北の詩人
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日帝から米国への権力移行で激動する朝鮮社会-結核の死に怯える詩人はどう生きたか、自分だったらどうするか? | ||||
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実在した朝鮮の詩人林和を主人公とした松本清張の作品。清張は、そのときは些細とすら思えないような出来事が、強大なボタンの掛け違いとなって、後々に、当人や周囲、社会を翻弄させていく展開を記述するのが非常にうまい。 人間の主体的な決断を悲劇的な結果として裁断してしまい、決断した人物を翻弄して、逃げ道を与えない清張の筆致は人間精神や社会というものの襞をよく捉えているともいえるし、清張自身がどこかルサンチマン的で、人間の運命をそのように描いてしまうのかなとも思う。清張自身は非常に遅咲きの作家であるし、天衣無縫且つ陽性な人物では無かったんだなという推測は、折々の清張作品を読むと、より一層に強まる。 「北の詩人」の舞台は主に日帝支配からのくびきが外れた戦後すぐの朝鮮半島が舞台ではあるが、実はくびきの状況下に置かれた人間は日帝なら日帝が消え去っても、その残滓に苦悶せざるを得ない。そしてその残滓は現在や未来をも束縛する。実に息苦しい。 残滓にはより陽性で明るいものもあるはずだが、清張は陰性な面をいつも掬い取る。果たして本作もそうであった。 物語のかなり最後の方に北朝鮮政府による林和やその他の人たちに対する判決文が記載される点では、実際に綿密な取材結果に基づいて考察された清張ならではのノンフィクション作品の赴きもあるように思えるが、本作はあくまでも清張ならではのニヒルな人間や社会観察に基づく、フィクションとしての小説である。 ※私が読んだのは旧版本なので、内容に相違のある可能性があることをご承知おきたい | ||||
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朝鮮のプロレタリア詩人・林和(リムファ)の人生を描きます。 一九四五年、日本が敗れ、日韓併合の時代が終わる。いよいよ朝鮮民族独立の機運が盛りあがりかけたのもつかの間、半島は北緯三八度線で南北に分断されてしまいます。 林和は南のソウル(京城)を舞台に、朝鮮文学の再興にむけて力を尽くす。しかし、アメリカ軍政の厳しいしめつけにあい、一九四七年、北へと向かう(=越北)。 朝鮮戦争が始まったのは一九五〇年。休戦は一九五三年。その直後、林和は北朝鮮で粛清されてしまうのです。アメリカ諜報機関のスパイとされて……。 小説は、日本の敗戦から越北までの日々を描きます。ほんの2年ちょっとの期間です。北でどのように過ごしたかの記述はありません。 その代わり末尾には、北朝鮮の軍事法廷における裁判記録が掲載されている。林和のように、南から来たプロレタリアートたちは、朝鮮戦争のとき、南の米韓軍と戦いました。それなのに、休戦となるやいなや、金日成(キムイルソン)は彼らを容赦なく死刑にしてしまうのです。 そもそも『北の詩人』という作品の構成が、なんだか中途半端です。北に渡った林和の暮らしと心の風景も、少しは書いてほしかった(資料が無かったんだとは思いますが……)。死刑判決の裁判記録をのせて終わりにするのは、味気ない。清張さんは、なぜこのような作品を書いたのか。 『北の詩人』は「中央公論」に連載されました。一九六二年一月号から翌年の三月号まで。 一九六二年は、映画「キューポラのある街」が公開された年でもあります。若々しく、はつらつとした吉永小百合が印象的でした。 あの映画の最後には、北朝鮮へと渡る人たちの姿が描かれます。当時、そこは「地上の楽園」とうたわれ、みんなわくわくしながら北へと向かったのでした。地獄の生活が待っているとも知らずに……。 在日朝鮮人の帰還事業を「キューポラのある街」は肯定的に描いています。日本共産党のみならず、保守政党もこの帰還事業を後押しした。 帰還にあたり、朝鮮総連は、持参金は一人四万円までとした。残りは全部、朝鮮総連に寄付をさせたという。アコギなやり方です。 いま(二〇二二年)、旧統一教会の問題が世間を騒がせています。多額の献金をさせられて、生活が破綻してしまった人も後をたたないという。ふりかえってみれば、朝鮮総連のやり方に対抗したかったのかもしれません。どっちもどっち、というほかありません。 