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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全444件 221~240 12/23ページ
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| と思います。読みづらい本です。 登場人物の名前もなんだかいろいろと呼び名があって慣れるまでは分かりづらい。 ですが、内容は文句なしに素晴らしい。 | ||||
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| 古典であると同時に、第一級の犯罪小説。ストーリーは他のレビューなどにも書いてあるので、ネタバレにならないと思い、本レビューに必要な範囲で書くが、主人公のラスコーリニコフ(学生)は、殺人を論理的に正当化し、その標的として金貸しの老婆を選び、実行する。そのときに、偶然居合わせた老婆の妹も成り行きで殺してしまい、罪の意識にさいなまれる…といったもの。こう書いてしまうとそっけないが、検察官(注:主人公とヒロインの名前しか覚えていないので、その他の登場人物の名前は省略)が主人公を次第に追い詰めていき、読んでいるほうは、「検察官がどこまで確証を得ているのか、いつ逮捕するのか」とハラハラドキドキさせられる。それと並行して、主人公の妹と金持ちで中年のストーカー(?)との対決、主人公と娼婦のソーニャとの恋(といっても恋愛話らしい話ではない)など複数のストーリーが展開されていく。 ドストエフスキーの小説は、文庫本になっているものはほとんど読んだが、この『罪と罰』に出てくる主人公が一番強烈で、小説の冒頭では、主人公が、自分の住まいから金貸しの老婆の家までの距離を歩数で数えている場面が描かれる。老婆を殺害するためのリハーサルであり、抜け目なさ、完璧主義、神経質という印象を受ける。 そして、「一人の老婆を殺し、奪った金で大勢の人が助かるのであれば、実行すべきだ」という考えのもとに、計画を綿密に立てて殺人を実行する。 このように書くと冷徹な人間のように思われるが、一方で、火事になった家から子供を救い出したり、家族からは慕われていたりして、悪い奴ではない。 また、学生としては優秀だが、金もなければコネもない。屋根裏部屋に下宿し、貧しくて食事もろくにとっていない。「天井の低い部屋は精神を圧迫するよ!」と、一人のたまう。 そして、常にくさくさしている。 たとえば、くさくさしているときに、「もっとくさくさしてやれ。」と言って、あえて街中の人ごみのほうに向かっていく。また、唯一の友人を街中の人ごみの中で見かけたときに(話すのが面倒くさくて?)気づかないふりをして、友人のほうもそれに気づいて、見て見ぬふりをする。(読んでいるほうは「なんなんだ、こいつらは。知り合いなら一言くらい、声をかけろよ。」と思わされたりする。) こんな調子でありつつ、検察官と一歩も譲らない対決をしている中で、貧しいがゆえに家族を養うために娼婦になったソーニャに出会い、その優しさにふれて、次第に主人公は変わってゆく。どう変わってゆくか、また、逮捕劇の結末は、小説を読んでのお楽しみ。 小林秀雄の批評が的を得ている(し、なんか、かっこいい)ので、以下、引用する。 「これは、いかに生くべきかを問うた、ある『猛り狂った良心』の記録である」「ただ『葦(あし)』であるには『考え』がありすぎ、ただ考えるには葦でありすぎる」「ラスコーリニコフの影は、一切の人間的なものの孤立と不安を語る異様な背景を背負っている。・・・聞こえる者には聞こえるであろう。『すべて信仰によらぬことは罪なり』(ロマ書)と」 | ||||
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| 皆が言うほど良い作品なのでしょうか? 色々な本を読んできましたが難解というより混乱します。 まず一人の人物に対して複数の名前があり新しく登場した人物なのかと思う箇所があります。 また、異常な性格の登場人物が多いためか会話が噛み合っていない場面もあります。 何とか読み終わりましたが、登場人物が多いのか出てくる名前が多いのかわかりませんが「イリアス」やギリシャ神話を初めて読んだ時の混乱を思い出しました。 読解力のないであろう私にとっては「神曲」以来の苦行となりました。 哲学書だとしても脱線が長過ぎます。 やはり小説は楽しくなければならないと思います。 | ||||
