■スポンサードリンク
罪と罰
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
江川卓訳の「罪と罰」は初めて読んだ。とても分かりやすく、表現も巧みで、非常に読みやすかった。 10代の時、違う訳者で本書を読んだときは、非常に読みづらく、また主人公の病的で自己中心的な性格が、明るい青春期を過ごした当時は全く受け入れられず、完読を断念してしまった。しかし今回の江川卓訳は比較的スラスラ読めた。 それでも、主人公の性格は全く受け付けなかったのは変わらなかった。非常に罪深い(犯した犯罪だけでなく)人間性だと思う。 大人になってこの小説に再挑戦した理由は、2024年1月に、1970年代に罪を犯し50年ほどの逃亡生活を送った70歳の男性が「最後は本名で死にたかった」「(犯行を)後悔している」などと告白して病死したという報道に、ひどく心を動かされたからだ。果たして犯行時20歳そこそこだった彼は「罪と罰」のような小説を読んでいたのだろうか、70年代当時、若者を危険な思想から守る術はなかったのだろうか等と、色々考えてしまった。 そうして改めて再読したこの小説。面白いストーリーだし、教訓的でもあるし、当時は画期的な内容だったかもしれない。 だた、ちょっと青少年には薦められないかな、、教科書にはちょっと載せられないな、、という印象も正直もった。所謂、良い効果だけでなく、悪影響がでる可能性も捨てきれない内容だからだ。過去、日本でも若者がこの小説に悪影響を受け犯罪を犯してしまった前例もあるようだし。 あれほどの文豪なら、もうちょっと読者の心の健全性を保つことに対し責任感を持って欲しかったな~と思うし、同じテーマで違う表現も出来たのではとも思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読書・哲学が好きな、40代のサラリーマンです。海外在住です。 罪と罰は、今回が三度目の読了となりました。 一度目は20代の頃、二度目は数年前(40代手前)です。また、二度目の読了後に、サンクトペテルブルクのドストエフスキー博物館等も訪れました。 一度目は、かなりの衝撃を受けました。これが世界最高峰の文学というものなのかと。ラスコーリニコフの心情の変化が印象に残り、彼の表情が明確に頭の中に浮かんだことを覚えています。二度目も、基本的には一度目と同じ様な感想で、とにかく素晴らしい作品であるという印象を受けました。ここ1年程、色々な哲学書を読みましたが、三度目となる今回は、自分自身がどの様な感想・感情を抱くかという思いで読み始めました。(カラマーゾフの兄弟を再読しようか迷いましたが、結局、罪と罰を選びました。) 今回は、読むのにかなり疲れたというのが、正直な感想です。 ラスコーリニコフの自首とエピローグという、本当に最後の最後まで、両極端な対話や色々なエピソードを用いて引っ張るなあと。特に、いわゆる二重人格(もしくは自閉症?)っぽいラスコーリニコフに対しては、かなり苛々させられました。これは、以前に読んだ時とは、どちらかというと、逆の感情です。 また、今回は、彼の母親の心情の描写に惹きつけられました。他、マルメラードフ一家の不幸、つまり極貧というものが、どれだけ悲惨なものなのかが、リアルに伝わって来ました。それから、犯罪の時の場面や、ラスコーリニコフとソーニャの会話を、隣の部屋で盗み聞きされていたことなどは、ちょっと話が出来すぎているなどと感じました。ただ、ドストエフスキー自身の人生も、偶然に偶然が重なった様な、ジェットコースターのようなものであったわけであり、それが著作に迫力を持たせているということは、間違いありません。 多少脱線しますが、エピローグの572ページに書かれている、ラスコーリニコフが見た、アジアで発生した伝染病については、現在のコロナを連想させ、ハッとさせられました。違いといえば、本著の伝染病は、感染者を狂人にさせるということ。この様な表現が正しいかどうかはわかりませんが、コロナの場合には、どちらかと言うとその逆であるのかと思います。いずれにせよ、ラスコーリニコフには、人類の浄化という思想があったということを感じさせるエピソードではありますが、それ以上に、ドストエフスキーが、よくこの様な表現をしたものだと、不思議な感情を抱きました。 解説の最後にて、訳者の工藤精一郎氏が、 「ドストエフスキーは『罪と罰』で人間の本性を忘れた理性だけによる改革が人間を破滅させることを説いたのである。」 と記述されています。 結局のところ、人は誰しも多かれ少なかれラスコーリニコフであり、あまりに行き過ぎた両極端な思想は、社会にも悪影響を与え、更には、本人自身をも破滅させることになります。ドストエフスキー自身もその事を偶然であれ、つまり、望む・望まざるによらず、生涯、身を持って体験したのだと思います。 最後に、少しおこがましいですが、私の中では、これでドストエフスキーは卒業です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
