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プレイバック
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プレイバックの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 1~20 1/3ページ
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大学時代、最初に読んだチャンドラーの作品です。懐かしくなり購入しました。今読んでも、カッコいいですね。 | ||||
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田口さんが訳した「ロング・グッドバイ」がとても格好良くて、初めて紙と電子両方で購入して読むほど好きになったので、本作も購入しました。 正直、お話の内容は非常に退屈だったのですが、マーロウの考えていることやセリフがとてもユニークですし、言い回しが格好良くて、文体の面白さみたいなところで楽しむことができました。 物語が自分に合わなくても、文体で楽しめるというのは新鮮な体験でした。 マイナーだったり名作扱いされていなかったりして、まだ訳出されていないチャンドラー作品があれば、田口さんの訳でぜひ読んでみたいと思いました。 あと、この翻訳シリーズのカバーデザインがエドワード・ホッパーのナイトホークスをトリミング違いにしただけというのも無骨で好きです。レタリングが格好いいので、なんか良い肉に塩振っただけみたいな感じがします 笑。 | ||||
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いわば手作りの訳です。現代人、しかも日本人には絶対分からないチャンドラーが仕掛けた伏線についてはさりげなくヒントをくれてます(でも分らないけど。種明かしが実に面白い、一杯食わされる快感)例の名文句も辞書を見ても絶対出てこない言葉で登場。しかもちゃんと会話として成り立ってるんです。全体の会話は軽快で笑える、だけどシリアス。マーロウがエスメラルダを忙しく動き回わる、さらにロスを往復する、その様子がまるで映画みたいに浮かんできます。いくらAIが進んでもこんな風に訳すのは無理じゃないかな。 | ||||
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主人公の私立探偵の元に、弁護士からある女性を尾行する様な依頼があり・・・というお話し。 以前、清水さんの訳をもっていて、読んだ記憶がありますが、今そのエディションは所有しておらず、読んだのも大分前なので、うろ覚えですが、最初とか終わりとかこういう風でしたっけ、と思う所があり、何となく違和を感じてしまいました(村上さんの訳も持っているかと思ったらなかったです。すいません)。もしかしたら、以前の訳が全訳でなく抄訳だった可能性もありますが、比較できないもので、知っている方に教えて頂きたいです(私の方の記憶違いの可能性が大ですが)。 熱心なファンからも駄作、愚作という評価を得ていた作品ですが(その為人生の貴重な時間や金を無駄にする覚悟が必要でしたが)、今回読み直して意外に面白かった印象でした。訳の田口さんがハードボイルド/私立探偵小説の翻訳で定評のある方なので、それで大分得をしているかもしれません。 ただ、出版社の宣伝で名作という言葉が使われていて、それは流石に・・・という感じでした。 有名な台詞は、田口さん風にアレンジされており、波紋を呼ぶかもしれませんが、それでも、田口さんの訳でまたチャンドラーの作品が読めたのは僥倖でした。他の物もお願いしたい所です。 チャンドラーの遺作の、新訳で人によっては決定訳になるかもしれない、読みやすいエディション。機会があったら是非。 蛇足ですが、田口さんの「長い別れ」が出たあとに、市川さんの「ザ・ロング・グッドバイ」も出ましたが、版元があまり有名ではなく、市川さんも著名とは言い難い為、黙殺された印象で、読んだら結構いい訳だとおもいましたがね。 | ||||
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地図とイラスト、時系列表を見ながら読むとすんなり話が頭に入り、その分余裕で楽しめる。特にホテルの構造など、想像も出来ないものだった。イラストなしには到底誰がどこに何しているかわからなかった。訳自体も明快で分りやすかった。会話がとにかく面白い。例の名文句も会話の流れに溶け込み、一番自然で一番しっくりすると思えた。さらにあとがきが面白かった。あとがきを読むとチャンドラーのすごさがわかる。とにかく一ページの無駄がない、クラレンドンの話も重要ファクターだとわかる。タクシー運転手の一言の重みに驚く。チャンドラーファンだけでなく、だれでも楽しく読めるのではないかと思う。 | ||||
