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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 161~180 9/22ページ
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ドストエフスキー(1821ー81)は、貧しい軍医の家に生まれ、38年にペテルブルクの陸軍工科学校に進学します。当時から文学に心酔していた彼は、46年に作家としてデビューし脚光を浴びますとなります。 しかし、空想的社会主義サークルに参加したことから、1849年に逮捕され、54年までシベリアに流刑にされ、さらに軍務勤務を命じられます。 59年になって、ようやくペテルブルグに戻ってきたころ、ロシアは61年の農奴解放に向けて、大きな社会変動が起こっていました。ドストエフスキー自身も兄・妻と死別した上に、賭博で借金まみれの生活を送ることとなります。 こうしたぎりぎりの状況の中で、「罪と罰」は66年1月から雑誌に連載されます。暴力と革命を主張する傲慢なラスコーリニコフと、宗教的価値観に生きるソーニャを対立させ、信仰が勝利することを本作では描いています。 | ||||
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賛否あれど現代最高峰の小説家の一人村上春樹さんが敬愛するドストエフスキーの重要な小説の一つですが、貧乏のどん底にあった大学生ラスコーリニコフが自分の心に闇に付け込まれ、悪魔に仕組まれたと思わざるを得ない絶妙なタイミングで条件が揃い、かねてから妄想していた目的(殺人)を犯してしまう。 頭の切れる美しい青年ラスコーリニコフと家族の為に娼婦となった幼い少女ソーニャが日本最高峰のアニメ作家富野由悠季さんのガンダムのシャアとララァに重なりました。この小説が日本の優れた表現者たちに多大な影響を与えたであろうことが読み進める内にズンズン実感として感じられました。 人間の醜悪な部分、悲劇、心の闇、そこに付け込む悪魔をこれでもかこれでもかと時代性と臨場感と真実性を持って見せつけられますが、最後のエピローグで救われました。 ドストエフスキーが悪魔の存在を描くことで同時に神の存在を描き、愛(光)の大切さを人類に説いた名作。 自分の心の位置や成長或いは後退を知悉するだめにも、これからの人生で繰り返し読み続けたい世界最高峰文学の一つです。 ~以下、上巻より~ それにしてもなぜ? 彼はいつも(殺人を犯した)あとになっていつも自問するのだった。いったいなぜあんな重大な、彼にとってあれほど決定的な、同時にめったにない偶然のめぐりあいが、(通る理由さえなかった)センナヤ広場で、ちょうどあの時間に、彼の人生のあの瞬間に、それもあんな状態のときに、しかもこのめぐりあいが彼の全運命にもっとも決定的な、最終的な影響をあたえるには、いまをのぞいてはないという状況のときに、起こったのか? まるで故意に待ち受けていたかのようだ! | ||||
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賛否あれど現代最高峰の小説家の一人村上春樹さんが敬愛するドストエフスキーの重要な小説の一つですが、貧乏のどん底にあった大学生ラスコーリニコフが自分の心に闇に付け込まれ、悪魔に仕組まれたと思わざるを得ない絶妙なタイミングで条件が揃い、かねてから妄想していた目的(殺人)を犯してしまう。 頭の切れる美しい青年ラスコーリニコフと家族の為に娼婦となった幼い少女ソーニャが日本最高峰のアニメ作家富野由悠季さんのガンダムのシャアとララァに重なりました。この小説が日本の優れた表現者たちに多大な影響を与えたであろうことが読み進める内にズンズン実感として感じられました。 人間の醜悪な部分、悲劇、心の闇、そこに付け込む悪魔をこれでもかこれでもかと時代性と臨場感と真実性を持って見せつけられますが、最後のエピローグで救われました。 ドストエフスキーが悪魔の存在を描くことで同時に神の存在を描き、愛(光)の大切さを人類に説いた名作。 自分の心の位置や成長或いは後退を知悉するだめにも、これからの人生で繰り返し読み続けたい世界最高峰文学の一つです。 ~以下、下巻より~ ソーニャは叫んだ。「あなたは神様のおそばをはなれたのです、神様があなたと突きはなして、悪魔に渡したのです!」~略~ 「お黙り、ソーニャ、ぼくだって、悪魔にまどわされたくらいは知っているよ。お黙り、ソーニャ、お黙り!」と彼は憂鬱そうにしつこくくりかえした。「ぼくはすっかり知っているんだよ。そんなことはもう暗闇の中に寝ていたとき、何度となく考えて、自分に囁きかけたことなんだ・・・」 | ||||
