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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 381~400 20/22ページ
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Dostoyevsky's Crime and Punishment is the first classic detective story. But that is not even where it excels. With the Brothers Karamazov, it elevated Dostoyevsky to a mega writer when it comes to dissecting the mind and soul of characters for the readers. It is a great book of psychology. While it competes with Anna Karenina as the most widely read 19th century Russian novel in the English-speaking world, it is judged by many to be superior in its depth and lessons. The book's hero exemplifies all young ideologues who are wrestling with a new idea which they think can elevate them to the levels of great historic figures in their initial steps towards greatness. Often, a barrier has to be crossed which takes the potential legendary figure into an irreversible course. In Crime and Punishment, Raskolnikov who is the hero is a poor, intelligent and thoughtful student who is convinced that he has a mission for the advancement of mankind. He convinces himself that the mission has to start with him crossing over to greatness by robbing and killing an old woman, a pawnbroker, whose death, he had convinced himself would do the world more good than harm. This conviction is based on his judgment that she cheats her clients and holds money that could be used for humanity. He then commits the murder, but is forced to kill the pitiful Elizabetha, the landlady's sister. The novel begins its twists and turns after these murders, with the introduction of the cunning detective who gets to investigate the murder and makes Raskolnikov his principal suspect. Raskolnikov gets to meet the destitute Marmeladovs through the alcoholic father, and is distraught by the plight of his consumptive mother, her three young children, and Sonya-Marmeladov's eighteen-year old daughter who is forced into prostitution in order to support the family.By doing a rich psychology development of his characters, Dostoyevsky made his characters more complexly human, yet reachable. Sonya emerges as a saintly figure who sins for the sakes of those she loves , and