■スポンサードリンク
罪と罰
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全440件 201~220 11/22ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作で最も印象的な登場人物は?と聞かれたら多くの人が 独特のニヒリズムを持つ謎の男、スヴィドリガイロフと答えるでしょう。 悪役でありながら後半は主人公の一人と言っても過言ではありません。 よほどの観察力や人生経験が無いとこのようなキャラは生み出せないでしょう・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やっと読み終わった。これ1冊読むのに、新書だったら5.6冊読めていたんじゃないだろうか。下巻にもなると文体にも少し慣れてくる。 きっとこの経験が、今後の読書の糧になることを切に望みます。 (本書を読んだ後に別の本を読むと、ページが進む進む) 本書が19世紀中ごろに上梓されたと知って、「なるほど、それは世界の名作に受け継がれ続けるわけだ」と確認した(しないと、この苦労を昇華できなかった。苦笑)ロシアの荒廃した街の雰囲気、登場人物たちの思想、行動など、当時の様子がありありとわかるのも歴史的価値が高い。 さらに、ドストエフスキーで一番評価されているのが彼の“リアリズム”。読む前は予想できなかったけれど、確かに彼の描く、人間の内実をえぐりだすような表現の“リアリズム”は、現代でも体現できる小説家は少ないんじゃないだろうか。さらに、その表現方法が当時(19世紀中ごろ)に行われていることにも驚いた。畢竟、ラスコーリニコフは自首するんだけれど、その過程や、殺人を犯したときの自己内省は、現代でも難しそうな心境を可能な限りに書ききっているのには迫力があった。 あと、『カラマーゾフの兄弟』(全3巻)が待っている修業は続く。 ───「ぼくたちは別々な人間だねぇ、ソーニャ、ぼくはいまになってはじめて、いまやっとわかったんだよ、昨日きみをどこへ連れて行こうとしたのか?昨日、きみを誘ったときは、まだ自分でもどこへ行くのかわからなかった。きみに見すてられたくない、ただその一心できみを誘い、ただその一心でここへ来たんだ。ぼくを見すてないね、ソーニャ?」(p.246) 著者:ドストエフスキー 発行:S62.6.5 – H5.2.25 14刷 読了:2015年/116冊(10月/01冊)★3.8 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文学に疎い人でも十分楽しめるので、とやかく言わず読むと良い。 しかもそれが文学史上、名作中の名作なのだから、読まずしてどうするのか。 著作を完璧に読み込もうとするならば書かれた時代の歴史情勢や信仰の理解は欠かせないが、その知識はヨーロッパの歴史を理解する上である意味普遍的でもあるため、ヨーロッパの歴史を学ぶきっかけをくれる作品でもあると思う。 繰り返すようだが、それら知識がなくても十二分に楽しめる。 ちなみに、ドストエフスキーの作品を読んでしまうと他の作品に手をつけるのが億劫になる。 結局私も後期5大長編をすべて読んでしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ほんは分厚くながいですが、初めての世界名作です。 とてもいい作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分が生まれた年に上梓された本、運命的なものを感じながら読む。 これが“修業”に他ならなかった。改行はほとんどない、文体は慣れるのに時間がかかる、登場人物の名前が長く区別が難しい、ページ数も多く、文字のポイントもなかり小さい。漂う雰囲気は感覚的に、村上春樹とJ・D・サリンジャーを足して2で割ったような印象でした。 読むスピードが普段の1/8倍くらいになって、すごく時間がかかった。 8割くらい読んで、やっと大きな流れが分かってきて、ラスコーリニコフ(主人公)の心情の変化、性格の根底にあるものが垣間見えてきた(特にラスコーリニコフの書いた犯罪心理学の論文が紹介されるあたり)。 キィワードである「罰」に関しても、暗示的にちらほらと小出しにされるくらいで、まだまだドストエフスキーの本気が見えてこない。 下巻は「楽しみ」というより「挑戦」という気概の方が大きい(苦笑) ───「彼が甘い汁を吸っているのを、ぼくがほめたとでもいうのか?ぼくは、彼は彼なりにいいところがあると言っただけだ!