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日没
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日没の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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ライブ感。現代版1984。 ツッコミどころは多いと思う。コンセント、風呂の絵、A45、越智の謎、全体的に投げっぱなし感。 しかしこの小説はそんなことを気にするべきではない。 『小説の主人公として』あまりにも一貫性がない。これが読者に強烈な鏡を向けているのだ。 「マッツはお前だ。お前は同じ状況になったとき、必ず同じ行動をとる。」というぐらい弱い。 状況に諾々と従う割に突如怒りにまかせて抵抗し、半端なプライドにしがみつき、不安になるとまた従順になる。極めて平凡で愚鈍なのだ。 無駄に逆らわなければ出られる可能性が高いのに、よくわからない言い訳をしてそれをしない。しかし完全に抵抗するのでもなく、中途半端な行動・言動。マッツは人間の弱さ、醜さの塊である。 そんなマッツを、「転向組」がリスクを負いながら助ける。 どう終わらせようと作者の自由だし、どう解釈するのも読者の自由。最後の結末の直前がラストであると私は解釈する。 生き永らえる。しかしブンリンは恐らく死亡を信じず捜索するだろう。マッツはもう小説を書かない。 いや、すべての目的が「自ら命を絶たせること」に集約しているのだとしたら。それは迂遠だし意味がわからない。 | ||||
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この作品はディストピア小説だから救いもカタルシスもありません。国家権力が個人の思想を潰してゆく重くて暗い小説です。ディストピア小説ですから、まったくの空想の産物ではなく、現代日本にみられるいくつかの考え方や現象をデフォルメしています。読者は主人公が受ける数々の圧力を共に味わいながら終末へと導かれてゆきます。一気に読んでしまったというレビューがありますが、私も午後から読み始めて、その日のうちに一気に読んでしまいました。それだけ力強く終末に連れてゆかれます。そして読み終わった後は憂鬱で重苦しい気分になります。それでも読むことをやめることを許さない小説です。 細かいことを言えば、いろいろとありますが、ネタ晴らしになるため詳細は避けます。例えば、施設のスタッフは意図的に矮小化されていると思いますが、それがリアルではありません。所長や精神科医の意図が劇画のようで安っぽく薄いです。もっと職務に忠実で、本当に治療することを真摯に実践する意思をもって行っていたら、もっと怖いと思います。療養所も薄汚れているのではなく、清潔で異物を許さないような世界のほうが「ブンリン」にふさわしいと思います。そのあたりが残念です。しかし、それは些細なことです。この小説の圧倒的なパワーに打ちのめされてください。重く憂鬱な気持ちになり、そして考えされられます。 | ||||
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桐野さんの作品を初めて読みました。面白くありませんでした、おそらくそれは桐野作品の面白さを知らない私だからでしょう。ブンリンからマッツさんに突然、届けられた召喚状にのこのこ出頭する能天気に驚きました。時代はヘイトスピーチ法が決まり、それに乗じて偏向する文化人の思想を正す法律が制定されているのですから、マッツさんは時代の雰囲気に無関心すぎます。そんな状況であったら、「忖度」などということをとっくに超えて、ひしひしと周りの雰囲気というか、人との関係というか、そして「食べる」行為も食べる素材もハッキリと変わってきていると思う。 だからここに登場する人物たちがそろいもそろって俗物というか、ありきたりというか面白さに欠けているように思う。終わりまで読むと、療養所の関係者による、あれこれの奸計と、それへのマッツさんの悩み多き読みと失敗の物語といったら、恥ずかしくもわたしの無知を露呈しているのでしょうか。 今われわれを取り巻いている雰囲気と状況は、ここで描かれた療養所というハッキリした虐待の場にいないといっても、ひたひたとわれわれの周りに迫り、次第に崖からの無意識のー知らず知らずのー投身への道にみちびいているように思われます。本当に怖い世の中になりました! | ||||
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「正しいこと」を強制される世の中で、「反社会的な小説」を書いた女性作家のマッツ夢井が、隔離され「治療」される。権力が言論統制する「一九八四」の現代版とでもいうような絶望小説。 テーマがまさに今の日本。周囲に激しく勧められて読んだが、私は好きではない。この、ギリギリと読む人を精神的に追い詰めるのはまさに桐野夏生さんなのだが…。だけど、桐野夏生は違うんだ!!と反駁したい。 私は、この作品は桐野夏生のエッセーだと思って読んだ。桐野さんが、こんなにも激しく今の社会や政治権力に抗議するとは意外であったが。「ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説だから綺麗事だけじゃない」。マッツのセリフを読んで、桐野さんもこんなこと考えながら書いてるのかと夢想した。 たとえば以下のようなやりとりはいままさにSNSに溢れる言説に自ら反論を試みているようだ。読者に教え諭そうとしているようにさえ見える。このやりとりを読むだけで、表現に対する真摯な姿勢に涙が出そうになる。