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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 1~20 1/22ページ
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独善主義的な主人公ラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺害。前半の山場は酔っ払いのマルメラードフ一家とのかかわりと予審判事ポルフィーリィとの対決。この二つが全体の大きなあらすじを構成。 | ||||
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インテリゲンチャが台頭する18世紀ロシア社会で、来たるべき社会革命における大量の人命損耗を予感・予知した作者は、ラスコーリニコフの老婆殺しを“些細なこと”とする見方を世に問いつつも苦悩。 | ||||
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この本の世界は、僕にとって独特な世界だから、この本読んでると現実から逃避行できるんだよね。だから仕事で嫌なことあったら職場で読んでた。 | ||||
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とにかく丁寧でした。 本の状態の説明もきちんとあり とてもしっかりとしたお店だと思いました、 また、利用したいです。 | ||||
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古本屋にありそうな薄い斑点模様の汚れや、本の下の角が少し折れ曲がっていた(本棚に適当に置いて付いた感じ)商品が新品として届きました。非常に残念です。 | ||||
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十九世紀に世界的にヒットしたライトノベル『つみ⭐︎とば』の第1巻。メンヘラ貧苦学生のラスコーリニコフは「俺はナポレオンかシラミか」というローランド式(俺か俺以外か)の命題に拘泥するあまり金貸しの老害を殺めるが、その場に居合わせた純粋無垢な町娘をも殺害したことにショックを受けてしまう。追い詰められた彼の前に現れたのは毒親の下で育った風俗嬢のソーニャだった。そこに上京してきた妹のドゥーニャも絡んできて…!予審判事ポルフィーリィとの頭脳戦、妹の婚約者ルージンの策略、忍び寄るスヴィドリガイロフの魔の手やいかに! | ||||
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本のカバーに破れがありました。 | ||||
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若い頃読んで再読。人物描写、プロットが卓越しています。カラマーゾフの兄弟も良いが、私のお勧めはやはり罪と罰です。長さはあれど、決して冗長ではない。無駄を削ぎ落とした表現力と作者の人間愛に感動を禁じえない。 | ||||
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罪を犯した果てにラスコーリニコフが辿り着いたもの。ラストは涙なくしては読まれない。 | ||||
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タッカー・カールソンのプーチンへのインタビューに触発されて読んでみた。 前に読んだ気もするが、ほぼ覚えてない。 読み終わって、しばらく夜道を歩きながら感慨にふけった。 おそらく世界では、「愛や愛情のある人々」と「愛や愛情のない人々」とのあいだで争われている。 そして、おそらく愛や愛情のない人々が、大航海時代以降、世界をほぼ手中に収めてきたのだと思う。 ない人々には、一切のルールはなく、そしてサイコパス的に異常に頭が良かったりする。 なので、これまで勝って来れたのだと思う。 今の世界情勢を俯瞰すると、かつて「愛が勝つ」という曲があったが、今その曲のメッセージが叶おうとしているかもしれない。 | ||||