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他の長編と比べると、ページ数も少なく、プロットがシンプルで、最後もしっかり締まって終わります。この前に読んだのが「リトルシスター」だったので、少し心配していましたが、そこは改善されていました。 ただし、シンプル過ぎて(死ぬのは一人)ミステリーとしては、予想通りの展開という、どんでん返しなしの決着です。犯行の動機も、途中でほぼ誰にでも分かる形で明かされます。 そこを抜きにしても、チャンドラー節というか、マーロウ節は相変わらずで、存分に楽しめました。 でも、私はこれくらいすっきりしたプロットの作品が好きですね。 あとは、あまり必然性のないベッドシーンがあったり、例によってマーロウが警察署に出頭したのに、警官からどやされることなく、無傷で署を後にしたり、という部分をどう評価するかですね。 いつもの様に影響力をもった大物が登場しますが、州が違うという理由で警官に追い返されたりして、今までと全く違った展開を見せます。 また、ハードボイルド物は、探偵がある人に会って話をし、そこから得たヒントを元に次の人に辿り着いてまた話を訊く、ということを繰り返します。今回、すこし気になったのが、ホテルのロビーで向こうから爺さんが話しかけて来て、マーロウにあれこれ教えるところですね。少し、著者が楽をした感じがします。年齢のせいかな。 そんなこともあり、★4つとしました。これで、マーロウシリーズはコンプリートしました。次は、ロスマク、リューイン辺りを読もうと思います。 | ||||
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「そんなものは忘れてしまえ、家でおとなしくしていろと常識は告げる。関わっても一文の得にもならないのだから。しかし常識の声はいつもあとになってから届く。常識というのは、今週車をどこかにぶっつけた人に向かって「君は先週のうちにブレーキの調整をしておくべきだったね」と忠告するようなやつだ。常識というのは、自分がチームに加わっていたら、週末のゲームなんて楽勝だったのにと言う、月曜日のクォーターバックのようなやつだ。しかし彼がチームに加わることは決してない。そいつはいつもポケットにウィスキー瓶を入れ、スタンドの高いところに陣取っている。常識というのは、決して計算間違いなぞしない、グレーの背広を着たちっぽけな男だ。しかしその男が計算しているのは常に他人の金だ。」 われながらお人よしと分かっちゃいるけど・・・といつものマーロウ。 | ||||
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前作『長いお別れ』から4年半を経て、1959年に刊行された本作は、レイモンド・チャンドラーの七作目にして、最後の長編である。 私立探偵のフィリップ・マーロウが、朝っぱらからかかってきた電話で叩き起こされるところから物語は始まる。 電話の主は非道く高飛車な弁護士であった。その用件はワシントンから到着する特急電車に乗っている女を尾行し、落ち着き先を報告することだった。 理由について一切の説明は無く、一方的ではあったが、依頼を引き受けたマーロウは女を尾けて特急電車に乗り込み、サン・ディエゴのエスメラルダに辿り着く。そしてマーロウは、敢えて自分から女に接触をしていく。 『長いお別れ』がかなりのページ数だったのに対し、本作は最もページ数が少ない作品となっている。そして、その内容はこれまでの作品と大きく異なるところが多々有り、面食らってしまったというのが正直な感想だ。 まずは舞台。チャンドラーの作品は、これまで一貫してハリウッドやロサンゼルスであった。しかし、本作では殆どがサン・ディエゴで展開されている。 これは、チャンドラー自身がロスの変わりように嫌気が差し、1946年にサン・ディエゴ近くのカリフォルニア州ラ・ホヤに引越していたからだ。チャンドラーにとって、ロサンゼルスはもうマーロウが活躍するにはふさわしい場所ではなくなっていたのだ。 そして現地の警察について取材を行なった際に、紳士的な警官の態度に感銘を受けたチャンドラーは、サン・ディエゴの警官たちを非常に立派な者たちのように描写している。ロスやベイシティの警官たちに対するものとは大違いだ。 また、何故このようなことを書いたのかと、頭を捻らざるを得ないような奇妙なエピソードが非常に多い。 