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よく名前を耳にするので気になって購入しました。 文庫サイズの為か、一ページに改行なく続いていく事が多く、読みにくかったです。 | ||||
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「悪霊」を読むのは50年前僕が20歳前後の学生だった時以来である。スタヴローギン、キリーロフを中心とした19世紀後半を生きた若者達の混沌とした当時の空気の中での苦闘ぶりに何とも言えないほど強烈に精神を揺さぶられた思い出がある。50年経った今もこの本を読めばあの頃と同じように強い感銘を与えられるだろうという確信があった。 確かにそこには悩み苦しむ強烈な若者像があった。ただ少し印象が違った。若者たちの中に無限の可能性を夢見ることが出来た50年前に比べて、若者達はもっと絶望的で暗く見えた。登場人物のほとんどが死んでしまう、しかも希望の光も残さずに死んでしまう。以前読んだ時はシャートフが最後にピョートルに処刑されて物語の幕が閉じられたように思っていたが、ここではシャートフが殺された後、ピョートルはキリーロフの家に行き、かねて哲学的信念に基づく自殺を公言していたキリーロフに自殺するように迫る。ピョートルはシャートフ殺害の罪をキリーロフに着せる目的で自殺を迫ったのだ。キリーロフは自身の自殺論哲学の完遂のため喜びの中で自殺を遂げるつもりでいたのに、ピョートルの邪悪な策謀の片棒を担がされるという思いもかけない不本意なかたちで自殺を遂げた。キリーロフには親友のシャートフが既に殺されていることが分かり、自分の死に際の行動がシャートフの生死にもう何の影響もないことを悟った。その時彼の自殺哲学の完遂の中にも喜びを見出せなくなったのではないのだろうか? キリーロフがあるいは絶望の中で死んでいったのかもしれないと思うと僕の胸が痛む。 一方、シャートフも前日妻マリアが子供を産み、その喜びのため虚無的な彼の人生が一気にバラ色に輝き渡ったばかりだった。彼はピョートル達の仲間と縁を切るため、預かっていたものを彼らに引き渡すいわば最後の事務処理のために暗い公園の池畔での会合に臨んだ。 喜びに輝く前日、そこにはシャートフの幸せを心から喜ぶキリーロフの姿もあった。 輝きわたる幸福と真っ暗な公園での惨殺。こんな両極を一気に描いても良いものだろうか? ドストエフスキーは幸せを描いても悲惨を描いても完全に天才なのだ。我々は天上から地獄までを一気に見せられることになる。 この小説の主人公は一般にスタヴローギンとみなされている。だが彼の登場場面は意外に少ない。何故誰もがスタヴローギンが主人公だと思うのだろうか?案外読者が彼に寄せる過大な評価は革命家ピョートルが深遠な思想の持ち主にふさわしい育ちの良さ、教養の高さ、上品な物腰や風貌に惚れ込んで革命運動の旗として彼を押し立てようとしていた目論見と相通じるものがある。だが昔読んだ時に比べてスタブローギンの輝きは薄れていて、治癒の見込みのない彼の精神疾患が大きくクローズアップされて、今の僕は彼の中に深い絶望だけしか見ることが出来ない。令嬢リディアと一夜を共にしても愛はなく、リディアも群衆の中で悲惨な最期を遂げる。どうやらスタヴローギンが愛することが出来たはずだったダーリアとも運命の糸がうまくつながらず、スタヴローギンはダーリアの返事を待つことなく自殺を遂げる。ダーリアを愛していながら自分の愛を信じられなかったスタブローギンの悲劇である。 老齢に達してから読み直すと以前見過ごしてきたことに気づかされることも多い。今回はかつて若者達の師匠格であった老ヴェルホヴェンスキーの存在に気づかせられた。