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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全440件 261~280 14/22ページ
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普遍的ともいえるロシアの長編文学作品「罪と罰」の下巻です。 ドストエフスキーらしい、良くも悪くも長大な物語と、生々しい人間描写。 「一つの罪も百の善行で打ち消される」との考えで殺人を犯したラスコーリニコフ。 しかし予定外の殺人も犯し、その良心の呵責にとらわれたラスコーリニコフが最後に下した決断とは? 現在のどんなドラマよりも驚くほどドラマティックな展開です。 仮に「計画通り」の殺人がなされたとして、はたして彼は同じように「罪と罰」を感じることはできたのか? そのように考えると、本作品は無限の広がりを見せるのかもしれません。 また、違った角度ですが、あの「刑事コロンボ」でおなじみの「先に犯人が分かっていて、それを刑事が追いつめる」という手法の元祖が描かれています(解説にも掲載されていますが)。 ともあれ、本好きなら一度は通っておくべき「ドストエフスキーの大作」です。 | ||||
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歴史的な文学作品もきちんと読もうと思い、手に取ったのが本書です。 ドストエフスキーときくと、どうしても学生時代に学校の先生が評していた、 「ロシア文学は長ったらしい」 「ドストエフスキーは暗い」 という先入観があったのですが… 良い意味でその通りでした。 貧しい学生ラスコーリニコフが「小さな罪もそれ以上の善い行いに使えば罪は無い」的な、今でいうところの厨二病のような考えで、強欲な高利貸の老婆を殺す計画を立てる。 計画は見事に成功のはずが… カバー裏のあらすじには「鋭敏な頭脳」とありますが、正直言ってラスコーリニコフは頭が良すぎるのか、熱病にうなされたのか良くも悪くも「厨二病」のような考えを行動に移します。 このように書くと、冒涜しているように思えますが、途中のラスコーリニコフの考えや行動は、正直「頭が良い」とは言えません。 そして、結局計画通りには殺人をできず、別の人間をも殺めてしまいます。 しかし、それでも本書が文学作品として高い評価を得ているのは、その内面の「極限状態」の人間描写・心理描写が驚くほど生々しいからでしょう。 おそらく、そこには作者のドストエフスキーの泥臭い人生経験があるからだと言えるではないでしょうか。 上巻での数々の「起」「承」は、どのような「転」「結」を見せるのか…それは下巻で明らかになってきます。 | ||||
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昨夜読み終えた。そして一睡もできず朝を迎えた。 今、レビューを読みながら、ああ私は世界がクリアに見えるようになってしまったために、目が覚めて寝付けなかったのだと理解した。 「小賢しいことは言わず、とにかく生活を始めろ」というポルフィーリーの忠告が、今の私には一番痛かった。 早速その忠告に沿って健康的な生活を始めようと思って布団に伏したのに、初日からできなかった。 でもそれも「生活」なのだ、と筆者は言うだろう。自分の信条が不適合なものと分かったところで、それがどうした?と。 かっこよさとかかなぐり捨てて、生き延びるのだ。 自分が自分の太陽でありさえすれば、誰かとの関係のなかに新しい物語が生まれるはずだ、と信じて。 | ||||
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あまりにも有名なこの題名。 日本では一番人気じゃないだろうか? この主人公、今の日本にたくさんいるだろう。 自分にだって当てはまる部分がある。 こういう、当たり前の視点があるのが、ドストエフスキーの良いところ。 犯罪者も一市民もたいして変わりない。 その境界線はどこにある?と考えて、ドストエフスキーは夢中で書いたことだろう。 集団心理なら悪霊がオススメ。 社会、を必要とする人間にとっての最大の課題は何か? それは、〈共存〉、である。 | ||||
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世界的に有名で、教科書にさえ載っているドフトエフスキーの「罪と罰」。 さも文学的で読みにくいのかと思いきや、普通に小説。 普通に面白い。 一つ一つの文章やセリフが長いので、全体的にかなり長編になっているけれど、 読んでしまえば意外にサラリと読める。 私が読解力が無いからか、ちょくちょく意味不明な文や、一つ前の文と180度反対の ことを言っているようにしか思えない文があったけど、そこはスルー。 最後まで読んでよかったと思える作品。 ほかの作品も読んでみよう。 | ||||