汚れも気にならなくてよかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作は、 階級、権力と非権力のような、 強い人間原理 ( 人間至上主義的 ) がはたらく社会背景が色濃い作品の印象ではある。 終末は、母と許し、自尊心との対比で物語が進んでいく。 - フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー (1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、 ロシアの小説家・思想家である。) 利権に執着すればするほど、集産主義的なシステムに近づいていき、 視野狭窄的な主観解釈のループに入り、 ナショナリズムが台頭、少数派が支持し、 対立が起きる可能性を持ち合わせ、 多様性に対して非寛容なシステムとなっていくのかもしれない。 ( トロッコ問題のような視野狭窄的な選択肢 ) 人の心理は移り変わりやすいものという観点、 別の選択肢の余地と、自分はいずれ独り死に行くものという観点、 なぜ高利貸しが存在するのかという観点、 作中で釈尊が登場したらといった思考実験的な観点などで、 より色眼鏡を削ぎ落した主人公が見えてくるのかもしれない。 お金という紙切れとは何か? といった問いに向き合いながら、 散逸構造的な歴史の構造を考察することができる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
写真の、岩波文庫の江川卓 訳の下巻が欲しかったのですが、同じ岩波文庫ノ中島白葉 訳のが届いてしまい……。古いやつですね。 上、中と江川さんで読んでいきなり下巻(というか第三部と記載されているけれどこれが下巻?)で訳が変わって話が分かるものなのか……。 配送にも状態にも文句はなかったのですが、写真の通りの商品を送って欲しかったです……。中古で買ったのならこれは仕方ないのかな。買い直し……。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古い純文学の多くがそうかもしれないが(私の読んだ中では)、何かが欠けている。今回『罪と罰』ほどの大作を読んで初めてそれは何かなと答えを探す作業をしたが、こんなに長い話なのに自立した女性が恐ろしく出てこない。でも女性キャラクターは話の中にガッツリ出てくる。けれど、作中の女性が自立していな過ぎることには作中全く突っ込みが入らない。主人公を中心とした男性たちは問題に向き合うが、それだけ。だから長々と主人公周りが崩れていく割に、現実味がなく訳が分からなくなる。こういう話をいわゆるああ純文学だなという感じで書く場合は女性作者が書かないことにはどうしようもないと思う。ドフトエフスキーでもそこには踏み込まなかったんだろうから、男性作者には無理なんだろう。濃いだけで実は現実味のない話になる。登場する女性がことごとく自立していないことをはっきり明記しないまま、あまりに長々と話が進むので、だんだんと分かり辛くなってくるのかなという気がする。何せ作品が高名過ぎるので、その辺りワザとしているのかなとも思ってしまいますが、冷静に考えればそういうわけでもないでしょう。聖書なども女性の非自立を明記しないまま最後までやり通すことで、解釈を難解化複雑化多項化させている印象があるので、もしかしたら狙ったのかもしれませんが、どちらにせよそのやり口ばかりは1900年代前半までの手管かなという感じもします。 といえども。ドフトエフスキーなので星2つにする勇気まではありません。好きな方には申し訳ないです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本を読み始めて、最初の方が全然頭に入ってこなかった。普段外国の方が書いた小説を読まないので読み慣れていないのと古い作品なので文章の表現が今と少し違うためか分かりませんが全く頭に入ってきませんでした。ですが、そこを乗り越えると普通に読めました。内容としての感想は下を読んでからにします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みたいと思っていた小説だが、とにかく長い。登場人物の名前を把握するのもなかなか大変。一人一人の会話もすごく長かったりして、途中で挫折しそうになったが、何とか完読した。すごく深い内容という印象だが、もう一度読まないと良く分からない感じ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
