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冷血
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冷血の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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それぞれの登場人物の心情描写に深みがあります。読んだ後に何のための事件だったのか、それぞれ何のための人生だったのか虚しく、暗くなってしまいました | ||||
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言わずとしれたカポーティの傑作「冷血」をフィクションに翻案した、非常に挑戦的な作品なのだろうが、高村薫 にしても、果たしてそれが成功したかはやや疑問である。 ノンフィクションのもつ圧倒的なリアリティを、フィクションで構成、再現するには、どだい無理があったのかも しれない。 主人公、合田刑事は犯人の行動の軌跡を辿りながら何度も自問を繰り返すが、そのたびに読者は少しづつその心情 から遠ざかってしまうような気がする。 | ||||
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上下巻読みましたが、重かったです。まず、文章が硬いですね。歯医者一家4人殺人の犯人2人と合田雄一郎刑事の絡みがテーマなんでしょうね!被害者一家の日常、事件の発端となる犯人二人の出会いがイントロで、その数日後に残忍な殺人事件がおきてしまう。それからは合田雄一郎刑事登場で、警察内の上下関係、部署関係、検察も含めて詳しく書かれていく。ミステリーとして読み始めましたが、犯人達の性格や事件のきっかけが、なぜなぜで追及されて社会小説?かと思いました。犯人と刑事のやり取りの短い若者言葉。30を過ぎてる大人の言葉と思えません。その犯人達が、合田刑事に手紙を書いてくるのですが、そこで初めて小説らしくなります。こんな見事な文章を、パチスロの店員が書けるものでしょうか?パリ、テキサスというアメリカ映画も引用されて、ザラついた犯人の生活感を浮き彫りにします。これ重要。ひとつの殺人事件で、巻き起こる加害者、被害者を取り巻く人間関係から、社会の動き、それらが調書にまとめられ事務的に何度も書かれて、それで重くなっていくのでしょうかー犯人達と合田刑事がそこまで深く付き合ってしまうものでしょうかー色々考えてしまいました。ただ、横須賀市の隣に住むわたしにとっては、米が浜、馬堀海岸と全国区ではない地名が事件のピースの一部になっていて、作家の取材力の凄さを実感しました。 | ||||
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合田刑事の情動が描かれた人間ドラマ『照柿』の続きを期待すると、それは裏切られる。そこに登場するのは、警察調書をどのように過不足なく書こうか苦心する能吏でしかなく、そこでドラマを成立させるのは難しい。警察調書や公判記録を延々と読まされても感動などあろうはずもない。収斂しようもない理屈や観想が無限に広げられるのも、冗長な印象を残している。本筋とは無関係の医療過誤事案も必要だったのか。はたして、合田刑事をここに登場させる必要があったのか。『冷血』なるタイトルは、ふさわしいのか。接続詞的に「否、」の多用も気になり、専門用語の頻出も本書を読みづらくしている一因でもあろう。 | ||||
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久々に読んだ合田シリーズ。 私の記憶違いかそれともこの違和感は正しいのか…。 高村文学に登場する合田刑事って、全てにおいてもう少し深かったような記憶があります。 「冷血」の中の彼は、私の記憶する合田刑事より少しばかり色が薄く、存在感が希薄です。 もっともっと深いところで惑う合田刑事を見たかったですね。 | ||||
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髙村作品を何冊か読まれた方には今更ではありますが・・ 普通の犯罪・警察小説の感覚で接すると、何だこりゃ~って事になると思います。 有名作家だし、買ってしまったから読まねばって気になるのは分かりますが、 他の方も言っているように、自分に合わないと読むのが苦行になります。 ちょっと読んで苦痛に感じたら、無理に読まない方がいいと思います。 | ||||
