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我らが少女A
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我らが少女Aの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 21~40 2/3ページ
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作者はまるでオーケストラの指揮棒を振るうコンダクターのごとく小説の世界をみている。 オーケストラの各パートを実にうまくコントロールしている。 それによって、映し出された情景が眼下に広がっていく。 文字がうごめいている。 あのころのできごと。 それは、インテグラルな積み重ねによる印象としてしか記憶にインプットされていなかった。 記憶を微分し、点と点を結び付けていく。 点を時系列にダイアグラム化していくことにより見えてくる事実。 少女Aの姿かたちが見えてくる。 それは記憶の片隅にあった自分自身の思い出と共に少女Aのふるまいがよみがえってくる。 我らの青春群像が響いている。 | ||||
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『冷血』からだから6年くらいぶりの合田雄一郎さん、なんと57歳、現場を離れ警察大学校の講師をしてらっしゃる。そうだよな、生きてるってそういうことだ。 で、本書。狭い範囲で少ない登場人物による展開。それだけでいうと『照柿』もそうなんだけど、あの灼熱の情念が生み出す人間模様に比べると今回はすごく日常感があって、途中で何度か「あれ、高村作品よね」と確かめたくなった。 もちろん鋭利な筆致は健在。気温から湿度から空気の匂いまで仔細にイメージができるし、読む進めていくとどんどんその世界に引き込まれる。 そして何と言っても浅井忍だ。彼の存在こそが高村薫作品であることを際立たせて、実際途中まで相当不穏な気配を振りまいていたし、物語を大きく動かしていた。でも、ある時からそれは色を変え、素敵なメッセージの連鎖を生んで。 ある結末を予測していた者としては、ちょっと安心してしまったのよね。でも…やっぱり高村作品だった。どんなに平和な読後にも、小さな棘を残す。 多分人生がそういうことなんだろうね。 | ||||
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兎に角丹念、丁寧に書かれている文章とこの本。作家の体力ってどんな、と素人の私などはそこにも感動してしまいます。高村作品にはこの作品は新しい、と私は思っています。凡そ今迄は、道を踏み外した技術者みたいなスーパーマンが出て来た。一般からは程遠い何かのエキスパートな技術と能力を発揮して悪を行うといった人たちが登場した。けれどもこの小説は、そんな期待(?)を裏切って本当にごく普通の平凡な生活者しか、少なくとも前半には現れないのです。 多分、私たちの生活の様に何かを繰り返すだけで終わる数年の人生。日々があるだけの人生。「もの凄い」がない。高村小説には今迄その、もの凄いがあったと思う。そこがワルな行状にもわくわくして読み進めた遠因だと思う。もしかするとその観点からこの小説が評価の星の数を落としているのかも知れません。 裏切りとは呼べないですが、そんな悪のスーパーヒーローが出て来ない中で進むこの作品を私は新しく思うし、逆にどうなるのか、何かが起こるのか、どううねって行くのかの興味になりました。言うなら性行為の後の二人の行為に写し出される本質や面白さみたいなもの。特別ではない事への興味がこの本のメロディに見えます。さて、どうなるのかな、この登場人物たちは。いやぁでも、この1人1人の人間の行動や心情を細かく書いて行ける高村薫さんはやっぱり凄いよ。イラストが何枚か本書のページにあるのも…視線やタッチを感じられます。文科系の本、笑。ただ、朱美と真弓という名前の韻が似通い過ぎて、覚え難い歌詞みたい判別が混乱したのも私には事実でした。 | ||||
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最近、東野圭吾氏を読んでいるので、内容がつまらなかった。残念である。 | ||||