実際、どこから見ても非の打ちどころのないなんて人間は、何人もいたしないよ!正直なところ、僕なんか臓腑ぐるみすっかりひっくるめても、焼いた玉ねぎ一個くらいの値打ちしかないだろうな、それもきみもおまけにつけてさ!」「それは少なすぎる。ぼくならきみに玉ねぎ二つ出すね」(p.229-230) 著者:ドストエフスキー(19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠) 発行:S62.6.5 – H18.6.10 50刷 読了:2015年/112冊(09月/08冊)★3.4 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
訳者の亀山氏はロシア語、ロシア文学研究の大家のようで、巻末の解説を読むと「ここにはこういう意味が隠されている」「文面をなぞるだけではこの作品は理解できない」「当時のロシアの宗教を理解していないと・・云々」知ったかぶりのオンパレードで、うんざりします。ドストエフスキーも読者に謎解きさせるつもりで本を書いている分けではないでしょう。読んだ人それぞれに、感じることはあるはずです。日本人だって日本の宗教なんかろくに理解していませんが、日本文学は楽しめますよ。文章ごとに無理やり答えをさがすような読み方して、疲れないのかなと思います。それ故、原文にないような恣意的な訳し方をしていると批判されるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公のラスコーリニコフが殺人を犯したのがわかり読んでてハラハラしました。 ロシアの法律は厳しいとの認識をしていましたが、おかしな行動をとる主人公から目が離せなくなりラズ―ミヒンやゾシーモフが本気で心配しているにもかかわらず相も変わらずふてぶてしいラスコーリニコフに感情移入ができました。 でもやはり最初が知りたくて上巻から読みたかったですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
(ありがとうございます。 畏れ多いですが微細でも参考になればうれしいです。 ) 青春の若き日の悩みは、果て無い。 この書は、それを癒してくれる書物の内の一冊(「ジャン・クリストフ」や「学生に与う」などと共に。 )。 青年の心の成長を描く教養小説であり、殺人事件を解明していく推理小説であり、殺人者と娼婦の恋愛小説である。 傷ついている限界状況人たちの霊的リアリズムを描く深層心理小説である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説ほど、読んでいて頭に映像が浮かんだものはかつてなかった。 映画のように読みながら頭の中を駆け巡り、そして感動のラストへ。 今の日本の閉塞的な若者も読んでみたらいいかも。 何か得るものはあると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
たぶん3回目の読書です。 直前にトマピケティの「21世紀の資本」を読みました。 以前は貧乏学生の苦悩という様に読んでいたような気がします。 今回はラスコーリニコフやマラメラードフの窮状と何もせず遊んでいる地主階級の対比などもよりリアルに感じながら読むことができました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
学生時代に一回読んだだけなのですが、微かな記憶を頼りに本の内容を乱暴にまとめると(ネタバレ注意) 主人公のラスコーリニコフが「自分は天才だから何をしても許される」ていう厨二病じみた妄想に取り憑かれて、金貸しの老婆とその妹を斧で殺す。殺人を犯した当初は、それを自分の中で正当化してたけど、娼婦のソーニャに諭され罪を認めて自首する。 というような話だったと思います。 僕もラスコーリニコフのような考えを持っていた時期があったので、その当時は凄く共感出来ました。 (流石に斧で人を殺そうと思ったことはありませんがww) 人間誰しも「僕は何でも出来る、本気出していないだけ」「ひょっとして俺は天才かも」と自分の才能を過信して止まない痛々しい時期があるものです。 そういうような時期の真っ只中に生きている学生の方なら「私はラスコーリニコフだ!」と主人公に共鳴出来るかも....... 他の方が何やら難しい言葉でレビューを書かれていますが、ストーリー自体はアホみたいな感想しか書けない僕でも理解出来ますw 興味があるけど難解そうで手が出せない、という人はそういうことを一切気にせず一度読んでみることをお勧めします。 