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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全440件 181~200 10/22ページ
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他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。 訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。 | ||||
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他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。 訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。 | ||||
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この本を読んで、 「ああ、どうしよう。罪と罰の良さがぜんぜんわからない。僕はダメ人間なのかな・・・」 なんて思った読者の方はたくさんいると思う。 だけど、安心してほしい。 この本を面白いと思うかどうかは、人間として優れているかどうかではなく、ただの好みの問題だ。 長く生きていれば「古典のよさがわからないなんて、低脳だね」とすました顔で言う人間に遭遇することもあるだろう。 「罪と罰は俺のために書かれた本みたいだ」とドヤ顔でいう人だって現れるに違いない。 そういうときは、「べつにお前のために書かれてるわけじゃねえよ」といってやればいい。 古典を理解できる人間があなたより人間的に「上」だというわけじゃない。 アイドル好きな天才もいれば、モーツァルト好きな無能もいる。 文学はただの好みの問題であって、知性には関係はない。 本の途中まで読んで、 「酔っ払いのどうでもいい会話で20ページも使うなよ」とか、 「母親の手紙に20ページも使うなよ。こんな内容、乙一なら3行で表現するだろ」とか、 そういうふうに思ってしまったら、あなたはこの本に向いていないので、すぐに捨てるべきだ。 がんばって読み進めても、まずたのしめない。無駄な時間をすごすことになる。 そして、『罪と罰は俺のために書かれてる論者』と関わらないよう注意して生きてほしい。 そういう人たちは理由なくあなたを「低く」みるからだ。 だが、わたしはあなたを低く見ない。あなたは正常だ。つまらないと感じるのはひとつの個性だ。 私からは以上だ。 | ||||
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この作品はドストエフスキーを最初に読んだ本です。ドストエフスキーの世界観にどっぷりはまって時間の経つのを忘れて読み耽りました。息子に読ませたくて購入しました。 | ||||
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今再読しました。 自分を強者だと思っていた青年が実は虱だったと思い詰めてもんどりうつ、大変重いお話です。 ナポレオン云々の哲学が語られてとっつきにくい印象ですが、ただ話としては主人公が自分で語っているように傲慢で短気な主人公が狭い部屋で妄想を繰り返して「つむじを曲げ」、それが嫌になってめんどくさくなって、一思いにやらかした、、、この作品には妙に身近なリアリティもあります。 作品を通じて雰囲気はあまりに重苦しいですが、それでも僕は登場人物の多くが正直で人を愛する心を持っているこの作品が大好きです。 主人公の周りを飛び回っている学友に、健気な妹、どこまでも人に寄り添う小柄な少女。陰鬱な主人公にしても真摯で心優しいからこそ地獄に落ちました。 主人公が金欲しさに殺人までしたのに有り金を全部未亡人に渡す場面とかは何気に感動します。 読むのはなかなかしんどいですが、エンディングではそれに報いる感動があります。 だれかが青春小説と言っていましたが、その通りだと思います。 | ||||
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なかなかよろしいですね。普通の枕とはちょっと違う感じ。 この本を読んで何か思想的なものを見つけようと思ってる人はahoです。 壮大な、ただの、頭がおかしくなった ラスコーリニコフの、物語です。 | ||||
