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朝が来る
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朝が来るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全163件 121~140 7/9ページ
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タイトルの「朝が来る」が、前半の養父母と後半の実母だと言いたいのでしょうが、実母には本当に朝が来たのだろうか?と疑問です。犯罪者になってしまい、これからどう本当の朝を迎えるのか、そこを書いて欲しかったです。このラストで朝が来るでは、薄っぺらい感じで、残念です。 | ||||
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とても読みやすく、ほっこりするようなお話でした。特に子どもの物の表現の感じが可愛くて良かったです。 読み終わりにモヤっとした感じが残らず、細かなところまで答え合わせをさせてくれるような終わり方でした。 | ||||
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八日目の蝉と比べてはいけないが 感動できなかった 産んだ子供の事を毎日思って生きていたら そもそも家出なんてしないと思う。 家出した挙句、お金に困り、子供に会うことになるのも理解できない。 | ||||
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読み続けていくうちに、どんどんはまっていきました。あっという間に読み終えてしまうほど、途中で止めることのできない展開です。最後にはいつの間にか、涙が止まりませんでした。 | ||||
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養子縁組を希望し、書籍やテレビ、ネットなどを通じ、勉強しています。養子縁組団体の説明会に出席したこともあります。 この本に出てくる養子縁組の団体は、以前見たことのある養子縁組のテレビドキュメンタリーの内容を切り貼りしたものでした。 設定はおろか、セリフまでそっくりです。かといって、参考資料の中に上がっているわけでもありません。 ストーリー自体は、考えられたものだと思いますし、不妊治療の描写などは、共感できる場面もありましたが、上記が原因で、いまいちストーリーに入り込めず、安易に作られた感を感じてしまいました。残念で仕方ありません。 | ||||
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現実はもっと多様でうまくいっているところも多いでしょうし、難しい事も多いのでしょう。 ただ小説としてその中のあるパターンをベースに書かれているとすれば それなりに感動できたと思います。 確かに当事者にしかわからない事で書かれていない、又はある方向からしか書かれていない 事も多いのだろうと思います。 これでこの本に書かれているテーマがわかった気にならないようにとは 自戒したいと思います。 | ||||
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特別養子縁組のことを詳しく知らない私にとって、知らないことばかり。よく知る方にはご不満もあったようですが、私には深い感動を与えました。 特別養子縁組もひとつの出会いの形で、これもまた縁。縁を大切にして家族になっていく姿は溢れる愛と強さ、輝きを感じ、特別養子縁組をとても前向きに捉えることができました。子どもたちのためにこんな風に家族に迎えることがもっと広まればいい。 ひとつひとつ積み重ねて家族になっていくのは、実の親子でも全く同じことなのですが、そこにはない決意が伝わりました。 実親の生き方については、辛く苦しく思う場面が続き、我が家に同じことが起きたら私達夫婦はどのような向き合い方をするだろうかと思わずにいられませんでした。今も考え続けています。 朝が来たのちには、しっかりと自分の人生を歩めるひかりであって欲しいと願わずにいられません。子どもを手放す実親もその事を受け止めて前に進んで欲しい。過ちでは片付かない思いがそこにはあることに気付かされました。 | ||||
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表紙の子供は郊外の住宅地を歩く女の子(たぶん?)なのに、物語のメイン舞台は高層マンション街、登場するのは男の子であることに、トリック(メフィスト賞作家としての斬新な試み?)が仕掛けられているような気がします。 起承転結・全4章のうち「転」の章にもっともページを費やしていること、そしてその「章題」に、トリックの答えや作者の伝えたいことがあるのではないかと思います。 不妊治療や養子縁組の話は主題として描くにはあまりにも難しい問題のため、事実をありのままにしっかりと表現するだけにとどめ、あえて深いところまで掘り下げないようにしているような気がします。深層に分け入っているテーマは、隠さないといけないくらいに表現や伝達が困難なものではないかと思いました(「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」にも通ずるような・・)。 「ひかり」と同じように心が折れぎみの私にとっては、救済の作品のひとつとなりました。「結」の章では涙が止まりませんでした。ありがとうございました。 P.S.こういうテーマの場合、子供にいやな思いをさせてしまう展開になりそうですが・・・それは安心して読めました。 | ||||