例えばそれは、突然登場した老人がマーロウに神の存在や人生について長々と話して聞かせるところだったり、別な老人から昔聞いたことのあるエスメラルダに関する見解を不意に差し込んでみせたりなどである。 そして、一番の違和感を覚えたのは、登場する女たちとマーロウが続けざまにベッドを共にし、しかも、これにしても物語には殆ど関わりはないのである。 さらには、エンディングではマーロウが結婚でもするのではないかと匂わせたところで、プッツリと幕が引かれるのであった。 このような作品になった背景としては、1954年に18歳年上の妻を亡くし、落ち込み、酒におぼれ体調を崩したことが挙げられるのかもしれない。 翌1959年に『プードル・スプリングス物語』を執筆し始めたチャンドラーは、本作に於いて本当にマーロウを結婚させてしまった。 しかし、第4章まで書いたところでチャンドラーは亡くなってしまい、その後をロバート・B・パーカーが引き継ぎ完成させている。 だが、私は読む気になれず未読のままである。 | ||||
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題名はリンダ・ローリングとの思い出のプレイバック。 マーロウはロンググッドバイでのリンダとの関係が忘れられない。だから、ヴァ−ミリアもその事情を理解する。 そのためにマーロウ小説として何処かに違和感がある。 タフであることは探偵に必要な事だが、男は優しくなければ生きている資格はない。 リンダが忘れられないのに無理矢理避けるのはマーロウが男女間の金銭的な差は男を堕落させるものと知っているから。 | ||||
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生き方が魅力。 「厳しい 心 を 持た ず に 生きのび ては いけ ない。 優しく なれ ない よう なら、 生きる に 値し ない」 「誰 も 求め ない、 何 も 求め ない という 硬い 心 を 持つ ほか に、 治癒 らしき もの は ない。」 | ||||
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老人の言葉はチャンドラーの言葉だったんだろうと思う。優しいチャンドラーは最後に、優しいマーロウに愛しいひとと幸せになって欲しかったのだろう。まるでチャンドラー自身に重ねるように。 | ||||
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大いに楽しんでいます。 | ||||
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本書は私立探偵マーロウ・シリーズの七作目にしてチャンドラーの遺作となりました。 いつもながらのマーロウ節には、永遠の若さを書き留めようとする作者の想いも感じられます。 【前半部】 私立探偵マーロウは、弁護士のアムニーなる人物から半ば強引に依頼を請けた。 機知と偶然が織りなす追跡劇。二つの名前を持つ女。死体の消滅。 彼は全てが想定された筋書きのなかで、自分がおとりの役割を担っていたことを知らされる。 ここまでの前半部で『羊をめぐる冒険』に描かれていたのとよく似た場面が登場することに気づきました。後半部に入るとますます頻発することから、どうやらその関係性は意図的なもののようです。 【後半部】 美人秘書ヴァーミリアとの一夜のロマンスを経て、マーロウは真相の解明に再び取り掛かる。 老紳士おおいに語る。エスペランザの町の誕生と発展。木賃宿の中でみつけたもの。 金と権力が支配する裏社会を読み解いた彼は、何も受け取らずに日常へ戻って行く。 村上春樹は最初の長編作品となる『羊をめぐる冒険』に本書のプロットを大胆に導入しているようです。それは敬愛するレイモンド・チャンドラーへのオマージュと同時に、遺作でもある本書の系統を引き継ぐという意味を込めたのかもしれません。(訳者あとがきではその辺のことについて一切触れていませんので、自明過ぎることなのかもしれませんが) 推理小説の形式を採りながら新しい文芸を志向した彼の最期の作品である本書は、エスペランザの建設に携わった父と娘の挿話にも見立てられる壮大な試みの到達点とも言えます。 謎を謎のまま突き放す乾いた文体に、成熟した男の姿を求め続ける独自の世界観。軟弱者を寄せつけない、顎の強さを要する本格派。これぞハードボイルド! | ||||