僕の記憶から完全に抜け落ちていたこの人物は物語の冒頭に登場し消えゆこうとしているロシアの古いインテリゲンチャを体現した人物として、ドストエフスキーは非常に愛着を持って描き続けている。彼はピョートルの父だがピョートルに深い愛情を注いで育てることがなかったことで息子に引け目のようなものを感じているようだ。彼は最後に一人家出するような形で客死している。彼の死の前後の丹念な描写はまるでこの小説の主人公が彼であるかのごとく思われる。ドストエフスキーは革命の嵐が吹き荒れようとしているロシアで風前の灯火といった心細そうなヴェルホヴェンスキーに深い同情を感じたに違いない。ドストエフスキー自身も革命運動に乗ってゆくことのできない自分を知っていた。1870年代はロシア革命より遡ること約半世紀という時代であった。 | ||||
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言うまでもなく、最も有名な小説のひとつである。 しかし、自慢じゃあないがと言うか、恥ずかしながらと言うか、レビューアーはこの小説の内容がどんなものであるか全く無知であった。ものすごく有名な本で、かなり部厚め(上下2巻からなっている)なので、きっと中身はかなり難解で高尚な哲学的な内容が書かれているのであろうと思って敬遠していたのである。理系人間のようなものには、哲学的内容と言うのは何となく、敬遠してしまうのである。 かつて若い頃、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ。若くて理想に燃える少年の理想と現実との狭間に揺れつつ精神的な成長をしていく過程を描いた極めて、哲学的な内容の小説で、取っ付きは悪かったが、最後の方はかなり面白く読めた。しかし、どちらかと言うと薄めの本であったが、かなり読むのに時間がかかった。これは、かなり哲学的命題にまっすぐに挑んだ小説と読めた。 また、アルベール・カミュの「異邦人」は、「今朝ママンが死んだ」で始まるなんとも分かりにくい実存主義的な哲学の小説であった。これこそなんとも理解を超えるところがあった。「不条理の条理」などがテーマで、主人公は「夕日が眩しかったから」と理由で殺人を犯したらしいのであるが、その思想は現レビューアーにはまったく分からなかった。これもそれほど厚い本ではなかったが、読破にはかなりの時間を要した。 これら二つの本のトラウマがあり、とにかく哲学的命題を扱った小説と言うのは何十年もの間、忌避し続けていたが、なぜか、アマゾンのネットオークションで、「罪と罰」の上巻を買ってしまった。内容を全く知らず、これもきっと哲学的命題の難しい本だと言う先入観を持っていたのにもかかわらず、である。しかもこんな厚く2巻にもなっている本を何故買ったのか、理由が分からないだけでなく、老人性痴呆症が始まったせいかもしれないが、買ったことすら忘れていて、本が届いてから、買ったっていたことに気がついたくらいである。 団塊の世代の悲しい性で、買ってしまうと売ったり、捨てたり、人にあげたりすることが出来ず、とりあえず「ツン読」を決め込んで、他の興味深いブルーバックスなどを読んでいたが、その系統を読み終えてしまい「ツンで」ある、本書を「他に本がないから、仕方ないから読むか」と覚悟を決めて、読み始めた。 本小説はとても有名なもので、その内容を全く知らないと言うレビューアーのような不謹慎者は他にはいないと思われるので、この小説のプロットには改めて言及せず、すぐに感想に入りたいと思う。 感想の第一は、「とにかく長い」である。いろいろなエピソードが次々と出てくるが、それら一つ一つの描写がとにかく長い。従って、全体もとにかく長い。こんなに長い必要があるのかどうか分からないが、よくまあここまで、詳細に文章にしたものだ、さすが小説家と感心させられた次第である。そして、驚くべきは、その記述の緻密さと巧みさである。したがって、一つ一つのエピソードがどうしても長くなるわけである。最初の方で、主人公のラスコーリニコブが酒場で話しかけられる酔っ払いのオヤジの描写を読むと、その親父の酒臭い息や小汚い服や顔(恐らく無精ひげみたいなものが生えているだろう)などが本の中からあふれ出てくるようで、臭くて気分が悪くなりそうで、早くその部分から、逃げ出したいと思われるほどである。 