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ドストエフスキーの5大長編小説の、最も初期のものです。 はっきり言って他の長編に比べると、明らかに質は落ちます。 (それでも傑作であることに間違いはありません。) この本の冒頭のテーマは、 「一つの瑣末な罪は、百の善行により許されうる」 といったものです。 しかし、物語が進行するにつれ、主人公ラスコーリニコフは、 その思想を変えざるを得ない状態に追い詰められます。 この物語を読んで思い知らされることは、 ドストエフスキーは圧倒的に人間の心理を描くことに長けていたということです。 もはや、衝撃的といっても過剰ではありません。 もう、150年ほど昔の作品ですが、古さを全く感じさせず、 現代でも十全に通用するテーマを読む者に突き付けます。 この本に衝撃を受けた人は「現代の預言書」とまで賛辞を送っています。 人間の存在に対してなんらかの疑問を持っている人は読むべきです。 | ||||
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一言でいえば、よくわからない作品です。 読んでいるうちにころころと考えが変わる主人公を見ていると こちらまで頭の中がかき回され不安定な状態になります。 しかし、そのように意味がわからないと考えれば考えるほど 作品を楽しめているのではないでしょうか。 合わない人は考えるまでもなく読むのをやめてしまうと思います。 ただ、登場キャラの名前が異常なまでにわかりにくのでwikipediaなど 見ながら読むのは必須かと。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作、罪と罰。たった今読了し、勢いに任せて筆を進めています。 本作では主に、人が殺人者になるまでとなってから、そしてその後、という過程が描かれます(他にも様々な読み方が可能ですが、罪と罰という題に則って)。それは外部の者が野次馬的に語ることが許されないほどの圧を持っており、本作を読むこと以外に経験しえない空間を作り上げています。したがって全体における内容及びその考察はここに記すことができませんし、そうすべきではないでしょう。私は、クライマックスについて考えたことについてのみ語りたいと思います。一読者の感想として読んでいただけたらと思います。 さて、私が本作の終焉で最も感じたこと、それは『罪は裁かれ、罰は救われる』ということでした。内容に触れてしまいますが、それは罪を抱えたままのスヴィドリガイロフと、罰を受けることになったラスコーリニコフの対比として明らかだと思われます。すなわち、同じくして罪を背負ったもの(おそらくスヴィドリガイロフは咎人でしょう)は、罰を被るか否かによって救いの有無が分けられるということです。 贖いという言葉があります。罪を償う、という意味です。しかし贖いは罪を認め、罰を受け入れる勇気を持った者にしか与えられません。罰を受けることとなったラスコーリニコフは最後の最後までもがき続け、自らの思想と異なる現実のギャップを憎み、挙句にはあれほど憎んでいたスヴィドリガイロフすら羨ましく思ってしまいます。その姿に読者は(なぜここまで来てそんなことを思うのだ!)と憤るでしょう。 しかし、多くのものを失い、自己をも失いかけたラスコーリニコフは、物語の一番の終焉で変化します。ソーニャという一言に賦することのできぬ女性の心の清らかさによって、恢復するのです。それは罰を避けた人間には与えられることなく、全てを受けいれる勇気を持った人間にのみ与えられる、最後の救いでした。 もちろんラスコーリニコフは無傷ではすみませんでした。当人だけではありません。母は死に、妹、友人、恋人全員が傷を負いました。しかし、ドストエフスキーの、『絶望的な状況においても、殺人者は恢復できるのだ』というメッセージを見たとき、思わず涙してしまいました。 全体として難解で、読むのに大変な労力を必要とすると思います(私も何度も挫折しかけました)。しかしそれはドストエフスキーがいかに苦心して作り上げた小説なのかが私たちに伝わってくるからなのでしょう。読了後、私たちはみな納得できるはずです。罪は裁かれ、罰は救われる。 未読の方、ぜひ読んでみてください。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作、罪と罰。たった今読了し、勢いに任せて筆を進めています。 本作では主に、人が殺人者になるまでとなってから、そしてその後、という過程が描かれます(他にも様々な読み方が可能ですが、罪と罰という題に則って)。それは外部の者が野次馬的に語ることが許されないほどの圧を持っており、本作を読むこと以外に経験しえない空間を作り上げています。したがって全体における内容及びその考察はここに記すことができませんし、そうすべきではないでしょう。私は、クライマックスについて考えたことについてのみ語りたいと思います。一読者の感想として読んでいただけたらと思います。 さて、私が本作の終焉で最も感じたこと、それは『罪は裁かれ、罰は救われる』ということでした。