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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全425件 261~280 14/22ページ
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Je n'aime pas de livres sur ma page! Gackt! Descartes | ||||
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Je prefere Gackt. Descartes | ||||
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罪と罰には、いま簡単に手に入るものでは、江川訳(岩波)、工藤訳(新潮)、 亀山訳(光文社)の各文庫がありますが、いずれも所有していて、江川訳は、 ここのレビューが高評価なので求めたものです。 じつは、恥ずかしながら、工藤訳では若きころに挫折をしていて、 ついこのほどカラマーゾフの兄弟をめでたく(?)、亀山 訳によってではありますが完読したので、亀山訳を手に入れたのです。 で、亀山訳を途中まで読んだんですが、工藤訳のような雰囲気が 感じられず、亀山訳だと確かにすらすら行くんですが、 その辺がちょっと疑問でした。いいのか、ほんとにこれで、と。 改めてAmazonで見ると、江川訳がいいみたいで、しかも、 江川訳で読めば、謎解き「罪と罰」も絶対楽しく読める、と思い、 散財ですが、結局3訳が揃ってしまいました。 前置きが長くてすいません、中身は、いろんなところであらすじが 紹介されていますし、一番興味深いところ等はレビュー で書くのも気が引けますし、やはり私自身も一番気にした読みやすさ、 という点に絞ると、全く問題なく読めます!!字も結構大きいし、 老眼気味でも大丈夫だし、言葉も極端に古くさくはないですね。 むしろある程度の古さは時代を映してそれも雰囲気だと思います。 問題の、例えば、ロジオン・ロマーヌイッチ!と、「ラスコーリニコフ」 を呼びかけるというロシア小説の父称の難しさも実は慣れてしまえば、 何でもないですし、これを丁寧な呼びかけだからといって、 ラスコーリニコフさん、という風にするのは、意味としては同じでも 字面から受ける印象が違って、味消しなようにも思います。 2週間ばかりかかって全三冊を読みましたが、次に読む本がどれも 物足りなく感じるくらいの圧倒的存在感と読後感は絶対保証ですね。 20代のころに読んでおけば、読書人生が変わるんでしょうねぇ。 | ||||
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この下巻は、実に鮮やか。 人間の描かれ方、彼らの言動、そして心の動き、 どれを取っても、貧しい描写がないですね。 前半までに抱いていた登場人物に対する印象を 変える場面がふんだんにあって、物語の力を 味わいながら、結局どうなるの?というところまで すっごい太い綱で引っ張られる感じで一気に行きました。 上巻を乗り切れば、中を越えていくのは容易ですし、 下に入ってしまえば、終わるのが残念という あの気分が待っています。 そして、次に読む本が見つからなくなります。 結局、また長いドストエフスキーの小説に手が伸びる という中毒になりますね。 | ||||
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初めて読んだのが35年前、高校生の時でした。あまりの衝撃に読むのを止められず、睡眠時間を削って2日で一気に読みました。その後、ドストエフスキーの作品は全部読みました。その中でも「罪と罰」は「地下生活者の手記」と並んで大好きな作品です。今でもよく読み直します。 僕がドストエフスキーから学んだのは、思想・哲学とは「解析」するものではなく「体験」するものである、ということです。多くの場合、思想家・哲学者は思想を体系的に理論化・構造化して説明しようとしますが、ドストエフスキーは思想・哲学とは客観的・第三者的に外から「説明」するものではなく、自らがその中にどっぷりつかって「体験」するものであること教えてくれました。主人公の意識の流れに身を任せて、一緒になって流れを体験することの重要性です。そうでないと本当の意味での本質には近づけない。 ラスコーリニコフが「理屈で正当化して」金貸しの老婆を殺害するときの意識の流れと、その直後にたまたま居合わせてしまった老婆の妹を「理屈でなく」殺害する時の意識の流れのコントラストは凄い。結局、理屈で考えて行動しても、偶然(居合わせた妹)に翻弄されて理屈も崩壊してしまうという現実の迫力。