | ||||
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読んだあと、「この感想で合っているかどうか」が不安になりました。 感じなければいけないことが、他にあるのではないか。 自分の読解力では、桐野さんの作品に近づけていないのではないかと。 | ||||
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ハッピーエンドで終わると見せかけて、、 ここにたどり着くまでの伏線など含め、一気に読むことができる一冊でした。 拷問と集団心理、それに抵抗する主人公の葛藤、重いが先の気になるストーリー構成がとてもよくできていると感じました。 | ||||
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「最近、作家の自殺がやけに多い」 ヘイトスピーチ禁止法と政権批判禁止法が同時成立して1年半経った日本。作家の主人公に「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」(ブンリン)から「宿泊研修」の呼出しが。連れて行かれたのは、「療養所」と名が付く強制収容所でした。 「ヘイトスピーチが駄目なら政権批判も反社会的でしょ」「政府に隷従した小説を書くのが社会的」と主人公に迫る慇懃無礼な体育会系国家公務員の療養所所長。「原点2!」(原点1に付き、一週間刑期延長)と暴力を振るう、トライアスロン好きの幹部職員。。アウシュビッツのヨーゼフ・メンゲレのように収容者に絶対的権力を振るう療養所付き精神科医。転向して隷従している元作家の職員たち。味方なのか、体制側なのか?収容者に仕掛けられている様々な罠。 デジタル監視法やスーパーシティ法が可決され、全体主義デジタル監視社会へ突き進む現実の日本。惹き込まれて一気に読んでしまいました。 | ||||
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この内容、有り得る世の中になってきたと思います。 | ||||
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ただただ怖い。こんな未来は嫌だ。しかし国家の行いに関心を持たなければ、知らぬ間に... | ||||
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日本の近未来に起こりうる恐ろしい現実。日本社会の本当の危うさが描かれている。 | ||||
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言論統制、表現の自由の抑圧、恐怖政治など今はどこかの国の話で済んでいますが 言葉尻を捉えて一斉攻撃する今の日本だって、もしかしたらいつか国民がすべて管理され監視され という恐怖を感じさせる作品でした 桐野ワールドのどす黒さがお好きな方には、絶対におすすめです | ||||
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言論の自由は、命題のみになりつつある。 | ||||
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恐ろしい内容の作品である。普段の生活が絡めとられてゆく。「何故だ!」。その理由が明らかにされぬまま、やがて「お前は悪だ!」と聞かされる。「改めろ!」と迫られる。抗うが敵の圧倒的な力の前に心身がボロボロになる。助かるために妥協するか自己を貫いて死の道を選ぶか。 理不尽に拘束された一人の作家が、国家権力によって次第に朽ち果てていく数か月の過程が、克明に刻まれていく。その描写は身の毛がよだつ。息苦しくなってくる。頁の先が怖ろしくて何度読むのをやめようと思ったことか。それは、私自身が同じ状況下に置かれた時、きっと、いとも簡単に転向してしまうであろう自分であることを知っているから。それが辛いし悲しい。とてもこのマッツ夢井のようには戦えないからだ。 著者は、朝日新聞への『不寛容の時代』と題した寄稿文の中で次のように述べている。「小説は、自分だけの想像力を育てる。言葉は目に見えないものだから、読者一人一人が想像することでしか、その小説世界を堪能することはできない」と。 その著者の想像力によって描かれる”療養所”の更生生活の凄まじいこと。その力の前に私はノック・アウトされてしまった。戦意喪失である。 世界も日本も、分断と差別が指摘されて久しい。自由の抑圧、思想の弾圧、人間性の破壊。近未来にあり得るかもしれない日本社会の姿。 数年前、誰かが新聞に書いていたのを思い出す。「大事なのは、なにかの仕方で、常に国家や戦争に対峙する姿勢を準備すること。観念の旗の大きさより、その底にある態度が重要だ」 著者に刺激されて、こちらも想像力を逞しくして未来への力を蓄えて行こうと思う。 | ||||