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養親の1人です。 内容は、とっても偏っているように思います。 小説だからドラマチックにしているのかもしれませんが、特別養子縁組がメインなので、読んだ人が特別養子縁組に対して誤ったイメージを持ちはしないかと心配になります。 友だちにはもちろん、家族にも勧められる本ではありません。 また、内容は某ドキュメンタリーにそっくりだったり、団体も某団体と似ていたり。。。 読んでいてこの番組のこの家族に似せたんだとすぐに分かりました。 でも、参考資料には、そのドキュメンタリーは記載されていませんでした。 こんなに酷似しているのに勝手に小説に引用していいのかなと疑問に思います。 最後まで読んで気持ちがモヤモヤしました。 特別養子縁組はそんなに暗いものではないと思います。 | ||||
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普通とは何か?命の重さとは?あらためて考えさせられた。 出産を巡る女性の実状を描いた物語。 子を産めなかった者、子を手放さなければならなかった者、 両者の葛藤と人生、そして再会に、 朝が来たような晴れ晴れとして、涙があふれた。 普通、とは何だろうか? 普通の生活、普通の子供、普通の親。 普通は、ある日突然壊れることがある。 育ての母と生みの母という、二人の母の視点の物語。 子を産めなかった母。 子を手放さなければならなかった母。 対局にある二人の母の葛藤や苦悩が痛い。 これは、現実にありえるのだ。 何度も何度も、泣きはらしながら、読む手が止まらなかった。 不妊。 子供を産めないというだけで、冷ややかな視点。 特に身内からの重圧。 本作は、男性不妊症という、男性側にも可能性があることをあげている。 女性一辺倒に思われがちな問題を、あまり協力的ではない夫側にも 理解して欲しいという提言でもあると感じる。 精神的に追い込まれた夫婦。 そこに、特別養子縁組という、あらたな解決法に希望を感じる。 決心するまでの夫婦の苦悩はいかほどだろうか? 「血のつながり」をまだまだ重要視する風潮の日本だ。 しかし、親子の絆とは何か?と問いただしているように思える。 実の親子でありながら、体裁をばかりを気にして、 娘の気持ちを理解しない親。 堕ちていく生みの母・ひかりの姿が苦しい。 彼女だけが悪いのではない。 人の命の重さ。 それは、首の座っていない赤ちゃんの重さ。 わずか数kgの重さを抱いた人だけがわかる。 あの弱弱しさを守りたい気持ち。 生きる希望を失い公園のベンチに雨に打たれながら座り込む彼女を 抱きしめた育ての母の場面。 涙を止めることができなかった。 そして、これから始まる明るい未来を感じさせた。 まるで、朝が来たみたい。 晴れ晴れとした、期待に満ちた朝みたいに。 | ||||
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養子縁組に興味があり読んでみましたが、ドキュメントで観た民間団体の映像そのままで、あれっ!?これもあれもって感じで驚きました。 本の後ろに参考資料とありましたが、取材をお願いしたわけじゃなく勝手に載せたんですね。 なんか、フィクションとノンフィクションがごちゃまぜになっててもったいない本になってました。 | ||||
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私も佐都子たちと同世代、結婚はしていますが子供はおりません。 強く強く子供を求めていたわけでもなく、自然に状況を受け止めていますが、 やはり周囲の言葉で心が乱されたりすることはあるので、自分の身に置き換えて考えさせられることの多い作品でした。 彼女たちが子供を求め、努力し、家族を作っていく姿には人前で読んでいたにもかかわらずウルッとくるものがありました。 「血のつながり = 家族」なのではなく、 「実の親子であっても、家族というのは喧嘩のような話し合いを繰り返してぶつかり合い、努力して築くもの」、佐都子のこの考えに大賛成。 血よりも何よりも、大事なのは共に過ごした時間と築き上げてきた信頼です。 「朝が来た」というタイトルは はじめのうちは佐都子たち夫婦に子供が来たことを意味してるのかと思いましたが、 最後まで読んでみるとどうやら違うようです。 この人たちにどんな未来が待っているのかの判断は読者の想像に任せるようなラストでしたが、 私には柔らかい光のさす、あたたかな始まりの光景にうつりました。 「子を産めなかった者」「子を手放さなければならなかった者」・・・・ どちらの視点からも描いているので、どちらの年代の方も感情移入して読める作品だと思います。 | ||||
