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冷血



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【この小説が収録されている参考書籍】
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冷血の評価: 3.76/5点 レビュー 109件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.76pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全75件 61~75 4/4ページ
No.15:
(5pt)

自ら困難な道を選ぶ作家

あまり小説を読まなくなった評者が、新作を楽しみとしている数少ない小説家のひとりが「高村薫」。
硬質な作家だ。

かつては「桐野夏生」もその一人だった。「悪意」を描き続ける桐野だが、悪意の頂点が、シリーズ物の主人公「村野ミロ」を壊してしまったといえる「ダーク」だったと思う。
しかし、その後発表されるのは、悪意の縮小再生産を繰り返した作品ばかりとなってしまった。

高村薫は、縮小再生産に陥った桐野とは異なり、その小説世界からは徐々にエンタメ的要素が排除され「純化」していった。そして、前作「太陽を曳く馬」を読み終わるに至っては、読者を置き去りにしているのか、とさえ思った。
正直、合田の姿を借りた著者の宗教観を理解できているのかがわからず、レビューを書くこともできなかった。現在に至るまで3回読んだが、その思いは今でも変わらない。
ただ、それでも次作が待ち遠しかった。読むのが楽しみということもあるが、それ以上に、高村薫はどこに向かっていくのか、そして、その世界に自分はついていけるのか、という楽しみみたいなものの方が大きい。

自分の中では高村薫の小説は、居住まいを正して読むべき小説となっている。読み始めたら止まらないが、一文一文をじっくり読まなければならず、ストーリーを流して読むことが許されない(もったいない)という強迫観念みたいなものがあるからだ。だからなのか、本作も発売直後に購入したが、なかなか読み始めることができなかった。

刑罰の目的には、犯罪者への報復であるとする「応報刑」思想と、日本のように犯罪者を教育改善し社会的脅威を取り除くという「目的刑」思想の二つの考えがある。本作での犯人は、どちらの考えに立脚しても現在の日本では「死刑」だろう。

ただし、本作の犯人には動機がない、というか犯人にも動機がよくわからない。「目的刑」における目的がないのだ。
高村薫は死刑廃止論者という事実は知っていたが、その拠り所となる考えが、一般的に知られる「目的刑思想」にあるのかどうかまでは知らない。

ただ、わかるのは、自身の主張を織り込んで小説を書くにも拘わらず、自らを困難な状況(設定)を選んで書いているな、ということだ。

縮小再生産的を繰り返している桐野夏生との大きな違いだと思う。そうして書き上げた高村薫の作品は、好き嫌いは別にしても読者を圧倒してしまう、ということだ。

振り切られるかもしれないが、これからもついていこうと思う。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.14:
(5pt)

ラスト100頁が突きつける「生」「死」に相対した人々の様から何を感じ考えるか?

高村作品を読む都度に私は自らの前に忽然と開かれる奈落のような作品世界に慄然とさせられる。よくある「作品と一体となって楽しめた・悲しんだ」ではない。明確なテーマまた命題が、しかし如何なるヒントもなしに、安易あるいは月並みな一般論を許さぬ厳粛な塊として、読み手である私に突きつけられる。おそらくは「照柿」の時だったろう。その輝くような赤に彩られた塊に、私は何の根拠もなく奈落を感じた。作品まるごとに突き落とされて、その命題への解に一生彷徨させられるような畏怖を感じて、そこから貪るようにラストまで読み続ける。

その気持ちを、やはり本作でも味わった。本作は、至近数作と比べれば、テーマ・命題は極めて明確と思う。あたかも自明にして当然のものと思われている「生」そして、自らの意志そして同時に他人の意志によってももたらされないと思い込まれる「死」。その意味が極限に近い形で問いかけられている。人為的あるいは生業として「死」に関わりうる者達−警察、検察、殺人犯、そして医師−、そして、何であれ「死」に関わってしまった者−被害者、そして警察、検察もまた、そして、遺族に連なる者達−、人の手による「死」の果てに、人は初めて己の「生」の意味を考え始める。そこでは「生きろ、生きろ」というどこからかの声を言葉通りに思うような愚かはない。その証左として、本書は、「死」と「生」に関わる言葉が積み重なってのラスト数十頁に、慄然とする言葉が用意されている。そして、それでもなお、私はやはり言葉を見つけられないでいる。

