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朝が来る
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朝が来るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全154件 121~140 7/8ページ
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普通とは何か?命の重さとは?あらためて考えさせられた。 出産を巡る女性の実状を描いた物語。 子を産めなかった者、子を手放さなければならなかった者、 両者の葛藤と人生、そして再会に、 朝が来たような晴れ晴れとして、涙があふれた。 普通、とは何だろうか? 普通の生活、普通の子供、普通の親。 普通は、ある日突然壊れることがある。 育ての母と生みの母という、二人の母の視点の物語。 子を産めなかった母。 子を手放さなければならなかった母。 対局にある二人の母の葛藤や苦悩が痛い。 これは、現実にありえるのだ。 何度も何度も、泣きはらしながら、読む手が止まらなかった。 不妊。 子供を産めないというだけで、冷ややかな視点。 特に身内からの重圧。 本作は、男性不妊症という、男性側にも可能性があることをあげている。 女性一辺倒に思われがちな問題を、あまり協力的ではない夫側にも 理解して欲しいという提言でもあると感じる。 精神的に追い込まれた夫婦。 そこに、特別養子縁組という、あらたな解決法に希望を感じる。 決心するまでの夫婦の苦悩はいかほどだろうか? 「血のつながり」をまだまだ重要視する風潮の日本だ。 しかし、親子の絆とは何か?と問いただしているように思える。 実の親子でありながら、体裁をばかりを気にして、 娘の気持ちを理解しない親。 堕ちていく生みの母・ひかりの姿が苦しい。 彼女だけが悪いのではない。 人の命の重さ。 それは、首の座っていない赤ちゃんの重さ。 わずか数kgの重さを抱いた人だけがわかる。 あの弱弱しさを守りたい気持ち。 生きる希望を失い公園のベンチに雨に打たれながら座り込む彼女を 抱きしめた育ての母の場面。 涙を止めることができなかった。 そして、これから始まる明るい未来を感じさせた。 まるで、朝が来たみたい。 晴れ晴れとした、期待に満ちた朝みたいに。 | ||||
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養子縁組に興味があり読んでみましたが、ドキュメントで観た民間団体の映像そのままで、あれっ!?これもあれもって感じで驚きました。 本の後ろに参考資料とありましたが、取材をお願いしたわけじゃなく勝手に載せたんですね。 なんか、フィクションとノンフィクションがごちゃまぜになっててもったいない本になってました。 | ||||
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私も佐都子たちと同世代、結婚はしていますが子供はおりません。 強く強く子供を求めていたわけでもなく、自然に状況を受け止めていますが、 やはり周囲の言葉で心が乱されたりすることはあるので、自分の身に置き換えて考えさせられることの多い作品でした。 彼女たちが子供を求め、努力し、家族を作っていく姿には人前で読んでいたにもかかわらずウルッとくるものがありました。 「血のつながり = 家族」なのではなく、 「実の親子であっても、家族というのは喧嘩のような話し合いを繰り返してぶつかり合い、努力して築くもの」、佐都子のこの考えに大賛成。 血よりも何よりも、大事なのは共に過ごした時間と築き上げてきた信頼です。 「朝が来た」というタイトルは はじめのうちは佐都子たち夫婦に子供が来たことを意味してるのかと思いましたが、 最後まで読んでみるとどうやら違うようです。 この人たちにどんな未来が待っているのかの判断は読者の想像に任せるようなラストでしたが、 私には柔らかい光のさす、あたたかな始まりの光景にうつりました。 「子を産めなかった者」「子を手放さなければならなかった者」・・・・ どちらの視点からも描いているので、どちらの年代の方も感情移入して読める作品だと思います。 | ||||
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(ネタバレ含みます) 初めて作者の本を読みました。前半の養親夫婦の物語にはくどさを感じながらも読みすすめて面白かったのです。 そこから一気に事件か?とミステリ調になったところで いきなり子ども目線の閑話を挟んで、産みの親である少女の物語に突入。 こちらが本当にありきたりで作者が実感も無く頭で考えたような、どこかでみたような転落人生。 最後の数ページでも何の解決もなく終わりました。 えーっと、ハッキリ言ってなんだったのか、作者が結局何を言いたかったのかも不明。 特別養子縁組や不妊治療について調べたことをそのまま書いてるような これならその関係のドキュメンタリーを読んだほうがまだマシです ちょっと残念でした | ||||
