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ゼロの焦点
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ゼロの焦点の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全18件 1~18 1/1ページ
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PCに送信不能 | ||||
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パンパンと言う記述か出た時点でもう結果が見えて来るのは残念。 | ||||
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(他のレビューでも同じことを述べているのをお許しいただきたい) 優れたミステリーは、人間の社会的悲しみや怨憎を通じて、 この世界の矛盾を表現し、社会的問題を提起するという手法がよく取られるが、 それはそれで良いとしても、ミステリーは殺人事件を描いている限り、 プロレタリア文学のように、書き手の何らかの目的に支配されてしまうのものだ。 つまり、松本清張の作品であれば、必ずその殺人事件は 社会的に虐げられた登場人物が投げ込まれた恵まれない悲しい人生環境から 生み出されるということになるのだ。 つまり婉曲的な社会批判が目的となり、殺人犯は社会的な被害者である 善良な庶民ということになる。 このような舞台設定では、複雑怪奇な人間の姿を描き切ることはできないだろう。 私はミステリー小説には何の芸術性も存在しない、と考える。 松本清張の作品も例外ではない。 世の中は彼を誉めすぎるきらいがある。 「ゼロの焦点」も「砂の器」同様に、この意味での典型的な清張節の作品である。 ミステリー小説がダメと言っているのではない。 そうではなく、現代のようなミステリーしか流行らない世の中や時代は、 突き詰めるべき人間のもっと重要な問題から目を背けているということである。 だからミステリー小説は文学芸術にはならないのである。 よくセックスを中心に描く文学作品もあるが、その類も同様である。 性を描いて人間の真実に迫ろうとしても無理というものだ。 ミステリー小説も同じことであり、ミステリーに必要以上にリアリティを求めるのではなく、 犯人探しや殺人に至るプロセスを楽しめるかどうかに価値を求めればそれで良いと思う。 実際の殺人事件はドラマより凄惨で恐ろしいものである。 ましてや殺人事件を政治的な社会問題に結びつけるミステリーにはあまり感心しない。 以上のようなことを言うと誤解を招きそうだが、 このことは(著名なミステリー作家を含む)ある有名な作家たちの意見に 私が同意して述べているということを最後に言い添えておきたい。 それにしても現代は、芸術性の高い文学が生まれにくい時代になってしまっている。 それがとても心配である。 ドストエフスキーの「罪と罰」ように、殺人行為というものが 高い人間的煩悶を呼び起こすということになれば話は別だが、 大抵はそのようなレベルの小説にならないというのが、 ミステリー小説の限界である。 | ||||
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理解できぬ。 何がそんなに面白いんだろう。 読み進めていけばいつか面白くなると思ったが最後もで同じ調子。 まー、つまらなくはないけど。 うーん | ||||
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戦後の昭和が舞台なので、描写的には流石に時代を感じさせます。 出版当時に読破した方は懐かしく思うのでしょうが、現代では馴染めません。 妻が事件の真相を解明していく表現が、最初から最後まで続くのに飽きてしまった。 | ||||
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本の状態が非常によいと書いてありますが、 実はよくありません。普通か普通以下ですよ。 | ||||
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写真で展示されていたのよりさらに古いバージョンの本でした。少々日焼けがひどかった。安かったですし読むには問題ありませんですが。 | ||||
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「古典」ともいえる作品は、説明的でその書かれた時代の雰囲気や男女の捉え方、人間の描き方などが現代と合致しないことを大前提で読み進める必要がある。『平家物語』のようなものになると、最初から読者に「心構え」があって800年以上前の人物の家族愛や男女間の思いに涙が流れる。「その時代を知る」感覚を楽しむ余裕が欲しい。終戦を体験された方々が価値観の逆転を味わい、没落した旧華族や名士のゴシップを数多く目にした時代だった。わたしたちが現代の感覚で考えれば、物語は成立しない。 この『あとがき』は、わたしの読後感をぶち壊すので好きではない。評論家の最もつまらない面が出た文章だ。 | ||||
