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壬生義士伝



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壬生義士伝の評価: 4.65/5点 レビュー 309件。 Sランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.65pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全11件 1~11 1/1ページ
No.11:
(2pt)

「一般評価が高い」=「自分も好み」ではない

やっと読み終えました。
「上巻」を読み終えてやめようと思ったが、折角なので「下巻」に期待して読んだのですが、やはり・・・
ある人物の思い出、評価をそれぞれ関わった人物が色々な角度から語る内容に飽きてしまった。
色々といっても、語る内容は基本的には同じ内容の繰り返し・・・と感じました。
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.10:
(2pt)

相変わらずの作風

浅田さんの本は何事もくどくて同じことを何度も繰り返す。書き方を変えるとかお涙頂戴式が多いのが嫌いであまり読まなかったが、この本は評価が良かったので買ってみた。しかしやっぱり同じ感想を持った。やはりくどいうえにお涙頂戴がどうも肌に合わない。上下同時に買ったが下の方の半分で嫌になって止めた。失敗した。まあこういうお涙頂戴のねっちっこい作家が好きな人にはいいのかも。
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.9:
(2pt)

架空の人物多すぎて困惑

職場の先輩に勧められて読み始め、最初のうちは引き込まれる文章に驚き、見識の浅さを恥じながら読み続けられました。
とても興味深く、表現方法に感銘を受けながら物語を追うことが出来たことを覚えています。
しかし知識を深めようとして登場人物に検索をかけたところからこの作品への評価は著しく下がりました。
まさか上下巻でキーパーソンの吉村貫一朗と密接に関係を持ち、盛り上げる人物の大野次郎右衛門が架空の人物だったというのですから。
これには肩透かしをくらってしまい、このことを知る前までの吉村貫一朗の生涯に対する緊張の糸が完全に断ち切られてしまいました。
それからは何が起こってもとても物語が薄っぺらいものに感じてしまいました。
なんやらとりあえず吉村貫一朗のことが大好きで持ち上げたくてたまらない人たちの話をステレオタイプで押し付けられている心持ちです。
さらに度肝を抜かれたのは嘉一郎まで架空の人物だったことです。
ここまで架空の人物を用意すればそりゃあ盛り上がるでしょう。

今回がほぼほぼわたしの初めての歴史小説(時代小説?)だったので読み方が間違っているのかもしれませんがこのジャンルとはこのようなものなんでしょうか?
これならば完全なフィクションにしてくれた方がいっそ清々しく感動できた気がします。
他にも沢山架空の人物がいましたが要はこの話の大半が作者の憶測かフィクションで成り立っているということなんですよね?

実在しない親友に、行ったのかもわからない故郷で罵倒され、やったのかも分からない切腹をさせられた実際の吉村貫一朗がどう思っているのかを気にしながら読み終えました。

フィクションとして割り切った見方と、語り口の巧妙さを鑑みて星二つとさせて頂きます。

長文失礼しました。
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.8:
(1pt)

コミック版と表示されている、文庫版なのに、購入画面で

コミック版と表示されているので購入を迷いました。
当然、購入後は文庫版(小説)が届きました。

アマゾンに訂正を勧めましたが無視されてます。
なので評価1にしました、アマゾンが最低だからです。

小説の内容?すばらしいです。
壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)より
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No.7:
(1pt)

表紙とカバーは綺麗。中身はラインマーカーだらけで読めません。

外観は綺麗なのですが、読み始めたらラインマーカーで訳の解らないところにラインが引きまくっており読むに耐えません。最低の商品です。
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.6:
(2pt)

期待外れ

新選組は好きではないのですが、浅田次郎の代表作ということで読みました。回想的に、吉田貫一郎なる隊員のことが語られているのが面白いですが、何が感動的かわかりません。下巻に期待。
壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)より
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No.5:
(2pt)

簡単には読めない本でした!

まだまだ、全部読んでおりませんが、辞書を手に読むような本だと思います!
壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)より
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No.4:
(1pt)

SAIAKUDESU

巻末に元の持ち主様の名前が大きく上下巻とも書かれており このようなものが商品として流通していることが不思議でなりません
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.3:
(1pt)

人間の思い込みは恐ろしい。

詳しいレビューは上のほうに書いたが、吉村貫一郎という人間を知人がよってたかって褒めちぎっている話である。客観的にみれば、吉村は単なる独りよがりの唯我独尊的男であるが、周りの人間が全員心酔・帰依するほどのオーラがどこにあったのだろうか。
特に、吉村の家族のために、家老格の家であった大野次郎右衛門・千秋父子が家名断絶という武家として最悪の被害をこうむったにもかかわらず、最後の長文の手紙で「この男は義士である」と何回も繰り返し記しているのは、「吉村こそ義士である」という大野の思い込みが如何に強かったかを象徴しているように思う。
自分たちのこうむった被害が大きければ大きいほど、相手が偉大に見えてくるというパラドックスは、現在の新興宗教の信者と同じだ。この作品や吉村の生き方を高く評価しているレビューを見るにつけ、新興宗教に入信して全財産を奪われてもなお救われたと信じたがる信者を髣髴とさせ、人間の思い込みは本当に恐ろしいと痛感した。
この点についてどう思っているのか、作者・浅田次郎氏自身にも聞いてみたい。
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)より
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No.2:
(1pt)