内容に触れてしまいますが、それは罪を抱えたままのスヴィドリガイロフと、罰を受けることになったラスコーリニコフの対比として明らかだと思われます。すなわち、同じくして罪を背負ったもの(おそらくスヴィドリガイロフは咎人でしょう)は、罰を被るか否かによって救いの有無が分けられるということです。 贖いという言葉があります。罪を償う、という意味です。しかし贖いは罪を認め、罰を受け入れる勇気を持った者にしか与えられません。罰を受けることとなったラスコーリニコフは最後の最後までもがき続け、自らの思想と異なる現実のギャップを憎み、挙句にはあれほど憎んでいたスヴィドリガイロフすら羨ましく思ってしまいます。その姿に読者は(なぜここまで来てそんなことを思うのだ!)と憤るでしょう。 しかし、多くのものを失い、自己をも失いかけたラスコーリニコフは、物語の一番の終焉で変化します。ソーニャという一言に賦することのできぬ女性の心の清らかさによって、恢復するのです。それは罰を避けた人間には与えられることなく、全てを受けいれる勇気を持った人間にのみ与えられる、最後の救いでした。 もちろんラスコーリニコフは無傷ではすみませんでした。当人だけではありません。母は死に、妹、友人、恋人全員が傷を負いました。しかし、ドストエフスキーの、『絶望的な状況においても、殺人者は恢復できるのだ』というメッセージを見たとき、思わず涙してしまいました。 全体として難解で、読むのに大変な労力を必要とすると思います(私も何度も挫折しかけました)。しかしそれはドストエフスキーがいかに苦心して作り上げた小説なのかが私たちに伝わってくるからなのでしょう。読了後、私たちはみな納得できるはずです。罪は裁かれ、罰は救われる。 未読の方、ぜひ読んでみてください。 | ||||
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ピョートル大帝以後のロシアは、まさに「文明開化」の時代であり、 急速な西欧化が推し進められた時代であったと同時に、 そうした西欧化への反動が芽吹き始めた時期でもあった。 本来のロシア、「ロシアのアイデンティティー」を無視した形で行われた社会改革が 様々な齟齬を生み出していたわけである。 表向きの改革によって西欧的な「合理主義・理性主義」を享受し得たのは、 その実一部の「上層階級」だけで、 民衆の中には根強く「古いロシア」が残っていたと言われる。 いわゆる「スラヴ派」と「西欧派」の分裂の根がここにあると考えられる。 ドストエフスキーは、これらの折衷的な立場である、「土壌主義」を提唱したことで有名であるが、 その内容は「古いロシア(ギリシャ正教)にアイデンティティーを求めつつ、 西洋の思想、特に理性主義・合理主義に鋭いメスを入れる」というようなものであった。 『罪と罰』のラスコーリニコフを「理性主義による改革の権化」とし、 ソーニャを「回復すべきロシアのアイデンティティー」とするならば、 そうした彼の社会風刺・理性批判を読み取ることも可能であるだろう。 | ||||
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ピョートル大帝以後のロシアは、まさに「文明開化」の時代であり、 急速な西欧化が推し進められた時代であったと同時に、 そうした西欧化への反動が芽吹き始めた時期でもあった。 本来のロシア、「ロシアのアイデンティティー」を無視した形で行われた社会改革が 様々な齟齬を生み出していたわけである。 表向きの改革によって西欧的な「合理主義・理性主義」を享受し得たのは、 その実一部の「上層階級」だけで、 民衆の中には根強く「古いロシア」が残っていたと言われる。 いわゆる「スラヴ派」と「西欧派」の分裂の根がここにあると考えられる。 ドストエフスキーは、これらの折衷的な立場である、「土壌主義」を提唱したことで有名であるが、 その内容は「古いロシア(ギリシャ正教)にアイデンティティーを求めつつ、 西洋の思想、特に理性主義・合理主義に鋭いメスを入れる」というようなものであった。 『罪と罰』のラスコーリニコフを「理性主義による改革の権化」とし、 ソーニャを「回復すべきロシアのアイデンティティー」とするならば、 そうした彼の社会風刺・理性批判を読み取ることも可能であるだろう。 | ||||
