アルジャーノンに花束を
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アルジャーノンに花束をの総合評価:
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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| 人生の必読本です。どうか、みんなに読んで欲しい。そして、周りの人にも読ませて欲しい。 | ||||
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| (ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。) 感動的なSF小説ではありますが、感動的な部分だけを選び取って小説を書いている作品ですので、高い評価は 付けられません。 極めて危険な人体実験が行われます。仮に成功したとしても、『科学の力により、特殊な能力を持つ人々が量産 される』としたら、世界は破滅に向かうでしょう。その部分をきちんと描いていないので、SFとしては非常に 低い評価しか付けられません。主人公が、その重大な問題に全く気が付かなかったという事が、ありえるので しょうか? 私は、非常に疑問だなと思いますし、作者(ダニエル・キイス)が、わざとその重大な問題を 書かなかったのではないかと想像します。(感動的な物語としては、本当によくできています。) | ||||
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| 超面白い!読みやすい! すぐに2周読んだのはこの本が初めて!SFの最高峰! | ||||
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| 『アルジャーノンに花束を』は、確かに「よくできた小説」ではある。物語は平易で、構成は明快で、読者に過度な知識や読解力を要求しない。むしろ、ほとんど要求しないことこそが、この作品の最大の長所だろう。倫理的に難解な立場を取る必要もなく、読後に危険な思考へ踏み込む恐れもない。読み終えた瞬間、「良い話を読んだ」という感想に自然と着地できる。この安心感は、娯楽としても教材としても非常に優秀だ。 主人公の知能の変化を文章の変化として表現する技法も分かりやすい。幼く不安定な文体が、次第に整い、洗練されていく過程は、読者に努力を要求することなく「成長」や「喪失」を体感させる。読者はそこに、自分の理解力や成熟を無意識に重ね合わせることができる。つまりこの作品は、読者に負荷をかけることなく、読者を「分かった気」にさせる設計が非常に洗練されている。その点において、本作が長年読み継がれてきた理由は十分に理解できる。 ただし、その完成度の高さは、同時にこの物語の限界をも明確にしている。 『アルジャーノンに花束を』を読み終えて、最初に浮かんだ感想は、「これは感動するための物語ではなく、感動できてしまう読者の方がよほど興味深い」というものだった。なぜこの程度の設定、この程度の思考実験が、半世紀以上を経た現代において、なお「人生観を変える」「読まない人生が怖い」などと語られるのか。その現象そのものの方が、よほど分析に値する。 本作が書かれたのは1950〜60年代のアメリカである。そこは、差別が制度としても空気としても存在し、疑問視されにくかった社会だった。知的障害者は研究材料であり、管理される対象であり、尊厳を持つ主体とは見なされていなかった。その前提が共有されて初めて、この物語の「残酷さ」や「悲劇性」は成立する。言い換えれば、この作品が強い印象を与え、「名作」と呼ばれるに至った背景には、当時の差別社会そのものが深く関与している。 つまり、この作品は普遍的だから名作になったのではない。「差別が日常だった時代において、差別を題材にすること自体が強い表現になり得た」からこそ、評価されたのである。現代人がこれを読む際に本来求められるのは、感動ではなく、まずその歴史的条件への自覚のはずだ。 にもかかわらず、多くの高評価読者は、そうした前提を飛び越え、物語を即座に「今に通じる名作」へと変換する。そこにあるのは読解ではなく、感情の即売会だ。差別はいけない、弱者を見下してはいけない、思いやりが大切だ。どれも安全で、反論の余地がなく、今さら誰かが異議を唱えることもない。だからこそ、この作品は「安心して感動できる教材」として消費される。 だが、ここで一つ立ち止まる必要がある。 なぜ「今さら」感動できるのか。 現代社会に生きる人間は、学校教育、メディア、SNS、ニュース、炎上騒動を通じて、差別やいじめが許されないことを繰り返し学習してきている。知的障害者を見下すことの残酷さも、弱者を笑い者にすることの醜さも、すでに日常的に共有されている価値観だ。にもかかわらず、そこで改めて涙し、衝撃を受け、「考えさせられた」と語るとしたら、それは新しい発見なのか。それとも、既知の倫理をなぞることで得られる自己確認に過ぎないのか。 作中で描かれる学者たちの姿は、現代の感覚からすればほとんど戯画に近い。研究発表の場で被検体を嘲笑し、精神障害者を見下し、人格を無視して成果だけを誇る。しかし、これは現代社会ではまず許容されない。倫理審査も、人権意識も、少なくとも形式上は制度化されている。