そして、このエピソード以外にも次々と膨大な数のエピソードが出てきて、それぞれの場面で、登場人物の人となりだけでなく、気迫や体臭などまでもにじみ出てくるのである。この小説の前半のハイライトである、金貸し女性を殺す場面などは、それこそ被害者の熱い血液や脳漿までもが紙面から飛び出してきて、読んでる者の顔や手に飛沫がかかってしまった感じがするほどである。気持ち悪いことこの上ない。思わず、洗面所に行って、手や顔を洗いたくなってしまう。 この著者の表現力は凄いし、そのロシア語を日本語に訳した翻訳者の語学力もものすごいものがあると感じさせられた。レビューアーには、そこまで精緻かつ詳細に描く必要があるのだろうかと言う疑問がわくほどである。また、これほど多くのエピソードも必要なのであろうかとも思われた。本筋とは関係のないエピソードも数多くあるようだし、適当に端折ったら、全体のボリュームはかなり少なくなるのではないかとレビューアーには思われた。ただし、ひょっとすると著者にはレビューアーのような凡庸な読者には読み取れないような話の筋書きがあり、そのために、数多くの詳細・精緻なエピソードが必要なのかもしれない。 そして、何より肝心なこの小説のテーマである。レビューアーの偏見に満ちた「これは難解な哲学書ではないかという」思い込みに反して、この小説は全くそのようなものではなく、単細胞な始点で言えば「刑事コロンボ」的な推理小説である。いや、刑事コロンボの方が、この小説の影響を受けて出来たドラマであろう。即ち、既述のように、この主人公は殺人犯であり、その殺人場面は、小説の前半のすぐのところで記述され、後は、その犯人を追う予審判事のボルフィーリーとの知的対決と言うことであると言っても過言ではない。 さすがに、世界的な小説家の作品だけに、推理小説とだけとしか見なければ、それはあまりに浅薄な感想といわれても仕方が内面をこの小説は持っている。 しかし、この著者が言いたかったことと思われる「命題」には、レビューアーは全く共感できなかったし、読んでいる間中イライラのしどうしであった。この主人公は自らを「非凡庸な人間」であると確信し、他の多くの人々「凡庸な人間」とし自分とは人種が違うと確信しており、特に、彼が殺した金貸しのような人間を「しらみ」として軽蔑し、そのような人間を一人殺してもその殺人の罪の何倍にも勝る功徳があるくらいに考えているのである。まるで、アドルフ・ヒットラーのような人間と言って過言ではない。直近のことで言えば、相模原、やまゆり園殺人事件の犯人のような「パーソナリティー障害」がある人間といえるような人物である。 そのような人物が出てくること事態で、読んでいてイライラすることにはならないが、この小説の大部分の場面で、その「パーソナリティ障害男(以下パ男)」がまるで、英雄のごとく描かれているのである。彼の肉親である、母と美貌の妹、若い俊才とも言えるパ男の友人、パ男の恋人ソーニャはもちろん、さらには、パ男の妹の恋人で普通なら結婚したかもしれないのに、このパ男の偏見から、引き離されてしまい、最後は自殺するスヴィドリガイロフやパ男を追及していた予審判事でさえ、彼を高く評価をしているのである。 しかもあきれることに、このパ男は、自分のおかしな論理を実践するために、正に何の落ち度もない「無辜の市民」である金貸しの女性とその女性の同居人の哀れな生涯を送っていた女性までも巻き添えで殺人したにもかかわらず、知らぬ顔で、追及を逃れようとした。それでも良心の呵責に耐え切れず自首し、シベリア送りとなって収監されてもなお、自分の心の問題のみに拘泥しているだけで、殺された二人に対する反省の念はまったくない。 殺された金貸しの女性にもそれなりの辛い過去があり、その結果、守銭奴になったとしても、それゆえに、このパ男のような人間に「しらみ」と呼ばれたり、殺してもよいような存在と決め付けられるいわれはないであろう。ましてや、巻き添えで殺された同居人の女性は気の毒としか言いようがないのであるが、このパ男には彼女を思いやる気などさらさらない。 もちろん、小説上の人格であるから、どれほどの卑劣漢が主人公であっても、また、その主人公がどれほど悪辣なことをしてもそれは小説である以上、何ら問題ない。