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世界的文豪の代表作であり、その名前の有名さと長さから敬遠している方も多いと思います。 ですが、充分に「読んで面白い」作品ですし、それほど難しく考えずに読めると思います。 主人公が老婆を殺した動機うんぬんとか、理論と哲学が云々だとか難しく考えれば読み深めることは出来るのでしょうが、 必ずしもそれをしなくてはならないものでもないと思います。 個人的には、登場人物たちの対話を楽しむ読み方、ペテルブルグの下町の描写を楽しむ、 迫害された人間の苦しさを読みとる、ゆっくりと狂気にいたる仮定の描写を楽しむ。。。など色々な楽しみ方があると思います。 中でも物語後半のとある人物の葬儀(法要)の描写が最高に素晴らしいです。 かくありたいと願う本人の想いの空転と周囲の人々の振る舞いの不一致。 不幸ってこういうことだなと、思い知らされます。 なお、本作を読みづらくする要因の一つに登場人物の多さとその名前の長さがあります。 主要人物のみ下記に簡単にまとめましたので、ご参照ください。 何はともあれ、世界的文豪の代表作なので、話題の一つとして読んでおいて損はないと思います。 ということで★4つです。 <以下登場人物一覧> Aロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ (ロージャ):主人公。 Bアリョーナ・イワーノヴナ:高利貸しの老婆。Aに殺害される。 Cリザヴェータ・イワーノヴナ:Bの義理の妹。Aに殺害される。 Dアヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ (ドゥーネチカ、ドゥーニャ):Aの妹。 Eプリーヘヤ・アレクサンドロブナ・ラスコーリニコワ:AとDの母。 Fアルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ :Dを雇っていた家の主人。Dを誘惑。 Gマルファ・ペトローヴナ: Fの妻、故人。 Hドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(ラズミーヒン):Aの友人。Dに求愛 Iセミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ :飲んだくれの元役人。 Jカテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ :Iの妻。 Kソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ、ソーネチカ):Iの娘。Aと相愛 Lアマリヤ・フョードロヴナ・リッペヴェフゼル :I一家に部屋を貸している大家。 Mピョートル・ペトローヴィチ・ルージン ・・弁護士。:Dの婚約者でF,Gの親戚 Nアンドレイ・セミョーノヴィチ・レベジャートニコフ :役人。Mを間借りさせている。Kに思慕? Oポルフィーリー・ペトローヴィチ:予審判事。Aを追い詰める。Hの親戚。 Pゾシーモフ :医者。Hの友人。Aを診察する。 Qプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ (パーシェンカ):Aの下宿の大家。 Rナターリヤ・エゴーログナ:Aと嘗て婚約(故人。 Sナスターシヤ・ペトローヴナ (ナスチェンカ):Aの下宿の女中。 Tアレクサンドル・グリゴリーウィチ・ザミョートフ :警察署の事務官。Hの友人。 Uニコージム・フォミーチ:警察署長。 Vイリヤ・ペトローヴィチ:警察副署長。 Wニコライ:ペンキ職人。 | ||||
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世界的文豪の代表作であり、その名前の有名さと長さから敬遠している方も多いと思います。 ですが、充分に「読んで面白い」作品ですし、それほど難しく考えずに読めると思います。 主人公が老婆を殺した動機うんぬんとか、理論と哲学が云々だとか難しく考えれば読み深めることは出来るのでしょうが、 必ずしもそれをしなくてはならないものでもないと思います。 個人的には、登場人物たちの対話を楽しむ読み方、ペテルブルグの下町の描写を楽しむ、 迫害された人間の苦しさを読みとる、ゆっくりと狂気にいたる仮定の描写を楽しむ。。。など色々な楽しみ方があると思います。 中でも物語後半のとある人物の葬儀(法要)の描写が最高に素晴らしいです。 かくありたいと願う本人の想いの空転と周囲の人々の振る舞いの不一致。 不幸ってこういうことだなと、思い知らされます。 なお、本作を読みづらくする要因の一つに登場人物の多さとその名前の長さがあります。 主要人物のみ下記に簡単にまとめましたので、ご参照ください。 何はともあれ、世界的文豪の代表作なので、話題の一つとして読んでおいて損はないと思います。 ということで★4つです。 <以下登場人物一覧> Aロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ (ロージャ):主人公。 Bアリョーナ・イワーノヴナ:高利貸しの老婆。Aに殺害される。 Cリザヴェータ・イワーノヴナ:Bの義理の妹。Aに殺害される。 Dアヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ (ドゥーネチカ、ドゥーニャ):Aの妹。 Eプリーヘヤ・アレクサンドロブナ・ラスコーリニコワ:AとDの母。 Fアルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ :Dを雇っていた家の主人。