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ストーリーが曖昧で、子ども騙しのようなところが多い。 映画の方が真実みがあり、迫力があった。 | ||||
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著者の本はこれまで読んだことがありませんが、代表作ということでまずは読んでみました。すでに50年近く前の作品ですし、小説の時代設定はさらに前の1960年代のようなので2018年の視点から批判あるいは感想を述べるのは適切ではないかもしれませんが、ミステリーとしての面白さは今一つでした。主人公による謎解きの過程も強引な気がしましたし、犯行の動機も説得力を欠くように思いました。当時の社会的背景や社会的風潮を知らないがゆえの評価だとは思います。そもそも、1年半も同棲をしていた相手にはずっと偽名を使用した挙句、見合い結婚をした相手との生活のために同棲相手との生活をあっさり切り上げる男、その男の行方を探すために長い間北陸に留まる見合い相手の女性、というキャラクター像自体がしっくりこないのですが、やはり時代背景が異なるための評価になってしまっているのでしょうか。 | ||||
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本作品は日本社会に向けて批判的な一瞥を投げています。 同時に、いくつかの道具立てを取り入れて最終章へと読者の興奮を高めていく手際は確かなものです。 Whydunitな性質が前面に出ています。 その犯行の動機に特徴があります。 動機の追究は、占領され米陸軍元帥によって統治されていた戦後のあの時代の日本へと焦点が絞られていきます。 タイトルに「ゼロ」としたのは、発表当時50歳だった清張にはあの時代が、敗戦を経て日本が新生した、いわばゼロ時間0時0分0秒として意識されていたためなんでしょうか(実際には戦前からの国粋的心情は伏流し21世紀の現在に至る) 黒い過去を抱え、それを隠蔽するため罪を犯す人間。 社会がそのように追い込むという書き方が社会派と呼ばれる理由でしょう。 清張の射程距離は、占領軍に対する近衛文麿の忖度やRAAにとどまるものではありません。 むしろ、原作が発表された1959年ですか、その頃の日本社会に清張の目は向けられていると言ってもいいでしょう。 推理小説の他の側面、誰に犯行の機会があったかを絞り込んでいくWhodunitという性質は、本作品では後景に退いています。 Howdunitは・・・、よけいなトリックをもてあそんでいない点で坂口安吾的に最高の設定です(笑 Whodunitに注力した謎解き小説は、設定された条件の中で答えを絞り込んでいく、パズルを解く楽しさが持ち味でしょう。 パズルというなら論理パズルや数独のほうが上品だ、お手盛りの茶番でしかないミステリの謎解きなどはうっとうしいだけだというのも正論です。 しかし謎解きという点で、小説という形で頭の体操の楽しさが味わえるとすれば、茶番だろうが何だろうがパズラー(本格謎解き小説)はパズラーでいいんです。 本作品では別の性質が前景に来ているというだけの話です。 芥川賞作家、社会派作家、そしてエンタメ小説作家というのが、本作品から伺える清張の構成成分です。 ところで、文章はひどいですね。 本書と並んで知名度の高い「Dの複合」「点と線」は見事な文章ですが、本作品はとてもその水準には及びません。 短篇も含めすばらしい文章でたくさんの作品を書いた清張ですが、一体どうしたというのか・・・ | ||||
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有名な作品だからというので、20年以上前に買った本で 積読になっていたのを最近になってやっと読んだ。 主人公の考えを描写しているところでは、主人公の考えとい うよりは第三者が考えているかのような記述になっている ことに違和感を感じた。 また、犯人がどうして脅迫もされていないのに、自分の過去を 隠すためだけに三人も人を殺さなければならなかったのかも 理解できなかった。 時代設定が今とは全然違う。移動手段が「汽車」だし、能登半島の ローカル線は廃止された区間もある。今なら金沢までは北陸新幹 線で日帰りできる。 読む前に思っていたほどには傑作ではなかったというのが正直な 感想だ。 | ||||
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松本清張といえば、ミステリーの王様。若い頃は何冊か読んだが、久々に一冊手にとってみた。 眠たくなるほどの単調さに戦後という時代を感じた。 昨今はテンポの速いミステリーやサスペンスが次から次へと出るので、そういう新しい時代のものと比べると、全くもってドキドキはらはら感がない。そういう落ち着いたミステリーをお探しの方には向いているかもしれない。 | ||||
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表現力豊かな文章や、戦後の時代背景の描写には魅了されました。 ただ、前半はあっさりとした内容でなかなか盛り上がってこない。後半部分や結末にかけては読み応えがある展開である程度面白い。 しかし、いくつかの殺人事件が少し強引な理由付けであると感じた。 | ||||
