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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 321~340 17/22ページ
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内容はいいのに翻訳がまずくて読むのに苦労する 実は、こんなバカげたことはないけど、そういうことが多いのも現実。原文がどうなっているか私にはわからないけど、本書の翻訳は非常に自然。解読するのに苦労するなんてことはない。さらに、ワイド版は字が大きく読みやすい。最初のページに載っている当時のペテルブルグの地図も見やすい。 内容については「完璧な文学がここにある!」と言えるだけだろう。世の中ではいろいろな解説者がいろいろなことを言っているけれど、深いとか、描写がすばらしいとか ドストエフスキーをそんな風に評価するのは間違いに近いと個人的には思ってしまう。こんな風に人物描写や心理描写が出来るのはテクニックや才能があるからだけでなくて、ドストエフスキーという人の心がまるで神の心の様に広くて深いから、としか言いようがないのではないか。無意識のうちにそれに嫉妬するのでなくて、素直にそれを認めよう。 他の作家の他の作品も「文学」であると認めるなら、ドストエフスキーの作品は「文学」を通り越えている。「文学を通り越える」と言っても様々な「通り越え方」があるけど、彼の作品は文学を通り越え「祈り」になっている。「カラマーゾフの兄弟」と異なり、泣ける場面が方々にあるというのと違うけれど、最後の最後まで読むと 涙が溢れ出て止まらない。我々は普通「泣くのは嫌」と思うけど、本当は「泣きたい」のだ。それも素直に認めよう。 | ||||
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すべての人間が、「凡人」と「非凡人」にわかれる・・・凡人は、服従を旨として ・・・非凡人は、・・・かってに・・・を越える権利を持っている。 『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』、どこか親近感を感じることも・・・危ないかな。 カラマーゾの兄弟に続いて、この作品を読んだ。 次は悪霊、そして白痴と決めていたが、しばらく、ドストエフスキーから離れたほうがよさそうだ。 | ||||
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選ばれた人間は、自らが正しいと信ずるならば、法律(殺人)を犯す権利があるという自らの思想を実行に移すため、ラスコリーニコフは金貸しの老婆を殺害し、彼女の金を有益に奉仕しようと決意する。しかし同時に彼は老婆のみならずリザヴェータまでも殺害してしまった。犯行後、様々な人物が登場し、様々な思考がラスコーリニコフを過るが、ソーニャの勧めもあり、遂にラスコーリニコフは自白してしまった。シベリヤの流刑地にて八年間の懲役に服されるが、そこでも彼を見捨てずにいてくれたのが、ソーニャであった……。 本書の粗筋は多くの人が前提として知っていることでしょうが、実際に通読するとその濃度は計り知れません。日数にしても場所にしても短く狭い話なのですが、その分、ラスコーリニコフと登場人物達の密室空間での対話(特にスヴィドリガイロフ、ポリフィーリイ、ソーニャなど)がそれぞれ色濃く、紙数の大半を占め、そのグルーヴに読者は呑まれるばかりの勢いで読み耽ることとなります。例えばスヴィドリガイロフとの対話では、その妖艶さに身震いする思いでしたが、ソーニャが福音書を読む場面では、反動的に救いを感じたり、キャラクターごとの特質をドストエフスキーは巧く描き分けています。しかし、本当に色々な人物(ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、スヴィドリガイロフ、ドゥーニャ、ソーニャ、マルメラードフ、カテリーナ、ルージン、レベジャートニコフ、ポルフィーリイ、などなど)が出て来る為、珠に頭が混乱してしまうので、http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/t-soukanzu.htmlのサイトで人物相関図を参照させてもらいながら読むと、より良く理解できると思います。