ことし、「スープとイデオロギー」というドキュメンタリー映画が公開されました。監督はヤン・ヨンヒさん。彼女には三人の兄がいた。大阪に住む母親は帰還事業に賛同して、三人とも北朝鮮に送ったそうです。その後も仕送りを続けた。監督は内心で、そんな母を非難し続けてきました。その母がアルツハイマー病をわずらい、語り出したのは「済州島四・三事件」だった。 一九四八年四月三日、済州島では韓国軍・警察による島民虐殺事件が起きました。母はその被害者だったのです。それゆえ南を恨み、北にあこがれた……。北緯三八度線の悲劇、帰還事業の悲惨は、今日なお尾を引いている。 「地上の楽園」という宣伝文句にのせられて北へ渡った人たちを、浅はかだったとして、嗤(わら)うことはできません。後世のわたしたちがくだす判定とは、後出しジャンケンのようなもの。その時代の渦中で苦しみ、迷い、懸命に生きようとしていた人びとの思いを、軽々に論じることはできません。 『北の詩人』の林和は、プロレタリア詩人と呼ばれます。しかし清張さんはこの小説で、彼の抒情性を浮き彫りにしています。 「林和には、戦闘的な詩がつくれなかった。ほかの詩人のように、野放図に闘争をうたい、革命の情熱を駆り立てる詩がどうしてもできなかった。……そのような詩を書こうとすると、先に同胞の貧しい牧歌的な姿が浮かんでくるのだ」(文庫本二四一ページ) 「――ああ、哀しくも、美しい詩を書きたい。暗鬱な弱者の詩(うた)を作りたい。運命的な人生と自然を見つめて瞑想したい。怒号するような詩は自分の得手でなかった。心に沁み通るような低い音色を自分は愛している」(同二六八ページ) 階級文学(プロレタリア文学)と民族文学の対立は、半島の北と南の対立を映していた。しかし林和は、そうした対立を哀しんだ。ソ連とアメリカの思惑を超えて、半島の人びとをひとつにしたかった。それが越北の理由ではなかったか、と感じました。 その林和を、北は無惨にも処刑したのです。 北朝鮮への帰国事業は一九五九年に始まり、一九八四年まで続きました。約九万三〇〇〇人が渡ったということです。 『北の詩人』連載当時は、帰還事業の危うさなど語られることはなかった。しかし清張さんは、その危うさを予感して、この作品を書いたのではないでしょうか。 北と南の権力のはざまに揺れて、ひとり苦悩した詩人に寄り添うような、清張さんのひそかな思いのこもる作品であると感じました。 | ||||
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新装版の解説で紹介されていた「現代思想」を入手して旧版の解説が早大の大村益夫だとあるので、こちらも入手した。本編の「価値」など、「38度線の北」でソ連派のソ連べったりな文化政策を批判する中で南労党裁判で死刑になった林和が混じっていても気がつかない寺尾五郎と同じで、北朝鮮に無批判でヨイショした悪書というところだが、さすがに解説は韓国にも北朝鮮にも中立的な立場な朝鮮文学の研究者が書いただけあって、ちょっと作品になぞり過ぎだな、と思える点はあるが、少なくとも林和という詩人が南労党裁判の公式とは違う人物だと分かるように書いている。しかし何で新装版では解説を変える必要があるのかが分からない。 | ||||
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清張の知られざる作品。小説としては良く出来ており面白かった。しかし、北朝鮮のプロパガンダの匂いがする。清張は元々金日成にインタビューすることになっていたがかなわず、そのかわりにこの作品を北朝鮮から提供されたという話を聞いたことがある。真偽の程はわからない。しかし、作品の細かい描写には作家の想像だけでは描けないようなところがあり、さもありなんという印象を受けた。また、清張の「日本の黒い霧」によるアメリカ謀略史観は当初大岡昇平に批判されたが時流にのり戦後日本人の歴史観に影響してきた。後に新資料の発掘や佐藤一や渡辺富哉の検証により見直されてきたが、なぜか保坂政康や半藤利一により擁護されている。アメリカ謀略史観は共産党の講座派歴史観と底通するといえる。また、清張は共産党と創価学会のいわゆる創共協定の仲介もしており、共産党との関係は深いものがある。清張が共産党の秘密党員であるという噂もある。清張の謎は深い。 | ||||
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