吉村を教祖とする新約聖書のよう。どこが義士なんだ。

映画がけっこうよかったと思ったので、原作上下を読破。新選組隊士・吉村貫一郎に関わりのある人物からの聞き書きというスタイルで進んでいくが、いろいろな人物が多方面から吉村他の話をするので、重複も多々あり、少々くどい。頁が進むにつれてだんだんにフォーカスされていくその実像は、不思議なことにだんだん輪郭がぼやけていき、最後には吉村の何が義なのかさっぱりわからなくなる。逆に、はっきりしてくるのは、語り手すべてが吉村に心酔し帰依しているということ。特に、上司の大野次郎右衛門・千秋父子の吉村父子に対する犠牲的なまでの肩入れは、ほとんど吉村を教祖とする新興宗教の信者のようでさえある(この小説の体裁そのものがまるで「新約聖書」のように見える)。

冷静に考えれば、吉村貫一郎ほど自己中心的な人物もいない。家族を飢えさせないために脱藩するというのは建前で、もともと吉村は微禄の足軽なのだから、その足軽の身分のままで上士の子弟に学問や剣術を教授することのほうが、教える方も教えられる方もよほど不都合であるはずである。だから、脱藩する前にまずは上司の大野に士分への取り立てを申し入れるべきであり、吉村に肩入れしている大野ならたやすく上聞に達して禄を増やしてもらえたはずである。しかしそうなると脱藩する理由がなくなる。
また、妻子に累が及ぶのを恐れて家族の知らぬ間に出奔したはずが、ちゃっかり上司の大野に事前に相談するのは、面倒見のよい大野を困らせて通行手形を手に入れるために相違なく、そうすることによって家老格の大野が詰め腹を切らされるかもしれないのを何とも思っていない証拠でもある。吉村が鳥羽・伏見の戦の敗残兵となって南部藩大坂蔵屋敷に転がり込んだのも、大野がそこで差配役をしていることを知っており、まさか官軍には引き渡すまいと高をくくったことと、その状況で南部藩の屋敷に転がり込めば、大野が南部藩を朝敵にしないためには吉村に腹を切らせるよりほかなく、そうなったら「この刀で腹は切れない」と言って大野家伝の大和守安定をもらいたかったためではないか。ただ純粋に在所に帰って家族に会いたいだけなら、それまで頻繁に送金してもらっていた京・三条の鍵屋に匿ってもらえば、南部に荷物を送る人足に紛れて無事に帰れたはずである。
皮肉なことに、吉村が人切りや強請など強欲・非道の限りを尽くして得た金で、家族と同居親族の腹は満たされたが、誇り高い息子・嘉一郎の自尊心はずたずたになってしまった。同輩が飢えに堪えている中で、自分たち家族のみが脱藩者の仕送りによって安楽に暮らすいたたまれぬ申し訳なさを、この父はついぞ理解していなかった。だから、吉村の仕送りは家族のためというよりは、むしろそうやって家族を大事にしているという己の自己満足に過ぎないのである。客観的に見ていいことずくめのはずの「みよ」との縁談を断ったのも「妻子を大切にしている己」の自己満足のためで、断っておきながら子猫に「みよ」と名付けるなど、デリカシーのないことおびただしい。

義は人として正しい道である。そして、己の利益や命にかかわりなく、それを最後まで貫き通すのが武士である。吉村自身は自分のすることはすべて正しいと思い込んでいて、それが自分の家族や大野父子にどれほど迷惑をかけ、心配させているかをまったく思いやる気がない。これではまるで唯我独尊の教祖と同じである。
だから息子・嘉一郎が父親の恥をすすぎたいと「百姓・権兵衛」として箱館の戦に参戦する気持ちはよくわかる。しかし、この息子もやはり足軽と百姓の子に過ぎなかった。なぜなら「大好きな父上を一人で死なせたくない」という私情で自分の命を捨てるからである。武家の嫡男なら、私情は抑え込んで吉村の家督を継ぎ、孫が生まれるまでは生き延びて父の働きを伝えることが使命であろうに、それをしないものだから、吉村家の跡目のことさえ大野千秋のやっかいになる始末である。よくよく手の焼ける家族で、それを盲目的に支持し帰依している大野父子こそ、義士というべきかと思った。

もう一つ、作者・浅田次郎は生=善、死=悪という単純なヒューマニズムを持っているようで、日本人の歴史を貫き通している血脈を理解していない。それゆえ前近代の時代設定でありながら、なんだか現代ふうの友情だの家族愛だのが描かれていて、時代の匂いがいまひとつしてこない。それとやっぱり決定的なのは、吉村の生き方には美学がないということ。その点で、斎藤一の愛妾の潔い死が唯一の救いであった。
壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)より
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No.1:
(2pt)

冗長

すごく評価が高く、また新撰組が好きなので読んでみた。この著者は初めて。
面白い部分もあるが、一人一人の語りが長い!同じような内容をクドクド長々と読まされて思わず飛ばしてしまった。長さは半分くらいでいいのではないかと思った。
主人公は他人からするととても良い人にみえるが、本人が語るくだり、切腹を迫られる場面など往生際が悪すぎてここでもクドクドと死にたくない理由を述べ、侍ならさっさとしろよ!と突っ込みたくなり、自分には好感が持てなかった。
壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)Amazon書評・レビュー:壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)より
4167646021

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