「現代の予言書」とも言われる本作ですが、例えば進歩主義者のレベジャートニコフが、「ぼくはいま未来社会では他人の部屋へ自由に出入りできるという問題を、……」とルージンに言いますが、これはもしかして現代のネット社会の暗示ではないでしょうか。スヴィドリガイロフの自決の際も、アメリカを嘲笑しているように感じられますが、これは『カラマーゾフ』のミーチャの発言とも被るところがあり、意味深な予言として私には映ります。その他にも、様々な暗示が仕掛けられているようにも思えます。さらに、ラストの、流刑地でのラスコーリニコフの枕元にあるソーニャの福音書という結びですが、「彼は今もそれを開きはしなかったが……」、という、キリスト教による救済を描きつつも、それを絶対視させないで曖昧にさせ、読者に委ねる表現に、絶妙さを感じました。トルストイとドストエフスキーの違いは、こういったキリスト教信仰の差異でしょう。トルストイはキリスト教絶対主義のように思えますが、ドストエフスキーは何やら半信半疑のように思えます。いずれにせよ、内容が青黒いカオスで満ち溢れている本作の尾鰭に、この救いがあるのと無いのとでは、大きな違いでしょう。 『源泉の感情』という三島由紀夫の対談集の中で、小林秀雄は、「『金閣寺』は燃やすまでの動機小説で、『罪と罰』は殺してからの小説」と両者を峻別していますが、それでも両者に共通するのは、読者を乗せて運んでゆく魔的なものが乗り移った筆力であろうと個人的には思います。グングンと吸い込まれてゆく力に漲っているのです。それと、この『罪と罰』は、構成がとても素晴らしいです。全部で六章ですが、各章どれも凡そ百五十ページほどで、その中に1、2、3……と、大体二、三十ページごとに府割りされています。これが凄く読者にとっては読み易い構成なのです。兎にも角にも、推理小説として、思想小説として、恋愛小説として、老若男女問わず満足出来る、エンターテイメント性に富んだ純文学の傑作であることは断言し切れます。 | ||||
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何度心震える場面があったろうか、人間の心情をこれでもかと描写するドストエフスキーは本当にすごい。 しつこいぐらいの言葉の連続攻撃、くせになりそう。読み返してまた興奮する。 一度挫折したが、またチャレンジして本当に良かった! ラスコリーニコフの思想・論理は危険だが、本質をついてる気がする。登場人物の魂の叫びが伝わる。 人類史上最高の小説と言われるのも納得。訳者による解説もまとめとして非常に良いと思う。 ただ、訳自体は岩波文庫のほうが読みやすいかもしれない、若い人にとって。でも文句なし星5! 僕にも、そして誰にでもソーニャはいるのだろうか?? | ||||
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このPENGUIN POPULAR CLASSICS版の"Crime and Punishment"は、英訳者名の記載がなく、どうやら以前なされた英訳を元に、ところどころをカットして全体の長さを短縮した「簡略版」になっているようです(ストーリー展開上重要でない、冗長といえるところを選んでカットしているように思われます。例えば、ラスコーリニコフに翻訳のバイトを勧めるラズーミヒンの饒舌、レベジャートニコフの自説の展開など、オリジナルより随分簡単になっています。こうした箇所は、冗長ともいえますが、読んでいて笑える、読書の楽しみが得られるところでもあるのですが、、、)。こうした簡略版の存在意義もあるとは思いますが、そのことが本のどこにも明記されていないのはいかがなものでしょうか。英訳本を選ばれる方はご注意されるとよいと思います。 問題点を書きましたが、この版の価値は、何と言っても税込み525円という安価で入手できることにあります(日本語訳の文庫を買うより安いです!昔、洋書が高かった頃のことを思うと夢のようです)。日本語訳で何度も読み、またこの英訳で読みましたが、"It was I who killed,,,"という告白に至るまでの物語をたどって、あらためて深い感銘を覚えました。 | ||||