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19歳の時に清水俊二さんの訳で読んだ「プレイバック」ですが、今回はじめて村上春樹さん訳で読んでみました(その間にも清水版「プレイバック」を繰り返し読んでいますが)。 改めて「プレイバック("Playback")」(作:レイモンド・チャンドラー、早川書房)を読む。 弁護士からの依頼により私立探偵フィリップ・マーロウは、ユニオン・ステーションに出向き、スーパー・チーフ号に乗るベティ・メイフィールドの尾行を開始します。そこから先は、スリラーであるにも関わらず特に何も起きません(笑)書きたくとも書けないぐらい、静かに物語は進行します。次々と怪しげな男女が登場し、マーロウとのワイズ・クラックに満ちた会話をただ繰り返すだけです。勿論、事件があり、殺人も起こり、犯人が明らかにされて事件には解決が与えられます。この小説は、服飾で言えばオーセンティック・IVYのような基本的なハードボイルドの結講を持つ、極めてシンプルなストーリーによるアベレージな作品(笑)と言えますが、村上春樹さんの解説にもあるとおり、ある有名な台詞が一人歩きすることによって、世の中のハードボイルド好きにとっては、必読推薦図書のような小説となってしまいました。 25章、ベティは、マーロウに以下のように尋ねます。 「これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」 「If I wasn't hard,I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to be alive.」 上記の英文は、かつて「渡辺武信詩集」から学びました。それ以来、僕自身にも様々なトラウマを生み出したことは間違いがありません(笑) 現実世界では、誰もそのようには尋ねないし、僕もそのように答えられるはずがない。 今回読んでみて改めて思ったことは、舞台であるエスメラルダ(サンディエゴ、ラ・ホヤ)の描写が爛熟した気品のようなものを醸し出していることと、特筆すべきは、ホテルに住みつくヘンリー・クラレンドン四世とマーロウとの哲学的な会話に(ほとんどは、ヘンリーの独白だが)、例えようもなくうっとりと聞き入ってしまうことにあるかもしれません。それは、まるでフィリップ・マーロウと老境に入った作者自身、レイモンド・チャンドラーが会話しているような、そんな興趣が感じられました。 「。。。この世には悲惨が溢れているし、悲惨な目にあうのはだいたい常に無辜の人々なのだ。イタチによって巣穴に追い込まれた母ウサギはどうして赤ん坊たちを背後に隠して、自分の喉を裂かれることを選ぶのだろう?なぜだね?。。。。君は神を信じるかね、若い人?」 そう、ヘンリーはマーロウに尋ねます。そして、おそらく僕もまた何度でもその問いかけを思い出すことになるのでしょうね。時にイエスであったり、時にノーであったり。 それが、僕がこの小説から学んだもう一つの"Playback"なのだと思います。 | ||||
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一月ほど前になるがチャンドラーのマーロウ・シリーズ第一作『大いなる眠り』を何十年ぶりに読んだが、このシリーズ最期の『プレイバック』(チャンドラーの遺作となった1958年の作品)だけを読んだ記憶がなくAmazonで入手して読むことにした。 訳者の清水俊二氏も巻末の解説でチャンドラーらしくない異色な作品であると書いていた。 その理由として清水氏は、ストーリーにあまり関係のない部分がいつもの作品にくらべてはるかに多いと述べている。 清水氏は、ホテルに滞在しているヘンリー・クラレンドンという老人が唐突に登場し、神の存在や死後の世界について語らせるチャンドラーの意図を理解できないとも書き添えていた。 評者は、マーロウ・シリーズをこの3年ほどで『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』『大いなる眠り』と読み終え、本作『プレイバック』を読み終えたが、やはり、いままで読んだ作品とは違う異質な雰囲気を感じてしまった。 パリから『長いお別れ』で登場したリンダ・ローリングから電話があり、とつぜん結婚を申し込まれるなど唐突すぎてなんの余韻も残さずエンディングを迎えるところも拍子抜けしながら読んでしまった。 ストーリーにあまり関係ないところで興味を惹いたのは、マーロウが監視対象のベティ・メィフィールドを車に乗せてエスメラルダ(架空の町)郊外の丘の上まで行き車を停めて話しあうときのエピソードであった。 蛇足ながら下の・・・内に引用したい。 ・・・ベティがタバコを窓から捨てるとマーロウは車から降りて、タバコを踏み消した。 