犯行後、橋の上からコインを川に投げ捨てて、自らを「すべてのもの」(自分を愛してくれている母親や妹)から切り離す時のラスコーリニコフの意識。でも結局は愛する者と自分を切り離すことはできないという現実。ラスコーリニコフがソーニャに殺人を告白する時の両者の心理描写の凄さ。家族のために自らの尊厳を捨てて娼婦に身を堕としたソーニャが唯一の拠り所としている信仰を「理屈」で踏みにじるラスコーリニコフ。ところがソーニャは「理屈」ではなく「心理」で反応する。ソーニャは「理屈」で信仰を踏みにじられても傷つかない。ラスコーリニコフの空しい「理屈」には惑わされない。むしろいかにラスコーリニコフが苦しんでいるかを「心理」で感じて救おうとする。 当時、数学と物理学が大好きで「論理」の信奉者だった青臭い高校生だった僕には頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。論理というレンズだけで見ることがいかに視野狭窄症であるかを思い知らされた本です。その後の僕の人生観を変えた一冊です。 ちなみに、大学は工学部に入りましたが、ドストエフスキーを原文で読みたくて、第一外国語は迷わずロシア語を履修しました。幸運なことに当時大学でロシア語を教えていたのは江川卓先生でした。もっとも「江川卓」は訳者としてのペンネームで、大学では本名の馬場宏先生でした。50歳を過ぎた今、まだまだ頼りないロシア語ですが、原文での読破に挑戦中です。 | ||||
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ソフィアの審判はこのいたいげな青年を絶望すら超えた苦痛からすくい上げる。 殺人鬼を畝へと帰還せしめたのはこの娼婦たらざるえなかった王女なのである。 我がドストエフスキーは見事運命の一側面描き出し救済を明晰にした。 下巻はまさに音楽的で読者を退屈させることは絶対にありません! 是非御一読を! | ||||
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下巻ですがスビィドリガイロフをやや後半部分から出場しているのですが… 何故に… 下巻及び全作品道して駄作扱いになるキャラクターを何故に後半部分に持ってきたのか解らぬ! ただペトロービッチの演出やエピローグのラスコーリニコフとソーニャのやり取りが全体のフォローをしているので少し救われた。 解説で二度三度読み替えそう…と記されているが私はイヤである | ||||
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中巻ですがとにかく後半部分まで我慢かも知れないです。 楽しみとしたらルージンの所と、ラスコーリニコフがペトロービッチの元へ行った所ですか… | ||||
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緊張感ある素晴らしいサスペンス作品でした。 ロシア文学と評されていますが、個人的にはサスペンスではないかと思いました。 心の機微がとても分かりやすく、主人公が犯行に及ぶシーンは自分もドキドキしました。 そしてその罪悪感は胸に残ります。 読書、なかでも古典となると勉強という印象を受けますが、 当時は娯楽のひとつだったようですから面白くて当然かもしれませんね 昨今のアニメでも本作のキャラクター名や演出を見受けますので、 是非オススメしたい作品です。 | ||||
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結局の所、人間の懊悩、苦悩、生、死、思想、宗教・・・直下的思考しようが・・・矛盾から解放される事無く、もがき苦しむだけ。そしてドストエフスキーはこちらの作品だけでなく、作品を通じ<自問自答>を繰り返し死んで行く。これぞ人生そのもの。永遠の苦悩のリフレイン。死して無になる。で私が生まれ、ドストエフスキーを読み、また答え出ず苦悩し・・・いづくえに・・・死へ・・・ 天国は人間の幻想世界であり無であり、地獄こそ<灯台もと暗し>ここ今私がいるこの刻。 かもね 笑 | ||||
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長編小説に慣れていない方、初心者の方は「ワンクッションの為よその作品で慣れる」がまず間違いないです。 私的に金貸しの婆さんの殺害の前後がひとつの盛り上がりヶ所と想っています。 此処まで読むとこの上巻は完読できます。 | ||||