who is the mirror through which the so-called devilish characters are redeemed. The plot is rich, deep, enjoyable and action-packed; and the pace is fast and engaging. The overriding strength of the story is the conflict in Raskolnikov's soul, a conflict which began in his quest to be the "Extraordinary Man" like Napoleon, by stepping over the basic bounds of morality by committing murder. That conflict in his soul brought out the rich ideas, discussions and emotions from the characters that interacted with him.Also recommended: DISCIPLES OF FORTUNE, THE BROTHERS KARAMAZOV, THE UNION MOUJIK | ||||
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国家・社会などを描きつつ、一青年の心の動きを描いた「罪と罰」は、すばらしいお話でした。 主人公ラスコーニコフの苦悩は、一種青春の麻疹(はしか)と位置づける。ただ一度、罪無き少女まで殺めてしまう事で、彼の苦悩は深まる加速度を増してしまったのでしょう。 この巨編では、母・妹、ラズミーヒンらの友人のあり方が素敵でした。また、俗物オヤジ達や名刑事ポリフィーの存在は強烈です。あと、中年の奥方の逞しさに驚いた。 終章、「シベリア。」と始まったときには、「彼はついに」と感じた。ところが、知人の娘ソーニャの振る舞いに彼は生きる希望が開けた。しかも、そこで筆を止めたドストエフスキーの技には、降参である。 中年親父が書くのはとても恥ずかしいことですが、「罪と罰」がハッピーエンドとは知らなかった。 | ||||
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この作品について多くの研究がなされており、学問的には出尽くした感がありますが、まだまだ『罪と罰』は私たちの前に立ちふさがっています。 『罪と罰』は、読者にあわせて変化する多様な「読み」を許容する作品だと思われます。だから、ある「読み」でつかんでも、また『罪と罰』は新しい別の形で現れてくる。ときには、探偵小説、ときには人生と死についての教化小説、そして形而上小説、またペテルブルグを主人公とする小説といったふうに。またそれとともに、主人公も変わっていきます。最初は、もちろんラスコーリニコフを追いかけます。けれども、もう一度読むと、私たちは別の人に出会います。ソーニャ、ラズミーヒン、ドーニャ、マルメラードフ、スヴィドリガイロフ。 物語も人物たちもたえず動いているので、完全に私たちは『罪と罰』をつかまえられません。バフチンも、『死霊』もドストエフスキイの作品のごく一部しかとらえていないような気がします(どちらも、おもしろいことに変わりはないんですが)。 私は、『罪と罰』を何度も読み、わかったということができるのか、はなはだ不安になってきます。その不安を解消するために、また読む。そしてまた不安に陥る、という繰り返しです。 埴谷雄高は、ドストエフスキイを「成長する作家」であるといいました。『罪と罰』は、私たちの成長にあわせて成長する。そのような変化する巨大な小説であると思います。 | ||||
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この小説はジャンル分け不可能だ、というのは訳者の江川卓さんもおっしゃっていることですが、 私自身は思想小説的雰囲気を味わいながら読んでいました。 不思議なことに、推理小説だとは微塵も思わなかったのです。 しかし考えてみると本当に多様な読み方のできる小説で、読むたびに新しい発見が あるからすばらしいのですね。 読んだことはなくても大体の話は知っているという方もたくさんいらっしゃると思われますが、 この小説はある若者が金貸しの老婆を殺せば皆が幸せになれるという 思想にとりつかれ、ひどく悩むのですが・・・という話です。 ミステリー的要素の他にも注目できるところはたくさんあります。 翻訳された本の苦手な私も読めました。 それは一つは作品自体がすばらしかったということ、 もう一つはやはり名訳だったということが言えるのでしょう。 | ||||