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古典文学は好きだが、これは長いし重そうだったから後回しにしてた。が、いざ読んでみるとめちゃくちゃ面白くてハマった!低評価のレビューに「酔っ払いのクダ」や「母親の手紙」が長いしつまらない、とあるが、個人的には全然そんなことないし退屈しない。 こういうのを読むと日本の現代文学の稚拙さ、しょぼさがよく分かる。 | ||||
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どうなってしまうんだという第三巻。第五部、第六部、そしてエピローグ。 このラストはたまらない。これぞ名作と感じる。 人間の生きる力を感じさせられる。矛盾した人間という存在が、わかり合えない者同士が…。 実に登場人物の描写に優れ、息もつかせぬストーリーの展開、読み手に判断を委ねる伏線。 是非解説あとがきも一緒に味わって欲しい。 | ||||
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ラスコーリニコフのアレの動機が第一部、第二部ではよく分からなかったがそれが明らかとなる。 ソーニャが聖書を読むシーンがすごい!!!! とにかく登場人物たちのクセの強さとそのケミカルによる世界がなんともいえず引き込まれる。スピードをあげて読み進んだ。 | ||||
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昔読んだはずなんだけど、こんなにラスコーリニコフの心の描写が重たくリアルに迫ってくるものであったかと驚いている。病的な主人公の心理描写を淡々と読んでいたはずが、「自分もそう考えても仕方がないかもしれない」になり、コトが起った後にはそれをどうしていいかわからない焦燥感までも共感できてしまうという。これは描写がすごいとしか言えない。時も国も文化も超えて人間に突きつけられるものを共にしている気がする。 | ||||
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江川卓訳の「罪と罰」は初めて読んだ。とても分かりやすく、表現も巧みで、非常に読みやすかった。 10代の時、違う訳者で本書を読んだときは、非常に読みづらく、また主人公の病的で自己中心的な性格が、明るい青春期を過ごした当時は全く受け入れられず、完読を断念してしまった。しかし今回の江川卓訳は比較的スラスラ読めた。 それでも、主人公の性格は全く受け付けなかったのは変わらなかった。非常に罪深い(犯した犯罪だけでなく)人間性だと思う。 大人になってこの小説に再挑戦した理由は、2024年1月に、1970年代に罪を犯し50年ほどの逃亡生活を送った70歳の男性が「最後は本名で死にたかった」「(犯行を)後悔している」などと告白して病死したという報道に、ひどく心を動かされたからだ。果たして犯行時20歳そこそこだった彼は「罪と罰」のような小説を読んでいたのだろうか、70年代当時、若者を危険な思想から守る術はなかったのだろうか等と、色々考えてしまった。 そうして改めて再読したこの小説。面白いストーリーだし、教訓的でもあるし、当時は画期的な内容だったかもしれない。 だた、ちょっと青少年には薦められないかな、、教科書にはちょっと載せられないな、、という印象も正直もった。所謂、良い効果だけでなく、悪影響がでる可能性も捨てきれない内容だからだ。過去、日本でも若者がこの小説に悪影響を受け犯罪を犯してしまった前例もあるようだし。 あれほどの文豪なら、もうちょっと読者の心の健全性を保つことに対し責任感を持って欲しかったな~と思うし、同じテーマで違う表現も出来たのではとも思う。 | ||||
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彼は社会的な罰は甘んじて受けたものの、首尾一貫として罪の意識が感じられない。 例え殺した相手が虱のように忌々しい存在であろうといかなる動機や理屈があろうと、人間の本性上殺人そのものに罪と恥辱があるということに、一貫して気づいていないのだ。 物語の最後に、彼がそのことについて将来気づく可能性が示唆されるが、具体的な描写はされない。 彼が己の罪を知り、贖罪をしたいと願い始めたとき、彼の本当の苦悩と人生が始まる。 その苦しさは、作中に描かれた彼の苦しみとは比にならないほど巨大なものだろう。 作中の彼の苦しみは、所詮は状況であり思想であり、あるいはその両者が起こす齟齬の産物でしかない。 しかし罪の意識は、自己をすべてそこに差し出す事で生まれる。 つまり、自己全てを苦しめるものなのだ。 それこそ「罰」なのである。 臆病な彼は1000ページを経てようやくそれに気付きかけている。 