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我らが少女A
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我らが少女Aの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 41~48 3/3ページ
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久々に高村薫さんの本を読みました。 ゲーマーの世界、精神に障害のある人の世界(?)らしい描写が途中からめんどくさくなってきました。 | ||||
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マークスなどで好きになった作家。本屋で少し立ち読みして久しぶりに買った。一気に読み終わって忍の最後の言葉だけが残った感じ。あ、そうか、被害者は最後に、え、空?と言ったんじゃないかと気がついたとき、物語の全体がビシッと決まって、不思議と泣けてきました。人の記憶や思考はおぼろげなものなんですね。自分の頭の中を探検したくなりました。 | ||||
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本作品は「合田」ものではあるが、作品の流れとしては「土の記」の延長線上にあるものと考える。主役は「地域」であるからだ。野川かとも思ったが、野川の源流にも、野川公園の先の野川にも触れていないので、やはりこのエリアが主役なのだろう。このエリアはどんなエリアか。バブル時期にも都心から近い距離圏にも係らず開発から免れ、広大な敷地をかかえ、その後は警察学校や外語大といった公的施設に利用されてはいるが、行ってみれば皆空の広さに驚くであろう。武蔵野公園や野川公園は私が37年前に免許センターに行った際に初めて触れたが、その時のままだ。そして何よりも著者の母校ICUがその中央に鎮座する。本作品の野川の描写を読むと、自転車で野川沿いを走っているのは正に著者ではないのかと錯覚しそうになる。 そして作者はこのエリアに12年前の事件を甦らせるような試みを行う。人と人の関係、人の心中の奥底を徹底的に掘り下げることで、バーチャルな現実が浮かび上がる。 作家は何を欲望したのだろうか。時間と空間を切り取ろうしたのではないか。そして何かを残そうとしたのに違いない。 私もまた野川沿いをクロスバイクで走ろうと思う。この作品で自身の中に何が残ったのか確認するために。 | ||||
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合田雄一郎と聞いて手が伸びる衝動を抑えるのに苦労し、精神を病んでいる登場人物の読みにくい独白と、必要を越えた専門的知識や風景描写に長々と付き合わされるのに閉口しながらも、それらはすべて必要な文章だったと読了時にのしかかってくる重厚さに納得してしまう。とまれ、主人公達と共に歳を重ね、いつしか彼らの年齢を追い越し、そして追い抜かれてみて、あらてめて時の流れを痛感するが、若さとはそれ自体強い磁場であり、抗いがたい魅力にほかならない。結果として、本作読了直後にも関わらず、捜査一課に白スニーカーで颯爽と登場した、底堅い日陰の石の一つの頃の雄一郎をまた、読み返している。 | ||||
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この本の主人公は合田雄一郎という警官です。この主人公が登場する小説には、他に『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』『冷血』があります。最初の小説では、若手の警官として登場し(たしか、白いスニーカーを履いていたように記憶しています)、作品ごとに徐々に年齢が変化しており、この本では50代です。犯罪に対する捜査が描かれていますが、読者は犯人が誰なのか推理しながら読むような作品ではありません。 犯人はほとんど最初から明白なことが多く、著者はその捜査の過程を淡々と描いていきますが、本書ではこうした高村流が益々極まっているように思います。小説の中で”劇的なこと”は何も生じません。過去に起こった犯罪に対する思いが、それぞれの関係者の中で揺らぎ、その揺らぎが共有されたり、新たな揺らぎを生み出したりする様子が描かれるのみです。しかし、小さな石を積み上げていって巨大な建築物を作るように、細やかな日常的な事実をこつこつと積み上げていくことで、著者は人間という存在の普遍的なありようを描き出そうと試みているのではないかと思います。そして、『神は細部に宿る』という言葉がぴったりくるような高村流に、私はなんとも言えない吸引力を感じます。(劇的なことは生じないと書きましたが、むしろ一見細やかに見える日常的な心の揺らぎこそ、本当は劇的なことなのかもしれません) それから主人公の合田さんは過去の作品と比べて、人間らしい揺らぎを感じさせることが多かったような印象です。過去の作品の中では、すべてを捨てて犯罪に肉薄していく様子が印象的で、そうした執念や迫力が魅力的であった一方で、何がこの人をここまで突き動かすのかが読者の私には腑に落ちず、近寄りがたい印象も受けたのですが、この『我らが少女A』では、合田さんの他者(友人や同僚や犯罪に巻き込まれた人たち)への思いが素直に表現されている場面が多かったように感じます。これまでの作品に感じたものが合田雄一郎への憧れであったのに対して、この作品ではむしろ合田さんへの親しみを強く感じました。 50代を迎えて合田さんも少しずつ変わっていらっしゃるのでしょう。変化された合田さんが、今度はどのような捜査をされるのか、次回作に期待したいと思います。 | ||||