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| 現代という時代は、マスコミや出版業界の商業主義一直線の姿勢や、似非翻訳者、似非研究家のエゴによる知名度や名誉欲しさに、偉大な作品が捏造され、その価値が貶められている。 亀山郁夫氏のやっていることは、偉大なドストエフスキーを飯の種にしているだけであって、ドストエフスキー文学の理解も解釈もまったく乏しい、むしろ冒涜している、作品の価値を貶めているとしか思えない点が多く存在する。 ネットで公開されているが、なぜこれほど多くのドストエフスキー識者から大々的な痛烈な批判を浴びているのかと言えば、単に誤訳問題だけにとどまらず、最低限必要な翻訳者としての日本語としての文章力、又一番重要なのが、亀山氏の突拍子もない愚劣な作品への解釈であると思う。 亀山氏の翻訳した作品には、氏の自説を押しつけるような長々とした解題がよく書かれているが、このような作品の価値を著しく損なうようなとんでもない解釈、作品への理解にまったく乏しいと思わざるを得ない翻訳者が、良識なドストエフスキー識者達(ドストエフスキー文学の理解を深めるために、無私、無益で活動されているような方々)を納得させうるような翻訳ができるとは到底思われない。 このレビューが参考になるか、ならないかは、私は問題にはしていない。又、誹謗中傷目的でこのレビューを書いているつもりもない。 現代で海外文学を読むにあたって、読者自身が本当に信頼できる翻訳者を選ばなければいけない時代に来ていると感じる。 良識のある読者は、マスコミや出版社の金儲けにいたずらに惑わされてはならない。このような商業主義に乗じた、知名度や名誉、権威欲しさの翻訳者による愚劣な駄本を読まされて、読者は虚偽の満足感をただただ押しつけられることになるだけだ。 亀山氏の翻訳したドストエフスキー作品はドストエフスキー作品ではない。 亀山氏一人のみが「世界の最先端」と称している自説を読者に押し売りするために、原典をねじ曲げた翻訳をした単なる読み物小説に等しい。 心底からドストエフスキー作品を愛し、作品の理解を深めたいと思っているのであれば、このような誤訳だらけの、とんでもない解釈を押しつける翻訳者の書いたものなど、目に触れることすら極力避けるべきだ。 私は亀山氏こそ、この言葉をよく理解し、固く心に留めておくべきだと声を大にして言いたい。 『よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。』 亀山郁夫氏の訳業を正当に批判しているサイトを下記にあげておく。 誤訳問題にとどまらず、亀山氏の所業がどれほど愚劣で酷いものか、是非とも眼を通してほしいと切に願う。 <ドストエーフスキイの会> <国際ドストエフスキー学会副会長 木下豊房氏のホームページ> <連絡船 木下和郎氏のホームページ> <こころなきみにも 萩原俊治氏のホームページ> <光文社古典新訳文庫についてのフォーラム> | ||||
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| 経済にも愛にも飢えていた一人の青年が、犯罪をおかし、自供し、シベリアへ流刑になるが、彼を追ってシベリアまで来た一人の娼婦への愛により校正する物語を、ドストエフスキーは、ストーリーではなく文章で読者に感動を与えてくれる真の文学である。 また、江川 卓の翻訳も見事だ。 | ||||
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| ドストエフスキーの作品に対する訳者の思い入れは理解しようと思う。しかしその思いが強すぎるためか、全体にニュートラルな翻訳ではない。さらに、新訳というが古くさい日本語表現が結構ある。何度か読み返してみたがこの翻訳は理解しやすいとはいえない。訳者はロシア語は専門かもしれないが日本語は下手なのだろう。私のロシア語も日本語もそうほめられたものではないが・・・ | ||||
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| 翻訳については、他のものと比べてはいないが、良好だと感じた。 極めて悪質なのは、訳者による「読書ノート」である。こんな解説は、まとめて最終巻にでも収録すればいいし、 私は、最終巻まで読んでから、1~3巻の「読書ノート」に取り組んだが、他のドストエフスキー作品のネタバレがてんこ盛りで、まったく翻訳者としての越権行為も甚だしい。 極めて不愉快であった。特に第3巻に収められた他作品のネタバレは、出版社に抗議したレベルである。 | ||||