Dを誘惑。 Gマルファ・ペトローヴナ: Fの妻、故人。 Hドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(ラズミーヒン):Aの友人。Dに求愛 Iセミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ :飲んだくれの元役人。 Jカテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ :Iの妻。 Kソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ、ソーネチカ):Iの娘。Aと相愛 Lアマリヤ・フョードロヴナ・リッペヴェフゼル :I一家に部屋を貸している大家。 Mピョートル・ペトローヴィチ・ルージン ・・弁護士。:Dの婚約者でF,Gの親戚 Nアンドレイ・セミョーノヴィチ・レベジャートニコフ :役人。Mを間借りさせている。Kに思慕? Oポルフィーリー・ペトローヴィチ:予審判事。Aを追い詰める。Hの親戚。 Pゾシーモフ :医者。Hの友人。Aを診察する。 Qプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ (パーシェンカ):Aの下宿の大家。 Rナターリヤ・エゴーログナ:Aと嘗て婚約(故人。 Sナスターシヤ・ペトローヴナ (ナスチェンカ):Aの下宿の女中。 Tアレクサンドル・グリゴリーウィチ・ザミョートフ :警察署の事務官。Hの友人。 Uニコージム・フォミーチ:警察署長。 Vイリヤ・ペトローヴィチ:警察副署長。 Wニコライ:ペンキ職人。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作、といえばやはりこれに落ち着くと思います。 内容的にはもっと壮大なスケールのものや、一つのトピックに特化してより深く人間性を掘り下げた作品もありますが、小説としての読みやすさ、インパクトの強さ、テーマの明瞭さ、後味の良さなどから言ってもやはり“罪と罰”はドスドフスキー一世一代の傑作にして、“世界文学”の中でも他を圧する強烈な存在感を放っている作品だと思います。 この新訳なら高校生くらいの読者でも十分ついていけるはずです。 思想小説、犯罪小説、などなどいろいろな読み方ができる作品ですが、普段あまり表面には出てこないもう一つの青春像を赤裸々に表現した物語として、現代にそのまま通じる普遍性を持っています。 青春とは甘美なものであり、二度と戻らない人生の春であり、全てがきらきらと輝いている夢の時期であるーというのが巷に流れている“青春”のイメージですが、実際にはこの時期、人間はいろいろな不安を抱え、自尊心とコンプレックスの中で苦しみ、見え始めてきた社会の醜さに戸惑い、実りなどなにもないーという側面も持っているのではないでしょうか? 少なくとも私はそうでした。 中にはこの時期に受けた傷や失望感などを生涯にわたって引きずっていく人も少なからずいるでしょう。 作家でもない限り、そういう様な複雑な心情は表現の仕様がなく、みんな痛みを隠しながら日々の忙しい生活の中に埋没していくのが現代社会ではないでしょうか? ラスコーリニコフという、19世紀の著名でもなんでもない一人のロシアの若者の物語が21世紀になってもこれほどまでに読まれているのは、ここに”決して人には語れないもう一つの青春”そのものが描かれているからだと思います。 | ||||
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Je n'aime pas de livres sur ma page! Gackt! Descartes | ||||
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Je prefere Gackt. Descartes | ||||
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罪と罰には、いま簡単に手に入るものでは、江川訳(岩波)、工藤訳(新潮)、 亀山訳(光文社)の各文庫がありますが、いずれも所有していて、江川訳は、 ここのレビューが高評価なので求めたものです。 じつは、恥ずかしながら、工藤訳では若きころに挫折をしていて、 ついこのほどカラマーゾフの兄弟をめでたく(?)、亀山 訳によってではありますが完読したので、亀山訳を手に入れたのです。 で、亀山訳を途中まで読んだんですが、工藤訳のような雰囲気が 感じられず、亀山訳だと確かにすらすら行くんですが、 その辺がちょっと疑問でした。いいのか、ほんとにこれで、と。 改めてAmazonで見ると、江川訳がいいみたいで、しかも、 江川訳で読めば、謎解き「罪と罰」も絶対楽しく読める、と思い、 散財ですが、結局3訳が揃ってしまいました。 前置きが長くてすいません、中身は、いろんなところであらすじが 紹介されていますし、一番興味深いところ等はレビュー で書くのも気が引けますし、やはり私自身も一番気にした読みやすさ、 という点に絞ると、全く問題なく読めます!!