しかし、レビューアーが気になるのは、ドストエフスキーはこのパ男に感情移入している節があるという点である。何かによらず、この主人公の心情を弁護するような記述にあふれている。即ち、著者はこのパ男を介して、著者の考えを訴えているのではないかとしか思えないところがある。レビューアーから見れば、パ男のような卑劣漢は無辜の市民二人を、全く身勝手な論理で手にかけているのであるから、如何に初犯であると言っても、終身刑から死刑が妥当なところであろう。それを8年の刑で済ませていると言うことは、著者は、この男の罪はその程度としか考えていないと言うことであり、何とも、おかしな善悪観の持ち主に見えてならない。 小説としてはとても面白く、文章表現は抜群であるが、扱われている内容としては、最悪である。 | ||||
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他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。 訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。 | ||||
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他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。 訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。 | ||||
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この本を読んで、 「ああ、どうしよう。罪と罰の良さがぜんぜんわからない。僕はダメ人間なのかな・・・」 なんて思った読者の方はたくさんいると思う。 だけど、安心してほしい。 この本を面白いと思うかどうかは、人間として優れているかどうかではなく、ただの好みの問題だ。 長く生きていれば「古典のよさがわからないなんて、低脳だね」とすました顔で言う人間に遭遇することもあるだろう。 「罪と罰は俺のために書かれた本みたいだ」とドヤ顔でいう人だって現れるに違いない。 そういうときは、「べつにお前のために書かれてるわけじゃねえよ」といってやればいい。 古典を理解できる人間があなたより人間的に「上」だというわけじゃない。 アイドル好きな天才もいれば、モーツァルト好きな無能もいる。 文学はただの好みの問題であって、知性には関係はない。 本の途中まで読んで、 「酔っ払いのどうでもいい会話で20ページも使うなよ」とか、 「母親の手紙に20ページも使うなよ。こんな内容、乙一なら3行で表現するだろ」とか、 そういうふうに思ってしまったら、あなたはこの本に向いていないので、すぐに捨てるべきだ。 がんばって読み進めても、まずたのしめない。無駄な時間をすごすことになる。 そして、『罪と罰は俺のために書かれてる論者』と関わらないよう注意して生きてほしい。 そういう人たちは理由なくあなたを「低く」みるからだ。 だが、わたしはあなたを低く見ない。あなたは正常だ。つまらないと感じるのはひとつの個性だ。 私からは以上だ。 | ||||
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この作品はドストエフスキーを最初に読んだ本です。ドストエフスキーの世界観にどっぷりはまって時間の経つのを忘れて読み耽りました。息子に読ませたくて購入しました。 | ||||
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今再読しました。 自分を強者だと思っていた青年が実は虱だったと思い詰めてもんどりうつ、大変重いお話です。 ナポレオン云々の哲学が語られてとっつきにくい印象ですが、ただ話としては主人公が自分で語っているように傲慢で短気な主人公が狭い部屋で妄想を繰り返して「つむじを曲げ」、それが嫌になってめんどくさくなって、一思いにやらかした、、、この作品には妙に身近なリアリティもあります。 作品を通じて雰囲気はあまりに重苦しいですが、それでも僕は登場人物の多くが正直で人を愛する心を持っているこの作品が大好きです。 主人公の周りを飛び回っている学友に、健気な妹、どこまでも人に寄り添う小柄な少女。陰鬱な主人公にしても真摯で心優しいからこそ地獄に落ちました。 主人公が金欲しさに殺人までしたのに有り金を全部未亡人に渡す場面とかは何気に感動します。 読むのはなかなかしんどいですが、エンディングではそれに報いる感動があります。 だれかが青春小説と言っていましたが、その通りだと思います。 | ||||