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もう紹介するのもいまさら…という名作ですが、 「おもしろくてずっしりしていて、深い」本です。 殺人をするラスコーリニコフの動機が、現代的でびっくりします。 こんな人、今の日本のどこかにもいそうです。 人を殺すというのはどういうことか。 そして、その重い重い罪は、どうやって償われていかなくてはならないのか。 深い罪を負った人間を救うのはなんなのか。 テーマは重いのに、お話はミステリみたいで飽きさせません。 登場人物で好きなのはやはりソーニャです。 マリア様のような、観音様のような女性だと思います。 | ||||
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これほど素晴らしい愛の小説は、他にはありません。 人間が犯した罪を償うことができるのは、愛だけなのです。 | ||||
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私が知る「古典的」長編小説の中で、かなり読みやすい部類に入ると思います。一つの微細な悪は百の善行に償われるという理論の元、老婆を殺した主人公ラスコーリニコフ。そこに立ちはだかる刑事ボルフィーリイとの心理的な駆け引き。ミステリーの原点ともいえる見所があります。前編では終わりの方に少し二人のやりとりがあるだけですが、後編でボルフィーリイがじわじわと追い詰めるシーンは『古畑任三郎』を想像させます。もちろんそれだけではありません。妹と母の突然の上京。そこに共に現れた婚約者。街を放浪する主人公の前に現れるソーニャ。人物それぞれが主人公と複雑に絡み合い、彼の運命を決定づけていきます。とても精巧に描かれた緻密な物語です。読み始めると、ロシアの長い人名と饒舌な登場人物に苦しめられますが、最後まで、後編まで読めば「面白かった」と言える小説だと思います。 | ||||
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自らの出世のために、世の中の役に立たないと判断した金貸しの老婆を殺害した主人公の若者。独自の「殺人理論」で武装する若者の周囲で、極限の生活にあえぐ人間群像がロシアの都会の片隅で繰り広げられる。若者は救われるのか、この世界に希望はあるのか。「勝ち組」「負け組」という一種、露骨な言葉で人間を峻別する現代、ドストエフスキーの問いかけは重い。 ナニワ金融道で知られる故・青木雄二氏が座右の書とした古典的名著。 | ||||
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この物語はロシア革命よりも前に書かれたもののはずで、その頃のロシア人の人民性など自分には全く知る術も無いのですが、この物語に出てくるロシアの男たちの考え方は、真面目で、真剣で、そして暗いように自分は感じました。そして考えた結果や行動も暗く、何だか救いすら無いような気がします。ロシアの男たちは昔から、昼間からウォッカを、あおっていたらしく、この物語にも救いようの無い酔っ払いが出てきます。そして彼らは、しっかりとした考えを持っているにも関わらず(だからこそ?)働きません(自分はNHKの番組で見たのですが、ロシア人の平均死亡年齢は年々下がっているらしく、その原因は男たちの酒の飲み過ぎにあるらしいです)。それに対して物語の中の女性たちは、とても元気で良く働いているのが、唯一の救いです。ロシア人に較べれば、日本人は、それほどに深い考えを持っていないけれど、普通は生活のために働いています。自分の信念のために働かないのと、あまり深く考えないで生きていくために仕方が無く働くのと、どちらが良いのかと言えば自分は日本人であるので後者であると思います。主人公も同様に、真面目で真剣なのですが、鬱々としていて、何日間も身動きすらできなくて、もちろん働きもせず、起こした行動と言えば「人殺し」でした。この物語の中で最も印象に残ったのは、主人公の夢の中で、老いぼれた馬車馬が、大勢多数にリンチされているときに、主人公(夢の中では子供)が父親に助けを請う場面です(この馬車馬は殺されるまでリンチを受け続けました)。「フランダースの犬」の「パトラッシュ」も、そうだけれど、道具として扱われていた動物たちは、今では考えられないくらいに残酷な扱いを受けていたものも居たようです。この場面で「ニーチェ」という哲学者が狂気に陥る前に、やはり主人に残酷な扱いを受けている馬に抱きつくエピソードを思い出しました。上巻は一応、最後まで読めましたが、余りにも陰鬱としていたので下巻には手が出なさそうです。 | ||||
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読んでよかった。完璧に読みこなせたわけではないし、わからないこともたくさんあるが、それでも読んでよかったと思える本。ハリー・ポッターしか読まなかったぼくが、なんかよくわからんが凄い!と思えた本。 | ||||