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鴻巣友季子さんの書評で興味を持って購入。 古典的な収容所文学のたたずまいのもと、今日的な弾圧の生々しい嫌らしさが滲み出ており、とても面白かった。 体制と戦う側の主人公が、作家然とはせず、等身大の人間であるのも良かった。 絶望に向かう緊迫感のなか、随所にユーモアも感じられ、小説というものの懐の深さをあらためて感じた。 | ||||
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オーエルの1984年のリメイクです。収容所列島の近未来を描いている。まさに進行中! | ||||
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「日没」桐野夏生 背筋が凍るほどに恐ろしい小説だ。 監禁され、自由を奪われる主人公。ここで私は同じ作者の「残虐記」を思い出した。 自由の源泉は、想像力だ。 「残虐記」では主人公の少女は、想像力だけを武器にして監禁の地獄を生き延び、自由を取り戻す。しかし自由になった少女は、成人して作家として成功したのち、増殖した自らの想像力に侵食されて、現実から逃避してしまう。 一方、「日没」の主人公、マッツ夢井はエンタメ作家として、想像力を日々の商売道具として使いこなしている。そしてある日突然、自分の想像力が生み出した作品が権力側から危険視され、自由を奪われ窮地に追い込まれる。 権力と自由、権力と想像力とは、そもそも相容れない。権力とは安定を志向するものであり、規制と秩序とモラルを求めるもの。想像力とは絶えざる変化を志向し、自由に飛翔し、モラルを時に凌駕するものだ。権力を行使する側の人間にとって、想像力は警戒すべきものであり、時に脅威であり、制限、排除しなくてはならないものなのだ。 しかし権力が想像力を抑圧するには危険が伴う。下手したら逆襲されて権力が揺らぐ。 だからこそ権力は狡猾になる。あの手この手で、人間の自由と想像力を絡め取り、縛ろうとする。 自分自身の体験だが、最近、ネットニュースに対してコメントのいくつかが、何の前触れもなく削除されるという経験をした。それらは政権、あるいは疑問を感じる司法判断への、自分なりの批判のコメントだった。誤解、差別、偏見、過激な表現のないよう、それなりに気を付けて書いたつもりだった。 コメントへの反応は概ね共感が多く、中には数万件のイイネがつけられたものもあった。 コメント削除の要件を調べてみると、差別的なコメントや、他者への誹謗中傷を含むようなコメントは削除の対象となる、というような記載があった。自分のコメントはそういう類いのものではなかったはずだ。にもかかわらず、問答無用に削除されたことに、どこかうすら寒い気分になった。誰かから通報、あるいは削除要請でもなされたのだろうか。ネットパトロールの監視網にかかったのかもしれない。気がつかないうちに監視されているような気味の悪さを感じた。 権力と自由、権力と想像力の規制、それだけの単純な図式であれば、まだそこまで怖くはない。 「日没」の恐ろしいところは、成人してから姿をくらませた「残虐記」の少女のように、想像力がさらに深い闇へと主人公を追い込んでゆく点だ。マッツは想像力を駆使し、ブンリンというグロテスクな敵に立ち向かおうとして泥沼に引きずり込まれていく。想像力は疑心暗鬼、妄想の刃となってマッツ自身に返ってくる。作者の追い込みの筆の鬼気迫るところだ。 ブンリンの背後の真の敵、国家権力は最後までその姿を露わにしないまま、ラスト、マッツは文字通り崖っぷちに追い詰められる。だが、そこで呵責無い作者に抗うとするなら、マッツはそこからなんとかして窮地を脱し、そして「日没」を書いたのだ、と思いたい。「日没」が一人称で書かれていることの意味を私はそう勝手に解釈し、せめてそこに救いを見出したいと思うのだ。 | ||||
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小説家の主人公が差別的な思想を持つとレッテルを貼られ、断崖に建つ海辺の療養所に軟禁されるお話。 主人公がとてもパワフルで主義主張も曲げないため、結局は落ちるところまで落ちるわけですが、それが主張を曲げなかったためなのか、そもそもそういう運命なのか。主人公の辿り着いた答えもただの妄想なのなもしれず、全てが曖昧です。状況は違いますが、なんだか現在起こっていることともリンクするところもありそうです。そもそも単なる一般人である私達には世の中の真実など一生分からないままでしょうし、誰かによって決めたことをメディアなどによってマインドコントロールされていることもあるのでしょう。同調圧力でお互いを縛りあい、監視しあい、はみ出したものを徹底的に叩く。多かれ少なかれそういうことはあると思います。怖いですよね…。知らないうちに精神病にさせれることも自殺に追い込まれることももしかしたらあるのかもしれませんよね…。 これは、なかなか踏み込んだ問題作だと思いました。 | ||||
