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壬生義士伝
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壬生義士伝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.65pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全309件 121~140 7/16ページ
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『書店ガール4』の中で、「『永遠の0』を読んだら『壬生義士伝』を読め」と言うのがあったけど、違う気がした。 映画もドラマも見たことはないんだけど、『壬生義士伝』はどちらかというと、武士の死にざまを描いた作品だと思っていた。 それだと、生きる、生き切ることの大切さを伝えている0とは対極の物だと思ったからだ。 だけど、読まずに否定するのは嫌いなので、読んでみることにした。 だけど、自分のイメージはかなり間違っていた。 0と同じかそれ以上に生きる事の大切さが伝わってきて、「もっと生きよう」と思えてくる作品だった。 誰しもが読むべき作品のうちのひとつだけど、読む際に注意してほしいことがある。 それは、起承転結のあるストーリーではないということだ。 そのことを意識していないと、肩透かしを食う人もいるかもしれない。 ぜひ多くの人に読んでもらい、感じたことを語り合ってほしい。 | ||||
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永遠の0を読んだら、この作品と 大空のサムライに ものすごく似ている、という声が多く、優しくて凄腕の主人公なのかな、と手に取ってみました。構成、主人公や周りの人の性格、名シーンのセリフ?等々、よく似ていて、途中で思わず笑いが出てしまいました。読み比べても面白いかもしれません。 幕末の 家族思いで優しくて強くて、義に厚い侍 吉村さんも、 大変、魅力的な人物でした。(ご子息共々) いじらしい位謙虚で、常に相手の事を思いやって、自分の事より家族の幸せを願い、片時も忘れず深く愛する。文武両道、スタイルが良くて男前。 最初はなじみのうすかった南部訛りも、すっかり好きになりました。おもさげなござんす、お許しえって下んせ などなど。 色んな人の話で明かされていく 脱藩した吉村さんの謎や人物像、進んでいく幕末の新撰組時代の歴史、とりまく周囲の人々の心情やその後の人生・・・それが上手くリンクしてて、中盤から一気に読んでしまいました。 飢饉などが深刻で、不安定な幕末の描写や、色んな人物の言葉遣い、難しい文章も出てきて、初めて読む作者だけど、知的な感じがしました。 新撰組は、近藤、土方はなんとなくイメージ通りで、違ったのが、斎藤と沖田かな? 他の方も書いてますが、主人公の心情が語られると、どんなに深く家族を愛してるか、よりダイレクトに伝わってくる感じがします。つい涙が出た所も。 周りの人達も、だんだん真実や 本当の気持ちが明かされていくと、なんとも切ない気持ちになります。 迷って星4にしたのは、あまりにも痛々しい描写があって心痛んだから。 気になったら、読む価値ありです。 | ||||
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上巻と同じく、少しくどいと感じる所もありましたが、それは私個人の受け止め方で、多くの人は、そうは思わないかもしれません。作品としてはとても良く出来ていると思います。時代背景等も良く調べてあり、説得力があります。でも上巻でも書きましたが、思う少し淡々と語ってくれていたら、かえって感動したような気がします。また、これは余談ですが、百田尚樹氏の「永遠の0」はこの作品のパクリだと言う方も少なからずいるようですが、両方読んでみて、パクリと言いきれる程とは思いませんでした。さらに言わせていただければ、浅田次郎氏と百田氏を同次元で比較するのは浅田氏に失礼だと思います。「壬生義士伝」は紛れもない小説です。それに対して「永遠の0」は・・・?と言う感じです。0は軽いですね。こちらは、重いです。 | ||||
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☆3つにしたのは、ちょっとくどいと感じたからです。もう少しあっさりと、または、淡々と描かれていたならかえって心を打たれたかもしれません。 | ||||