もし彼が完全に気付き悟ったなら、彼はこれから一生、自分に罰を与えながら生きるしかない。 一生すべての人に赦しを請い、大地に赦しを請いながら生きていくしかない。 それが「不幸」なのか「幸福」なのか。 それは読者の判断と人生に委ねられるのだ。 この世に罪のない人間はいない。 人は、すべての人に対して罪を持つ。 ドストエフスキーの考え方とはそういうもの。 つまり私達読者全員が、ラスコリーニコフと同じ存在なのだ。 だから「罪と罰」の後に続くラスコリーニコフの人生は、私達がイメージして紡いでいくか、私達が人生のなかで見出だすしかない。 ラスコリーニコフの物語は、ソーネチカとロマンスで結ばれてそれで終わり、ではない。 むしろ読者がこの本を読み終わり離れた瞬間から、始まるのだ。 そのように感じた。 | ||||
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ドストの最大の魅力は 都合よくストーリーが展開されることがない・・・点ではないでしょうか それは 物語の構想が 練りに練られているから・・・と言われています 具体的には 物語の奥に 民話や神話が 織り込まれていると言われ つまり 何重奏もの音楽のように いくつもの物語が 同時に進行している・・・ ※江川卓氏の書物「謎解きカラマーゾフの兄弟」より これこそ ドストエフスキーが 『世界唯一』 とされる所以です このような 重奏構造をもつ ドストの小説だからこそ ドストの小説は 人間としてのコアな部分に 入り込んでくるのではないかと 個人的には 思います ドストの書物は 自己啓発書 宗教書 哲学書に劣らない読み物です 読んでいると 「自らの力で 自己を確立しようする自己」の芽生えていることに 気づくと思います 宇宙観や世界観を形成する上での 視点だけでなく 審美眼を培い 勤労 愛を尊ぶ心も 培養してくれるように思う 漱石もドストも 伝えている 思想の探求は ほどほどで構わない 大切なのは 思索よりも 生活そのものであって そのための 愛や思いやりが いかに尊いものか 特に学生時代に読んでおくとよい書物と思う | ||||
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ドストの最大の魅力は 都合よくストーリーが展開されることがない点ではないでしょうか それは 物語の構想が 練りに練られているから・・・と言われています 具体的には 物語の奥に 民話や神話が 織り込まれていると言われ つまり 何重奏もの音楽のように いくつもの物語が 同時に進行している・・・ ※江川卓氏の書物「謎解きカラマーゾフの兄弟」より これこそ ドストエフスキーが 『世界唯一』 とされる所以です このような 重奏構造をもつ ドストの小説だからこそ ドストの小説は 人間としてのコアな部分に 入り込んでくるのではないかと 個人的には 思います ドストの書物は 自己啓発書 宗教書 哲学書に劣らない読み物です 読んでいると 「自らの力で 自己を確立しようする自己」の芽生えていることに 気づくと思います 宇宙観や世界観を形成する上での 視点だけでなく 審美眼を培い 勤労 愛を尊ぶ心も 培養してくれるように思う 漱石もドストも 伝えている 思想の探求は ほどほどで構わない 大切なのは 思索よりも 生活そのものであって そのための 愛や思いやりが いかに尊いものか 特に学生時代に読んでおくとよい書物と思う | ||||
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ドストの最大の魅力は 都合よくストーリーが展開されることが 殆ど無い・・・という点ではないでしょうか それは 物語の構想が 練りに練られているから・・・と言われています 具体的には 物語の奥に 民話や神話が 織り込まれていると言われ つまり 何重奏もの音楽のように いくつもの物語が 同時に進行している・・・ とされていることです。 ※江川卓氏の書物「謎解きカラマーゾフの兄弟」より ドストエフスキーが 『世界唯一』 とされる所以です このような 重奏構造をもつ ドストの小説だからこそ ドストの小説は 人間としてのコアな部分に 入り込んでくるのではないかと 個人的には 思います ドストの書物は 自己啓発書 宗教書 哲学書に劣らない読み物です 読んでいると 「自らの力で 自己を確立しようする自己」の芽生えていることに 気づくと思います 宇宙観や世界観を形成する上での 視点だけでなく 審美眼を培い 勤労 愛を尊ぶ心も 培養してくれるように思う 漱石もドストも 伝えている 思想の探求は ほどほどで構わない 大切なのは 思索よりも 生活そのものであって そのための 愛や思いやりが いかに尊いものか 特に学生時代に読んでおくとよい書物と思う | ||||