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読後何日も心から離れなかった深く余韻を残した作品でした。 幸いにして不妊治療も、授かった赤ちゃんを手元で育てられないという経験の どちらもありませんが、同じ女性として2人の女性の気持ちに共感できる所が多々ありました。 無駄のない文章、登場人物の台詞、ひとつひとつの背景、とても読みすく 物語の中に引き込まれました。 特別養子制度や不妊治療の現状等についても よく調べあげられていると思いました。 女性のみならず、年齢性別問わず多くの人に手にとって頂きたい作品です。 | ||||
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母親でもある辻村先生が、社会に投げかけたミステリ。 考えさせられました。 | ||||
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子供を産めない夫婦と、育てられない女の子の気持ちがとてもリアルに描写されていました。 命を見つめ直すきっかけになりました、素晴らしい本です。 | ||||
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前半で抱いた感想と、後半から抱き始める感想が、ガラリと変わります。 立場が違うとこうゆうふうに思うんだなと、思いながらも引き込まれます。 そして最後にやっぱり泣けます。 読んでよかった。 | ||||
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この数年、各メディアで取り沙汰されるようになった特別養子縁組、そのための団体、施設などの情報を切り貼りしただけの内容 不妊治療に悩み諦める夫婦の姿も既視感あり、 「ひかり」の「その後」の転落ぶりは一昔前のケータイ小説のテンプレのような内容 資料や文献を表面的に連ねたような薄っぺらい印象を受けた 書店で推されていたので期待したのだが… ハードカバーで買ったことを後悔 せめて文庫だったら☆2つにしたかもしれない | ||||
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「血は水より濃い」か? わたしは40代の事務系労働者で、妻と二人の子がいます(法律婚、子どもは二人とも実子)。 「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年 (文春文庫)」を読んで以来、「血は水より濃い」という俗諺に対し少なからず反発を感じるようになりました。 「血のつながり」を軽視する訳ではないですが、親子間の情愛にとっては、生物学的に親子であることよりも、親子で濃厚な時間を共有し、交流の実績を積み上げることのほうが大事なのではないか、と思えてならないのです。 これから日本の子どもの出生数が少なくなってきたときに、そして経済的に困窮している家庭(シングル母子含む)の子どもと一般家庭の子どもも、共に分け隔てなく、国を挙げて貴重な社会資源として護り、育成していく必要が出てきたときに、「血は水より濃い」という俗諺や嫡出子への大きなこだわりは、こうした動きに抗う大きな抵抗ベクトルとなってくるのではないかと、考えるようになりました。 前置きが長くなりましたが、こういう問題意識を持ちながら、「特別養子縁組」を巡る人間ドラマをテーマとする本書を手に取りました。 辻村深月先生の作品を読むのは、この「朝が来る」が初めてです。 通読レビューはわたしのレビューより先行して25件もの蓄積があるので、文中のキーワードを軸に、雑感を記していくことにしました。 まず、「不妊治療」 実は第1子が生まれる前に妻が早期流産をしたことがあり、自然に懐胎することが出来るかどうか、病院に相談したことがあります。 そのときに、「知識として」と前置きしながら、不妊治療のあらましをドクターから説明をしてもらいました。 わたしは戸惑うばかり、いっぽう妻は泣きながらも、ドクターの話を聞き、しきりにメモを取っていました。 そういう経緯もあって、不妊治療は他人事ではなく、「不妊治療中は、出口のないトンネルに入り込んだような」という記述には大いに共感できました。 「特別養子縁組」 特別養子制度は、わたしが法学部生のときに施行されました。当時わたしは民法の親族法・相続法分野の勉強をするサークルに所属しており、わたしの1年先輩の学生たちが卒業記念研究として特別養子制度の制度概要をレポートしてくれました。 その頃のわたしは、一言でいうと「頭でっかち」。 法制度の知識だけで世の中を渡っていけると信じていた、世間知らずの馬鹿な学生でした。 特別養子制度も「六法全書の改訂要因」「民法教科書の補遺」という程度の浅い認識しかなく、先輩たちの取り組みを冷淡に傍観していました。 25年以上経ったいまは、自分で家族を持ち、また自分の周辺で生じている様々な家庭事情・親子事情も認識してきたこともあり、特別養子制度の必要性はもちろん、どのような立場の人々がこの制度の恩恵を得ているのか、理解が進んでいるつもりです。 本書を読んで、わたしの理解のしかたが、さほど的外れではなかったということを確かめることが出来ました。 「特別養子となる子の実親」 法制度上、特別養子となる子の実親は、子どもが養親家庭に引き取られ、法的に特別養子縁組が成立すると、完全に親子関係から退場してしまいます。このことは制度上の要請から仕方のないことだけれど、実親、とくに実母にとっては極めて重大なことだと思います。 自分のおなかのなかで1年近く、文字通り養い、慈しんできた「我が子」を、合意の上とはいえ、出生後まもなく手放し、そして自分は二度と「我が子」の前に登場することは出来ないのですから。 