ジェゼベルの死
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ジェゼベルの死の総合評価:
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全3件 1~3 1/1ページ
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ちょっとわかりにくいです。 | ||||
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【ネタバレかも!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する
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ブランド2作目の読了。序盤での奇怪な謎の提示と終盤での自白合戦。3ダニットのバランスが取れていて「緑は危険」よりはこちらの方が好みだった。 | ||||
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「戦慄のトリック」「妖刀の切れ味」などと称されるトリックだけど、その1本だけで勝負するには、長編では無理があるかな? | ||||
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いわゆる欧米のミステリ黄金時代の主だった作品はあらかた読んだ気でいたので、その周辺の作品を探していて引っかかった著者の作品。 翻訳小説、特に海外ミステリでは、冒頭から多くの登場人物の横文字に圧倒されがちだが、それらの名前に混じって、ページェント、ページェントと何度となく記載されるので、しばらくは女性の名前かと勘違いしてしまったw LEDでの大規模なイルミネーションショーのことを「光のページェント」なんて呼んだりするが、それのことだ……。本来は宗教的な題材の移動式の屋外劇等の催しのことらしい。 「ページェント」くらいはもはや日本語だおぼえとけと云うことだが、訳注でもつけてほしいところだ。巻末には「1960年に出版されたものを文庫化」とあって、新訳とは書かれていないので、60年前の翻訳かもしれないが……。 海外作品の翻訳では、原語で読む人たちには常識でも、日本人には馴染みのない語句や用語がするっと出てくることがある。そんな時に訳注があるべきで、本書でも、被害者のイゼベル(Isebel)がジェゼベル(Jezebel)と呼ばれたりしたのに対して、聖書関連の"常識"を訳注で説明してくれていたりするのだが、まだまだ不足気味に感じた。 著者の記述の中に手がかりやレッドヘリング等の布石を探しながら読むミステリ作品では、要らないところで引っ掛かりを覚えたくないので、特に海外ミステリでは訳注にこだわってほしい。 さて作品自体の感想だが、つい性分で気になってしまったことがある。 ジョニイの自殺も本作の事件も英国でのことだが、プロットにはマレー半島が大きく関わっている。 本作の事件は1948年あたりで、ジョニイの自殺は1940年。 この間がこれほど開いているのは、もちろん第二次世界大戦の影響だ。 マレー半島では、日本軍のマレー侵攻があった。 本作の登場人物の多くは、当時マレーにいて、日本の侵略にえらい目に遭ったという。なんだったら、本作の血なまぐさい復讐も、日本統治下でストレスを受けたが故に醸成されたかの勢いだ。 戦争の渦中にあったのだから、焼け出されたり、収容所に送られて辛い目に遭った英国人もいただろう。しかし植民地にいた支配者側の人間が、侵略されてどーのこーのといった文句はあれど、被支配者側のマレー人の視点は一切ないというのはちゃんちゃらおかしい。 どうやら著者はマレー半島で生まれたらしいので、彼女の目や耳からはいってきた情報では、そんな印象を持つことになるのかと興味深い面でもある。特に日本をディスる意図は感じないが、こういった支配する側が無邪気かつ無責任な感受性は、読んでいて若干気になる。 もしかすると、当時の英国人は無知蒙昧なマレー人を教化してやろうと、傲慢な善意を感じていたのだろうか。ここは日本人もある程度は反省すべき点かもしれないが、英国人はマレー人の学校をどれだけ建てたのかなw とまぁ、シャーロック・ホームズの時代から脈々と受け継ぐブリティッシュ・スタンダードなのだから、目くじらを立てずに流すのが吉であろう。ただし、知ったうえで。 さて、さらに肝心なトリックについてだが、これについても、山口雅也等ミステリマニアが絶賛するほど出来がいいとは思えなかった。 ネタバレにならずにはうまく書けないが、犯人のリスクが高過ぎということである。 到底実用性のある計画とは言えないだろう。 気がつくとかなり驚くあのサプライズにしても、実際に周囲に気付かれないようにふるまうのは、かなり大変だと思う。あれ、重いよ。 | ||||