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高村さんの作品は全部読んでいますが、どれも良質で読み応え感があるなか、この小説だけはどうも、読み応えの質が違いました。読後感がほかとちがって、読んで充実した感に欠け、虚無感という表現が合うかと思いますが、読後に時間がたってもこの作品を思い出すとその感覚が迫ってきました。物語を追いかけることに疲れて途中で挫折しかけましたが、上下巻をセットで買ったのと、高村作品だから下巻の終わりには何かが待っているだろうという期待で、必死で最後まで読みました。が、期待は実らず、しんどさが勝ちってしまいました。 | ||||
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いい作品だけに、こちらの気分も暗くなりました。 一般人には理解しがたいの人物のフラストレーションの溜まる思考を根気よく丁寧に描写されています。 上巻と下巻でトーンは変わります。 上巻は事件、下巻は裁判てす。 裕福なエリート一家がゆきずりの無計画な二人組に惨殺される。一見、善悪がはっきりした事件であるが、それかすべてなのだろうか? 殺した犯人は悪い。計画性もへったくれもないので間もなく逮捕もされる。 取り調べをするうちに、キャラクターは全く違うものの共にあまりの自覚のなさ、無防備さ、無関心さが浮き彫りに。そもそも、善悪の判断や人との関わりの持ち方をが曖昧で、供述は全て主観に収斂されていく。こういった欠落は、歪んだ生い立ちに遡ぼり形成されていた。 そんな寂しく、未成熟な二人が偶然に出会い、お互いですら気づかずに依存しあい負の相乗効果を起こす。歯医者・何となく余裕のある家庭という二人の閉鎖的の会話の流れで対象とされた一家。 どちらが率先したわけでもない、止めたわけでもない、お金がほしい訳じゃない、人を殺したいわけでもない。でも、起こってしまった軽薄な殺人だった。 しかし、死刑が現実のものとなったとき、犯人に変化があらわれる。合田に助けを求めるのだ、ひどく不器用に。 全くすっきりしないし、哀しくなりますが、小説だけの人物でなく、実際にも居るんだろうと思います。だからといって何かできるんだろうかと考えさせられる作品でした。 | ||||
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合田が帰ってきた。 高村節のリズム感が戻ってくるのは事件現場に合田が到着してからである。 現場検証、捜査会議の詳細を極めるリアリティ表現はさすがの高村さん。 ただ事件はありふれた強盗殺人事件、犯人逮捕もあっけない。 あえてシンプルな舞台設定にして、 「冷血」な犯人の深層心理を表現しようとするのだが成功していない。 例えば、 T「その汚い安っぽいアメリカに、赤いドレスを着たナスターシャ・キンスキーの下品さがぴったりで、泣けたのです。下品のなかにも、髪の毛一本の差で美になるものがあることを発見したのが、私の『パリ、テキサス』でした。」 本書の中で、もっとも印象深い手紙文であるが、さて今日『パリ、テキサス』のナスターシャ・キンスキー髪の毛一本を記憶にとどめている読者がどれほどいるのだろうかと思ってしまう。 I「いつの間にかひとりで畑に戻っていて、キャベツを金属バットで叩き潰して回っている。ああ、いいえ、だからどうだということではないけども、やっぱり怖いこともありますよ、身内でも・・・」 中学生のいたずらなら、やっぱりだからどうだということではないだろうし、 キャベツが殺人の動機になるかという問いならやはり「ならない」。 よくよく高村ワールドを振り返ってみると、 エンターテイメント小説「レディジョーカー」後の「晴子情歌」から前作「太陽を曳く馬」まで純文学は書けていない。 ごく普通の事務員がある日当然天啓を受けてワープロをたたき始め、 「マークスの山」「レディジョーカー」と驚異的な劇的世界を生み出したが、 人間の原罪を書くほどの天啓は受けていない。 つまりチェーホフはチェーホフなのであってドストエフスキーではないということだろう。 | ||||
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待ちに待った、高村薫の新作長編です。 緻密で骨太な文章は相変わらずで、非常に読みごたえたっぷりでした。が、何かが 足りない感じは常にありましたね。 そのひとつとして、細かいミスが見受けられること。 日産シルビアを4ドアセダンと書いてしまったり、2002年末から2003年にかけての話なのに、 ソフトバンクの携帯が登場したり(当時はまだボーダフォンでした)。ちょっと調べれば わかることなのに、女史も筆が鈍ってきたかな、と思いました。 それと、登場人物の会話文。 60歳近い著者が無理やり若者言葉を書こうとすると、読んでるこっちが苦しくなります(笑)。 | ||||