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恵まれない生活環境、鋭敏な頭脳から生まれた独自の哲学、どちらが理由であったにせよ老婆を殺害した主人公ラスコーリニコフ。すべてがうまく運ぶが、どうにも心は晴れない。そんな彼の魂を救済した自己犠牲に徹した生き方をしている幸薄の女性ソーニャ。彼が殺人を彼女に告白したシーンは、読んでいて震えがとまらなかった。 警察に向かう彼が躊躇し後ろを振り返ったとき、ソーニャが悲しそうな顔をしてたっているのを見て結局自首する場面で、彼の思想のベクトルは彼女の愛によって救われ方向を変えた様に感じた。 ドストエフスキーの作品としては「たった七年」の言葉からもわかるように珍しくハッピーエンドとなるこの作品。読み終えた後味も非常によかった。個人的にはソーニャのような女性に会ってみたい。現実にいるのかはともかくとして・・・・ 一番好きなシーンはラスコーリニコフがソーニャに対して跪くシーン。「僕は君に跪いたんじゃない。世界中の全ての不幸に対して跪いたんだ」こんな台詞回し、今後お目にすることはできないだろう。 | ||||
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ドストエフスキーというとなんだか暗い感じがするかもしれないし、その量からしてもなかなか読む気になれないかもしれない。でも、ドストエフスキーとか世界の名著とかっていうブランドを抜きにして、この本は単純に面白いです。あとがきにも書いてあるが、この本は色んな要素をもっている。殺人犯ラスコーリニコフが次第に追い詰められていく推理小説でもあるし、ソ―ニャとラスコーリニコフの信仰の対決と彼らの愛の小説でもある。家族の絆を描いている小説でもあるし、友情や道徳を描いている小説でもある。色んな読み方ができるので、何度読んでも飽きないと思います。 | ||||
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こう言うと失笑されると思うが、ラスコーリニコフと自分は似ている。あるいは似ていた。といえる。結局人を殺すということは、自分のペースで生きる事を否定されてしまう事であって、もちろんそれは罪として牢につながれる、とても長い期間という意味で。もし、これほどの罰を受けないとしたら、人間はおそらく簡単に人間を殺すだろう。しらみをつぶして罪の意識に苛まれる人は稀であるだろうから、社会の価値観によって個人の命の価値が変動するならば、しらみ並みの価値の人間もいておかしくない。最近の社会は階級の上下が無いように一見みえるが、普通に見えるこの男が獣のような感性しか持ってない。実は。とゆうこわい世の中なんだな、と思った。日本人の道徳の概念とは、まさに損か得か、周囲から逸脱していないか?くらいのもんで、みんな日本人ぜんぶ育ちかた間違ってしまったんだと、静かに悟りました。政治も教育も宗教も全部グロテスクに歪んでいる。救いようがない。ついでに俺も歪んでいるかも。てへっ | ||||
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この大作をどう攻略するかに絞って申しあげましょう。若者の読書離れが指摘されて久しい昨今、長編「罪と罰」を読もうと決意されただけでも立派です。当然ながら出来るだけ若い頃に挑戦して欲しいです、時間がたっぷりある時に。一気に読んでしまうことです。一日くらいのブランクはいいとして一週間も開けてしまうと、もう戦意は喪失したも同然。挫折してしまいます。次に、登場人物がやたら多いので読み進めていくうちにどんな人物だったか忘れてしまいます。そこで私は登場人物一覧表を作りました。登場したページも記入しておきます。そうしておくと再度その人物が現れても一覧表を参照にして元のページに戻って記憶を回復できます。私くらいの年齢になりますと次々に読まなければならない本が出てきて、なかなか読み返すことが出来ません。ですから学生時代に少なくとも二回は読破しようと決めて挑戦なさって下さい。これを読んだか、はなから無視してしまうのとでは、その後にわたって読書に旺盛な意欲を持ちえるか否かの大きな差となって現れます。所詮コミック文庫しか相手にしない人なら本書「罪と罰」なんて検索しないでしょうね。ご健闘をお祈りします。 | ||||
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ドストエフスキーの作品で一番最初に紐解かれるのがおそらく本書だろう。確かに犯罪小説であるが、後期の作品に比べれば、それほど深刻な話ではないと思う。結局ラスコーリニコフは罪を認めるし、一緒にシベリアについて行くソーニャとの未来には希望がある。スヴィドリガイロフの毒牙から守るべく殺人を決意した動機となった主人公の妹ドゥーニャと親友ラズミーヒンの仲もうまくいく方向で書かれている。愛娘ソーニャを娼婦にしなければならなかったマルメラードフの苦悩と愛情には胸を打つものがある。この作品には人間愛が溢れている。ラスコーリニコフの老婆殺害に目を向けがちであるが、この作品の細部に込めた文豪の人間に対する確固たる信頼にも気を配りたい。まさに文豪が生んだ「青春小説」である。ちなみに新潮選書の江川卓氏の『謎解き「罪と罰」』はロシア語で書かれた本書のをさらに深く読むのに役立つコメンタールであるから、ぜひ併読されたい。 | ||||