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英国伝統のバックステージものとしての皮肉な人間観察の切れ味、一種の多重解決ものとしての面白さ、唖然とさせられる大胆なトリックと整然たる解決、『緑は危険』と並ぶブランドの傑作長編(ただし私見では著者の最高作品は中編「ジェレミー・クリケット事件」のアメリカ・ヴァージョンだが) ミステリとしての出来栄えは勿論、著者の俗物たちに注ぐ眼差しの冷酷さにはたじろぐ思いがする。 | ||||
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『緑は危険』がイマイチでしたが、1冊だけで判断するのも・・・とこちらも読んでみました。 文章自体は『緑は危険』のときのように読みにくくはなかったのであれはやはり訳の問題だったのだと思いましたが、人物描写が滑稽に感じられてやはり感情移入できませんでした。この作者とは相性が悪いようです。 何というか、悪い意味で漫画的な気がします。リアリティがないというか、「そんなことできる???」と思いっきり疑問だが、なんだか登場人物達だけが大騒ぎしているような。白けます。 話の展開も起伏がなく、かといって心理描写等で読ませるわけでもなく、犯行当時の状況をあーでもないこーでもないとこね回しているだけで退屈でした。探偵役の警部(でしたっけ?)にも魅力を感じません。 | ||||
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一度読んだが、今読んでもあまり面白いとは思わなかった。 なぜ世評がこんなにも高いのかわからない。 | ||||
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北村薫氏曰く「妖刀の切れ味」・・・なんて感じのことを書いてきた記憶が・・・・あります。まあ、言わんことはわからないでもないのですが、個人的にはそんなに傑作とは、思えません。ブランドの最高傑作は「はなれわざ」ではないか?ただこの意見はどうやら少数派らしい。作家さんや評論家の文章を読んでいるといわゆるマニアは「はなれわざ」より「ジェゼベルの死」を評価している気がしてなりません。 「はなれわざ」は、あのトリックが現実性がないと批判が多いといった印象。ですが、「ジェゼベルの死」のトリックだってそうした意味ではどっこいどっこいでは、ないでしょうか?むしろ、「ジェゼベルの死」のトリックの方が無理がある気がしてなりません。むしろ、問題なのは、「はなれわざ」は、犯人がトリックを仕掛ける必然性(切迫感といってもいい)が、感じられるが「ジェゼベルの死」の場合それが弱い感じがしてなりません。トリックを仕掛けるメリットが犯人にあるだろうというひとがいるでしょうが、でもそのメリットの割に仕掛けに手間がすぎていてませんか?うーん、トリックはすごい・・・それでいいのかねというのが私の感想です。私には、どうも薄っぺらく感じるのですね。まあ、トッリクはすごい。確かに「妖刀の切れ味」・・・・でもなぁ。古きよき探偵小説という感じで、現代の本格という評価はできない。個人的には犯罪を通して犯人の人間像を浮かび上がらせるのが「現代の本格」だとおもっています。そうした評価基準でみると「はなれわざ」は現代の本格だが、「ジェゼベルの死」は古い探偵小説でしょう。解説で山口雅也氏がパズラーの限界(リミット)の挑戦した作品として絶賛しております、が、限界の挑戦した結果、古い探偵小説になってしまったというが、私の感想ですね。もっとも衝撃度は、高いので面白いという人がいても(もっとも大半はおもしろいと思うらしい)不思議ではありませんが・・・ こうした手品はネタとして、短編ミステリのネタでしょう。傑作「ジェミニクリケット事件」も短編(もしくは中編)だからいいのであって、「ジェゼベルの死」はそれを長編でやってしまったためにリアルティを十分確保出来なかったきらいがある・・・このネタを長編であつかうなら「山口雅也」氏のように世界観自体をオリジナルにつくるべきではないか・・・なまじ、舞台を作者が生きている同時代のイギリスにしたためにどうもトリックが浮いている・・・・これは、私だけの意見なのでしょうかねぇ? | ||||
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