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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 121~140 7/22ページ
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この巻は、光文社古典新訳文庫版『罪と罰』の最終巻です。 主人公・ラスコーリニコフは、ナポレオンのように人を殺す資格が自分にあるのかどうかを確かめるために、金貸しのばあさんを殺害しました。ラスコーリニコフは、金貸しのばあさんを「なんの役にも立たない、けがらわしくて有害なシラミ」(p.143)だと言っています。ラスコーリニコフは金貸しのばあさんを殺害したことについてはあまり気にしていませんが、自分が天才的人間ではないことにとても苦しんでいるようです(p.329)。 ラスコーリニコフに限らず、プライドの高い青年にとって、自分が凡人であることを認めるのは屈辱的なことだと思います。この小説のエピローグでは、「自分はきわめて賢く、自分の信念はぜったいに正しいと思いこんだ人々」が地獄のような潰し合いをする悪夢が描かれます。私も学生時代に自分には何か才能があるんじゃないかと正直思っていたし、プライドの高い学生同士が対立しているのをよく見かけました。『罪と罰』は、そうした青臭い病理からの脱出と復活の物語なんだなあと思いました。 | ||||
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この巻には、ドストエフスキーの代表作『罪と罰』第3部と第4部が収録されています。個人的にこの巻はとても見どころが多いと思っていて、特に第3部で明かされるラスコーリニコフの犯罪論と第4部で朗読される「ラザロの復活」は伝説的だと思います。 ラスコーリニコフは、人間を「服従を好む凡人」と「法律を踏み越える非凡人」の2つに分けています。凡人は保守的で生産のための材料ですが、非凡人は掟を破って世界を動かします。非凡人は犯罪を犯せとまではラスコーリニコフは考えていませんが、ニュートンやナポレオンのような非凡人には必要な際に法律を踏み越える権利があると言います。 第4部4節では、ソーニャが「ラザロの復活」を朗読します。第4部4節という「4」が並ぶ箇所でソーニャが聖書の「4」という数字に力を込めて音読しているところがいいですね。 この巻の巻末解説では、亀山郁夫先生が『罪と罰』の物語の始まりについて興味深い考察をなさっています。『罪と罰』の物語は7月7日から始まっていて、『罪と罰』の第1部は7節に分かれています。このことから、『罪と罰』における「7」という数字は物語の始まりを表していると私は仮説を立てています。『罪と罰』のエピローグでは7年の刑期が残されて、また別の物語の始まりが告知されているところも注目に値すると思います。 | ||||
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『罪と罰』は、ロシアの文豪ドストエフスキーの代表作です。ドストエフスキーは、巨額の借金に苦しみながらこの小説を書きました。この小説では登場人物が渡したり受け取ったりするお金の金額が具体的に書かれていますが、これはドストエフスキーにとって金銭がとてもリアリティのある問題だったことが原因なのかなと思いました。 『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフは、悪どい金貸しのババアを斧で殺害します。しかし、ラスコーリニコフはよくある悪人ではなく、彼なりの思想に基づいて殺人を犯しました。ラスコーリニコフが殺人を犯した理由は、この第1巻の時点では少しだけ明かされています。意地悪なばあさんの命とひきかえに、たくさんの命を救えるということがその理由かと推測できます。 また、この第1巻のpp.170-171では、犯罪の際に意志や理性が喪失されることが説明されています。pp.212-213では、ラスコーリニコフは自分の理性が鈍ることを「罰」だと感じているようです。小説のタイトルにもなっている「罰」には単なる刑罰という意味だけでなく、理性の喪失という抽象的な意味もありそうですね。 | ||||
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親子の関係、友人との関係、恋人との関係、兄妹の関係、他人との関係などいろいろな人間関係が味わえます。 | ||||
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うん十年前に小学校の図書館で「罪と罰(子供版?)」を手に取り読みました。その時は「怒ってばかりいるお兄さん、他の人も暗いなあ」としか感じられず、その後、大人になって(なりすぎ)も「罪と罰」(大人版)は避けていました。どういうわけなのか、ふと本書を購入し、読み始めたら止まらない!!力強さになぎ倒される感じで読み進みました。 年を重ねる中で個人としても色々辛酸を舐めてきたからなのか、主人公(息子と言って良いくらいの年の差です)の心の動きについて引き込まれるように読み進みました。 どなたかのレビューにもありましたが、「罪と罰」は緻密な構成、精巧な描写といった点ではやや劣ると思われます。ただ、長刀を振り回しながら、或いは、ブルトーザーでがんがん進むというか、細かいことを突き抜けたパワーに圧倒されます。「粗いんだけど、凄い!!」(稚拙ですね。表現しきれません) 時を超えても語り継がれ評価される本の実力を改めて感じ入りました。 | ||||
