新リア王
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(上・下巻通してのレビューです) 『晴子情歌』の続編。ほとんど登場しなかった代議士福澤榮の回想談が延々と続きます。これはこれで面白い。現代政治・社会の教科書としてもいいくらい。仏門に迷う?影之のその後が読みたい……と思ったら、『太陽を曳く馬』に続くようです。 | ||||
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早い対応と、丁寧な梱包で、とても良かったです。 | ||||
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高村薫の圧巻の三部作、その中間に位置するのが「新リア王」。 上下巻込みの感想になります。 父子ふたりの会話劇が小説の基礎です。 座して会話しているだけですが、話しの内容に動きがあるのが、せめてもの救いでしょう。 ダイナミックなカタルシスは捨て去られているため、特に上巻は読むために忍耐が要ります。 前作「晴子情歌」は純文学としての豊穣と達成がありました。 しかし「新リア王」は会話劇という形態のために、反小説的な側面さえあります。 実際に後の「太陽を曳く馬」は小説としての成り立ちまで放棄されたようなもの。 「新リア王」は「晴子情歌」ほど、小説的ではなく、「太陽を曳く馬」よりは小説的なのです。 父子ふたり、また小粒な登場人物すべてが想い入れを排するような愛嬌のない者たち。 進んでいえば吐き気がするようなダメ人間です。 しかし人間の業を見続ける高村薫は、そのクズさを断罪したりはしません。 私たち読者は判断を宙吊りにしたまま、辛い読書をします。 テーマは多岐に渡ります。 中選挙区制度の中の地方の王。 その絶対的な父権性。 あるいは原子力事業というものの悲惨。 政治家が今より大粒、大物だった時代と、その瓦解。 そう、下巻では宙吊りにされた一切が音を立てて崩れ去り、「ああ、ここまでの布石はサスペンドされたものか」とハッとさせられるでしょう。 つまりはやはり高村薫は「新リア王」でサスペンスを描いて、私たちをあっといわせるのです。 とはいえ、このサスペンスにたどり着くまでには相当な我慢を強いられます。 乗り越えた読者にだけ見えるものはスケールも巨大な戦後日本社会という渦です。 今と地続きであることまでも丁寧に描きます。 日本の典型的な保守政治家を軸に、明らかにその保守性に異議を抱えた著者が軽々と断罪しない辛抱強さを魅せてくれるのです。 賛否両論あるのは当たり前。 眩暈がするような読書体験でしたが、「晴子情歌」のように万人に薦められる小説ではなく、まごうことなき問題作になっています。 | ||||
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「冷血」を読もうとしたが、全頁二段組上下二巻のボリュームに気おされてしまった、 それで55年体制の終焉を描いたらしい梗概に惹かれてこちらを読み始めたが、さて、半分ほど読み進んだところでたいくつに負けて挫折してしまった、 松本清張も山崎豊子も実現できなかった微に入り細に入り詳細される国会議員の日常描写は面白いことは面白いし、80年代当時の実在の政治家たちがぞろぞろ登場し主人公に絡むので、昭和の終わりを知っている読者なら、あーあの頃はそうだった、と脳内にフラッシュバックするニュース映像と共に楽しめもするが、 私的にめったにないことだが、本作はここまででいいやっと投げやりな気持ちが湧いてしまった珍しい本ではあった、 それに書名が大げさすぎる私小説だと思う、 保守本流と反主流に関する主人公(つまり作者)の視点には興味深さを感じた、 P.58に”吉田・池田・佐藤・田中と続く保守本流” そして ”鳩山・岸・福田の反主流派”とある、 P.308では両者を主流・反主流とよび、さらに詳しい当時の背景が説明されている、 昭和の政治史を誰が語ってもその通り二つの派閥争いが連綿と続いたことは間違いないが、田中角栄は上手に立ち回って佐藤の後を継いだように偽装しただけの似非主流と呼ぶのが史実により近いように私は考える、 田中が金まみれの過ぎる似非主流であったからこそ田中以後の派閥政治の混乱が生じたと思えば、その後のバブル景気と景気後退時期の国政の混乱は回避不可能だったのだとも思う、 そう考えれば、世紀が変わり小泉→安倍に至り、取り合えずのかりそめの安定を取り戻した我が邦には政治家も国民にも誇るべき冷静さがあったのだとも思う、 それはただの偶然で褒めすぎでもあるが、失われた十年が必ずしも無駄だったわけではないと将来の歴史家が評価すると思う、 そして自民党の保守本流や主流が政治思想・政治哲学上の保守主義とはかんぜんに一致しないことも現在の視点からは明白なのだった、 現実の政治がそれでO.K.であることも改めて語るまでもない、 以下蛇足、 金庫番という懐かしい単語が頻出している、 政治家の金の出入りを把握・管理しているキーマンのことだ、 彼が押さえている金の出入りとはじつは大福帳形式の入出金のことなのである、 バランス・シート形式ではないことを知ったうえで本書を読み進まなないと誤解が生じるかもしれない、 著者の表現の上手さはここでも冴えている、 曰く、 平板そのものの陽だまりの縁台のような顔をして → 毎日見かけるとりあえず頭を下げながら、舌をだしている連中がそうである、 嗅覚は自律神経だから意思でどうなるものではない、 etc. | ||||
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すみません。理解できませんでした。 文章も読んでいて難儀でした。 というのが感想です。 | ||||
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