実際、存在しないであろう言葉−2人の犯人による4人の殺害動機−を、半ば存在しないと分かりながら合田刑事も含めた警察・検察が延々とそれを追い求める部分が下巻の過半を占めている。2人の犯人の過去、また、上巻ではその位置付けが分からなかった合田刑事の本来業務である医療過誤事件の顛末が、その追求の虚しさを浮き彫りにしていく。
更には、会話とも対話とも言い難い合田刑事と犯人達との間で交わされる言葉が交わりきらない中で、ラスト100頁の中で示される、虚構の塊のようなこの事件を描いた言葉、そして、ラストで唐突にぶつけられる恐ろしい幾つかの想い・・・
もっともらしい言葉で纏めたくない気持ちと纏められないモドカシサで今はいっぱいである。

人の「生」「死」過去に無数の作品がモチーフとしたテーマについて、高村薫は、凡百の言葉を伏すことを許さぬままに、また一つ大きな金字塔あるいは越え難くも登りたい誘惑をこらえられる高い峰を築いたのだと思う。
なお、新たな事件を迎えるごとに、その役割が変容していく合田刑事だが、本作では一種トリックスターのようにまでなっている。でありながらも、116頁のように投げつける彼の言葉は、やはり重い。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4101347263
No.13:
(5pt)

圧巻の下巻のためにある上巻 それと橋下問題でしょ!

当たり前だが、分冊の一部だけで作品全てを語ることは出来ない。それにしても、本作品の上巻ほど、作品全体のテーマに進んでいないものも珍しいのではないか。
本作品は、カポーティの「冷血」に高村薫が正面から堂々と挑み切った大作であり、その味わいは下巻で圧倒されるわけだが、上巻ではその圧巻の想いには全くヒットしない。これは、上巻に魅力がないということではなく、高村作品の中でもとりわけ、前半ではテーマの外縁をジックリと描く、いわば出汁づくりに費やされているからだろう。

上巻の1章は事件当事者3名の事件に至るまでの主観的な心理描写が延々と続く。そして、2章でようやくに合田刑事登場となって、事件後の警察の動向が刻々と伝えられる。敢えて、これまでの作品より合田の内心が淡々としているのは、上巻というか犯罪とは直面しても、犯人とは直面していない故だろう。
上巻の中では、たとえば延々とジャラジャラピーが続くパチスロ描写や警察無線をひらすら重ねる手法は、通俗的なのだが、高村薫にかかると、これ以上ないほどに効果的に人物の心理や警察の動きを読者に伝えるところであり、やはり感心させられる。
それにしても、事件のビフォー・アフターを、事件の当事者と警察という対峙する立場に切り分けて、全く異なる手法で描き出し、しかし、本作品のテーマには敢えて触れずに、読者を飢餓状態にして、下巻を貪るように読ませる(注:一気読みとは意味が違う)。そして、貪りつつも、深く心で読み尽させる高村文学の新たな最高点が下巻には待っている。

さて、「橋下」問題だ。本作品には、間接的な登場人物として「橋下」という覚醒剤常習者のヤクザが登場する。橋下という苗字はマイナーかつ特殊なものである。従って、部落問題に関心があるものはもちろん、最近の週刊朝日での事件を知る者も、この苗字が部落由来と知っているし、高村薫を知る読者なら、彼女が極めて左寄りの政治認識を持ち、橋下氏を批判して来たことを知っているだろうし、大阪生まれ・大阪育ちの彼女が部落問題を知らないことはなく、むしろ「レディジョーカー」で部落を題材としたことで部落解放同盟の抗議を受けたことも、最近では宮崎学が著してもいる。
つまり、本書の読者は、その知識・情報次第だが、高村薫が、「橋下」(これがハシモトと読むのか、本来のハシシタと読むのかは不明)という人物をヤク中のヤクザに名付けたことは、少なくとも橋下大阪市長への意趣を含むこと、あるいは部落由来の名前をヤクザにつける認識などを、感じずにはいられないだろう。
しかし、私は、これを糾弾・批判する者ではない。高村薫がそんな浅墓なことで橋下という苗字を使うことなどありえないと考えるからだ。書評等でも触れ難い部分(本作を論じる上で全く意味がないし)だが、高村薫という文学者を考える上では、興味を持つところだ。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.12:
(4pt)