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このミステリーにも探偵はいる。松本清張は本格探偵ものを推理小説として嫌ったと聞いているが、探偵のいない推理小説はないのである。 それより、(新潮文庫版)裏表紙の簡単なこの作品の特徴を含めた紹介文のなかで、失踪する主人公の夫が2つの名前を持つ2重生活者だったことが書かれてしまっている。これは明らかなネタバレなのではないの?文庫本半分以上(!)読み進んでから、その謎は紆余曲折した後、ようやく話の展開として衝撃的に明かされるのである。しかし、私は裏表紙の文章を読んでからこの小説を読んでいるので、全然驚かない。読む前に知っている「謎」だから(笑)。読者に対しておかしいですよ。 この小説の探偵役だが、それはもちろん主人公の禎子である。それと、彼女に恋慕の気持ちを持つ彼女の主人の同僚の本多である。このふたりは警察そっちのけで、とにかく良く動き回り、つかんだネタも警察には一切話さない。なぜそこまでこの事件の真相を自分で追うのか、理解に苦しむ。この理解に苦しむところが「いわゆる探偵」役なのである。探偵ってそういうとところがある。特に禎子は、主人を最愛の伴侶として愛していたから何としても自分でという執念のようなものも感じない。見合いで結婚して愛するようになる前に裏切られるように失踪してしまうのだから。しかし憑かれたように事件の真相を追い続ける。ここにも探偵の特徴が表れている。 この小説は禎子を中心にして、そのきわめて狭い社会的空間を舞台にしているだけなので、報道や警察や夫の会社など当然描かれるべき社会的要素がまったくと言っていいほど欠落している。冬の東北の暗うつな閉塞空間では、都会のように開かれた社会描写はできなかったのだろうか。 解決章「ゼロの焦点」でも、ほとんど禎子の想像による犯人像、犯行動機、犯行過程である。読んでいて、そのあまりの犯罪の機微に通じた精緻さに感心し、やがてゲンナリした。これが、刑事の推測なら納得できるのだが。 社会の非情な現実に押しつぶされる人間を冷徹に描破する松本清張の短編をこよなく愛するものだが、どうもこの長編は感心しなかった。 追伸。北陸の岬の海を観てある外国詩を案暗唱するのだが、この詩の内容が理解できなかった。自分は詩が嫌い、ミステリーもあまり読まない。なぞは解かれないことに意義がある。 | ||||
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自分はなぜか推理小説、探偵小説が好きになれないのだが、本著を読んでいてはじめてその理由が氷解した。被害者は夫。探偵役は新妻。本業の刑事でなくても、配偶者がその役回りを担うのは、モチベーションの点から何らおかしくない。お金と時間をかけて謎解きに精を出すのは不自然なことではない。だが、そこから先が問題。組織力に頼らず個人よる犯人捜しには限界がある。ということで夫の兄や夫の会社の同僚が探偵役の一翼を担う。つまり、有給を取り、自腹を切って被害者の足取りを追ったりする。嘘でしょう。絶対無理。そんな奇特な奴はいないし、そんな懐の深い営利企業はない。普通なら「そのへんは我々では無理ですね。もう、警察に任せましょう」の世界ではないか。やっぱり。そこでシラけてしまった。だが、ミステリーファンは違うのだろう。そんなことを言い出すと野暮と言われるのだろう。なぜなら、彼らにとって犯人捜しと殺人事件はすべてに優先される最重要事項なのだろうから。「それを言っちゃあ、おしまいよ」てか。(違ってたらすみません)。清張自身の言葉に「探偵役を誰にするかが悩みの種。いつもいつも警視庁の刑事でもあるまい」というのがある。『点と線』や『砂の器』は探偵が刑事だから嘘臭くはなかった。『砂の器』のプロトタイプともいえる本作は、残念ながら以上の点でリアリティーが感じられず、私にはしんどかった。 | ||||
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隠された過去を持つ一般人が秘密を守るために殺人を犯す、という設定の割には犯人の苦悩や突出した異常性が全然描かれていない。最初の犠牲者が殺人現場に居合わせる必然性がまったくないなどプロットが都合が良すぎる。社会批判に独自の視点がない(テレビの評論家にコメントに主人公が啓示を受けてブレイクスルーが起きる、つまりマスコミ評論家レベルの社会観が精一杯)、などなど一言で言って、傑作とはほど遠い出来。高村薫や大沢在昌などの作品のほうが全然リアリティがある。世評は過大評価だと思う。 | ||||
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評価が良かったし、映画もおもしろそうだと思ったので本を買ったのですが、私個人的には全然感情移入できなかったです・・・妻の夫に対する気持ちと、実際の行動が矛盾しているように感じて、「へ???」でした。なので薄〜い気持ちで最後まで読んでしまいました。 | ||||
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