(短編集)
愛なんてセックスの書き間違い
- SF (392)
※タグの編集はログイン後行えます
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点6.00pt |
愛なんてセックスの書き間違いの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
全1件 1~1 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカのSF黄金期に活躍したカリスマSF作家・エリスンの短編集。全11編はすべて非SF作品で本邦初訳、日本オリジナルの短編集だという。書かれたのが1950年代から60年代で、時代的な古さを感じさせるが、書かれているテーマは現代のノワール、ハードボイルド、ストリート物に通じるものがある。 | ||||
| ||||
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
エリスンの非SF短編集だ。50~60年代の初期作品を収録している。 SFでなくても面白い。社会と人生の不条理に対する憤りがほとばしり、実にエリスンらしい。 底辺の半グレを描いた作品が多い。リアルな生臭さに引き込まれる。 どれも短いので、解説即ネタバレとなってしまいそうなので、ごく簡単に触れる。 『第四戒なし』季節労働者の話だ。ある少年は父親を捜しているというが。 『ガキの遊びじゃない』文学系学者は、隣の不良少年に悩まされていた。読み終わるとタイトルが怖くなる。 『人殺しになった少年』破滅に向けて突っ走る高揚感を描いた秀作だ。 『ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない』70ページほどの中編で、本書の白眉である。 仲間の女が妊娠したので、堕胎医を求めてメキシコへ向かう。国境を越えただけで、圧倒的な貧しさが拡がる。 場末感が漂う街の描写は圧巻だ。本作はジャンル小説ではなく、文学だ。 エリスンを文学者として評価する人はあまりいないが、名だたる主流作家の誰にも劣らないと思う。 エンタメ業界に関する作が何本か収められている。 『ラジオDJジャッキー』芸能界と暴力団はどこの国でも仲良しである。 しかしDJに向って「ウチが押してる歌手の曲をかけないとは、どういう料簡だ」と銃で脅すとは、 さすがアメリカというべきか。もちろん小説だから事実ではないが。 『クールに行こう』はミュージシャンとマネージャー、『ジルチの女』は駆け出し作家の話だ。 どれも結末の捻りが洒落ている。 『盲鳥よ、盲鳥、近寄ってくるな!』第二次大戦が舞台で、ドイツ軍の猛反撃から必死で逃走する兵士を描く。 一直線のプロットながら、迫真の描写で一気に読ませる。 傑作選の名にふさわしい極上のチョイスだ。満点です。 ただ、最後のエリスンの近況報告みたいな短編は、余分だったのではないか。 普通の創作を一篇でも多く読みたかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短篇「ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない」(本邦初訳)に感服しました。 ジェニーが死んだのは、おまえのせいでもおれのせいでもない。 言い間違えた。 ジェニーが死んだのは、おまえのせいでもあり、おれのせいでもある。 ジェニー、おまえ、おれ。みんなの愛を感じさせられた短篇でした。けっさく。 米国ピューリタニズムのピュリティの愛ではない。言葉にすると不純な「愛」 この短編集の全作品を通じ、心と体は、別物であり、同じものでもある、と感じました。 愛と体の反応は、バラバラでもあり、一体化する時もあり、つかみにくい。ヌルヌルしてて。 表の世界では、世界の中心に向かって声高に叫ぶこともできる美しい「愛」 裏から見れば、恥ずかしくて口にも出せない単なる体の反応。ズボンの中の反応。アナとトッキ。 顔を両手でおおって、赤面を隠したくなる。アイ(わたし)は言葉にできない。 やっかいなことに、てめえの体は毎日くわなければ腹が減ってしまい、 終いには何にでも食らい付く節操のない体となる。 おまえの賢明な頭と美しい心はどこへ行ってしまった。 大ウソつきの毛深い「けだもの」や、頭はあっても脳なしの信者、金の盲じゃになってしまう。 愛欲も飢えれば、似たようなものだ。始末に負えない厄介者だ。 愛の名のもとで行われる人間の背信行為も後を絶たない。まえもたたない。 愛なんて、言葉でごまかしたセックス。 著者エリスンに言われなくても、「それ」以外の何ものでもない。