一気読み

新リヤ王は上下巻買ったのに上の数ページでまったく読めなくなった。それ以来高村薫は敬遠していましたが、今回合田雄一郎がでるとの内容紹介に引かれ購入。一気に読めました。確かにミステリーではなく、被疑者と合田の心理描写がえんえんと描かれているので、犯人探しとかフツウノミステリーを期待するなら読む価値はまったく0でしょう。

ただわたしはここにでてくる戸田というひとを自分なりに想像した時に、表面的ではあるかもしれないけれど、ずっと孤独で来たまじめな人が、初めて自分を待ってくれる友人と言うものを得たと思ったときに、そこから受け取ることができるちょっとしたこころの浮き立ちとか、あってほんの数日しかたたないのにその人に感じてしまったかもしれない義理とか、そういうのになんかやられてしまった。

けど最終的には救いのない話だったけれど。

でもきっとそれが現実に一番近いのかもとかおもってしまったりする。

なのでずっと敬遠してたけれど、今日は「太陽を曳く馬」上下巻を注文してしまった。その結果がザンネンなものだとしても、「冷血」はそれをおぎなってあまりある後味を残してくれたように思う。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.11:
(5pt)

久しぶりの合田刑事は変わらず、旧友に会ったよう安堵感

上巻で空白のまま残された事件自体の実情は、「言葉」というものの限界をつきつけられた『』の事件よりも空虚で、ありていに言ってしまうとしようもない運転手による交通事故のような印象を受けました。カポーティーの冷血を、この本に影響を受けて読み始めましたがやはり同じような印象です。

しかし、そのポッカリと空いた闇に対して法律と警察の言葉で埋めようとするも届かないことを知りながら、それでもなお、職務を超えた犯人達との葉書という言葉のやり取りに拘る合田刑事は、 出世したことで『』や『』のときのような臨場感を失いながらも、『』で到達した語り得ぬものの地平にもまだ倒れず立ち続けているようで、何というか久しぶりの旧友の変化が実はたいしたものでなかった時のような、なんとも言えない奇妙な安堵感がありました。

想像していたよりも事件の実情は味気なく、それゆえに不気味さと言葉で人間に迫ることの限界とそれでも可能性を示してくれました。この下巻の最終章は2005年夏〜とあり、最後の一文は2007年(平成19年)になっています。そこから5年経ち、ソーシャル・ネットワーク上での私的言葉の拡散、リーマン・ショック等や日中韓のナショナリズムで言葉以外に揺らぐ世界に立つ合田刑事が、次はどのような言葉を紡ごうとするのか、今から次回作が楽しみです。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4101347263
No.10:
(5pt)

久しぶりの合田刑事は変わらず、旧友に会ったよう安堵感

上巻で空白のまま残された事件自体の実情は、「言葉」というものの限界をつきつけられた『太陽を曳く馬〈上〉』の事件よりも空虚で、ありていに言ってしまうとしようもない運転手による交通事故のような印象を受けました。カポーティーの冷血を、この本に影響を受けて読み始めましたがやはり同じような印象です。

しかし、そのポッカリと空いた闇に対して法律と警察の言葉で埋めようとするも届かないことを知りながら、それでもなお、職務を超えた犯人達との葉書という言葉のやり取りに拘る合田刑事は、 出世したことで『マークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)』や『レディ・ジョーカー〈上〉』のときのような臨場感を失いながらも、『太陽を曳く馬〈下〉』で到達した語り得ぬものの地平にもまだ倒れず立ち続けているようで、何というか久しぶりの旧友の変化が実はたいしたものでなかった時のような、なんとも言えない奇妙な安堵感がありました。

想像していたよりも事件の実情は味気なく、それゆえに不気味さと言葉で人間に迫ることの限界とそれでも可能性を示してくれました。この下巻の最終章は2005年夏〜とあり、最後の一文は2007年(平成19年)になっています。そこから5年経ち、ソーシャル・ネットワーク上での私的言葉の拡散、リーマン・ショック等や日中韓のナショナリズムで言葉以外に揺らぐ世界に立つ合田刑事が、次はどのような言葉を紡ごうとするのか、今から次回作が楽しみです。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4620107905
No.9:
(5pt)