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(ネタバレ含みます) 初めて作者の本を読みました。前半の養親夫婦の物語にはくどさを感じながらも読みすすめて面白かったのです。 そこから一気に事件か?とミステリ調になったところで いきなり子ども目線の閑話を挟んで、産みの親である少女の物語に突入。 こちらが本当にありきたりで作者が実感も無く頭で考えたような、どこかでみたような転落人生。 最後の数ページでも何の解決もなく終わりました。 えーっと、ハッキリ言ってなんだったのか、作者が結局何を言いたかったのかも不明。 特別養子縁組や不妊治療について調べたことをそのまま書いてるような これならその関係のドキュメンタリーを読んだほうがまだマシです ちょっと残念でした | ||||
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読後何日も心から離れなかった深く余韻を残した作品でした。 幸いにして不妊治療も、授かった赤ちゃんを手元で育てられないという経験の どちらもありませんが、同じ女性として2人の女性の気持ちに共感できる所が多々ありました。 無駄のない文章、登場人物の台詞、ひとつひとつの背景、とても読みすく 物語の中に引き込まれました。 特別養子制度や不妊治療の現状等についても よく調べあげられていると思いました。 女性のみならず、年齢性別問わず多くの人に手にとって頂きたい作品です。 | ||||
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母親でもある辻村先生が、社会に投げかけたミステリ。 考えさせられました。 | ||||
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子供を産めない夫婦と、育てられない女の子の気持ちがとてもリアルに描写されていました。 命を見つめ直すきっかけになりました、素晴らしい本です。 | ||||
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前半で抱いた感想と、後半から抱き始める感想が、ガラリと変わります。 立場が違うとこうゆうふうに思うんだなと、思いながらも引き込まれます。 そして最後にやっぱり泣けます。 読んでよかった。 | ||||
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この数年、各メディアで取り沙汰されるようになった特別養子縁組、そのための団体、施設などの情報を切り貼りしただけの内容 不妊治療に悩み諦める夫婦の姿も既視感あり、 「ひかり」の「その後」の転落ぶりは一昔前のケータイ小説のテンプレのような内容 資料や文献を表面的に連ねたような薄っぺらい印象を受けた 書店で推されていたので期待したのだが… ハードカバーで買ったことを後悔 せめて文庫だったら☆2つにしたかもしれない | ||||
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「血は水より濃い」か? わたしは40代の事務系労働者で、妻と二人の子がいます(法律婚、子どもは二人とも実子)。 「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年 (文春文庫)」を読んで以来、「血は水より濃い」という俗諺に対し少なからず反発を感じるようになりました。 「血のつながり」を軽視する訳ではないですが、親子間の情愛にとっては、生物学的に親子であることよりも、親子で濃厚な時間を共有し、交流の実績を積み上げることのほうが大事なのではないか、と思えてならないのです。 これから日本の子どもの出生数が少なくなってきたときに、そして経済的に困窮している家庭(シングル母子含む)の子どもと一般家庭の子どもも、共に分け隔てなく、国を挙げて貴重な社会資源として護り、育成していく必要が出てきたときに、「血は水より濃い」という俗諺や嫡出子への大きなこだわりは、こうした動きに抗う大きな抵抗ベクトルとなってくるのではないかと、考えるようになりました。 前置きが長くなりましたが、こういう問題意識を持ちながら、「特別養子縁組」を巡る人間ドラマをテーマとする本書を手に取りました。 辻村深月先生の作品を読むのは、この「朝が来る」が初めてです。 通読レビューはわたしのレビューより先行して25件もの蓄積があるので、文中のキーワードを軸に、雑感を記していくことにしました。 まず、「不妊治療」 実は第1子が生まれる前に妻が早期流産をしたことがあり、自然に懐胎することが出来るかどうか、病院に相談したことがあります。 そのときに、「知識として」と前置きしながら、不妊治療のあらましをドクターから説明をしてもらいました。 わたしは戸惑うばかり、いっぽう妻は泣きながらも、ドクターの話を聞き、しきりにメモを取っていました。 そういう経緯もあって、不妊治療は他人事ではなく、「不妊治療中は、出口のないトンネルに入り込んだような」という記述には大いに共感できました。 「特別養子縁組」 特別養子制度は、わたしが法学部生のときに施行されました。当時わたしは民法の親族法・相続法分野の勉強をするサークルに所属しており、わたしの1年先輩の学生たちが卒業記念研究として特別養子制度の制度概要をレポートしてくれました。 その頃のわたしは、一言でいうと「頭でっかち」。 