「カリフォルニアの山中でタバコを捨ててはいけない」と、私はいった。「山火事のシーズンでなくてもだ」私は車にもどって鍵をまわし、スターターのボタンを押した。(P138)・・・ このレビューを投稿している今、かってないほどの山火事がカリフォルニアで発生し、多数の人命が奪われてる。 ニュースでは、その原因の95%は人的なものであると解説していたから、こんな挿話もチャンドラーの人柄を表していると思いながら読んでしまったのです。 チャンドラーの名言で以前より気になっていた言葉を本書(P232)で、ようやく見つけてしまったので下に転載したい。 「しっかりしていなかったら(タフでなければ)、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。・・・If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive・・・」 『高い窓』『湖中の女』『かわいい女』も大昔に読んだ記憶があるが、再読しようと思ってどこを探しても見つからないから、ここまでチャンドラーに拘ってしまったら、この際入手して再読してみようかなあ、と、思いながら本書を読み終えた。 | ||||
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1950年代の作品を村上春樹さんが本社くして出版されたというので、購入しました。 日本では有名な「男は・・・」の訳について、村上春樹さんのご意見が詳しく書かれていて、とても勉強になりました。翻訳というのは、大変な作業なんですね。 ちなみに、この「男は・・・」というフレーズは、半世紀にわたり、私のポリシーになり、また、やさしさの意味について、いまだに考え続けている命題です。 ご一読の価値ある一冊です。 | ||||
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『プレイバック』はチャンドラーのマーロウものの最後の長編ですが、作品の評価はあまり高くありませんでした。なんかマーロウがやたらカネとオンナに汚く描かれているというか。 あと、日本では角川が「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」をキャッチコピーとして広告展開したのも、どこかチャンドラーを汚されたような気がして、作品の評価が低位安定となっていた要因かもしれません。 ちなみに"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."を村上春樹さんは〈厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないうなら、生きるに値しない〉と訳しています。 昨年、柴田元幸さんとの「本当の翻訳の話をしよう」というトークイベントでも、「ハード(hard)とタフ(tough)は違う」「アライブ(alive)というのは、生きている“長い状態”だから『生きていけない』というよりは、『生き続けてはいけない』」「『タフじゃなければ生きていけない』というのはそういう面ではかなりの意訳なんですよね。でも響きとしてはいい」と語っていたようで、後書きでは、正確な訳としては〈冷徹な心なくしては生きてこられなかっただろう。(しかし時に応じて)優しくなれないようなら、生きるには値しない」を提示していますが、同時に、これではパンチラインにはなりにくい、とも書いてます。 しかし、不思議なのは、この部分が人口に膾炙しているのはどうも日本だけというか、米英の書籍を読んでも、この部分への言及はなかったそうです。 | ||||
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ロビーの老紳士は作者の姿だと思います。創造主も苦労しているのだと。けれど、今回作者はマーロウに非常に優しい気がします。やや痛い目にもあいますが (手当てしてもらえる)、甘い時間も多く、立ち回りや巨悪との対決も格好いい場面ばかりです。女性に冷たいという意見もありますが、ゆきずりを強調しているのは彼女たちの方で、実は本気だったとしても、心に悲しみを持つマーロウにはもっとストレートな愛が必要なのでしょう。整合性にこだわれば「湖中の女」が最後なのでしょうが、一つのパラレルワールドとして、作者はこの淡いバラ色の世界を、自分とマーロウに贈ったのだと思います。そのために、長いお別れをplayback (= 録画の再生)して、新しい結末を加えたのかも、と思いました。 | ||||