非常に難しい小説です

前作「太陽を曳く馬」とは違ったかたちで著者が投げかける問題は非常に難しいものであリます。難解なのではありません。著者の問題提起に対する読者としての回答が難しいのです。この作品では、一般的に認知される人々(被害者・合田雄一郎を除く捜査陣・検察)と通常では理解しにくい人々(被疑者もしくは被告)の両方が描かれていますが(もっとも、作品の明確な意図なのでしょう、被害者からの視点は描かれていませんが)、犯罪構成要件(犯意・動機・殺意)が非常に曖昧で、かつ被疑者あるいは被告はその曖昧さに後ろめたさを感じてはいないことに対して、違和感を抱いたままラストへと連なっていきます。捜査陣も違和感は感じるものの、どうしようもないまま、しかしながらいつの間にか、それはそれで仕方のないこととして起訴し、裁判もそれはそれで仕方がないということで進んでいきます。「それはおかしいだろう?」という捜査陣からの光を、被疑者は吸い込んでしまうためで、犯罪自体は成立しており、且つ容疑も完全に認めているので、捜査や裁判の進行に大きな障害はないのです。合田雄一郎は今作では実質的な捜査主導者となっており、前作までの歩を進めては立ち止まり、苦悩する姿を浮き立たせてはいません。終始違和感を持ち続けながら、被疑者もしくは被告に対し、その人物の内面に光をあてるような手紙のやり取りや対話を行ないます。ところがそうして得られた返答には、むしろ非常に人間臭い要素があるのでした。
不可解なものへの接近を描いた前作を、高村薫がどうつなげるのか非常に楽しみでしたが、今作ではあなたならどう考え、どう行動するか?という鋭い問いを投げかけて来ているように思えてなりません。合田雄一郎が前作までの彼と比べて、言わば淡々と描かれている理由は、合田雄一郎が苦悩すればするほど読者が彼に引き寄せられるからであり、そうではなくて今作では「もっと冷徹に考えてみよ、このような事は我々の身の回りに普通に起こっており、それを普通に理解したつもりで忘れているのではないか?」と言われているようです。非常に回答するのが難しい真の問題作だと思います。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4101347263
No.8:
(5pt)

生きよ、生きよ

カポーティの歴史上の名作「冷血」に高村薫さんが正面から挑んだ野心作です。
家族4人が強盗に惨殺され、警察が犯人を逮捕し、緻密な取り調べの後で起訴、判決が出て刑が執行される。
その一連のストーリーを作者はまるで細密画のようなミクロの細かさで描き上げます。

被害者の家族の表情、犯人の生育環境、警察の捜査、刑事の葛藤は実際の事件のレポートを読むようなリアリティであふれています。
犯行事実は明々白々であり、犯人の供述が揃っているにもかかわらず、あいまいな犯行動機に合田刑事が疑問を持ち徹底した調べが開始されます。
ここまでが上巻です。

捜査の中で明らかになるのは愛情を知らずに育った犯罪者の境遇であり、偶然の重なりで孤独の中で運命を狂わされて堕ちていく姿です。
ひとりの人間には多様な面があり、僅かなことで人生は思いもかけない方向へ転がるのです。
中年に差し掛かった合田刑事もまた孤独を抱えるひとりの男であることから彼らを「他者」と観ることができません。
彼が抱く殺人者への慈しみの感情は私の心を揺さぶるに十分でした。

「どんな犯罪者でもその命は大切である。生きよ。生きよ」これが高村薫さんの人間の本質への真摯な洞察の末に導かれたメッセージでしょうか。
「冷血」はおそらく作者が身を削るような苦悶の中で探り当てた到達点だと私は受け止めました。
上下巻2段組600ページを読み終わって、私は少しの疲れと寂寥感にしばし立ちすくむ思いでした。広く読まれるべき書として推薦いたします。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.7:
(5pt)

人が犯罪に走るとき

難しいことはわかりませんし、書けませんが、この本はおもしろいです!