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社会から隔絶し、自分の頭の中で増殖させた論理に引きずられて殺人に踏み込む青年ラスコーリニコフ。その運命と再生への物語。 本人の再生を促すのは、母と妹そしてソーニャの、ラスコーリニコフを一心に思う心情である。 特に、自首に先立って描かれる彼と母親の再会の場面は胸を刺す。息子が心配で胸が張り裂けそうになりながら、不安と疑惑とそれ でも息子を信じたい気持ちの中で、自らに言い聞かせるように、繰り返し「お前を信じている」と語りかける母の姿。 ラスコーリニコフは肉親の無償の愛の重みにまだ気付かないまま、「なぜこんな自分をここまで大切にしてくれるのか」と何度も 呟く。 シベリア送りのあとに彼の目に映る風景、ソーニャと囚人仲間の心の交流、母の死の報せ・・・・。彼の耳に残り、目に残る生活の断片 が少しづつ心に堆積し、彼は人間のあり方、人間社会のあり方に目を開かれていく。そして、真の改心と再生への涙を流す。 この後も、「悪霊」や「カラマーゾフの兄弟」で繰り返し問われ続けるテーマが、ここではラスコーリニコフという特異な一青年の運命に 託して感動的に描かれている。日々の生活の中にあるさりげない人間の営みや心情、ここにドストエフスキーは人間の真実を見ようと している。 | ||||
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ドストエフスキーの作品の中で、おそらく最も知られている作品だろう。彼の作品は幾つか読んできたが、中でも理解しやすく読みやすい作品だと思う。物語としてはいたって単純であるからだ。高利貸の婆さんを主人公が殺した。ついでにもう一人の、関係ない女も現場を見られたという理由で殺してしまうのだが、そのあと貧乏なのに綺麗な心を持った女性と出会い、彼女の清い心に感銘して、己の犯した罪に苛まれるという、要は罪に苛まれて苦しむ男の物語だから、話自体はとても理解はしやすい。ドストエフスキーの他の作品のように、ある意味で執拗に神や宗教といった問題に深くのめりこんでいくこともないので、なおさらだろう。 ドストエフスキーを最初に読むのならこれに限る。少なくともいきなり「カラマーゾフの兄弟」に手を出すよりはずっと楽だ。これでドストエフスキーがどのような作家なのか、どのような書き手なのかというのがよくわかると思う。恋愛要素も詰まっているし、そこに焦点を据えて読んでみるのもいいかもしれない。一見して重苦し題名だが、中身の方は案外あっさりしている。 新潮か岩波とあるが、私が読んだのはこっちだったので、こちらにレビューしただけで、どちらにするかは自身の感覚にあったほうを選んだほうがいいと思うが、私がこちらを読んだときは、実に読みやすかったのを覚えている。 | ||||
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大学の時以来30年ぶり位の再読でしたが、当然ながらストーリー展開や登場人物はほとんど覚えておらず初読といってもいい感じでした。 この半年ほどでドストエフスキーの五大小説と言われているものを通読しましたが、ストーリー展開が絶妙で一番小説として読みやすいのはこの「罪と罰」。 ただし外見は推理小説としても通用しますが書かれている人物や内容はやはりドストエフスキーならでは。 罪を犯したラスコーリニコフが、捕まる恐怖に常軌を逸した発言や行動をしてしまうところがリアルに身に迫ってきます。 ラスコーリニコフは結局ソーニャの勧めに従う形で、半分納得しかねるまま自首しますが、エピローグでそれがやはり正しい決断だったことを理解します。 信じられないほど卑劣な方法でソーニャを陥れようとしたルージンや、女性をほとんど道具としてしか扱わないスヴィドリガイロフの方が、ラスコーリニコフよりも本質的に罪深く、彼らは仮に監獄へ入れられたとしても同じような再生はおそらく難しい。 ドストエフスキーの小説を読んでいると、人間は様々、人生は必然と偶然でできあがっている…ということをいつも思ってしまいます。 | ||||
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主人公が自分は神だから殺してOKと思い込んでいるのだけど、自分は単なる人の子じゃん殺しちゃったよ、という過程を事細かに書いています。 たぶんそんな話です。 知っての通り長いです。 同一人物に対して呼び方が沢山あって、紙に名前を書かないと混乱します。 描写が長いうえ、主人公の考えについていけず、だんだんよく分からなくなります。 それに耐え数回読むと、だんだん気持ち悪く感じます。 さらにもう数回読むと、主人公にそこそこ同調できるようになります。 するとどうしようもない気分になれます。 そんなどうしようもない気分になりたい時にお勧めです。 星5つ。 | ||||