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「太陽を曳く馬」まで持続した「暴力」と「命」への問いかけが、「冷血」では拡散してしまった印象だ。おそらくこの理由なき犯罪は、成立する社会の「わからなさ」を前提とするが、では、その反対の分かりやすい社会とは何だろう。その社会ではこのような犯行は理路整然とあたかも調書のように抹殺されたのだろうか。そうではあるまい。「わからなさ」はこのハイパー資本主義制社会ゆえに発生しているのではなく、人間の存在そのものに付随するものだ。そこを刑事の視点から描くのではなく、別の人間を新たに登場させることで問い詰めていく展開を期待していた。そこに違和感が残った。 | ||||
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残念ですが、この上巻の3分の2を読んだところで断念してしまいました。読む私の体調が凄く悪かったからかも知れません。酔いやすいフェリーの中で読んでいたからかも知れません。広い空と濃い緑の沖縄にいたからかも…。 結果、頭痛と吐き気でボルタレンよりは軽いですが、ロキソニンを飲むことになったのは、主人公と似ているなと自分を思いましたが。 この作品は、犯罪小説より、調査報道に近いかなと思います。裏社会と表社会の間の遠くない場所に潜む日常や動機を克明に記録して、これからに活かそうとみて取れる姿にそう思います。 この本が読めたら健康、若しくは対岸の火事か。読めないと相当に弱っているか、身近に感じることが出来る…そんな風に思いました。 有能だから組織と合わなくなる公務員の合田刑事の描かれ方が好きです。合わなくても続ける様は、「こういう人がいるから税金を払う義務も喜びもあり、社会が安定する秘密でもある」と頭が下がります。架空の人物なのに。公務員に限らないかも知れませんけれど。 ただやっぱり、体調が悪い人や、日々に心配事が多い人には、娯楽にはならないですよ、と先に言っておきたいです。 | ||||
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高村薫でこれまでに読んだのは、『レディ・ジョーカー』と『マークスの山』だけだと思う。 この『冷血』については、テレ朝のニュース番組で取り上げられたのを偶然観てしまって、男性キャスターの大げさな反応には鼻白んだが、前に読んだものは面白かったという記憶があったし(『マークス』は映画も観た。名取裕子って、そんなに興味のある女優じゃないけど、異様にHだった)、時々TVに登場して社会問題などにコメントする高村薫という人に、その言葉の出所が読み切れなくて不思議な異物感のような違和感のような何かを感じていたので、読んでみた次第。 ま、読み通せたし、退屈はしなかったのだが、そんなに出来のいい小説だとは思えなかった。 帯を見れば話の筋は大体分かるし、通常の意味での推理小説的な謎解きで勝負してる内容でもないので、その辺りはあんまり気を遣わずに言えば、やはり被害者一家の描写が何であんなに長いのか、小説の設計として理解できなくはないが、効果を上げていたかどうか疑わしい。 2人の犯人についても、逮捕されてからの尋問場面や手紙では、それなりにチンピラ風の言葉を遣わせながらも、相当に高度な言語能力を感じさせて、作品冒頭で問題の事件が起きる直前までに展開される描写との落差が大きすぎる。しかも冒頭の描写は2人の間で視点を往復させながら半ば主観的になされており、読者としては犯人を内側から覗いてしまった感覚なので、逮捕後の第3者視点からの描写で延々と続く犯人の動機や心情解明の堂々巡りに、もどかしさばかり感じてしまう。 また全体に会話の言葉が生硬で、ちょっと高橋和己の小説の読み味さえ思い出してしまった。『レディ・ジョーカー』や『マークスの山』ではそんな風に感じなかったから、ある意味で以前より下手糞な、少なくとも無骨な小説になっているワケで、そこは著者の現在の境地として受け止めるべきなのだろう。その辺が見通しきれないので「つまらない」と切って捨てる気になれず、これはTVで観る著者の異物感とも通じている気がして、最後まで読み通してしまった。 | ||||