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| 亀山氏は、まったく読書好きの心を踏みにじる人物である。 なぜドストエフスキーの代表作「罪と罰」の解説を読むことで、「白痴」や「悪霊」のネタバレをされなくてはならないのか、理解に苦しむ。 正直、この1点だけでも金返せ!である。 亀山氏の嫌がらせによって、私が、「白痴」や「悪霊」を読むことは、この人生でないだろう。 編集担当は止めなかったのか? こうした悪辣な連中が、日本から読書文化を破壊する。 | ||||
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| 本が重すぎました。 普通の文庫本にしときゃよかった・・・です。 | ||||
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| 江川訳を注文したのに、なぜか中村訳を送ってくれたか意味が分からない。 | ||||
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| 翻訳の加減もあるのだろうけど、言葉を詰め込み心の中や頭の中で考えたり思ったりしている事を微細に描写している感じが読むには難解なのだが味があっていい。 | ||||
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| 描写の微細さがすごくて重厚感がたまらない。文字での表現が主流だった時代は一つの出来事や物事に関してこれでもか!って感じで文章で描く事が当たり前だったんだろうか?今のエンターテインメントより濃厚。 | ||||
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| すべりだしは、20代の主人公ラスコーリニコフの周辺描写とモノローグで構成されている。 彼は父なき後を支える一家の大黒柱となることを嘱望されていた。 しかし法律を学ぶ優秀な学生だった彼は、学費を工面出来なくなり、大学から遠ざかって久しい。 そればかりか食費や家賃にも事欠き教科書を質屋に入れてしまう始末。 食事もろくに取れず、物置きのような粗末な部屋に引きこもって誰とも会わずに過ごすラスコーリニコフは、ひとつの計画を脳内でもてあそび続けていた…。 始まるそうそう、ラスコーリニコフ青年の視点は、ロシアの都ペテルブルグの貧しい街角をさまよい歩く。 ときは7月、暑さと醜悪な町の様相に彼の病んだ心と体はますます蝕まれてゆく。 ウツウツとした自虐的つぶやきは高いプライドの裏返しだ。 彼は「頭が良すぎておかしくなった」と言われるタイプの人物だが、それゆえに体験よりも論理を重んじる傾向がある。 そんな彼が犯した「罪」。 その「罪」の現場から、刻々と変化してゆく彼の心境と身体の変化がこの1巻で徹底的に描かれる。 本書の訳者である亀山氏が以前出演したテレビ番組で発言していたことだが(爆笑問題の太田氏と話していた)、中学時代の亀山少年に影響を与えた「罪と罰」は、現代の少年たちが影響を受けるマンガ作品などにも共通するテーマが描かれている、とのことだった。 その時例に挙げられていた(と記憶している)『DEATH NOTE』(デスノート/原作 大場つぐみ・作画 小畑健)というマンガ作品を、この1巻を読みながら私も思い出していた。(読み比べてよく分かったが「デスノート」は「罪と罰」をリスペクトして描かれた変奏曲だと思う) 生きていても毒にしかならない人間とそれを見極めて大鉈をふるえる人間の話が、ふと立ち寄った店内でラスコーリニコフの耳に入ってくる。 人間の価値に上下はあるのか。 たとえあったとしても、殺人は罪にならないのか? そんな青臭い、でもそれだからこそ胸騒ぎのする問いかけを、多くのひとが見過ごせないだろう。 若い頃ほど「価値」や「上下」にこだわるものだと思う。それは自分の価値をこの社会で見出せるのか、試行錯誤の真っ最中の若者にとって死活問題だからだ。「価値」がなければ、生きている甲斐さえなくなってしまう。経験の浅さは0か1かの極端な選択を自分にせまってしまう。 そんな経験は誰もがいつか通った道だと思う。 そしてこの問いに辿り着くまで読んでしまった人は、もうこの本を下に置く事はできなくなっている。 ドストエフスキーの畳み掛けるようなプロットの波状攻撃の虜になっているに違いない。 哀しきアル中オヤジ・マルメラードフ、天使のような娼婦・ソーニャとの邂逅、友人ラズミーヒンは敵か味方か?妹の婚約者ルージンは真面目なバカか狡猾な悪党か? さあ、急げ2巻へ。 | ||||
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| 学生時代に読めなくて、40代になってようやく読み返しています。 | ||||