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読後の第一感想は、まさに文豪の長編作品を読んだという充実感だった、 高村薫が観察したSNS普及後の現在風俗小説だろうと読み始めたので、物語自体は期待とはしょうしょう方向が違ったが、それでも読後の満足度は極めて高い、 高村はほかに「レディジョーカー」を読んだだけで、あちらは作者自身がデーモンに執りつかれた様な迫力と圧力に圧倒されるが、本作の堂々としながらも、語るべきエピソードをしなやかに飛翔続ける筆致はまさに作者が文豪のステイタスに位置するからだと思う、 最近連続して翻訳小説ばかり読んでいたので、国内作家、それも現役が書く美文が堪能できた楽しみも大きかった、 「レディジョーカー」では遠からずの警視庁辞職以外の選択肢を持たずに職務にまい進する合田が事件によってかろうじて救われたが、本作では彼に迷いはないらしく、すでに定年を見据えたりっぱな中間管理職である、 劇中、彼がスニーカーを履いている描写がないということは、ある時点でスニーカーと決別したということなのだと思う、 かつては堅物が警察手帳を持ち歩ているような絵にかいたような融通の利かない警官合田だったが、ここではステファノマーノのブリーフケースを持ち歩く程度には加納に感化を受けたらしい、 高村は全作読んでみたいタイプの作家ではないが、合田主人公の前二作品と、いずれ執筆されるだろう合田最後の事件だけはぜひ読破したいと思う、 で、本作がもし映画化されるならば、監督は大森立嗣監督がもっとも相応しいと思う、 大森監督ならけして大げさにならずに悲しみを湛えた武蔵野を映像化できるはずだ、 | ||||
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1件の殺人事件の遺族、周辺者を描く長編。現実の事件がこのようにして未解決になり、このようにして遺族をむしばみ、このようにして容疑者家族の中で消化され、このようにして時間に埋もれていくのか、と想像させられる。精密な筆致と人物描写のリアリズムは相変わらずで、事件の真相が一つ一つ、明らかになっていく過程に引き込まれる。警察捜査よりも、一つの事件によってかき乱される人生や人間関係、時間の経過、というものに焦点が当てられ、重い読後感が残る。 マークスの山、レディージョーカー、照柿から時間が経過し、合田雄一郎は50代の警大教官となって登場する。 捜査の一線にもなく、白いスニーカーを洗うシーンや颯爽と低い壁を飛び越えるシーンも、もはや出てこない。 それでも、かつての登場人物のその後が散りばめられており、その点でも興味深い。 | ||||
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この物語の舞台となっている土地(東京都三鷹市、小金井市、府中市)をよく知っているので、楽しむことが出来ました。同じ事件を何人もの回想や異なる目線から描いており、そこが非常に面白く感じるところです。お薦めできます。 | ||||
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12年前。被害者年齢そもそも「晩年」と言っていい歳。ついでに被疑者死亡 …↑に人手と時間をかける必要性があるんだろうか?と 世界観に入って行けず、終始「面倒くさい」だった ついでに物理的に重すぎて、両前腕が辛かった | ||||
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12年前の未解決事件の関係者が殺されたことがきっかけとなり、被害者家族やその関係者達は否応なくその過去に囚われていく。合田雄一郎シリーズの最新作ですが、純粋な警察小説やミステリーではありません。 合田達関係者の内奥や心理をひたすら掘り下げていく物語。500頁以上の長編乍ら、展開は起伏に乏しく派手な事も起きない。ただ人々の記憶が徐々に掘り起こされ、過去の感情が炙り出されると共に、未解決事件の真相が形作られる様は、ドラマチックでした。 | ||||