懐胎し出生するまでの間、母体と胎児の間柄であっても、濃厚な「親子の時間」を過ごした訳ですから、「血は水より濃い」という俗諺よりも、もっと実質的な関係性が、実母と子の間に生じても何ら不思議なことはありません。 本書でも、臨月の実母は胎児と「ふたり」で、美しい瀬戸内・広島の夕日を眺めます。ふたりの間を邪魔する者は何もない、実母にとっては、終生忘れ得ないともいえる光景となりました(本書p.226-228)。 また、実母の希望により、出生した子を迎えにきた養親夫妻と会い、挨拶をする場面も印象的です。ただ子を産んで養親に手渡すというだけではない、我が子を養親に「託する」という実母の思いが溢れる名場面だと思います(本書p.134-142)。 「子を手放した後の実母」 これは、小説ならではのテーマ。小説家辻村深月先生の独壇場とも、いえましょう。 特別養子縁組制度を、民法教科書や新聞用語集に掲載されている単なる文字情報としてしか理解していない人には想像も及ばない、法制度の「影」に相当する問題であると思います。法律上は、前述のとおり、実母は「退場」するだけですから。 でも冷静に考えると、本書で「子を手放した後の実母」が遭遇する困難や経済的な苦境は、若くして子どもを産んだこととは、直接的な因果関係は無いのではないかとも思い、はたと読書を中断して考え込みました。 本書のストーリーを振り返ると、実母の行動には幾つかの問題点があります。 ・家族との信頼関係が希薄で、出産後帰省したものの再度家出をしてしまった ・自分と同じような境遇の女性に対して過度に信頼を寄せてしまった ・自分の身に覚えがない金銭消費貸借の連帯保証書を突きつけられたとき「恐怖」から取立屋に弁済の意思を示してしまった ・住み込み勤務先を出奔したあと、元雇い主宛に書かずともよい詫び状を送った(取立屋は、郵便消印から逃亡先を探知した) ・取立屋に追い詰められた末に勤務先の金庫のカネを横領して、保証債務の弁済に充てた ・不法に入手した養親の個人情報を基に「我が子」の居所を探し当て、養親に対して脅迫まがいの言動をとった いずれも「若さゆえのあやまち、脇の甘さ、法律知識の無知」に起因するものであって、「若くして子を産んだこと」とはあまり関係ないのではないか、という印象を受けました。 でもひよっとすると、著者の取材対象となった「子を手放した後の実母」たちには、過度に一般化してはいけないのだけれど、「若さゆえのあやまち、脇の甘さ、法律知識の無知」がきっかけとなって、社会の深い淵に足を絡みとられる傾向にあるのかもしれない... これは、辻村先生に直接おうかがいしないとわからないことですけど、「子を手放した後の実母」の社会復帰、あるいは生活手段確保の困難さというものも、本書の訴えるところの射程に入っているのかもしれない、とあらためて考え直したりしました。 総括 「朝は来たか?」 本書では、いろいろな問題提起があり、読者の問題意識のあり方によって、読後の印象は異なってくると思います。 これが正解、これが正しい読み方だよ、というものはないのだとも、思います。 本書の主人公たちに「朝は来た」のだろうか、と考えることで本稿を終わります。 わたしは、はじめ、養親に特別養子がやって来たとき、養親夫婦にとり「朝は来た」のだと思いました(p.133)。 でもそれは、実母にとっては、法制度の影に隠蔽されてしまう「夕闇」の始まりでしかなかったのです。 彼女に「朝は来た」と感じられるようになったのは、本書の終末ではないかと思います。 養親に抱きしめられ、健康に育った「我が子」と再会できたとき、彼女は若くして懐胎・出産したという自分の人生に対して、自己肯定感の端緒を掴むことが出来たのではないか、とわたしは思いました。 本書を通読して、とても深い感銘を得ました。 この本を多くの皆さんにも読んでいただき、共感を分かち合いたいと思います。 | ||||
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涙がどんどん出て止まりませんでした もう一度読み直そうと思います | ||||
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とても良かったです。 内容も面白かった。 この作者の本をまた読みたい。 | ||||
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『ツナグ』と並ぶ秀作です。「いのち」を描かせたら一級。社会派のフィールドに立脚している分、物語に厚みがある。2016年版『このミス』で39位と評価が低いのは残念。小説技法的には、ママ友の心理描写や台詞が秀逸。そして、作者ならではの抒情表現も。たとえば、思わず三度も読み返してしまったのは、臨月を迎えた14歳の妊婦が瀬戸内海の夕陽の美しさに感動し、自分のお腹の中にいる我が子に「ちびたん」と語りかけるシーン。 「きれいだね、ちびたん」 気づくと声が出ていた。 (中略) 逃げることも、育てることも、この子の誕生日を祝うこともない代わりに、覚えていよう。この子と今日、一緒に、すごくきれいな空を見たことを。 一緒に見られた、二人で一人の、誰にも邪魔されずにいられた、この時間のことを。 | ||||
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力作だと思います。 魂というか心が揺り動かされます。 これから親になろうとしている人、学生にもぜひ読んでいただきたいと思います。 | ||||