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主人公ラスコリニーコフは、自惚れやで執念深く、ヒポコンデリーの症状のある男であり、 自分自身そのことに気づきながらも、自分には「しらみ」のような他の人間にはない「人間」 たる何か(例えば、世の立法者や権力者となる素質)があると信じている。 こうした主人公の特徴については様々な解釈があると思うが、私はこれらの徴候は全て自己 愛に基づくものだと考える。つまり、ラスコリニーコフは自己愛に生きているが故に孤独であ り、「病的な自尊心の持ち主」だったのである。例えば、親身になって自分や家族の世話をし てくれているラズミーヒンに対して、彼は「いい男」とは言うが、一言も礼など言わず、むし ろその親切に対して迷惑だと言ったり、軽蔑したりしている。また、他人をほとんど自分より 下等のものと見たり、馬鹿にしたりすることに何の罪悪感もない。 彼は刑務所に入ってからもしばらくの間は自分の犯した「罪」を自覚できなかった。彼があ の殺人に対して抱いたものは、老婆への心からの贖罪ではなく、「しらみ」のような老婆を殺 すために、彼が歩むはずだった偉大な人生に汚点をつけ、母と妹を苦しめたことへの悔やみ だった。 彼が罪の意識を取り戻すことができたのは、最後に、自分のソーニャに対する愛に気づき、 ソーニャの愛を受けたことによって、自己愛という孤独から救われ、周りがやっと見えた(愛 を周りにも与えることができるようになった?)ときである。その後彼は周りの囚人たちから も嫌われなくなった。 ソーニャは彼が刑務所に入る前に、「彼を生きさせるものは、死への恐怖と臆病しかないの かしら」というような意味のことを言っているが、自尊心からくる人生の苦悩や死への恐怖か ら人間を救えるものは、心からの他者への愛であるということをドストエフスキーは伝えた かったのではないかと思う。 (大変に感銘を受けたが、個人的にはスヴィドリガイロフの描写の一部が蛇足な気がしたので ☆四つ。) | ||||
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英語のドストエフスキーはいい。 まるでハードボイルド小説のようだ。 日本語だと、どんどん文章が伸びていく構文なので、 ロシア文学などは、うっとうしさが強調されるが、 英語だと、その点シャープに進んでいく。 会話もクールで、 まるで演劇のシナリオを読んでいるような気分になる。 だが、この新訳は、どこか中途半端な感じがする。 ペンギンクラシックスの旧版は、 David Magarushackによる翻訳で、 出だしの文章はこんな感じだった。 On a very hot evening at the beginning of July a young man left his little room at the top of a house in CarpenterLane, went out into the street, and, as though unable to make up his mind, walked slowly in the direction of Kokushkin Bridge. こちらの方が、よりドストエフスキーらしく、 作者の世界観に忠実で、 その文学の魅力の保存度も高かかった。 読み進みやすいリズムも持ちながら、 チャンドラーのような気配を放っていた。 会話も重厚かつスリリングで、 ぐいぐいと物語の中に入っていけた。 全体として、 ドストエフスキーの英訳小説を読んでいると まるで作者の頭の中に分け入って行くような 不思議な味わいが楽しめる。 | ||||
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なぜこのタイトルなのか?それが知りたくて読みました。 時代背景や宗教観にちがいはありますが、現代社会においてもこの本が伝える罪と罰の真理は変わらないと思いました。 陰と陽、天使と悪魔、裕福と貧困、権力と暴力。 。 。 時代は変わらない。 どの年代で読み返しても色々なことを考えさせてくれる一冊です。 | ||||
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なぜか突然、初めてドフトエフスキーを読みたくなった。 ロシア文学は難しそうな気がしていたが、江川卓さんの翻訳は とても読みやすく、ぐんぐん惹きつけられた。 3日間で3冊読破しました。 人間の心の描写がここまで深くできるものかと、驚嘆するばかりだった。 それに、私は果たして主人公のようにここまで自分の存在の意味、人生を 考えてきたか・・・と考えさせられた。 これから、「悪霊」や他の作品も是非読んでみたいと思いました。 | ||||