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ラスコリーニコフは何故、高利貸は有害な職業なので、その職業の者は殺してしまっても罪にならないと考えたのか。それは、当時のヨーロッパ社会では高利貸は禁じられた職業だったのです。ですが、それは「人間」は就いてはならない職業であるから、ユダヤ人は人間ではないので高利貸になっても構わないと言う高利貸に対する非ユダヤ人のユダヤ人に対する意識が根底にあります。ここのところを知らないまま読むのと知って読むのとではこの作品との付き合い方が変わってきます。ただ、非ユダヤ人がユダヤ人の高利貸から金を借りることは合法でした。年齢を重ねるごとにこの作品の持つ意味は私の中で大きくなりそうです。繰り返し読んで人生の肥やしにしたいです。 | ||||
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ドストエフスキーを読み始めるきっかけとなった本。わたしの中でこの作品より上をいくものは今のところないですね。読み始めた頃はなんだか分厚いし、哲学書のように難しい本だろうな、と勝手に思っていたのですが、意外と普通の小説のようにスラスラ読めました。主人公の頭のきれるところ。ソーニャの生き方。二人の関係について深く興味を持った作品です。 | ||||
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「選ばれし者は、~~しても許される」という思想に傾倒する青年の苦悩。手垢に塗れた本ではある文学といえば、ドストエフスキーが有名だが、その中でも有名な「罪と罰」だからこそ、やはり、読んでおくべきであろう。苦悩、恋愛、挫折など生を余すことなく描ききり、かなりのボリュームだが一気に読んでしまう。圧巻。クライマックス、最後の最後でのラスコリーニコフの「たった7年」というセリフには、個人的には、感涙した勢い余ってサンクトペテルブルグまで行って、彼の家まで行った。それほど、パワーのある本である | ||||
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将来英雄になるであろう非凡な人間は、それが英雄となるために避けられぬことであるならば、社会に有益でない人間を殺めても、許される。ナポレオンに心酔する主人公は、自ら築いたこの理論をもとに、高利貸しの老婆、さらには何の罪もないその妹までも惨殺してしまいます。たしかに歴史を紐解いてみても、ナポレオンのみならず、三国志の曹操や日本の織田信長の例もあるように、既成の概念を打ち破る人間とは、とかく他人の血を流すことを躊躇いません。これら負の英雄像を、チャップリンが映画「殺人狂時代」において、「ひとり殺せば悪党で、100万人だと英雄だ」と大いに皮肉ったことはあまりに有名です。主人公は、第一の殺人でいきなり精神的な行き詰まりに陥り、「英雄」となる前に平凡な「悪党」で終わることを恐れ、苦しむ。本書の大部分はこの非凡と平凡の狭間で揺れる主人公の心の葛藤で構成されています。この物語をいかに捉えるかは、読み手によって千差万別でしょう。私はシンプルに「愛の物語」と捉えています。なぜなら、上記の理論は彼を支える信念であっても、殺人の動機ではないと考えるからです。生活に苦しむ自分のため、富豪との愛のない結婚へ望もうとしている(と主人公は思い込んでいる)妹への愛。そして無力な自己への怒り。それらが相まって彼を殺人へ駆り立てたのではないでしょうか。しかし、平凡な人間に殺人は大事業です。それを完遂するための心の拠り所として、かの英雄論が浮かび上がってくるのです。が、すべからく英雄とは唯一無二のもの。他者を模範に英雄たらんと望む時点で、すでに彼は英雄の資格を失っており、自己の空想の中での「聖」の立場から、現実としての「俗」へ転落します。そんな敗者を救うのが、薄幸の娼婦という「俗」の象徴たるソーニャからの一点の曇りもない愛である、という点こそ、この物語の妙でしょう。主人公とソーニャだけではありません。帝政ロシア時代の輝ける首都サンクトペテルブルクは陰惨で気だるい空気に包まれ、その反面、最後の舞台であるシベリアの流刑地は、陽光の眩しい、さながら楽園のような場所。「聖」も「俗」も人間が作り出したものある以上、人間の意志ひとつでどちらにでも転じてしまえることを、この作品から強く感じることができます。多少取っ付きにくい文体ではありますが、読めば必ず得るもののある一冊です。 | ||||
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世界文学と聞くと、とっつきにくくて苦手という人は、何気にこの作品から入ってもいいかも知れません。長さも丁度いいと個人的には思います。集中力のない私でも毎日読むことができました。徹夜で夢中で読んでしまう人もいることでしょう。タイトルも良いですね。罪とは何か、罰とは何ぞや?誰もが考えてしまう命題ですね。私はやはり愛によって人は新生することができるのだと思いました。物語の後も主人公は献身的行為をし続けていかなくてはならない、苦悩はなおも続いていくでしょうが、それでも最後の救いは感動です。特に現代の日本人にはこういう本が必要なのかも知れません。 | ||||
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