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最初の印象は、丁寧に書かれているので、こちらも静粛な気持ちで向き合う形になる。 4部構成の内訳は、養子でも実子でも起こりうる子育ての日常から、子どもが出来なかった夫婦が養子を決意するまでの日々、そして中学生で妊娠してしまった幼すぎる母親の辿ってきた出産後の人生。 血縁は神話でしかなく、家族は築いていくものではないかという疑問を投げかけられているように感じた。 というより、作者も結論をつけられずにいるから、ラストが尻切れみたいになっように思う。 | ||||
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タイトルと装丁が何を意味するのか、手に取ったときに率直に感じたことです。 内容としては、少し重たいですかね。 男の人は女性の出産の大変さを学び、さらに最近意識が薄いと言われているがゆえに起こる無責任な妊娠への認識を促されるものかなと思う。 女性にとっては自分で産んだ子供への気持ちや出産のことなど共感出来る部分もあるのではないでしょうか。 しっかりと書くものへの下準備を欠かさないなという辻村さんのイメージが新たに自分の中で確立した本です。 | ||||
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はじめは、引き込まれそう!という感覚でした。 高齢の夫婦が子どもを諦め、養子縁組するくだりは、 あまりほかの小説では見られなかった話でもあったのでぐんぐん読み進めていたのですが 実母のパートになると「あれ?」と。 高齢夫婦の話より、こちらの話の方がイキイキされているな、と 感じました。 著者自身が若いということもあると思うのですが、おそらく、10代20代の人を 主人公にしたお話の方が得意なんだろうな、という印象です。 「リアルを感じさせるフィクション」こそが小説の面白みだと思うのですが これは「フィクション」から抜け出せなかった感覚でした。 | ||||
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直木賞作家の渾身の一作である。 女子中学生の望まれぬ出産と中年夫婦の 叶わぬ妊娠の事実から始まる女子中学生の 自らの意思により巻き起こる様々なバットラック な出来事。 そして彼女は最後に大人の事情により裂かれた 自分の産んだ子供と再会し、朝がやってくるのか。 | ||||
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長い不妊治療が実らず養親を希望して子どもを授かった夫婦と、子どもを手放さなければならなくなった女性の葛藤を描いた物語。 前半は子どもができずに悩む夫婦の葛藤が丁寧に描かれていた。MESAやTESEといった具体的な不妊治療の話や、特別養子縁を仲介する民間団体の取り組み、子どもへの真実告知、両親への説明などがきちんと描かれていたのがよかったと思う。 特に、「親が子どもを探すための制度ではなく、子どもが親を探すための制度である」という言葉が印象に残っている。 中盤からは、「子どもを、返してほしいんです」という脅迫からどんな展開になるかと想像していたら、単に子どもを手放すことになった女性の経緯やその後が描かれていただけで物足りなかった。親に反発しながら社会常識もなく、社会から堕落していく女性の生き様は無理があったと思う。 前半がおもしろかっただけに、後半が残念だった。 | ||||
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私の息子夫婦は子どもが出来ず現在不妊治療をしています。彼女は高齢出産者にもなりますので早く!にと我がことのように切羽詰まった気になります。関西に住んでいますのでいつも容易に会うことはできません。 不妊治療をしていることを知ったのはこの春に息子が出張で我が家に寄った時に家人に話しをしていた時です。この本の内容とは逆に息子の方には問題ないとのこと。でもその嫁の治療(どのような方法かは聞かず仕舞い)には一回につき多額を要するとのことでした。 収入の少ない夫婦には大変なことと思い、私はその後に彼らの地を尋ねた時に私にとっては大金(へそくり)を渡しました。治療代にとすると嫁曰く「プレッャーをかけないで下さい」と叫ばれ驚きました。手に取ろうともしませんでした。決して「早くしろ・急げ・絶対に産め」という気持ちではなく、生活を助けるためにと思った行為でした。結局受け取って手許に納めてくれましたがどの程度役にたっているのかは分かりません。 でもこの本の様に結果的にダメだったら養子をとは彼ら本人も私らも考えてはいません。神の授かりものとはいえ何とか授かって欲しいという気持ちは強くあります。しかしそれ以後は口にしていません。私は二人で努力して子どもを作ってくれれば嬉しいなと思っています。この書のような子どもの持ち方もあるのかと考えさせられました。 最後に馬鹿げた冗談になりますが、このレビューが「公開される投稿者名は【海猫】」だそうです。どこからこの名前が付いたか分かりません。どうせなら【産みね子】としてくれた方が嬉しいなと。 | ||||
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