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自分自身は工藤精一郎訳が最高だと思うけれど、この江川卓訳もいい。 工藤精一郎訳をもう何回も読んでしまったため、新鮮味がなく飽き飽きしていたところでこれを読んでみた。 全然違う。 また新しい感覚で読める。 これに飽きたらまた工藤訳にもどり、それが飽きればカラマーゾフの兄弟を読む(亀山訳、光文社版)。 ドストエフスキーは人生で何度も読み返せる、偉大な作家だ。 | ||||
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いわずと知れた、ロシア文豪ドストエフスキーの傑作小説です。 この世に生まれたからには、一読せねば損だと本当に思います! …かといって、軽々しくおすすめできないという気持ちもあります。 なぜなら、この作品を「読書」するにはかなりの(時間的・精神的)負担を強いられてしまうと思うからです。 本を読み慣れている人ならばともかく、あまり読みなれていない人には正直、色々な意味でキツイ作品だと思います。 僕自身、高校で購入したものの、本を読むのが遅いこともあって受験のための時間制約で挫折し、 大学で時間的に余裕があったにも拘らず行間に漂うあまりの毒々しさに数ページで挫折し、ようやくつい最近読み終えた次第です。 その読後感は、僕のこの作品に対する警戒心は、あながち僕自身の神経質な臆病さだけからくるものでなく、妥当なものだったということでした。 その魔力の本質は"物語へ引き込む力が恐ろしいまでに強い"ということに尽きます。 私の尊敬する先生が、「『罪と罰』は、あまり深刻にならずに大笑いするぐらいの気持ちで読みなさい。」とおっしゃっていますが… とてもムリです!!むちゃくちゃ引き込まれて、むちゃくちゃ深刻になります! もちろん僕は、相当な心構えをしてかかりましたが、それでも無駄でした。 ようやく二度目に読むにあたって、若干余裕が持てた程度です。 もし初読が高校生の時だったら…と思うと寒気がします。(受験には間違いなく失敗していたでしょう) 大げさではなく、精神的のみならず、肉体的にも打ちのめされてしまうのです。症状としては、体のだるさ、食欲の減退…etc.です。 心もすさみます、というか、飛ばされてしまいます(済みません、他に言いようがありません)。 今まで、何百、何千万人の人が読んだからといって、安心して良いというものではありません。 読むときは誰もが一人です。作品の持つ危険性はいささかも薄められていません。 有名で名高い文芸評論家などの批評を先読みして、ある程度先入観を持って、危険に備えようとしてもほとんど無意味だと思います。 未だに再発見され続けていることが、それを物語っています。 内容はあまりにも有名ですのであえて触れませんが、 個人的にはラスコリーにコフ、ソーニャに感情移入するのではなく、スヴィドリガイロフに注目すれば、多少その毒から距離を保てるような気がします。 繰り返しますが、超おススメです!でも、くれぐれも注意してください。 | ||||
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はじめて読んだドストエフスキーだが、度肝を抜かれた。 文章の力といったらいいのか、100年以上前の著作でありながら、強烈に引き込まれた。 本書の翻訳者である江川卓さんの「謎解き「罪と罰」」を読んで、ドストエフスキーの凝りに凝った思考過程を知ると、2個目の度肝を抜かれた。 サスペンス・恋愛・思想・・といったさまざまな要素をキリスト教的世界観によってつむぎあわされ、しかも、これらが複合的・多義的な独特の言語感性によって表現されており、とにかくスゴイ小説である。 ストーリー展開はもちろんだが、単に、文章感を味わうだけでも、実に質の高い酩酊感を味わうことができる。 | ||||