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チャンドラーの遺作らしいが、個人的には初読。長編はほぼ全作読んでる筈だが読み方の順番はそれで良かった。特に「長いお別れ」は先に読んで置いた方が良いと思われる。 ハードボイルドである事を差し引いてもミステリ成分はいつになく薄い。登場人物も舞台も少な目だし、何より謎解き要素がほとんどないのだ。逆にマーロウの魅力に比重が掛かっていると読んだが、やはりいつもと少し違う気がしたのは「遺作」だと思うからではないだろう。舞台となっているエスメラルダと言う架空?の都市では、警察もいつものように腐敗した悪徳警官の巣窟ではないようで、逆に正義感ある硬骨の警官が頼もしかったりする。マーロウはいつもの硬骨漢で有名な決めゼリフを口にするし、女に言い寄られても袖にしてしまう、かと思いきや本作ではとりあえず寝てしまっている。それでマーロウの魅力が落ちる訳ではなく、人間臭くて悪くないのだけど。 最後に以前求婚された女性から再び求婚されるシーンが出て来るのは、本筋と全く関係ないと思うのだが、他にも意味不明なシーンがかなりある。チャンドラーの、そしてマーロウのファンであればそれなりに興味深いのだけど、ミステリとしては高い評価は出来ない。 結論として、客観的に評価すれば凡作かも知れないが、チャンドラーファンとしては十分に読む価値がある作品だった。 | ||||
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この作品については25年ぶりか30年ぶりくらいに読み返すことになりました。村上氏のチャンドラーについての一連の仕事には大変興味を持っており、出版されるのを楽しみにしておりました。誰かが書いていらっしゃいましたが、村上氏の個人の作品と異なり、全く前宣伝なしに唐突に発売されますので、あわてて手に入れたという次第でした。 この作品の書評欄をお読みになる方で一回もこの作品を読んだことのない方はいらっしゃらないでしょうし、既に評価の定まった作品ですので、作品そのものについての評価のような生意気なことは差し控えさせていただきます。ただ、歳を取って読み返してみるとと随分違った感じに読めるものだなあ、と別の感慨を持った次第です。よくいわれるように、この作品は各場面場面、またその進行に必然性が薄く、また主人公の行動パターンも他の作品と違和感があることが指摘されるのですが、歳を取って読み返してみる何とも言えない救いのようなものが感じられて、成る程亡くなる前年に書かれた作品なのだなあ、と何となくしみじみした読後感を味わいました。実際そういった感想を持たれる方も多いと思うのですが、みなさんはどうお読みになるでしょうか。 なお村上氏の訳文についてやや生硬な感じを持たれる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、これは村上氏が意図して行ったことだと思います。村上氏ならもっとこなれた日本語に意訳したり、現代的な文章に仕立て直したりすることは容易にできたと思いますが、この文章は1958年に発表された外国小説の翻訳なのであって、自分の作品ではないということをはっきり示しておきたかったのだと思います。わたしは村上氏の行き方に賛成です。また、上記のような感慨を持つことができたのも、氏の翻訳のすばらしさもあってのことと考えます。 わたしも次の翻訳はthe Lady in the Lakeだろうと予想していたため、プレイバックというのはちょっと驚いた次第ですが、この辺は村上氏は上手だなあという感想を持ちました。the Lady in the Lakeはthe Long Goodbye程ではありませんが、一部に熱烈なファンのいる作品で、こちらを先に出版してしまいますと、プレイバックが何となく影が薄くなってしまう可能性を慮っての順序ではないかと考えたのですが、これは邪推でしょうか。 最後にあの決め台詞の翻訳についてなのですが、実はわたしはあまり興味を持っておりませんでした。英文法を考える立場からは面白い文章ではありますけれど、何故あの一文だけが一人歩きしたのかがよく分かりません。実際欧米では特別に問題にされないようですね。これについては、何かわが国独特の事情があったのだろうと推察するのですが、その辺については村上氏も「あとがき」で特に触れていませんでした。わたしはむしろそういう裏の事情の方に興味があったのですが...。 以上、雑感になりますが書き込ませていただきました。今後の村上氏の計画を楽しみにしております。 | ||||
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