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合田と加納も年を取りました。「地を這う虫」が大好きなのですが、彼ら二人には老後も見えてきています。そして加納は清廉潔白な印象が強かった若い頃とはいい意味で違う(笑)。 高村さんの作品にしては読みやすい水彩画のような作品です。最初から犯人がわかっている展開ではないので、事件の真相にもう少しひねりがあってほしかった気がします。この登場人物たちで幾通りもの結末が作れそうな? 武蔵野の風景の描写が印象に残る物語でした。 | ||||
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改めて凄い作家だな、と思う。 半径数キロに及ばない人間関係をひたすら緻密に掘り下げて核心に迫っていく様は、それ自体が刑事の所業だと思う。 物語は2017年のとある日、元俳優志望の風俗嬢、上田朱美が同棲していた男に殺されたところから始まる。それ自体は謎を孕んでいるわけではないが、男の証言によって、朱美と12年前の未解決の殺人事件の新たな繋がりが明らかとなり、そこから物語が回り始める。クリスマスの朝の公園での元美術教師殺し。その家族とそれを取り巻く当時の関係者ーー殺された教師の孫娘で、朱美の同級生の真弓、同じく同級生の浅井、小野、そして、事件の捜査責任者であった合田。朱美ー少女Aーの死をきっかけに、当時の記憶が呼び覚まされ、深く掘り下げられていく。殺された美術教師は何を考えていたのか、当時の同級生らは何を見ていたのか、少女Aはどのような人間だったのか、そして、誰が殺したのか。 ただ、この小説の凄まじい点は単に謎解きに終始していない点にある。むしろ、当時と現在の事件をきっかけに登場人物一人ひとりの記憶が薄皮を一枚一枚ピンセットで剥ぐように明らかにされ、その中で少女Aと当時の事件を取り巻く状況が朧げに浮かび上がってくる。その意味で例えば横山秀夫が書くような刑事小説とは一線を画している。刑事の情念そのものよりも、事件により明らかにされる周辺の人物の情念ーーそれぞれが肚の奥に、意図して、または意図せず閉じ込めていた昏い記憶と感情の機微。それは、読者に近い分、読み手の精神をキリキリとさせる。 「リヴィエラを撃て」の書評で、誰かが高村薫を「数キロメートル先から精密射撃をするような描写」と書いていたが、まさしくそのような小説だったと思う。そのような意味で高村薫の昔ながらのファンとしては満足できる重厚感と緻密さだったと思う。 最後に数点だけーー ー浅井忍が「マークスの山」に出て来るマークスと被る。最後の一言は爽やかながら、その顛末は察するに救いようがない。 ー玉置の登場には面食らった。まさか途中から真犯人登場、的なチープな展開になるのではと一寸危惧したが全くの杞憂だった。 ー手紙の下りだけは納得がいっていない。そんな重要な事実が12年経ってようやく掘り起こされるとは。ここだけは微かなしこりが残る。 ただ、いずれにせよ、高村薫ファンが待っていた待望の合田刑事最新作であったことは間違いない。次は本庁に戻った合田が刑事として最後にどういう事件と向き合うのか。数年後を楽しみにしつつ星5。 | ||||
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ストーリー展開を一緒に先取りしていくような快感 | ||||
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高村作品の特徴であるディテール(場面の詳細描写)がこの作品でも秀逸で、フィクションでありながら、つい現実の事件のような錯覚に陥り、知らぬ間に引き込まれてしまう。正直、年寄りにはゲームのことは感覚外のことだが、今の若者にはこういうこともあるのかなと思わせてしまう。どんな人生も「時間」の関数として流れていることを考えさせてくれる作品でした。因みに合田が時々訪れる松戸市矢切の野菜農家が学生アルバイトを雇って収穫している話は事実です。 | ||||
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武蔵野の美しい描写も味わい深いものがあります。 何よりもそれ以上に登場人物の過去と現在の描写が素晴らしく、それらを読むことでそれぞれの登場人物の人生を追体験しているような気分になります。 個人的に今年の最良の読書経験の1つになりました。 | ||||
