抱く女
- 青春小説 (221)
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桐野さんの持ち味である冴えわたる毒と辛辣さが感じられるだろうか、このテーマで、というのは杞憂でした。今回もページをめくる手が止まらなかったです。 | ||||
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私は桐野夏生さんの大ファンで、殆どの本は読んでいます。この本は青春小説であり恋愛小説であり、また、心理劇の小説だと感じました。 | ||||
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女は男に「抱かれる」存在でしかないのか。1972年、革マルと中核が抗争を繰り返す時代の、20歳の「ノンポリ」の女子大生・直子が主人公。桐野流自分探しの青春小説。みずみずしい。 わかってるのに感情を抑えられなくて、両親と傷つけ合う。対立するセクトに襲撃され重体なった兄よりも、恋人を優先してしまう直子。でも、そういう気持ちってあるよなあ、と思いながら読んだ。思想の時代は遠景にあって、物語の要素ではあるけれどテーマは若者の生き方。解説で村田沙耶香さんは「直子の物語は、私たちの痛みを覚醒させてくれる」と書いた。そう「痛い」。もっとスマートに生きられたら、と思うけれども。 | ||||
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抱く女とは、当時のウーマンリブ・ムーブメントの1つのスローガンだった「抱かれる女から抱く女へ」から取られたものだ。 1972年の吉祥寺を舞台に、女子学生の主人公を描く。 大学に通う気にもならず、雀荘とジャズ喫茶に入り浸る。 実家は荻窪の小さな酒屋。 友人の元恋人は赤軍派シンパで自殺し、主人公の次兄は早稲田の革マルで川口君事件後に中核派の襲撃で死亡する。 どう生きていくのか、将来など描けない。 親も、そうした子供たちにどう接していいのかわからない。 作者と同世代だからわかるのだが、そんな時代だった。 現代も子供たちは、どう生きていいかわからないのはある意味では共通しているが、もっと時代の急激な変化の中で立ち尽くしてしまうような感覚があった。 親もしかりだ。 本作はそんな時代と気分を的確に描いているとは思う。 ただ、どうして桐野夏生がいま、こんな小説を書いたのだろう。 帯には「この主人公は、私自身だ」とある。 本作の中で、主人公は「抱く女」にもなり切れない。 ぼくは、作品をそのものを読むというスタンスで、あまり作者の背景を忖度しないのが常なのだが、今回はそんな疑問を感じないでもない。 というのも、桐生と同世代の女性作家である小池真理子などは、『無伴奏』という作品では彼女の高校時代の1970年の仙台を描き、その中で東北大の第4インター派の学生を登場させつつ、当時の時代と気分を描いたし、『恋』では軽井沢の別荘地を舞台に連合赤軍事件を遠景とした作品を書いた。 また、篠田節子も、出身の東京学芸大を舞台に第4インター派などを登場させた作品を書いている。 桐野夏生は、そうした体験を生のままではなくフィクション化して描いてきたという印象がある。 やはり彼女にも、自分語りをしなくてはおさまらないものがあるのかもしれない。 そんな詮索はともかく、あの時代の気分を自分の中に甦らせてくれた作品ではあった。 | ||||
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私も60年代後半、大学生活を送ったので、大変興味深かった。主人公の直子が語るように、革命的な言葉を吐く男たちも、また男尊女卑的な料簡でいることが多かった。そうそう、私もそう思う、と同感の思いしきり。「抱かれる女」ではなく、「抱く女」である。このタイトル、誤解を招くこともあるかもしれないが、エロティックな話が中心なのではない。女が如何に自由に、自立的に生きるか、だと思う。中ピ連、など、懐かしい言葉も出てきた。 | ||||
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