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過去に読んだものを出張中に再読。昔と違った読み応えで移動時間を楽しめた。 | ||||
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旧南部藩(盛岡藩)を出奔した足軽侍吉村貫一郎が新撰組の一員となり「人斬り貫一」と呼ばれ、里の妻子への仕送りのために守銭奴と蔑まれながらも、なぜそのような生活をする事になったのか、いろんな人たちが貫一郎を語る。吉村貫一郎は実在の人物で、新撰組で大活躍したのもおそらく事実だろう。ただどこからがフィクションなのかわからないところが、そもそも小説を読んでいるとわかっているのに、なんとももどかしいものがあった。 南部藩の出ということで思い入れが強くなり、強い親近感を覚えた。読みながら何度涙を流したことか。特に下巻は幾度となく涙で文字が曇り、読み進めることができなくなった。だから読了までかなり時間を要してしまった。面白かったという一言に尽きる。著者の浅田次郎はこんな小説を書く作家だと認識した。 南部藩と聞いて反応した。私の住む八戸はかつて八戸藩二万石であったが、もともと南部藩二十万石が八戸藩と盛岡藩十八万石に分割された。だからもとは一つの南部藩と思っていた。とはいえ八戸と盛岡では言葉も違うし、慣習なども異なるものがあるようだ。読んでいて「おやっ」と思うことも少なからずあった。 中井貴一主演で同名の「壬生義士伝」で映画化されている。どこかで見たような気もするが良く覚えていないので、一度しっかり鑑賞したいと思っている。 | ||||
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旧南部藩(盛岡藩)を出奔した足軽侍吉村貫一郎が新撰組の一員となり「人斬り貫一」と呼ばれ、里の妻子への仕送りのために守銭奴と蔑まれながらも、なぜそのような生活をする事になったのか、いろんな人たちが貫一郎を語る。吉村貫一郎は実在の人物で、新撰組で大活躍したのもおそらく事実だろう。ただどこからがフィクションなのかわからないところが、そもそも小説を読んでいるとわかっているのに、なんとももどかしいものがあった。 南部藩の出ということで思い入れが強くなり、強い親近感を覚えた。読みながら何度涙を流したことか。特に下巻は幾度となく涙で文字が曇り、読み進めることができなくなった。だから読了までかなり時間を要してしまった。面白かったという一言に尽きる。著者の浅田次郎はこんな小説を書く作家だと認識した。 南部藩と聞いて反応した。私の住む八戸はかつて八戸藩二万石であったが、もともと南部藩二十万石が八戸藩と盛岡藩十八万石に分割された。だからもとは一つの南部藩と思っていた。とはいえ八戸と盛岡では言葉も違うし、慣習なども異なるものがあるようだ。読んでいて「おやっ」と思うことも少なからずあった。 中井貴一主演で同名の「壬生義士伝」で映画化されている。どこかで見たような気もするが良く覚えていないので、一度しっかり鑑賞したいと思っている。 | ||||
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最初にちゃんと書いておきます。最初に読んだのは今から12年前、それ以来2回再読。人生で残された時間も少ないので、読む本も、手元に残す本も厳選してますが、この本は数少ない、手元に残してかつ再読した本です。なぜこんな昔の本のレビューを書くかというと、「永遠の0」という本のマーケティングに我慢がならなかったからです。この2冊の本がどれほど格が(作者の力量が)違うか、3つの視点で書いてみます。 この壬生義士伝の上巻は、まだミステリーとしての要素も残っています。吉村貫一郎について、本人と生き残った人たちの語りが入れ替わり書かれます。斉藤一などの有名人も語ります。まず圧巻なのは、全員がまるで本当にその人が語っているかのようにキャラクターが出来ており、そして語りに矛盾がありません。膨大な登場人物が、それぞれの吉村貫一郎を言葉で表していきます。ですから、それぞれに別の感情を吉村貫一郎に抱き、語っている事実もそれぞれの視点から書かれるので、見事にバラバラな人物像が出来上がる。。。かと思いきや、物語が進むに連れて浮かび上がる吉村貫一郎像が、本当にこんな人がいたんだなと思わせるほどに完成してくるのです。よく考えたら現実の人間もそうですよね、人によって見ている人物像は違うはず。 