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いろんな出版社からいろんな翻訳で出てますが、ぼくは『罪と罰』をこれで初めて読みました。こんな重いタイトルだし、しかも全三冊だしと、さぞかし読むのも時間がかかるだろうと思っていたのだけれども、いざ読み始めるさらっと読めてしまうじゃありませんか。まず翻訳がすばらしい。わかりやすくて、テンポがいい。100年前のことなのに、今のように感じられる言葉遣い。注釈もすばらしい。わからない単語の説明はもちろん、舞台となるペテルブルグの詳細な地図や、背景となる時代や宗教や物価まで丁寧に解説してくれている。さらに、目の離せない物語の展開が、読むスピードをぐいぐいと早めてくれる。もう、マンガ読んでるみたい。浦沢直樹の『 MONSTER』ぐらいどんどん読み進めていったもんね。推理小説、犯罪小説というのは、読んでいる間は楽しいのだけれども、読了後は何も残らないと、いうことが多いのだけれども、さすがは、ドストエフスキー、読んだ後に「人間とは何か?」「愛とは何か?」的な考察しちゃいますよね、もう、それは、純文学並に。『罪と罰』が読み継がれ、名作とされているのは、この娯楽小説でもあり純文学であるそのバランスが見事からじゃなかろうか。最後に手塚治虫の言を。「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」と。 | ||||
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思い立って全3冊を購入し、年末年始休みを利用してとりあえず第1巻を読了した。遥かな昔に一度は読んだはずだが、当時は工藤精一郎氏が訳した新潮文庫版(だったか?)で、今回は活字の大きな、亀山郁夫氏の光文社古典新訳文庫。ロシア文学好きなら誰もが知っている外形的なストーリーはともかく、プロットの組み立て、登場人物の呆れるばかりの饒舌、酒臭さと生臭さが漂う夏のペテルブルクの雰囲気など、確かにかつて触れた世界だと懐かしみながら、陶然と読み終えた。陶然と、という形容はドストエフスキーには合わないが、他に言いようがないので。さて、第2巻へ。 | ||||
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中学生でも楽しめる、でもどんな大人も完全に理解することは難しい、そんな奥の深い作品です。 ジャンルは何?と聞かれると困ってしまいますね。 僕なら、結構考えて、あえて恋愛と答えると思います。 でももう1回読むとまた印象が変わってしまうかもしれません。 そういうそこの見えない深さがあります。 | ||||
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主題やテーマに関しては他の人がこれでもかというぐらい書き込んでいるので私はあえて書かない。私は決して小説を読まない人ではないが、やはりこれだけ重厚な文章にされると身構えてしまう。しかし、ひとたび活字の渦に飲み込まれてしまったら、足が抜け出せなくなる。いや、気が付いたら腰まで闇の泥にはまっていた。上巻、母からの手紙。長い、長すぎる。私の読解力ではそこに至るまでで数時間を要していたところに、あの大量の母からの一方的な手紙。私はいったん本を閉じて、翌日の仕事を済ます。帰りの新幹線の中、再び本を開いた。そして母の手紙を一字一句追いかけていった。気が付けば、自分はその手紙を読みながら主人公の気持ちを追いかけていた。10ページ以上にも及ぶ母の手紙を終え、そのあとの主人公の行動。わたしも、読み終えた瞬間に嫌な笑いと同時に指定席を立ちあがっていた。ああ、俺、いま、ラスコーリニコフになってたんだ、って思った。目的駅の近くまで新幹線が来たとき、凶行に及ぶ場面だった。吐き気がした。身体が動かなかった。でも、それもありだよなと思った。立ち上がるとき、本当に腰が抜けた。ああ、こんな、物語があるのかと、思い知った。 | ||||
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僕は最初からずっとラスコーリニコフは自分に思考回路が似ていると思って読み進めた。それは誰にも心を許せない猜疑心だと思う。 最終的にラスコーリニコフは、何に救われたのか。それは生活のなかに未来を見れるようになったということ。そうそれだ。毎日の生活を送るなかで、未来を見たときに希望を見いだせること。その中に、ソーニャの果たした意義は大きい。ずっといてくれるということと、逆にずっといてあげるということ。これは重い責任であり、それこそが未来への希望だ。このつながりこそが未来への希望だと気付いたということにラスコーリニコフは救われた。 | ||||
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