法制度の知識だけで世の中を渡っていけると信じていた、世間知らずの馬鹿な学生でした。 特別養子制度も「六法全書の改訂要因」「民法教科書の補遺」という程度の浅い認識しかなく、先輩たちの取り組みを冷淡に傍観していました。 25年以上経ったいまは、自分で家族を持ち、また自分の周辺で生じている様々な家庭事情・親子事情も認識してきたこともあり、特別養子制度の必要性はもちろん、どのような立場の人々がこの制度の恩恵を得ているのか、理解が進んでいるつもりです。 本書を読んで、わたしの理解のしかたが、さほど的外れではなかったということを確かめることが出来ました。 「特別養子となる子の実親」 法制度上、特別養子となる子の実親は、子どもが養親家庭に引き取られ、法的に特別養子縁組が成立すると、完全に親子関係から退場してしまいます。このことは制度上の要請から仕方のないことだけれど、実親、とくに実母にとっては極めて重大なことだと思います。 自分のおなかのなかで1年近く、文字通り養い、慈しんできた「我が子」を、合意の上とはいえ、出生後まもなく手放し、そして自分は二度と「我が子」の前に登場することは出来ないのですから。 懐胎し出生するまでの間、母体と胎児の間柄であっても、濃厚な「親子の時間」を過ごした訳ですから、「血は水より濃い」という俗諺よりも、もっと実質的な関係性が、実母と子の間に生じても何ら不思議なことはありません。 本書でも、臨月の実母は胎児と「ふたり」で、美しい瀬戸内・広島の夕日を眺めます。ふたりの間を邪魔する者は何もない、実母にとっては、終生忘れ得ないともいえる光景となりました(本書p.226-228)。 また、実母の希望により、出生した子を迎えにきた養親夫妻と会い、挨拶をする場面も印象的です。ただ子を産んで養親に手渡すというだけではない、我が子を養親に「託する」という実母の思いが溢れる名場面だと思います(本書p.134-142)。 「子を手放した後の実母」 これは、小説ならではのテーマ。小説家辻村深月先生の独壇場とも、いえましょう。 特別養子縁組制度を、民法教科書や新聞用語集に掲載されている単なる文字情報としてしか理解していない人には想像も及ばない、法制度の「影」に相当する問題であると思います。法律上は、前述のとおり、実母は「退場」するだけですから。 でも冷静に考えると、本書で「子を手放した後の実母」が遭遇する困難や経済的な苦境は、若くして子どもを産んだこととは、直接的な因果関係は無いのではないかとも思い、はたと読書を中断して考え込みました。 本書のストーリーを振り返ると、実母の行動には幾つかの問題点があります。 ・家族との信頼関係が希薄で、出産後帰省したものの再度家出をしてしまった ・自分と同じような境遇の女性に対して過度に信頼を寄せてしまった ・自分の身に覚えがない金銭消費貸借の連帯保証書を突きつけられたとき「恐怖」から取立屋に弁済の意思を示してしまった ・住み込み勤務先を出奔したあと、元雇い主宛に書かずともよい詫び状を送った(取立屋は、郵便消印から逃亡先を探知した) ・取立屋に追い詰められた末に勤務先の金庫のカネを横領して、保証債務の弁済に充てた ・不法に入手した養親の個人情報を基に「我が子」の居所を探し当て、養親に対して脅迫まがいの言動をとった いずれも「若さゆえのあやまち、脇の甘さ、法律知識の無知」に起因するものであって、「若くして子を産んだこと」とはあまり関係ないのではないか、という印象を受けました。 でもひよっとすると、著者の取材対象となった「子を手放した後の実母」たちには、過度に一般化してはいけないのだけれど、「若さゆえのあやまち、脇の甘さ、法律知識の無知」がきっかけとなって、社会の深い淵に足を絡みとられる傾向にあるのかもしれない... これは、辻村先生に直接おうかがいしないとわからないことですけど、「子を手放した後の実母」の社会復帰、あるいは生活手段確保の困難さというものも、本書の訴えるところの射程に入っているのかもしれない、とあらためて考え直したりしました。 総括 「朝は来たか?」 本書では、いろいろな問題提起があり、読者の問題意識のあり方によって、読後の印象は異なってくると思います。 これが正解、これが正しい読み方だよ、というものはないのだとも、思います。 本書の主人公たちに「朝は来た」のだろうか、と考えることで本稿を終わります。 わたしは、はじめ、養親に特別養子がやって来たとき、養親夫婦にとり「朝は来た」のだと思いました(p.133)。 でもそれは、実母にとっては、法制度の影に隠蔽されてしまう「夕闇」の始まりでしかなかったのです。 彼女に「朝は来た」と感じられるようになったのは、本書の終末ではないかと思います。 養親に抱きしめられ、健康に育った「我が子」と再会できたとき、彼女は若くして懐胎・出産したという自分の人生に対して、自己肯定感の端緒を掴むことが出来たのではないか、とわたしは思いました。 本書を通読して、とても深い感銘を得ました。 この本を多くの皆さんにも読んでいただき、共感を分かち合いたいと思います。 | ||||
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涙がどんどん出て止まりませんでした もう一度読み直そうと思います | ||||
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