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ウッドストック行最終バス
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ウッドストック行最終バスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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著者コリン・デクスターの最高傑作とのことで、また今なお世評の高い作品とのことなので、ミステリにもおぼつかない筆者が何かぶつくさ申しても何ら痛痒はないと確信を持って安心して申します。 筆者には刺さる作品ではまったくありませんでした。 虚偽やトリック、ストーリーや人物配置、とてもよく出来ていると思うのですが、まるでパズルを解く、方程式を解く感じでした。 ミステリには「人格なんてどうでもよい。謎解きのアクロバットが出来ていればそれでOK」タイプの作品があるぐらいは存じておりますが、それならもっとキャラクターは無機質なロボットでも良いのですが、モース警部、ルイス巡査部長を始め、個別のキャラクターは十分以上にキャラ立ちしているのでちぐはぐというか、ここまで物語がぞんざいなのに、人物の方が使い捨て的なのも無常な感じですし、 ・謎解きミステリ、パズル小説だけにしては人物がくっきりしている ・普通小説として読むにしては人物が使い捨てのような作り方(とある容疑者とその夫人のあしらい方などは殊にそうした感じ) 謎解きとしては、時刻表のダイヤグラムを読まされたような感じでした。 モース警部はイギリスでは人気とのことで、これはホームズ・ワトスン博士の系譜でそれはそれで大いに結構ですが、この作品については、筆者には外れでした。 ですがこれは感性の違いというやつですので、絶賛の嵐ですからこれは我ながら少数派、と思って以上、こそこそと退場いたします。著者の他の作品を見ればコロリと宗旨替えかもしれませんし。 当作については「見事な工芸品としての小説」「気軽に読み飛ばしてほっとする作品」でした。 | ||||
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謎が解き明かされる経過や伏線の回収が唐突に感じて、いわゆる推理小説のトリックが解き明かされる経過を楽しむ要素は、あまりなかった。ハードボイルド小説のような、モース警部の心境を考えながら、哀愁に浸るような内容。しかし、モース警部が、なぜモテるのかが分からないので、内容はいまいち腑におちなかった。 | ||||
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ドラマが余りに良いので、そのつもりで読み出すと、あれ??モースのキャラと違う、上司との掛け合いもない!!まるで古いホームズとワトソンを読んでいるようであった。ガックリ!! | ||||
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殺人事件が起きて、その謎を追ううちに、関係者が自殺したり、病死したりして、その都度事件の真相が少しずつ分かってくるという話で、最初に条件が提示されて、読者が謎解きしながら読むという話ではない。……ただこういうことだったというのがだんだん分かってくるというだけで、伏線とか、だからこうだったんだと納得させるような展開が殆ど無い。……だから読んでて面白くない。……それに、イギリス人てこんなにセックスばっかりして、人殺しもしょっちゅうしてるのかと驚きます。……いろんな意味で、読んだことを後悔する話でした。……これは推理小説とは言えないんじゃないかと思う。……騙された感じがする。 | ||||
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ちょっと、じれったいというか話が進まずにモヤモヤしたかな。昔の翻訳物にありがちな感じです。 そこが良いのかもしれないけど自分には苦痛でした。やっと読み終わった。 | ||||
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元々WOWOWで「新米刑事モース~オックスフォード事件簿~」としてショーン・エヴァンス演じる若き日のモースが 1960年代のオックスフォードで活躍するTVドラマを観てモースのファンになった(後にNHKBSでも放送された)。今回原作であるこの作品を読んだが、TVドラマとは設定も違うので別作品と割り切ったほうがいいだろう。 (ネタばれあり) 現場を見れば若い女性の強姦殺人事件に思えるのに、犯人が女性だったとは奇抜すぎ、それを成立させるために話の構成はかなり苦しくなっている。モースのこいつが犯人と決めつけて、後から理屈がつくように証拠固めしていくやり方は実際の捜査でもやられているんだろうが、ある程度絞り込んでからやらないと冤罪を生むし、外れたら真犯人は遠くまで逃亡してしまう恐れもある。ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返し、最後の数章で一気にエンディングに持っていく。謎解きそのものより途中の過程を楽しむのはTVドラマと類似している。モースが部下のルイスを試すかのように競馬の単勝馬券を買わせるシーンは、自分の上司にも部下を試すような人がいたので愉快じゃなかった。 | ||||