本を読んでどう思うかはその人次第、と言いますけど罪と罰が名作であることは間違いありません | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みやすい さすがは世界の亀山モデル 学問としてだけではなく 娯楽としても十分楽しめる 批判を受けることもわかった上でのこの 訳 なのでしょう | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「何かを失えば、その分必ず何かを得る。 何かを得れば、その分必ず何かを失う。」(エマーソン)。 大義の為には、小義を犠牲にしてもって、『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル 著:早川書房)に通じる。 人間とは、かくも愚かなり。 払った代償に対し、失うモノは大きい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
問題なし 何回評価すればいいのですか ああああああああああいいいいいいいいいい | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
問題なし何回も評価させないで ああああああああああいいいいいいいい | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これはギャグでそして文学だと思います。深く笑いながら読めるのではないでしょうか。 基本的に登場人物は駄目人間と言えそう。 マザコンかつシスコン過ぎて思想の矛盾に突き当たった主人公、深い洞察でもって家族を苦しめるアル中オヤジ、昔の栄光にしがみついて上品に振る舞うその妻、女に飼われている悪の権化等々… それらダメ人間が超魅力的に描かれているのですからすっごい。 著者の様な人間観を持てたら、と憧れずにはおれませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
と思います。読みづらい本です。 登場人物の名前もなんだかいろいろと呼び名があって慣れるまでは分かりづらい。 ですが、内容は文句なしに素晴らしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
古典であると同時に、第一級の犯罪小説。ストーリーは他のレビューなどにも書いてあるので、ネタバレにならないと思い、本レビューに必要な範囲で書くが、主人公のラスコーリニコフ(学生)は、殺人を論理的に正当化し、その標的として金貸しの老婆を選び、実行する。そのときに、偶然居合わせた老婆の妹も成り行きで殺してしまい、罪の意識にさいなまれる…といったもの。こう書いてしまうとそっけないが、検察官(注:主人公とヒロインの名前しか覚えていないので、その他の登場人物の名前は省略)が主人公を次第に追い詰めていき、読んでいるほうは、「検察官がどこまで確証を得ているのか、いつ逮捕するのか」とハラハラドキドキさせられる。それと並行して、主人公の妹と金持ちで中年のストーカー(?)との対決、主人公と娼婦のソーニャとの恋(といっても恋愛話らしい話ではない)など複数のストーリーが展開されていく。 ドストエフスキーの小説は、文庫本になっているものはほとんど読んだが、この『罪と罰』に出てくる主人公が一番強烈で、小説の冒頭では、主人公が、自分の住まいから金貸しの老婆の家までの距離を歩数で数えている場面が描かれる。老婆を殺害するためのリハーサルであり、抜け目なさ、完璧主義、神経質という印象を受ける。 そして、「一人の老婆を殺し、奪った金で大勢の人が助かるのであれば、実行すべきだ」という考えのもとに、計画を綿密に立てて殺人を実行する。 このように書くと冷徹な人間のように思われるが、一方で、火事になった家から子供を救い出したり、家族からは慕われていたりして、悪い奴ではない。 また、学生としては優秀だが、金もなければコネもない。屋根裏部屋に下宿し、貧しくて食事もろくにとっていない。「天井の低い部屋は精神を圧迫するよ!」と、一人のたまう。 そして、常にくさくさしている。 たとえば、くさくさしているときに、「もっとくさくさしてやれ。」と言って、あえて街中の人ごみのほうに向かっていく。また、唯一の友人を街中の人ごみの中で見かけたときに(話すのが面倒くさくて?)気づかないふりをして、友人のほうもそれに気づいて、見て見ぬふりをする。(読んでいるほうは「なんなんだ、こいつらは。知り合いなら一言くらい、声をかけろよ。」