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僕は旅に出て、列車の待ち時間が長いときなどよく町の図書館にふらりと入って たいてい置いてあるこの小説を手に取る。 そして、この本の真ん中あたりを開く。 そこにこの小説の白眉のシーンがあるからだ。 ラスコーリニコフがソーニャに 自分の犯した罪を告白するシーンだ。 純真なソーニャは人間の持つ邪悪さというものを想像することさえできない。 本当に天真爛漫な人間の持つ善良さがこれほどリアルでかつ魅力的なまでに 描写される小説を僕は他に知らない。 もし現実にそのような女性がいるならば本当にめぐり合ってみたいと思う。 人生の旅とはそのようなものでありたい。 | ||||
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罪とは何か、そしてそれに対する罰とは? 人間としての根幹を成すこの問いを何度も繰り返し突きつけられるのがこの小説である。 主人公の青年は、将来多くの人を救うことになる大きな目的のためになら殺人さえも罪にはならないと考えていた。 休学中の大学生で、細かく描き出されるその暮らしぶりは貧困の底を見る思いだ。 そこから抜け出すために、そして何よりも自分の理論を実証するためにラスコーリニコフが選んだのは、質屋の老婆を狙った殺人強盗である。 実行するのは容易だった。 しかし思い通りにならなかったのが、彼の心の呵責である。 罪を犯したことを後悔しつつも、それを認めるならば自分は大きな目的を持つことのできない人間と認めることにもなる。 その事実に対し発狂する寸前まで悩み苦しむ姿があまりにもリアルだった。 殺人は罪なのか。 つらい現実から逃げるために酒びたりになり家族を苦しめるのは罪なのか。 金で人間を縛ろうとするのは罪なのか。 貧しさゆえに娼婦に成り下がるのは罪なのか。 登場人物のそれぞれが、罪の形について問いかける。 ラスコーリニコフが苦しんだのは、殺人に対する良心の呵責というよりは自尊心を傷つけられた苦しみのようだけど。 それでも最後には神の救いという形で終わる。 ソーニャがなぜラスコーリニコフを愛してシベリアまでついていったのかがわからない。 彼女もまた自分の罪に対する罰として考えたのだろうか。 罪の大きさに比べ、あまりにも小さくはかないように見えた愛と希望だった。 | ||||
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ラスコリーニコフが質屋の老婆とたまたまその現場に居合わせてしまった妹のリザヴェーダを殺害してしまう。彼は、大学を辞めてからずっとその考えを温め続け、長い思索とイメージトレーニングの末にその計画を実行するが、なぜ彼がそこまでしてあの老婆を殺さなければいけなかったのかがいまいちよく理解できない。きっと、その時代のロシアの状況に関連しているのであろう。そしてまた不可解なのが、その殺人を正当化していることろである。なにか、彼にその使命でもあるのかのように思っている。ところが、殺害してみると、その正当性がいったいなんだったのか全くわからない。彼自身もよくわかっていないようである。そして、自分の犯した罪にびくびくし始め、混乱し、おかしな言動と行動を繰り返す。読んでいると自分が発狂したような気分になる。それだけ、ラスコリーニコフの混乱が続くのである。一体、この殺害の大義名分は何なのか、ラスコリーニコフは何のために生きているのか、そして、このタイトル『罪と罰』の示す意味とはなんなのか、上巻ではまだ読めないところである。時代背景をもう少しつかんで次の巻を読んでいきたい。 | ||||
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一度挫折してから、もう一度読み直しました。 ここまでするかというほど手が込んでいて、事実が幾重にも重なり合い、それぞれの登場人物の個性や思想が物語全体にリアルに影響して、主題の大きさに比べて無理のない現実味溢れる作品となっています。結構本を読んできた方だと思いますが、読み終わってここまで構成の巧い作家は国内、国外にもほとんどいないのではと思いました。 論理的に考え出された思想を抱えて生きる青年がそれに従って犯す殺人や、妹の結婚の問題、家族を支えるために娼婦となった女性など、精神面から何まで本当に事細かに描写されています。著者の冷静な観察力には感服するほかありません。 ただ、作品としてのレベルが少し高いところに注意しておきたいです。世界的名作ですし、原文がロシア語ですから、特徴的な文体になっているうえに、登場人物が結構多く、またそれらがミドルネームや略称で呼び合うので結果的に二十通り近い名前を覚えなければならず、最初のあたりで登場した人物が突然後半になって現れる事もありますので要所、要所で整理をしなければ混乱するかも知れません。 軽い気分で読む物じゃないですが、お勧めします。『死ぬまでに読んでおきたい名作』です。 | ||||