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個人の心理描写は作者の特徴が出て、さすがだと思いますが、この本の主題が何か、この本で作者は何を言いたいのかが明確でないと思う。高村薫の失敗作と言える。 | ||||
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現代日本文学の最高峰の一人だと私が信じる高村薫の待望の新作である。一作ごとに工夫を凝らし、新しい境地を切り開く氏の奮闘には頭が下がる。本作は2005年から2017年にかけての日本社会と人間を描いた物語である。 「冷血」(2012年)以来久しぶりに合田雄一郎が登場する。50半ばを越えて彼は武蔵野にある警察大学の教授となって後進を教えている。彼には痛恨の未解決事件があった。12年前の元美術教師殺人事件だが、ガールズバー務めの27歳の女性が同棲相手に殺されたことがきっかけで再捜査が始まった。彼女の残した言葉から事件の現場に当時15歳の彼女・少女Aがいたのではとの疑いが浮上したのである。 犯罪を扱っているが犯人探しに著者の関心はない。少女Aと、そのまわりにいた少年少女たちの過去の行状と現在が洗い出される。育った家庭環境はさまざまながら、それぞれが抑圧や孤独を感じながら大人になっていく。学校や家庭の束縛から逃がれて、悪い仲間とつるんで危険な遊びに興じる者、ゲームの世界に没入する者、あるいは部活に入れ込む者。親には子どもの内面が見えていない。その家庭にも歪みや軋みが見え隠れしている。 まるで細密画のごとき精緻な描写に驚く。ADHD、エバンゲリオン、駅員の業務、少年非行、がん治療についての詳細な記述には感嘆しかない。背景となる時代の世相はケーキ店の名前や商品にいたるまで実名で取り上げられている。もちろん登場人物の心理や家庭の状況を赤裸々にあばく。感情を排した、硬質の乾いた文体でディテールを緻密に描く。その緻密な記述が積み重なって、息遣いがわかるほどに人物が立ち上がり、2005年から2017年までの時代が読者の眼前に再現される。その結果、作品全体に日本のこの時代の空気が漂うことになる。リーマン・ショック、大震災、原発事故と続く、出口のないもどかしい時代の閉塞感とも言えるもの。そこで必死に生きようとする人たちの群れを私は高村薫の新作から感じたのであった。 この作品は刑事が犯人を突き止める話ではない。警察小説でもミステリーでもない。主人公である合田雄一郎は捜査に加わらず、何も行動しないのだ。むしろ家族小説、あるいはダークな青春小説かもしれない。否、死者のまわりにいた人々の15年間を克明に記すことで、高村薫はこの時代と人間を描こうとしたのだ。最終章に至って登場人物たちはそれぞれに安らぎを得るのだが、そこに著者の人間への優しいまなざしを私は感じた。高村薫の新たな代表作の登場を喜びたい。 | ||||
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刑事合田シリーズ。そうですか、合田刑事はもう一線から身を引かれ、後輩の指導ですか。。。その刑事合田の時系列が現在と回想を行き来し、未解決事件を描き出します。 | ||||
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「子を産む女の声が地を這って伝わって夜陰へ滲み込んでゆくにつれ、生き物たちのある者は近くで根源的な自然の営みが起きているのを察して息を殺し、ある者は生命の波動のようなものと共振するのか。」これは高村氏の前作「土の記」のなかの描写。もうひとつ。「数万本もの杉や土や生き物たちの集合の記憶がこの皮膚に滲み込み、ひたひたと細胞を満たしながら何事かを人間に知らせてゆくとでもいうのだろうか。」引用すればきりがないが、ここで氏の文体(スタイル)はあるひとつの高みに到達した。自然と対峙する人間ではなく、自然のなかの人間の営みへの憧憬と安息が文体に昇華されている。それは読むものを引き込み、絶え間ない雨の音が実は生存の不安の息遣いであることすら忘れさせてくれ、その先に悲劇は起こる。今回の「我らが少女A」の舞台装置は「冷血」を引くが、文体は「土の記」。その書き出し。「早春のそこには、見渡す限り黒々と起こされた黒ぼく土の畑地と、新芽にはまだ遠い灰白色の雑木林と、人影のない戸建て住宅の混じり合う平坦な風景が広がる。」