その、多くの人によって語られた、多様な側面を持った本当に実在したかのような人物像があってこそ、最後の吉村貫一郎の行動や、竹馬の友の大野次郎右衛門の行動に納得し、納得するがゆえに悲しいのです。 (永遠の0は、同じ手法を用いていますが、失敗しています。主人公が同じように矛盾した行動をするのですが、、、、) もう一つ、時代背景についての記述の仕方がすごいのです。その時代の空気感、庶民の暮らし、戦った理由、生きる理由、などなどあらゆることが、その登場人物の心情としてちゃんとセリフとして語られます。ですから、登場人物の厚みがものすごいのです。全員本当にこんなことを思ったんだろうなって、納得してしまいます。 (永遠の0は、、、、、、、、、歴史史料を読んでるんですか?あなた。) そして、この本は私に力をくれました。死ぬまで頑張る力です。最初に読み終えたとき、朝の5時、台所の踏み台に座っていました。泣いているのを奥様に見られたくなくて移動して読んでいました。それから、何年も過ぎ、子供も吉村貫一郎と同じ、男と女とちょっと離れた男の3人です。私が仕事をする理由、職場で頭を下げる理由、残業する理由、これは死ぬ直前まで変わらないです。っていうかこの本のお陰で、死ぬときに何を考えれ良いのか分かった気がします(気がするだけですよ)。家族に死ぬ前に「結構頑張ったので、もういいですか?」と心の中で聞こうと思っています。そして、その答えは頑張った自分が出せると思います。 (永遠の0は、、、、、、、、、、、、、、、、) 子供ができて少し大きくなった時に再読し、仕事で岩手に行った後に再読しました。 人に本を薦めることはしません(レビューは感想書いてるだけです)。でも、この本と森博嗣の「喜島先生の静かな世界」だけは何度か人に薦めてます。だから、この壬生義士伝の文庫本だけは本棚でボロボロになっています。 | ||||
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最初に読んだのはもう10年以上前です。それ以来2回再読。 登場人物のほぼ全てに、きちんと始末が付けられます。 ネタバレにならないように気をつけて書きます(こう書くだけでもネタバレですけどね) 吉村貫一郎、よく頑張りました。読んでいる最中に何度も「もいいよ、死んでもいいよ、頑張ったよ」って思いました。 長男君、正直最後の独白は卑怯です。君のことが一番残念です。でも、私の子も君のような長男になってほしい。 長女、よかったね。本当に。苦労が耐えないと思いますが、生きてください。 末っ子、もうね、読んでる最中は君のことが心配で心配で、どう決着つけるんだろうと心配しました。 奥様、あなたと旦那さんのお陰で、あの時代を子どもたちは生き残ったんです。 次郎右衛門さん、最後の最後にやってくれました。 最後の最後に「義士」という言葉で出てきます。最後の最後に、多くの人が死んだことを納得するための意味が得られます。 すみませんネタバレですね。 | ||||
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「殉愛」騒動から、「永遠のゼロ」のパクリ元の作品であるということを知り、読んでみました。 インタビュー形式で人物像を描写していく設定から、人物像から永遠のゼロが流用している箇所は本当にたくさんありましたが、 そんな事がどうでも良くなるくらい、こちらの作品は魅力的で、何度も涙しました。 こんな素敵な作品を教えてくれた「殉愛騒動」に感謝しなければ・・・ | ||||
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本当にこんなにないたのは久しぶりです。 こちらからレビューなど烏滸がましい限りです。ぜひ、ご一読ください。 | ||||
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江戸っ子の浅田次郎がなぜ東北人の物語を紡ぎ出せるのか?小説の神様が降臨していますね。 | ||||
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女房や子供のために命をかけて生きるという、当たり前のようでなかなかできないことを考えさせてくれる名作。 | ||||
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武士というのが何者かを考えさせられる。命を落とすとわかっていても行かなければならない。不思議な生態が浮かび上がる。 | ||||