展開がなかなか進まず、読みきるのに 少し骨が折れた。カラマーゾフの兄弟 の方が、興味深く読めている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
息子に頼まれて購入。 上下2巻なので、読むのに苦労しているようでした(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カラマーゾフの兄弟の江川訳がよいと思ったので、罪と罰の3回目の読書に、江川訳による再度の読書を始めた(初回は米川訳)のですが、確かに、翻訳の地の文は滑らかで、いかにも良質の訳という印象であるのに、時々意味不明の場所。他の訳で読むと、案外とすんなりと理解できる。江川先生、訳文の美しさにこだわって、正確さを犠牲にしたような・・。新潮文庫の工藤訳は、日本語がひどく、あの新潮社がなんでこのような翻訳を出し続けるのか、残念至極。結局読み比べてみて、現在絶版の池田健太郎訳がもっとも分かりやすかった(亀山訳は最初から遠慮しました)。分かりやすければ良い翻訳とはいえないけれど・・。これまで感激していた「罪と罰」の読書体験が何だったのか、と少し情けない気分。これだけ世に名高いロシア文学の翻訳の水準が、この様であるとは。小林秀雄はどの翻訳を読んでいたのだろうか。江川訳で挫折しそうなひとは、図書館で池田訳を探して、再チャレンジしてみることをお勧めします。小説も細部、一言一句が大事だと思います。大筋だけわかればよいというのではないでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著名な作家さんのエッセーなんかを拝見すると、よく読者が作品に対して「これは自分のことが書かれています!」という感想があるらしいです。 江川さんの訳は、上中下の三部構成であり、語句の解説が末尾に付いてるので、丁寧な作りになっております。 僭越ですが、主人公ラスコーリニコフの心理描写・心の声or独りごと、などが自分に似ているなと感じます。 この物語ほど、そのような重なる感覚が得られるものはないなと改めて思いました。 ラスコーリニコフの名前は「分裂」「分割」などのロシア語の意味があるらしいです。 確かに彼は言動や思考は一貫性がありません。しかも極端なのです。 例えば、不審者に狙われている女性を助けようと警察官に救いを求める場面がありますが、最後はどうでもいいです、みたいな感じで 投げ出してしまいます。友人ラズミーヒンに働き口の相談しに行き、彼がせっかく紹介してやったのに、その好意を無下にするシーンもあります。 「はぁ?」と周りからは思われていることは確実です・・・・・・ 他人からは理解されない、気持ちの変化、あっちに行ったり、こっちに行ったり、戻ってきたりする縦横無尽の心理描写が見どころの一つかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分が生まれた年に上梓された本、運命的なものを感じながら読む。 これが“修業”に他ならなかった。改行はほとんどない、文体は慣れるのに時間がかかる、登場人物の名前が長く区別が難しい、ページ数も多く、文字のポイントもなかり小さい。漂う雰囲気は感覚的に、村上春樹とJ・D・サリンジャーを足して2で割ったような印象でした。 読むスピードが普段の1/8倍くらいになって、すごく時間がかかった。 8割くらい読んで、やっと大きな流れが分かってきて、ラスコーリニコフ(主人公)の心情の変化、性格の根底にあるものが垣間見えてきた(特にラスコーリニコフの書いた犯罪心理学の論文が紹介されるあたり)。 キィワードである「罰」に関しても、暗示的にちらほらと小出しにされるくらいで、まだまだドストエフスキーの本気が見えてこない。 下巻は「楽しみ」というより「挑戦」という気概の方が大きい(苦笑) ───「彼が甘い汁を吸っているのを、ぼくがほめたとでもいうのか?ぼくは、彼は彼なりにいいところがあると言っただけだ!実際、どこから見ても非の打ちどころのないなんて人間は、何人もいたしないよ!正直なところ、僕なんか臓腑ぐるみすっかりひっくるめても、焼いた玉ねぎ一個くらいの値打ちしかないだろうな、それもきみもおまけにつけてさ!」「それは少なすぎる。ぼくならきみに玉ねぎ二つ出すね」(p.229-230) 著者:ドストエフスキー(19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠) 発行:S62.6.5 – H18.6.10 50刷 読了:2015年/112冊(09月/08冊)★3.4 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