愛、イコール「それ」 愛なんて、後ろから透かして見れば背・・・が見えるだけ。スカさなくても、時と共に。 悲しいけど現実。あんなに心から愛したつもりだったのに。 いつか、そんな愛はきれいさっぱりと消えていた。最初から無かったようにきっぱりと。 今はパートナーの背中しか見えない。安眠だけの人生になっちまった。安眠望外。 《備考》 〈本書のタイトル『愛なんてセックスの書き間違い』について〉 「愛なんてセックスの書き間違いだよ」(281頁) 「愛なんてセックスの書き間違いだもんな」(343頁) 「愛は肉のなかにある肉じゃない。それはすべて頭脳労働のなかにある」(343頁) 愛はすべて、人間の頭がひねり出したもの。クソみたいなもの。 肉欲の愛を描いた小説も、作家の頭が考え出したもの。食欲とたいして変わらないもの。 この論法で行くと、愛欲のポルノ小説も間違って純文学のジャンルに入れられるのかも? ステーキ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
エリスンの非SF作品、つまりSF作家として注目される前の初期作品を集めた短編集です。 そう承知して購入したのに、読み進めていくと、つい、この後どんな展開になるのだろう、と、めくるめくようなSFガジェットを期待している自分に毎作品気づかされる状態が続いていました。そのくらい、エリスンはすでにエリスンで、名をなす前であっても圧倒的な文章力はすでにこの作品たちにも顕著です。 ホレス・マッコイ「彼らは廃馬を撃つ」、ウェストレイク「さらばシェヘラザード」など他作家の長編を思わせるような雰囲気のものもありますが、現代日本でニュースを賑わせているような単純な暴力沙汰もあり、こういう良識人が愚かだと眉をひそめるようなエピソードを、愚かさはそのまま一切減じずに渇いたセンチメンタルな物語に仕上げ、なおかつどこか品のある美しい作品として読ませてしまうエリスンはやっぱりすごいのです。 ただ、こういった犯罪系のストーリーの場合、ちょっと文章がいびつなくらいの方が印象に残りやすいのかなという気がします。 そして何より、この話をやっぱり絢爛たる世界の中でもっと自由に大風呂敷を広げて展開したSFとして読みたかったな、というふうに思ってしまいますね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハーラン・エリスンの本邦初訳短編集、11編。魅惑的だが、電車の中で女性に見られると、ちょっと恥ずかしくなる題がついている。「愛なんてセックスの書き間違い」は本書の短編のうち、5編を収録した短編集の題である。 非SF系の初期短編集というのが、若島正氏編集の本短編集の趣向である。 内訳と私的評価 〇一番古いのが巻頭の「第四戒なし」で1956年。直近がラストの「教訓を呪い、知識を称える」で1976年。ただし、年代順に並んでいるわけではない。 〇実に恐ろしいことだが、11の短編を長い方から順に並べ、極短のコメントを付し、5段階の極私的評価をしてみよう。実に恐ろしい。(数え間違いご容赦) 〇一、「ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない」65頁、堕胎小説、5点。二、「パンキーとイエール大出の男たち」44頁、危険な過去に戻る、5点。 三、「盲鳥よ、盲鳥、近寄ってくるな!」31頁、戦場、4点。三、「孤独痛」31頁、悪夢と孤独と女、4点。五、「クールに行こう」23頁、ジャズと悪女、4点。六、「第四戒なし」22頁、父親探し、3点。六、「ガキの遊びじゃない」22頁、近所の暴走族、4点。六、「人殺しになった少年」22頁、非行少年、3点。 九、「教訓を呪い、知識を称える」19頁、若妻寝取られもの、4点。九、「ジルチの女」19頁、エロ小説家、3点。十一、「ラジオDJジャッキー」16頁、DJペイオラ、5点。 私的ベスト3 第一位、「ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない」オーソドックスな、格調高い堕胎小説。第二位、「パンキーとイエール大出の男たち」超人気作家が、危険な非行少年時代に戻る。前半ちょっと退屈だが、後半怒濤の展開。第三位、「ラジオDJジャンキー」短い中に、サスペンス、スタイル、皮肉、意外を詰め込んで・・ 私的結論 〇「愛なんてセックスの書き間違い」がどんな小説か、解説には書かれていないが、「パンキーとイエール大出の男たち」を読むと答がわかる。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 4件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|