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様々な読み方ができる書籍だと思いました。推理、恋愛、人間模様など。セリフがやたらと長いですが熱い魂が伝わってきます。難解ですが読む価値は十分すぎるくらいです。 | ||||
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読みたいと思っていた小説だが、とにかく長い。登場人物の名前を把握するのもなかなか大変。一人一人の会話もすごく長かったりして、途中で挫折しそうになったが、何とか完読した。すごく深い内容という印象だが、もう一度読まないと良く分からない感じ。 | ||||
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一般に、A and Bと言ったら、AとB。つまり、AプラスBという意味で理解されるが、ITの世界では、A and Bというと、AかつBという意味になる。つまり、Aの要素とBの要素を兼ね備えたもののみを定義しているので、その数は極端に少なくなる。 『罪と罰』『高慢と偏見』『赤と黒』『戦争と平和』…。やたら、『A and B』という名前の小説は多いが、これらがヨーロッパ圏のものであることを鑑みると、AかつBという意味で用いられている可能性が出てくる。これに従うと、『罪と罰』という訳は適切ではなく、『罪かつ罰』ということになる。つまり、罪と罰には共通点があるんですよ、それはね…ということになる。 事実、ラスコーリニコフは、罪を犯した時点で苦しんでいる。罪人は、たとえ上手く逃げおおせたとしても、結局、何らかの報いを受けることになるぞということを、文豪は仄めかしているのかもしれない。 | ||||
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23歳の、自分が天才だと信じて疑わないラスコーリニコフ。 貧乏な彼は「微細な罪悪は百の善行に償われる」という、 傲慢な理屈で、高利貸しの老婆を殺し、金を奪う。 だが彼は、自分もちっぽけな存在に過ぎないと気づき始める・・・・・・。 心理描写がとにかく凄い、ロシア文学の名作です。 | ||||
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人物相関図を自分で作り、粗筋を掴む為に漫画を読んでから小説を二度精読し、舞台を鑑賞した。その後さらに深く読み込む。 ストーリー、人物相関図、漫画でのビジュアルや小説でイメージをつけることでより内容を理解してドストエフスキー作品を楽しむ事ができた。大作であることは言うまでもないが、読者にもパワーが必要な作品である。余談だが、勝村政信氏の演じるポルフィーリーはキャラクターにしっかり意味を付けていて小説とは違った印象を与える。氏が作品をさらに素晴らしいものにしているのは間違いない。 | ||||
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まず、『罪と罰』は思想小説です。その観点から見ると非常に難解な小説です。2回読みましたが、2割ほどしか理解できていないと思います。この小説を深く理解するためには、聖書や著者の生きた時代の状況なども知る必要があります。 一方、娯楽小説の観点からは、難解な表現や読みづらい箇所がいくつかあるものの、とても面白いです。特にラスコーリニコフを始めとする登場人物たちの何ページにも渡る語りのシーンは圧巻です。また、エピローグも非常によく、優れた小説はまとめ方、あるいは、終わりが秀逸であると再度認識させられた。 | ||||
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罪とは何か?心とは何か?愛とは何か? ラスコーリニコフは、「1つの罪悪は100の善行によって償われる」という思想を持っていた。 しかし、それは間違いだった。 彼は殺人という罪を犯し苦しんだ。 平気で人を殺す人がいる。 肉体を殺す人、心(精神)を殺す人は老若男女問わず存在する。 特にそのような人達に読んでもらいたい。 本書を読んで悩み苦しんでほしいと思う。 「苦しむこともまた才能の一つである」(ドストエフスキー) | ||||
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ロシア近代文学の最高峰に位置するこの作品は謎に満ちている。高利貸の老婆とその妹を殺害した学生ラスコーリニコフの罪の告白を巡る謎がこの小説読解のポイントである。一般的にはソーニャの献身的愛によって、ラスコーリニコフが改心し、罪を告白したと理解されている。その通りでもあろう。 殺人者というものは、殺人の痕跡を消し、他人の視線に怯えながら、捜査の行方を絶えず気にしながら精神的に追い詰められていく。では、ラスコーリニコフの場合はどうか?老婆とその妹を殺害後、高熱にうなされ、夢遊病者のように不可解な行動と言動に明け暮れる。そして何より特筆すべきことは、自分の罪を告白したいという衝動に駆られ、自分が殺したことをそれとなく仄めかすような言動を取ることである。刑事ポリフィーリーに対して(彼はラスコーリニコフが犯人であることにいち早く気づいていた)は、真相を自白するように追い詰められたからではなく、自ら自白せざるを得ないようになっていく。