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壮大な、いろんなものが集結した、ラスコーリニコフの一時期の物語 としてもれば面白いです。でもそれだけです。思想的なものは一切ない気がします。 題名で何か高尚なこと、が生まるとか、書かれてるとか、そんなのありません ただの刑務所にいくまでのストーリーさ。女に心が打たれた?ahoか | ||||
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学生時代に初めて読みましたが、とてもショックを受けたのを覚えています。 その頃ちょうど精神が不安定だったこともあり、自分が犯罪者になったかのように落ち込みながら読みました。 ですが同時にゾクゾクするような、精神の深いところ、内部から今まで感じたことのないようなエネルギーが盛り上がる感覚があったことも記憶しています。 踏み越えるということ。 殺人という世間では許されない行為でソレを表現していますが、僕が実際踏み越えること、抜け出すことを覚えたのはこの本がきっかけでした。 | ||||
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カラマーゾフの兄弟の江川訳がよいと思ったので、罪と罰の3回目の読書に、江川訳による再度の読書を始めた(初回は米川訳)のですが、確かに、翻訳の地の文は滑らかで、いかにも良質の訳という印象であるのに、時々意味不明の場所。他の訳で読むと、案外とすんなりと理解できる。江川先生、訳文の美しさにこだわって、正確さを犠牲にしたような・・。新潮文庫の工藤訳は、日本語がひどく、あの新潮社がなんでこのような翻訳を出し続けるのか、残念至極。結局読み比べてみて、現在絶版の池田健太郎訳がもっとも分かりやすかった(亀山訳は最初から遠慮しました)。分かりやすければ良い翻訳とはいえないけれど・・。これまで感激していた「罪と罰」の読書体験が何だったのか、と少し情けない気分。これだけ世に名高いロシア文学の翻訳の水準が、この様であるとは。小林秀雄はどの翻訳を読んでいたのだろうか。江川訳で挫折しそうなひとは、図書館で池田訳を探して、再チャレンジしてみることをお勧めします。小説も細部、一言一句が大事だと思います。大筋だけわかればよいというのではないでしょう。 | ||||
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著名な作家さんのエッセーなんかを拝見すると、よく読者が作品に対して「これは自分のことが書かれています!」という感想があるらしいです。 江川さんの訳は、上中下の三部構成であり、語句の解説が末尾に付いてるので、丁寧な作りになっております。 僭越ですが、主人公ラスコーリニコフの心理描写・心の声or独りごと、などが自分に似ているなと感じます。 この物語ほど、そのような重なる感覚が得られるものはないなと改めて思いました。 ラスコーリニコフの名前は「分裂」「分割」などのロシア語の意味があるらしいです。 確かに彼は言動や思考は一貫性がありません。しかも極端なのです。 例えば、不審者に狙われている女性を助けようと警察官に救いを求める場面がありますが、最後はどうでもいいです、みたいな感じで 投げ出してしまいます。友人ラズミーヒンに働き口の相談しに行き、彼がせっかく紹介してやったのに、その好意を無下にするシーンもあります。 「はぁ?」と周りからは思われていることは確実です・・・・・・ 他人からは理解されない、気持ちの変化、あっちに行ったり、こっちに行ったり、戻ってきたりする縦横無尽の心理描写が見どころの一つかもしれません。 | ||||
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僕は21歳ですが、この年から「小説」を読み始めました。(笑) ふいに興味を持ったのです。まずは夏目漱石の「こころ」。次にシェイクスピアの「ヴェニスの商人」そして、3作目がこの「罪と罰」でしたが、ほかの方も仰ってる通り、読み慣れるのに時間がかかる。 内容がとてもおもしろいので挫折はしなかったが、そうなりかけた。(笑) 結局上、下読むのに丸1月かかった。 主人公の「ラスコーリニコフ」は、「ロージャ」「ロジオン・ロマーヌイチ」と様々な名前で呼ばれます。 覚えてしまえばそれまでなんですが、「ロージャ」だけじゃなく、ほかの登場人物たちも多くの、所謂「別の呼び名」があるのでこんがらがると思います。 まだ小説3作目の僕にはハードルが高かった。(笑) ですが読み終わった後の一種の達成感は他では味わえないです。 作品についてですが、殺人を犯したラスコーリニコフの葛藤がメインです。 ナポレオンなどの、かの英雄たちは革命のためには「殺人」もその過程として成し遂げてきたが、世の改革には必要だったとむしろ肯定されている(本書では「肯定されている」とまでは言及はされていないが、少なくともラスコーリニコフはそう思っていると思う)なかで、ロージャは殺人を犯してしまったという「負」の気持ちを、さきほどの英雄論をもとに「正」の気持ちに置き換え、「殺人」という大罪を自分の中で肯定している。 