久しぶりに高村作品では、思考がぐるぐる迷走しないで、スーッと文字が頭に入って来ます。
琴線に触れそうでいて、抑制された文章のためきつくは触れないもどかしさがあり、続きをどんどんと読み進めて、登場する刑事たちとともに物語の深みにはまっていきたいという焦燥に駆られる感覚でもって、一冊さらっと読めます。

さらっと読めるとはいっても、余韻がずんと来るのが高村作品の醍醐味でしょう。

凶悪犯罪を犯した若者(?三十代ですが)の、それぞれの心理と二人の相互作用、衝動と成り行きに流されていく行動(殺人)・・・

犯罪の現場で何が起こったのか、刑事たちは現場を再現するかのように詳細に掘り起こしてゆきます。

現代を生きる者の闇と空虚を描き、さらには衝動による暴発的な犯罪を、どのようにとらえるのか。

潔癖かつ人間くさい合田刑事の視点から、ていねいに精査・構築していくというドラマになっています。

こんなにまじめでかつ展開はさして起こらないお話なのに、おもしろいなあ〜

人間について考えさせられます。

おすすめです。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.6:
(4pt)

世田谷の事件が頭を過る

『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』は未読の私にとって、合田シリーズの『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』を10年ほど前に読んだきりで久々の高村薫作品となる。

書店にて発売を知り、文学知識の無い私は帯文から「森永グリコ事件の次は、世田谷の一家強盗殺人がモチーフか」と浮かんで購入。ごく一部『太陽〜』だと思われるオウムや9.11周辺の情報があるだけで、すんなり没入することが出来た。

今作はエンターテイメント性は乏しいがドラマがある。過去に今に未来に、人々はそれぞれに何かを抱えて生きている。茫洋とした日常に編まれる歓喜や悲哀といった類の漢字二文字では形容し難い登場人物たちの情念が、理解が決してし難くない情緒のもとに描かれている。

そして事件は起き、合田ら警察は茫洋とした日常から確かに在った事実を洗い出す。

個人的に、今回の事件をありふれ事件と評価してしまう自身と世相に愕然とし、10年前を思い返す。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4620107891
No.5:
(5pt)

警察小説としても文句なく一級品。私にとっては人生の指南書。大推薦します。

私個人として、現代作家の中で一番好きなのが作者です。ずっと読み続けていますが、前作の、オウム真理教を題材にした、仏教問答が多い、「太陽を曳く馬」は難しかった。正直なところ理解できないページも多く、何度も読み返し、読み終わるまで何ヶ月もかかり、ぐったりしてしまいました。「靖子純情」「新リア王」から比べても一気にある方向に進んだ感じで、このあとの高村さんの作品はどうなるのだろうかと、ちょっと怖いような、それでも、やはり期待の方が大きく、待ち続けていました。
 そして最新作の「冷血」。週刊誌に2010年の4月号から連載されていたことは露知らず、通りがかりの本屋さんに、真っ白な表紙が平積みになっているのにハッと気づき、アマゾンで買って今日読み終わったところです。毎日1,2時間ずつ読んで、ちょうど1週間かかりました。
 新鮮な気持ちで、まっさらなところから読んで欲しいので内容に関するレビューは避けたいと思いますが、2012年の最後に、高村薫さんの新作を読むことができて、こんな幸せなことはありません。しかし、一方、またもや深く考えさせられ、打ちのめされてもいます。
 読み続けている日々、電車の中で、布団の中で、まわりの世界が違ってみえていました。被害者の生活があり、加害者の衝動があり、犯罪が起こり、警察が動き、やがて犯人が逮捕され、調べられ、裁判に臨む・・・・私の日常では、新聞やテレビで断片的に触れているような事件のひとつが、高村さんによって深く掘り起こされています。それを読みながら、私は日常の日々を過ごしているという矛盾。
 同じ世界に生きていて、偶然となり同士になったとしても、まったく違う人生を抱えている他人がいるという当たり前の事実。同じ人間でも、多様な断片を持っているという、やはり当たり前の事実。そして偶然の出会いが、あっという間に殺人事件になってしまうという、酷さ。
 「太陽を曳く馬」とは違って、全面的に登場している会田雄一郎警部の視点が読者にとっての救いです。彼自身も若い頃から比べると格段に思慮深くなっており、その自問が何とも言えない。
 下巻は一気に進んでいきますが、何カ所か涙腺が緩みました。会田雄一郎警部の思いやりに、です。この作品では、誰も幸福にはならないし、誰も納得しません。それでも日々は積み重ねられて、ひとつの結末に向かいます。
高村薫さんのファンの方なら当然お読みになるでしょうが、多くの方にも、たくさんの書籍の中で選んで、ぜひ読んでいただきたいと願っております。
 私は作品の中で語られた高村さんの思想を真摯に受け止めて、自分の今後の行動、他人との関わりを考えながら、死を迎える瞬間まで何とか生きていこうと思います。生きる、生きる、生きる、です。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4101347263
No.4:
(5pt)