かつて大岡昇平は「武蔵野夫人」で、「はけ」という地質に注目した。地質や地形がそこで暮らす人間に与える影響に関して「はけ」をその象徴として描いた。その方法が長い時を隔ててこの高村氏の作品に蘇った、と思った。それほど今回の作品では「野川公園」とその周辺が重要な位置を占めている。そしてことの顛末は多摩駅の若い駅員小野雄太の視線を通して語られる。もちろん、小野雄太の視線の先には武蔵野の自然などありえない。あるのはSNSの世界。5~7インチの画面の先にある「つぶやき」。しかし、その小さな画面に「現在」が露出する。登場する若者は「それぞれが苛立ち、何かを渇望している、と。」そして「一人の男が思い付きでインスタにアップした朱美の写真は、当人にとってはすでに過去でも、不特定多数の目に触れて次々に共有されながら、なお一部の人々の情動を誘い続ける。」これはどうでもいいことと言ってしまえばそれで終わりの世界。しかし、高村氏はこのSNSの流れに「現在」を見ている。「現在」とは、「どこにも着地できない宙吊りの状態をここまで続けてきた」親の世代の感慨であろうし、浅井忍のゲーマーとしての生き方。あるいは殺された朱美と同じ時間を共有したことのある真弓の現実からの浸食。しかしそれらすべての背景には武蔵野の「自然」が息づいている。どんなに世界が狭まろうとも、人間の営みは少しずつ前に向かっている。その思いに励まされる小説だ。 | ||||
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数十年前の昔、池袋の文芸坐辺りでアラン・レネの映画を観ているときの感覚を想い出す。それは他人の夢を見せられているような感覚である。幾人もの夢のカタログのページをめくるような感覚。移り行く風景。心の変化。場面転換。脳内スペーストラベル。心象から心象への旅を通して、次第に明らかにされてゆく12年前の殺人事件とその真相。 あまりに久々に手に取った高村作品は、やはり巷間に溢れる凡百のミステリーとは格段の別物であった。気高くさえ感じられる文体の凄み。観察眼の精緻。人間内部の幾層もの意識の深部へ沈潜して照射してゆく光の明るさ。彼らを囲繞する世界の仄暗さ。季節の匂い。風の触感。様々な言い尽くせぬ表現方法を総動員した小説作法は、やはり高村流と言うべき感性の豊かさによって編まれているかに見える。 ミステリの畑から長らく遠ざかっていた高村文学が、また再び合田雄一郎とともに帰ってきた。同棲相手に殺害された少女の掌から零れ落ちた絵の具のチューブが、12年前の武蔵野に置き去りにされた未解決殺人事件の記憶に結び付く。合田は、警察大学校の教授として教鞭をとる。驚くべき立場だが、また翌春には捜査畑に帰ってゆくという立場で、過去の事件を現在の捜査責任者へ積極的に協力をしてゆく。 しかしこの小説の主人公は合田ではない。彼ですら登場人物の一人でしかない。ここでは誰もが主人公である。巷間に埋もれる小市民たちでありながら12年前の事件に関わったことで、現在の状況にいくばくかの影響を感じつつ、始まった再捜査の状況にそれぞれに再び関わってゆく人間たちの数だけ生まれ、終息する悲喜劇でもある。 フーダニット・ミステリでありながら大がかりな犯罪を扱っているわけではないが、多くの人の生活や時間が見事に事件に絡んでゆく様子が素晴らしい。ADHDの少年の意識の入れ替わりや、浮き沈みする記憶、彼の運動力が物語を掻き回す状況のメリハリも本書を一つの個性な作品として際立たせる。 なおこの作品は2017年夏から一年間、日々連載された新聞小説である。連載時、日替わりで交代したという挿画家たちへの作家からの謝辞があとがきで表されている。単行本化された小説のページを、いくつもの異なる挿画が彩るという計らいも嬉しい。東京都下の事件を描きながら世界レベルの芸術性と、挿画も含めた美しい風景たちを混在させる素敵な本である。読後にぎゅっと心で抱きしめたくなるような物語でもある。 | ||||
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合田雄一郎も57歳。若者とカードゲームに興じたり、角が取れた感がある。まだまだ目は離せない。 読む者を息詰まらせる筆致は影を潜めた。 | ||||
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