しかし、ロジオン・ロマーヌイチは英雄論をもとに殺人を肯定していても、肯定しきれず、罪を犯した意識に苦しむ。 革命のための第一歩である「殺人」に苦しむ、そんな自分に苦しむのである。 先代の英雄ナポレオンは革命の過程である「殺人」に苦しまず(実際には苦しんだかもしれないが)革命を成し遂げたのに、自分はその過程でさえも完遂できない。と苦しむのである。 畢竟、シベリアに流刑されるがその時でさえも、「殺人」に罪の意識は無く、革命の過程「殺人」、その第一歩に堪えきれなかった自分自身を罰するために自首をしたと言っている。 ここまでの文からわかるように、ロージャはナポレオンと同種の「革命をする側」の人間だと思っている。(実際にはナポレオンがしたほどの革命ではないにせよ、ラスコーリニコフの中では大きな革命なのだ) だいぶおおざっぱに物語の根っこの部分を考察してみたが、読む人それぞれによって変わると思う。あるレビューでは愛の物語と言っていたし、犯罪小説だと言っている人もいた。 ここまで、読み終えた後の興奮が冷めず、レビューにだらだらと書き続けてきたが、文にしないと自分の気持ちが自分でもよくわからない性質なので、レビュー(感想文)のようになってしまった。 ちなみに自分はロージャを除くと、ポルフィーリィが一番魅力的でした。 | ||||
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Kindleで購入。 訳は読みやすいです。 巻末の解説もなかなか役に立ちます。 53年間読まずに生きてきてしまったことを反省。 | ||||
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多分ドストエフスキー自身が崖っぷちの人生を送ってきたからこそ書ける緊迫感なのだろう。 すごいです。 カラマーゾフの兄弟に比べると、人物相関も比較的シンプルなので読みやすいと思いますよ。 カラマーゾフと迷ったら、まずこちらから攻めましょう。 | ||||
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どんな理由があろうと殺人はあかん。 とにかく長くロシア名が短縮で誰が誰か分からなかった。 翻訳者はロシア名を統一する配慮がほしい。 | ||||
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登場人物の個性が非常に強く、各それぞれが己の意志、また神の御心に従って生きている姿が印象的であった。また背景描写でも、その独特の文体から、油を塗りたくられたかのような、とても強烈な感覚に至るものであった。ラスコーリニコフの英雄論では現代または歴史を紐解いて行く中で必ず当てはまる瞬間があるなど、社会の中で生きる事の本質が現れていた。また、良心に悩まされるラスコーリニコフから、人間として生きる事の本質が見える。 またルージンの、感謝を道具にしてしまう姿や、ラスコーリニコフへの間接的な復讐には卑劣さがより明確に描写されていて、彼の本質がラスコーリニコフとは決して相入れる事のないものを表していた。 他にも多くの登場人物が出てくるが、この作品を読む事は必ず自分への変化をもたらすだろう。 | ||||
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この岩波文庫の『罪と罰』は上中下巻とあるわけですが、殊にこの上巻において、翻訳で使用されている言葉は極めて簡素で修辞を凝らしたようなものではありませんが、醜悪なる人間の本性が克明且つ生々しく描かれています。この写実性の根拠が作者自身のギャンブル癖やこの作品の出筆当時の作者の閉塞した状況、特に女性関係などが凄まじかった事などに依るということは云わずとも伝わってきます。 人間に都合の良いように解釈された民間信仰的キリスト教が根付いた当時のロシア社会とそこに住む人々のの腐敗と堕落、これを象徴するかのようなマルメラードフの告白(ある意味では信仰告白?)やロージャの思考の経過は読んでいて胸糞悪くなるとはまさにこのことか、と感じるほどの嫌悪感を感じましたが、果たして我々がこの小説の登場人物を責めることが出来るか、それは否としか言えません。この小説の恐るべきところは、徐々に読み手に自身の内的洞察を与える力を持っているというところです。この本を読む時、我々は自信が否が応でも認めたくない、あるいは気づいていなかった精神の奥深くに巣食う独善性、則ち「罪」が見えてくることでしょう。 | ||||