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ラスコーリニコフが『理性と光明の世界にたてこもる』ことができたのは、『犯罪遂行の全過程における犯罪者の心理状態の考察』という自分の論文が脳裏にあったからだ。 『凡人』『非凡人』の仕分けと序列、生存権の優劣による自然に関わらず淘汰については、特段ラスコーリニコフの知見ではなく、過去から漠然と現代に伝わる優生思考の流れを一望するに過ぎなかった。それに自己流の定義と独善的な解釈をまじえ、『良心の声にしたがって血を許す』までに理想化した。 だが、ラスコーリニコフは金貸し老婆だけでなく、偶然その部屋にやってきた古着屋の善良な女リザベータ、彼女は老婆の義妹であり、あとでわかったことたけれど、ソーニャの聖書友だちでもあった、そのリザベータを斧で殺したのである。『良心の声にしたがって血を許す』理想とはおよそかけはなれた、口封じのための殺人に堕してしまった…ラスコーリニコフはソーニャに会いたくなった。 身をもちくずす稼ぎで黙々と家族を養い、そうすることがきわめて自然な義務であるかのような直向きな姿を見て、ラスコーリニコフは感動していた。その整然とした敬虔さはどこからきているのだろう。ラスコーリニコフは自分のわだかまりを告白するにふさわしい女かどうか、ソーニャの信仰の証を見てやろう思った。彼は『不意に』にヨハネ伝福音書より、「ラザロの復活」をソーニャに読んでくれと頼んだ。ソーニャはためらった。 神を信じないラスコーリニコフには理解しがたい奇跡の一章だからだ。 ところで、前に友人ラズミーヒンと訪れた予審判事ポルフィーリイの事務所で、ラスコーリニコフは、自分の論文について質問を受けた。老婆殺害にいたる動機を探り出そうとしている…。アリバイの有無にとどまらない心情調査も兼ねているのか。終始冷静にふるまったラスコーリニコフだったが、話が佳境に及ぶといささか上ずった調子で『新しいエルサレム』ができるまでは生存権を巡る『永遠の戦争』を賛歌すると口走った。『新しいエルサレム』と聞いて、ニヒリズムの力学を信奉するラスコーリニコフの言動に耳を疑ったポルフィーリイ予審判事は「不意に」「神」を信じるか、ならば『ラザロの復活』はどうか聞いた。ラスコーリニコフはポルフィーリイの意図を疑う間もなく、虚をつかれ生返事で肯定してしまった。また、論文はありきたりな思想で新味に欠けると批判するラズミーヒンではあったが、そこに『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢な独創性』があることを見抜いた。 後日、ポルフィーリイ予審判事を警察署に訪ねてきたラスコーリニコフに、尋問などという形式は必要ないとくりかえし、その真意がどこにあるのかつかめなかった。 『蛾がろうそくの火のまわりをまわるみたいに、たえずわたしのまわりをぐるぐるまわっている。わたしのまわりに円を描きながらしだいに輪をせばめてきて、ついに ― 往生というわけです!』 この作品は「金貸し老婆殺人事件」に特化しただけではなく、帝政ロシア末期に顕著になるカトリックとロシア正教の確執、そして無神論やニヒリズムが巷にはびこり、人心の動揺や壊乱があからさまで、信心のよりどころを失ってきた社会の背景を、ドストエフスキーはいつもながら巧みに描写する。すべて金が敵の世の中なのだ。 ラスコーリニコフはソーニャに犯罪を告白する。 彼の論文における顕示欲も、ポルフィーリイ予審判事との姑息な意地の張り合いにも、あのとき『理性と光明の世界にたてこもる』と見栄をきった、「居心地の良い」はずの虚偽の魔力が、今にいたってだんだんと失われていくのを感じた。 『良心の声にしたがって血を許す』という、ラスコーリニコフの『傲慢さ』は、<< 社会が下す機械的な刑罰ではなく、真に効果のある、真に人をおののかせかつ柔らげるような、自分の良心の中に秘められたほんとうの罰 >> に気づいたのかもしない。 『ソーニャがもう永遠に彼のそばを離れないで、たとい地の果てであろうと、運命が彼をみちびくところへ、どこまでもついて来てくれることを感じ、そしてさとった。』 『』本文より << >> カラマーゾフの兄弟、アーメン、アーメンより | ||||
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