と思います。読みづらい本です。 登場人物の名前もなんだかいろいろと呼び名があって慣れるまでは分かりづらい。 ですが、内容は文句なしに素晴らしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
気力を完全に失ったように見えた男(第1部)が、ひどく残酷な行為(P161)をしたので、大きな衝撃を受けた。 会話ではなく、頭の中で考えたことを頻繁に記述することで登場人物への感情移入を容易にしている。 巻末の訳注(言葉の説明)が物語の理解を助けてくれる。 1866年の作品(Wikipedia)。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
亀山訳を読み、評価が高かったのでこちらのセットと謎ときと合わせて購入しました。 読みやすさを優先されて亀山訳ではほとんど省かれていた、人名のくどさ?と、「へ、へ、へ!」に楽しめました。 江川氏の訳によって、ようやく理解できた部分も幾つかありました。 ただ、謎ときと共に氏の独特な「癖」と、江戸弁が合いませんでした・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
名作なので買ったんですけど、難しすぎて挫折してしまいました。 DVDで劇でもやったら見たいですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ピョートル大帝以後のロシアは、まさに「文明開化」の時代であり、 急速な西欧化が推し進められた時代であったと同時に、 そうした西欧化への反動が芽吹き始めた時期でもあった。 本来のロシア、「ロシアのアイデンティティー」を無視した形で行われた社会改革が 様々な齟齬を生み出していたわけである。 表向きの改革によって西欧的な「合理主義・理性主義」を享受し得たのは、 その実一部の「上層階級」だけで、 民衆の中には根強く「古いロシア」が残っていたと言われる。 いわゆる「スラヴ派」と「西欧派」の分裂の根がここにあると考えられる。 ドストエフスキーは、これらの折衷的な立場である、「土壌主義」を提唱したことで有名であるが、 その内容は「古いロシア(ギリシャ正教)にアイデンティティーを求めつつ、 西洋の思想、特に理性主義・合理主義に鋭いメスを入れる」というようなものであった。 『罪と罰』のラスコーリニコフを「理性主義による改革の権化」とし、 ソーニャを「回復すべきロシアのアイデンティティー」とするならば、 そうした彼の社会風刺・理性批判を読み取ることも可能であるだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ピョートル大帝以後のロシアは、まさに「文明開化」の時代であり、 急速な西欧化が推し進められた時代であったと同時に、 そうした西欧化への反動が芽吹き始めた時期でもあった。 本来のロシア、「ロシアのアイデンティティー」を無視した形で行われた社会改革が 様々な齟齬を生み出していたわけである。 表向きの改革によって西欧的な「合理主義・理性主義」を享受し得たのは、 その実一部の「上層階級」だけで、 民衆の中には根強く「古いロシア」が残っていたと言われる。 いわゆる「スラヴ派」と「西欧派」の分裂の根がここにあると考えられる。 ドストエフスキーは、これらの折衷的な立場である、「土壌主義」を提唱したことで有名であるが、 その内容は「古いロシア(ギリシャ正教)にアイデンティティーを求めつつ、 西洋の思想、特に理性主義・合理主義に鋭いメスを入れる」というようなものであった。 『罪と罰』のラスコーリニコフを「理性主義による改革の権化」とし、 ソーニャを「回復すべきロシアのアイデンティティー」とするならば、 そうした彼の社会風刺・理性批判を読み取ることも可能であるだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長編小説に慣れていない方、初心者の方は「ワンクッションの為よその作品で慣れる」がまず間違いないです。 私的に金貸しの婆さんの殺害の前後がひとつの盛り上がりヶ所と想っています。 此処まで読むとこの上巻は完読できます。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!