ただし、小説としては私は好きではない(2回も書いてしまった。桐野さんは大好きな作家です)。 Q「何を言ってる。自由には制限があるんだ。何でもいいなんてことはない。それが社会の常識じゃないか」 Aマッツ)「つまらん理屈を言うな。作品は自由だよ。人間の心の中は自由だからだ。何を表現してもいいはずだ。国家権力がそれを禁じてはいけない。それをやったら検閲だ。ファシズムだ」 Q「じゃ、ヘイトスピーチはどうなんだ。作品だって差別や異常な性癖は書いちゃいけないんだよ」 A「前に言ったじゃないの。ヘイトは作品ではない。私が言ってるのは、作家が責任を持って表す作品のことだよ。虚構のことだよ。虚構はいろんな人間を描く。その中には差別的な人間もいれば、そうでない人間もいる。だってそれが人間社会じゃない。ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、綺麗事だけじゃないよ。差別が目的のヘイトスピーチと混同するなって」 Q「何をノーベル賞作家みたいなことを言う。あんたはただのエンタメ作家じゃないなか。人が読んで面白がるコンテンツを作るヤツらを、エンタメ作家と言うんだよ」 A「だから、それは差別だと言ってるんだよ。ノーベル賞作家だけが自由だなんて、ただの権威主義だ。私たちをポピュリズムの道具に貶める気か。分断するな」 Q「あなたの考える『良い小説』の定義は?」 A「自分に正直な小説です」 Q「つまり読み手の側に立っていないと言うことですね」 A「ある意味そうです。私たちは自分の書きたいことしか書いていません。それが読み手に合うか合わないか、心を打つか打たないか、など関係ありません。まずは自分が描くことに心を打たれないと」 | ||||
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さすがのリーダビリティで、監禁された主人公と、 名古屋入管で亡くなったウィシュマさんを重ね合わせながら、 助かってほしいと祈るような思いで読み進めました。 しかし、ラスト1ページに愕然…。 「小説家」という設定なのだから、言葉の力で闘ってほしかったです。 | ||||
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ペンクラブ会長就任祝いで読んでみました。 ネットにも出てこないような怪しい団体の呼び出しに応じて、お泊まりの用意までしてのこのこ出かけていくマッツさんに、 「危ないよ、罠だよ、なにかあるに決まってる!」とドキドキが止まりませんでした。ヒロインのわきが甘すぎ。お迎えにきたどこのだれともわからない人の車に、行き先もわからないのに、普通1人で乗りますでしょうか。 ついた先は、それほど趣向を凝らした罠ではなかったのですが、ヒロインが怒ると止まらなくなるタイプ。ここでそれを言っちゃあかん! そこで怒るのか! の連続で ドキドキが止まりませんでした。 「人間の想像力の限りを尽くした創作の素晴らしさ」は作者にとっては自明のことだったため、そこの描写が薄く、説得力がなくなってしまったのではないかと想像してみました。作者の類まれなる筆の力でそこをぐいぐい読ませてほしかった題材です。 ラスト数ページのどんでんは、ショートホラーの趣があり、好きですが、いかんせん、そこまでが長すぎたので、受け止めきれてない気がいたします。放り出された感あり。 | ||||
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一気に読みました。 そういう意味ではとても面白かったです。 だけど、桐野先生はいったいどういう意図でこの作品を書かれたんでしょう。 「言論の自由」は大切です。それこそ、国家の威信なんかより大切だと私も思います。 でも一方で人権も大切です。「ヘイトスピーチ」をとりしまる法律は、人権を守るために必要だと思うからこそ、いろいろな人たちが支援してるんだと思います。 桐野先生もそのへんは混同してるわけじゃないのは、じっくり読めばわかるんですが。 でもこのラストだと、多くの読者はどう思うんだろう?? ヘイトスピーチのとりしまりも「言論の自由のとりしまり」になる、と、思う人はいないだろうか? そのへんが不安でした。そういう意味で「無責任」だな、と思いました。 桐野先生の他の作品は大変面白いと思っているので、ちょっとがっかりしました。 なんだか、意表をつくことだけが目的のように思えて。 もう桐野作品は読まないかもしれません。 それだけ強烈なインパクトがあるという意味では、すごい作品かと思います。なので迷ったすえ、☆は3つです。 | ||||
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「out]のような爽快感はなく、読後感もなんともいえず・・・ただ、作者の「物書きとしての覚悟」だけは、 思いっきり伝わってきました。さすがです。 | ||||
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そう、巷間に膾炙されるほどのものではありません。どこかで読んだような気がするだけではなく、状況描写が甘いのです。時代は非常に危うくて、もはやこのお話どころではないはずです。 | ||||