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友達の西ピーさんから、勧められてこの本を読んでます。あっという間に読みました。面白かったです。怖い小説、でもエンタメ。最後まで目が離せない。 ありそうな話っすねー。怖いねー。 | ||||
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この本を読みながら、日本という国が怖い方向に向かっていると思った。エンタメ作家マッツ夢井は、総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会から、「貴殿に対する読者からの提訴に関する審議」によって、召喚されるのである。場所は千葉県の海に接した療養所だった。 「レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている」という指摘があり、それを矯正する施設だった。 なぜ、拘束されるのか?を問いかけることで、減点になる。それを言葉の暴力だと言って減点する。 そこでは、名前ではなく、B98という番号で呼ばれる。「ご自分の作品の問題点をしっかり見据えて認識し、訓練によって直される」と療養所の所長はいう。「猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判」が許されないという。いわゆる表現した文章によって拘束され思想改造をされるのである。貧しい食事、互いに交流してもいけない、一切の外部との通信も遮断される。カメラなどで徹底して監視される。そこで、反省の作文を書かされるのである。減点5で、5週間収容される。マッツは、早く出たい希望し、マッツは、「母親のカレーライス」という作文を書き始める。それが、所長の多田に評価され、水道の潮の味がする水ではなく、氷の入ったミネラルウォーターやコカコーラゼロを飲ませてもらえる。恭順を示すのであるが、収容された部屋の枕に小さく折りたたんだ遺書を発見する。そこには、収容期間は死ぬまでだという。つまり出られないことを悟る。 その中には、療養所の人間関係などが書かれていた。マッツは、そのことを口走ることで、さらに拘禁される。精神科医がいるが、「文学は狂気」と思っていて、選別して死後脳を分析するという不気味な脳科学者がいる。そして、スタッフの中には、もともと小説家であった人が転向して作業にあたる。小林多喜二の時代ではないはずなのだが、転向を要求される。時代が進んでいるのか、退化しているのか?そんな錯覚が起こる気になる。 それは、いま香港で起きている政府を批判したという罪で、牢獄に収監されることに似ている。日本では、学術会議の会員の推薦を「理由を差し控える」と言って、任命しない事態が起こっている。 安倍政権の時に「特定秘密保護法」「共謀罪」が成立する。ヘイトスピーチ条例などが、地方自治体で施行され始めている。様々な形で、表現の自由が制限されている。政府の重要な文書も自分たちに都合の悪いものは、シュレッダーで廃棄され、文書は改竄される。官僚たちは人事権を官邸に握られ、忖度をする。マスメディアは、首相や官房長官と一緒に食事をして、ありがたがっている。国民の知る権利さえも毀損される。このような閉塞状況が存在している。本の一部の文を切り出して告発する自警団がいるのだ。日本では、コロナに感染したのは、本人が悪いというのは、調査によるとアメリカの10倍だという。果ては、コロナで戦っている医療従事者の子供が、学校でいじめにあうという。どこかが、わさわさしている。 この本の恐怖は、日本の現実に繋がっていることだ。 | ||||
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ハラハラしながら読み進めるのが怖いと思いながらも、一気に読んでしまった。 | ||||
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日没とは、、、日本没落か。 今の日本を生きていて、この小説に近い事象が目立つようになり、これがフィクションではなくなる日が近いのかもしれない…と背筋が寒くなりました。ラストは読者がまじで危機感を持つためと思いたい。 | ||||
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最後が読者の想像によるという余韻を感じました。自死か生かを含んでいます。大変感動しました。 | ||||
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