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よく言えば力強い作品、悪く言えば無骨な作品。 刃物にたとえると、なまくらの「ナタ」のようなイメージでしょうか。歯が所々欠けているけれど、力でどすんと叩き切ってしまうような力強さを感じます。 日本の第一級の小説(たとえば三島由紀夫の作品)と比べた場合、繊細な奥深さという点では『罪と罰』は正直言って見劣りすると思います(少なくとも、情景描写については三島の方がはるかに上でしょう)。また、『罪と罰』では、ストーリーの冗漫さや登場人物の設定の強引さといった不出来な部分も目につきます。 しかし、上記のような欠点があったとしても、作品の持つ迫力で吹き飛ばされてしまうのか、読んでいるうちにあまり気にならなくなります。この辺が"世界の名作"といわれる所以なのかもしれません。 訳文は非常にこなれていて読みやすいと思います。1,000ページを超える長編なのに挫折することなく読み通すことができたのは、訳者の江川氏のおかげかもしれません(工藤訳は読んでいないので比較はできませんが・・・) | ||||
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ドストエフスキーの代表作であると共に世界文学の代表作。原罪を背負った人間の魂の救済を描いた物語であり、熱心なキリスト教徒であるドストエフスキーの本領が遺憾なく発揮された作品。個人的見解だが、初めはもっと短い物語にするつもりだったのが、作品の構想が雄大・崇高になるに連れ、物語が変容していったと思う。 自分を超人と考える主人公ラスコーリニコフ(=アンチ・キリストの意)。自分のような超人なら金持ちの老婆を殺して金を奪う事くらい何でもない。そう考え実行するが、思いがけず老婆の妹も殺してしまう。この計画外の殺人が、彼に罪の意識を芽生えさせ、自らを(何らかの方法で)罰する。最初は、この辺で話を収束させるつもりだったのではないか。ところが、殺人を犯した事によって、超人から唯の凡人に引き戻されたラスーコーリニコフを描いているうちに、キリスト教的魂の救済物語に構想が発展したのだと思う。老婆の妹殺害の挿話は途中から語られなくなる。最初は単なる端役だった「聖なる娼婦」ソーニャは途中から「聖母マリア」に変容する。そして、ラスコーリニコフは何と世間の罪ある人々の罪を一身に背負ってシベリアに行くのである。まさに、キリストの姿を彷彿させる。 そして、ドストエフスキーの素晴らしさは、思想の崇高さを秘めながらも表面的に面白い物語を提供してくれる事である。本作のラスコーリニコフの尋問場面をヒントにして乱歩は「心理試験」を書いた。誰が読んでも面白いのである。通俗的に読んでも面白く、深読みすれば思想性が胸に迫る世界文学が誇る傑作。 | ||||
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素晴らしいです。 特に最後の十数ページは心を揺さ振るものがあります。 原文に忠実なのでしょうか、少々難解な表現や意味が伝わり難いところが ありますが、読み進めていくうちに慣れてくると思います。 死ぬ前に読んでおく価値があるのではないでしょうか。 | ||||
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個人的には訳者の日本語訳が、良い。 なかなか外国文学を訳すと堅苦しくて情緒もない文体に なりがちなんですけれども、江川卓さんは素晴らしいなぁ、と思いました。 こちらは物語重視の訳、で、ドストエフスキーが原本にさりげなく入れていた 時代背景やあらゆるゲマトリアに関しては、江川卓さんの「謎解き 罪と罰」 の方に記してあります。 二冊セットで読むと、倍楽しめます。 | ||||
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