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前編は、久しぶりの高村薫と合田登場に期待を込めて星4つを付けました。 後編は一気読みで確かに面白いのですが、高村氏の小説は非常に作家本人の思想が反映される部分が濃いため どうしても軽く読めない部分があり、その垣間見得る思想面や描き方に今回は同意出来ず。 こういう題材なら、マークスの山のようにエンターテイメント小説として書いた方がすんなり行ったと思う。 カポーティの冷血が凄いのは、カポーティ自身があちら側の加害者に共鳴しきった所にある。 "私達は同じ家にいた。私は表から出て、彼は裏から出た" カポーティは後年語っている。作家として冨も名声も得てはいたけれど、加害者サイドに表層的な共感とか感化ではなく、"同じ人種"の匂いを感じ、のめり込んだ。 高村薫は生まれも育ちも、現在も、歯科医側の人である。 こちら側=歯科医側がいかに逸脱しようと、地獄に惹かれようとも苦悩しようとも、その壊れかたは、あちら側とは異なり、ものの見方は交錯することはない。 高村薫には、井上のような人間はわからない。それはそれでいい。が、カポーティの題材で創作する必要はあったのだろうか。 ちょっと合田好みに、アンドレジイドのコンゴ紀行でも読みそうな知的レベルを井上に付け足して、合田が如何にも興味を持ちそうなキャラに加害者を設定して、わからない、と投げ出す。 聡明さと狂気と境遇の不運さのミックスが如何にも作り物で、リアリティあふれる現場検証は面白かったのに、合田が出て絡みはじめた途端に一気に安っぽくなってしまった。 カポーティは実感、体感としてあちら側の人間とコンタクト出来たからこそ 淡々としているのに真の恐ろしさと不条理が全編を覆っていたが、この作品は全編の臨場感のおもしろさを、合田メインの後半で白けさせている。 高村氏には、不幸な生い立ちと成育の井上や戸田の人生をなぞる事は出来ても そこに、自身好みのインテリ風味を付けない限り人間として描写出来ない作家なんだと思う。 本当に人生の底辺を這う人間を見る目が、深く見せかけてる分だけ浅くかんじる。 高村薫は凄い一流の作家ですが、合田イコール高村薫自身であり、その合田に全く魅力をかんじなかったのがこの本の限界でしょうか。 | ||||
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面白いし、高村さんの小説としては読みやすいのだが、 筑附、豊島病院.....といった固有名詞の頻出が気になり、「それ違うでしょ!」と、ツッコミを入れたくなってしまう。 エリートの代名詞として筑附を選んだのだろうが、(東京の受験ママなら誰でも知っているが)筑附小は、数十倍の抽選と3倍?くらいの学力考査で入学が決まる。 被害者の姉弟ともに、筑附小なら、ものすごく運の良い子たちであり、即エリートというわけではない。 夫は豊島病院口腔外科勤務という設定だが、歯科医師であり、入院病棟もないことから、当直はありえない。 あと、5億以上の財産を持っているなら、北区に住んでいるという設定にも、首を傾げてしまう。(北区在住の方、ごめんなさい) 医師の居住地は(勤務地は別にして)、かなり偏在しており、この機を見るに敏な歯科医師夫婦も、子供の学校や母校を考えれば、文京区あたりに居住していなければ不自然な気がする。 車やパチスロについてはよくわからない。 これらはあくまで瑣末な『記号』であり、著者のテーマとは異なるのは承知の上なのだが、 ひっかかって没入できなかったのは、残念であった。 | ||||
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上巻を読んで。 高村氏の文章はとにかく長い。 詳細過ぎる文章にだれる。極めつけは、パチスロの描写。 延々と2ページ近くも、蛙がどうした、スロットの回る音がどうした、とダレル。 現在の事件を想定して(世田谷の事件の高村解釈が入るが)、読者を裁判員裁判の裁判員へいざなう。 あなたが裁判員裁判の裁判員に選出されたら、こういう被告・被害者・現場と対峙するのよ、というメッセージを受けている様な気分になる。 気になるのは、合田雄一郎の透明感だ。 まったく生物感が無い。 人の批判や論評はするが、彼の日常・欲望が描かれていない。 裁判員裁判の裁判官役に感じる。 今下巻読書中だが、とりあえず、上巻の読後感をまとめておく。 | ||||
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