と思わされたりする。) こんな調子でありつつ、検察官と一歩も譲らない対決をしている中で、貧しいがゆえに家族を養うために娼婦になったソーニャに出会い、その優しさにふれて、次第に主人公は変わってゆく。どう変わってゆくか、また、逮捕劇の結末は、小説を読んでのお楽しみ。 小林秀雄の批評が的を得ている(し、なんか、かっこいい)ので、以下、引用する。 「これは、いかに生くべきかを問うた、ある『猛り狂った良心』の記録である」「ただ『葦(あし)』であるには『考え』がありすぎ、ただ考えるには葦でありすぎる」「ラスコーリニコフの影は、一切の人間的なものの孤立と不安を語る異様な背景を背負っている。・・・聞こえる者には聞こえるであろう。『すべて信仰によらぬことは罪なり』(ロマ書)と」 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
皆が言うほど良い作品なのでしょうか? 色々な本を読んできましたが難解というより混乱します。 まず一人の人物に対して複数の名前があり新しく登場した人物なのかと思う箇所があります。 また、異常な性格の登場人物が多いためか会話が噛み合っていない場面もあります。 何とか読み終わりましたが、登場人物が多いのか出てくる名前が多いのかわかりませんが「イリアス」やギリシャ神話を初めて読んだ時の混乱を思い出しました。 読解力のないであろう私にとっては「神曲」以来の苦行となりました。 哲学書だとしても脱線が長過ぎます。 やはり小説は楽しくなければならないと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現代という時代は、マスコミや出版業界の商業主義一直線の姿勢や、似非翻訳者、似非研究家のエゴによる知名度や名誉欲しさに、偉大な作品が捏造され、その価値が貶められている。 亀山郁夫氏のやっていることは、偉大なドストエフスキーを飯の種にしているだけであって、ドストエフスキー文学の理解も解釈もまったく乏しい、むしろ冒涜している、作品の価値を貶めているとしか思えない点が多く存在する。 ネットで公開されているが、なぜこれほど多くのドストエフスキー識者から大々的な痛烈な批判を浴びているのかと言えば、単に誤訳問題だけにとどまらず、最低限必要な翻訳者としての日本語としての文章力、又一番重要なのが、亀山氏の突拍子もない愚劣な作品への解釈であると思う。 亀山氏の翻訳した作品には、氏の自説を押しつけるような長々とした解題がよく書かれているが、このような作品の価値を著しく損なうようなとんでもない解釈、作品への理解にまったく乏しいと思わざるを得ない翻訳者が、良識なドストエフスキー識者達(ドストエフスキー文学の理解を深めるために、無私、無益で活動されているような方々)を納得させうるような翻訳ができるとは到底思われない。 このレビューが参考になるか、ならないかは、私は問題にはしていない。又、誹謗中傷目的でこのレビューを書いているつもりもない。 現代で海外文学を読むにあたって、読者自身が本当に信頼できる翻訳者を選ばなければいけない時代に来ていると感じる。 良識のある読者は、マスコミや出版社の金儲けにいたずらに惑わされてはならない。このような商業主義に乗じた、知名度や名誉、権威欲しさの翻訳者による愚劣な駄本を読まされて、読者は虚偽の満足感をただただ押しつけられることになるだけだ。 亀山氏の翻訳したドストエフスキー作品はドストエフスキー作品ではない。 亀山氏一人のみが「世界の最先端」と称している自説を読者に押し売りするために、原典をねじ曲げた翻訳をした単なる読み物小説に等しい。 心底からドストエフスキー作品を愛し、作品の理解を深めたいと思っているのであれば、このような誤訳だらけの、とんでもない解釈を押しつける翻訳者の書いたものなど、目に触れることすら極力避けるべきだ。 私は亀山氏こそ、この言葉をよく理解し、固く心に留めておくべきだと声を大にして言いたい。 『よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。』 亀山郁夫氏の訳業を正当に批判しているサイトを下記にあげておく。 誤訳問題にとどまらず、亀山氏の所業がどれほど愚劣で酷いものか、是非とも眼を通してほしいと切に願う。 <ドストエーフスキイの会> <国際ドストエフスキー学会副会長 木下豊房氏のホームページ> <連絡船 木下和郎氏のホームページ> <こころなきみにも 萩原俊治氏のホームページ> <光文社古典新訳文庫についてのフォーラム> | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!