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なかなかよろしいですね。普通の枕とはちょっと違う感じ。 この本を読んで何か思想的なものを見つけようと思ってる人はahoです。 壮大な、ただの、頭がおかしくなった ラスコーリニコフの、物語です。 | ||||
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壮大な、いろんなものが集結した、ラスコーリニコフの一時期の物語 としてもれば面白いです。でもそれだけです。思想的なものは一切ない気がします。 題名で何か高尚なこと、が生まるとか、書かれてるとか、そんなのありません ただの刑務所にいくまでのストーリーさ。女に心が打たれた?ahoか | ||||
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学生時代に初めて読みましたが、とてもショックを受けたのを覚えています。 その頃ちょうど精神が不安定だったこともあり、自分が犯罪者になったかのように落ち込みながら読みました。 ですが同時にゾクゾクするような、精神の深いところ、内部から今まで感じたことのないようなエネルギーが盛り上がる感覚があったことも記憶しています。 踏み越えるということ。 殺人という世間では許されない行為でソレを表現していますが、僕が実際踏み越えること、抜け出すことを覚えたのはこの本がきっかけでした。 | ||||
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カラマーゾフの兄弟の江川訳がよいと思ったので、罪と罰の3回目の読書に、江川訳による再度の読書を始めた(初回は米川訳)のですが、確かに、翻訳の地の文は滑らかで、いかにも良質の訳という印象であるのに、時々意味不明の場所。他の訳で読むと、案外とすんなりと理解できる。江川先生、訳文の美しさにこだわって、正確さを犠牲にしたような・・。新潮文庫の工藤訳は、日本語がひどく、あの新潮社がなんでこのような翻訳を出し続けるのか、残念至極。結局読み比べてみて、現在絶版の池田健太郎訳がもっとも分かりやすかった(亀山訳は最初から遠慮しました)。分かりやすければ良い翻訳とはいえないけれど・・。これまで感激していた「罪と罰」の読書体験が何だったのか、と少し情けない気分。これだけ世に名高いロシア文学の翻訳の水準が、この様であるとは。小林秀雄はどの翻訳を読んでいたのだろうか。江川訳で挫折しそうなひとは、図書館で池田訳を探して、再チャレンジしてみることをお勧めします。小説も細部、一言一句が大事だと思います。大筋だけわかればよいというのではないでしょう。 | ||||
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著名な作家さんのエッセーなんかを拝見すると、よく読者が作品に対して「これは自分のことが書かれています!」という感想があるらしいです。 江川さんの訳は、上中下の三部構成であり、語句の解説が末尾に付いてるので、丁寧な作りになっております。 僭越ですが、主人公ラスコーリニコフの心理描写・心の声or独りごと、などが自分に似ているなと感じます。 この物語ほど、そのような重なる感覚が得られるものはないなと改めて思いました。 ラスコーリニコフの名前は「分裂」「分割」などのロシア語の意味があるらしいです。 確かに彼は言動や思考は一貫性がありません。しかも極端なのです。 例えば、不審者に狙われている女性を助けようと警察官に救いを求める場面がありますが、最後はどうでもいいです、みたいな感じで 投げ出してしまいます。友人ラズミーヒンに働き口の相談しに行き、彼がせっかく紹介してやったのに、その好意を無下にするシーンもあります。 「はぁ?」と周りからは思われていることは確実です・・・・・・ 他人からは理解されない、気持ちの変化、あっちに行ったり、こっちに行ったり、戻ってきたりする縦横無尽の心理描写が見どころの一つかもしれません。 | ||||