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とても素晴らしいでした。 aWeSome.really nice | ||||
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マーケットプレイスで買うと、違う本が届いて料金はしっかり取られますので注意してください | ||||
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この中間に当たる部分で、ラスコーリニコフとソーニャの会話が、ラザロの復活をテーマに語られるあまりにも有名なシーンが描かれている。 ソーニャは「罪深い女」であるかも知れないが、心があまりにも清らかである。 ソーニャはあたかも「マグダラのマリア」のように、ラスコーリニコフを愛する。 ラスコーリニコフはそんなソーニャの足下にひざまずく。 「僕は全人類の苦悩の前にひざまずいたのだ」 と述べるラスコーリニコフ。 ソーニャに聖書から「ラザロの復活」を読んでもらうシーンは意味深長である ラスコーリニコフは果たして「復活」できるのだろうか? | ||||
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[編集][削除] 今月の初め、古稀を目の前にしてドストエフスキーの傑作《 罪と罰 》を完読した。わたしにこのような意欲と集中力をいまだに授けていて下さる神に感謝したい。 多くの人が知りながら、なかなか手のつけられない大部の小説で、文庫本にして1200頁程ある。《 罪と罰 》というとなにやら難解で哲学的な内容のとっつきにくい小説と思われているが、読み始めてみるとさにあらず何と流麗で読みやすいことかと驚かされる。今読んでもちっとも古くないし現代小説を読んでいるのと同じという感想を持たせる。 物語の舞台は19世紀中ごろの古都サンクトペテルブルク。その夏の二週間程の間の出来事である。元大学生ラスコーリニコフは薄汚く天井の低い狭い屋根裏部屋に下宿していた。彼は頭脳明晰ではあるが鬱屈したニヒルな性格の持ち主である。貧窮していて質入れのため弊衣破帽のまま外出する。都とはいっても当時は悪臭漂う家々が連なりいかがわしい店もあった。彼がふと入った酒場で質入れして入手したなけなしの金で飲んでいると元官吏の男と出くわした。彼から後妻と三人の子供、それに家計を助けるため娼婦となっているソーニャの話を聞かされる。ここがその後の物語の展開にかかわる重要な場面となる。ラスコーリニコフはかねてから強欲で虫けら同然とみなす質屋の老婆を殺害することを企てていた。ちょうどいい計らい時が訪れたと断じ、彼は老婆とそして予期に反して居合せたその義妹を殺害してしまう。首尾よく逃げおうせたものの、それからは良心の呵責といつか司直の手に落ちるのではないかと戦々恐々とする。いわば生き地獄の様な心理状態である。 わたしは長々とストーリーを追うつもりはない。核心となる重要なポイントが掴めれば幸いであると思っている。 ある夜更け、街角でくだんの元官吏、ソーニャの父が事故で死にそうになる場面に彼は偶然居合わせる。家に運ばれるが助からない。ラスコーリニコフは母が送金してくれた金を葬儀代にとすべて未亡人に与えてしまう。そういう優しい面も彼は持ち合わせているのだ。 同じ頃、彼の母と妹が上京して投宿していた。ラスコーリニコフは殺人事件以来、精神病やみの様になっていた。それを彼の友人たちが懸命に支えた。それと妹と婚約していた卑劣な俗物弁護士の横柄さに婚約は解消された。 またラスコーリニコフを老婆殺しと嫌疑をかける予審判事の三度にわたる追及は鬼気迫るものがある。その根拠としているのが彼が以前ものした論文でそれに予審判事はこだわる。ここがこの小説の核心部分となるのかもしれない。その論文の論旨は『一つの悪事は百の善行によって償われる』、つまり正義のためには凡人は殺しても構わないとした彼のある意味独創的ではあるが選民思想的な傲慢極まる論理に依拠する。 これら何れの場面もいつ果てることもなく延々と叙述されるのである。これもこの小説の特徴の一つである。 ここで一つ不満を述べさせてもらいたい。ソーニャがラスコーリニコフに所望されて聖書を読んで聞かせるところは感動的であるが、いわば彼にとって聖母マリアにも相当する彼女の描写がそれほど多くないことである。ラスコーリニコフが初めて罪を告白したのはソーニャへであり、彼に自首を促すなど重要な役目を果たしたのも彼女である。 エピローグでシベリアに流刑されたラスコーリニコフについて行き身の回りの世話をするのは彼女である。互いに手を取り合って残る刑期を指折り数えて待つ彼らの姿は美しい | ||||
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