読後、カポーティは、全く意識の中から消えていた。

今回の合田刑事ものは、実に読みやすく、しかも読み応え十分だった。
刑事小説としても、第二章から第三章の公判まで、刑事捜査の部分が実にリアルで、読ませる。
刑事たちは、粛々と尋問し証拠を集め、報告書をあげる。その連続の中で、事件を浮かび上がらせてゆく。
この語り口が、地味な分だけ極めて現実的で、捜査のリアリティを醸し出している。
特に、引き当たり捜査(現場検証)の部分は、強烈だ。順を追って淡々と語られる一家四人殺し。
淡々としているのが逆に、その凄惨さをすさまじく浮き彫りにする。

合田刑事も、前作『太陽を曳く馬』のように、納得できる答えを求めるあまり、思考の堂々巡りに陥るようなことはない。
あるいは、前作で延々と続けた自問自答の果てに、ある境地に達したと言えるか。

どんなにその心理、動機が理解できなくても、犯人は犯人。その事実には何を挟む余地もない――
そして、どんな殺人者でも、生は生であり、死は死である。そこにだけは何の留保もない――

その地点の上で、なおも犯人の“そこにいることの意味”を探ろうとする合田刑事は、やはり前作より一歩進んだ心境なんだと思う。
探った結果が、納得できるかどうかわからないのに。
結局は荒廃と空虚以外の何もないかもしれないのに。
それでも、人が存在することの意味を追い求め続けようとするのだから。

犯人との手紙のやりとりが、合田刑事の意志を、静かに、しかししっかりと表現している。
残虐な事件の惨たらしい詳細を語り尽くした後、それでもなお結末に漂う一抹の寂寥感に、小説としてのある種の到達を感じた。

それから、上巻を読み終えた時点ではカポーティの『冷血』と似た点も多く、どう違いを出すのかと心配もしたが、下巻は見事なまでの高村薫調。高村節全開。
加えて、医療過誤、検察のストーリー作り、死刑問題など、現代の社会的問題も背景としてしっかりと描き込まれ、本書の奥行きをぶ厚くしている。
読後、カポーティについては、全く意識の中から消えていた。
あれほどの名作をふまえて書き始めながら、最後には自分の世界に引っ張り込むその筆力たるや!見事としかいいようがない。

刑事小説としても読み応えがあり、淡々として迫力があり、なおかつ高村文学のテーマもより深みを増した本書は、非常に完成度が高いと思う。
しかし、今思うと、読み進めるのが苦痛なほどだった『太陽を曳く馬』の、バランスを崩しても書きたいことを全部ぶつけてしまう無軌道なパワフルさ。
あれも実は捨てがたいものがあったな、と今さら思ったりもする。
合田刑事が、新たな境地を獲得した中で、それでも再び激しく揺さぶられ突き崩されてしまいそうになる、そんな次回作も読んでみたい。
冷血(下)Amazon書評・レビュー:冷血(下)より
4101347263
No.3:
(4pt)