恋人のソーニャに対しては、彼女のキリスト教的献身的な愛によって改心したのではなく、告白の契機になった。 かつて作家の加賀乙彦氏は中公新書から『ドストエフスキイ』を出版し、精神科医としての立場から、ドストエフスキーの「癲癇気質」に着目し、これこそドストエフスキー文学の本質であるという、異論を発表した。ラスコーリニコフは、ドストエフスキーの「分身」なのである。 こう考えると、ラスコーリニコフの殺人から告白までの熱病病みにとりつかれたような不可解な言動と行動の謎が解ける。金貸老婆殺害を正当化するエリート思想、ソーニャの愛による感化、捜査の進展、反省と後悔は重要ではない。ラスコーリニコフを罪の告白へと駆り立てたもの、それは癲癇気質であった。 それゆえに殺人から告白までの謎めいた行動と言動の記述が作品の大半を占めているのである。では、作者が癲癇文学を確立するためにこの作品を書いたのかというと、そうではない。バフチーンが述べているように、様々な人物の多声的な「ホリフォニー」によるところが大きいであろう。しかし、作者の癲癇気質が登場人物の関連性と相互の結び付きを弱め、それぞれの登場人物の独立した物語にも読めるような作風に仕上げるのに一役かっているのかもしれない。 ソーニャの献身的な愛によるラスコーリニコフの改心は、後書きでの話である。 ドストエフスキー文学を謎めいた作品に色づけしているのは、作者の癲癇気質であった。このような視点を持つことによって、他の作品、例えば『カラマーゾフの兄妹』なども新しい読み方が可能になるかもしれない。 癲癇気質がドストエフスキーという作家の作品を謎めいたものにしている。興味ある方は、加賀乙彦氏の『ドストエフスキイ』を読まれることをお勧めのする。 | ||||
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読むのに時間はかかったけど、生きているうちに読めてよかった。 | ||||
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29歳の現在、初めて読みました。もっと早くに読んでおけばよかったという後悔と、今だから面白いのだという喜びに震えています。なんて素晴らしい作品でしょうか。タイトルから感じる暗さから、長年手に取ることをためらっていたのですが、想像以上の闇と光に目眩がするほどです。10年後20年後、読むのが今から楽しみで希望になりました。 | ||||
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私はこれ読んでる時に、障がい者施設の事件が起こったものだから。 中途から主人公が、事件の犯人と重なって思われて。 「それで?なんで?あんたは人を殺したんだ?」ってその殺人を正当化する理由ってものを、 犯人の考えを、小説の主人公に求めながら読むうちに。 ・・・たぶん、とんでもない形相をして、読み進めていたかもしれない。 事件が悔しいのと、その殺人の理不尽さと。 物語そのものについては、やっぱドストエフスキーって心理描写がうまいなぁっていう・・・。 | ||||
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僕は昔、ある罪を犯した。その施設にこの本が置いてあった。久しぶりに読みたくなり購入。ラスコーリニコフの心情を読むとあの頃を思い出す。名作だと思う。 | ||||
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23年ぶりに再読した。ほとんど初読のような新鮮さであったが、最後まで主人公に感情移入はできなかった。 英雄は一人の人間を殺そうとも大したことではない、というような選民思想というか優生思想というか、 わからなくもない。 一人殺したら殺人者だが一万人殺したら英雄だとの言葉もあるし、人類は突き詰めれば殺し合いの歴史でもある。 本作を執筆当時ドストエフスキーは賭博やら借金やら近親者の死やら、人生の辛酸をなめていたようであり、 主人公ラスコーリニコフの思い迷いながら迷走、妄想する様は、作者のそんな境遇も影響したのかもしれない。 とはいえ、読み物として読者を飽きさせないストーリテラーぶりは素晴らしく、登場人物もそれぞれ個性が際立っている。 ソーニャにキリストを具現化したような聖母を感じる場面や、 主人公に対する母と妹の痛ましいまでの愛を感じる場面など、描写が心に刻まれることが度々あった。 スヴィドリガイロフをどう捉えればいいのかよくわからなかった。狡猾で詐欺師的な与太者なのであるが、死んだカテリーナ の孤児たちを世話したり、自殺前にソーニャに大金渡したりする。 ストーリー的には、いなくてもいいような気がするが、、、。 もしかしたら当時のドストエフスキーをモチーフとしてるのだろうか。自殺したのは新たな自分に生まれ変わる意志なのだろうか。 | ||||
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展開がなかなか進まず、読みきるのに 少し骨が折れた。カラマーゾフの兄弟 の方が、興味深く読めている。 | ||||
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息子に頼まれて購入。 上下2巻なので、読むのに苦労しているようでした(笑) | ||||
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