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まずこれ私が桐野夏生の本にはまり失望し、レビューした物への回答かと驚きつつ読みました。このマッツは桐野氏の半分は本音、彼女の分身のように感じました。エッセイとしては出せないからこういう書き方でかつ隠蔽問題への切り込みにも踏み切った。 読者のなど考えた事もない。自分の書きたい事を書くのが作家。とは本音だと捉えました。 ただ度々、世の中のありとからゆる弱者の声を届けたいみたいな正義感?のようなメッセージを発言してますが。 ポリティコンやそれ以前の初期作品、オムニバス他にもあるように、作中に出てくる性的被害者が耐えられないような描写は彼女の正義て何? 一方で書きたい事を書く、そういう書き方を書いたからといって性犯罪を推奨してる訳でもない。 私には矛盾してるというか、桐野氏も所詮、アウトサイダーだから当事者ではないからそういう事が言えるのだと思います。 こういう事がこの国でも起きなければいい、ほんとはもう起きてるて知っててエピローグに書いてますけどね。 彼女の本はほぼ全て読んできましたが、今回の本は彼女の本音が知れて良かったです。 もう少し切り込みたくても自分にも危険が及ぶのを避けるためこういう書き方を取ったのでしょう。 やっとこういう事を書いてくれたとは思いました。 ただ、me too moventや伊藤詩織氏の事には何の発言もせず黙りなところはエッセイでも女性の人権云々言ってる割には意味不明だった理由もこの本で分かりました。 ラストはやはりそうならないとメッセージはは永遠にぼかされるので、いいというか府に落ちる終わり方であり、世の中の隠蔽問題に敏感で共感性が高かったり、けん力者からのトラウマがある方はかなり気持ちが落ち込むので要注意です。私は夜には読まず日中、少しずつ読みました。 こういう事を書いてくれた事には感謝します。 次は彼女は何を書くのか。 これ2017年に連載されていた物だとは知りませんでした。 次回作はおそらくコロナに関連した作品だと予測します。 この本だけを桐野氏の事を知らないで読むと星は5かもしれませんが。 上に書いた事とは切り離せず何だかモヤモヤも残るので3。 | ||||
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左翼政権下の国家(北朝鮮や中国など)ではこれが普通なのではないか?左翼に力をも持たせたらいかんね。 小説としてはそれほどの深みがない。 | ||||
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自分が狂っていないと確信するためには、正常という基準が必要になる。 じゃあ、正常という基準は何かというと誰もが同じことを感じたり思ったりすることじゃないだろうか? 世の中の正常っていうものの正体は、この平均的な線であって、そこから少し離れているのが個性。おそろしく離れているのが狂っているということになる。 この小説の「よくわからない」ところは、後半になるにつれ狂っているような人ばかりがでてくるとこにある。誰が正常で本当のことを言っているのかがわからなくなるのだ。 だからいかようにも読み取れる。まるでこの本の受け取りかた自体がなにかのテストのようでもある。 また、無意味にも思える伏線、(たとえば入江に入ってくるヨットなど)は、読者にその回収を任された伏線とも言える。 読後、そんなことをボーっと考えていたら、今の世の中はまるでこの小説そのものじゃないかと気がついた。 帯に「表現の不自由の近未来を描く、戦慄の警世小説」と書いてあったのでそういう小説だと読み進めていたのだが、この帯に騙されてはこの小説の書かれた意図を読み違えるかもしれない。 多様性という言葉が最近よく使われるが、画一性こそが社会の本質で、画一性がなければ多様性は生まれてこない。 これは文化の普遍的な姿だ。 | ||||
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特に無し | ||||
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一人称視点で心象描写が主体のシチュエーションスリラー。社会派、ではないなぁ。設定した状況で主人公がどのような感情を持つのか、それを生み出す桐野氏のイマジネーションが存分に楽しめる。とにかく先が気になってどんどん読み進められ、なおかつ欧米ミステリと違う日本的な湿度感や情緒が過剰なほどに味わえます。でもやっぱり良くも悪くもペイパーバック的な軽さは感じました。 というのも、主人公以外の登場人物のキャラクター付けがシンプルで、主人公が「人間はそんなに単純じゃない」と言うのに、脇役は意外と単純な役回りを演じていて、Aだと思わせて実はB、という二者択一的な落とし所に落ち着いてしまうのが拍子抜け。まあ本作の主題が主観描写なので、複数の人物のアンサンブルは切り捨てたのでしょう。 序盤で思ったのは飼い猫の描写。心痛を語らずドライに処理していて、桐野さんもペットを失った経験をお持ちなのかな、と思いました。 中盤以降、めまぐるしく変わる主人公の心理を具体的に説得するための食事の描写、飢えの感情が繰り返し現れ、食事って大事なんだな、と改めて思わせてくれました。 終盤はちょっと伏線処理にも思える箇所(あの人は実は的な)が気になりますが、ラストシーンは、著者が書きながら作っていった感を強く持ちました。だからか、最後の最後、主人公と言葉を交わすある人物の真意がちょっと読み取りづらいところがありました。読者の想像に任せるといえば聞こえはいいですが、主人公がようやく気づいたとされる事実(投身すると肉体が云々で脳味噌がどうこう)は、もっとずっと前に気づいてませんでしたっけ? 個人的には、主人公と手鏡で会話を交わすあの人物が実は、という設定はちょっと白けました。総じて、序盤から積み上げた人間関係をあっさり放棄するような結末部のサプライズ、そこに不満が残るところです。 | ||||
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