人の心の在りようを探るミステリー

かつて「私はミステリーを書いているつもりはない」と語り物議を醸した高村薫。
その言葉の意味を否応無しに考えさせられる作品でした。
以下は上下巻両方の感想です。
まず、前に書かれた福澤三部作に比べたら非常に読みやすい作品になっていると思われます。
が、それは前作「太陽を曳く馬」にあったような仏教や前衛芸術、更にその前の「新リア王」に見られる政治といった専門知識に加え、古い言葉使いや仮名遣いがほとんど登場しない故のものです。
テーマとしての難解さはむしろ増しており、ミステリー性やエンタメ性も後退し、ある意味で「太陽・・・」の深化版と言えるでしょう。
そこには「無軌道な若者2人による一家四人強盗殺人」という誰から見ても明白な犯罪事実があり、その事件の捜査や筋立て自体に(これまでは薄らながらもあった)ミステリーらしい意外性はほぼ皆無です。
淡々とした捜査の末に捕まった犯人の、これまた淡々とした取り調べと公判の中で煩悶とする合田ら刑事たちの忍耐がひたすら続くといった内容。
起きた事件に比べてドラマチックな描写や展開はなく、これは言わば高村薫のレポートです。
それ故に(上巻までは事件や捜査と言ったダイナミックな動きがある分一気に読み進められますが)恐らく女史と同じものに興味・関心が無いとしんどいだけの小説になってしまうことと思います。
さて、前作では「分からないものは分からないんだ!!」と投げ出して終わってしまった感のある合田の追求ですが、本作ではどれほど犯人の精神に近づく事が出来たのでしょうか。
個人的な感想としては、様々な後悔や不明瞭なところはありつつも、合田自身の中ではある程度納得できるぐらいには迫れたのではないかと思いました。
それにしても死刑廃止論者として有名な女史ですが、その思想や主張が表に出過ぎる事なく作品としてまとまっているところは流石の高村薫ですね。
女史自身、妥協せずに納得できるところまで続けた末にカポーティに行き着いたのはある意味必然のように感じました。
ラストの何とも言えないもの悲しさには、込み上げるものがあります。

ところで女史はいつまでこのような煩悶を続けるのでしょうか?
もちろんファンとしてはこのような作品も興味深いのですが、かつてのような冒険心に溢れたノワールも恋しいです。
作品歴までカポーティのようにはならないで欲しいものですが・・・。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.2:
(5pt)

肝心のところを残したまま下巻へと引き込まれる

久しぶりの高村薫さんの新作で楽しみでしたが、宗教・政治・親子といった身体的なものを形而上的に捉えようとしていた三部作から一転、上巻を読んだ限りではレディジョーカーやマークスの山を彷彿とされるような重厚な刑事小説に仕上がっています。

一章で被害側と加害側が交差しながら、どちらにも感情移入させにくい仕掛けを施しつつ、肝心の事件の夜を飛ばして、二章で客観的な刑事の視点に移す手法はさすがだと思います。そこから出てくる合田刑事に感情移入していくものの、合田刑事シリーズの古くからのファンとしては、久しぶりの旧友の変化にアジャストしていくところが二章かと思いました。

下巻で、合田刑事がどこまで空虚な事件の内情に迫るのか、そこから言語が先に走る嫌いのあった彼がどのような言葉を紡ごうとするのかとても楽しみです。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255
No.1:
(5pt)

警察捜査のリアルな描写が読ませる上巻!そして下巻への2つの楽しみ・・・

高村薫の合田刑事ものが好きだ。
刑事小説の面白さと、重いテーマを追求する文学的側面が織りなす物語世界は、読み応え抜群である。
しかし、高村さんは『晴子情歌』以降、ミステリの比重がどんどん軽くなってきていると思う(『晴子情歌』は元々ミステリですらない)。
合田ものでも『照柿』からすでにその気配は感じられ、それが最もはっきりと表現されたのが前作『太陽を曳く馬』。
描き出されるテーマには強く惹かれるものの、宗教と芸術が絡んで難解さを増す文章のぶ厚さに、いささか辟易したのも事実である。
今回は、まだ上巻だけだが、まずは刑事小説、犯罪小説としてかなりの読み応えがある。
特に第二章からの、分刻みで刻々と描かれる捜査状況が読ませる。あたかも実際の捜査現場を見ているかのような細部のリアリティが凄い。
そして、合田は、まだ事件に対して客観性を保っている。しかし、ところどころ内面の葛藤が顔を出すあやうさもある。これが、下巻でどうなるか。
高村さんの主眼は、刑事小説、犯罪小説としての面白さだけにあるのでは、無論、ないから。
このあまりに酷すぎる事件。そこに引き込まれていく合田を通して、これから何が語られていくのか。何が待っているのか。

それに、もちろん、カポーティの『冷血』、がある。自分はカポーティを読んでいるので、どうしても意識せずにはいられない。
この文学史上の一大名作に、高村さんは正面切って挑んでるのではないかと思う。強い気迫を持つ高村さんらしい挑戦だと思う。
実話とフィクションの違いはあれど、この意識されやすい形の中で、どう高村文学が展開していくのか。追求し続けているテーマを表現し切れるのか。

2つの意味で下巻が非常に楽しみである。
冷血(上)Amazon書評・レビュー:冷血(上)より
4101347255

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