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| 昔挫折していたのですが、中年になってようやく読めるようになりました。 不変のテーマを見つけて興味深く読んでいます。 | ||||
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| ネットでこの訳者の名前を検索すると「誤訳」という言葉が出てきます。 マルメラードフが「私が豚でないと言いきれますか?」→「私が豚と言いきれますか?」 ラスコーリニコフとポーレチカが初めて会うシーンの訳も酷いです。 学生ラスコーリニコフを「おじさん」と呼び父親の事を「パパ」「お父様」「お父さん」と訳していく・・・。 わずか2ページ足らずの1シーンでです。 物語ハイライトのソーニャとのシーンでも訳が酷い・・・。 ラストの有名な「たった7年!!」の結びも「7年が7日であったらいいのにと思った」と。 「7年が7日のように感じられた」が正解です。 「住所」も「アドレス」と訳されたり古典なのに情緒がありません。 | ||||
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| ここまで読後感に余韻を残す小説も久しぶりでした、、。読んだ勢いでレビューします。圧巻の下巻。息もつかぬ展開で、最後まで一気に読みまみした。場面がよく変わり、人もコロコロ変わりますが、ラスコーリニコフ、スヴィドリガロイフやソーニャそれぞれに、思惑や独自の行動があり、それがまた読者を引きつけ、読ませてくれます。上中巻で起きた場面ごとの伏線も一気に回収して、最後の最後に、ラスコーリニコフが救われたのが意外といえば意外な結末ではありました。深淵な愛の小説でもありました、、。色々な方のレビューが示す様に、推理小説、思想、哲学小説、恋愛小説、サスペンス劇場、場面毎に浮かぶロシアの情景、、いかようにも読めてしまう要素がてんこ盛りの、一大長編小説です。これは間違いないなく、再三再読に値します。繰り返し読んで、その度に色々な場面や箇所で、感銘や発見を得られる、稀有な小説だとおもいます。これを読まずして何を読む。流行りのダイエット本や、書店に置かれる平積み本も良いですが、ロシアの文豪、天才が遺した「罪と罰」、ぜひ色々な世代の人が書店でお取りになって、読んで欲しい小説ですね。 | ||||
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| 母、妹の為に殺人を犯した主人公。その思想の根底には、多くの人の為、善人の幸せの為なら、悪を働いてお金を稼いでいる者の命を犠牲にしても構わないという正義の心。 その強い正義感も、娼婦になりながらも、家族のために生活するという、ひとりの女性の姿をみて、自らの罪を告白しようと決心する。人間の生死を、まるで神になったように自分の正義で決定してはならない。 知的な予審判事ではなく、純粋な心の持ち主、自分と同じような境遇の人に心動かされるという、人間のあり方を感じさせてくれる。 | ||||
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| ロシアの文豪ドストエフスキーの最高傑作。 世界文学全集にはかならずといって収録される名作です。 日本では明治時代から数人の翻訳家によって訳されています。 金に困った主人公は金貸しばあさんとその妹を斧で殺害し強盗します。 主人公は……、 この作品は、主人公を取り巻く人間ドラマもおもしろく、時代は変わっても人間社会の普遍的真理を命題にしているため、色あせない輝きを持っています。 難は、新潮文庫が上下二巻本なのに対して、上中下三巻本ということだろうか? 私は何人かの翻訳本を読んでいますが、個人的には、この江川訳が好きですね。 | ||||
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| 本当は1から買いたかったのですが、とりあえず3だけを求めました。 図書館で借りた初読では怪人の最後の行動からエピローグまで、ボロボロ涙がこぼれてたまりませんでした。偶然にも七月でした。 ドストエフスキーに挑戦させてくださった亀山氏に感謝しています。 3を読み直すうちに、カテリーナが夫の法事で銀のスプーンを気にかける台詞、それがスヴィドリガイロフに繋がっている……等、網のような複線がいったい幾つあるのだろうと、読むたびに頭の鈍さや教養のなさを嘆きたくなります。 寝る前にパラパラやると必ず一時間二時間経ってしまうので、手元に置かないようにしました。 | ||||
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