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数ある新撰組に関する小説の中でも、最高の一冊。 吉村貫一郎を第三者の視点から語る手法は独特ながら、入り込みやすい内容です。 男たる者、どう生きるべきかを再考させられる。 | ||||
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春になったら岩を割って咲く桜と岩手山を見に、そして、主人公とその家族が生きた盛岡の街を訪ねてみたくなった。 しかし、何もそこまで頑なな生き方をしなくとも。それも親子そろって。 | ||||
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とにかく泣けます。この小説から新撰組にはまり、有名どこの小説を読みあさり、あらかた制覇したところで、またこの壬生義士伝を読み直したら、最初に読んだ時の何倍も泣けました。 吉村貫一郎の遺伝子が今なお何処かに存在していて欲しい。 | ||||
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先ほど読了いたしました。 渾身の大作、つくづく堪能できました。 単純な感想としては、美しい士道と郷土愛への共感と涙。 それに技巧の限りを尽くした作家の胆力膂力でしょうか。 なかでも芥川の「藪の中」に範を垂れた多次元的な語り口でしょう。 これがなかなかに功を奏しごく普通の叙述にしてしまえば おそらくこの小説の半分以下の頁数になったと思うのです。 そしてこじんまりとした武士のよくある美談で終わったかもしれません。 様々な証言を経るうちに読者は巧みに吉村貫一という武士、 その風貌、服装や挙措、佇まい、さらにはその懊悩、葛藤、喜怒哀楽に 労せずして触れることができる、 かの如き快感に浸れることが可能となりました。 本人吉村貫一の朴訥とした談、その妙はさておき、 主人公の大方の事情を、池田七三郎の軽妙な江戸弁で読者は知り得ます。 が、さらに奥まった微妙な命のやり取り、修羅場の事情は、 怪しく揺らめく蝋燭のように奥暗く邪悪な斉藤一の語りで察します。 これが不気味ながらも最後はなりふり構わず熱い血を沸騰させてしまう、 う〜ん、なんとも渋い・・・ この辺がこの作品の最大の魅力でしょう。 泣かせる部分は多々、それこそくみ尽くせぬ井戸の如くあります。 主人公が南部藩の誇り高き武士であるとともに、妻子を支えねばならない、 飢餓の中でも生き延びさせねばならない。 いわば、義という理想に対して現実の生活を守らねばならないという葛藤。 これは古今東西、今日の日本でも、世界中どこでも普遍的、倫理哲学的主題なのですが、 これを吉村貫一は止揚する道として新撰組での今日でいえば傭兵生活、 人斬り、血塗れの修羅の道を選択していったことです。 理想を貫きながらも、日常的殺人、斬ることを躊躇すれば自分が切られる、 という切迫した狂気が日常化する場に身を置き続ける。 この辺が平成の爛熟した世に埋没する私を痺れさせます。 しかしこの人切り、という行為そのものが主人公のみならず、 様々な形、思念というよりもいわく言い難い情念そのものへと変形し、 もはや言及不可、メタファーともいえない刻印、 さらには人を突き動かす巨大で邪悪なマグマとして 周囲の人々、戦友だけでなく友人、家族をもどんどん飲み込み 中には運悪くも破滅していく者も。 その経緯が最も不気味である、そう感じました。 最終、大野次郎衛門の遺書が、なかなか感慨深い。 というか慎み深い表現から、 徐々に言葉そのものが渾身の呪詛、告発の悪霊と化し、 旧支配階級に襲いかかっていくところ。 生活世界にひたすら埋没する私の背筋が寒々としてきました。 作家の黒光りする激しい情念、いや窺い知れないものの積年の怨念、 というものを感じさせられ、複雑な感情というか慄然とさせられる、 いわく言い難い、底知れぬ深みを覗きこんだような、そんな読後感でした。 | ||||
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何度も泣けますたー 本当に感動しました本当に最高の一冊ですね。 | ||||
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読書中( ちょうど真ん中あたり )ですが、読んでいくにつれて感動が深まっていっております。 | ||||
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