字も結構大きいし、 老眼気味でも大丈夫だし、言葉も極端に古くさくはないですね。 むしろある程度の古さは時代を映してそれも雰囲気だと思います。 問題の、例えば、ロジオン・ロマーヌイッチ!と、「ラスコーリニコフ」 を呼びかけるというロシア小説の父称の難しさも実は慣れてしまえば、 何でもないですし、これを丁寧な呼びかけだからといって、 ラスコーリニコフさん、という風にするのは、意味としては同じでも 字面から受ける印象が違って、味消しなようにも思います。 2週間ばかりかかって全三冊を読みましたが、次に読む本がどれも 物足りなく感じるくらいの圧倒的存在感と読後感は絶対保証ですね。 20代のころに読んでおけば、読書人生が変わるんでしょうねぇ。 | ||||
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この下巻は、実に鮮やか。 人間の描かれ方、彼らの言動、そして心の動き、 どれを取っても、貧しい描写がないですね。 前半までに抱いていた登場人物に対する印象を 変える場面がふんだんにあって、物語の力を 味わいながら、結局どうなるの?というところまで すっごい太い綱で引っ張られる感じで一気に行きました。 上巻を乗り切れば、中を越えていくのは容易ですし、 下に入ってしまえば、終わるのが残念という あの気分が待っています。 そして、次に読む本が見つからなくなります。 結局、また長いドストエフスキーの小説に手が伸びる という中毒になりますね。 | ||||
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初めて読んだのが35年前、高校生の時でした。あまりの衝撃に読むのを止められず、睡眠時間を削って2日で一気に読みました。その後、ドストエフスキーの作品は全部読みました。その中でも「罪と罰」は「地下生活者の手記」と並んで大好きな作品です。今でもよく読み直します。 僕がドストエフスキーから学んだのは、思想・哲学とは「解析」するものではなく「体験」するものである、ということです。多くの場合、思想家・哲学者は思想を体系的に理論化・構造化して説明しようとしますが、ドストエフスキーは思想・哲学とは客観的・第三者的に外から「説明」するものではなく、自らがその中にどっぷりつかって「体験」するものであること教えてくれました。主人公の意識の流れに身を任せて、一緒になって流れを体験することの重要性です。そうでないと本当の意味での本質には近づけない。 ラスコーリニコフが「理屈で正当化して」金貸しの老婆を殺害するときの意識の流れと、その直後にたまたま居合わせてしまった老婆の妹を「理屈でなく」殺害する時の意識の流れのコントラストは凄い。結局、理屈で考えて行動しても、偶然(居合わせた妹)に翻弄されて理屈も崩壊してしまうという現実の迫力。犯行後、橋の上からコインを川に投げ捨てて、自らを「すべてのもの」(自分を愛してくれている母親や妹)から切り離す時のラスコーリニコフの意識。でも結局は愛する者と自分を切り離すことはできないという現実。ラスコーリニコフがソーニャに殺人を告白する時の両者の心理描写の凄さ。家族のために自らの尊厳を捨てて娼婦に身を堕としたソーニャが唯一の拠り所としている信仰を「理屈」で踏みにじるラスコーリニコフ。ところがソーニャは「理屈」ではなく「心理」で反応する。ソーニャは「理屈」で信仰を踏みにじられても傷つかない。ラスコーリニコフの空しい「理屈」には惑わされない。むしろいかにラスコーリニコフが苦しんでいるかを「心理」で感じて救おうとする。 当時、数学と物理学が大好きで「論理」の信奉者だった青臭い高校生だった僕には頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。論理というレンズだけで見ることがいかに視野狭窄症であるかを思い知らされた本です。その後の僕の人生観を変えた一冊です。 ちなみに、大学は工学部に入りましたが、ドストエフスキーを原文で読みたくて、第一外国語は迷わずロシア語を履修しました。幸運なことに当時大学でロシア語を教えていたのは江川卓先生でした。もっとも「江川卓」は訳者としてのペンネームで、大学では本名の馬場宏先生でした。50歳を過ぎた今、まだまだ頼りないロシア語ですが、原文での読破に挑戦中です。 | ||||
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ソフィアの審判はこのいたいげな青年を絶望すら超えた苦痛からすくい上げる。 殺人鬼を畝へと帰還せしめたのはこの娼婦たらざるえなかった王女なのである。 我がドストエフスキーは見事運命の一側面描き出し救済を明晰にした。 下巻はまさに音楽的で読者を退屈させることは絶対にありません! 是非御一読を! | ||||
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