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読み物としての本書は非常に面白いです。しかし、本格推理だと思って読み始め、先程読み終わったのですが、これって本格推理ではなく、警察小説ジャンルじゃないのでしょうか?いろいろな事件が並行して起こり、それを何人かの登場人物がそれぞれに解いていくというのが警察小説ならそれとも違うじゃないかと言われそうですが。これ、犯人を言い当てられる読者居ないですよね。こんな影の薄い脇役が犯人って。途中での真犯人につながる手がかりもまるで無しで、いきなり最後の方で解決してしまう。主人公と一緒に読者も犯人を推理するという本格ミステリだと思っていた単なる私の勘違いか? | ||||
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バスのこないのに痺れを切らした娘二人がヒッチハイクをし・・・というお話。 私が個人的に私淑している故瀬戸川猛資氏は読んで「10年に1度の名作である」と本格好きの知人に触れ回ったそうですが、個人的にはそれ程の物かなと言うのが個人的な感想でした。確かに事件の解決の為に論理の試行錯誤が繰り返され、最後の方の逆転に次ぐ逆転は凄いとは思いますが、最後に至って意外な真相と真犯人が明かされる所ではあまり驚きませんでした。これは本書と著者の性ではなく、私が個人的に本格ミステリを読み過ぎて擦れてしまった為と、精神の病気の性とその薬の副作用で脳がおかしくなってるからだとも思いますが・・・。 その後にキーティング氏の名作100選にデクスターの作品が全く入らなかった事に瀬戸川氏は自身の編纂した名作ガイドで怒ってらっしゃいましたが、キーティング氏が選ばなかった理由には、解説で新保氏が触れてらっしゃるモース警部が科学捜査を全く無視して書いている所に現代のミステリの方向としてどうかな、と思ったのではないかと思いましたがどうでしょうか。新保氏の指摘通り、被害者が性交している事を鑑みればその痕跡からモース警部の論理的推理よりも、割と早く真相に達する事が可能に思えるので。まぁ私的な感想ですが。 という訳でまだこの著者の習作に思えてこの☆の数にしました。ファンの方は怒るかもしれませんがすいません。もっと若い時に読んでいたら興奮したかもしれないのでちょっと残念ではありますが・・・。 まだ習作に思えるデクスターの処女作。本格ファンとお暇な方はどうぞ。 | ||||
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ミステリをよく読む人であれば半分くらいのところでもう犯人の目星はだいたいついてしまう、つまりフーダニット的興味からハウダニット的興味へ移行せざるを得ない、ということ以外は不満は何も感じないいい作品でした。 作中では途中からハウダニットの部分に読者をミスリードさせ、最後の展開で一気に全てを吹き飛ばすプロットは本当に見事。だからこそ、途中で犯人がわかってしまうような安易な場面挿入は勿体ないなー、と思ってしまいます。 本格派好きに充分オススメできる一冊です。 | ||||
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盛り上がりそうで盛り上がらない。盛り上がってなさそうで盛り上がっている。コリン・デクスターを読むと、いつもそんな感慨を抱く。「論理のアクロバット」とよく評されるけれど、それは思考の甚だしい跳躍を「いいように言った」だけで、プロットとキャラクターのあまりの地味さにみんな気づかないかもしれないけれど、結構バカミスの要素が強い作家だと思う(あくまで褒め言葉として)。何にせよ、きちんと科学的捜査が行われない世界なんて、バカミス以外の何ものでもない。 ちなみに、デクスターの好きな作家はアガサ・クリスティーとディクスン・カーだそうだ。えっ、クリスティー? 「あまりに作風が違うじゃないの」というようなことが解説にも書いてあって、デクスターが絶賛する『アクロイド殺し』を例にとって比較検討してあるけれど、意外に僕は中期以降のクリスティーとデクスターの作品はテイストのようなものにおいて相通ずる部分がなくもない、と考えている(バカミスの話はさておき)。 そりゃあ、『アクロイド〜』みたいなワン・アイデアの作品とは似ていない。が、例えば『無実はさいなむ』や『ゼロ時間へ』のような作品とは、どこか通底するものがある。もちろん、クリスティーの登場人物はモースほど鬱々と考えてばかりはおらず、もっと行動的だ。しかしそれでも、小説を書く上で、デクスターが敬愛するクリスティーやカーの影響をまったく受けていないとは思えないのである。陰々たる雰囲気づくりにおいてはカーから、ミステリーのドラマツルギーにおいてはクリスティーから、それぞれ薫陶を受けているのではないか。などと、モースに倣って想像をたくましくしてみるのだが。 | ||||
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作者のデビュー作で、次作の「キドリントンから消えた娘」と共に代表作と言われている。作者はクロスワード・パズル(イギリスでは日本と比べ物にならない程盛ん)の鍵作りの名手としても著名。 本作も次作も事件としては単純で、普通の警察が普通に(科学)捜査すれば簡単に解決する筈の事件(高々女子大生の失踪事件なのだ)を、モースという奇矯な警部に事件を担当させる事によって錯綜した事件に見せかける手法を取っている。このモースが発案する解決というのが突拍子のない面白いもので、ここが読み所である。科学的捜査を排除して、モースの独創性(?)に賭けると言う作者の姿勢は、上述の鍵作りの名手の自負心であろう。その代わり、最終的に提示される解決が、途中で披露される解決案より優れているとは限らない。 モースの奇抜なアイデアを楽しめる方にのみ、お勧めできる作品。 | ||||
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