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僕は21歳ですが、この年から「小説」を読み始めました。(笑) ふいに興味を持ったのです。まずは夏目漱石の「こころ」。次にシェイクスピアの「ヴェニスの商人」そして、3作目がこの「罪と罰」でしたが、ほかの方も仰ってる通り、読み慣れるのに時間がかかる。 内容がとてもおもしろいので挫折はしなかったが、そうなりかけた。(笑) 結局上、下読むのに丸1月かかった。 主人公の「ラスコーリニコフ」は、「ロージャ」「ロジオン・ロマーヌイチ」と様々な名前で呼ばれます。 覚えてしまえばそれまでなんですが、「ロージャ」だけじゃなく、ほかの登場人物たちも多くの、所謂「別の呼び名」があるのでこんがらがると思います。 まだ小説3作目の僕にはハードルが高かった。(笑) ですが読み終わった後の一種の達成感は他では味わえないです。 作品についてですが、殺人を犯したラスコーリニコフの葛藤がメインです。 ナポレオンなどの、かの英雄たちは革命のためには「殺人」もその過程として成し遂げてきたが、世の改革には必要だったとむしろ肯定されている(本書では「肯定されている」とまでは言及はされていないが、少なくともラスコーリニコフはそう思っていると思う)なかで、ロージャは殺人を犯してしまったという「負」の気持ちを、さきほどの英雄論をもとに「正」の気持ちに置き換え、「殺人」という大罪を自分の中で肯定している。 しかし、ロジオン・ロマーヌイチは英雄論をもとに殺人を肯定していても、肯定しきれず、罪を犯した意識に苦しむ。 革命のための第一歩である「殺人」に苦しむ、そんな自分に苦しむのである。 先代の英雄ナポレオンは革命の過程である「殺人」に苦しまず(実際には苦しんだかもしれないが)革命を成し遂げたのに、自分はその過程でさえも完遂できない。と苦しむのである。 畢竟、シベリアに流刑されるがその時でさえも、「殺人」に罪の意識は無く、革命の過程「殺人」、その第一歩に堪えきれなかった自分自身を罰するために自首をしたと言っている。 ここまでの文からわかるように、ロージャはナポレオンと同種の「革命をする側」の人間だと思っている。(実際にはナポレオンがしたほどの革命ではないにせよ、ラスコーリニコフの中では大きな革命なのだ) だいぶおおざっぱに物語の根っこの部分を考察してみたが、読む人それぞれによって変わると思う。あるレビューでは愛の物語と言っていたし、犯罪小説だと言っている人もいた。 ここまで、読み終えた後の興奮が冷めず、レビューにだらだらと書き続けてきたが、文にしないと自分の気持ちが自分でもよくわからない性質なので、レビュー(感想文)のようになってしまった。 ちなみに自分はロージャを除くと、ポルフィーリィが一番魅力的でした。 | ||||
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Kindleで購入。 訳は読みやすいです。 巻末の解説もなかなか役に立ちます。 53年間読まずに生きてきてしまったことを反省。 | ||||
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多分ドストエフスキー自身が崖っぷちの人生を送ってきたからこそ書ける緊迫感なのだろう。 すごいです。 カラマーゾフの兄弟に比べると、人物相関も比較的シンプルなので読みやすいと思いますよ。 カラマーゾフと迷ったら、まずこちらから攻めましょう。 | ||||
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どんな理由があろうと殺人はあかん。 とにかく長くロシア名が短縮で誰が誰か分からなかった。 翻訳者はロシア名を統一する配慮がほしい。 | ||||
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