この非現実性を無視して「人間の本質だ」と語るのは、時代の違いを理解しない読みでしかない。 さらに不快なのは、知的障害者の描写そのものだ。性欲が強調され、理性が欠如し、衝動的で、周囲に迷惑をかける存在として過剰に醜く造形されている。障害のリアリティを描いているという擁護は聞き飽きたが、現代の視点から見れば、これはリアリティではなく、当時の偏見の詰め合わせに過ぎない。障害には多様な種類があり、人格も行動様式も千差万別であるにもかかわらず、本作では複数の障害的特徴やステレオタイプが一人の人物に無遠慮に盛り込まれている。 この構造は奇妙だ。表向きは差別を批判しているようで、その実、読者に一度「見下す視点」を与え、その後で「差別はよくない」と回収する。その過程で読者は、無自覚のうちに差別的イメージを消費し、最後には「自分は優しくなれた」「理解ある側に立てた」と安心する。深層心理では差別をなぞり、その上で道徳的に浄化された気分に酔える構造が、ここにはある。 多くの高評価読者が読み取る「知能が上がっても幸せになれない」という教訓も、冷静に考えれば浅い。主人公が幸福でない理由は、知能の高さではない。終始被検体として扱われ、自由も使命も主体性も与えられなかったからに過ぎない。尊厳を奪われた存在が幸福になれないのは当然であり、そこに哲学的発見はない。 結局のところ、この作品に深く感動し、それを他人に勧める行為は、文学的体験というよりも、道徳体験の自己確認に近い。感動することで、「自分は差別しない側の人間だ」「優しさを理解できる人間だ」と安心する。そして、その安心感を、さも普遍的価値であるかのように他人に配布する。その姿勢は、皮肉にも、見下す/見下されるという構図を温存したままだ。 こうして見ると、『アルジャーノンに花束を』が現代において再評価される理由は、思想の先鋭さや問題提起の深さにあるのではないことが分かる。評価されているのは、その安全性だ。読者は、この物語を好きだと言うことで、賢さも、優しさも、社会意識も、まとめて所有したような気分になれる。しかもそれらは、誰からも否定されない形で提示できる。 SNSという空間において、この作品は理想的である。長文の考察も不要で、「泣いた」「考えさせられた」「優しさを忘れていた」という定型文だけで、倫理的に成熟した人格を即席で演出できる。読書体験が自己反省や思考の更新に向かわなくても構わない。重要なのは、「私はこの作品に感動できる人間です」という事実を可視化できることだけだからだ。 だからこそ、この小説がSNSでバズったのは偶然ではない。「深く考えなくても良い人になれる物語」だったからこそ、拡散に耐えたのである。 もしこの物語を読んで今なお強い感動を覚えたのだとしたら、それは作品が普遍的だからではない。「差別が露骨だった時代に生まれた構造を、検証せずに再消費しているだけ」か、あるいは、現代の読者が極めて丁寧に甘やかされているという証拠かもしれない。 そして、その事実に気づかないまま感動を掲げ、他者に勧め、道徳的優位に立つ姿こそが、この小説が描こうとしたはずの人間の「滑稽さ」と、最も美しく重なってしまっている。 | ||||
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| Amazonのランキングでずっと上位に入っているので、約25年前の大学時代に映画を見てストーリーは知っていたが興味をひかれて購入。ちなみに、映画は細部は覚えていないものの、メインストーリーは強く印象に残っていて、本書は軽めのSF作品かな、と予想していた。しかし、読んでみると、かなり重厚に様々なものが練り込まれた小説で、精神的にかなりハードな場面が多々あり、しかも三人称作品を予想していたのに一人称作品だったので、面食らった感じだった。特に、主人公が過去のトラウマ体験を次第に思い出してきて、情緒に変調を来していく様は、読んでいてかなり辛かった。また、知能が高まった時の描写も、映画では栄光の時代のような描かれ方をしていたような気がするのだが、本書では事前に思っていたよりは華々しくなく、というよりは主人公が情緒不安定であることが多く、もう少し明るい感じにして欲しかったな、と少し思った。本書は多分、読む人によって抱く感想が凄まじく分かれる小説であると思う。そして、それは傑作である証拠だと思う。例えば自分は、人間の悪意の恐ろしさや、上下意識の醜さ、他人との絆の絶望的な脆さ、有用性を失った人間が辿る末路の恐ろしさなどが強く印象に残ったが、前述したように他にも本当に様々な要素が盛り込まれている。個人的には、本書はSF小説として分類されているものの、非常に高い文学的価値があると思い、それこそ「カラマーゾフの兄弟」「嵐が丘」「デミアン」「金閣寺」などと並び称されるべき作品ではないだろうか、と感じた。小説は1日につき大体1時間ぐらいしか読まないが、本書はあまりに面白いので、1日3時間ぐらい読んでしまった。ハッピーエンドにして欲しかった気持ちもあるにはあるが、きっとそれであればこれほど人に読まれる作品にはなっていないのであろう。これから老いを迎える自分にとっては、最後のチャーリーの急激な凋落っぷりが他人事とは思えなかった。濃厚な読書体験であった。 | ||||
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