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高村薫も天童荒太と同じように、長編が出るとすぐに買うのだが、読み始めるのに決意が要って、なかなか手が伸びない作家である。 が、この作品は先週発売されたばかりだから、すぐに手が伸びた。 珍しいことである。 天童荒太の『ムーンライト・ダイバー』で免疫ができていたのかもしれない。 それにしても、このタイトルは一体なんだ。 そう思いつつ、読み始めた。 12年前のクリスマスの早朝、高校の美術教員を定年退職した画家が、毎朝写生に行く公園で死んでいた。 そこから話が始まるのだが、その先生に絵を習っていた当時中学生だった少女が、12年後に同棲していたつまらない男に、つまらない理由で殺される。 そして、その殺した男が警察で言うには、彼女は12年前の老女の死亡した現場から絵具を1つ持ってきたということを、語るとはなしに話したのを聞いたことがあると・・・。 そこから特命班が動き出す。 そして、12年前の人間模様を再度調べ始める。 久しぶりに登場した合田雄一郎は、12年前の捜査本部の責任者で、今は12年前の現場にほど近い多磨駅近くの警察大学の教官という設定である。 それにしても、中学生・高校生たちの描写は大したものである。 ゲームの世界、そしてADHDの少年の頭の中。 よく書けるものだ。 それから、『晴子情話』や『新リア王』で福澤彰之の一人語りで多用される「ああいや」という言葉、そして『冷血』の中で」少女の一人語りに多用される「いいえ」という言葉が、本書でもリズムを決めていく。 まあ、いわゆる高村節が全開なのである。 だが、12年前の事件の再捜査で、人間模様を一から描くような捜査を警察は果たしておこなうだろうか。 そういう疑問はあると言えばある。 それでも、ここまで引っ張ってくれれば、愛読者としては文句はない。 本作は明確なミステリーでもないし、なぞ解きという訳でもない。 だからこそ、最後にタイトルに込められた意味が伝わってきたのだった。 | ||||
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何より美しいのは、髙村さんの言葉による武蔵野の情景描写。氏がかつて通った大学が近く、武蔵野への思いは強いと語るだけあって、季節折々の描写はまさに眼前に景色が立ち上がるほど。 そして、関係者それぞれの些細な日常を描きながら、そこに潜む諦めや寄る辺なさといったものが、髙村さんならではのユーモラスかつ絶妙な比喩表現をもって語られる文章そのものに心酔。 髙村さんならではの乾いた硬質な文体は健在だけど、マークスから二十数年、若かった合田も57歳になり彼の思考過程にも変化が。「合田は私である」と著者自らが言うように、それは髙村さん自身の変化なのか文体も前ほど尖った印象が薄れているように思う。盟友加納祐介との仲にも病気や老いといった要素が入り込み、確実に年を取った二人のこれからも気になるところ。 マークスのようなミステリー色や、照柿、冷血のような雄一郎の内面世界の彷徨を期待すると肩透かしの作品かもしれないが、雄一郎vs.犯人という構図ではなく、雄一郎も含めた事件関係者たちの人間そのもののを描くドラマとして、しみじみと心に染み入る作品でした。 ところで、雄一郎が警視庁に異動になったということは、次作を期待していいんです | ||||
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私が尊敬してやまない、現代日本を代表する作家、高村薫女史の新作がついに発表になった。題名は「我らが少女A」、かつては光り輝いていた女優志望の少女Aが社会の底辺で27、8という歳で無惨にも殺される、そのAが生前同棲相手に語っていたある事がお宮入りした12年前の未解決殺人事件を揺り起こし、その事件の周囲にいた人物たちに再び静かな波紋を与えていく物語となっている。 前回の長編「土の記」から一転して、合田雄一郎を主人公とする警察小説シリーズに戻り、またその前のニュージャーナリズム的小説「冷血」とは一味違った、本格的クライムノベルへと回帰している。また、コアなファンには義兄にして微妙な同性愛的対象である加納祐介が冒頭から顔を見せるのも嬉しいところ。 とは言うものの、毎日新聞に一年間連載された小説であるにもかかわらず、物語は起伏に乏しく、終盤の盛り上がりも、あっと驚くようなどんでん返しもない。普通の犯罪小説や推理小説の面白さを期待しては完全に裏切られることになる。いみじくも作中で女史はこう語っている。 「小説や映画で、名探偵が得々として真犯人はおまえだと言い放つのとは違って、本ものの事件が暴く事実の一つひとつ、現実の一つひとつが自分たち身近な人間の皮膚を剥ぎ、臓腑をえぐる。何か新しい事実が分かっても、少しも嬉しくない。真相など分からないほうがいい。(p522-3)」 まあつまるところ、徹底したリアリズムによる社会描写と露悪気味とさえいえる個人の深層心理の追求という、二十世紀三部作以降ファン離れを加速させることになった「ついて来れる人だけついてきなさい」の高村薫主義は今回も全く揺らぐことなく貫かれているわけである。 だから私のような高村薫中毒者が単行本をむさぼる様に読むには格好の小説ではあったのだが、もし私がファンでもない単なる新聞読者であったなら、一年間も辛抱強く読んできて結末がこれか、と怒ると思う。 女史の深い洞察と取材力、ADHDの少年を別件で逮捕するという危ない橋を渡る胆力、そして強靭な文章と物語の構成力は健在ゆえ、小説として一級品であることは間違いない。だからこの作品の賛否両論が分かれるとすればまさしくこの、新聞連載小説にしてこれか、という読者サービス精神の欠如という一点だと思う。まあ「新リア王」の時にも全く動じなかった高村薫女史のことだから、今後もこの線は譲らないとは思うが。 とにもかくにも高村薫の文章に飢えていたものには嬉しい一冊であったし、私も昔武蔵境に住んでいた事があるので多摩を中心とした物語にはとても郷愁を誘う物語でもあった。 | ||||
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